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2009年6月29日 (月)

ケニア滞在記  乙四郎国際協力編

2009 年 6 月 25 日 木曜日

本日(日本時間では昨日)、ケニアに入国しました。

ソウルとドバイの二つのハブ空港を経由しての到着です。

ソウルでは、日本からの便の搭乗者全員に詳細な質問票への記入が求められ、さらに、全員の体温が検査されました。

ドバイ空港では、世界中の人々が交差する超巨大空港であるにかかわらず、乗り換え客への検疫はありませんでした。韓国からの便だったからかもしれません。

ケニアでは、入国審査に並んでいるところへ検疫官がやってきて、

「日本人か? 日本人ならこれに記入しなさい」

と、質問票が渡されました。

<インフルエンザA H1N1 サーベイランス票>

と書かれた質問票で、自覚症状や滞在先について詳しく記入させられました。

また、入国後2週間以内に具合が悪くなったら受診医師に渡すべし、と書いた紙も

渡されました。

その紙には、この紙の所持者はインフルエンザ流行国から来ているので検体を国家インフルエンザセンターへ送るべし、と書いてあります。

ちょっと前の、日本へ入国したメキシコ人が味わったであろう気分の追体験です。

(乙四郎のケニア滞在記は、学長ブログをご覧下さい。)http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/category/international

↑クリックすると見ることが出来ます。これが第一回。

呂伊利さんの駆け足投稿から

お久しぶりでござんす、季語の問題が出てきたので一言と思って。

旧暦(それも時代によって微妙に違い、江戸時代の暦は、正確には太陰太陽暦)と新暦(太陽暦)の違いによる季節感のズレ、現実を取るか過去の形式を取るか、このややこしさや矛盾、これこそ私が定型「句」の世界になじめない大きな理由の1つです。

新暦にしろ旧暦にしろ、どっちみち盆はクソ暑い時期、それなのになぜ秋の季語でなければならないのか。七夕も同じ。
旧暦では9月以降になるというならまだ話はわかるが。
さっきパソコンで調べたら、葵は、単独では季語にならないと書いてあったけどどうなんだろう?歳時記によって違うのか??あー、ややこし、ややこしで「ややこし生まる」になってしもた。
ついでに、「ケニヤ」と「ケニア」も、「ギリシア」と「ギリシャ」も、「ルーズベルト」「ローズベルト」「ローズヴェルト」も、どっちでもいいんです。
中学の歴史教科書には「リャオトン半島」と書いてあるが高校の日本史教科書には「遼東半島」と書いてある。
地図帳には中国の地名を全部カタカナで書いてあるが、シャンハイなどほとんどの地名は共通語読みなのに、ペキン・ナンキンは(おそらく)広東語読み、ホンコンは広東語読みが更に英語化した読み方と、バラバラ。
私見だが中国語の地名・人名は原則的に漢字で表記して欲しい(できれば韓国・朝鮮についても)、特に中国語については、漢字でないとイメージつかめないし、カタカナ読みで言っても、発音やアクセントが違うからどうせ中国人には理解してもらえない。
更に蛇足だが、元・明・清の日本での読み方、これも全く無原則的~これは慣習として定着してるから今さら仕方ないが。
ま、「あいまいな日本の私」たちだから、これでいいのか。
 

ありゃりゃ、一言が十言ぐらいになった、「少年ケニヤ」のこともいろいろ言いたかったのに。そもそもは新聞小説から始まって、その後漫画化、しかし私ら(同じ世代にかたせとってください)が知ってるのはテレビドラマでしょう。
「ナショナル・キッド」の後番組で、谷隼人が少しだけ出演していたらしい。
「アッサムのおじさん」というのも出てきて、小5か中1の時に地理で「アッサム地方」というのが出てきた時すぐ覚えてしまった。もっともこれはインドの地名なのでケニヤとは何の関係もなかったが。
 以上、長々グダグダと、どーもすいません。

季戻り、てえげまんげ。

連句の季戻りのことで考えすぎてあたまが痛くなった。
ごくろうよね。

じぶんでもつくづくいやになった。
もうてえげまんげにしようよ。
そげーん悩まんちゃ。
いろいろあるし、杓子定規、やめた。

これを年の功というのかも。

9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ

えめさんのつけごころ:

なんで盆踊りが浮かんだかといいますと、
ケニアつながりです♪
マリンバ、筒の太鼓、木の笛、、じゃらんじゃらんの音楽の中でみんなで輪ぁ~になって踊るでしょう。
日本の踊りも昔は太鼓や三味線、木笛などなど、、なんか似てますよね。
そして大勢で踊るおどりはなぜか輪になって踊ります。炭坑節だって♪
で、盆踊りはの季語だと思ってしまったのでした(^_^;)

だそうです。

ところで。コメントにうもれてしまいましたが、確かにきのう、「ろいり」さんが一瞬よぎった。
それ、文書に保存しとこう。
乙四郎のケニヤ滞在記がほしいが、最近無口。
むずかしい仕事なんだろうかとかささぎは案じています。
去年も評価の仕事をしにいってたように記憶します。
評価。覚えていますか。英語で「evaluation」だったよね。
(威張るええション評価する、とおぼえよう。)
それはどういうことをするのでしょう。想像もつかない世界。

で、。

つぎは秋のたて句。ばどさんがだしてくださるといいけど。
パソコンがうまくいかないようですが。
匂いの花はろいりさん、出してくださいませんか。
なあに、花をいれればなんとかなりますから。

らんさんの白い稜線描く風。の上五ですが、
きのう朝、本人は「あなたなる」ということばを出してくれた。
ところが、うちこしに「むこうに」がある。
同じ意味ですものね。あなたなる。やまのあなあなあな。

ほつほつと。というオノマトペのあまり意味が鮮明ではないところが、いいのでは。とかささぎは思います。ほつほつ。
時々風が渡ると稜線がくっきりとシャープになる。そんなかんじです。

2009年6月28日 (日)

黒南風

黒南風

    西野いりひ

川で洗ふおちゃわんおしめ子のおしり
田まはりすれば懐かしきかな

たつぷりとみづを含める風黒し
田は渾身のみづあかりして

いささかの水仕残してねむりたる
母のなかなるみづを眩しむ

午前三時きまつてわれを起すもの
みそらのうへのみづのみなもと

歌仙『ややこ生る』ナオ折端句再々々

9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ    えめ・・・季戻りゆえ、ボツ。

seiko
少年ケニヤ。
かささぎはケニヤときいて、それしか思い出さない。笑
だけどとても大切なことかもしれない。テレビ草創期の懐かしい記憶。
ケニヤときいてまず浮かぶのが、まっくろな肌のどじんと、とらやライオンやらの猛獣と、探検隊であることは。こどもごころに、「ぼうけん」をゆめみた。

えめさん。付句なんどもありがとうございます。
十六夜の月につけて、

☆ わたあめヨーヨー八朔の夜

☆ 提灯燈り盆踊り舞ふ

さあここで、季語の問題がまたでました。

れぎおんの人気随想家だった調布市の町医者・川野蓼そう先生がお元気なころ、そういうときには月はでていないよ。と、科学的な理論で現実にはありえないらしい俳句の作品を糾弾なさったことが何度かあった。
で、かささぎもそういうふうに、季語でのいざよいとは陰暦8月16日の月のことで、また、八朔とは、陰暦8月朔日つまり1日のこと。ゆえに季戻りとなるため、これはいただけない。と、かたづけなければいけない。

以前、ベテラン俳人の横山康夫氏に請うて八女の連句文音に入って戴いたことがある。
そのとき、はじめて連句にふれた氏が最初にもらされたことは、季語をそんなに細かくいうのか。という慨嘆のことばでした。
おおまかに、秋だの冬だのではいけないのか。と。
しかし、連句式目での禁忌に季戻りというのが確かにある。
それは、秋を三句ばかりよんだあと、雑をはさんで夏にもどるのが悪いというのではさらさらない。それは季戻りとはいわない。そうではなくて、秋なら秋、春なら春が数句つづくなかでの季節の逆行、それを指すのです。

健吉の歳時記は四つの区分けを季節に設けている。初秋・中秋・晩秋。そして三秋。
そのとき横山康夫氏がおっしゃりたかったことは、日本はたてながの国で、よむ場所によっても旬がいろいろにあるのに、それでも歳時記に登録されている季節感を信じてそれをよむしかないのか。というようなことだったように思います。
もう忘れてしまったけど、まだ私も未熟で(いまも未熟者ですが、さらに未熟で)額面どおりに連句辞典まるのみで受け答えをしていたような。
それからでさえ十年ちかくたつのかな。
あんまりこまかなことをなるべくいうまい。
といつもおもうのに、やはり、伝えなければいけないことは伝えなければいけないのだろう。

盆踊り。
季語「盆」、「盆踊り」。
俳諧で単に「踊り」といったらこれのことですが、むかしは秋の扱いだったのに、いまは陽暦歳時記が出て、夏の季語に登録されている。以来、ひどく混在している。
だけども本来は陰暦7月15日の夜でありますので、陽暦だと8月15日ころは初秋、季節がもどります。
新暦だけで処理したという意味ではがさつな、だけどおもしろいウイキペディアをはりつけ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%86%E8%B8%8A%E3%82%8A

えめさん。勉強になるまちがいをしてくださって、感謝いたします。

さ、それでは、またもういちど。笑

長谷川櫂の『俳句の宇宙』と無意識について

桜島であった俳句超結社誌『九州俳句』の大会に参加した日、東京での「やまなみ短歌会」全国大会から帰ってきたばかりの歌人・山下整子氏より、おみやげに本を一冊「古本だけど恭子ちゃんに買ってきた」 といってもらった。

長谷川櫂著、『俳句の宇宙』(1993サントリー学芸賞受賞)。

なつかしい本!
俳句を始めたばかりのころ、平成四年夏生まれの次男がおなかにいたころ、沖縄の詩人・岸本マチ子先生が送ってくださった。戸畑・天籟寺の俳人・穴井太師が主宰されていた俳句誌『天籟通信』誌。*
その中で、穴井太師が推薦されていた俳句評論である。
師の声にしたがい、わたしは買って読んでいたのである。
著者が自分と同年であることが目をひいた理由であった。
いまも探せば家のどこかにきっとあるはずだ。

私の印象に残っていたのは、忌日を詠む俳句の特殊性について書かれた文章であった。
このぶぶんの文章だけが、自分にはことにまばゆく強い光を放った。
正確に言うと、もう一箇所、いや数箇所、いいやほぼ全部、その後出合うことになる先学の俳句のよみについて教示を与えてくれたのだが、自分にはそれほどだいじな本ではあった。すっかり忘れていたけれども。

あらためて読み返しながら、わたしは様々なことをかんがえた。

この拙いブログを読んでくださっている読者のかたがたに、ヒメノはなんで先般俳人の中山宙虫に対してあのような理不尽ともいえる怒りをぶちまけたのだろう。と不審に思われていることと察する次第であるけれども、それにはこの本でも述べられている無意識が絡んでいる。今回読み返してみて、あらためて気づいた。

第六章『都市について』。このなかで述べられたことばの数々が、かささぎの旗での中山そらん事件をよみとく鍵となっている。

それを陽光のもとに晒して書ければと少し思うが、こういうことは書かないものなのだろう。
だがいつか、書いてみたい。

*

現在の天籟通信誌主宰は九州俳句誌代表も兼任なさっている福本弘明氏。
福本氏にも桜島ではじめてお目にかかる。ご挨拶が遅れて大変失礼しました。
ほぼ同世代であります。


2009年6月27日 (土)

次男と博多のおねいちゃんに会う。

娘の働く病院は経営者がかわり労働環境が厳しくなったそうで、電話でブーイングを聞かされるようになりました。
有給がなくなった。無給で時間外労働をさせられる。
住宅手当がなくなり、お給料が安くなった、早出の四時おきがとってもきつい。・・うんぬん。

それで、お昼をいっしょにたべようと次男を連れて会いに行きました。
小郡のとある駐車場にただで車をとめさせてもらって、西鉄電車で。

まちあわせたのは、写真イムズビル前。
13階にある「野の葡萄」で野菜料理のバイキングをたべました。
http://www2.coara.or.jp/cgi-bin/demo/read2.pl?fid=02&kid=110000&sno=0996

娘は調理師ですので、味にもうるさいしこういう情報が速い。
11時オープンですが、20分前ころから列が出来始めます。
おばさまがたやむすめさんにすごい人気。

夏野菜のいろんな料理がたのしめました。
んが、ムスコはといえば。
お皿をもってうろうろしていましたが、盛ってきたのをみたら、あれー。
カレーとやきそばと、からあげみたいな肉と、そんだけ。兄と違って小食。
姉から「もとがぜんぜんとれてないじゃん」といわれて渋い顔。
野菜嫌いに野菜料理バイキングは禁欲を迫るものでしかなかったみたい。
野菜は一片の胡瓜さえよりわけて箸をつけようとしない、父親直伝の筋金入りの野菜嫌い。
みょうなとこだけ、なんでかよく似るよね、親子って。
顔、ニキビできてるし、姉が野菜をたべないからよ。と言ってましたが、まったく聞いてない。
おねいちゃんはこの弟に大甘で、かわいくって仕方なく、ポロシャツとかブランドのぜいたくなスニーカーとかを又今回も買い与えていました。

むすめよ、もうしばらくがまんしたら。と言っておいた。
母には今のそういう経営上の厳しさは当然だという気がする。
給食が委託方式にならないだけ、ましなほうじゃないのかな。
毎月のお給料をちゃんと遅延なしで支払うってことが、どんだけ大変なことなのか、かあさんはこのごろよくわかります。

