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2009年7月31日 (金)

詩 『蕪村の俳諧』 鈴木漠


  
『蕪村の俳諧』

   鈴木 漠

蓮の香や水をはなるる茎二寸 蕪村

蕪村七部集の一「此(この)ほとり一夜四歌仙」
  秋雨の一日 篤い病に臥せる門人嵐山の元へ
  蕪村、樗良、几菫の三人が見舞いに携える詩箋
病人にせがまれ枕頭での歌仙行は幽界と紙一重
  同時進行の連句四巻こそは文字通り
  嵐山今生の名残となる 無常の喩え
夜半三更までに満尾した四巻八枚の折
  ただちに版元橘仙堂で板行にかかった
  嵐山は上梓を待たずに身罷るア・ポステリオリ
白菊に梅雨置き得たり とは嵐山の発句だった
  俳諧は言語遊戯というより命懸けの方程式
  必死の文芸だったと知り感銘が深かった
明治期に蕪村俳諧を称揚したのは正岡子規
  蕪村の号は陶淵明「帰去来兮辞」がポイント
  帰りなんいざ田園将に蕪(あ)れんとす を意識
然るに 蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村の意ならんと
  これは子規の珍解釈 蕪村は陶淵明に傾倒済み
  菜の花や月は東に日は西に の蕪村発句も何と
陶淵明「雑詩」の 白日は西の阿(おか)に淪(しず)み
  素月は東嶺に出づ の捩りらしい
  東嶺を東山に見立てる文人画の青墨(あおずみ)
晩婚の蕪村はひとり娘が無性に愛おしい
  にも拘らず足繁く伏見の茶屋通い
  若い芸妓いとに入れ揚げたとは悩ましい
見兼ねた年嵩の門人道立(どうりゅう)に諌められた心迷い
  今日限り青楼の件は断念 その代わり
  妹(いも)が垣根三味線草の花咲きぬ の佳吟に余意
泥中で玉(ぎょく)を拾うたる心地に候(そろ) と断り
  自画自賛した蕪村書簡の熱いセンテンス
  芭蕉に帰れと蕉風を慕った蕪村のこだわり
その理念はいうなれば俳諧の文芸復興(ルネッサンス)
  不惑に至る愛弟子几董に呼び掛けたプロパガンダ
  推敲重ねた「俳諧もゝすもゝ」は師弟の交感(コレスポンダンス)
芭蕉の不易流行説を敷衍した連句作品だ

  〈詩誌『びーぐる』2号からの転載〉

* 自由律によるテルツァ・リーマ(三韻詩)。
* テルツァ・リーマは中世イタリアに起源を持つ脚韻定型詩。
  三の倍数行プラス一行で構成される。
 十四世紀初頭の壮大な叙事詩、ダンテの『神曲』はその代表。
 『地獄篇』『煉獄篇』『天堂篇』の全百曲がこの形式で書かれている。
 形式はaba/bcb/cdc/ded/efe/fgf/ghg/hih/iji/jkj/klk/l 

引用は、『連句誌 OTAKSA』 XX (20号)終刊号
2009.7.31
   おたくさの会 NHK神戸文化センター

かささぎの旗、ひめのの感想

鈴木漠先生、おたくさ、毎号お送りくださって、まことに有難うございました。
号を重ねるごとに、誌面から迸るものが段々熱くなっていきました。
日本にうまれたことの至福をしみじみと実感する次第です。
さまざまな韻のかたちを駆使した実験的な連句作品の数々。
わたしが最初に連句の毒にやられたのが、窪田薫師による尻取りや頭韻冠字などの言語遊戯における「偶然性」だったこともあり、鈴木漠ほどのおかたが、なぜ今またこんな遊びにより戻ったのか。といぶかしむ気には全くならず、ひたすら、芭蕉へ帰るための遊び、かみさまにお委ねスタイルに戻られたのだな、と思ってみておりました。マンネリを打破する力をもっていると思います、こういう試みは。
最初のころの号で、先生が取り上げておられた九鬼周造の『偶然性の問題』は私も読みました、すごい本でした。人との出会いもですが、連句をやっておりますと、常に選択を強いられる場に立たされる、常に岐路に立つ羽目になります。そうすると、自然とおもうことではあります、いつもおもっています、ぐうぜんというもののおおきさを。

『遊びといのち』という対談集を書いたのは、山本健吉でした。
真剣に遊ぶ。
いのちをかけてあそぶ。
俳とはそむくことである。
健吉は連句については何も書いてはいませんが、「俳とはそむくことである」といった時点で、俳句にそれが望めそうもない今、おのずと俳諧の連歌こと連句にそれを求めるしかないのでは・・・。と思うようになりました。

とりあえず、ネット上でお礼まで。
(英語講座でちょうどのときに蕪村の句をとりあげていたこともすごい偶然でした)。

英語俳句 その4 蕪村の琵琶

七月の英語の授業は月初めと月末でした。
私は父の入院があって行けなかったのですが、まりさんがプリントを届けてくれました。
ありがとう!

英語俳句

逝く春や重たき琵琶の抱きごころ   蕪村

拙訳

spring passing by
when I’m holding you
like a heavy biwa

佐藤哲三教授の訳

With my love for you,spring is going,
Placed over the heavy biwa I am playing.

古典学者の先生がみたら目をむくに違いないのですが、かささぎのへたくそな英語訳は飛躍しすぎ連句的すぎ。
蕪村がだきしめているのは、まぎれもなく琵琶であり、同時に晩春の憂愁なんですよね。
だけども、かささぎはこの句をよんですぐ、そういったことを連想した。

萩原朔太郎に『郷愁の詩人与謝蕪村』がある。
高橋睦郎の『百人一句』のなかの蕪村には、やはりこの句が採られていて、表記は、

ゆく春やおもたき琵琶の抱心  蕪村

でした。(わたしがひいたのはネットから、出所不明。すみませぬ。)
あと、中山宙虫の俳句がやや蕪村に似ているところがあると以前から思っていて、それを追求したい気も少しあるんですが、それほど宙虫俳句を読んでいるわけでもないので、そっちは放棄して、ちょうど数日前に届いた詩人鈴木漠発行の連句誌『OTAKSA』から、蕪村についての連句独吟をいっちょう引きたいのですが、結構ややこしいので、時間がかかりますんで、後回しにします。おたのしみに。

で、追伸。
まりさんの連絡プリントからそのまんま引きます。

お知らせ:

8月22日より毎週土曜日13:00~15:00英語勉強会開始。
上級クラスの吉住君*が準一級に合格したそうです。
大学としても大変喜ばしいことで、これからももっと英語教育をすすめていきたいとか。
私たちも参加していいそうですよ。
ちなみに受講料は無し。根性さえあればOKだそうです。
用意が必要なので、参加したいときは電話してくださいとのこと。

*吉住君とは・・・とてもさわやかできれいな保健医療経営大学の学生。

お浄土の花

お浄土の花

百合

百合

2009年7月30日 (木)

雲のクロール

2009年7月29日 (水)

病院玄関前

病院玄関前

(『回帰』椎窓猛先生の詩碑があります。)

父、術後一週間。
傷跡がきれいになっていました。
お風呂に今日は入れたそうですし、食事も今日から普通食になりました。
研修生がずいぶんよくしてくださるそうで、介護の母も助かっています。
病院のちかくの学校に通う次男がまめに父を見舞ってくれます。
これは意外なことでした。
とにかく、よかった。
この調子ですと予定より早く退院できそうです。

歌集『チョコレート革命』と映画『TANNKA 短歌』とかささぎと

 DVD映画『TANNKA  短歌』(阿木燿子監督)をみた。

 原作は歌人・俵万智。
 映画のなかに効果的に散りばめられている、『チョコレート革命』の短歌作品。
 一人の女の、若い男と中年男性との色恋をえがく。
 恥ずかしながらかささぎはこの年まで成人映画をみたことがなく、女性監督作品なのに、!という場面が続くのでどぎまぎしたんですが、みているうちにだんだん監督の意図もわかってきました。以前ジュディ・オングが歌っていた『魅せられて』の詞を書いた阿木さんの「してやったり」って顔がうかんでくるような映画でした。
すきなおとこのうでのなかでも、ちがうおことのゆめをみる・・って歌詞を書いてた人ですし、おなじおんなとして、きもちはじゅうぶんわかります、かささぎも。
監督インタヴュー:http://www.hollywood-ch.com/report/interview_tannka.html

 この俵万智の歌集が話題になっていた頃、『連句誌れぎおん』に歌集評を書かせてもらっていたのをひょっこり思い出しました。(れぎおん20号、1998・1月号『俗の細道(八)』)
 れぎおんの前田圭衛子編集長には一種独特のやまっけみたいな気があり、その強力なそそのかしによってつい書かされてしまいました。
久々に読み返すと、自分のつっぱりが透けて見えるし、正直な苦悩もどこかにみえます。
妻にとっての愛人というみえざる「敵」の歌集と正面から切り結んだ、もう二度とは書けない文章であります。

かささぎのライフワーク「張形としての俳句」とまっすぐつながるテーマ。
自己嫌悪の情をこめ引用する。(私はなんとうそつきだったのだろう。)
この文章をかいたころの自分と、今の自分ではかなり意識が変わっている。
育児をしていた、家庭をまもるのに必死だったこのころの私は、自分の性をやっきになって否定しようとしていた。べつのことばでいえば、抑圧しようとしていた。いまはそれがよく見えます。映画は、そういった抑圧のいやらしさを自然に解放してくれる。ありのままでいいんだと、すべてを肯定してくれる。それはとってもやさしいことに思えてきた。
自分のこれまでの人生って、いったいなんだったのだろう。
もうすこし、女性性をだいじにしたいし、女であることに誇りを持って生きていこう。

俗の細道(8)
ー 『チョコレート革命』 優等生の幸福な不幸ー

      姫野恭子

 俵万智の『チョコレート革命』批評を試みてみたい。普通批評のためには、なにか確固とした比較の対象が必要なのであるが、そんな大層な“短歌の地平”を所有するだけの知識もない、短歌初学のミーハーであれば、思い切り過激ないちゃもんをつけるのが積の山である。初夏だったか、西日本新聞の文化欄で伊藤一彦氏の同歌集批評文を読み、全く同感であると紙面に相槌を打ったことを覚えている。それで、批評の勉強のために、千五十円支払って歌集を買い求めてきて読んでみた。

 なんと今年五月八日の初版なのに、私が八女の積文館書店で買ったものは「六月十日十八刷」である。誰が買って行くんだろ。私みたいにいちゃもん付けるために読むという心貧しい者たちは、わざわざ買ってまでは読まないだろうから、やはり万智さんのファンの方々が大勢いらして、その方々が購読されたのだろう。

 優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる

 歌集をひもといて最初の章の五首目に置かれた歌である。この「チョコレート革命」は後記によれば作者二十八歳から三十四歳までの作品を、制作年順ではなく内容によって並べ替え、編集したものとある。万智さんは連句もなさるようだから、この作業は序破急その他自然な意識の流れを考慮して編まれたものと思う。

 上記一首はなんとよくこの歌集の出自を語り得ていることか。
アイドルが脱いだ、というだけのことだ。ブリッコするのも苦しい年になった歌手とおなじね。なんていったら、あんまりだろうか。
 それにしても、抱かれた抱いたという語の頻出する恋愛歌集を読み通すのは、ツライ。つらい、かったるい、てれくさい、気が重い、よだきい、しからしか。
そ、せからしか。
三人の子持ちで恋愛やフリン等から最も遠い距離にいる主婦にとって、それが偽らざる感想である。

 抱きあわず語りあかせる夜ありてこれもやさしき情事と思う
 水仙をふるさとの花と思うとき暗き海色の花瓶を選ぶ
 骨の髄味わうためのフォークありぐっと突き刺してみたき満月
 「恋」は「孤悲」だから返事はいらないと思う夜更けのバーボンソーダ

 肉欲的なうたからは離れたものを選んでしまった。一応、この四首をだしにして、何かを語り得たらとおもう。
 まず「やさしき情事」の歌。わたしはこのうたの「これも」という語が気に食わない。「これぞ」でなければいけないと思うのだ。三十代の俵万智の考える情事が、性愛的な戯れであるとしたら、四十代の私の考えるそれは肉の交わりのない霊的交歓であり、たとえばアガサ・クリスティーがメアリ・ウエストマコット名で書いた小説「春にして君を離れ」に描かれたヒロインの夫とヒロインの友人との、おなじ痛みを分かち合うだけの関係などはとても印象深く残る「やさしき情事」である。
 二首目、水仙の歌。俵万智の故郷はどこだろう。大阪生まれ、とあるから、与謝野晶子と同じ関西人だったのだ。このうた、暗き海色の花瓶がとても効いている。蒼い海色ではなく、暗き海色の花瓶に活けられて、凛とした香気を立たせる水仙は、この歌を詠んだ日の俵万智そのひとに違いない。私はこの歌の香りを信じたいし、煩悩の穢れを無意識の裡に祓っているものとしたい。
 三首目の満月の歌。なんて痛々しい。癇癪を起こした女の自虐の歌。骨の髄を味わうフォークというのがどんなものか知らないが、歌のコワサは理解できる。満月にフォークを突き刺したいとの願望。
 ここに引きたいのは「元始女性は太陽であった」で始まる有名な平塚らいてうのことばであり、その思想への反感である。青鞜の時代には輝いていたスローガンであろうが、時代を経た今、とても使える代物ではない。なんとかこのことばの桎梏を解けないだろうか。これからの女性の理想像の提示。
 これしかない。と思えるものが、実はある。
 「nothing like the sun」である。英国の歌手、スティングのアルバムタイトルにある「太陽の比ではない」存在の月になること。女は月でいい。いやむしろ月こそ太陽もしのぐものとして輝くことができるのである。スティングは霊的なすごい力をもった詩人だ。このナッシング ライク ザ サン と言うことばは、シェイクスピアのソネット130番の冒頭にある、「わたしの恋人の目は少しも太陽のようではないし、」と始まる恋歌である。それをスティングは「シスタームーン」で月の賛辞として復活させた。もうわたしたちは太陽になんかなりたくはない。月のようににびいろのやさしさで傷ついたたましいをいやす、そんな存在の女性が今後は求められるはずだ。
 最後のバーボンの歌。恋は孤悲、という言い回しを最近私は何かで見た。
そうだ。おそらく俵万智と同世代とおぼしき歌人、松山の俊成圭の処女歌集『風を聴く耳』(青葉図書)にあったものだ。

