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2009年6月27日 (土)

次男と博多のおねいちゃんに会う。

娘の働く病院は経営者がかわり労働環境が厳しくなったそうで、電話でブーイングを聞かされるようになりました。
有給がなくなった。無給で時間外労働をさせられる。
住宅手当がなくなり、お給料が安くなった、早出の四時おきがとってもきつい。・・うんぬん。

それで、お昼をいっしょにたべようと次男を連れて会いに行きました。
小郡のとある駐車場にただで車をとめさせてもらって、西鉄電車で。

まちあわせたのは、写真イムズビル前。
13階にある「野の葡萄」で野菜料理のバイキングをたべました。
http://www2.coara.or.jp/cgi-bin/demo/read2.pl?fid=02&kid=110000&sno=0996

娘は調理師ですので、味にもうるさいしこういう情報が速い。
11時オープンですが、20分前ころから列が出来始めます。
おばさまがたやむすめさんにすごい人気。

夏野菜のいろんな料理がたのしめました。
んが、ムスコはといえば。
お皿をもってうろうろしていましたが、盛ってきたのをみたら、あれー。
カレーとやきそばと、からあげみたいな肉と、そんだけ。兄と違って小食。
姉から「もとがぜんぜんとれてないじゃん」といわれて渋い顔。
野菜嫌いに野菜料理バイキングは禁欲を迫るものでしかなかったみたい。
野菜は一片の胡瓜さえよりわけて箸をつけようとしない、父親直伝の筋金入りの野菜嫌い。
みょうなとこだけ、なんでかよく似るよね、親子って。
顔、ニキビできてるし、姉が野菜をたべないからよ。と言ってましたが、まったく聞いてない。
おねいちゃんはこの弟に大甘で、かわいくって仕方なく、ポロシャツとかブランドのぜいたくなスニーカーとかを又今回も買い与えていました。

むすめよ、もうしばらくがまんしたら。と言っておいた。
母には今のそういう経営上の厳しさは当然だという気がする。
給食が委託方式にならないだけ、ましなほうじゃないのかな。
毎月のお給料をちゃんと遅延なしで支払うってことが、どんだけ大変なことなのか、かあさんはこのごろよくわかります。

そういうはなしをして、私たちは三越の二階にあるGAP(アメカジのお店)と新天町のZAZAをひやかし、一方の洒落むすこはどこか見たい店へ行き、娘はすっきりした顔で、自転車で博多まで帰っていった。

娘は結局、三人姉弟のなかでは一番堅実だと母は思うのです。




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コメント

めずらしく「かあちゃん」してますね。いいこ、いいこ。
息子さん、そんなに野菜だめなんですか?困ったもんだ。我が家も似たようなものだったけど、食べられるものの数がだんだん増えてきたのは、高校生になってからだった。
今はほとんどのものが食べられるけど、家では「なすび」をぜったいたべない。ピーマンは大好きなのに。変わってるやろ?

>おねいちゃんはこの弟に大甘で、かわいくって仕方なく、

よくわかる。
歳が離れてるとねえ、いくつになってもかわいくて、ついつい甘やかしてしまうんだよ。わたしと実家の跡をついでいる末っ子のおとーとは九歳違い。今でも「ちゃんづけ」で呼んでいる。あいつをいちばん甘やかしたのは両親ではなく、姉である、このわたしなのかも知れないなあ。

うん。
うまれかわり。という思想があって、いま、自分の身近にいる魂たちは、先の世でも後の世でもまた近くにいる。とするのでありまするが、それでいくと、たぶんきょうだいは、おやよりもちかいのではなかろうか。とおもうときが、あるよ。

ぼん。
ぼんが原爆忌にだしていた地蔵盆の句はいい。
さりげなくて思いがふかくて。
いつか書いたことがあるけど、ここらへんは地蔵盆の風習は廃れていた。まずおじぞうさんがいない。
桜島にいったとき、音ひこさんが言ってたことだけど、地蔵信仰は14世紀に最盛期を迎えたそうな。久留米にはあった。ということなんでしょう。私もいつか川柳作家の墨作二郎先生の「点鐘」評に関して地蔵盆の句についてなにやらぎっしり書いたきおくがある。さがしてみるね。やまかさがもう始まるけど、それが終わって、しばらくしてある。おそらくは都市のまつり。はやりやまいでなくなった霊をしずめるとか。そういうこともあったろう。伝染病。夏だから。

スミサクさんの原風景ー地蔵盆

カルガモの写真本、生きていくのは誰でも大変ってことを言いたかったんです。
みんな大変です。

私も零細企業でずーっと給料払う立場だったし、同業仲間たちはほとんどつぶれどこ行ったかわからないような人たちがいるし、待遇のいいの悪いのの話は、払う立場でしか見られないんですよね。
もらう人は、少なくてももらったら完全に自分のもんだからその範囲で暮らせば生きられるけど、払う人の給料はいつなんどき会社に供出しなきゃならないかわからなくて、すべてゼロになるときがあるんですよね。
中小企業の社長ってそういう立場なのです。
会社の借金はすべて社長個人が保証人です。

さくらさん。
本は近々ご紹介いたします。
ところで、ほんとにすさまじいものですね。
だんだんわるくなってる。制度のせいだ。
年々まずしくなる制度。
ことばだけうつくしゅうて、ないじつはからっぽで。
それがいまのよのなか。
事務量の異常な増え方。ばかたれのあんぽんたんののうたりんのお役所めーって、おもう。

博多の娘から珍しく便りが来た。
やはりやめるみたい。
タイへいく話は本当でした。
ひと月だけど。

このころからやめたいと言っていたから、よくもった、とほめてあげるべきかもしれません。
きけば退職金は経営者が途中でかわった時点で、また振り出しにもどる式の計算をするそうです。
なにもかも、かわいそうねえ。えらかったよ。頑張った。

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