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2009年6月25日 (木)

大江希望さんの渋の話から思い出したこと

大江希望ブログ日記、気になったので引用させてもらいます。
以下、全文引用。

その過程で、今井敬潤の「柿」(渋柿)についての労作を知ったのは収穫だった。わたしが学んだことは、多いが、とりあえずメモしておくと、

  1. 柿は世界中にあるが(例えば、黒檀もカキ科)、甘柿は日本にしかない。 木津川を柿渋を詰めた樽を満載した船が航行するのは、大正期までは、普通に見られた光景であるという。酒を絞る袋は柿渋で厳重に染め上げる必要があったが、それは、もしそうしなければ、木綿糸のヨリがすぐ戻ってしまって目が詰まり、酒を絞ることができなくなるという。漁網はすぐ腐ってしまうので柿渋で染め直しつつ使ったものだという。これらのために常時消費される柿渋の量は莫大なものであり、それをバックアップする体制が存在していたのである。
    ナイロン糸の登場によって、有史以来の“有機化学技術”のひとつが、“時代遅れ”の技術として忘れ去られようとしているわけである。
  2. 甘柿が日本に広まったのは「御所柿」(奈良の御所市からはじまる)だが、それは江戸時代前半だという。したがって、それ以前は、食べる柿は渋柿を甘くしてから食べた(干し柿、熟柿、酒を使うなどの加工)。
  3. 柿渋の利用が、おそらく有史以前から行われていた。漆を使うよりずっと扱いやすい柿渋による防腐効果などは早くから知られていたであろう。家屋の柱、木器に柿渋を塗ることなど。
  4. 漁網・酒や醤油などの醸造業・番傘などへの柿渋の利用は、少なくとも江戸期には産業として発達しており、「柿渋屋」は重要な産業の一翼を担っていた。渋柿を生産する農村に対しては、かなりの課税が(柿の木1本あたりいくらとして)実施されていた。

    (大江希望)

http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0906.htm#saisin
『き坊の近況』21年6月22日付けより転載。

上記の文章を読んでいて、かささぎは熊本出身の俳文学者・故東明雅先生のことばをハタと思い出しました。
魚のギギについて最晩年の明雅師と無駄話をしたことがある。(手紙で)
師はこういうはなしを余白にかかれていました。
「そういえばむかし、釣具屋の前を通ると「ぎぎあります」と貼ってありました。
あれは結核のくすりになったのでしょうか。
」 


それをこんなときになんでおもいだしたのか、それがわからない。

とにかく、希望さんのこの文章を読んでいて、それを連句的におもいだした。
ぎぎ、さかな、結核のくすり。で検索したら、でたなかに次があった。

http://homepage2.nifty.com/onibi/wakan50.html

ぎぎは、ぎーぎーと泣くさかなです。
結城秀康の幼名がこの魚からとって、おぎい。といいました。
カンのつよい、よく泣くこどもだったのでしょう。

さらに、ぎぎと結核のくすりで検索すると、こういう記述にもであった。
煩悩即涅槃、密教思想、空海とつうじる。
http://blog.goo.ne.jp/5066_2007/m/200704/1 ヨーガ健康術の9

煩悩即菩提
しかし条件が悪くとも、呼吸に変化がない人は、例えストレスがあっても、それに耐え却って進歩するのです。
昔殿様に、アユ献上するのに長距離の移動で、アユが死んでしまいますので、賢者が、一匹のギギ刺す魚を入れたところ、緊張感から全てのアユが生きていたそうです。
人間も緊張感を持ち、腹式呼吸で呼吸が乱れない人は、ストレスがその人の気力の根源になります。
自然呼吸で生活しているしている人は、病気のダメ-ジを受けるのです、今のようにバリヤ-フリとか、刺激を少なくしますと、だんだんとボケ老人が増えるのです。

(こんなことをあさごはんもたべずにやっている私はなんて暇なやつかとおもう。
とびきりいそがしいのに。)
       

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コメント

ぎーぎーと鳴く魚のぎぎが語源でしょうか?
八女弁の「ぎゅぎゅたん」
あるいは「ぎゅーらしか」

そんな父のことばを聞いたような聞かないような。なんか、記憶の底にひっかかってます。が、記憶、いまだ浮上せず!