 つれづれに歌えば孤悲は濃く淡く流れる時の空を彩る   圭

 時代の不幸とは何なのだろうか。自由が不自由な檻であることに気づかないふりをしなくちゃいけないこと。ああ、振り返れば、現在中一の長女が小4の少女だったころ、保護者参観で性教育があったときのことが忘れられない。赤ちゃんは愛し合った男女二人のセックスによって生まれてくるのだ、と先生はおしえた。これはうそである。愛情がなくても人は性交できるし、愛情があっても赤ん坊が生まれてくれないこともある。『新世紀エヴァンゲリオン』という本音むき出しの、過激な少女漫画が異常なほど娘たちのこころを捉えたのは、こんなおとなの欺瞞に虫唾が走る魂の自然な要求であった。これにでてくるヒロインヒーローたちの家庭は最初から崩壊している機能不全家族である、というのも圧倒的な共感を呼んだ理由だ。
 俵万智の不幸は、野性を認めぬ時代の代償行為のごとく、唯一残された身のうちの野性=性愛を愛情と錯覚したことだった。おっとにふりんをされたつまのがわからものをいわせてもらえば、そうだ。優等生ほどでっかいフォークで月を抉っているように思えて、不憫でならぬ。

 (連句誌れぎおん20号、1998年1月号掲載)

2009年7月27日 (月)

BAKUMAN

デスノートのコンビが描くまんが道。
三巻がことに面白い。
このなかに一人三十代で冴えない太っちょのおっさんがでてくる、15才の横着な天才新人漫画家のアシスタントとして。
そのおっさんがとっても感動的。
背景描き専門の誰にも負けない仕事ぶり、そしてまだジャンプに連載することをあきらめていない。

ひこばえる背景描きのアニメーター     kyoko

連句的連句:短歌行『肢も飢えたり』
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_6d83.html

2009年7月26日 (日)

流れゆくものの蘇生  穴井太の山頭火

ほうたるの闇に戻りし山頭火   穴井 太

『行乞流転の旅人 山頭火の世界』
穴井太 著

小崎侃 版画
本多企画 発行
第一刷発行 1990・2・10
(写真は第四刷1992・10・30発行のもの)

流れだすもの流れしめ梅雨明ける 恭子

梅雨の雷むかしの音を連れてくる

じぶんは穴井先生のかなり特殊な生徒だった、とおもう。
句会にはいちども出ず、だれとも連携せず、ひとりだった。
てんらいにいた四年近く。
博多と戸畑はさほど遠かったわけではない。なのに師を一度も訪ねなかった。
遠くから見ていた、そして句(へたくそな)だけきちんと毎月五つ出して、あとは先生とはがきで文通していた。あんまり俳句とは関係ない世間話を。
穴井先生からの返信のはがきが沢山残っている。
しようもないことにもちゃんと答えてくださってる。

ゆうそらの雲のおばけへ花いちもんめ  太

在籍していた期間、いちどもあわなかった。
なぜだろうか。
なぜだろう。あいたいとはおもわなかった。

太師が共感をもって書かれた種田山頭火の本を、ひさびさに読み返し、師のこころの跡を辿る。
太師と出会ったころの自分は三十代半ばであった。
それから二十年近くたつ。
以前見えなかったものが見える。
太師が山頭火に重ねられたものの影がほのみえてくる。

2009年7月25日 (土)

『蜜柑色の夏休み』 福山雅治

恋句であれこれあさっていたとき出合った福山雅治のアルバム、「f」と「slow」。

そのなかに「桜坂」も「squall」もあるんですが、そのなかで、とってもこころに残る名曲を発見!!(どっちのアルバムに入ってたか忘れましたが。)

http://www.youtube.com/watch?v=Wjfbln2L_0k&feature=related

「蜜柑色の夏休み」

このなかのギターの音色、とってもいいよ!
(ただしアルバムの。歌詞でいえば「まどの」と「そとは」の行間にある音)

では、いまからチチにあいにゆこう。

ガスがでてくれてますように。

2009年7月24日 (金)

九建日報

九建日報は九州管内の公共工事入札落札情報や分析などが載った新聞です。
たまにお昼休みに流し読みします。
この日読んだ記事でもっとも目に付いたのは、

「七ヶ月連続の減少」 五月の受注統計調査結果。

景気はどんぞこの底をうったと聞いたのに、うそだったんですね。
新聞読まなくても事業所の入と出の計算してますといやでも解ることですが。

2009年7月23日 (木)

父 腹切り翌日

父 腹切り翌日

父、胃がん摘出術後一日目

2009年7月22日 (水)

遠足じやないのに

遠足じやないのに

2009年7月21日 (火)

星の文化館にやまぼうしがさいてた頃

星の文化館にやまぼうしがさいてた頃

藤沢周の。

藤沢周の。

『ダローガ』 藤沢 周・著

(新潟日報事業社)

杉山おんじいの。

杉山おんじいの。

『燈篭人形夜話』 杉山 洋・著
      (東兄弟印刷所)

 

日食談義

北九州の主婦の方が考案された新聞バッグ。前から興味がありました。
今度見せてね。
日食の記事にも興味あり。
22日はお天気が悪いみたいですね。
お店には毎日日食を見るグラスのことで問い合わせがあります。
もう入ってこないんです。
残念でした。

rainこんにちは
日食グラス>>私もまだ用意してません。
前回のときはセルロイドの下敷きを2枚重ねて見た様な記憶が、、。場所は学校の校庭で同級生達とわいわいしながら^^☆
あと、ガラスにローソクの炎ですすをつけたり、、。
でもテレビで今のローソクはすすがあまり出ないとかは言ってましたが、、。
娘が子供時代の部分日食のときは磨りガラスのコップで見たとか言ってたけど、、。
カメラで収める方法もまだ調べてないし、、。
とりあえずはお日様が出ますように、、sun

>前回のときはセルロイドの下敷きを2枚重ねて見た様な記憶が、、。
>場所は学校の校庭で同級生達とわいわいしながら^^☆

乙にも同じような記憶があるのですが、それに該当しそうな日食記録がないのです。
太陽の半分以上が欠けるような部分日食は、前回は昭和38年7月21日。
ただ、この時は、食が最大だったのは日の出の時刻なので、同級生たちとわいわいする時刻ではありません。
その前には、昭和33年4月19日に記録があります。土曜日の昼なのでわいわいできる時刻ですが、この頃の記憶があるはずがありません。
記憶にあるのは太陽の一部が欠けるだけの日食だったのでしょうね。

今回の日食は、八女あたりでは22日の9時37分過ぎくらいに欠け始め、10時56分に91%くらい欠けます。欠け終りは12時18分です。

次回は、3年後、2012年5月21日に日の出の時刻に見れます。八女あたりでは今回と同じくらい、91%くらい欠けます。早起きしましょう。

八女あたりの部分日食(10%以上)を調べてみました。
昭和33年 4月19日 11:04-14:41 87%
昭和40年11月23日 11:55-14:07 21%
昭和44年 3月18日 14:52-16:09 14%
昭和53年10月 2日 15:38-17:22 29%
昭和56年 7月31日 11:39-14:13 43%

小学校の記憶は、昭和40年の21%部分日食でしょうか。
しかし、この日は勤労感謝の日で休み。
学校の校庭の記憶が矛盾。

調査追記。
昭和38年7月21日の前回の皆既日食(北海道)の時は、八女付近では日食は観測されていません。
よって、小学校時代で該当する記録は昭和40年の部分日食のみです。

ぼん。新聞バッグ、北九州の人が考案したのですか。全く知らなかった。握るところを補強したら長く使えるそうです。英字新聞のもきれいでした。こんどもっていきましょうね。
鍬塚さんは戸畑ですけど。
この写真の背景の白い壁はチチが去年塗ったものです。でこぼこがあるけど写真ではでない。
鍬塚さん、ご自分でつくってくださったのですが、絵柄をちゃんと考えて新聞を選んでありました。月特集。裏もちゃんと月。おなじころにおなじマヤ暦にこっていたっけな。というより、旧暦に。ひさしぶりでしたが、鍬塚さんと会うと、昔の話ができます。鍬塚さんがいなければ、私は「樹」に入ってなかったし、石橋秀野も調べていなかった。てことは、八女のみんなも俳句に誘っていなかったんだよ。
ということを思うとき、このかたは、恩人なわけです。

おお、天文写真家えめさん。日食みたことあるのですか。
へえー
どんなんやろ。それみたらいいことある?
写真にとるとき、眼がやけどしない。

おつしろう。あなたはほんまに、せっせとしらべるひとですねえ。
こどものころに記憶がある?自分はない。ただ光を集める実験の記憶はある。
黒い点が燃える。昭和四十年といえば十一歳、小学五年。
そのころ、小川先生に連れられて、みんなで下横山小学校まで三里か四里かの山道を歩かされた、蝶採りで。その記憶だけが鮮明であります。
おつしろうとはクラスがちがかったよね。
こないだ、らんちゃんと星野村に行空資料をあつめにいったとき、ついでに、らんちゃんが行ったことないというので、足をのばして、おぼろ大橋までいきました。そしたら通り過ぎて森林公園までいきそうになった。
あのおぼろ大橋のある付近が、下横山なのでしょうか。八女もひろくて、まだよく知らないところがいっぱいです。

だんだん思い出してきた。
小学校の時、セルロイドの下敷きを重ねて見たのは、単なる太陽の観察。
日食を見た記憶は1980年代以降、就職してから。
ふたつの記憶がごっちゃになってた。

だんだん思い出してきた。
小学校の時、セルロイドの下敷きを重ねて見たのは、単なる太陽の観察。
日食を見た記憶は1980年代以降、就職してから。
ふたつの記憶がごっちゃになってた。

moon3こんばんわ
おぼろ橋が左へならぜぜん社へは右へ行って行き止まりの場所。
学業、就職(わが家の場合heart)などなど。。
是善公=菅原道真のお父様diamondを祀ってあります。
目的方向の道を間違えていつのまにかこの社の前に到着。偶然、娘の受験の最中でした☆
集落も深閑としてきれいで癒されます。
反対側の山手、上横山の奥の滝宮不動尊もすばらしいですよ^^club

そのときにこういうこともした。
髪の毛がたちあがる実験。
コメントがエコーしてる。

sunshinenewmoonshine
セルロイドの下敷は便利なものだったんですよね。。今にして思うと☆
おねどしの夫も学校でみんなで観察した記憶があるようですが、私といっしょで何年生だったのか覚えていない模様。
ちなみに「ガラスにすす」で観察したらしい。
観察する道具を用意してないので、明日めぼしそうなものを見つけに文具屋さんや100キンをうろうろしてきますflair

新聞バッグはここで教えてもらいました。丁度1年前。三苫の循環生活研究所での講座でした。
http://www.pepa.jp/g-betta.com/shinbun.html

今調べてみたら四万十川の道の駅が発祥?

日食って新月の時に起こるんですね。
11時35分に新月になるらしいから、それから8時間以内に白い紙に願い事を10個書きます。願いが叶うと信じながら。
10も書けば7割方はかないますよね。
お試し下さい。
信じるならばですよ。

エメさん

太陽を直接見ることは目に悪いので、安易な道具で見ることは避けたほうがよろしいようです。
使い古しのテレフォンカードに針穴を開け、白い画用紙とかに太陽光を映し出してみるのが良いようです。麦藁帽子の隙間や、木漏れ日の間から差し込む光線をうつすのもいいそうです。
以上、ズームインからの情報です。

2009年7月20日 (月)

新聞バッグ

新聞バッグ

鍬塚さんが作ってくださいました。ありがとうございます。大事にします。

チチにがん

チチにがんがみつかった。

検査の結果、転移はみられない、初期の胃がん。
あさってが手術です。

はじめての大病で、本人よりハハがおたおたしている。
もともとハハの調子が悪かったので受診し、ついでに食欲がないチチも検査してもらったら、見つかった。

紹介されて公立病院にかかるのですけど、これ、どうなんでありましょうや。

博多の病院勤務のむすめがすぐいったことには、

「え。おかあさん、そこ、だいじょうぶなん。」

これは当然のことばです。
これまでさんざん事故があったところだし、去年息子が盲腸手術うけたときも一週間ではおさまらず、一月近く痛がって治療に通っていた記憶があたらしい。(そのときの医師は今回みたらいなくなっておられました。)

けれども、地域の病院に命を託さず託せず、どうやってその地域でお世話になることができるでしょう。

ですからそれは気にしません。

けれども、一つだけどうしても気になることがある。
それは事務。なんであんなに待たせるのでしょう。
会計にカルテを出してから二、三十分もかかる。誰も他に待っていなくても。
同じ仕事をしていたことがあるだけに、余りにも「ふうたぬるく」て我慢できない。
こういう何気ないことが、とてもとても大事なんです。
それ、わかっているだろうか。サービス業でもあるという自覚あるだろか。
いまは市役所でさえ、人を待たせなくなりつつある。

「競争に勝つか、競争を避けるか」(橋爪章)参照ブログ記事:
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/844

2009年7月19日 (日)

亜の会 八女ぼんぼりまつり協賛連句興行作品集

平成十三年三月二十日
於・八女市堺屋石庭

【矢部の座】

脇起半歌仙『草の戸も』の巻

     天野おとめ  捌

草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉
  桃の莟のかたき坂道          澄 たから
春風のパックツアーに誘はれて      天野おとめ
  古着もろもろ一括りせり         沢 都
雄大な大地に在(おは)す望の月     天 真実
  小鰭鮨(こはだずし)には焼〆の皿  山本伽具耶


そぞろ寒かくも愛しき酒なれど        姫野恭子
  車椅子押すホスピスの庭        島  貞女
鳥の声水面を渡り逢ひに来よ           たから
  幸せ色の手編みセーター            おとめ
絡まったからくりの先引っ張って          都
  タバコくはへて苦笑ひする            真実
善光寺婆等眠れる青葉騒              伽具耶
  火蛾ふかふかと月の燐光            恭子
いつのまに空の巣となる子ども部屋        貞女
  変速機付きマウンテンバイク          真実
列島を花の絵の具で塗りこめて           たから
  彼岸中日ありがたき縁              おとめ

(上記は前もって堺屋で巻いていた作品です)

【耳納の座】 

     鍬塚聰子   捌

草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉
  ぬくしぬくしと幼な等の声        鍬塚聰子
水郷の堀白蛇は穴出でて         前田 亜弥
  塗りのお重にちらし寿司盛る     三角 和子 
満月の光浴びつつ睡りたり        溝田ヒデヨ
  実も葉も煮詰めねずみもちなら       ヒデヨ

