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2009年6月28日 (日)

歌仙『ややこ生る』ナオ折端句再々々

9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ    えめ・・・季戻りゆえ、ボツ。

seiko
少年ケニヤ。
かささぎはケニヤときいて、それしか思い出さない。笑
だけどとても大切なことかもしれない。テレビ草創期の懐かしい記憶。
ケニヤときいてまず浮かぶのが、まっくろな肌のどじんと、とらやライオンやらの猛獣と、探検隊であることは。こどもごころに、「ぼうけん」をゆめみた。

えめさん。付句なんどもありがとうございます。
十六夜の月につけて、

☆ わたあめヨーヨー八朔の夜

☆ 提灯燈り盆踊り舞ふ

さあここで、季語の問題がまたでました。

れぎおんの人気随想家だった調布市の町医者・川野蓼そう先生がお元気なころ、そういうときには月はでていないよ。と、科学的な理論で現実にはありえないらしい俳句の作品を糾弾なさったことが何度かあった。
で、かささぎもそういうふうに、季語でのいざよいとは陰暦8月16日の月のことで、また、八朔とは、陰暦8月朔日つまり1日のこと。ゆえに季戻りとなるため、これはいただけない。と、かたづけなければいけない。

以前、ベテラン俳人の横山康夫氏に請うて八女の連句文音に入って戴いたことがある。
そのとき、はじめて連句にふれた氏が最初にもらされたことは、季語をそんなに細かくいうのか。という慨嘆のことばでした。
おおまかに、秋だの冬だのではいけないのか。と。
しかし、連句式目での禁忌に季戻りというのが確かにある。
それは、秋を三句ばかりよんだあと、雑をはさんで夏にもどるのが悪いというのではさらさらない。それは季戻りとはいわない。そうではなくて、秋なら秋、春なら春が数句つづくなかでの季節の逆行、それを指すのです。

健吉の歳時記は四つの区分けを季節に設けている。初秋・中秋・晩秋。そして三秋。
そのとき横山康夫氏がおっしゃりたかったことは、日本はたてながの国で、よむ場所によっても旬がいろいろにあるのに、それでも歳時記に登録されている季節感を信じてそれをよむしかないのか。というようなことだったように思います。
もう忘れてしまったけど、まだ私も未熟で(いまも未熟者ですが、さらに未熟で)額面どおりに連句辞典まるのみで受け答えをしていたような。
それからでさえ十年ちかくたつのかな。
あんまりこまかなことをなるべくいうまい。
といつもおもうのに、やはり、伝えなければいけないことは伝えなければいけないのだろう。

盆踊り。
季語「盆」、「盆踊り」。
俳諧で単に「踊り」といったらこれのことですが、むかしは秋の扱いだったのに、いまは陽暦歳時記が出て、夏の季語に登録されている。以来、ひどく混在している。
だけども本来は陰暦7月15日の夜でありますので、陽暦だと8月15日ころは初秋、季節がもどります。
新暦だけで処理したという意味ではがさつな、だけどおもしろいウイキペディアをはりつけ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%86%E8%B8%8A%E3%82%8A

えめさん。勉強になるまちがいをしてくださって、感謝いたします。

さ、それでは、またもういちど。笑

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コメント

おはようございます
ありがとうございます。なるほど~、勉強になります☆
盆踊り>>私が見たものは昔の歳時記だったのですね。
八朔>>しかも、盆踊りのあとの行事なので勝手に調べもせずです(^_^;)
今日は夫が出かけたので一人で映画にでも行こうかと思っているところです

むかしの歳時記がいいとおもいます。きっぱり。笑

 お久しぶりでござんす、季語の問題が出てきたので一言と思って。旧暦(それも時代によって微妙に違い、江戸時代の暦は、正確には太陰太陽暦)と新暦(太陽暦)の違いによる季節感のズレ、現実を取るか過去の形式を取るか、このややこしさや矛盾、これこそ私が定型「句」の世界になじめない大きな理由の1つです。
 新暦にしろ旧暦にしろ、どっちみち盆はクソ暑い時期、それなのになぜ秋の季語でなければならないのか。七夕も同じ。旧暦では9月以降になるというならまだ話はわかるが。さっきパソコンで調べたら、葵は、単独では季語にならないと書いてあったけどどうなんだろう?歳時記によって違うのか??あー、ややこし、ややこしで「ややこし生まる」になってしもた。
 ついでに、「ケニヤ」と「ケニア」も、「ギリシア」と「ギリシャ」も、「ルーズベルト」「ローズベルト」「ローズヴェルト」も、どっちでもいいんです。中学の歴史教科書には「リャオトン半島」と書いてあるが高校の日本史教科書には「遼東半島」と書いてある。地図帳には中国の地名を全部カタカナで書いてあるが、シャンハイなどほとんどの地名は共通語読みなのに、ペキン・ナンキンは(おそらく)広東語読み、ホンコンは広東語読みが更に英語化した読み方と、バラバラ。私見だが中国語の地名・人名は原則的に漢字で表記して欲しい(できれば韓国・朝鮮についても)、特に中国語については、漢字でないとイメージつかめないし、カタカナ読みで言っても、発音やアクセントが違うからどうせ中国人には理解してもらえない。更に蛇足だが、元・明・清の日本での読み方、これも全く無原則的~これは慣習として定着してるから今さら仕方ないが。ま、「あいまいな日本の私」たちだから、これでいいのか。
 ありゃりゃ、一言が十言ぐらいになった、「少年ケニヤ」のこともいろいろ言いたかったのに。そもそもは新聞小説から始まって、その後漫画化、しかし私ら(同じ世代にかたせとってください)が知ってるのはテレビドラマでしょう。「ナショナル・キッド」の後番組で、谷隼人が少しだけ出演していたらしい。「アッサムのおじさん」というのも出てきて、小5か中1の時に地理で「アッサム地方」というのが出てきた時すぐ覚えてしまった。もっともこれはインドの地名なのでケニヤとは何の関係もなかったが。
 以上、長々グダグダと、どーもすいません。