seiko
わたしはおぼえているよ。
前田先生が博多の山王の市民センターにいらして和室で巻いたとき。秋の季語を必死でさがしていたら、健吉の季寄せに「ぎぎ」黄顙魚がありました。
その説明を読んでいたら、たちまちひらめいた。
ぎぎ!これは絶対ぎぎゅたんのぎぎだ!!
すぎやまひろしおんじい(大失礼)もわたしもまったくおんなじ気質のぎぎゅたんなのは、このさかなのせいだっんだ。と思って、一人でうけまくって、だれか八女弁のぎぎゅたんを知らない?と聞いたら、せいこさんが「そういえば、父が言っていたような」と言った。そのときの記憶がちゃんとある。
で、ぎぎは関東以西にしか棲息していないらしく、いつか千葉の星野石雀先生の『摩天楼』に連載していた「影ふみあそび」でそのことを書いたら、利根川にもいたはなしをどなたかがなさいました。
また、京都の文人さんは琵琶湖にいる魚を教えて下さったのですが、そのなかにぎぎもいて、それはおいしいと書かれていた。同時に、かみつかれたら、三年うずきがするほどに痛いとも書かれていた。
で、これが今から十年ほど前のはなしで、八女図書館でぎぎを探したけど、当時は矢部川に棲む魚にぎぎが入っていませんでした。
人の悪口にも名をとどめるのに、当の犯人である魚がいない。それはどう考えてもおかしいではないかと思って、そこにいらした図書館の事務方のおじさんにも話したところ、そういえば、こどものころ、ぎぎはいた。とちゃんと記憶しておられて。

それからどうしてなのかはしりませんが、最近の矢部川に棲息する魚の絵入り下敷きには、ちゃんとぎぎも書かれているようです。

こんなふうに、きおくはことばから、生きものも、ちゃんとことばで記録と記憶にとどめていないと、最初からいないことになってしまいます。

上に引用したヨーガの人のはなしで、むかし、たばこは肺のくすりだった。とあるのを読んで、大笑いしました。渡辺恭二の本にもたばこは江戸時代は薬であった。と出ていたし、いまのこの風潮もころっとひっくり返るときがくることでしょう。
絶対不変のものなんてこの世にはどこにもない。

昭和30年代ころまで、渋柿の渋で、家中のたるや桶、廊下の板や柱など塗っていましたよね。
特別きれい好きのおばあちゃんなんかがやっていました。
特別きれい好きのことを「あん人、きんとじゃじゃんねぇ」と言っていました。
渋を塗ると家中ぴっかぴかで、塗った直後はくさかったけどね。
これが本来の用途だったなんて、今は柿は甘くなくちゃだーれも食べん。

バリアフリーの話、先日ある年寄り向けの体操教室をのぞく機会があって、腰が痛い、足が痛い、肩が痛いという人が多いのは、原因は、昔体を使ってやってた洗濯や掃除をしなくなったことだと断言されていました。
お袋のためにと自宅にエレベーター作ってやる息子さんなんかいるけどやりすぎだと思う。

鳥栖と八女は言葉一緒だと思っていたけど、「ぎぎ」という魚は知らんねぇ。

海へ続く川の中流域にすむ魚みたいですよ。
ぎぎゅう。とか、はげぎぎとかともいうみたいです。

うちでも、柿渋はぬっていましたが、べんがらだとおもいこんでいた。重たい和傘がありましたが、その匂いがやはり独特の渋のにおいがしました。

「渋柿 皮渋を塗る」

検索9位です。ここが読まれています。

大江希望さま、お元気でしょうか。
すっかりご無沙汰しております。
普通の渋柿は焼酎で渋を抜くとほかのサイトにありますね。
今読み直して、偶然ですが、さきほどアップした雅子さま関連の記事にあった、沖浦和光が小和田家の先祖は部落民だといったとか、いう、その民俗学者の沖浦和光の本、さんかの本でした、その本に載っていたんです、さかなのぎぎはね。
あれはたしか吉野川でしたっけ。
なんにしても、差別反対。
そういう出自はまったく関係ない、むしろ問題なのは宗教です。知らなかったなあ。学会とはねえ。

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