八女の里舞の手弾む燈篭人形      馬場早智子
  二人寄り添ふはちまんさまで      平井右二
恋心乗せて軽々人力車              右二
  夕暮れの街麦笛と行く          黒井 剣
一握の仏舎利となる独りごと            亜弥
  CG溢れる「タイタニック」            剣
月雫凍てたる様な杯の酒          赤田玖實子
  少年時代雪丸(まろ)げせし       天  真実
次々に汚職贈賄明らかに             玖實子
  英語俳句の動詞どうする            玖實子
花ふぶき内緒ばなしが通りぬけ           剣
  右へ傾く春の端折(つまをり)          聰子

【磐井の座】

   沢  都  捌

草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉
   旅の仕度へ鷽(うそ)の啼く声   沢  都
蜆舟すこし左に傾きて           島  貞女
   主の顔は今日もほがらか      中川ワタル
月天心高圧線はきしめきぬ        貞永まこと
   秋風のほか一切はなし           貞女

ゆたかなる三潴の里に落し水         ワタル
   ふくらはぎには淡き静脈         まこと
アイライン上手にひけぬ宵化粧        貞女
   風鈴ひとつちりんと鳴りて         ワタル
ロシアにもミール密かに迫る頃         貞女
   燃えないゴミを仕分けしてをり       まこと
三日月のひかり一条(ひとすぢ)揺れてゐし 澄 たから
   そろりと注ぐ熱き燗酒            都
子どもらを笑ひとばして道祖神         貞女
   かごめかごめの輪の中にゐる       ワタル
花びらの色もにほひし手弁当          貞女
   春のうららに灯すぼんぼり         まこと

【筑後の座】

    姫野恭子  捌

草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉
   旅を栖(すみか)とわたる野霞    姫野恭子
春風に啼くウグイスの折々に       笹渕和子
   丘より望む遠き川筋         浅野黍穂
真夜中の月はぽあんと裏返る      晴野みなと
   猿酒飲んで泣き笑ひせり      天 真実

秋深し筑後平野に母老いて          和子
   キャンドルライト恋の架け橋       真実
僕を待つ君を見てゐる珈琲店        みなと
   梅雨さむの日のわかれ忘れむ     和子
訥々(とつとつ)となむあみだぶつ阿弥陀経   真実
   一人法人増えてゐるらし         恭子
月冴えていかつい顔の石の庭        黍穂
   垢すりエステ雪女郎きて         みなと
弁(わきま)へのいい子ですから繋がずに   恭子
   沖へ沖へと魚群(なむら)ようそろ     みなと
花明り潜りぬければ岡城址          真実
   また来年と蜂屋手を振る         恭子

【八女の座】

    姫野恭子  捌 (裏から文音)

草の戸も住替る代ぞ雛の家   芭蕉
   東風ふく里に集ふ輩(ともがら)  赤崎  源
暁の月おぼろに白き雲ありて      中川ワタル
   巣立ちの鳥は左見右見せり    姫野恭子
駄菓子持ち器用に歩く子どもたち       源
   みやげに混じる鉋屑など         恭子

お彼岸は千人参りの袈裟を着て        ワタル
   庭の垣根へ鵙の啼き声          源
姉は今ことに酢橘を好みたり          恭子
   支度も楽し君待つ夕餉           ワタル
氷雨降る一期は夢ぞただ狂へ         源
   五十は惚(ほ)けのうつくしき際      恭子
宇佐の杜けんか神輿が地を擦って       ワタル
   暑き闇にもひと条の月光(かげ)      源
寂しきは寝てゐる時の牛の顔          恭子
   いらかをわたるかぜのささやき       源
舞人の袖にこぼれし花の冷え          ワタル
   小姫御前が春の風邪ひく          恭子

【星野の座】

  前田圭衛子  捌

草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉
   笠浄らかに霞立つ頃        前田圭衛子
農夫らの野辺のあたりに東風吹きて  赤崎  源
   椅子に置かれし赤い靴下     小梅 わこ
谺(こだま)する木槌に冴える月明り   広重静澄
   虫籠作り銘酒一献         八木紫暁


紙はかみ石の間に間に水の跡         源
   日記に残す君のため息          わこ
鴎舞ふ何故逢へぬかと泣きながら      静澄
   インターネットに魅せられてをり     源
禁煙の誓ひむなしき涼み台          紫暁
   鈴を鳴らした三毛猫のひげ       わこ
北の旅月寒むざむと貨車を曳き       紫暁
   炬燵布団で経済新聞           静澄
いにしへの磐井の里の謎解きを       源
   ヒッチコックの熱湯玉露          静澄
花の雨祝ひの人に降りそそぐ         わこ
   うららかな日の八百万の神        静澄

  前田圭衛子

平成十三年三月二十日、快晴。
八女市京町の「堺屋」の庭園に緋毛氈と赤い傘のしつらえ、机上には桃の花色の短冊、五座の名は八女にちなむそれぞれの命名。
亜の会主催の八女ぼんぼり祭り協賛連句興行はこうして始まった。
ここ八女市において初の連句興行の実現がかなったのは、野田市長、ぼんぼり祭り実行委員会笹渕会長、赤崎学芸員の一方ならぬご尽力のたまものであり、そして亜の会連衆の熱い志が集まり実りを迎えたのが経緯である。
八女の地は技の伝統と文化が息づく水清らかなところ、今では少なくなった良き日本の姿そのままの土地である。翁は杖を曳かなかったが各務支考はどうであったろうか。
さてこの星野の座であるが、着座して男性陣の多い座であることに気づく。
そこで十八歳の小梅わこちゃん奮闘の巻となった。
「花の雨」と出た瞬間、捌はエイプリルシャワーを清々しく浴びつつ、無事満尾したのである。

   (兵庫県西宮市甲子園在住・・当時)

【飛形の座】
 
    山本伽具耶  捌

草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉
   軒の庇に揺れる陽炎       山本伽具耶
春田打つ畦に幼なの顔ありて     大石悦子
   背筋伸ばして歩み始める     赤崎文枝
生きもののすべて目覚めし望の月   赤崎朋枝
   胡桃ころころ籠にいっぱい     赤崎澄枝



影使ふ指人形のやや寒し        堤  秀夫
   十円ぽっちの声を聞かせて        文枝
初恋と気づかぬままに君征きぬ    大坪キヌ子
   浴衣の裾に蛍ふはりと           秀夫
穴観音ご先祖様と手酌酒           キヌ子
   野兎のごと自由に歌ふ          キヌ子
弦月をこぼして明日は晴れるらし       キヌ子
   秀野の句碑は凛と立つなり        秀夫
サイクリング矢部の川原につむじ風      キヌ子
   当店自慢の包丁料理           天野おとめ
満開の花の下にて撮(うつ)さるる       キヌ子
   うららかな座も大き海原         広重静澄

九年目の感慨:

平成十三年、今から八年前の作品集です。
この興行は亜の会にとって初めての公的な座でありました。
市役所の学芸員さんお二人に前もって特訓をし(ファクス文音のがそれ)、町の人たちの集まりにも参加し、商店街の方々へご協力を呼びかけました。
連句誌「れぎおん」編集長であり亜の会代表でもあった前田圭衛子師の呼びかけもあって、遠くは東京から赤田玖實子氏、神戸からは前田亜弥氏(一歳の雪ちゃんを連れての参加でした)、、福岡市からは連句療法で有名なお医者さまの連句人・浅野黍穂氏とベテランの八木紫暁氏などなど、名だたる方々に参加してもらった、ほんとうに有り難い一日でありました。
薄れかけたワープロ印字の原稿をブログに打ち込む作業をしていると、あらためてさまざまな思いが胸を去来しました。
郷土の歌人、俳人のお名前も見出すことができます。
いまは亡き我等が同志・貞永まことの元気な姿も。(翌年夏逝去)

作品集は大会長・笹渕和子会長挨拶、岩戸山古墳資料館学芸員・赤崎敏男(俳号・赤崎源)あいさつで始まり、それぞれの捌の作品にはそれぞれの捌の留め書きが付されています。それがとても実感がこもっていて、今読んでも面白いので、打ち込もうとしたのですが、(これがなんともはやふしぎとしかいいようがない!)二時間もかけて沢都捌の座のところまで入力し、都さんの留め書きにかかろうとしたところで、フリーズしてしまったのです。
でも、また一から入力し、打ち直しました。
けれども、とめがきは前田先生のものだけでご勘弁ください。

暇をみつけて、すべてを打ち込みたいとは思っています。
当時サクラチルで浪人生になったばかりだった黒井剣くん、いまはどうしていますか。






    
   
     
  

青木繁、連句的

▼ 似ている。

青木繁「海の幸」1904年
http://www.ishibashi-museum.gr.jp/collections/art_a_04.html

レーピン「ボルガの船曳」1870年代http://blogs.yahoo.co.jp/piljugina60208/folder/328492.html

レーピンのボルガの船曳を最初にみたとき(十五年ほど前、五味太郎の世界の名画紹介本で)、あっとおどろいた。
まったくおなじものだ。と感じた。
盗作ではないけど、通底するものがおんなじだったから。

2009年7月18日 (土)

折り紙ランタン(ろうそく立て)

ランタン立て

  手の出演:山下整子(親指、なが!)

午後から大川市であった家具と絵本のカーニバルに行ってきました。

ここです。

鬼古賀の広松木工http://www.hiromatsu.org/
日記の広場の鍬塚さとこさん(『樹』、『兄(あにはからんや、のあにが正しい、山の下に豆)』『九州俳句』所属)から突如お誘いがありまして、急遽、声かけられる範囲で声かけて、絵本読み聞かせ活動中のヤマシタセイコをゲットしました、きてくれた、ありがと!
若いちちおやははおや、あーんど・ちびっ子あかんぼがうじゃうじゃ。盛況でした。
えーと、絵本人気作家のサイン会とか、あってた。
魔女の扮装のおねえさんたちがいたり、。

ひさしぶりの鍬塚さとこさん。
三年前でしたか、『二人日和』を小倉で一緒に見て以来です。
どひゃーってくらい若いし、なんともいえずかわいく色っぽいひとなんです。
十歳年上なのに。
ほんとに自己嫌悪しますねこの人の横にいるのは。
せいこさんに和紙でランタンの折り方を教えてくださいました。
よみたい絵本が400冊!家具もとってもきもちのいいものでした。

わたしはくわつかさんに新聞の手提げをいただきました。
それには手作りのヤマモモじゃむがはいっておりました。
かささぎかんげき。

ややももさんのご紹介:
さとこの日記の広場:http://satokono.littlestar.jp/frame-bbs.htm

蝉の庭

蝉の庭

鳴いていたのは油蝉でした。ジジー・・・

少年

少年

高校生の次男の友人のです。
子も何度か原付を取らせて、と哀願しましたが、父親が説得しました。

繁二郎、連句的

sunおはようございます
青木繁と坂本繁二郎>>終生のライバルで終生の友人と昔ドキュメンタリーで見ました。
表には出てきてない色んなエピソードがありそうですね。
お二人のご生家があいついで改築復元されてうれしいことです。
青木氏の「わだつみのいろこのみや」と「海の幸」は以前石橋美術館で見ました。すばらしかったです。。とくに、わだつみ・・☆
繁二郎さん、アトリエ公開の日に中に入りました。
内部写真も写させていただきました。
室内のイーゼルに写真家土門拳氏撮影の繁二郎さんが立てかけてあります。
ものごとの深い部分をみているような凛とした表情のとてもいい写真です。

うわ、それ聞いて俄然いってみたくなりました。
あたしは八女堺屋の蔵の『夢中落花文庫』の入り口においてある、山本健吉のモノクロの等身大写真がすきで、持って返りたいなといつもおもう。

art年に数回公開日があるから是非☆
天井の低い2階部分が吹き抜けの南に付いています。
上には上がれませんがのぞかせてもらいました。
ほんとに素敵なアトリエです。
青木氏も八女とは深いかかわりがあったのでしょうね☆

繁二郎の結論。

「結論的に言うと西洋と日本の違いは教会の鐘と寺の梵鐘の音色に象徴されます。多くの鐘がぶつかり合いジャランジャランと鳴る向こうの鐘は音は面白くてもただそれだけ。日本の鐘はごうーんと打てば余韻じょうじょう、その響きは遠く深くしみこんでいきます」

たは。鐘で結論づけてたとは。

強固はん。
坂本繁二郎の作品が八女、久留米のどちらに保存されようとも、坂本繁二郎はこのちっご地方のタカラであることには変わらないのだと思いますよ。この偉大な画家の残した足跡は、地域人の心から心へ継承されていくべきでもありましょう。と、やけに、優等生的発言のせーこはんであります。

濃い薄いはともかくとして、杉山先生は坂本繁二郎に師事、乙は杉山先生に師事。よって乙は坂本繁二郎の孫弟子。
mariさんは別の孫弟子の弟子の親。ひ孫の親は孫。よってmariさんも(義)孫。
かささぎさんは杉山先生と犬猿。犬の親は犬。犬の子も犬。よってかささぎさんは孫たちとも犬猿の運命?
変な三段論法でした。

mariさんはひ孫の親でなく孫の親?