そういうはなしをして、私たちは三越の二階にあるGAP(アメカジのお店)と新天町のZAZAをひやかし、一方の洒落むすこはどこか見たい店へ行き、娘はすっきりした顔で、自転車で博多まで帰っていった。

娘は結局、三人姉弟のなかでは一番堅実だと母は思うのです。




十六夜の月

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊(シサン訂正申し出あり)
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎(シサンですがこのまま)
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  秋

山下整子の選句と付句(秋の月)

ポーズつくりし父の写真よ    ぼん

付け句案(秋月)
1、てらてらと輝く湖(うみ)に上る月
2、十六夜の向こふにケニアありにけり
3、ディスカバリー号から月はだう見える

旧仮名、むづかしい。

だう、はたしか、どう、でよくはなかったかな。
調べて確認しておいてください。旧仮名は一つひとつ確認してゆく以外ない。
そう、は、さう。なのですが、どうはだうではなかったような記憶がある。

乙四郎句で選句ミスをしていました。
外国人をとらず、場の句で懐旧の句をとるべきでした。
やりかえます。
昔の写真の賑わいいずこ   (乙四郎元句)
むかしの写真には展示会に関係するものが華やかに写っている。
というのです。
これをとるべきでした。
あとさきになってしまい、写真がぼんのところで出、つかえなくなりました。
そこで、何をここに置けばと考えましたが、。
乙四郎。蔵はもし他にあれば差し替えますので申し出てください。
べたつきがなくなり、らんさんの景気の句も、生きてくる気がします。

どうでしょうか。名さばきだとこうはいかんです。
へたっぴだからこそ、選句をまちがい、まちがうことで、違いがみえる。

えっへん。

せいこからきっちりとつっこまれましたが、月の前では高いものや光りものは避けるように、と、普通、さばきは助言します。月のうちこしであるここでは、気をつかわなければならないとされるからですが、そこへ世界最高クラスの名峰をだしてました。笑。いくらなんでもそれは控えるとして、。

稜線ということばに山のかたちが既にこめられています。
それをおりおりに吹く風が描くというのです。

東妙寺らんは、ただものではない。あれは「大家」です。
(おおやではない。たいか。)

らんさんにはあとで、上五になにをおけばこの句が完成するか、たずねるとして。

せいこさんの出してくださった月.

1は湖上の月。
2はいざよひ月にケニヤ。前句とあわせよむと、父の面影句になります。
3は月がここに上るための必須要件をこぼしてしまうような按配で宇宙船がでている(ような気がする)。月をディスカバリーがころしている。

月を中心にして、ほかをおもうってことなんですが。
まぎれもなく、この面のいちばん重心はこの月ですから。

前句にある、父の写真。

どこまでもなつかしい記憶のなかの父と、写真にいる緊張してぎこちない笑みを浮かべる父。

いざよひの月がこの中で確かな位置をしめている。
ケニヤは、私たちがひと世代ふるかったら、マニラとかビルマとかが出るのだろうとおもう。
たまたま連衆にジャイカの仕事でケニヤに派遣された友達がいたおかげでケニヤがでましたが、これは私たちの世代には、ずいぶん郷愁をもたらす国名です。じっさいの国をよく知らないのですが、こういう偶然をだいじにしたいとおもいます。

おお。やっと折端までたどりつきました。

秋の季語入りでおねがいします。
どうかみなさまだしてください。

追伸:せいこさん。ケニヤの句ですが。
ありにけり。とするのと、あるといふ。とするのではどっちがよくひびくか。
目からの効果と音としての効果。
それをにらみあわせて、だいぶ考えました。
いざよひに、むかふがあるし。
ケニアもケニヤとどっちがいいだろう。


2009年6月25日 (木)

藺草のおざぶとん

藺草のおざぶとん

事務所にて。

手前のイグサのは、青僧みたいな書生みたいな風呂敷一休さんの。
むこうのはかささぎの百均の。
この差!!

大江希望さんの渋の話から思い出したこと

大江希望ブログ日記、気になったので引用させてもらいます。
以下、全文引用。

その過程で、今井敬潤の「柿」(渋柿)についての労作を知ったのは収穫だった。わたしが学んだことは、多いが、とりあえずメモしておくと、

  1. 柿は世界中にあるが(例えば、黒檀もカキ科)、甘柿は日本にしかない。 木津川を柿渋を詰めた樽を満載した船が航行するのは、大正期までは、普通に見られた光景であるという。酒を絞る袋は柿渋で厳重に染め上げる必要があったが、それは、もしそうしなければ、木綿糸のヨリがすぐ戻ってしまって目が詰まり、酒を絞ることができなくなるという。漁網はすぐ腐ってしまうので柿渋で染め直しつつ使ったものだという。これらのために常時消費される柿渋の量は莫大なものであり、それをバックアップする体制が存在していたのである。
    ナイロン糸の登場によって、有史以来の“有機化学技術”のひとつが、“時代遅れ”の技術として忘れ去られようとしているわけである。
  2. 甘柿が日本に広まったのは「御所柿」(奈良の御所市からはじまる)だが、それは江戸時代前半だという。したがって、それ以前は、食べる柿は渋柿を甘くしてから食べた(干し柿、熟柿、酒を使うなどの加工)。
  3. 柿渋の利用が、おそらく有史以前から行われていた。漆を使うよりずっと扱いやすい柿渋による防腐効果などは早くから知られていたであろう。家屋の柱、木器に柿渋を塗ることなど。
  4. 漁網・酒や醤油などの醸造業・番傘などへの柿渋の利用は、少なくとも江戸期には産業として発達しており、「柿渋屋」は重要な産業の一翼を担っていた。渋柿を生産する農村に対しては、かなりの課税が(柿の木1本あたりいくらとして)実施されていた。

    (大江希望)

http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0906.htm#saisin
『き坊の近況』21年6月22日付けより転載。

上記の文章を読んでいて、かささぎは熊本出身の俳文学者・故東明雅先生のことばをハタと思い出しました。
魚のギギについて最晩年の明雅師と無駄話をしたことがある。(手紙で)
師はこういうはなしを余白にかかれていました。
「そういえばむかし、釣具屋の前を通ると「ぎぎあります」と貼ってありました。
あれは結核のくすりになったのでしょうか。
」 


それをこんなときになんでおもいだしたのか、それがわからない。

とにかく、希望さんのこの文章を読んでいて、それを連句的におもいだした。
ぎぎ、さかな、結核のくすり。で検索したら、でたなかに次があった。

http://homepage2.nifty.com/onibi/wakan50.html

ぎぎは、ぎーぎーと泣くさかなです。
結城秀康の幼名がこの魚からとって、おぎい。といいました。
カンのつよい、よく泣くこどもだったのでしょう。

さらに、ぎぎと結核のくすりで検索すると、こういう記述にもであった。
煩悩即涅槃、密教思想、空海とつうじる。
http://blog.goo.ne.jp/5066_2007/m/200704/1 ヨーガ健康術の9

煩悩即菩提
しかし条件が悪くとも、呼吸に変化がない人は、例えストレスがあっても、それに耐え却って進歩するのです。
昔殿様に、アユ献上するのに長距離の移動で、アユが死んでしまいますので、賢者が、一匹のギギ刺す魚を入れたところ、緊張感から全てのアユが生きていたそうです。
人間も緊張感を持ち、腹式呼吸で呼吸が乱れない人は、ストレスがその人の気力の根源になります。
自然呼吸で生活しているしている人は、病気のダメ-ジを受けるのです、今のようにバリヤ-フリとか、刺激を少なくしますと、だんだんとボケ老人が増えるのです。

(こんなことをあさごはんもたべずにやっている私はなんて暇なやつかとおもう。
とびきりいそがしいのに。)
       

「ややこ」歌仙 ナオ8雑

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊(シサン訂正申し出あり)
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから

4   激情愛情そして平常       ぼん
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   外へ出づれば我は外人    乙四郎
9雑
10秋
11 秋の月
12  秋

ドバイの乙四郎投句

1 昔の写真の賑わいいずこ
2 よく食う人は何する人ぞ→うちこしに食べ物。うざいのでボツ。
3 外へ出ずれば我外国人

宇宙からきたえめさんの投句

☆ 夜のテツタビスリーナインで

☆ 銀河鉄道切符を二枚→大打越の5に地球がある。
  地球と銀河が同素材なのでボツ。

選句

1外へ出ずれば我外国人    乙四郎
2夜のテツタビスリーナインで  えめ

どちらの句も旅句。
えめさんのは、カタカナが多い現代語の略語が生きている。
スリーナインが銀河鉄道を連想させ、シュールな気分をいざなう。
さばきによってカタカナの打越を嫌いますが、かささぎもそうです。
よほどの必然性がない限り、カタカナの観音開きは避けたい。
ポテサラ=ポテトサラダ。このような略語は一巻一つにとどめたい。
乙四郎の「外へ」をいただきます。
細い糸でどことなくついている。
つぎも雑。景気の句いわゆる写生句を。雑の写生句。できるか。
うちこしに月、月周辺のものや光りものはさける。

蝶の句三句、春。

高々と蝶こゆる谷の深さかな  原石鼎(はらせきてい)
山国の蝶を荒しと思はずや   高濱虚子
常闇の蝶の高さを迷子札    貞永まこと

せっかく乙四郎がケニヤ出張していることだし、ここで課題を。
「はねつるべ」でみんな一句を出してくださいませんか。
季語はいりません。
はねつるべとは。こんなものです。

http://ww4.enjoy.ne.jp/~aqua98/school/Sinpei/n_haneturube.htm童謡
http://homepage2.nifty.com/APO1/hanetsurube07.htm昔の写真
http://www.toenji.com/kindergarten/osanago/h19_10_3.html荘子のはなし
http://minka-en.com/shisetu/17hane.html福島の民家の

かささぎは、とつぜんひらめくのだ。
はねつるべ。
ついほんの四十五年前まで、ふつうに日本にもあったとおもう。




 

2009年6月24日 (水)

もしも日本が百人の村なら(医療版)  乙四郎語録

医療費の分布

    橋爪 章

もしも世界が100人の村だったら6人で世界の冨の6割を所有し、50人は栄養失調に苦しんでいます。

このようなたとえで現実に起きていることがわかりやすく鳥瞰できます。

もしも日本の医療が100人の患者で構成されていたら、1人の重い患者が総医療費の4分の1を使っています。

症状が比較的軽い90人は、全員分あわせても総医療費の半分しか使っていません。

疾病管理を充実して病気が悪化しないようにすれば、症状が比較的重い10人のうち何人かは医療費が少ない90人の仲間入りをします。

仮に、10人全員の症状が軽くなれば、総医療費は半分近くに減るのでしょうか。

答えは“否”です。

総医療費の半分は人件費です。

10人の患者の症状が軽くなっても、医療従事者の数は変わりません。

彼らの所得を保障するための支出は維持しなければなりません。

減るのは、10人の患者のために使われていた高価な医薬品や医療用具への支出です。

その分だけは医療費がかからなくなりますが、劇的に総医療費が減ることはないでしょう。

しかし、疾病管理の充実に意味がないわけではありません。

医療従事者の労力の半分は10人のために費やされていたのですから、患者の多くが軽症にとどまれば、医療従事者の労働負荷は激減します。

医療従事者の労働条件の悪化による医療崩壊を回避する策として、大きな意味があります。

(保健医療経営大学「学長のひとりごと」より転載)

『ややこ』歌仙ナオ3の差し替え

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊(シサン訂正申し出あり)
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから

4   激情愛情そして平常       ぼん
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8雑
9雑
10秋
11 秋の月
12  秋

きのう帰宅すると、本が二冊届いていました。
一冊はメアリ・ウエストマコットの『春にして君を離れ』、もう一冊は『「秋風の記」をゆく』海鳥社刊行、平島愛子著です。

諸九尼のことがずっと気になっていたものの、評伝を読んだことがありませんでした。
ざっと目を通してみた。
なぜ「駆け落ち出奔」したのか。
まずこれが気になることでした。

考えていたよりずっと複雑な婚家の事情があったようです。
もっともいたましい事実は、
三年子無きは去る。といわれた時代に結婚後十年余、三十歳になっても子がなせなかったことへの風圧。

そのことを、「前置き」文で著者の平島愛子氏は、このように書かれていました。

以下引用文です。

「後日、妹はなに送った切々と血を吐く思いを綴った手紙の文面からは、何の言い訳も許されずに「欠落(かけおち)」の汚名を着せられ故郷を捨てざるを得なくなるまでの背景には、相当深刻な家庭環境があったものと推察されます。なみ(諸九尼の俗名)の人柄は、筑後を去って一年ほど経つと中原村からの客が次々に彼女の許を訪れていることからも推し量られます。」

なにも知らず、出奔の小見出しのように句を詠んだ自分を恥じる。

恋句、澄たからさんの思いの深い「拳分(こぶしぶん)」の句に差し替えます。

以下、たから句のよみです。

(「温もり」が冬めく。やさしさの、でいいかもしれない。
微妙に複雑な心理の恋句。コブシ一個分のすきまをあけておく、というのです。
それはあまえない意思であり、遠慮であり、恥らいであるのでしょう。・・・というふうな読みでいいのでしょうか。「拳分」がむずかしい。)句を貰った最初の時点での読み。

2この「拳分」というぶっきらぼうな一語のもつ、なんともいえないあじわい。
気をゆるせば一気になだれこんでしまうじぶんがいる。
それがこわくて、じぶんでじぶんの感情を必死でおさえている。・・・っていうことなんだよね。
これボツにするのにしのびない。


3(ヤマシタセイコ)の深い読みのコメント。

まりさんの拳分の解釈。
ふたりのあいだを拳分空けておく。まさにそのような状況をイメージした。これは実に奥深い句だと思った。実はこの句に、もうひとつ意味がある。それは、よく指先なんかの皸や傷に湯が沁みて痛むとき、しみないようにぎゅっと拳つくってお湯につかってなかった?生きるためにわたしたちはいっつも拳を握ってるんですよ、そんなメッセージを受けた気がしたよ。

優れた句は、まず問いかけとして目の前に立ち現れる。
これがまさにそんな一句でしたね。
たからさん。おそらくは体験から得た貴重な一句、どうもありがとう!

