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2009年6月10日 (水)

「花も紅葉も」  定家の否定の花

花句でおろおろしていたおかげで、めぐりあいました。

これと。

見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮       藤原定家

初裏の花の定座に春の正花がない巻をさがしていました。
そうしたら『炭俵』に二つありました。
あとのほうの一巻がこの歌に関係しています。
函館の杉浦古典研究室ブログにすこし書きました。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20090604/1244126999#comment

で、かささぎはちょうど、数日前あべしげさんのブログで定家を読んでいました。

定家の 「国宝 熊野御幸記」(三井記念美術館・明月記研究会共編、八木書店 8500円+税)の熊本日日新聞書評。
http://facta.co.jp/blog/archives/20090526000866.html

この時代、後鳥羽院の時代です。
定家がいて、法然がいて親鸞がいて小侍従がいて行空がいて。
よみたいなあ!高いけど。以前の自分なら迷わず買っていた。

見渡せば花ももみぢもなかりけり。

こう書かれたら、すぐにまなうらに春爛漫の花がうかび、秋湖に映る真っ赤な紅葉が浮かぶ。
「なかりけり」と否定される事で現前する不思議。
このことを、塚本邦雄はこのように書きました。

以下、『新古今新考ー断崖の美学』(花曜社刊・塚本邦雄著)より引用。

藤原定家という人はそんな単純な歌人ではありません。
恐ろしいたくらみに満ちた、老獪を通り越して狡くいやらしいといってもいいくらいの技巧を持った歌人です。
余談になりますけれども、彼がそういう点でいかに老獪であるか、『近代秀歌』や『詠歌大概』を読めば一目瞭然です。
『近代秀歌』は、源実朝が十七、八歳の時に頼まれておくった、歌を詠むための秘訣の本ですが、これにはこういう歌は作ってはいけない、こういう言葉を使ってはいけないといったことが書かれています。
『新古今和歌集』には、「秋の夕暮」と言うかわりに「夕暮の秋」であるとか、「空の横雲」と言うかわりに「横雲の空」という倒置法ー後にいうべき言葉を先に言って、特に注意を喚起する、と言う詠み方がいくつもでてきます。

定家はそうした倒置法を盛んに用いています。
ところが、定家の歌論書では、「秋の夕暮」と言えばいいのにわざわざ「夕暮の秋」と言うのは、邪道であって馬鹿々々しいというようなことを、とうとうと述べています。
しかも、その舌の根の乾かぬうちに、自分ではとくとくとそれをやっています。
自分でやっておきながら、人には止めさせている。逆に言いますと、私のような名人以上の者はやってもいいけれど、お前のような初心者はやってはいけないのだということの裏返しです。それくらいの深読みをした上で、この「見渡せば・・」も読まなくてはならない。

「花も紅葉もなかりけり」というのは、華やかなものは何もない、艶なるものは何もないという否定です。
でも、どうでしょうか。
「花も紅葉も」という言葉が口から出たら、それを受けとめた読者は、「なかりけり」と打ち消されたところで、絶対にもとの虚無の世界には帰れない。
打ち消されたことによって、白々と咲きかすんだ桜の花と、血のような紅葉の色は、打ち消さなかった以前よりも、言わなかった以前よりも、遥かに鮮やかに目に立つではありませんか。
花が咲いている、紅葉が映えていると言った時には、さして印象に残らない事物が、「なかりけり」と打ち消したことによって、鮮やかにひき立ってくる。

これは少し違いますが、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という在原業平の歌を、私は非常にたくらみのある面白い歌であると思います。
貫之は『古今和歌集』の序で、業平のことを漫罵に近い言葉で、言葉が足りないというふうに言っていますが、「世の中に絶えて桜のなかりせば・・・」という傑作を読んでいますと、逆だと思うのです。
もしもこの世の中に桜というものがなかったら、どんなに春はのどかであろうという、これは勿論逆説です。
逆説ですけれども、明らかに無いものねだりです。
恐らく定家は無いものねだりの打ち消しの例のあまたを心に置いて、打ち消すことによってなくならずに、打ち消さなかった前よりも更に激しく濃く心に甦ってくる効果を十二分に計算して、こういう歌を詠んだ。
だからこそ、「なかりけり」という三句切れに一応の断絶をみる効果も、他の三句切れとは遥かに意味のあるものになっている。
しかも、「浦の
苫屋の秋の夕暮」という何の変哲もない、決まり文句=常套手段と言ってもいいような下の句をおいたのも、効果を充分計算に入れての上だと分ります。