ネットで拾った杉山先生の話題。

杉山さんは仕事の傍ら絵画をたしなみ、一九五二年から八女市に在住していた洋画家坂本繁二郎に師事。五八年に仕事を辞めた後、自宅で絵画教室を開いた。現在も約百人を教えており、これまでの教え子は千五百人以上。「技術重視の芸術家としてではなく、人間性を育てる教育者として絵を教えなさい」という坂本の言葉を心に留めて指導してきたという。

「灰皿はそこになければいけない。」
画家の故坂本繁二郎は弟子だった杉山洋氏にそう言った(『新日曜美術館』)。日常会話をしながらも坂本は灰皿の位置が許せなかったのだ。

はい、息子は洋先生、亜土先生両方から教えてもらいましたので、孫弟子とも、ひ孫弟子ともいえますね。Butうちにはもう一人孫弟子がおります。主人は小6まで杉山先生の家で絵を習っておりました。もしかしたら乙さんと机を並べたことがあったかもしれませんね。

せいこさんへ。
おとひこさんが「繁二郎をくるめにとりもどす」っていわれたのをきいたとき、なんだかとっても大切なたからをとられてしまいそうなきもちになって、さみしいなあ。と初めておもった。これは縄張り意識とはちがうんだよ。
はじめて杉山おんじいのこころがわかった気がしたものね。このお方は、とっても大事にされていますからね、すべての資料を。あたしゃさいしょのころ、それでどんだけどなられたことか。することなすこと調べて書くことぜーんぶ、がががーっとどなられて。でも、それもこれもみなだいじなおもいでであります。

おつしろうにまりさんへ。
三段腹論法はただしいか?
うーん。自称がはくのでしのすぎやまひろしはかささぎはとってもにがてだけれど、坂本繁二郎を尊敬しています。中学時代、やはり画伯の弟子であったらしい杉森麟校長せんせいからたびたびお話を聞かされて育ったので、。
ということはどうなるかな。ひまなひとは考えてね。笑

2009年7月17日 (金)

父と母

父と母

父、昭和四年生まれ。
母、昭和五年生まれ。

待合室で父の診察をまっていたら、天野おとめ(連句人、これは俳号)さんとばったり会いました。
おとめさんは車椅子のお父上といっしょに診察を待っていました。
うちの父がちゃんと彼女を覚えていて、「おお、たかくらさん(おとめさんの本名)じゃなかね」と声をかけました。ひさしぶり、彼女は元気そうでした。お父上にもはじめてお会いしました。


このあと、検査の結果をみんなできいた。
若い先生が詳しく説明してくださった。

二日つづけて絶食の重い検査をやって、次の日は草刈をしてた父。

今日は、胃カメラ。
さすがにぐったりとして、三時過ぎ帰宅。
ごはんをたべたらすぐ父はねてしまいました。
それはそうです、三日間あまり食べていませんから。
検査とはものすごい過酷なものなのですね。



マラソンは神代橋を折り返す

(前回編集分と重なっている部分がございました。失礼しました)。 

 名無しは当然私、呂伊利です。エメさんの見たサーカスもの、私はTVで見た覚えがある。そしてアキラが歌う主題歌「サーカスの歌」は何と1933(S8)年のヒット曲のリメイク、ついでのうんちくで、ビックカメラのCMソングの元歌は、1937(S12)年のヒット曲「煙草屋の娘」の替え歌で、1961年に佐川ミツオ(満男)・渡辺マリ(ドドンパ娘)がリメイク、ついでに言うと、佐川ミツオは同じ1937年のヒット曲「無情の夢」もリメイク。1960年代初期は他にも、フランク永井の「君恋し」、井上ひろしの「雨に咲く花」など、戦前のヒット曲のリバイバル・ブーム時代だった。今で言うと、「亜麻色の髪の乙女」とか「明日がある」がリバイバル・ヒットしたようなもんか。
 話戻って、小林旭vs宍戸錠、いいでしょう!赤木圭一郎vs宍戸錠もよかったし。1970年代末の子供向け番組で「怪傑ズバット」というのがあり、主人公が1人で旭とジョーのパロディをやっていたカルト番組。いかん、昔の映画と歌謡曲を語っていたら、またうんちくが長くなり、ヨメの目が険しくなる。でも最後に神代という名字、九州人しか読みきらん。「かみよ」じゃろか「じんだい」じゃろかち思とる。神代辰巳は佐賀出身です。

赤木圭一郎、気づいた時はすでに亡くなっておられました。作品も1度も見ていませんが。
裕次郎さんは西部警察で、やたら煙草をふかす場面ばかり思い出されます。後は歌ですね。
黒木けんが出てきたとき、裕次郎と間違われたそうです。声が似てます。私は黒木けんのほうが上手いなあと思っていました。

 石原裕次郎は昔歌が下手だった、それは間違いない~小学校低学年の頃、素人物まねのようなTV番組で裕次郎のまねをした人が、審査員から「歌の下手なところがそっくりでした」と言われていたのを覚えてるし。
 赤木圭一郎は私も名前を知ってただけ(映画は東映チャンバラ専門だったので)。でも死んだというのを聞いてビックリしたのは記憶に残っている。「赤木圭一郎を偲ぶ会」というのが今でもあるようです。
 黒木憲も死んだね、彼が歌った「おもいやり」という歌は、もともと、「エイトマン」などを歌い後に殺人犯となった克美しげるの、幻の再起作だったらしい。

くましろばし。くましろたつみかんとく。
くましろばしはちかいうちに建て換わるそうですが、くましろかんとくは、連句仲間だった故貞永まことの口から何度か聞いたことがある映画監督の名前だったなとハッとしました。だけどわたしは注意深く聞いていなかったので、それをきちんと筋道立ててお伝えすることができません。ただその監督のお名前のクマシロというひびきだけが残っています。
7月末がまこと忌、ことし七年目。

cloudおはようございます
神代辰巳監督>>日活ロマンポルノ時代の作品はさすがに縁がなかったけど、テレビドラマではよく見聞きしましたね(脚本や監督に)
2時間ものとかたしか色々あったと記憶しています。
あとショーケンの「傷だらけの天使」とか。。
tvテレビドラマにはほかにもたくさん映画界からの監督さんの名前がありましたね。
神代監督の名前を見つけると「ラッキー」を見つけたようにうれしかったです^^♪

 「傷だらけの天使」を見ていたというエメさん、昨年出版された矢作俊彦の「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」という小説、時間があったら読んでみて下さい。ショーケン演じた主人公が今はホームレスになり、でも事件に巻き込まれてというストーリーで、私はこのドラマ見てなかったけど面白かった。日活ロマンポルノも思い切って見て下さい。今時のAVに比べればH度はたいしたことはない、映画としては素晴らしい。
 神代橋~M高校マラソン大会の折り返し地点?だった。小学校1年の時の担任が神代先生だった。あ、10月にある筑後川マラソン大会に参加するかもしれません。もちろんその前、8月にも帰省するけど。

姪の一人が「神代」さんに嫁いでいます。

rainおはようございます。最後の梅雨の雨でしょうか~sprinkleひめさん元気ですか~?
ろいりさん、この小説は気になっていました。
さっそく読んでみます。ありがとうございますbook
映画界が斜陽になっていた頃、たくさんの監督さん、カメラマン、脚本家がテレビで活躍をされていました。
2時間ものやサスペンス、、ほんとにドラマチックで、とてもはまっていました。
最近は名所めぐりが主体だったりであまり関心がむきません。
神代橋は昔仕事でよく通りました。
マラソンに参加されるのですか!頑張ってくださいmotorsports

筑後川マラソン。マラソン大会の交通警備、よく請け負ってます。それ入ってなかったかな。あれは冬のだったかな。ろいりさんが走るならみんなで応援にいきますよ。
眼のまえをマラソンの列がぜんぶ通り過ぎた時点で警備の仕事はおわり。なんだそうです。

(きょうは、しごとやすんでる。)じぶんはげんきですが、おやが体調をくずして、検査中。そのつきそい要員。
おもいだした!九州俳句に熊本の翁がいらして、そのひとの俳句、すきなんですが、こんな句をこないだ出しておられました。

マラソンの最後はひょうひょういつもの彼  
          熊本   宮部 鱒太

わたしはこの句をよんで、なみだでそうになった。宮部氏はいくつになられるだろう。九十をこされたろうか。いつまでもお元気でとお声かけしたいような句です。

八女にすむということ

  写真撮影:青翠えめ

えめさんのとこからかっさらってきた。

この風景、たぶんあそこらへん。

天と地のみづ響きあふゆふぐれは
雲を踏みふみ何処へかへる   恭子

(巨泉のはっぱふみふみをひさしぶりに思い出した。)

引用元:http://hatue62.seesaa.net/article/123457393.html?reload=2009-07-17T08:03:04

2009年7月15日 (水)

スポーツ新聞に長渕剛の書と句

スポーツ新聞に長淵の書と句

ボスはながぶちの書展にも行ったらしい、作品集も買ったらしい。

で。

かささぎはこれをみせてもらって、初めてこういうこともしてるんだな、と知りました。
「蝉が泣く チクショウと    剛」
「四畳半 引くに引けない 畜生  bud」

坂本画伯の話をしようよ。

昔の人の謎。

坂本繁二郎は1882年久留米生まれ。
父・金三郎は坂本が4歳の時に死去。
金三郎の長男・麟太郎が京都の第三高等学校に進学したため、二男の繁二郎は進学をあきらめる。
1900年、坂本は母校の図画代用教員となった。
経済的にゆとりがあるとは思えない。

1902年、上京して小山正太郎の「不同舎」に入る。
20歳の坂本、職を捨てて上京。
生活費は?

1921年、渡仏しシャルル・ゲランに師事する。
39歳の坂本、欧州へ。
渡航費は?生活費は?

1924年、久留米に戻る。
42歳の坂本、もう遠くへは行かない。(行けない?)

1931年、高校教師梅野満雄の援助で、八女の梅野宅の隣地にアトリエを建立。
49歳の坂本、八女の田舎にアトリエを建立するのにも援助を必要としている。

大富豪の子息でもない坂本が、20歳以降、職らしい職にもつかず、どうやって欧州留学できたのだろう。
坂本の代表作は八女のアトリエで生まれているので、それ以前の作品がそんなに高く売れたかどうかも疑問。

年譜の補強。

1908年、東京パックに入社し、紙上掲載の漫画を描く。
1911年、東京パック退社。

久留米市梅満町(かな?)にある坂本繁二郎さんの生家が修復保存されて資料館っぽい扱いになるみたいですね。どことなく洋風の面影をのこす質素なちいさな家です。209号線沿いにあって、「坂本繁二郎の生家をのこそう」みたいな看板がかかってたようながする。

あそうか。じゃ荘島町は青木繁の生家跡があるんだ。(その隣にわがいとこ田中恵の夫一家はこどものころ住んでいた。)
おつしろう。
質問に答えられるとおもう。
繁二郎がいくつのとき。はたちね。1900年、ただ一人の兄がなくなって二年。
母ひとり子ひとりになっていた。(青木繁も繁二郎もともに明善中学。)
兵役を免れたのは、背がたりなかったからだそうです。基準の153センチに3ミリ足らなかった。青木繁は乱視その他でおなじく兵役を免れる。
このチャンスに上京しなければ、一生代用教員でおわってしまう。とおもった繁二郎は、一大決心をして上京するのですが、母歌子もそれを望んだそうです。一人で広い久留米の家に住むのはもったいないと、一間だけを自分用にして、ほかは間借りに出して、学費を送金してあげた。えらい母親ですよね。
兵隊にとられたとおもって、送りだすのです。
(ほかに権藤家の支援もあったかもしれない。と書かれているのは、おかねもちの親戚のこと。)その年の八月青木といっしょに上京しています。
これが第一の疑問への回答。

坂本繁二郎の洋行費用について。
当時の繁二郎は二科展で活躍、別途に版画もやっていた。その版画にふしぎと買い手がついた。素材がポピュラーな役者絵だったこともあるだろう。俳優版画、あそびごころがよかったのか売れた。
でも当時の渡欧は三年計画で三ー五千円。現在の貨幣では三~五千万円。洋画は売れなかったが、日本画が売れた。(と書いてある)。ある有力者の仲介で依頼絵がつぎつぎと予価で売れ、インド洋上でもその注文に応えるためせっせと絵筆をはしらせた、という。
それでも、一つ20円の絵をいくつ売ったところで数千円は遠く及ばず、結局は友達の山本鼎(かなえ)や森田などの奔走によって東京湾汽船社長のパトロンにあい、資金援助にめどがたったとあります。

坂本繁二郎のその洋行時のことば。

「インドではスケッチしていると人が寄ってきて金品をねだります。道端にはおびただしい人の群れがなにもせずにごろごろとねそべっています。こういう南方の国では自然のちからが強すぎて、人のこころや生活を押しつぶしているかんじがありました。ですが日本は自然と人とのバランスがよく、ともどもにそのよさを発揮できますので、じつに恵まれているとおもいます。」

このひとはパリにいっても、自然ばかりがきになっていたようです。
「夏があまりにもちからが弱くて、ほかの季節へもそれが影響をおよぼし、いま一つ四季のめりはりがない。わたしの絵の目標は自然にあり、町よりもいなかを歩き回りました。家もふるびるほど自然とマッチして美しい。しかしただ美しいだけ、日本のように自然が語りかけてくることはありませんでした。」
とさいごにはいっている。着いた当初はパリのみせかけの美しさに打たれて、日本のわるくちをいっていたのに、です。

上記はみな谷口治達のふくおか人物誌『青木繁 坂本繁二郎』西日本新聞社刊から引用。
『無冠の男』の小島直記の書いた伝記も持っているので、それからもいくつか引きたいのですが、探すちからが今日はのこっていません。
また機会があればご紹介いたしたいとおもいます。

高等学校へ行かなかった坂本。
フランス語は喋れなかったのでは。
どうやって意思疎通していたのだろうか。
言葉が通じなければ人間へ関心が向かず、自然へ関心が向かう。

 「東京パック」ちゃ、岡本一平(岡本太郎の父親)と並ぶ漫画家、北沢楽天が関係した雑誌でっしょ。後に「楽天パック」ちゅう、漫画雑誌もできて、このへんが日本の漫画雑誌第一期黄金時代~かどうかは自信がないが、へ~、坂本繁二郎はそげな漫画雑誌にも描きよったとか。いや、実は近代漫画の歴史にも興味があるとです。

たまたま今日の夕刊に画家の古賀耕児さんという久留米市の方の死亡記事が。享年78歳。
45年前、33歳の頃、渡仏されてます。
「父は画家坂本繁二郎に師事し・・・」とありました。
音楽家も画家も、なぜ、外国へ行くのだろう。

人間は49歳から住み始めた土地にふるさと意識を持つものだろうか。
坂本画伯の意識の上では、自身は久留米人と思っていたのでは。
八女はアトリエの所在地でしかなく、そのアトリエさえも久留米へ移築された昭和55年の時点で、坂本画伯は久留米へとられてしまっています。
   ↓

あ、その建物。去年みた。そばの建物で説明会があるのに行ったから。
お上に出さんといかん書類の書き方説明会。公共工事なんとかいう。

そんな早くから移転していたとは知らなかった。
さすが石橋美術館。石橋正二郎は繁二郎にこどものころ絵をならった。それが動機となって繁二郎の意をくみ、青木繁の散逸した絵も集めたし、フランス語に堪能な小島直記を伴ってフランスへも渡った。すべては絵のために。これはいくらお金もちだからってできることではない。美術への愛情と造詣と熱意がなければ。