さて、ここからふしぎなはなしを。
えめさんてふしぎな人です。

かささぎがたまたま訪れた日の彼女のブログで、こういうフレーズに出会い、一句つけておりました。それをそのまま、ここへ放り込みます。

夏が一句、それも短句きりになりますが、発句脇に夏ですし、これでいいのではと思います。

http://hatue62.seesaa.net/article/121862291.html#comment

時事ネタの川柳に属する句ですね。かささぎのは。
よく聞かされることなので、いつか句によみたかった。笑

ここまで一気にすすめました。
途中停滞してたのを挽回しました。

つぎも雑です。短句を、いろいろとおねがいいたしまする。

2009年6月22日 (月)

ナオ3~5 恋~恋離れ

12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    すぎさく

ナオ3恋

ぼん

1  夢を見るあなたの顔をじっと見る

2  寝たままで煙草くゆらす悪い癖

3  激情愛情そして平常

えめ

☆授業中 君のいる席そっと見て

☆ 言えないわ ミキの彼氏に横恋慕

☆ 夜が明けて 君のぬくもり腕の中

さくら

☆内気でも恋心多し若きとき

☆銀行にプロポーズに来た同級生

☆初恋は社会科の先生地理好きに

↓は、何年か前の保険会社の川柳コンテスト一位
★プロポーズあの日に返ってことわりたい

整子

1、カンタータ媚薬のやうに麝香嗅ぐ
2、挿げ替える下駄の鼻緒の豆絞り

東妙寺らん

1目も鼻も口も苔むす道祖神
2毒虫めしろき柔肌蚯蚓腫れ
3待ち人はもうすぐ来るとおみくじに

恭子

1諸九尼の我をつらぬく恋羨し
2伝統のおもさ切なし皇太子
3真横から見れば消えてる土星の輪

乙四郎

1 地球よりおおきなものの居座りて
2 丑三つにメール送りて四つを待つ
3 教えない知っているのはふたりだけ

ぼん追加

銭湯と言いつつ走る安下宿
首すじのあざを隠して月曜日

整子追加

1、臍の緒でつながるやうに君とゐる
2、お前さまの膝貸してくんろ つつつつつ

澄 たから

1. 君居りし幾多の四季は風の中
2. 温もりの沁み込まぬよに拳分
3. 霞みても君は君なり桜島(恋句?)

選句

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
臍の緒でつながるやうに君とゐる  せいこ
(鼓動。へその緒。リンクするか。)

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
言えないわミキの彼氏に横恋慕  えめ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
温もりの沁み込まぬよに拳分   たから
(「温もり」が冬めく。やさしさの、でいいかもしれない。
微妙に複雑な心理の恋句。コブシ一個分のすきまをあけておく、というのです。
それはあまえない意思であり、遠慮であり、恥らいであるのでしょう。・・・というふうな読みでいいのでしょうか。「拳分」がむずかしい。)

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
夢を見るあなたの顔をじっと見る  ぼん

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
毒虫めしろき柔肌蚯蚓腫れ     らん
毒虫が秋かも。うちこしに鳥。(異生類だけどね)

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3銀行にプロポーズに来る同級生  さくら

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せぬままに     杉作
3
諸九尼の我をつらぬく恋羨し     きょう

こうしてみますと、どれもそれぞれ捨てがたい。

いがいとよかったのは、乙四郎の句、たからさんの句でした。
おつしろう句は、場の句でありながら、とっても愛情の深い句であること。
たから句は、よく読まないと読み取れないかもしれないかそけさが、よい。

と迷いましたが。いろんなさわりを考慮しますと、、

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せぬままに     杉作
3
諸九尼の我をつらぬく恋羨し     きょう
4   
激情愛情そして平常       ぼん
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6夏
7夏
8雑
9雑
10雑
11 秋の月
12  秋

かささぎの旗では、いずれ「有井諸九」をきっちりと詰めたいと考えています。
この人は筑後出身の江戸時代中期の有名な女流俳人です。
浮風という大坂の俳人と出奔し、大坂や京都に住んで俳句をかきました。
資料をまとめた研究書が、海鳥社から平島愛子著『「秋風の記」をゆく』として出ていますが未だ手に入っていません。

田主丸の人で、晩年は故郷に帰ったようです。
かささぎがふっと思うのは、高良山の松尾桃青霊神社を勧請してきた岡良山という俳人なども、その周辺の俳人だったのではなかろうか。ということです。浮風は志田野ばの門下、志田やばは八女にも来た事のある有名な俳人で、芭蕉の七部集にも作品を残しています。ということで、これは地域学に属する領域になります。八女の灯篭人形をおこした松延貫嵐とはどうつながっていくのか、そこのところも知りたい。

一人で勝手に駒を三つ進めてしまいました。

つぎは、夏の短句をおねがいします。

じつは、えめさんのブログに偶然夏のタンクで、

きゅうりのほうが多いポテサラ

という句をみました。(ここにはつきませんが。)
そんなふうにもうまるきり関係のない話題をもってきてください。

おつしろう句が恋離れです。地球よりおおきなもの。
それはなんでありましょうか。

かささぎは、この句を恋と愛とのちがい句として認識いたしました。
だから、いろけがない。と感じた。
おおきくて包容力があって安らいでなんでもかんでも包んでしまうようなモノは、恋という概念の対極に位置します。


朧夜の底をゆくなり雁の声  諸九

この句を諸九尼がいつ詠んだのかをまだ知りませんが、その出奔の日を茫茫と回想しているかのようなイメージがわいてくる句です。
恋と旅。
これらは一所定住の封建的なおんなの生と性とに真っ向から解体をせまる、抗いがたい魔力をもったモノでありました。

  


2009年6月21日 (日)

寺にて

寺にて

国指定文化財

国指定文化財

写真をクリックで大きくすると、緑のプレートの文字が読めます。

月照の遺跡

月照の遺跡

つぎの写真のビルの前にある。

天文館商店街でおひる、鹿児島のラーメンをたべました。
その近くにあった碑。

桜島まで山下、東妙寺、姫野三人を運んでくださった古賀音彦氏(やまなみ短歌会所属歌人)は文化財担当者。
その視線は私達が見落とすようなところへ常に注がれていた。

そらんさん おめでとう

そらんさん おめでとう

そらんさん。おめでとう。
写真削除してほしい。と、またいわれそう。
んが、拒否。

歌人ヤマシタセイコがそらんさんへ用意してたお花、きれいだった。
九州俳句のみなさん。
お花を手渡したきれいな女人は、同人ではありませんからね。笑

花を添えるってこういうことなんだな。とおもうかささぎであった。

藤沢 周氏

藤沢 周氏

一番うしろにいましたので、自然に写真を写すことができました。
ほかに南九州新聞社の記者のかたが写しておられたからです。

おはなしを聞いて、七月に講談社から出るらしい

『キルリアン』

という小説がよみたいとおもいました。キルリアン写真の、あのキルリアン。

高岡 修氏と野間口千賀氏

高岡 修氏と野間口千賀氏

超結社俳句誌「九州俳句」誌に1998年秋ごろから所属しているような気がする。

中くらい古いのかもしれない。
ですが、大会へ参加したのは、これが二度目。
高岡修さんにはじめてお会いしました。

死者のための椅子ひとつ置く五月の野  高岡 修

この句(受賞句)に対して星永文夫氏の述べられた評が素晴らしかった。

俳句には俳句定型を死守する書き方、わたしは奴隷のリズムと申していますが、と定型をぎりぎりまでこわして書く書き方とがあります。
高岡氏の書き方はぎりぎり派で、この句、ためらいがちに「死者のための」と語り出し、定型をこわしてみせる。まるでおずおずと差し出された椅子のように。
もっとも緑のいのちの繁忙なる五月の野という語を出して、その明と対比させるかのように死者のための椅子を用意する。
これはいつも自己のなかにある死を陽光のもとへさらして確認してみせたかのような句である。


桜島パーキングエリア

桜島パーキングエリア

朝の七時半。

2009年6月20日 (土)

病気がウツルというときの漢字は?

うつす【移す】(他五)物事の位置・状態を、他の位置・状態に変える。「病気を-[=伝染させる](新解さん)

ちなみに、伝染る、は吉田戦車による当て字。北にも南にも、日本語の乱れた用法が世間へじわじわと移るのを苦々しく思う文士がいます。

   以上、乙四郎コメント

きのう、お昼休み、この乙四郎のコメントを読んで、どひゃ。
杉作さんから句をいただいた次元ですぐ辞書にあたることをせず、じぶんのなかにあった「伝染る」(うつる)
の字とちがうというだけで「字がちがう」ときめつけるなんてあさはかなことをやってしまいました。杉浦先生へお詫びすると同時に、ここに正式におわびいたします。

お昼休みがおわり事務所のみなが定席につくころ、尋ねてみました。
「病気が人にうつるというときウツルって字はどう書くかな?」
「それはですね、染めるという字ですよ」・・・35歳係長
マイボス・・・ただちに辞書をひき「移すという字になっているみたいね」

かささぎは係長にいった。
「吉田戦車のまんがにあった?のせいで誤字が蔓延したらしいよ」

「あーそういえば、『伝染るんです』っていうようなんがあったなあ!」

おつしろう、ありがとう。

指摘がなければ、きづかず恥さらしのままでいくところでした。

帰宅後すぐ訂正おわびしようと思ってたのですが、連日のよふかしがたたり、夕食後らんちゃんに付け句依頼メール打った時点でひっくりかえって眠っていました。あれ?これではどこかの隊員さんみたいではないか・・と思いつつ。
やさしいむすこがふとんをだしてくれました。ありがとうね。

2009年6月19日 (金)

杉作さんの恋句。

恋文一つ渡せぬままに     杉作
インフルエンザ君に移され
不倫がばれて免職となり

真夜中に笑うのは、かなりぶきみですね。
いんふるえんざは季語でしょうか。
おつしろう先生、どうですか。
風邪は冬の季語ですから、それに準じるとすれば。
でも今回のは季節をえらばないようですが。

不倫がばれて免職となり。

不倫はほんとに免職理由になるんだろうか?
あと、インフルエンザ君に移され。うつされの字がちがう。
おわらいの一席でした。

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    すぎさく

(あと、たからさんとらんちゃんがだしてないけど。あ。ばどさんもそらんさんもね。
そらんさんへは日曜に桜島へ行ってたのんでくるとして。ばどさんはいきているだろうか。)

選句します。

   追っているのか逃げているのか  おつしろう
   方言ばかりで伝わらぬ恋      ぼん
   改札口でさよならを言ふ       えめ
   おとなになればきっとわかると   きょうこ

おつしろうの「追っているのか逃げているのか」は前句の緊迫感を知らず感知してそれにひびきづけしたものだと想うのですが、一番雰囲気的にびしっとはまる気がします。
ですが。
かささぎはきになるのです。裏たてくの、追い払うものと救うもの。

すぎさくさんの恋文句。
これは前句のもつ生一本な清潔さにつけたものです。
これをとらずばなるまいて。杉作さん渾身の一句。

みなさま。ありがとうございました。
なんだか、だんだんしりあがりことぶきです。

むねがじいんとしてきました。うううれしい。笑

次も恋。長句、季語なし。
きちんと恋をよんでくださいね。また連衆の競作。
理想の恋は、心と体がひとつになったものだろうとおもいます。
(天文歌人の恋歌を読んでいてきづいた。庚申の恋のところです。)

英語俳句

保健医療経営大学での英語公開講座にて

焼きソバと桃の葉エキスと月半個    恭子

拙訳:

a  half  moon 
falling  on
the  chow mein
and  the  peach  leaf  extraction

さとうせんせいの訳:

A half light moon attempts to attract

the boy with chow mein and peach leaf extract

姫野の一句への想い:

この句は前田師の連句での付け句として得たものです。
夏の月の座の句。
料理の材料のように三つのものをぶっきらぼうに並べただけ。
だけども、自分としては、とっても感慨のある句。

夏、とびきり暑い日、長男の少年野球の合宿に同伴していた思い出。
場所は黒木のグリーンピア八女でした。

晩御飯はカレー、昼はバーベキューと鉄板での焼きソバ。
これが恒例で、蚊にさされながらの懐かしい記憶です。
深い森の上には半分の月があがっていて。
この句、俳句に作ろうとしてできたものではありません。
というか、俳句作成モードの思考パターンでは絶対にでてこない句。
連句がすばらしいのは、課題がきっちり与えられるところです。
前句からの流れでさまざまの制限を加えながら、句を出します。
そのときに偶然授かるのです。
高尚なことは何もなくて、日常の俗の世界の切り取り。
こどものような一句。(自画自賛)

佐藤教授の英訳で、少年をだしていただけて、うれしいです。
ムーンにつけられたライトが、こころにあかるい灯を灯してくれます。
きっちりと踏んだ韻がとってもきれい。
先生ありがとうございました。

(ほかのみなさまにもうしわけないとおもいました。
自分のしょうもない句ばかり訳していただいて。)



2009年6月18日 (木)

名残おもてニ句目

1  見上ぐる空はきょうも和らぎ  ぼん

彦山の花句に空、既出。

2  方言ばかりで伝わらぬ恋

この句、おもしろいと思います。
ただ、恋が伝わらない。
とストレートに書くより、「方言ばかりで恋を伝へて」とするにとどめては。

3  アルバム出して写真選んで

これは状況を考えさせる句ですね。ワンクッションおいた句。
前句のもつ、ぎりぎり感をはぐらかしたようなかんじ。

☆ 改札口でさよならをいふ  えめ(恋離れみたいです) 