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コメント

おまたせいたしました。彦山よりいただきました。

1  花の宴舞うその姿心有る
2  花の雲流れ流れてどこの空

私がダミーで書こうとしましたが、自分で考えると言って書いてくれました。

花の雲流れ流れてどこの空  八山彦山

これいただきます。
ありがとうございました。
前にもついてさっぱりとしたいい句です。
水にうつる川べりのさくらが流れ流れて。
さくらが雲で雲がさくらで。けれんみのない句です。
俳号はこれでいいのでしょうか。
はちやまひこさん。ってへんですがあじがあります。
さ。つぎはおりはしだけど。
ながれながれて、で、ばどさんおもいだしました。
いきてるだろか。ぱそこんもけいたいもぜんぶとめられているということも考えられる。


かささぎさま、本日seikoさんに無事お会いしました。
大変気さくな裁けた方で楽しゅうございました。

加えて来週は、利華さんが杉並公会堂にお見えになります。チケット買ってありますのでお会いすることになっとります。
それもこれもかささぎさんの取り持つご縁でございます。
ほんとにありがとうございました。


さくらさん、せいこさんがおせわになりました。笑
あこがれのジブリにいけて、さくらさんにもあえてきっと本望でしょう。みやげ話をたのしみにききます。
さくらさん、アストロリコのりかさんのコンサート、これで二回目ですね。どうぞよろしくお伝えくださいませ。
りかさんて人もとってもふしぎな人です。

彦山の俳号、きっと文句言うと思います。今日帰ってきてから、聞いてみます。
わたしとしては
仕舞舞造(しまいまうぞう)が良いとおもうけど、これもぼつだな。

俳号ってかんがえているとおもしろいね。
たいくつしないものね。
ひこさんはなんでひこさんなんだろう。
ぼんがつけたのですよ。彦山とはでますが、ひこ、だけでは漢字になれないね。変換不能。山彦ならでてきますが。
私も最初に俳号をつけておけばよかった。
せいこさんみたいなことをいまごろおもいます。笑

今日杉並公会堂行って利華さんのコンサートのパンフレットもらってきました。
わたしはタンゴは嫌いじゃないけど特に好きでもなかったのです。
でも利華さんの演奏聴いて断然好きになりました。
利華さんの解説だとタンゴは男前の音楽だと。
潔くて日本の武士道精神にも通じる音楽なんだって。(こんな風な表現だったかな?)
そこが利華さんの性格にぴったりで、利華さんが司会をなさるんだけどトークもユーモアたっぷりですごく面白いんです。
利華さんは以前宝塚劇場でも演奏してらしたんだけどタンゴがメインになられたのはわかるような気がします。
舞台以外ではすっぴんでけろりとしていらっしゃる。
そんな方です。

seikoさん、もう博多空港に降りて八女に向かわれていると思います。
無事の到着を祈ります。

こんばんわ
ひこさん、彦山、八山彦山、素敵です☆
なんか高い峰の続く連峰を想像させますね。
福岡の英彦山は、ひこさんと呼びますが、英の字を読まないのはどうしてでしょうね?
先日車で通ったときに英彦山を眺めました。
標高が高くてすばらしい山でした(余談ですが^^)
seikoさん、さくらさん、無事にお会いになれてよかったですね

夕食の準備はできたのに、あら。ごはんがない。

おなかすいた。まだできませーん。

彦山の英の字、なんとなくこころのなかでよみますよね。「えひこさん」てよんでる。くないとのくといっしょで黙字かいなね。
ぼんちのごしゅじん、ひこさんて号も号なんだけど、それよか「八山」がめずらしかとです。ややまじゃないの、はちやまだよ!やまがはちまきしめとる。