とはいえ、八女人にとってはいまだに繁二郎は八女の画家であるのでして。
いまのこどもたちはそこまでの思いはないかもしれません。
でも、少なくとも、かささぎにとっては、坂本繁二郎は耳にたこができるくらいにどんなに偉い人だったかと聞かされてきた郷土の画家なんです。
繁二郎の絵をはじめて見出したのが俳人でもあった夏目漱石であったことも含めて、じっくりとつきあってゆきたい画家です。青春性のきらびやかな天才画家青木繁とともに。

2009年7月14日 (火)

高校の北窓から見える八女丘陵

三者面談。(三階の窓から)

坂本画伯を久留米にとられそう。

坂本繁二郎画伯を久留米にもどそうという動きがある。
というのも、これまでは繁二郎といえば八女の専売特許っぽかったから。
くるめで文化財担当のしごとをなさっているやまなみ短歌会所属歌人で連句仲間*の古賀音彦さんが桜島へのみちみちおっしゃっていた。
そういえばわたしの勤める会社、繁二郎生家前で交通誘導してた。
最近、伝票の整理したので記憶がある。

「もしやそれは八女市が遺族に寄贈されていただいじな絵にカビをはやして回収されたからですか」

「いや、それはまったく関係ありません。
もう前もって去年八女にはあいさつをしている。」

ふうん。
石橋秀野のときも資料のあつかいは難儀をきわめた。
予算も時間も人員もまるでない「公」と、愛情深いファンである「民」との敷居。
思い出すのも気がめいる話で、だれが悪いわけでもないのに、おせこせする。
ああかんがえるだにほんなこてしぇからしかとです。

だけども。

資料自体にきっと明確な意思があるにちがいない。
それが、自分の納まるべき場所に導いてくれるだろうとおもっている。

* 連句を一度でもつきあって下さった人は、大事な連句仲間とみなされる。

時間をおいて又みるということ

ろいりさん、情報ありがとうございます。
絶唱>>モノクロだったような・・☆・・また見たいものです。
慕情>>こっちも見たいです。 最近はワンコイン(¥500)で昔の映画DVDが並んでいるので、ちょっと探してきます。
映画や書籍は不思議なもので、年齢が変わってみるとまた感想が違いますね。
お姉さんは思春期のど真ん中だったのですね^^slate

映画や書籍は不思議なもので、年齢が変わってみるとまた感想が違いますね。(えめ)

そうですよね。
ときに無性によみたくなる「春にして君を離れ」(これを栗本薫は「春にして君を離れ病」と名づけていた)。ひさびさに読んで、やっと今日さいごまでいきついて、はじめて栗本薫の解説をよみました。恐ろしい、哀しい話である、じぶんはこの話にのめりこんでいた時代があった、せりふまできっちり暗記してたほどに・・と書かれていました。おおあんたもか!とついいいたくなった。(今年なくなったのでしたよね。)
だけども、しかし。
さめた視点もでてきました。
これまでは主人公の主婦の自省に加担して、夫や子供たちが(妻に母に管理されるという意味で)気の毒でたまらなく思えたものですが(それはそう思えるようにクリスティが書いているからなのですが)、今回は、待てよ。っていうか、そうは浜名の焼き蛤的心境。
ことに今回はじめてきづいた、最後ちかく、列車のなかで同室になるロシア貴族のサーシャって女性とのやりとり。ここに丸ごと引用したいほど魅力的な会話です。イギリス人を日本人とおきかえてもいいような。
人の見方が多層的であり、個に執着してない。
やっと読めたのかもしれない。
それにしてもよ、すごいタイミングで栗本薫だったんでぎょっ。
以前買って持っていた文庫は旧版のだったから。
翻訳の中村妙子はおんなじですが。

 「そうは浜名の焼き蛤」ちゃ、「その手は桑名の焼き蛤」じゃなかと?それとも何か一ひねりしたギャグ?だとしたら、恐れ入谷の鬼子母神!
 エメさん同様、私もアメリカン・ニューシネマ衰退後の70年代洋画では、フランス映画のユーモア感覚ととイタリア映画の猥雑さが好きだった。それから小林旭の映画をほとんど(リアルタイムで)見ているとはうらやましい。
 数日前の新聞に、「ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン」DVD4作品セットが紹介されていて、「シェルブールの雨傘」がそのうちの1枚に入ってます~買おうとは思わんけど。

うわ、まちがえてた。なんかへんとはおもったんだけど。↑ろりりーさん?
こばやしあきら。石原ゆうじろ。そのた。そのた。
一回もみたことない。やくざ映画もとらさんも成人映画もとうとう一回もみなかった。映画の広告で、なんとかの顔役、ってのがあって、なんだろうか、この顔役というのは。とずいぶんかんがえたものです。聞く人もいないし、あとで考えようと思ってるうちに大人になった。顔の役。すんげおもそ。親分かいな。

nightこんばんわ
当方の子供時代に、叔父叔母達は青春の真っ只中で、映画はその中でもゆいいつの娯楽だったのでしょう。 
叔父叔母が面倒をみてくれていたので、私はいつもオマケで連れて行ってくれてました。
小林旭氏の映画は本当におもしろかったです。
あの渡り鳥シリーズです。
宍戸錠が拳銃をくるくる回す場面、荒野に立つ旭さん、今思うと、荒唐無稽なお話だったのでしょうね。
今調べてみましたら、監督=斉藤武市、助監督=神代辰巳の両巨匠でした。
裕次郎氏のも同時期に見ていたはずですが、旭氏の映画のほうに強く印象を残しています。
シリーズとは別かもだけど、サーカスの場面で球体の中でオートバイが縦横してハラハラするものがありました☆slate

2009年7月13日 (月)

日本農業新聞

があったので、なつかしくて一枚。ぴんぼけですが。

写真は田門くんという名の田んぼ用の小さな水門、一定の水量になったら、電動で感知して調整してくれるらしい。いそがしい二枚舌、じゃなかった、ほれ、なんていう?兼業農家!その兼業のサラリーマン農民に、わざわざ会社を休んでまで田まわりしなくてもいいようにと、開発されたものらしい。んで、最大の欠点は無線ではないので、草刈のとき、ひっかかる。
なんてこったい。

ヌーとしまうま

本日夕方のRKB番組「世界遺産」でヌー大移動が放送されてた。
つい先日まで、ヌーの群れを横切って歩いていた自分が夢みたいです。
7月はアフリカのヌーが一斉に走り出す時期。
ヌーの暴走といえば、ライオンキングでシンバの父ムファサの死因。
幸い、まだヌーは走っていませんでしたが、シマウマの群れは乙の直前を横切ってゆきました。
自然と一体化したひとときでした。
日本ではなかなか経験できないことです。

ぬうは知らないけど、縞馬はしってます。さすがに。
ちょうど前田師から付け句で縞馬の印象的な句をいただいたのでつけたばっかり。

  ここから先は標識もなく     有杜
縞馬の縞はジュラ紀の神業か  圭衛子
  胸が苦しいときの葉たばこ   恭子

つけすじがみえません、自分でつけていながら。

乙さん。ご無事にお帰りになったようですね。
以前、テレビでヌーの大移動の壮絶なドキュメンタリー番組を見たことがあります。母親とはぐれた子どものヌーの姿が印象的でした。

壮大な大地を走るシマウマの群れ。
画像でしか知りません。
強烈な印象なのでしょうね。
アフリカの大地はどんな匂いがするのだろう。

ヌー大移動としまうま資料:

http://www.kenyarep-jp.com/newsletter/070711_letter.html

http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/~sun/marahp/mara05.htm

前田師の縞馬句は感覚的で、みょうに残ります。
胸が苦しいときの葉たばこ、これは今にしておもえば、

らんちゃんが蘇州にいったとき、「アヘンのへや」があったよ。
といっていたのをふとおもいだしたから。
それはおかねもち階級のひとたちが、愉しみのために用意したもの。
ものの価値は時代によってかわる。

2009年7月12日 (日)

『絶唱』その他、呂伊利さんの映画うんちく話

  元久留米人  梶原呂伊利(神津呂伊利)

ぼんさんが若大将シリーズ3本立て見たというのは、今の文化街の地名の由来となった、「文化会堂」ではないでしょうか?ちなみに、封切り後ちょっと間をおいて安い値段で上映するのが2番館、ぼんさんが小6の頃なら、「文化会堂」は更にそれより後に上映する邦画の3番館で、3本立てだった。これと同じ場所にあった「名画座」(だったかな?)が2番館、わが「ロイリー」が洋画の2番館だった(時々試行錯誤して邦画や成人映画を上映した時期もある)けど、どちらも通常は2本立てでした。
 若大将シリーズは封切りの時、怪獣映画と2本立てのこともあり、私が最初に見たのは小5の時の「ハワイの若大将」で、お目当ては怪獣映画「マタンゴ」だったが、普通の怪獣映画と違ってあまりに気色悪く、悪夢を見るほど。大学生の頃に、星新一らSF作家が原案を書いており、今で言うカルト映画化してると知りました。で、この時は姉弟3人で見に行ったけど、帰ってきた私が「若大将のほうが面白かったね」というと、姉が「いやらしか」と言って笑ったのを覚えてます。青大将がスミちゃんを襲うシーンがあったからでしょう。子供が素直に楽しんでるのに~姉はその頃中2だったから、あーいうシーンの意味がわかったつか。

 「ある愛の詩」や小椋佳のごつふーたらぬるかつは好かん、という点では奇しくも3人意見が一致、でも「さらば青春」は例外という点ではかささぎさんと意見が一致、高校卒業した頃流行ったので、よくギター弾いて歌ってました、自分の家で一人、聴く者もいないのに。あ~、暗い青春の1ページじゃった。
 恥ずかしながら舟木一夫もファンでした。それも紅白で「絶唱」を聴いてから(作詞は西条八十、この人もいろいろやっとるのお↓)。映画は文化会堂で見逃し(数年前、名画座最後の砦、池袋文芸坐でやっと見た)、高1の時、古本屋で原作見つけて読んだら、何か印象が違う。寄生地主制度に疑問を持ち、「アカ」の思想にかぶれたと勘当される息子、アプレゲール(戦後派)なんて言葉もこれで覚えたし。ここで正しい日本語について、戦後生まれは戦後派ではないのに、最近は間違って使われてることが多いようですね。あ、それで原作者大江賢次とは、かささぎさんとそういうところで縁があるのか。私が買ったのは初版本のようで、今は希少価値あり?しかし当時の高校生で、大江健三郎より先に大江賢次を読んだとは、イヤハヤ何とも言えん。
 エメさんが勘違いしたのも無理はない、「絶唱」では和泉雅子が相手役だったのに、悲恋もの第2弾の「夕笛」では松原智恵子に変わったからでしょう。「絶唱」の最初の映画化は、マイトガイ・渡り鳥以前の小林旭・浅丘ルリ子が主演で、モノクロ映画です。これも20年以上前に文芸坐で見ました。百恵ちゃんのは見とらん。テレビドラマ化も何回かされてます。「慕情」は、手元にあるキネマ旬報社刊の「アメリカ映画作品全集」によると1955年に初公開、その10年後ぐらいに再公開しています。これも東京のどっかの名画座で見た。そして香港行った時、慕情のシーンに出てくる海辺にも行きました。映画公開後にナット・キング・コールが主題歌を歌いヒット、私も1度カラオケで歌ったことあり。
 あ~、またなごなった、

     以上、投稿。

西條八十:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A2%9D%E5%85%AB%E5%8D%81

「蘇州夜曲」も、このひとの書いたものだったんだね。作曲は服部良一。
誕生日にむすこが中古のcdシングル『ジュピター』平原綾香のをくれた。
そのなかにあった。ゆったりと川をくだるときのような、たゆたひの。
ジュピターと蘇州夜曲は「みむねに」ということばでつながれていた。

服部良一は「夜のプラットホーム」、アストロリコのcdアルバムで知った。

「proof of my life」「眉山」

今週みた映画。(「昼顔」のほかに)

1 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」 ジョンマッデン監督

キャサリンという名の主人公、27歳。
アンソニーホプキンスが父親の天才数学者役。
狂った父と暮らしながらキャサリンは定理の証明にのめりこむ。
「proof of my life」、ジェイクギレンホールと、グウィネスパルトロウ。
ぐうぃねすは綺麗なのかぶすなのかわからん魅力があります。
「恋に落ちたシェイクスピア」をみてからすきになった。奥深い。
親子の机周りがかささぎの机くらいすさまじく散らかっていた。
「虚数」という題の音楽が胸をうつ。
おねえさんが現実的な嫌味な役で。
お金は出してほしいけど、ぜってえ一緒には住みたかねえタイプ。

冬のシカゴ。その風景。
とっても寒そうで、でも、いちどいってみたい。
天才数学者がさいごに書いた証明。
俳句の季順によせる感慨のような。ああいいなあ。
傑作だ。
ジェイクギレンホール、やっぱりなんかいい。
「ムーンライトマイル」も「グッドガール」もよかったけど。
アンソニーほぷ金子、この役最高によかった。
親子にして師弟という関係。
下から上を見上げるということ、また上から下をみるということ。
いつのまにかそれがいれかわってることのかなしさ。


でも、この映画でのいちばんの魅力は、編集だろうとおもった。
場面ごとに父親が生きていたり死んでいたりする。時間軸がぶれる。
え、どういうことだと思う間もない。それ、魅力。

2  「眉山」  犬童一心監督

泣けた。いい映画だった。つくりものの世界の。
でだしはとろかった。くさかった。
松嶋菜々子もすきだし、母親役の宮本信子はそのむかし、石立鉄男と出ていたテレビドラマのころからのファンです。
「おひかえなすって」じゃなかった「おひかえあそばせ」だったか、そんな題のラブコメがあっていて、複数の女優さんのなかでこの人が一番好きだった。
そののちブレイクしただんなさんの伊丹監督作品は苦手。
(独特の毒気があり、それがたまらなく下品に思えるから。)
この映画のお龍さんはとっても粋でいなせで啖呵がきれる。
すじが一本ビシッと通っていて、ほれぼれするほどいいおんな。
惚れた男にもらった命をいとおしんで、だいじに守り育てて。

少女時代を演じた娘さんのひたむきなまなざしがとってもよかった。
「一瞥」がこころにくっきりと残る、残せる。そんな映画でした。

夏八木勲。
この人ですが。いいですねえ。
かささぎは名古屋の原しょう子さんの個人俳句誌『禁猟区』に二年ほど在籍してた。
そこで大分の貞永まことを知ったんですけれども、原さんが貞永まことは夏八木勲に似ている。と書かれてたのを思い出しました。
原しょう子さんもきっと貞永まことの死については一文を書きたかったろう。
と時々おもうことがあります。
きっとどこかに書いてらっしゃるのかもしれません。よみたい。