☆ 煙草の匂いえりあしのコロン 夏

☆ 小粋な柄のハンカチあげる  夏

さいしょのころ、句にしたてる素材のなかに季語がまぎれこんでいないかと、びくびくしていました。というのも、たいがいの名詞に「えーこれも季語!これも!」と、ことごとく季節があるからです。わたしにとって、連句をまなぶということは、そういう感性をしることでありました。むかしのひとらの繊細な季節感覚を知り、自然のものを知るということ。

それによってひらけて来るものがたくさんあります。それが何よりありがたかったです。
学校では学び得なかった自然の叡智みたいなものに触れているような気になってくるからです。

1 日記の記憶滲みしとこほど  おつしろう

「滲みしとこほど」、このいいかたが珍しい。
まるでにじみ模様のよう、内容と表現が一致。
いいすぎてないところ、つきすぎていないところがいいなと思います。
でもややぎこちない感じもどうじに受ける。それはなぜだろう。

2 追っているのか逃げているのか

前句の持つ高揚感をぴしっと受けている。
これいいね。印象的。

3 山のあなたに行ってみやうか

しおりの花句にある旅情にもどる。

☆ 午睡から醒め夢で会ふひと  えめ (午睡が夏)

☆ 別れの手紙燃して目に滲む  (恋離れ)

☆ 熱い砂から駆けだす二人 (夏の季感あり) えめさんってば。笑。

1おとなになればきっとわかると  ひめの
2ギターの弦を押さえかねつる
3時間旅行をするような恋 

 歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2  追っているのか逃げているのか おつしろう
   方言ばかりで恋を伝へて   ぼん
   改札口でさよならを言ふ     えめ
   おとなになればきっとわかると きょうこ

一晩考えました。
せいこ句の「百千鳥」。歴史のある古典的季語です。
おつしろうが昨日いみじくも指摘したように、姫野の一直で

静まらぬ鼓動に百千鳥響む

と句またがりで「ももち・どりとよむ」とやってしまうと、語呂がわるいというのは確かにそうです。
そこで考えるのは、全体のなかで句をながめてみるという視点。
bud句がおびき出すものは街の喧騒である気が姫野にはします。
それにどことなく疲れているひとの姿が背後にうかぶ。
東京には緑のたっぷりとした森があちこちにあります。
それは意外な発見で街路樹一本にさえちいさな森がある。
そういうところに棲む小鳥たち。
そのさえずりの群鳴はまるで恋してる人の鼓動に共鳴してるかのように思える。

「とよむ」辞書検索http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%A4%C8%A4%E8%A4%E0


それぞれ出してくださった付句案から一つずつ。
函館の教授にもたのんでますので、もう少し待ってください。

ではいってきます。

(けさ、いま。めったにかかってこない友人からでんわ。選挙がちかいのだなあ。

恋のうた 福山雅治「squall」

http://www.youtube.com/watch?v=HIepQ6jaOZQ&feature=related
福山雅治の

http://www.youtube.com/watch?v=-Uxodip1hg8&NR=1
松本英子の

次男がおふろで鼻歌うたっていた。
(ふるいうたなのにどうしてしっている。)

恋句、この歌のように心情の深い句は、なかなかでません。

2009年6月17日 (水)

『ややこ生る』 名残オモテ起句

山下整子、名残折たて句春の長句案

 1、ひこばゆるわれかと思ふ背なに稚児
 2、野遊びの児らにつばさが生えてゐる
 3、静まらぬ鼓動に森の百千鳥

 歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響(とよ)む  整子

選句

どれも一句としてみた場合すばらしく詩的な句です。
せいこは今とびきり多忙で、それなのに捌きはいささか不親切だった。
前の展開がどこにあるのか、わかりにくかった。ごめん。
ネットでやるときのネックがそれかもしれないですね。
「連句・連歌」カテゴリーを開けばこれまでのが出るようにしてます。
ということで。
森とか野原とか木々とか、そういったものから切れたい。
さばきは三句がらみ、四句がらみをおそれている。
bud前句は、かげろうのようなゆらゆらしているものにも芯があるのだ。
という強い主張がどこかにある。
だけど、読み方次第で、「陽炎の」の「の」は主格として働きそう。
かげろうが自分の心を犯しだしている。とも。

そこで、折がかわる。
序破急の急にさしかかる。

名詞止が三句続いているのが気になるので、動詞でとめます。
名詞どめはそこで終わる場合は余韻をのこすけど、ずっと続くと安定したかんじをもたらすから。
森を消します。
百千鳥は春の野原や森などに来るたくさんの小鳥。
場所を限定すれば、初折裏10句からの流れに戻る。

とよむ。ということばをハタと思いつく。雅語か。
どよむともいいますが、にごらないトヨム。きれい。

一句が暗喩として働き出す。
胸のなかに百千鳥がいる。

で、つぎです。

まちがいなく、恋句でしょう。

短句、季語はいらないです。

全員にだしてもらいたい。
いそがしい人ほど傑作がかける。かいてね。

2009年6月15日 (月)

利華さんの動画が見れる!

タンゴのオルケスタ・アストロリコの公演の模様が動画でみれます。

「台風」という曲、耳に残ります。どうぞ聴かれてみてください。
かささぎは四枚ほどアストロリコのCDをもっています(うち一枚は映画『二人日和』のテーマ音楽)が、そのどれもに思い出があり、なぜか胸のいたみをともなう。大好きな曲がいくつかあって、レクエルド(思い出)、天使のミロンガ、来たるべきもの、スム、・・・ああ、これらは最初に聞いたアルバムだったからかもしれません。リベルタンゴ、台風。どれもなんともいえず、いい。

http://www.10tango.com/notas/14002-astrorico

上のサイトを紹介する利華さんのブログ:

http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-155.html#comment624

動画サイトでみつけた↓、でもアストロリコの演奏のほうがずっと沁みます。

レクエルド:http://www.youtube.com/watch?v=Fc4qWs5jMlk&feature=related

天使のミロンガ:http://www.youtube.com/watch?v=bbdakZjHTys

芒種のころ

このあをとあのあをそのあをとりどりの
あををあつめてひとひこもらむ

天庭に棲む風ありて黒々と
あまつましみづめぐる身ほとり

 点綴あをき黒南風の庭

杜若咲くまでの日々みみあをき
いかづち育ていかづち育て

わが村にあぢさゐさけば街騒の
街のあぢさゐ不意におもほゆ

歌のできた場所:さくらさんせいこさん、ありがとう。それから杜若の写真師へも。
http://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/
http://mptfk.exblog.jp/8103276/

2009年6月14日 (日)



バスガイドさん中島照美さんの思い出

うんだもこうりゃ いけなもんだ
あたいがどんな ちゃわんなんだ
日に日に三度も あらもんせば きれいなもんがんさ
ちゃわんにつけた 虫じゃろかい
めごなど きゃあろぐ むしじゃろかい
まこっちげなこちゃ わっはっは

これ、熊本民謡(鹿児島民謡かも)の『ちゃわんむしのうた』です。
いまでも歌えるし、歌詞もきっちりあたまに入ってた。
中学時代南九州への修学旅行で出会った観光バスのガイドさん、中島照美さん(だったと思います)が教えてくださいました。
あまりにもすばらしいガイドさんだったので、旅行がおわってから、しばらくして、みんなで学校へ来てくださるように頼んで、ほんとうにきてもらいました。
かささぎが覚えているのは、「相談室」(という小さな部屋が当時の学校にはありました。高校にもあった。笑)でバスガイドの照美さんに歌を歌ってもらってテープに吹き込んだ思い出です。私のよこにだれか男子が一人いたような。
でもおもいだせません。それがだれだったのか。
接待役だったということは一緒にクラス委員をしていたのでしょうか。

なんで急にこういう記憶が蘇ったのかといいますと、乙四郎のこども時代の世間体とこどもらしい本音のあいだで書かれた日記を読んだからという理由のほかに、こないだ行った太宰府文書館での加川良と新良幸人、下地勇の三人のコンサートで、シンラとシモジ、二人のユニークな沖縄のシンガーが二人とも数年ずれてどうも同じバスガイドさんに惚れていたようだって話をしていたからです。
沖縄の子たちは修学旅行で九州に来るのですね。


それと、きのうのオフ会(八女市福島「すずめ」にて)で、えめさんが最近行かれたバス旅行(破格の二万円余で京都からくらしきからこうべからとにかく昔のアンノン族なら必ずきっちりマークして行ってたという観光地をひたすら回る疾風怒濤のてんこもり旅)の話をなさったのですが、その中で、すばらしかったガイドさんの話というのがすごく面白かったので、忘れていたことをひょっこり思い出したという次第です。

ところで忙しいせいこさん、昨日一時間ほど遅れてきましたが、レディスセットを注文するや、しゃかしゃかとあっというまに食べ終わりました。しかもきれい!感心してしまいました。梅の砂糖煮を箸休めに作ってきてくれて、それをみんなでいただきました。

ぼんはおまごちゃんをお宮参りにつれていった写真をみせてくれた。
久留米の水天宮さんです。
あかんぼうの額に炭でマーキングするのですねえ。
これはびっくりの習慣です。
大という字をかくところもあるようです。
うちの子たちもお宮参りはしましたが、うぶすなのお宮に行って他に成田山、福島の八幡さんと三社参り、そのあとまっすぐ帰ったらいけないというので、親戚の家に立ち寄って用意してくださった祝い膳を戴いてからかえった思い出があります。

さくらさん。
オフ会でさくらさんのこと、東京のはなし、せいこさんから聞きました。
びっくりするくらいお若くて、きれいなひとだったって。
かささぎも甲四郎先生から見せていただいた写真でえっと想ったもの。
いつか八女においでくださいましね。オフ会、しましょうね。
ほんとは連句会がしたいかささぎでした。

ところで、ろいりさんはなしのつぶてじゃのう。
連句する気がないのはよおくわかりましたとも。
あの祝句はとってもおもしろいものでしたのに、残念だなあ!
きっとこのひとは、歌詞の才能があるとおもうのね、かささぎは。
でも、こういうのは無理じいするものじゃなし、気長にいきましょう。


葵くんのややこ歌仙はまたみんなに句をだしてもらって再開しませう。
おらおら、しっかり句をだせや~!!

晩春または三春の季語入り俳句的五七五。
いくつでも、なんでも。少し格調を意識して。
恋句でもいいですよ。折端が折端でしたので、。

竹橋乙四郎少年日記

乙四郎少年、小学校6年生の日記。
探し物していたら出てきた。
宿題で書かされていた日記だったので、読者(穴見先生)を意識した優等生的作文。
それにしても醒めたガキだった。

8月19日金曜
今日は、朝におよぎにいって、それから、べんきょうをした。およいで、きつかったのであまりはかどらなかったがしあげた。昼から、電車と、バスにのって、一人で帰った。一人なのでちょっとこわかったが、ついてみるとなんでもない。もう一人でもいけると思う。

9月10日土曜
今日もまた、みつのり君やひとし君と遊んだ。夕方までは大部分が、いつも、みつのり君と遊ぶが、よく、あきないものだと思う。にたようなあそびだが毎日少しずつ、おもしろい遊び方をくふうしているからだろう。そして、月をみにいくようにしたがやっぱり夜になってもでなかった。

9月23日金曜
今日は、みつのり君のうちに、あそびにいくとちゅうで、あした、はれるかどうか、てんとう虫をほうり投げてとばしたら、雨ということになった。うらないなのであたるとはかぎらないが、2ひきとばして、2ひきとも落っこちたので、どうもふきつだ。

9月29日木曜
今日は29日の十五夜でまん月の日だった。このまえは、早くから月がでていたので、きょうもみたら、でていなかった。それで、あきらめてかえってしまったら、8時ごろおとうさんがかえってきて、月がよくでているといわれた。でも、せからしいのでみにいかなかった。

10月9日日曜
今日は、朝、早くおきてべんきょうをして、それから、じてんしゃのそうじをした。しばらくのらなかったので、ほこりがたくさんついていたのをとったのだから、とても、きもちがよくて、どんどんのりまわした。ごごはあそんで、あそびながら、たんかやはいくをつくった。

10月29日土曜
今日は、夜にテレビをみおわって、ちょっと休んでいたら、とおくから、サイレンがきこえてきた。そしたら、サイレンがすぐ近くでとまったのでびっくりした。それまで、しょうぼうしゃと思っていたが、外をみたら、パトカーだった。そして、うちのすぐまえにとまっていた。なぜきたのかは、わからないままだ。

11月13日日曜
今日は、朝おきて、とけいをみたら、9時半だった。そして、かみなりがなった。むかしから、こわいものは、「じしん、かみなり、かじ、おやじ」といわれているので、おとうさんがおこったらたいへんだと思って、すぐ、しゅくだいをはじめた。

11月27日日曜
今日は、早くおきて、11時ころから、スケートリンクにいって、2時間ぐらい、すべった。それから、いわたやにいっていたら、ちょうど、マラソンのある、三十分まえだったので、みんな、はたをもらっていた。もらったが、おそくなるので、すぐ、いわたやにいって、すてた。

1月28日土曜
今日は、さいしゅうどようとせんきょのよういがかさなって、はやくかえった。でも、雨だったので、あそばれなかった。それでしゅくだいのうちのプリントだけしたが、二まいして、あとはせからしくて、しなかった。

1月30日月曜
今日もがっこうがはやかったが、まだ、みちがぬかっていたので、かえってから、あそばなかった。たいくつで、そのうえ、しゅくだいをするきもなかったので、なんとなく、テレビをかけてみたが、せんきょのことばかりで、おもしろくなかった。

