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2009年6月 5日 (金)

おじぞうさんとふろしき

ことし勤務先の仕事量ががたんと減った。

去年のはんぶんもいかない。
まいにち暇なんである。
いそがしいことはよかったんだなあとためいきの日々である。
しかし現場はひまでも事務はひまとはいえない。

「おじぞうさん」娘と同年齢のセイネンが私の右側の机にいる。
あたまは坊主、とても素直でいっしょけんめい、こころうたれる。
最初銀色の金属製のかばんをもって電車通勤してた。
いま、なぜか風呂敷。笑
かんぜんに書生スタイル。
わたしはかれのファンです。応援してる。
時給700円で毎日五時間。
ボスの酷使にたえ、洗濯物から犬の散歩、食材の買出しまで、いやな顔ひとつせず、こなしてる。偉い。かれはこうがくかんでた子なのよ。パソコンもだれより上手なのにえばらないし、寡黙。すごい子だ。

ところで。
さっき神津ろいり文書のカテゴリーをひらいて、注意深く読んでいたら、えめさんのコメントのなかに、広川に六地蔵がある。と書かれていた。それ、気になるよね。
たからさんの句、六地蔵を地蔵様とかえたけど、最初の偶然の出方ってとても大事だし、広川のそこへ行きたくおもう。それと菅原道真の父上をまつるというぜぜしゃへも。こっちは朧大橋への道を逆方面へおれる。とだけかかれていますね。
ぜひ、いつか。あたまにいれておこうね。

▼広川町在住、山下整子のコメント:

八女郡広川町の六地蔵について

広川町の六地蔵はわたしの住む地域の隣の地域にあります。
一條区。
六体の地蔵さんが立っているわけではなく、一枚の岩に六体のおじぞうさんが描かれているものです。
路肩にひっそりと立っていますが、地域のおばあちゃんたちが気がけてお花やお供え物を供えてくださっています。

以下は、町のHPから。

「広川町指定文化財第4号 有形文化財(書跡)」

 天正15(1587)年に、豊臣秀吉が島津征討に赴いた際の往復路(太閤道)の辻に1基立っています。自然石(緑泥片岩)の1枚石に六地蔵が陽刻された六地蔵塔婆です。
 年代は室町時代後期の作と推定されます。

正式な名称は、一條六地蔵自然石板碑。
いちじょうろくじぞうしぜんせきいたび。

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コメント

ここは、わたくしの出番でありましょう。笑

広川町の六地蔵はわたしの住む地域の隣の地域にあります。一條区。六体の地蔵さんが立っているわけではなく、一枚の岩に六体のおじぞうさんが描かれているものです。路肩にひっそりと立っていますが、地域のおばあちゃんたちが気がけてお花やお供え物を供えてくださっています。
以下は、町のHPから。

「広川町指定文化財第4号 有形文化財(書跡)」
 天正15(1587)年に、豊臣秀吉が島津征討に赴いた際の往復路(太閤道)の辻に1基立っています。自然石(緑泥片岩)の1枚石に六地蔵が陽刻された六地蔵塔婆です。
 年代は室町時代後期の作と推定されます。

正式な名称は、一條六地蔵自然石板碑。
いちじょうろくじぞうしぜんせきいたび。

せいちゃんありがとう。
もつべきは文化財担当の友。かたじけない。
さっそく本文におりこみます。

だから。
文化財担当じゃないってば。
発掘現場の応援隊しかしたことないっちゃけん。

あ、それも穴掘りの手伝い。。

首相官邸や国会議事堂がある、永田町ってあるでしょ?
乙四郎さんの元本拠地かな?霞ヶ関か。
あそこの周辺は国会へ向かう議員さんや秘書さんや官公庁のお役人さんたちがたくさん往来しています。
その人たちの荷物は今はどうか知りませんが風呂敷でした。数年前に行ったときのことですが。
かばんにしてもよさそうなものを・・・と思ったものでした。
そういうところを絶対変えないお役所風物詩というものがありますね。

はい、風呂敷でした。
書類が多くて普通の鞄には納まりきれないので、おのずと風呂敷になります。

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