2009年7月11日 (土)

雨籠りに昔の映画ばなしをしよう。

 『冒険者たち』はけっこうファンが多い。これをパクった日本映画もいくつかあって、1981年の『冒険者カミカゼ』は軍艦島(端島)でロケしてます。そして偶然ながら、最近近くの図書館から『軍艦島1975 模型の国』というドキュメントDVDを借りてきたばかり。
 『ゲッタ・ウェイ』もよかったですね、サム・ペキンパー監督作品は好きなのが多かった。大学に下駄履きで行った時、友達が言った「下駄・ウェイ」という下らないダジャレまで思い出してしまった。
 好きな日本の女優さん、書き忘れてました。八千草薫や小津安二郎作品に出てくる若い頃の香川京子~でも決してマザコンではありません、為念。そして60年代末から70年代前半にかけての梶芽衣子が最高の好みかも。クエンティン・タランティーノにまで影響を与え、「キル・ビル」シリーズではクライマックスで「怨み節」が流れるし。あ、「キル・ビル」って御存じでしょうか、千葉真一や栗山千明などが出ているバイオレンス映画だけど、日本人が馬鹿にしやすい日本映画が、映画の本場ハリウッドなどでいかに評価されているか、日本人よ、もっとわが国の文化を見直せ!と、またこんな時だけ民族主義者になる私であった。

ででで。ではろいりさん。こんど「冒険者たち」と「下駄ウェイ」と「きる・びる」かりてみる。おどろくほどなにもみとらん。おれたちにあすはない。もしらんし、あれもこれもなんもみとらん。ああそういや、「ある愛の詩(うた)」ってのは唯一みにいった気がするが、たいくつなえいがだったよね。

恥ずかしながら、中学生の頃松原智恵子のファンでした。。。。。なーるほど。以下、連句的。
隊員さんに舟木一夫の大ファンがいて、千曲ちかく歌えるといばっていた。そんなに曲があるのかな。
小学六年のころ?五年?バスのなかで、くにこちゃんが舟木一夫の歌「絶唱」をながながと歌っていたのをわすれない。かなしいうたですからしんみりとして、ああいうときにうたううたではないなあとおもった。(→絶唱は、かささぎの旗がときにリンクする大江希望さんのお父上の作品みたいです。よく存じ上げませんが。)
いま、いくらなんでも失礼だと思って、ちゃんと調べてみました。ウィキにあります。はりつけました。
それをよんでいましたら、大江賢次は、ナップに所属してたことがあるようです。はっとしました。石橋貞吉も入っていたからです。(若かりしころの山本健吉のことですが。)
縁というのはほんとに円になっていますねえ。

>「ある愛の詩(うた)」ってのは唯一みにいった気>がするが、たいくつなえいがだったよね

あたしも美しい映画、美しい歌、これはすきくないよ。以外やろ?

たとえば「シクラメンの香り」みたいな歌がきらいでねぇ、退屈でふうたらぬるかつがすかん。

びじゅある的に美しかとは好き。
先日のドヌーブのあの場面すっかりはまっとる。

映画はあまり見たことがなほう。でも、ゲットアウェイやひまわり、ゴッドファザー、ダラスの暑い日、戦場のピアニストは見に行った。

小6の頃かな、兄に無理を行って、若大将シリーズの3本立てを見に連れて行ってもらった。今は1回の入場で1本しか見られないから損したような気分だよね。

足立攝さんからのお便り

昨日、帰宅すると、大分の足立攝さん(あだち・せつさん。俳句誌『樹(たちき)』同人『九州俳句』所属)から、桜島での写真とお便りが届いていました。
ありがとうございました。
攝さんは会がおわったあと、花束を抱いた中山そらんさんを囲んで山下整子、東妙寺らんと姫野の四人を記念に写してくださったのです。

わたしは攝さんについてはあまり知らないのです(攝さんがご夫婦でたちきに入ってみえて間もなくして私はたちきを引いたから)が、父上の足立雅泉さんはよく存じ上げております。植物好きなやさしいお方で、たちきにも花や草や木のことを詳しく調べたエッセイを連載されていたし、本もだされています。独特のスピード感とリズム感ある写生句を得意とするベテラン俳人で、人のお世話の行き届くかたです。

自分が長らくいた俳句誌の同人からお便りをいただいたのは初めてでした。

読んでいましたら、なんだか切ないきもちになりました。
できればもう一度帰ってきてほしいと思っています。
と書かれていたからです。

たちきをひいたのは、物理的にできなくなったからです。
連句を残して俳句誌はやめようとおもいました。
いくつも入っている余裕はなくなったからです。
俳句に経済的な負担はないと思い勝ちですが、実際はちがいます。
交際費がかかります。礼を尽くさねばならぬ時がある。
それができないなら、やめるほかない。ときめたことです。

足立攝さんのお便りは真心のこもったあったかいものでした。
パソコン関連のお仕事をしておられるらしく、俳句も文章も一本すじの通った毅然としたものを出される人です。句歴が浅いのにそこらのベテランよりも「立った句」を書かれますのは、お父上の読者であられたからなのでしょうか。さすが雅泉さんのむすこさんだなと思って遠くから眺めておりました。

ところで、攝さんがお手紙でとりあげてくださった拙句(2008年2月号「樹」より)の解説を読んで、えっと思いました。
その部分をそのまま引きます。

● 熊本の義肢製作所はだかの木    恭子

 はだかの木は「裸木」で冬の季語。葉を落とした木々は寂しげであり、どこか滑稽であり、その滑稽さが人間のようでもある。虚飾を捨て、裸になった人間は哀しいほどに小さい存在なのだ。しかし、その小さな人間には血が流れ、心が通い、熱い魂が震えている。人間の尊厳などと安っぽく語りたくはないが、人間を小さな存在と知った時、本当の尊厳が見えてくるのかもしれない。
 熊本は愛知県などと並んで、義肢製作の先進県。義肢を作る仕事は、実は人間を作る仕事だと、裸木を見ながら思うのである。(足立攝)

攝さん。ありがとう。こんなに深く読んでくださって。
熊本の町を通過中、目に付いた看板をそのまま詠んだ句でした。
季語をとりあわせるのに何をもってくるか。それも実景でありました。
「義肢製作所」という看板のそっけなさとあったかさとリアル感。
それが虚飾をそぎおとした人間のぎりぎりで生きる実在感みたいなものを示唆してくれました。わたしは御手紙を読むまですっかり忘れていましたが、このような句を詠んでいたこと、そしてそれを読んで何か深いところで感じてくださっていたお方がいらっしゃったということを、とてもうれしく、幸せに思います。
(愛知県と並んで熊本は義肢製作の先進県。というのも、初めて知りました。)

まずはネットでお礼、申し上げます。

2009年7月10日 (金)

むかしの映画談義をしようよ!の巻き。

映画談義>>昔の女優さんたちはほんとにきれいで個性的でしたねshinekissmarkshine
当時、ドミニク・サンダ、フェイ・ダナウエイが好きであこがれました。
最近ではレニー・ゼルウィガーさん♪
男優はダニエルクレイグ氏、ケビンスペイシー氏。
みなさんたちはどんな俳優さんが好きですか~drama

 フェイ・ダナウェイ、そういやそういうエロっぽい女優さんもいましたね、で、同じ頃活躍した外国人女優として、キャサリン・ロスとかキャンディス・バーゲンとかを連想し、カトリーヌ・ドヌーブのほうがもっと年上かと思ってたら、そうでもなかった。ちなみに、カトリーヌの英語読みがキャサリンなんですね。あと意外と好きなのがジェーン・バーキン~シャルロット・ゲンズブールの母親。いや、映画ってホントにいいですね。
 男優はどげんでんよか?でも、アラン・ドロンよりジャン・ポール・ベルモント、もちょっと年上のマルチェロ・マストロヤンニ、これじゃ古すぎる?もっと古いぞジャン・ギャバン。最近ではケビン・スペイシーやニコラス・ケイジもいいですね。
 日本では、これまた古くて若い皆さんにはピンとこないでしょうが、宍戸錠・赤木圭一郎といった日活アクション系、その残り香的な原田芳雄に藤竜也。女優は恥ずかしながら、中学生の頃松原智恵子のファンでした。今は風吹ジュンとキョンキョンがいい!若い頃はただのアイドルに過ぎなかったけど、女優としては今が旬という感じ。桃井かおりは無名時代からのファンです。う~ん、若い世代にもいいのはいるが、今イチ決め手に欠ける。これも年のせいじゃろか。おっと田中麗奈がいた。久留米出身だからというわけではなく、映画中心に活動しているところが好感持てる。
 話変わって磐井氏について。九州の王と言いたい八女の人たちの気持ちはわかるけど、クマソ・ハヤト族まで支配していたとは思えんし、せいぜい北九州の大王ということで妥協してください。

 帚木蓬生のペンネームの由来について忘れてました、本人曰く、『源氏物語』の五十四帖を見ていて、雨夜の品定めの「帚木」の巻と、末摘花が出てくる「蓬生」の巻から取ったとのこと、本名は森山成アキラ(外字なので変換できん)と言わっしゃるとですね。

nightこんばんわ
70年代前後はフランス映画やイタリア映画などヨーロッパ映画がすてきでした。
アラン・ドロンやジャン・ギャバン全盛の頃私は彼らと共演していたリノ・ヴァンチュラの大ファンでした(渋~☆)
彼らのシシリアン、冒険者たち、、すてきな大人の映画でした。
アメリカ映画ではやっぱりスティーブ・マックイーンが印象的でした。
アリ・マックグロウと共演のゲッタウエイはかなり良かったです☆

蓬生。よもぎふ。うつくしいことばです。

えめさんもろいりさんもいっぱい俳優さんのおなまえをごぞんじであります。ちゃんとそれで一家言的文章がかけるのもすごいです。
じぶんは人さまがみている映画を見ていなかったことに気づき、いま、むかしの映画を拾って学習中。
きのうはとても大変だ状態であったのにもかかわらず、ひとり深夜に「昼顔」をみました。
いちばん印象にのこるのは、ドヌーヴ演ずる不感症の昼顔ではなく、夫やチンピラでした。夫はさいごに昼顔に夢中になったチンピラに撃たれて車椅子に座るのですが、ドラマの中盤、車椅子が気になる、なぜだろう。と予兆のような独り言をいう場面がさりげなくはさまれています。
そういう伏線は確実に印象にのこります。
んで、これと似た味わいのを去年みました。
「グッド・ガール」という映画。
昼顔とおなじく女の性のこわさを描いて出色。
わたしはスパイダーマンがとっても大好きで、その主役とこの映画の主役をまちがえておりました。
雰囲気がにています。
ジェイク・ギレンホールとトビー・マクガイヤー。

ところで。
西日本新聞朝刊のデスク日記。
ある夏、新製品のビールを社に宣伝にきたキャンペーンガール。新聞社というおとこ所帯にうら若き女性が単身のりこみ一通りの宣伝をおえたあと、さいごに立ち上がりぱっと服をぬいで、水着一枚になった。おとこたちは絶句し気おされた、女性の覚悟を感じ取って。その女性とはデヴュー当時の藤原紀香。・・てな記事。
(物を書くとはこういうことだよね。ウッとうなった。)

こんなことをなんで書いたかといいますと。
連句を公衆の面前でまくことの難しさと恥ずかしさについて書きたかった。
覚悟がたりないといつもかんじているから。
上記のむすめさんのような覚悟です。
つまり、
人前ではだかになる覚悟。

狂いと信仰

五木寛之の『親鸞』、読んでいますが、少しもわくわくしない。
同郷人で母校がおなじひとだし、応援もしていますが、。

これまで、いくどかの「見せ場」がでてきました。

だけども、どうもいまひとつ迫力に欠ける。
予定調和の世界に安住している気がするのです。

かささぎとしては、お行儀がよすぎる気がして面白くない。
もっとあの時代は物狂おしい時代だったはずなんだ。
もっと野性的でもっと野蛮でもっと無常でもっと無情な。

ここぞというときに、主役の救援に奉仕する筆。
もっとよごせ。
きよらかなものはうそっぽい。
ぞくっぽいではないか。

・・・とそんなことをおもっていたら、足元に一冊の本が落ちていた。
手に取れば『〈狂い〉と信仰』町田宗鳳著(PHP新書、1999)。

ぱらぱらとめくれば、こんなことばが目にとまった。

「此道の、第一の面白尽くの芸能なり。物狂の品々多ければ、この一道に得たらん者達は、十方へ渡るべし。繰り返し公案の入るべき嗜みなり。仮令、憑き物の品々、神・仏・生霊・死霊の咎めなどは、その憑き物の体(てい)を学べば、易く、便りあるべし。親に別れ、子を尋ね、夫に捨てられ、妻に後るる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。」
 
 能の謡曲には、さまざまなストーリーがあるのだが、世阿弥は〈物狂い〉の舞いをマスターすれば、あらゆる能を演じることができるといっている。あの世からの怨霊にせよ、この世での深い執念に燃える人間にせよ、その人物の情念が凝縮し〈物狂い〉となるのだが、この世とあの世を貫く掛け橋となっている〈狂い〉の世界にこそ、能の「花」を見ていた世阿弥の眼は深い。

なんでこの本を買っていたのだろうねえ。

と尚もめくれば、おしまいのほうに聖アウグスチヌスの悟りにいたるまでの蛮行が書かれていた。

(これをよみたくてこの本を買ったんだった。わずか数行のために。)

聖なるものへの道へいたるには、ひとたび狂わねばならない。

では、。

親鸞は、なにに狂うのだろう。

まだまだつづく、五木寛之の『親鸞』。
「しんらんのくるひ」に、期待している。

連句的:

聖アウグスティヌスの生涯:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9

此れを読みますと、アウグスティヌスはアルジェリア生まれ。
(ところで、このなかにでてくる「マニ教」とは、こないだポタラ宮展にいったとき、チベット密教の祭祀備品の一つ、マニ車と関連するものだろうか?あのマニぐるまってやつは、なんともいえず、ものぐさでおもしろいものでありますよね。一回まわせば、経文を一回唱えたことになる。と決めたことがすでにかっとんでいる。おもしろいなあ。とおもいました。)

2009年7月 9日 (木)