2月16日木曜
今日「ふるさとのうたまつり」で、「ねるじかんは、日の丸まで、」ということばがでたので、なんといういみか、おとうさんにきいたら、夜、12時ごろ、いつも、テレビのおわりに、日の丸がでているそうだ。それで、いままで、みたことがないので、こんどの土ようにみようと思う。

2月18日土曜
今日は、はやくかえったので、今日のうちにしゅくだいをしようとおもっていたが、じっこうされずに、おそくなるまで、テレビをみた。そして12時の日の丸をみるためにおきていたが、10じごろから、ねむくなった。

3月12日日曜
今日は、だれとも、あそぶやくそくをしていないので、テープレコーダーのまだ、とっていないところで、あそんでいた。テープのさいごのほうで、きれてしまったので、きれたのを、はしとはしとをつないで、何回もおなじことばをいわせるようにして、あそんだ。

2009年6月12日 (金)

歌仙『一月の』  澁谷道・捌

新・読む読む  その一

  作品管見(連句誌れぎおん2002、冬号36号より)

      姫野恭子

日々生み出される連句作品の批評を、誰かすべきだと思った。
たとえそれが印象や感想を述べる程度のものであったとしても、なにもないよりはましだ。漫然とそう考え、この頁をそのヨミの欄にと願ったものの、まだ充分に機が熟していないと思い続けてきた。それは、どんな作品が連句作品として優れているのかをきちんと自分の言葉で定義できないからにほかならない。
たとえば歌仙ひとつとっても、式目に叶っていて尚かつ変化に富み、付け味の点でも申し分のない一巻こそが「優れた作品」には違いない。けれども、そうじゃなくても、妙にこころ惹かれる一部分、それもただ二句のみの付合があるがゆえに、その他は式目違反はあるは、多少退屈であるはしても、すべてがよく思える巻だって中にはある。

▼歌仙『一月の』の巻  澁谷 道・捌

一月の手紙まっすぐ来たりけり   加田 由美
  藁盒子ある蜑の門門       茨木 和生
錆の音なりぶらんこはたそがれて  岩城 久治
  箪笥の上に光る猫の目      西野 文代
旅立ちの気配はやくもさとられし   澁谷 道
  合鍵かくす棘のサボテン          美
          (『紫薇14号』より)

これはオモテ六句だが、ぱっと見て、一句おきの短句にそれぞれ家に関連した用語が使われていることに目を剥く。いわば、長句で転じを計ろうとするたび、短句のやつがそうはさせぬとばかりに、元に引き戻しているような感じの付合である。加えて厳密に言えば、発句は冬で脇は新年なのだが、このニ句の何と見事な響き合いだろう。一月の便りが届いたというだけの発句を受け、それを新年を祝(ほ)ぐ年賀状と見立てた上、海べりの家の門松に結わえ付けて息災を祈る藁盒子に受けさせている。私は自分の村にもまだ残る素朴な信仰行事と重ね胸が熱くなった。ただニ句の付合が、大きな時間や背景の生活臭をも切り取ることができるなんて、他の疵など構わない、座布団あげとくれ!というような印象的な巻だった。

  *

おなじく今年読んだ歌仙で、一箇所の感動が全ての疵をちゃらにして、なおかつお釣りをくれる巻をおそれながらもう一巻。

▼歌仙『鞍馬天狗』の巻  三吟膝送り


五 白樺のひと木きはだちたそがるる  岡野 乙三
六   相も変らぬ正論の癖        丸谷 玩亭
七 この人は淋しがりやとささやかれ   大岡 信

これまで連載した「読む・詠む」欄をリメイクして、今号から「新・読む読む」として、「今」の自分がひたすら読む修行の場としてみたい。今回は本誌前号(35号れぎおん)の歌仙について、記してみよう。未熟者が失礼を申しますがどうぞご寛恕願います。

以下略。

  

 

捌きという権力  転じとは?

ばどさんの句に勝手に手をいれた揚句、ばどさんの名前を冠して何もはじない。
そう思われても仕方ありません。

乙四郎にいま、真正面から問われたことを、実はわたし自身も今日一日中考えておりました。
いくらなんでも、「乱暴な」。
いくらなんでもめちゃくちゃな裁断、そして貼り付け。
できあがった句はまるで元句とは異なる。
たとえ使われている言葉がばどさんの句にあったものだとしても、です。
ことに、説明書きのところで、まるでその痛みに配慮を払わず、さもことばを機械の部品であるかのように、切り取ったり、貼り付けたりしたことを、とっても不愉快に、自分でも、おもいました。あとで「吐き気」がしてきたほどにです。

ばどさん。ごめんなさい。そのときは、その作業をしているときには、なんの思いもなく、無心でした。ところが、あとで文章をなんども読み返すうち、ことばがこころを裏切り始めるような気がしてきました。
それは、ばどさんの、こころのいたみのように、かささぎのこころに突き刺さり、仕事中も運転中もずうっと「ひどいことをしてしまった」と内側にくいこむ釘となって、ちくちくと刺しました。

かささぎはこれまで、たいした疑問もなく、さばきというリーダーの指し示すほうへことばもからだも預けてきた。連句とは衆の文芸とはそういうものだと思っていました。
自分に鑑識眼や批評眼ができるまでは、それは当然だと思っていた。

私は、前田圭衛子師について連句を学んできたのですが、先生は一直なさるとき、必ず丁寧な説明をなさいました。そして、ほぼ、その作品は手をいれる前よりもいい作品になった。
たとえば、何度かここでも書いたことですが、最初の座で前田師はわたしの出した百韻の匂いの花(最後の折の花、揚句の前の)二句を、今日わたしがやったように二つの句から部品だけを取り出してはり合せ、そして新しい花句として提供するという荒業をなさいました。

記憶では、かささぎの元句は、

花の下みな一斉に咀嚼音
二町分の花一斉にはららいで

というような、ごくふつうの句でした。
それが、

ニ町分の花一斉に咀嚼音

と一直、というよりパッチワークされ、驚くような新鮮な句になった。

けれども、わたしは前田師ではなく、ごくふつうのかささぎです。
何の魔力もないし、年齢もばどさんより下だし、あるいは、みんなと同じだし、ましてや前田師のように確固とした道がみえるわけではない。
それなのに、こんな横暴は決してやってはいけないのです。

ですが、かささぎは、あえてそうしたいとおもった。
じぶんのいいように進めたいとおもった。
それは、自分のさばきとしての未熟さを露呈しつつ、前にすすめば、(前にすすむというより、何度も戻っては進み、という作業になる)、さばきが、一体何を気にして、何を重んじ、なにを嫌がっているのか、何の躊躇もない立派な捌きより、むきだしで見えて判りやすいのではなかろうか。と思ったからにほかならない。

わたしは、乙四郎や、せいこさんやぼんや、たからさん、ばどさん、らんちゃん、そらんさん。みんなにさばきのできる人になってほしいと思います。
そうして、いつの日か、若い人たちに連句を伝えることができるようになってほしいと思った。

絵の教室があるとします。
ひとりの先生の指導のもと、ある一つの美意識が支配します。
それとおなじだとおもいます。

かささぎはこれまでに連句誌れぎおんで連句作品の「読み」を試みたことがあります。
そのとき、いちばん最初にとりあげた作品をいまも懐かしく、わすれることができないでいます。それは、紫薇の会(澁谷道主宰)の『一月の』という作品でした。

いま、手元にその原稿があればここに引用したいです。
それほど、その作品は、転じとは。ということについて、「?」を私に投げつけてくれたし、(というのも、おもて六句の三句ほどがずっとおなじ場所を詠んでいたから。おや。転じとは場所の移動ではないのか。と思ったことも含めて。)、作品から漂う気配がひどく私のたましいに作用して、「これはいったい、なんだろう」と思ったからです。

ばどさん。お辛いときに、まったく乱暴なことをして、いやな思いをさせてごめんなさい。

だけども、ことばは乱暴だったかもしれませんが、こころてきには、あながち的外れだったとは思わないのです。

ばどさんから昼にメールが届きました。
パソコンが使えないだけだ。心配いらない。
と書かれていました。
さては、またもや質入れか。と思ったのですが、ばどさんのことですから、また一発逆転で買戻しされるのでしょう。・・・そうねがっております。

さいいごに、乙四郎。
みんながいいづらいことを言ってくれて、ありがとう。
あなたが聞いてくれなければ、わたしは不眠症になるところでした。



ばどさんの折り端

ばどさんから、昨夜9時前に届いていました。
かささぎは眠ってしまい、早朝三時すぎまで気づきませんでした。
すみませんでした。

以下、ばどさんのメール全文。

「こんばんは。
私は消息不明や。
気が乗らんけど付句を

歩みを止めて風車吹く

稚魚踊る陽炎の影

たんぽぽ摘んで仏二度見る」

以上。

ばどさん。消息不明。

それはどういうことなんでしょう。

こっからかささぎの勝手な想像。

(取り立てにあって、居場所がなくなったんだろうか?
隊員さんにもそういう人はいる。
ことに仕事がすくない今の時期は。
自業自得。とはいえど。
ばどさんにここ二ヶ月の(有)裏紙警備保障の収支決算書と隊員さんたちの給与明細をみせてあげたい気分。
乏しいあがりのなかから、節約に節約を重ねてやりくりをし、なんとかみんなを飢えさせまいと必死でがんばっているマイボスの姿もみせてあげたいよ。)

かささぎは、なんでここで働いているのかと自分に問う。
ボスはかささぎよりもずうっとくるしい立場にいる。
でも、がんばっている。ひとりきりで。
ぎりぎりのところでがんばっている。
なにが彼女を支えているのか。
わからない。
でも、どんなときにも家に帰って毎日欠かさず墨をすって書を書くのだそう。
それが、彼女を支えているような気がします。
かな書道がボスを支えている。

さて、付句です。

連句人にとってはどんなときにも付句を出すことが一番大事。
つけてなんぼの連句道です。
どういうときにも句を出す。

って、だけど、なかなかできることではないです。
それなのに、出してくださった。
budさん。ありがとうございました。ふして御礼もうしあげます。

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    ばど

ばどさん。ばどさんはまだ「転じ」がよくつかめてないかと思います。
三句つけてくださった句の、三句ともが野原とか小川とか散歩とかのイメージ世界から出てきたものでした。
それですと、らんさんの春川から彦山の花の雲、と合わせて「三句がらみ」になってしまいます。おなじ世界を三つ続けることは連句ではタブーです。ですから、ここで転じます。転じかたはむずかしかったかもしれない。

転じ方。
場所をかえる。
きぶんをかえる。
調子をかえる。
リズムをかえる。
なりきりのその人物像をかえる。
・・・いろいろあるけど、とにかく、一面的にならないで、スイッチを色々と切り替えてみる。ということです。
これがだめなら、あれがあり、あれがだめなら、べつのものがある。
いくらでもたくさんアナザーワールドがある。それを考えて様々に試してみる。
執着したらどつぼにはまります。
ということで、かささぎはこの三句にさっさと見切りをつけ、ばどさんブログにいきました。http://622.dtiblog.com/blog-date-20090604.html

およ。セイコかえってきたんだね!おかいり。
ありがとう。ありがとう。
ばどさん。

ある午後に汝の心犯しだす bud

これをください。
くみかえますよ。
そして、出してくださった三句に使われている季語のうち、そびきものに分類されるかげろうを入れます。
天と地をつなぐものに二つあり、ひとつは降り物、雨とか雪とか。
あと、そびきもの。
けむりとかくもとかかげろうとかかすみとか。
連句ではとてもだいじなものとされる。

汝の心犯しだす午後  bud

と、まずかえてみる。
雑の句ならこれでばしっと決まるのですが、春。季語がいる。
たんぽぽも風車も前ニ句の世界をひきずる。
ではなにが。陽炎がある。
陽炎の心犯しだす午後
陽炎の芯犯しだす午後

これ、つかわせてください。
ばどさん。
ばどさんのくるしみってなんなの。
みえないよ。かげろうのしんにあるものがみえない。

久留米競輪、中野浩一杯が始まっているみたいですね。
だけど、とっても客の入りが少ないっていってた。
せっかく、ばどさんの意見を反映してもらったのにね。
(これはばどさんが久留米競輪へいったけど、酒も出さないようなとこ、もう二度と行くか!ってブログに書いていたので、それを営業の人に話して、営業はそれをだれかに伝えたのか、また酒類を限定的に扱えるようになったことを指します。・・・酒類が入ると、警備員はたいへんなのです。警備日誌をよめばわかりますが、トラブルが増えるからです。)

十年連続トップの座を守った伝説の人、中野浩一選手が、明日あさってとゲストでみえるらしいです。森高千里*や侍戦隊シンケンジャーとかといっしょに。
かささぎは競輪も競馬もぱちんこもあんまり興味はないのですが、ただ、去年『クライマーズ・ハイ』を見に行って、その映画のなかで、中野浩一の伝説の走りというものが語りとして背後をちらっとよぎっていくのを見て、あらためて競輪文化というものを見直した次第です。

ということで、やっと初折が巻き終わりました。
ニの折りに入ります。
春の起句(たてく)。どなたにたのもうか。
ろいりさんはかてかてまんじゅうですねえ。
やってみませんか。案ずるよりうむがやすし。です。
じぶんでつくっているようにおもいますが、そうではないです。
なにか、とくべつなもののはからいごころがつねにはたらいている。
そうかんじます。いつもそうかんじています。

* まちがえました!
  森高千里は『わたしがオバさんになっても』とか『渡良瀬橋』のヒットで有名な熊本出身の歌手でソングライター、あしたのゲストは、森下千里です。(こっちのむすめさんは、れーすくぃーんだった人だそうです。

2009年6月11日 (木)