↑すみません最後の絵文字、間違えちゃいました。。

ただいま。
彦山は「八山彦山」でいいそうです。

アストロリカさん  まだお名前しか知りません。一度聞いてみたいです。

これ。ちがうでしょ。
あすとろりか。じゃなくて、明日瀞りこ。
オルケスタ・アストロリコ。
みんなでききにいきたいね。

追伸:
ひこさんは八山彦山でよいのですね。
ほかにないでしょう。あれ以上の命名。
一度みたら忘れないです。
字のかたち、山のりふれいん。
のんびら~っとして、だだびろ~くて、悠長ななかにも、由緒ただしきたたずまいが感じられます。千年万年かわらぬ山の形。八山彦山。

かささぎさま。
おはようございます。

東京を闊歩してきました。
脚のつりそうになるくらいまで。笑
東京人ってみんな健脚だよ。脚には自信があったんですが、まあ、よう歩いたわ。
さくらさん、おだやかな面差しの気さくな方でした。その上、若くてお美しかった。皺だって少ないし。私のほうがおばさんだった。

今回の東京行きは計らずも、思ったよりもずっとずっと緑が多いという東京の一面を充分に味わうことのできた旅でした。

んー!

ごめんね、アストロリコさんでしたね。
タンゴは社交ダンス習っていた時、2~3時間練習しました。(後はやめたのか他のを踊っていたのか記憶にない。)その時下腹が出ている、と注意をされたのだけをおぼえています、ははは・・・

どこかで、後鳥羽院についてもっと長い文章を書いていたと思うので、探していますが、わかりません。かいたとおもうのですが・・・

おなつかし。
彦山からはじまっていますね、この段のコメント。
昼のニュースで彦山の珍しい花をみました。
むらさきのどこか彼岸花にも似た花。なまえはきれいにわすれました。
いえ、それが、なぜここを今開いてるかといえば。
数日前れぎおんが届き、(夏号)、やっと今ひらき、亜の会作品が載っていないのはさびしいなあ。と思いつつ、(それはかささぎの手が回らなかったからで、つまり自分に全責任があり、仕方ないことなんですが)ぱらぱらと読んでいたら、
杉作先生の巻頭論文の方丈記覚書で、定家のこの歌のことがあちこちの多彩な読みの紹介とともに出ている。前号でそれについて書かれていたらしい。そんで反響が大きかったらしい。
かささぎ、もうしわけないが、よんでいません。

そうか、アクセス解析してると、なぜかここが、よまれていますので、なんでかなあと思っていたけど、杉山先生の論文で、もりあがっていたようなんですね。あごめん、杉浦先生でした。もう、すぐごちゃごちゃになる、スギサク先生と、杉山おんじいとは別でしょ。しっかりしてよね、かささぎどん。アリセプトわたしがのむべき?
時間が許せば、転載したいけど、めっちゃ長いので、くじける。後鳥羽院の後胤かもしれぬイエが星野には続いているようですし、興味あるひとも多いかなあとはおもうのですよね。
れぎおん夏号は東北大震災で力はいっています。
それなのに、亜の会のみなさま。ごめんなさい。
秋号には参加致す所存です。

国語缶というところ↓にこのページをブックマークしていただいてるみたいで、恐れ多いことです。といいましても、かささぎが書いたものではなくて、偉大なる先覚者の考察文の引用ですから、さもありなん。
これについては、函館の杉浦清志教授もなにか研究なさっておられるらしくて、れぎおんに文章をかいておられるようです。でも、まだよんでない。かおむけできませぬ。・・そんなら、はようよみなされ。
いやだよ!いまからガッキーたんの「恋空」みるっちゃん。(半額セールで60円で借りてきた。)

いま、アクセスをみているのですが、今日こちらへ別々の人が数人おみえです。なにがあったのでしょう・・・?もみじ刈りの季節だからかな。

↑の理由がわかりました。
11月1日は古典の日だったそうです。はあ・・・

検索サイト Yahoo  検索ワード 見渡せば花も紅葉も


7位

よく読まれていますね
皆様の文章のパッチワークでございます

検索サイト Yahoo  検索ワード 見渡せば 花も紅葉も

8位

季節にかかわらずよく読まれています。
淋しい歌なのにね。
マッチ売りの少女みたいな。

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