ちくしとつくしの無意識の使い分け

すいませんが話がワープします。
今『朝日新聞』夕刊、「人生の贈りもの」というコーナーに帚木蓬生氏の連載があり、それによると、一度就職したTBSをやめた後、九大医学部に入り直すため、M高校付属?時習館予備校に模試を受けにきてたんだそうな。で、今のペンネームもこの時に、昔習った教員に気づかれないよう、『源氏物語』にあやかって考え出したとか、そんなことが書いてあります。それがちょうど私の浪人生時代、ということは、どっかですれ違っているのだろうか、当時相手は24歳、当時の6歳違いはええおっちゃんに見えたはずだが。で、そのころ弟の光章氏はどうしていたのだろう?
 ここで、話を「筑紫」の読み方に戻すと、私の祖母がファンだった、佐賀にわかの筑紫美主子の名字は「ちくし」と読むらしい(これを調べるため昔読んだ本を探して時間食った、ネットで調べりゃ早かったのに)。でもどの地図帳見ても「つくし平野」「つくし山地」と書いてある。更にまた日本史関係で調べたら、これにも「筑紫(ツクシ)国造磐井の乱」とルビがふってあるし、これはチクシ族に対するヤマト族の陰謀だ!だから私はヤマト(大和)=日本という考え方は好かん。日本民族という表現なら許せるが大和民族と言うのも好かん。大和魂もまやかしじゃ(本居宣長の「やまと心」にはまだ共鳴できるところがあるが)。私見だが、磐井(八女のみなさんは誰でも御存じですよね)は国造などではなく、大和国の大王に敵対していた筑紫国の大王ではなかろうか、根拠薄弱だが~そう考える歴史家も実際にいる。

夢ごころいかなるものぞ夕暮れは
藻伏し丘伏し獅子狂ひゆく  山中智恵子

(うた、きおくです、ちがってるかもしれません)

あ。それと。ちくしのいわいは、くにのみやつこではなく、九州の王だったと思っているのが八女人です。

昔から、色んな戦いがあってきて、負けたほうは反逆者としてあつかわれ、歴史の年表には1行で終わりますね。
たとえば「528年・磐井の反乱」とだけ★
九州の王の墓がなぜ「八女」にあるのか☆☆☆ 
それはこの地でなければならない「必然性diamond」があったから?
さあみんなで空想してみましょう~(^_-)-☆

             えめ

連句的:「筑紫哲也さんありがとう」
http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-119.html#comment
『チャオ、Ricaです!タンゴバイオリニスト麻場利華の日記』

梅雨明け間近

梅雨明け間近

クリックして150パーセントの倍率でご覧ください。
中央右よりの空間にとんぼ宙吊り。
そのおなかの下を白い点三つとなって自転車の少年が帰る。

2009年7月 8日 (水)

国際協力と地域経営学との接点

竹橋乙四郎は帰途についたんでありますね。
ドバイの空港からコメントがきてた。

ドバイってあの神をもおそれぬ高層ビルを建造中のとこでしたよね?

技術協力プロジェクトというのは、一定の成果を一定の期限内に達成することを目的として、あらかじめ合意した協力計画に基づいて実施される国際協力事業です。

プロジェクトの実施財源は相手国政府も日本国政府も共同で負担しますが、折半ということはなく、圧倒的に日本側負担のほうが大きく、日本人の納めた税金でプロジェクトが実施されていると言っても過言ではありません。

字がちいさくてすみません。上記、学長ブログからひきました。
お金も人も技術も日本がだすんだ。
そんなこと、乙四郎ブログよむまで、ちいとも知らなかった。
知らなくても生きていけますが。
知ってよかったとおもう。
そういう地道な仕事をなさっているかたがたがいらっしゃるということを。

このところ乙四郎がいなかったのはさびしかった。
職場でもいつもとなりに座っている柳川の青年が、忌引きで数日欠席中。
マイボスとふたり、「あれ~。なんかあの子がいないとさびしい!」。
ふしぎな存在感があるのです。地味な子でとってもまじめなこまごまと動くすなおな子。
わたしのむすめと同い年だと知り、あまりにも幼いので、人事ながらなんとかしてあげようといらぬ老婆心をおこし、
「もっとあそびの映画みたらいいよ」ってすすめました。
ふだん、ニュース番組とかこちこちのしか見ていないというから。
「キューティーハニーとか、楽しいし、ばかっぽいけど絶対にこにこになれるよ」
といったら、そうですか。とすなおにきいてくれた。

キューティーハニーはむかしの映画だったんだな。
冬樹蛉あたりがすきそう、なにか書いてないかな。
とおもって、ふゆきれいブログに久々にいき、検索したら、ひとつヒット。
これです。

http://ray-fuyuki.air-nifty.com/blog/2009/07/post-207d.html

あれ。はりつけしたの、ちがってた。

もう時間ないし、これでにげよう。

えめさん、ぼんさん、まりさん(たからさん)、せいこさん、らんちゃん。
御深い、じゃなかった、オフ会したいですね。清書してもっていくから。

ああらんちゃん。とうとうお習字ならいにいくとこ、まだみつからないよね。
ボスにきいてみようか。筋金入りの昔かたぎの久留米人です、(青木繁の一族だとかささぎは信じている。)こころこもってたら、いいのではないかと。

うわわ、じかんがねえ。まだ化粧もしとらん。服もきがえとらん。
ぱじゃまのまんま。笑

五分でそれ、やる!!

seikoのとこで、こんど乙四郎を講師にまねいて、国際協力のはなしをするのだそうです。
みんなききにいってね。
まりさんもらんちゃんもいってね。ぼんもいけたらいってね。

7月21日。帰ってからはりつけます。

山下整子ブログ『31文字倉庫』:
「学長の講演会」
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-757f.html

2009年7月 7日 (火)

ドヌーヴ映画と六つ門とつくしの地名とハイカイ談義

sunこんにちは
ろいりさんこんにちは。
sprinkleシェルブールの雨傘と昼顔は見たことがあります。
映画談義をこれからもちょくちょくお願いします^^slate

筑波・筑紫・筑豊・筑後・・・ルン♪

下記でちょっと見てきた。
ドヌーブの美しさ、ヘヤーリボンにシンプルな赤いセーターに部屋の赤い壁紙、おっかさんの服も赤いスーツスタイル、おお、これがパリって風景がふんだん。
ちょうどビビットな色に挽かれる今日この頃なので、タイミングよくこの映画を話題にしてくだすった。

http://www.youtube.com/watch?v=LH2s0Uur0nM&feature=related

割と最近、深夜番組で見ました。
何度目かでした。
こんな調子だからファッション本位でしか見れなかったけど、やっぱり印象に残っているシーンは、好き同士で結婚できないでお互い子供持って再会する最後の大雪の場面だけだった。
何度見てもジンとくるわ。

 「連歌」「連句」「俳諧」「俳句」の違い、私的には一応わかっとるつもりです~この中で「連句」という言葉だけがこのブログで初めて知った、何しろ学校で習っとらんし、日本史用語でもないけんね。連歌とヤマトタケル(古事記では倭建命、『日本書紀』では日本武尊と書くが後者はいかにも後世の当て字っぽい)の関係も日本史用語辞典に載っていて、だから連歌集には『莵玖波集』新撰莵玖波集』『犬筑波集』と、やたら「つくば」がついているのだそうです。ちなみに「筑紫」を九州では普通「ちくし」と読むが、関東人は「つくし」と読み、地図帳でも「筑紫平野」のルビを「つくしへいや」と書いてある。こら、ほんなら筑後川は「つくごがわ」か!筑前煮は「つくぜんに」か!と、急に筑後国・筑紫国ナショナリストになってしまう。
 日本史と映画のこつになったら、これまたきりがないけど、カトリーヌ・ドヌーブについて、そうそう巨匠ルイス・ブニュエルの『昼顔』も忘れちゃいかん、あとロマン・ポランスキー監督の『反撥』も。どっちも女の恐さを描いた…と言ったら女性陣に怒られるだろうか。あと中年時代?の『終電車』、初老期の『インドシナ』、アラ還時代の『8人の女たち』『輝ける女たち』も良かったし。男も女も、50代はまだまだこれから、若いもんに負けちゃおられん。

笑。

えめさん、筑前ばわすれとる。
と書こうとしたら、ろいりさんが筑前煮(がめ煮)をだしてくれらしゃった。

ちくしへいやはちくしへいや。ろいりさん。六つ門の名の由来。
久留米の文化財担当のおかたにたずねてみたら、六つ門には門があったからだそうです。むつの鐘が鳴るとしまる門。六角堂とは関係ないそうです。(桜島へいったとき、古賀音彦さんにどさくさまぎれにたずねたらそうこたえてくださりました)

 「六ツ門」の由来については、なぜか1年ぐらい前にうちの父親がそう言ってました。
久留米藩領内の中心部に入るための門だったのでしょうか、ちなみに池町川は久留米城(これが篠山城の正式名)の外堀の名残というのも昔誰からか聞いた覚えがある。
「六角堂」はあけぼの通りと明治通りの間に、まさに六角形の広場(放射状に広がる小路の中心)に御堂があったからだけど、いつ頃どういう事情で作られたものか、その由来は調べたことありません。一帯はアーケードのようになっていて天井があり、夜の電気も暗かった記憶がある。
 筑紫平野は「ちくしへいや」私もそう主張したい、しかし現に地図帳では「つくしへいや」となっている=共通語になっている。
私はたぶん、「筑紫」「筑後」と「筑波」はもともと無関係だと思います。
たまたまヤマト言葉、ならぬチクシ言葉に「チクシ」という地名があり、ケヌ(毛野)言葉に「ツクバ」という地名がもともとあり、後からこれにヤマト人が、それぞれ「筑紫」「筑波」という漢字を当て字したのではないだろうか、なお前者の当て字はチクシ人自らがやったのかもしれない~漢字文化はかなり早く入ってきてるはずだから。以上が私の推量で、学問的裏付けは全くありません。
 確認ですが、連句=俳諧連歌と思っていいのでしょうか(辞書にはそう書いてある)?あと、数日前に病身の野坂昭如が一人連句を巻き上げたという新聞記事を見たけど、そういうのもあり?それと、井原西鶴は一昼夜に2万3500句の「矢数俳諧」を詠んだと言われるが、この場合の俳諧は今で言う俳句のことなんでしょうね。

ろいりさん。ありがとうございます。
連句は、「俳諧の連歌」です。連歌と連句は雰囲気も使われることばもうんとちがいます。
それはたとえはあんまり適切ではありませんが、伝統俳句と現代俳句くらいの違いがあります。

その前に、さくらさん。きのう書き込みで「シェルブールの雨傘」の一場面を出してくださって、ありがとうございました。お礼をいってなかった。あれをみて、どうして女は男をまたずに結婚したのかが少し予想がつきました。それにしても、どぴんくとあか。どひゃーな色彩。一番ピンクがにあわなさげな女優さんなので驚きます。母親役の人より雰囲気がずっとオトナに感じられますので、むりくりピンク着せたってかんじです。ドヌーヴさん。

野坂昭如、連句、独吟。
井原西鶴は、れぎおんでも研究者が何人かいらっしゃいました。あさぬま・はくさんとか、まえだ・あやさんとか。私は前田亜弥さんが調べて書かれていた妻の命日に詠んだ作品群というものに心うたれたことがある。さがせばどこかにある。いくつか句をひきたいくらい、まことのこころのこもった句たちでした。
あと、矢数俳諧については大野鵠士さんの研究書がかなりへんでおもしろい。へんといういいかたはへんなんですが霊的というのかな。33間堂。
かささぎはきになっていてですね。
33間堂棟木の由来。松延かんらん。いつきひろゆきの祖先の一人かもしれない人物ですが。八女福島の灯篭人形の祖。
あれ。話が別方向へいってしまう。
ぜんぶつながっている。わたしのなかでは。

俳諧と普通にいったら、俳句もふくめた連句のことですけど、矢数俳諧は即興の数でかぶく句のことなんだとおもう、きっと連句的な句だったんじゃなかろうか。

安西均の詩につくし恋しやつくつくほうし。みたいなんがあったなあ。このひとのふるさとは、筑紫字筑紫。

2009年7月 6日 (月)

修羅場らば。バルセロナ、ホリデイ、ほか。

さいきんみたもの。

DVD...『キューティーハニー』庵野秀明監督。
      これはたのしい映画だった。警視庁の女の子かわいい。
      もちろんさとえりも元気だし登場人物みんなが出色。
      『THE HOLIDAY』監督: ナンシー・マイヤーズ
      ジュード・ロウが素敵でした。かっこいいなあっておもった。
      あと、老脚本家。映画への情熱を語り、映画をみる視点を教えてくれる。

映画・・・『それでも恋するバルセロナ』

バルセロナの感想、えめさんブログにかきこみ。http://hatue62.seesaa.net/article/122464038.html#comment

えめさんの写真、色があざやか。
雲の写真もナス畑の写真も、九州じぇ。ってかんじで、目がさめる。
さくらさんの写真とはまた違う味わいです。
すごい才能の人たちがこの世にはいらっしゃいますね。

「ややこ歌仙」で一箇所、連句人には季戻りにおもえる式目違反を犯している場面がありますが、確信犯的にそのままにしておきます。

名残表の月(中秋)、それにつけた盆踊り(初秋)。
これですが、かささぎのなかでは、『人は月に生かされている』(志賀勝)という中公文庫を『暦論』を九州俳句誌に連載していたときに資料として読んだことがあり、それに古代中国の慣習として紹介されていた行事が下敷きにあります。
で、えめさんも偶然そのことをイメージとして提出されたので、使いました。
現代のせまい季節感ではなく、もともとの原初的な意味での付けです。

カトリーヌ・ドヌーヴと連句、連歌、俳諧、和歌。

  元久留米人・梶原呂伊利(神津呂伊利)

 はい、また1週間のご無沙汰でした。「シェルブールの雨傘」とカトリーヌ・ドヌーブについてですね。
 
 最初に見たのは大学生時代、京都の祇園会館という3本立ての名画座で~作られて10年後ぐらい。当時はまだ人生経験も恋愛経験も浅かったので、何で女は男を待てなかったのだろうか?と思ったけど、1964年という時代背景を考えず、ついでにいうとアルジェ独立戦争についてもよく知らなかった。 
 