「ややこ」歌仙 彦山の花の句

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  春、短句77

ひこさんから再びだしていただいた春の正花です。

1  花の宴舞うその姿心有る
2  花の雲流れ流れてどこの空

1は、花咲く下、舞台で舞をまっている人をみて、こころがこもっているなあと打ち震えながら見守っている、お囃子の人。(想像では。)
日本舞踊の舞をはじめて至近距離でみたとき、たいへん感動したことがあります。
直径一メートルほどの円が床にかかれているかのような舞。
その円のなかでそのひとは扇を手に、とっても動きのある舞をまわれました。
ぞくぞくするような色香をかんじました。これはなんなんだ。と。

「心有る」という表現がひこさんなのだと思います。実感が伝わります。

2.(らんさんの春川、そのまま使います。
春川といったときと、せせらぎでは、ゆったり感が全く違います。
せせらぎは夏の季節感がありますものね。
季節をさすことばがいくつも出ていますが、しかたない。
六地蔵も必然、そのままおきます。)

この花の座にどっちがいいか。
前句の心情に合致した句、それは花の雲のほうだと思います。
流れ流れて・・・これ、歌の文句みたいです。ちょっと思い出すだけでも、

東京流れ者:http://8.health-life.net/~susa26/natumero/36-40/tokyonagaremono.html

くちずさめる歌、なつかしい歌。そんな自然なてらいのない句。
「どこの空」がまたいいんです。まるで浪花節みたいで。

花は川のそばにたくさん咲き誇っている。
けっして流れたりはしないし、できない。
けれども、その花は川の水に影だけを映して、影だけを人のこころに残して、どこまでも飛んでいける。
こころにしみる句をありがとうございました。

で、ようやく、おりはしまでたどりつけました。笑

春の季語をいれて七七。

ばどさんにつくってもらいたいのですが、連絡できませんでしょうか。

2009年6月10日 (水)

「花も紅葉も」  定家の否定の花

花句でおろおろしていたおかげで、めぐりあいました。

これと。

見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮       藤原定家

初裏の花の定座に春の正花がない巻をさがしていました。
そうしたら『炭俵』に二つありました。
あとのほうの一巻がこの歌に関係しています。
函館の杉浦古典研究室ブログにすこし書きました。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20090604/1244126999#comment

で、かささぎはちょうど、数日前あべしげさんのブログで定家を読んでいました。

定家の 「国宝 熊野御幸記」(三井記念美術館・明月記研究会共編、八木書店 8500円+税)の熊本日日新聞書評。
http://facta.co.jp/blog/archives/20090526000866.html

この時代、後鳥羽院の時代です。
定家がいて、法然がいて親鸞がいて小侍従がいて行空がいて。
よみたいなあ!高いけど。以前の自分なら迷わず買っていた。

見渡せば花ももみぢもなかりけり。

こう書かれたら、すぐにまなうらに春爛漫の花がうかび、秋湖に映る真っ赤な紅葉が浮かぶ。
「なかりけり」と否定される事で現前する不思議。
このことを、塚本邦雄はこのように書きました。

以下、『新古今新考ー断崖の美学』(花曜社刊・塚本邦雄著)より引用。

藤原定家という人はそんな単純な歌人ではありません。
恐ろしいたくらみに満ちた、老獪を通り越して狡くいやらしいといってもいいくらいの技巧を持った歌人です。
余談になりますけれども、彼がそういう点でいかに老獪であるか、『近代秀歌』や『詠歌大概』を読めば一目瞭然です。
『近代秀歌』は、源実朝が十七、八歳の時に頼まれておくった、歌を詠むための秘訣の本ですが、これにはこういう歌は作ってはいけない、こういう言葉を使ってはいけないといったことが書かれています。
『新古今和歌集』には、「秋の夕暮」と言うかわりに「夕暮の秋」であるとか、「空の横雲」と言うかわりに「横雲の空」という倒置法ー後にいうべき言葉を先に言って、特に注意を喚起する、と言う詠み方がいくつもでてきます。

定家はそうした倒置法を盛んに用いています。
ところが、定家の歌論書では、「秋の夕暮」と言えばいいのにわざわざ「夕暮の秋」と言うのは、邪道であって馬鹿々々しいというようなことを、とうとうと述べています。
しかも、その舌の根の乾かぬうちに、自分ではとくとくとそれをやっています。
自分でやっておきながら、人には止めさせている。逆に言いますと、私のような名人以上の者はやってもいいけれど、お前のような初心者はやってはいけないのだということの裏返しです。それくらいの深読みをした上で、この「見渡せば・・」も読まなくてはならない。

「花も紅葉もなかりけり」というのは、華やかなものは何もない、艶なるものは何もないという否定です。
でも、どうでしょうか。
「花も紅葉も」という言葉が口から出たら、それを受けとめた読者は、「なかりけり」と打ち消されたところで、絶対にもとの虚無の世界には帰れない。
打ち消されたことによって、白々と咲きかすんだ桜の花と、血のような紅葉の色は、打ち消さなかった以前よりも、言わなかった以前よりも、遥かに鮮やかに目に立つではありませんか。
花が咲いている、紅葉が映えていると言った時には、さして印象に残らない事物が、「なかりけり」と打ち消したことによって、鮮やかにひき立ってくる。

これは少し違いますが、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という在原業平の歌を、私は非常にたくらみのある面白い歌であると思います。
貫之は『古今和歌集』の序で、業平のことを漫罵に近い言葉で、言葉が足りないというふうに言っていますが、「世の中に絶えて桜のなかりせば・・・」という傑作を読んでいますと、逆だと思うのです。
もしもこの世の中に桜というものがなかったら、どんなに春はのどかであろうという、これは勿論逆説です。
逆説ですけれども、明らかに無いものねだりです。
恐らく定家は無いものねだりの打ち消しの例のあまたを心に置いて、打ち消すことによってなくならずに、打ち消さなかった前よりも更に激しく濃く心に甦ってくる効果を十二分に計算して、こういう歌を詠んだ。
だからこそ、「なかりけり」という三句切れに一応の断絶をみる効果も、他の三句切れとは遥かに意味のあるものになっている。
しかも、「浦の
苫屋の秋の夕暮」という何の変哲もない、決まり文句=常套手段と言ってもいいような下の句をおいたのも、効果を充分計算に入れての上だと分ります。

黒木町城山(調山)哀話  下

『黒木町 猫尾城の悲しいおはなし』 後半

(六月七日からの続きです)

六 奥方たち、矢部川の流れに

うちひしがれ、日に日にしずみこんで行く奥方をまわりの人びとは、何とか元気づけようとしました。乳母(うば;小さい時から母親がわりに育ててきた人)の紅梅(こうばい)も、女房頭(にょうぼうがしら;そばにいて身のまわりの世話をする人びとの中で一番えらい女の人)の濃君(こきぎみ)やたくさんの侍女(じじょ;おつきの者)たちもたいへん心配をしました。

ある日、奥方・春日の局は勇気を出して琴をひきました。
以前に夫とよく合奏したなつかしい曲をひいてみたのです。
ところがどうしたことでしょう。琴の弦(糸)が全部切れてしまったのです。
今はもうこれまでと、春日局はたくさんのうらみの言葉や別れの言葉を書き残して、雨で水がふえ荒れくるう矢部川の流れの中に身をなげたのです。
乳母や侍女たちもつぎつぎに身を投げました。

古い記録では十三人の女の人たちが、奥方のあとを追って身を投げ、おどろいた家臣(けらい)たちの必死の努力のかいもなく、みんな激流(げきりゅう)にのまれて見えなくなったとあります。
昔の矢部川は、いつも満々と水をたたえて流れていたのでしょう。

(写真:奥方たちが身を投げた矢部川:剣が淵)

七 築地観音像(ついぢかんのんぞう)と神社

黒木西小学校の東、やく百五十メートルくらいの築地(ついぢ)という所に、小さな神社があります。まわりは大きなブナの木や、イチョウの木や竹林にかこまれている小さなかわいい森です。ここの神社を「築地御前神社」(ついぢごぜんじんじゃ)といいます。
築地の人びとはこの神社を親しみをこめて、「築地の観音さん」と呼び、自分たちの氏神(うじがみ)さまとして先祖だいだい長い間守りあがめてきました。

小さなほこら(神さまをまつったやしろ) の中に、木造の三つの古い観音像(かんのんぞう)がまつられています。中央の少し大きな本尊(ほんぞん)は奥方・春日局(かすがのつぼね)、両わきの脇侍(わきじ)は乳母の紅梅(うばのこうばい)と 女房頭の濃君(にょうぼうがしらのこききみ)の座像(ざぞう)です。

ではどうして、お城から二キロ以上もはなれたたんぼの中のこんな小さな神社に、黒木城の奥方たちがまつられているのでしょう。
もう皆さんは想像がついたと思います。

(写真:御前霊社 ついぢのかんのんさん)

八 築地(ついぢ)の人びと・そして行事

矢部川の激流にのまれたあわれなあわれな女たちは、家臣に助けあげられることもなく、あっという間に川下へと流されていきました。
そして二キロ以上もはなれた築地の瀬にうちあげられたのです。
築地の人びとはみんなでこれを抱き上げ、大きな木を切ってこれを燃やし、女たちの冷えた体を静かに温めました。しかし村人の努力のかいもなく、ついに帰らぬ人になってしまったのでした。

城主助能と村人は、ここ築地の窪(くぼ)に神社をたて、春日局・紅葉・濃君の三人の仏像をつくり、神としてまつりました。
そして八百年以上たった今もなお、築地の人びとはこの神社を大切に守りつづけているのです。

南本分(みなみほんぶん)の老人会や築地の人びとは、神社をきれいに掃除します。毎年大晦日(おおみそか)には、立花町の黒木氏の子孫が赤の手ぬぐい・おしろい箱・べに皿・赤緒の草履(ぞうり)を三人分持って神社にまいられます。十二月十八日には「生木焚き神事(なまきたきしんじ)」という行事が築地の人びとによって行なわれ、奥方たちの霊(れい)をなくさめ、氏神や水神に感謝をされるのです。

(写真:築地(ついぢ)の観音像(かんのんぞう))

九  史跡「剣が淵(つるぎがふち)」

奥方春日局(かすがのつぼね)たち13人の女官たちが矢部川に身を投げたあと、猫尾城や黒木の郷(さと)ではたくさんの不吉な出来事(できごと)が起きました。矢部川は氾濫(はんらん)し、郷(さと)はたいへん荒れ、お城のなかでも困った出来事がつぎつぎと起きたのです。

城主助能は妻の死をいたみ、女官(にょかん)たちの死をたいへん悲しく思っていました。彼は妻たちが紅緒の草履をぬぎすてて身を投げた岩の上に立ち、京で帝(みかど)にもらった刀(剣;つるぎ)を水に投げ入れました。そして妻たちの霊(れい)をなぐさめるために、心をこめて笛をかなでました。彼の吹く笛の音は水の音にもまさり、あたりにひびきわたりました。きっと城主の心が妻や女官たちの心にとどいたに違いありません。その後は川も荒れることなく、不吉なできごともおさまったと言い伝えられています。

このことから、城主助能が立ったこの矢部川の深みを「剣が淵」といいます。
グリーンピア八女に行く橋(つるぎがふちばし)のたもとの岩の上に「史跡剣が淵」という記念碑が建てられています。

(写真:記念碑「史跡 剣が淵」)

十  北木屋の聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)

城主助能(すけよし)が京からつれ帰った待宵小侍従(まつよいのこじじゅう)の子・黒木四郎(幼名四郎丸)は、その後どうなったでしょうか。

彼は成人して黒木四郎調宿禰(つきのすくね)藤原定善(ふじわらのさだよし)と名乗り、中務大輔(なかつかさだゆう)筑後守(ちくごのかみ)というえらい職につきました。しかしどうしたことでしょう。健康そうであった定善(さだよし)は、ふとした風邪がもとで18才の若さでこの世を去ってしまったのです。

城主、助能の悲しみは言うまでもありません。つたえ聞いた京の父・徳大寺卿(とくだいじきょう)もとても悲しみました。そしてこの不幸なわが子・四郎をあわれみ、等身大(とうしんだい;本人と同じ大きさ)の仏像をつくり、黒木に送りました。

この仏像は、今では北木屋の氏神熊野神社のすぐ近く(東方)の観音堂にまつられ、県の文化財にも指定されています。

毎年この地区では、10月の第1日曜日に1000個以上の提灯に火をともして盛大な“ちょうちん祭り”がおこなわれ、黒木名物”だんご汁(だごじゅる)”などがふるまわれ遠くからお参りする人も多いと聞きます。
夕方いっせいに灯がともされると、山手にすばらしい明かりのパノラマが広がります。

(写真:北木屋の聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)

付記)八女市柳島(やなじま)の十七夜祭(あめがたまつり)

湯辺田(ゆべた)の先から国道442号を左に折れて、矢部川ぞいにさらに下り、北田形地区を過ぎると、次は柳島という地区になります。
そこの入口の右側に大きな若宮神社があります。その境内にも、黒木のこの話にかかわりのある小さなほこらがあります。

昔は行商人(ぎょうしょうにん)といって、物を売りあるく人がたくさんいました。ある朝、”あめがた”の行商人が岸に打ち上げられた女の人を見つけ、村人と一緒に火で体を温めましたが、すでになくなっていました。猫尾城の奥方と一緒に身を投げた女官の一人だったのです。その時、木製の仏像も岸に流れついていたそうです。奥方が日頃大事にしていた仏像だったといわれています。

その後村人たちはほこらを建ててこの仏像をまつり、その霊を慰めてきました。毎年一月十七日の夜に境内で火をもやし(ホッケンギョウの行事)、霊をなぐさめるためのお祭りをつづけています。
今でもその日には”あめがた”の店が出てにぎわい、”十七夜祭”とか”あめがたまつり”とか呼ばれているそうです。

