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2009年6月17日 (水)

『ややこ生る』 名残オモテ起句

山下整子、名残折たて句春の長句案

 1、ひこばゆるわれかと思ふ背なに稚児
 2、野遊びの児らにつばさが生えてゐる
 3、静まらぬ鼓動に森の百千鳥

 歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響(とよ)む  整子

選句

どれも一句としてみた場合すばらしく詩的な句です。
せいこは今とびきり多忙で、それなのに捌きはいささか不親切だった。
前の展開がどこにあるのか、わかりにくかった。ごめん。
ネットでやるときのネックがそれかもしれないですね。
「連句・連歌」カテゴリーを開けばこれまでのが出るようにしてます。
ということで。
森とか野原とか木々とか、そういったものから切れたい。
さばきは三句がらみ、四句がらみをおそれている。
bud前句は、かげろうのようなゆらゆらしているものにも芯があるのだ。
という強い主張がどこかにある。
だけど、読み方次第で、「陽炎の」の「の」は主格として働きそう。
かげろうが自分の心を犯しだしている。とも。

そこで、折がかわる。
序破急の急にさしかかる。

名詞止が三句続いているのが気になるので、動詞でとめます。
名詞どめはそこで終わる場合は余韻をのこすけど、ずっと続くと安定したかんじをもたらすから。
森を消します。
百千鳥は春の野原や森などに来るたくさんの小鳥。
場所を限定すれば、初折裏10句からの流れに戻る。

とよむ。ということばをハタと思いつく。雅語か。
どよむともいいますが、にごらないトヨム。きれい。

一句が暗喩として働き出す。
胸のなかに百千鳥がいる。

で、つぎです。

まちがいなく、恋句でしょう。

短句、季語はいらないです。

全員にだしてもらいたい。
いそがしい人ほど傑作がかける。かいてね。

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コメント

よみかえして、およよ!
発句にほととぎす、いましたねえ。
ここのたてくにまた鳥。遠輪廻。
だけどもさ。いいじゃござんせんか。
これはこれですばらしい。笑

付け句案

1  見上ぐる空はきょうも和らぎ

2  方言ばかりで伝わらぬ恋

3  アルバム出して写真選んで

こんにちは。今日は熱中症注意ですって!
でも今から草取りにはげみます^^♪

短句で恋句

☆ 改札口でさよならをいふ

☆ 煙草の匂いえりあしのコロン

☆ 小粋な柄のハンカチあげる

1 日記の記憶滲みしとこほど
2 追っているのか逃げているのか
3 山のあなたに行ってみやうか

ちょっと待った!
>百千鳥は春の野原や森などに来るたくさんの小鳥。
そりゃそうかもしれんばってん、百千は鳥にかかる数詞である以上に、「百千鳥」の語のかたまりに雅なイメージが凝縮されています。
ここ( http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/155.html )に百千鳥の解説がありました。
「温和な気候の中、様々な小鳥たちが集まって鳴き交わす、そんな春の喜びを総して言い表わしたものが、百千鳥という 言葉なのです。季語の面白いところは、こういう曖昧なもの、具体的には何やら判らないものでもしっかりと伝えてきたことです。これ、とはっきり定められ なくても、何となくこういう感じだよという抽象的な感覚、感性を大切にしているんですね。」
こういう雅な語のかたまりのリズムが分断されるのは失うものが大きすぎるような気がいたします。
原作者は
>一直を期待しつつ。
とのことでしたが、期待を裏切ってはいませぬか?

ところで、この、
>一直を期待しつつ。
ですが、ブログやってるとブログ体に毒されるのと同じく、自分でも、しばしば一直を期待しつつ投句してしまうことに違和感を覚えなくなってきています。連句習慣に毒されてしまっています。
他の文芸だと、発表の段階では真剣勝負で、手直しを前提に発表してしまうことなどまずありません。
きわめて危険に思う恭子のゴロ、もとい、今日このごろ。

これも百千鳥。
   ↓

すみませんが、一直とはなんですか?
ヤフー辞書で見てみましたが、難しすぎてあまりよくわかりませんでしたので・・・

乙さん。
基本的に↓この意見にまったく同感なのです。当初、連句に馴染めなかった最大の理由がこれでした。
>これが「多直」になると、自分の作品であれ他人の作品であれ、原作者の署名が添えられるのにすごい抵抗を覚えるのですが、皆様方の素直な感覚を教えていただければと思います。
自分にとって、連句という文芸の最も大きな壁がここにあり、深入りすればするほど避けがたい課題として立ちはだかってきています