 2回目見たのが10年以上前、最初のシーンから感銘を受け、なぜ1回目見た時たいして良い映画と思わなかったのかと、自分の鑑賞力のなさをしみじみと感じました。実は私、大学時代は月に30本前後見ていたほどの映画ファン(を通り越してマニア、今ならおたくと呼ばれるところ)で、ここ数年は月に4本ぐらいしか見ていないけど、神津島に行く前は最低10本以上(しかもほとんど映画館で)見ていたぐらいです。だから映画関係の仕事につきたいと思ったこともあり、でも、この名画を見抜く才能のなさを考えたら、仕事にしないで良かったのかも。カトリーヌ・ドヌーブは若い時もいいけど、中年以降の、いや60過ぎてからの映画もいいですね。特に大ファンというほどではないけど。
 
 最近見た映画で良かったものね~、映画ファンと言うと、よく聞かれて困る質問です。なんせあれもこれもと浮かんでくるので。でもこの1年間ぐらいに見たもので、みんなが知っていそうなものを除くと、次のような映画かな。
 
  「闇の子供たち」…今話題になってる臓器移植問題もふくむ、梁石日(ヤン・ソギル)の原作に迫る力作。梁石日作品の映画化にはなぜか傑作ばかり。
 「ミリキタニの猫」…路上(ホームレス)画家だった、強制収容所体験もある日系人を主人公とするドキュメンタリー。
  

 とりあえずこの2本だけにしときます。映画について語り出したらきりがないのでこのへんで。
 ここで余計なおせっかいかもしれないし、素人判断になるけど、連句と俳句(俳諧)の違いとは、駅伝とマラソンの違いみたいなもんではないでしょうか。私はマラソンやるけど、マラソン仲間に駅伝に誘われてもあまり乗り気にはなれない、そういう人もいる、それは性格・個性の問題です。

 さっき「俳句(俳諧)」と表現したけど、正しくは「俳句(俳諧の発句の独立化したもの)」ですね。「俳句」とは明治以降に出来た言葉だから、日本史用語では江戸時代の俳句を「俳諧」と表現するので、つい先ほどのような書き方をしたけど、紛らわしい。個人的にはある程度理解しているつもりだけど、「連歌」「連句」「俳諧」「俳句」という用語を誰か一度整理していただけるといいのではと思います~たぶん誤解している人もいるだろうから。

2009年7月 5日 (日)

「ややこ生る」満尾御礼

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色      ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で      恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud
ナオ

1静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子

12  提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ
ナウ

1稲架くぐる黄色い帽子田に転び     bud
2  秘密の基地にみんな埋めた     恭
3レクイエム開いたままの大蛇腹     らん
4  戊(つちのえ)の日のつばくろの羽  整
5君はなぜかくも美し花へ問ふ       乙四郎
6  穀雨の糸が夢を縫ふ窓    中山宙虫

起首:21年5月9日
満尾:〃  7月5日

▼中山宙虫挙句案

自由の旗が揺れる末黒野

穀雨の糸で夢を縫う午後

すぐろのは、戊、稲架、田、基地に近い。
穀雨は四月二十一日ころ。菜種梅雨のころ。
穀物をそだてる雨。
これをいただきますが、裏の折端のばどさん句に午後は出ていましたので、とりあえず窓に一直しておきます。作者のほうで代案あればください。

そらんさんにはとびきり忙しくて連句はできないと言われるのを無理にお願いして一句つきあっていただきました。
友情に感謝申し上げる次第です。ありがとうございました。
中山ソランさん。
このたびめでたく九州俳句賞を受賞され、ご活躍をお祈り申し上げます。
(受賞作品は掲載号が出てのちにご紹介いたします。)

満尾しました。
おわってみれば、ふしぎな歌仙でした。
みなさまのご協力に感謝申し上げます。
ここにはさわりがあり使えませんでしたが、梶原呂伊利さんのおいわい句も、有難うございました。
あれ、ふしぎでした。
竹田の子守唄まで動員して一句をよんでおられたとは。
(ぼんへのごあいさつ、ぼん→盆、もりもいやがる盆から先にゃ)

以下、連句的。

葵。
あおい あおい まもる
葵祭り。

しもがもじんじゃ。
かみかもじんじゃ。
はつがらす。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1e67.html
あさばりかさん。
http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-126.html#trackback1
あらきぐうじ。
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/guuji/index.html

よしだけんこう。
すぎうらこてんけんきゅうしつ。
かものちょうめい。
長命。
こうらさん。
へこかきまつり。
あおい。
みずのと。
癸卯。
きぼう。

葵くんの健やかな成長をお祈りもうしあげ、この一巻をささげます。

追記)

この歌仙は『連句誌れぎおん』秋号に掲載予定です。
九月にうまれた整子さんの長男さんのお子の名が「陽葵(ひなた)」であったことも、まるで韻を踏むようなかんじで、これもまたふしぎな暗合でございましたね。

2009年7月 3日 (金)

朝から土砂降りの日

朝から土砂降りの日

久留米市旗崎の踏切

文庫本

文庫本

『パーマネント野ばら』 西原理恵子
『紫の領分』 藤沢 周
『春にして君を離れ』 アガサ・クリスティー(メアリ・ウエストマコット)
および、太宰府駐車場の駐車券栞(山上憶良の和歌つき)

英語俳句 その3

水曜日の保健医療経営大学での英語教室。
7月1日は末子の16歳の誕生日で、から揚げを二種類揚げていたら十分遅刻した。

そのあいだ、先生は「古英語」の説明をしてくださったらしい。
あとでまりさんからメールで教えてもらいました。
引用させてね。まりさん。

「恭子さんが来る前に、仮定法過去は何故主語が単数なのにwereになるかの説明があったよ。
古英語では、単数がwereで複数がwerenだった名残なんだって。
恭子さんは去年聞いた?
正確にはwのあとのeは古英語でつづりがちがうけど携帯では書けない。
私は今日いろいろためになった。復習しなくちゃ。」(澄たから)

へえ。そうなの。
去年は最初のころにシェークスピア時代の英語をちょこっと説明だけ聞いたような気がするけど、忘れちまいました。
特級講座の古英語クラス、夏に暇を作ってのぞきにいってみたい。
聞いてるだけでもためになりそう。
ってか、ほんとは高校時代の英語の先生が気になっている。
なんて不純な動機なんだ。笑

さて、英語俳句。

麦秋や少年海を見てゐたり    恭子

拙訳:

the  barley’s  autumn
a  boy  faces  the ocean
in  doom  and  gloom   
佐藤哲三教授の英訳:
On a barley autumnal day in the gloom
A boy is watching the sea with his doom
俳句のような短い詩でも、情報量はなんと多いのでしょう。
そして、接近の仕方、つまりよみかたもまた多岐にわたる。
詩人高橋睦郎先生が書いておられましたが、「読むことは詠むことである」ということば、まさにそうですよね。
佐藤先生の訳詩は、佐藤先生の作品であることだなあ。と、かささぎは感じます。
海ひとつとっても、シーとオウシャンと二つありますよね。
だいいち、麦秋をなんと表現すればいいだろう。
それさえ考えていたら闇鍋に手をつっこんでるかんじ。

俳句誌『麦』から

  地熱集探渉

      橋爪鶴麿・評

迎え火を焚けば見知らぬ佛来る  成清 正之

迎え火を焚きながら祖先の霊を思うのですが、自らが弔った身近なひと以外には、どうも霊としても馴染みが無く、この「見知らぬ」の語は、見事にその思いを詠っています。
しかし、この佛様をあたたかく迎えることが、お盆の門火の大事なことで、作者はやや戸惑いながらも祖先の霊の安らかな成佛を念じているのです。
この思いの奥の大らかさに共鳴しつつ、発想の特異さに驚くのです。

   俳誌『麦』平成二十年十二月号より引用

春に連句会を保健医療経営大学で興行したとき、中山宙虫さんから俳誌「麦」をいただいておりました。
机の上に積み上げておりますが、事務所での昼休みに目を通し始めました。
と、いきなり出遇った気になる一句、およびその読み。

かささぎはなぜこの句が、こうもきになるのかを自問してみる。
奥八女の六地蔵さんを尋ねお参りにいったとき、霊的なことがみえるおばあさんがいて、聞いた話がある。それとどこかでつながっている気がした。

(この文章のカテゴリー、『九州俳句』にいれておきたく。)

2009年7月 2日 (木)

花前句

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色      ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で      恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud
ナオ

1静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ
ナウ

1稲架くぐる黄色い帽子田に転び     bud
2  秘密の基地にみんな埋めた     恭
3レクイエム開いたままの大蛇腹     らん
4  戊(つちのえ)の日のつばくろの羽  整

選句

☆ 蜂の巣つつき童かけだす  えめ

☆ 貝湧き出でて干潟賑わふ  〃

1、春挽糸が描く地上絵          整子
2、戊(つちのえ)の日のつばくろの羽   〃
3、お社日さんに赤飯そなふ        〃

選句します。

えめさん出してくださってありがとうございました。
蜂の巣つつき童かけだす。
情景が目に浮かぶ。動きがあり生き生きとしてます。
が。
ナオ1のbud句に小学生か園児の黄色い帽子があります。
はざをくぐって、刈田を倒れ転びしながら駆けてくる子。
そこへもどってしまいそう。
童のことばこそ出ていませんが、ばどさんの句に出ています。
貝掘りの句もうちこしにあたる2に基地、埋めたとあり、語感が近いか。
整子句は、はるびき糸=おかいこさんの春蚕(はるご)の糸の句も明るくて、前句の移りもよかったのですが、春ということばが出ているのと、戊の句のつばくろの羽があまりにもよかった。
といいますのは、素材がめずらしいのと、社日という日をきめるのは、春分にもっとも近い戊の日だそうで、ということは、このつばくろは今着いたばかりのつばめ。
レクイエム句とあわせると、大蛇腹がつばめの羽を思わせます。
これはすばらしい句だと感心しました。
こういう句がでると、さばき冥利につきます。
戊は己と同じく土にからむことばですが、打越の基地とは差し合わない。
ありがとうございました。

なお、ぼんの申し出どおり、グランドゴルフの句を黄色が二箇所にあるからとという理由で差し替えてみましたが、リズムが最初の句におよばなかった。
かようにダダダダと連打する感じで、色ではない何かほかのものがありますれば、さらに差し替えたい。
なんの屈託もなく、自然にあふれ出ることば。
それはあとでさしかえようとしても、うまくいかないものですね。

それでは、においの花をお願いいたします。
いよいよあと二句。

ろいりさんに出してほしいのですけど。
どなたでも、どうぞ。
場の句が続いてくれましたので、思い切り人情のこもった花を出してくださってかまいません。ってか、そっちのほうがいいとおもう。



2009年7月 1日 (水)

かるがも物語

かるがも物語

神崎さくらさんからいただいた、手作りの絵本です。
絵本ではないな。
写真絵本です。
アコーディオンみたいな仕立てになっています。
写真の部分と文字が入るスペースとのバランスが絶妙です。
いちばんしあわせだった、と書かれている頁には
きれいなピンクのつつじがふんわりとさし色として使われていて、

さくらさんのセンスはすごい。と感心しました。
さいごの「おしまい」のところのみどりのはっぱ。きれいです。
これ、みんなにもみせてあげたいなあ。てのひらにのっかるっちゃんね。

内容は、かんどうします。

なみだでますよ。そして、げんきもでます。
動物好きのらんちゃんにみせてあげなきゃ。

budさんの歌仙名残裏1

きのうはココログのメンテナンスがあっていたようです。

朝送信した写真三枚も届かなくて、ブログにも接続できなかった。
こういう場合、(あとで接続が回復した場合)送信した写真を待つべきか?
一週間で到着したこともあるのです。
なにを送信したかといえば、さくらさんのミニ本の写真です。
アコーディオンプリーツに折られた小さな絵本。
写真でみせる絵本。「かるがも物語」。

さて、bud さんの句が届いていました。

ばどさん、気もそぞろのときに、どうもありがとうございました。
ばどさんをご存知ない方々へご紹介をいたします。
「のんだくれ博徒」「輪のぼやき」というブログの主です。
こういう文章をかかれます。

1「発した言葉がある」一年間のつぶやき句集
http://622.dtiblog.com/blog-entry-237.html
2「忍び寄る危機」政治へのぼやき
http://622.dtiblog.com/blog-entry-236.html

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud
ナオ

1静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ

ナウ
1稲架くぐる黄色い帽子田に転び   bud
2  丸い石置くポチのはかどこ    恭子  
3雑
4春
5花
6挙句

ばどさん。いい味わいの句をありがとうございました。
とてもいい句です。
気もそぞろのときに句をだしてもらうこの親心、老婆心がわかりますか。笑

『パーマネント野バラ』という西原理恵子の新潮文庫の漫画。
娘が好きでいらんいうのに私に押し付けるのですが、そんな味わいがある世界。
なさけがたっぷりしみている。
わたしはつい泣きたくなる。なんだか無性になつかしくなる。
たかむらの真っ青な歯茎がぶつかりあってカーンカーンと鳴るような。
たかむら。高村ではなく、竹冠に皇帝のこう一字の。
ポチを埋めた裏のたかむら。と最初はつけたかった。
だけど花句がもうすぐ来るので。

つぎをまた雑でおねがいいたします。
と、ここは同級生の丸山消挙におねがいしてみるか。

この人もなにかつくりたいのではないかと思う。
原爆忌の句をよんで、そうかんじた。

ほかにも連句へお誘いしたいひとがいる。いっぱいいる。全部おとこ。
それはかささぎが女だからで他意はありません。笑。すみません。
あべしげさんとか、長崎の前川さんとか、中津の横山康夫さん、それから大牟田の連衆誌主宰の谷口慎也さん、あと大江希望さん、fuakiの日記のあるじ、久坂夕爾って人、片岡元雄って人、それから太宰府のことまちブログのあるじのテルさん、。詩人の大岡信さんや高橋睦郎さん今村冬三さんも興味があるけど、プロはお金がかかるのが難点。貧乏だからお金のやりとりなしでやりたい。(手前勝手なことをよくもしゃあしゃあと)。

ろいりさんには花をだしてもらいたい。あおい、葵について、もう少し調べてみてください。
わたしは暇がないので調べられないのですが。

ということで。
これはぼんのお孫さんへのお祝い歌仙ですから、ぼんが「しんたん」と呼んでいたらしい幼馴染へ一句たのんでみるのがスジでしょう。
かささぎと東妙寺らんとぼんと丸山消挙とは高校で二年間同級でした。
いま、老いはじめた親をかかえて苦労しているようです。
元気だせやとはげましたい。親より自分がふけてどうする、と。

なにかだしてくれるでしょうか。頼んでみないとわからん。
かささぎも頼みますが、ぼんも頼んでください。
幼馴染の一人せいこさんも言ってくれるとありがたい。(苦笑)

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