(写真:八女市柳島の若宮神社)

※お詫び:写真画像をいれこむことができませんでした。

 編著者   黒木町教育委員会
        地域活動指導員 田形光義
 発行    平成14年11月1日
 一部改訂 同年12月2日

参考文献:
『郷土の文化財 改訂第一集』 黒木町教育委員会
『郷土の史話(一) 改訂黒木物語』 和田重雄著
『郷土資料 黒木城史話』 故・東 種吉 遺稿

2009年6月 9日 (火)

連句の花。

簡単そうで難しい。

歌仙「ややこ生る」の栞(しおり・初折)の花。

彦山からと呂伊利さんからと出していただいた。

いずれも初めて「句」を作られたもので、とっても思いのこもった作品です。

彦山句

1さみだれのかおりもいづるはなしょうぶ
2里の池ひっそりいきづくはなしょうぶ
3桜木の青葉の色もここちいい

呂伊利句(花一句、月一句)

1花散りしのちにめでたや葵っ子
2孫といて守りも楽しやルナ(月)の盆

* 1 葵・・・ややこの名前を織り込んでいます。
      (葵、アオイは夏。この名前、だれもマモルとは読めない)
* 2
  孫といて・・・頭韻は「ま」
  守も楽しや・・・頭韻は「も」
  ルナの盆・・・頭韻は「る」、と三句で「まもる」の名前をおりこみ、
 ぼんへの挨拶がルナ(月)の「盆」で尽くされています。
(一見なんでもない句に見えて、実はすごい凝った句。)

ここに二人の句が5句。
うち、連句人のつかう「慣用的なことばの意味」で花の句といえるのは、呂伊利さんの花散りしの夏の花句のみ。夏というのは葵が入っているからですが。
それは作品の出来いかんではなく、花とは何かという定義が連句の場合独特だからです。

花ということばを入れていなければ花ではない。
花しょうぶは花ですが、連句の花にはなれないのです。
桃も梅もチューリップも「さくら」でさえ、正花(しょうか)にはなれない。
花は花であって花でなく、なによりも花でなければならない。
イメージとしては桜がさいているすがたを描きつつ、花ということばで花をよむ。
と、はじめての人には説明されます。それでなんとかそのようにして入っていきますが、では「花」がみえるのかといいますと、なかなかむずかしいです。
第一自分でもさっぱり言ってる意味がみえてきません。

そういうふうに書いています。そういうふうに書かれています。
これまでいろいろと連句辞典や連句の本をひもといて、説明をよみましたが、これという説明に出合った事がありません。

けれども、そういうものが「花」です。

連句では美の象徴が花であり、月でありするのですが、月より花、ことに揚句の一句前に置かれる匂いの花(ニ折の花)へ向けて、一巻が収斂されていく。

そこで、ここの花になにをおくか。

まだ見えてきません。
発句が夏ではなかったら、たとえば春でしたら、ここの花は夏の花でもよかったかもしれません。けれども、夏は発句です。どう考えてみても、ここに置くのは、春の正花です。

花便り、花の宴、花の雲、花の山、花吹雪、花の冷え、花冷え、花衣、花疲れ、花の客、花筏などなどなど。
こういう言葉を入れて花をよんでください。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様    たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺のせせらぎ  らん
11
12 

2009年6月 8日 (月)

おうたい三番

ぼんのご主人、彦山のことを思っていたら、お謡い三番を思い出しました。

おうたいさんばん。

私の結婚式やそれから、娘の初節句、長男の節句の宴で、一族の縁者が朗々とあげてくださったのを忘れません。

それが、きけば、もう今はやらないのだそうです。

お謡い三番。

「位の高い歌、例えば高砂みたいな曲から歌いはじめ、さいごは「雑」でおわる。」

と母がおしえてくれました。
最初に位の低いのをうたってしまったら、あとが続かないそうです。

三番、それぞれ別の人が歌ってくれた記憶があります。
位のたかい歌は長老にたのんでいたような。

振り返れば、それらのお謡いをあげてくださった人たちはみな、鬼門にはいられてしまいました。さびしいことです。

2009年6月 7日 (日)

黒木町城山(調山)哀話  上

『黒木町 猫尾城の悲しいおはなし』

 編著者   黒木町教育委員会
        地域活動指導員 田形光義
 発行    平成14年11月1日
 一部改訂 同年12月2日

参考文献:
『郷土の文化財 改訂第一集』 黒木町教育委員会
『郷土の史話(一) 改訂黒木物語』 和田重雄著
『郷土資料 黒木城史話』 故・東 種吉 遺稿

一 初代城主 黒木助能(くろきすけよし)

“しろやま”の頂上は今では公園になっていて、昔の面影はうすれてしまっています。しかし昔(800年くらい前)は、ここに小さなかっこ良いお城があったのです。

城主のいる館(やかた・二階だてぐらいのかんたんなお城)、今の役場の仕事をする役所、さむらいがいるたてものが二つ、やぐら(見はり台)が三つ、それに大きな門と板べいや土るいがあり、まわりは堀(ほり)にかこまれた山城だったことが、調査の結果わかっています。このお城は猫尾城(ねこおじょう)と呼ばれ、初代城主黒木助能(すけよし)のお城でした。

助能はふだん、裾野(すその)の陣の内一帯に奥方(おくがた)と三人の子どもと暮らしていました。かれは笛をふくのがうまく、春日(かすが)という奥方(おくがた)の琴に合わせて演奏するのが何よりの楽しみでした。しずかな山城に、息のあった笛と琴の音が毎日のように聞こえたことでしょう。

山の頂上にのぼり耳をすますと、今もあたりの木立(こだち)の中から、笛と琴の音が風にのって聞こえてくるような気がします。

(写真:本丸あとの勤王史蹟猫尾城跡と戦没将士の霊の碑)

ニ 城主 京の都へ(みやこ、今の京都)へ

静かな黒木のお城に、とつぜん、きんちょうがはしりました。
城をあけて、三年間京都に行かなければならなくなったのです。
大番役(おおばんやく)といって、皇居(天皇のいられるところ)をお守りする役にえらばれたのです。名誉(めいよ)なことですが、とてもたいへんなことです。

800年以上も昔の話です。飛行機とか汽車とか車などは、もちろんありません。京の都に行くには馬にのるか歩いていくしか方法はありません。行くだけでもとてもたいへんなのです。
もちろん、ことわることは、ぜったいにゆるされないのです。

奥方(おくがた)春日(かすが)のつぼねは、たいへん悲しみました。3年間どころか、もう一生会えないかもしれません。
城主すけよしも、これからのことがたいへん不安でした。お城は大丈夫(だいじょうぶ)だろうか。るすの間、家族は大丈夫だろうか。自分の京都での暮らしのこともとても気にかかりました。

少しばかりの家来(けらい)をつれて、やむなくふるさと黒木をはなれたのです。

(写真:昔の石で復元された本丸の石垣)

三 京のくらしと笛のしらべ

京についた黒木助能は、帝(みかど)のおられるところをお守りする仕事に忠実にはげみました。しかしふるさと黒木や、残してきた家族のことが忘れられません。彼は大好きな笛を心をこめて吹くことで、さみしさをまぎらわせました。それだけに彼のふく笛の音は人びとの心をうつのでした。彼の仕事ぶりと笛のことは、すぐにまわりの人びとに知れわたりました。

二年目の正月、京では帝(天皇)をまねいて舞楽の催し(ぶがくのもよおし;曲や舞をみんなで楽しむ会)が開かれました。左大臣(帝の次にえらい人)から、その場で笛を吹くように頼まれました。彼ははるか遠い黒木にもとどけとばかり、心をこめて横笛を吹いたのです。

助能のふく笛の音は、きく人びとの胸をすごくうちました。
帝はたいへん喜ばれおほめのことばをかけられ、ごほうびとして、「調(しらべ)」の姓と、「待宵小侍従(まつよいのこじじゅう」という美しい女官(にょかん;帝につかえる身分の高い女の人)を彼に贈りました。

(写真:本丸あとに建てられた彦山神社)

四 つとめを終えて ふるさと黒木へ

助能(すけよし)は、その後も真面目(まじめ)に館(やかた)をお守りする仕事にはげみました。

舞楽のもよおしでの帝からのごほうびのことは黒木の城にもつたわり、人びとは城山や猫尾城のことを、「調山*」「調城(しらべじょう)」と呼びたいへんほこりに思いました。(※かささぎのひとりごと:しらべやま。つきやま。両方いいますよね。)
もう一つのごほうび「待宵小侍従(まつよいのこじじゅう)」は、じつは徳大寺左中将実定卿(とくだいじさちゅうじょうさねさだきょう)という身分の高い人の恋人で、すでにおなかには三ヶ月になる子どもがいたのでした。
月みちて男の子(のちの黒木四郎)を産みましたが、助能はまるで自分の子どものように可愛がりました。
この親子は帝からのおくりものです。もちろん大切にしなければなりません。
しかし小侍従(こじじゅう)親子を自分の妻や子どものように可愛がったのは、妻や子どもを黒木に残した淋しさからだったかもしれません。

助能が京へ来てから三年が過ぎました。
大番役という大役(たいやく;とても大切なしごと)を無事に終えたのです。助能は小侍従親子をつれて、お供のものたちと喜びいさんで黒木へと旅立ちました。

(写真:三の丸あとにつくられた城山公園)

五 留守をまもった奥方(おくがた)の悲しみ

黒木の城で留守(るす)を守っていた奥方(おくがた)・春日局(かすがのつぼね)は、夫(おっと)がつとめを終えて黒木に帰って来る日を、今かいまかと待っていました。

夫助能(すけよし)が帝の前で笛を演奏し、たいへんほめられ、ほうびとして「調べ」の姓をいただいたことは聞いていました。
「名誉なことだ」と家臣ともども喜び合い、会う人ごとに誇らしげに夫の話をするほどでした。しかし、待宵小侍従(まつよいのこじじゅう)という美しい女官のことやその子ども「四郎」のことなどは、奥方の耳にはとどいていませんでした。
純(じゅん)な気持ちでただひたすらに夫の帰りを待つ奥方にしらせるのが、まわりのみんなにとってはしのびがたく、またつらかったのに違いありません。

城主が黒木に向けて京をたったという報せ(しらせ)は、すぐに奥方の耳にもとどきました。涙をながして喜んだのは言うまでもありません。しかしそれだけに、待宵小侍従という美しい女官とその子どもも一緒だと聞いたときの彼女の心は悲惨(ひさん)でした。
子どもは夫の子ではなく、徳大寺というえらい人の子だと聞かされても信じることができなかったのは、当然のことだったかもしれません。彼女は一度にうちひしがれ、ショックをうけてふさぎ込んでしまったのです。

(写真:城山公園の入り口一帯)

後半は明後日に続きます。※写真画像は入れることが出来ませんでした。

▼お詫びとお願い▼

この資料は、かささぎの旗姫野が先週星野村教育委員会へ「星野黒木谷のこうやんどう」に祀られている「行空上人」についての資料をいただきにあがったとき、黒木町の資料ですが。といって見せていただいた子ども向けの小史です。
ここに丸ごと引用いたしますことを、お許しください。
この時代(13世紀)のことは謎が多いのです。
五木寛之氏の新聞連載小説『親鸞』にも「行空」が登場しますし、その行空とからむかたちで、黒木の調氏がいたことを、わたしはこれまで全く存じ上げませんでした。

郷土の埋もれた歴史を掘り起こすとは、こういう作業の積み重ねかもしれません。
一つ一つの事実はすでにもう既知であると、ひとつひとつに関係している身内の人たちには思いこまれていて、もっと知られるための努力がなされていないように思われます。
が、じっさいには、それぞれの事実が、それぞれ独立して、はなればなれに存在しているがために、有機的結合をとげられないでいるのではないでしょうか。
連句的視座ということは、そういう事実をすべて大局的に俯瞰し、結合してものごとを視る、ということです。
そういう仕事をかささぎの旗は、「地域学」と名づけてやっていきたい。
ぼちぼちとできる範囲で。

天文年号誤表記の謎解明まであと一歩。

▼竹橋乙四郎のコメント

矢部の六地蔵。
天文17年申戊とあるが、天文17年は戊申。

↓(下のほう)

http://snkcda.cool.ne.jp/yabemurasi/6bunka/seiiki.html

上記のサイトから一部引用させていただきます。(かささぎの旗)

引用1

□奉造立十一面観音菩薩厨子
 意趣者仰仏日光輝転法為
 山門鎮静瑞憑三十三身変
 異得家門繁昌栄専祈者
 子孫全盛之連綿万変如意也
  □天文十二夘癸季十一月廿一日成就之
   雲護寺松林禅寺 持住 明意
  筑後州上妻郡河崎庄矢部村内
  当檀那願□栗原式部少輔源臣朝親直(花押)

引用2

六地蔵者下向七代調月宗仙居士 遺言信□
  
天文十七申戊季十一月五日逝矣(夭□)
  児孫清源(原)朝臣鑑量 造立□拝
  仏法灯前得威光
  正眼見来六塵主
  総在這裡明 
文化九申

▼ かささぎの旗がおもったこと。

天文12年は本当は癸卯ですが、上記の現物表記では「夘癸」とさかさまになっています。

天文17年は本当は申戊ですが、これもまた現物史料には「申戊」と逆になっている。

上記史料にもう一つ書かれている史料作成時の年号、文化九年「」、これは本当は壬申年です。

そして残るは、天文年間の戦国百首の年号の謎。
天文24年は本当は「乙卯」なのに、現物史料では「癸卯」と記されている。

かささぎが「希望」という歌を聴いていたとき、ひらめいたのは、「みずのと・う」は「きぼう」と音読みできますから、恣意的に「乙」を「癸」に書き換えたのではなかろうか。ということでした。それは「祈り」として、の意味です。