これは痛いほど分かる。
とくに自分の作品が大幅に変わって、たしかに作品の質としては良くはなったとしても、それはすでにおのれの作品ではありえないわけで、心情的に。そこにおのれの名が添えられるのは耐え難い屈辱でもある。苦痛ではなく、屈辱なわけ。

今回は乙さんのあのコメントを意識してこの「一直を期待しつつ」を書き添えた。あのとき、書きたいことが山ほどあったが、あえてスルーさせていただいた。この話題は炎上するかも知れん(笑)と思ったのと、個人的に日程が詰まりすぎていて、後をきちんと読める自信がなかったんで。

連句を始めたばかりの頃馴染めなかった一直をクリアしたのは、連句が個個の作品ではないという視点。共同責任における共同作品である。そう思ったら、一直も気にならんごとなった。どうぞ、お好きに、と。でも、多直及び句のイメージが全面的に変わってしまうのは、さすがに今も抵抗がある。どうしても受け入れがたし。で、そのときは、「じゃあ、練り直させて」といえばいいこと。

ただ、乙さんが言うように、これに慣れきってしまったら、これはきわめて危険。それは、連衆のひとりとして、また短歌人として、重々肝に銘じておきたいと改めて自省するところです。ただ、短歌(もちろん、俳句も)はだ~~れも手直しなんてしてくれんけどね。

ひー
昨日からがば暑いね
警備報告書を整理中はたとひらめきました
六角堂の近くに六つ門があるのでした
このことは六地蔵さんとも関係ある
十三世紀くらいからの地名としたら面白いのに

百道浜 千代町 御供所町
博多の地名はみやびだなあ

エメラルドさま
かささぎの写真転載できないとです
技術的にムリ
それと
コロンも ハンカチも夏の季語じゃないかな 確認願います

そうでしたか。 
マイピクチャーに保存して、サイズを変えるといいかなと思いましたが。。
もっと小さいサイズで送りましょうか?
ハンカチ、コロン、、夏の季語ですね。
俳句のときに使おうと思います。

暑い一日でしたね。
短句で恋句>再び作りましたので、、。

☆ 午睡から醒め夢で会ふひと

☆ 別れの手紙燃して目に滲む

☆ 熱い砂から駆けだす二人 (季節をイメージさせるのはダメと?)

たけばしおつしろう。
いつもいたいところを衝いてきますねえ。いやなやつ。

おっしゃるとおりです。百千鳥を句またがりで分断してしまったら、リズム的にはごろごろとして、ちっとも優雅ではない。

なぜそこまでして「森の」をとってしまったのでしょうか。
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

1静まらぬ鼓動に街の百千鳥  整子

野辺の春川。花の雲。ここから切れたかった。
百千鳥はそれ単体で用いたとしても、イメージのなかには森や木陰がありますので、「根を断つ」ことはむずかしい。いっそ、街の森というほどの意味で、上記のようにしますか。せいこさんおつさん。いかが。
連句は変化がいのちですので、三句四句とおなじような場所でよんではいけない、そのために、自他場などの分類があったり、ことばひとつずつのカテゴリ-分類があります。

うわーん。英語のしくだい、するひまがなくなった。ごはんもつくらんといかん。

えめさん。連句用語、いろいろむずかしくて、わっからん!ですよね。どこにものってないですか。
いっちょくは、もじどおり、一部分にさわりがあるとか語呂がわるいなどの理由でさばきによって手をいれられることをさします。
句、なんども出してくださってありがとうございます。

いつもおもうのです、転じってたぶん、場所の移動などではないのではないかと。(先日引用した澁谷道捌の歌仙が見本。)ですが、初心のうちはともかく判りやすい、場を転じるというふうに捉えていいとおもう。すこしずつ、わからないところ、ことばにはできないぶぶん、いろいろ、いろいろ、じぶんでわかっていきます。すべては経験あるのみ。
初心のうちにかんじることはだんだん形をかえていきますけれど、わかったとおもうことはあまりないですねえ。なぞはどんどんふかまってゆく。

先日澁谷道氏より、お便りをいただきましたなかに、こういうことばを見出し、わたしはたいへん感動しました。

「非懐紙(連句の形式の一つで一面しかない、橋かんせき創案の連句詩形式、ひめの注)のことはとても言葉では表せず、想うことは一杯ありますが、口にすると言葉は私を裏切るのです。芭蕉も間石師も連句論を自らは書き残さなかった本当の理由を師の齢に近づいたいま、解ってきた、と思います。」

※間石のカンは門がまえのなかは日ではなくて月です。

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