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2009年6月12日 (金)

捌きという権力  転じとは?

ばどさんの句に勝手に手をいれた揚句、ばどさんの名前を冠して何もはじない。
そう思われても仕方ありません。

乙四郎にいま、真正面から問われたことを、実はわたし自身も今日一日中考えておりました。
いくらなんでも、「乱暴な」。
いくらなんでもめちゃくちゃな裁断、そして貼り付け。
できあがった句はまるで元句とは異なる。
たとえ使われている言葉がばどさんの句にあったものだとしても、です。
ことに、説明書きのところで、まるでその痛みに配慮を払わず、さもことばを機械の部品であるかのように、切り取ったり、貼り付けたりしたことを、とっても不愉快に、自分でも、おもいました。あとで「吐き気」がしてきたほどにです。

ばどさん。ごめんなさい。そのときは、その作業をしているときには、なんの思いもなく、無心でした。ところが、あとで文章をなんども読み返すうち、ことばがこころを裏切り始めるような気がしてきました。
それは、ばどさんの、こころのいたみのように、かささぎのこころに突き刺さり、仕事中も運転中もずうっと「ひどいことをしてしまった」と内側にくいこむ釘となって、ちくちくと刺しました。

かささぎはこれまで、たいした疑問もなく、さばきというリーダーの指し示すほうへことばもからだも預けてきた。連句とは衆の文芸とはそういうものだと思っていました。
自分に鑑識眼や批評眼ができるまでは、それは当然だと思っていた。

私は、前田圭衛子師について連句を学んできたのですが、先生は一直なさるとき、必ず丁寧な説明をなさいました。そして、ほぼ、その作品は手をいれる前よりもいい作品になった。
たとえば、何度かここでも書いたことですが、最初の座で前田師はわたしの出した百韻の匂いの花(最後の折の花、揚句の前の)二句を、今日わたしがやったように二つの句から部品だけを取り出してはり合せ、そして新しい花句として提供するという荒業をなさいました。

記憶では、かささぎの元句は、

花の下みな一斉に咀嚼音
二町分の花一斉にはららいで

というような、ごくふつうの句でした。
それが、

ニ町分の花一斉に咀嚼音

と一直、というよりパッチワークされ、驚くような新鮮な句になった。

けれども、わたしは前田師ではなく、ごくふつうのかささぎです。
何の魔力もないし、年齢もばどさんより下だし、あるいは、みんなと同じだし、ましてや前田師のように確固とした道がみえるわけではない。
それなのに、こんな横暴は決してやってはいけないのです。

ですが、かささぎは、あえてそうしたいとおもった。
じぶんのいいように進めたいとおもった。
それは、自分のさばきとしての未熟さを露呈しつつ、前にすすめば、(前にすすむというより、何度も戻っては進み、という作業になる)、さばきが、一体何を気にして、何を重んじ、なにを嫌がっているのか、何の躊躇もない立派な捌きより、むきだしで見えて判りやすいのではなかろうか。と思ったからにほかならない。

わたしは、乙四郎や、せいこさんやぼんや、たからさん、ばどさん、らんちゃん、そらんさん。みんなにさばきのできる人になってほしいと思います。
そうして、いつの日か、若い人たちに連句を伝えることができるようになってほしいと思った。

絵の教室があるとします。
ひとりの先生の指導のもと、ある一つの美意識が支配します。
それとおなじだとおもいます。

かささぎはこれまでに連句誌れぎおんで連句作品の「読み」を試みたことがあります。
そのとき、いちばん最初にとりあげた作品をいまも懐かしく、わすれることができないでいます。それは、紫薇の会(澁谷道主宰)の『一月の』という作品でした。

いま、手元にその原稿があればここに引用したいです。
それほど、その作品は、転じとは。ということについて、「?」を私に投げつけてくれたし、(というのも、おもて六句の三句ほどがずっとおなじ場所を詠んでいたから。おや。転じとは場所の移動ではないのか。と思ったことも含めて。)、作品から漂う気配がひどく私のたましいに作用して、「これはいったい、なんだろう」と思ったからです。

ばどさん。お辛いときに、まったく乱暴なことをして、いやな思いをさせてごめんなさい。

だけども、ことばは乱暴だったかもしれませんが、こころてきには、あながち的外れだったとは思わないのです。

ばどさんから昼にメールが届きました。
パソコンが使えないだけだ。心配いらない。
と書かれていました。
さては、またもや質入れか。と思ったのですが、ばどさんのことですから、また一発逆転で買戻しされるのでしょう。・・・そうねがっております。

さいいごに、乙四郎。
みんながいいづらいことを言ってくれて、ありがとう。
あなたが聞いてくれなければ、わたしは不眠症になるところでした。



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コメント

春の句

1  田螺ふみ蹴散らしていく溝さらえ(田螺が春で、溝さらえは夏)こんな句はだめなの?
2  逃水の揺れだすま白き午後3時

皆忘れんでね。

間が空きすぎて、ボーっとナットる。2の句もだめじゃん。やりなおし。

なんだ。わかっとるやん。
2はぼんがこれまでかかなかった世界なのに、午後三時で前句とおんなじ。このどあほう。
労働の句はでていたよ。初おもての折端。田の畔豆をさむしろにいれ。前句となんとなくあわないよ。
ほんとはここ、せいこさんがいいんだろうね。ちょっと待ちませんか。杉浦先生も忙しそうで声かける隙がない。おつしろうはどうなんだろう。たからさん、えめさん、さくらさんは。ろいりさんも一句くらいはつきあってくれてもばちはあたるまいに。
どなたか出してくださんせ。
そらんさんも、だいぶ作りたいだろうなっておもった。(これ、希望的観測です)

ようやく、平常生活に戻れそうですが、桃が例年よりずっと早く収穫できそうで、明日から収穫作業が始まりそうじゃ。自慢ではないが、ほんま、多忙の日々。付け句。まずは今宵、このブログをじっくり読んで、どこまで進んでるのか確認してからね。では、また。

よかった。ありがと。
ももも。なしがねえ。
梨。温暖化であまり実がついてないそうです。

せいこのその忙しさはありがたいんじゃろね。
あかんぼうがいなくなるって、どんなにさみしいことか。
あたしゃ聖子ブログでめいちゃんのおかおみて、しょうこのかおおもいだして、ないたよ。

付け句

春の長句
 1、ひこばゆるわれかと思ふ背なに稚児
 2、野遊びの児らにつばさが生えてゐる
 3、静まらぬ鼓動に森の百千鳥

前後のさわりを無視。
一直を期待しつつ。
ねむい。

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