ほへ。
ろいりーさん。いきてござったとですね。
ちょうど、渡りに船。
いま、九州俳句誌の俳句を読んでいたのですが、そのなかに一人、蜂の巣城のことを書いておられる奇特なかたがおられました。わたしは、おもわず、おお。やはり九州俳句は九州俳句だなあ!!と感動してしまいました。
じぶんが入ったばかりのころ、今から十五年ほど前になるのだろうか。には、まだ穴井太師も健在で、どことなく野武士的なというか、野蛮なというか、九州の山奥の土着民原住民的パワーひしめく論調がひっぱっていた。社会問題を論じても精彩を放っていた。
時代が瞬く間に老朽化し、はいじんのつぶがちいさく、守りに入った、という気がします。
おれはそういうのがいやなんであります。とってもとってもいやなんでありまするよ。やっぱ、うんとほねぶとの九州俳句でなきゃいかんちおもうとです。うおーっておたけびをあげるくらいに!
そのためには、まず論をたて、深く深く地に血にもぐりこみ、しこうしてのちに、あらたな地平をめざさにゃいかんちおもうとですけん。

で。
なにがいいたいか。
ここで、この場で、あらたな「九州像」を模索しようとおもっています。
そのためにはろいりさんもおってよ。
俳句やら連句やらは、どうでもよかとです。いえ、どうでもよくはないけど二次的なものですから。
ただ輪のなかにおってください。
いてくれたら、とても助かる。その妙に人の知らない視野の専門知識の量に、敬意をはらうものです。
以上。

雪しろ湖蜂ノ巣城の史(ふみ)眩し
木地師部落谷に忘られ雉子翔つ
一語にて送る海境(うなさか)かぎろへり
春浅し露地の蔵町麹の香
はらからと棚湯の夕べ梅かたし
      日田  角倉 洋子

ただいま~。 今映画劇場から帰ってきました。
ぺねろぺくるすさんはやっぱりただものではありませんでした
季語や歳時記って奥が深そうですね。
本を持たないのでネットで調べてチエックしてましたが、1冊おすすめがあれば教えてくださいませ^^

これまでは迷わず山本健吉の文藝春秋から出ているポケット版の「季寄せ」をお勧めしていました。
二冊で2000円くらい。
だけど、最近はこうおもいます。
お店にいって、そこにあるものをたまたま買うべし。
自分は最初にかったのは、そこの積文館にあったあまり有名ではないがっこのせんせいみたいな方の歳時記でした。それ、お役に立ちました。例句と運命の出会いがあったという意味で。

ぺねろぺさんの、あれみました。南米のどっかの街で料理人するの。

歳時記、連句用の『十七季』もあります。
でも最初に買うのは、ふつうの歳時記がいいです。
例句が充実したものがいいです。
歳時記って総合句集だったんだな。

エメさん。
わたしは、この山本さんのを使っています。
最初に買った角川書店醗酵の俳句歳時記は事例俳句がたくさん載っているのはいいのですが、春夏秋冬でしか季語が区分けされていませんでした。

初春、三春、晩春などの区分けがされていること、50音での索引がついていること、コンパクトサイズであること、手ごろな値段であること、などなどから、山本健吉さんの「季寄せ」はオススメであろうと思います。

あら、発行が醗酵に。笑

おはようございます
みなさんありがとうございます。
本屋さんをのぞいてこようと思います。

エメさん、わたしはマンガ倉庫で買った明治書院発行のを使っております。¥525でした。古本屋を5軒ぐらい回りましたが他はどこもなかった。
ちなみに、らんさんは¥5000ぐらいする立派なものをお持ちです。ハンディタイプにはない、いろいろな事が書いてあり、やはり値段がとはあるようです。

みなさんありがとうございます。
そっか~、、古本屋って手もありですね。
そっちも覗いてみますね♪

数日は降りそうですね~

ただいま。
らんちゃんの歳時記はそれぞれの季節ごとに一冊ですから、とっても詳しいし、例句がすばらしい。
あと、沢都(さわ・みやこ)さんの歳時記もうらやましい、大判のカラー写真がたくさん入ったまるで図鑑みたいな歳時記。角川の一万以上するの。詳しくて解りやすいですが、難は持ち運びに不便。
かささぎは涙のびんぼう症なので、一冊が四千円以上したら買えないたち(笑)、でも歳時記は一冊では満足できずに買い足し買い足ししてきた。
いま手元にあるのは健吉季寄せ、角川合本俳句歳時記、むかしの復刻版歳時記の俳諧歳時記栞草上下巻。それと十七季。
蝸牛社の歳時記と、いちばん最初にかって十年ほど愛用した歳時記は、人さまにあげたみたいでありません。
あれらもとてもよかった。例句がそれぞれ個性的で。
いえることは、どれを買ったとしても、歳時記ってとってもすばらしい!宝です。

わすれてた。
虚子のホトトギス大歳時記というポケット版のもあった。どっかいった。これは伝統俳句の保守本流。

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