江戸時代末期の久留米が生んだ考古学者・矢野一貞は著『筑後将士軍談』で、この天文百首和歌を『天文歌人』の見出しをつけて紹介しています。そのときに感じた疑問に、おそらく年号の二十四年がまちがいではないだろうか。干支がただしいのではないか。と書いていたのですが、同年代のものに付された年号のうち、二つが誤表記の干支であることを思えば、年号よりは干支のほうが怪しい。と思うのがすじだろうという感じがしてきました。

これだけでは断然たりないのですが。
ほんとうに時代のあわただしさをじかに知ることができる史料だとおもった。

参照させていただいたこよみの頁 http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/kyuureki.htm

2009年6月 6日 (土)

六地蔵さんの前

六地蔵さんの前

午前中、隣人で連句仲間の澄たからさんを見舞いました。
たからさんは英語を休んでいたので気になっていたのです。
すぐ近くですが、そうそうは会えません。この時とばかり、話し込みました。
そのとき、六地蔵談義を少ししました。
たからさんのお里は愛媛ですが、ふるさとの墓地の隣に六地蔵さんが祀ってあり、いつも供え物が耐えないとのこと。
そういう話、座で連句を巻いていればきちんと聞けますが、ネット文音では一方的になってしまいます。きけてよかった。
お見舞いにはお古で申し訳ないけど、竹内まりやのアルバム「DENIM」をもっていきました。
若い頃からまりやさんの歌が好きだったそうで、喜んでもらってよかった。
「みんな一人」「返信」「シンクロニシティ」「君住む街角」「デニム」などなどいい曲ばかり入っているし、元気がでるのです。
たからさん、思っていたより元気そうでした。
かわりのきかない主婦、母親役、おからだ大事にしてくださいね。

帰宅後、うちの母に六地蔵の話をしたら、母がとつぜん、そういえば。
といって、自分の生まれ育った黒木・笠原の鰐八地区の六地蔵の話をしてくれました。
じぶんではいったことないといいます。小学校のころ、鰐八の六地蔵が来るぞといって、その地区から六人の生徒が通ってきていたのをガキ大将たちがからかっていたのを覚えている。というのでした。

それでは、今から行って見ようと思い立ち、すぐさま実行しました。
まさかこのように山の中とは思いもしませんでした。
母は途中で断念し、車の中で待っていました。
半ズボンにサンダルばきのかささぎは、足が傷だらけになりました。
でも、案内人・月足さまの温かいお心と、六地蔵さんの無言の励ましに勇気をもらって、元気に山を下りることができました。

ほんとうに、ありがたいご縁に感謝いたします。

案内人

案内人

「鰐八の六地蔵さんへはどういったらいいですか」

山の茶畑で作業をなさっていたかたに道を尋ねた所、道はあってないようなものだからと
言って、ご親切にもけもの道を連れて行ってくださいました。

月足さんとおっしゃいました。
むすこさんとお茶を作っておられるそうです。
とても親切にしていただきました。

車をとめて、道なき道を百メートルほど草や潅木をよけながら登りますと、ほぼ頂上に出ます。その先に向かう六地蔵さんの祠がありました。草に埋もれていました。
年に一度「祭り」の日があり、それは七月二十三日だそうです。
三軒の家で当番を勤めるとのこと。
そのときだけは草も刈られるので、道が出現しますとおっしゃいました。

六地蔵 笠原鰐八の

六地蔵  笠原鰐八の

ホタルガ

ホタルガ

2009年6月 5日 (金)

おじぞうさんとふろしき

ことし勤務先の仕事量ががたんと減った。

去年のはんぶんもいかない。
まいにち暇なんである。
いそがしいことはよかったんだなあとためいきの日々である。
しかし現場はひまでも事務はひまとはいえない。

「おじぞうさん」娘と同年齢のセイネンが私の右側の机にいる。
あたまは坊主、とても素直でいっしょけんめい、こころうたれる。
最初銀色の金属製のかばんをもって電車通勤してた。
いま、なぜか風呂敷。笑
かんぜんに書生スタイル。
わたしはかれのファンです。応援してる。
時給700円で毎日五時間。
ボスの酷使にたえ、洗濯物から犬の散歩、食材の買出しまで、いやな顔ひとつせず、こなしてる。偉い。かれはこうがくかんでた子なのよ。パソコンもだれより上手なのにえばらないし、寡黙。すごい子だ。

ところで。
さっき神津ろいり文書のカテゴリーをひらいて、注意深く読んでいたら、えめさんのコメントのなかに、広川に六地蔵がある。と書かれていた。それ、気になるよね。
たからさんの句、六地蔵を地蔵様とかえたけど、最初の偶然の出方ってとても大事だし、広川のそこへ行きたくおもう。それと菅原道真の父上をまつるというぜぜしゃへも。こっちは朧大橋への道を逆方面へおれる。とだけかかれていますね。
ぜひ、いつか。あたまにいれておこうね。

▼広川町在住、山下整子のコメント:

八女郡広川町の六地蔵について

広川町の六地蔵はわたしの住む地域の隣の地域にあります。
一條区。
六体の地蔵さんが立っているわけではなく、一枚の岩に六体のおじぞうさんが描かれているものです。
路肩にひっそりと立っていますが、地域のおばあちゃんたちが気がけてお花やお供え物を供えてくださっています。

以下は、町のHPから。

「広川町指定文化財第4号 有形文化財(書跡)」

 天正15(1587)年に、豊臣秀吉が島津征討に赴いた際の往復路(太閤道)の辻に1基立っています。自然石(緑泥片岩)の1枚石に六地蔵が陽刻された六地蔵塔婆です。
 年代は室町時代後期の作と推定されます。

正式な名称は、一條六地蔵自然石板碑。
いちじょうろくじぞうしぜんせきいたび。

『ややこ生る』 花前

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川  らん
11  花  (五七五)        彦山

とうみょうじらん花前句案

1春光を浴びゆたりと流る
2 ゆったり下る野辺の春川

シュンコウ、ハルカワがこないだ言った理由で気になります。
一巻に直接季節の名をさす言葉は一つか二つに留める。
他に言葉を捜してみましょう。
野辺の春川、野辺の小流れ。また小川だと三音。
せせらぎがあったな、とおもいつく。

しらべてみる。こんなふつうのことば、しらべたこともなかった。
せせらぎ、古くはせせらきとも。=浅瀬などの川の流れる音、またはその流れ。
なのだそうです。かささぎはここでなぜか、あららぎ。ということばを思い出す。
ついでにひく。すると。

あららぎ=塔を表す。斎宮で言う忌み言葉。またはイチイ、ノビルの古名。ほかには伊藤左千夫などのいた短歌誌。 

以上、ラギつながりでした。
「せせ」はせまいという意味だろう。せせこましいってことばもあるくらいだし。
「あら」は新とか荒、粗削りに通じてる。
また、川でないのを出すとしたら、なにかあるだろうか。
せっかくゆったり下るのだから。別に川でなくてもいいなら。
あさじふ。ということばが唐突にひらめく。浅茅生。
前句をうければ、あさじふは雅な歌語であり面白い。んが、茅は秋だったか。

(ここで、じっさいにせせらぎと置いてみました。すると、季節感がなんとなく夏です。春川のもつゆったりしたかんじがせせらぎだと失われる。もとにもどします。6月9日追記

小川沿いの小道を作者はゆうるりと下っています。
名詞どめが続いていますが、花前もこれで。
つぎはいよいよ花です。
どなたか、出してくださいませんか。
せっかくですから、呂伊利さんにだしてほしいけど、最近みかけません。 

おーいろいりーさん。だしてください。まだ何も出してもらっていません。
花ということばを入れて、こころの映像にうかぶあなたのさくらのはなを、五七五にまとめてください。ここでの注意、名詞止はさけてください。あと、地名はいらない(鳥栖がでています)。

ろいりさんがここ、栞の花。
匂いの花は、ぼんのご主人、彦さんにだしてほしく思います。
彦さんは謡曲を学んでおられるので、きっと「心の花」があるでしょう。

ほかに、かささぎはわれらの同級生である丸山消挙にもせめて一句、出してほしいと願っています。原爆忌のところでワッとおどろくような迫力の句群を出してくれた。この人はきっとたくさんことばをもっている人だとおもう。かささぎのカン。
中山宙虫がいないけど、ま、しやなかたい。
そのうち、かえってくるよ。つれもどすよ。大切ななかまだから。

ばどさんには、ナウで恋をだしてもらいましょうね。
出番をもうけずにごめんなさい。ちょっとまっていてね。
恋句かんがえていてね。

2009年6月 4日 (木)

君も魚われも魚なり   英語詩1

君も魚われも魚なり泣けぬなり    恭子
拙訳)
you're  a  fish
I’m  a  fish too
and  we  can’t  cry  aloud
佐藤哲三教授の英訳)
As well as you am Ⅰ a fish.
Alas!We cannot cry aloud.
  
ノート:
AもBも=A   as  well  as  B  (Aに重点)
  〃= not only A  but also B (Bに重点)
英詩の方法 1
Iambic  Tetrameter(あいんびっく てとみた
  強弱四歩格
Ⅰ as well as you am a fish.←ふつうの構文
As well as you am Ⅰ a fish.←強調構文
弱 強  弱  強  弱  強 弱 強
Alas!  We  cannot cry aloud.
弱強   弱 強弱  強 弱強
君も魚(うお)われも魚なり泣けぬなり  恭子
連句の座でボツとなった恋句捨てがたく。
胸奥で鳴り響いていた句は、これです。
行く春や鳥啼き魚の目は泪   芭蕉  

2009年6月 3日 (水)

前川さん、まっとってください。

ナガサキ原爆忌平和祈念俳句大会の締め切りがあした。

かささぎの旗ではみなさんからの投句をかきあつめて、ナガサキの前川弘明さんへまとめて送ります。

とどいております、数人分。

わくわく。

みーんなここに発表したいほどの力作ぞろいです。

句としてはまったくかたちをなさない丸山消挙の一群の句。

これはここに書いておきたいとおもいました。
これをよむと、わたしたちの育った精神風土が少なからずみえてくるとおもったからです。

ばどさん、たからさん、そして、さくらさん。
ぜひ、一句でも二句でも書いてください。

愚句    丸山消挙

あの夏は悲惨この夏平和ボケ
あの夏はもっともっと熱かった
近所では民を飢えさせ核実験
この夏も思い出すのは祭りの場
帰り際落としていった原子爆弾
無謀だよ仕掛けた奴も落とした奴も
核を持つ国が地球を破滅さす
戦争だ殺される方も殺す方も
嘘という南京も三光も中国の
三光って言葉が知られず消えていく
 三光は殺光・焼光・槍光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす
家族のためなら銃も取るが国は守らん
俺の意志反核反戦反体制
俺の意志半獲半煽半退勢

『ややこ生る』 裏花前まで。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様    たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭

10 花前句、77、春
   
ぼん付句案
1  向こう岸から我を呼ぶ声

2  グランドゴルフ赤白黄色・・・○

3  千円高速騒ぎいつまで

姫野、次の付句案
1 俳諧は卑俗で俳句は高尚で
2 天上の風ふく虔十公園林
3 ひっそりと橄欖石(かんらんせき)は息を吐き

選句1にかえます。
このことばは連句協会報の東京は遅刻坂連句会・大久保風子さんのエッセイに書かれていたものです。そっくりいただきますよ。
すんまへん、ふうこさん。
ことばはぬすむべし。それにしても、このことば、奥がふかいなあ。

つぎは花前句、さらりと七七。春でも雑でも。みんなだしてよ。
練習とおもって。

凝ったつくりの句じゃなく、さらりとしたさりげない句。
十一句目は花の座です。花はだれにだしてもらいましょうか。
ろいりさんはいらっしゃいますか。

保健医療経営大学で学ぼう! 秋入学願書受付中

保健医療経営大学の秋入学の出願受付が始まりました。

保健医療経営大学という大学の存在が知られていない壁。

存在は知られていても、その学問内容が知られていない壁。

学問内容が知られていても、その有望性が知られていない壁。

有望性は知られていても、秋入試を実施することが知られていない壁。

これらの壁を乗り越えて、どれだけが受験してくれるものか不安があります。

ひとりでも多く、本学で学んでほしく思います。

     

     橋爪 章学長

今という時代は、漠然とした空虚さ無目的さが世を覆っています。
なんのために生きるのか、わからなくなっている時代だといえます。
そんな中にあって、ここ保健医療経営大学は、医療経営が「大切なかけがえのない人々の生命をまもる」ため、きちんと自分の足でたつことができる、国や自治体などからの援助を一切受けずに地域に利益を還元していける「独立採算企業」であるべきとの認識のもと、地域に役立つ人的資財の育成、またさまざまな医療経営技術を、現在の医療制度にからむ煩雑な法体制から医療の実際、はてはグローバルな地球人としての在り様まで、四年をかけてていねいに教えることを命題として、雪の聖母会こと聖マリア病院が昨年開学した、全国でもここにしかないというユニークな大学であります。

どこの難関大学を出ても仕事を見つけるのは容易ではないこの大不況の時代に、卒業後の進路がきちんとしたかたちで用意されているのは、日本広しといえども、ここ保健医療経営大学だけではないでしょうか。
まだ知名度がなくて生徒数も少ないのですが、それがむしろこの大学の誇れる強みでもあるわけで、少人数精鋭クラスでの授業はサポタージュが出来ないというおそるべき利点がございます。また、生徒には医家の子弟も多く、ここを卒業することで得られるものには、医療機関との強い絆があると申せます。
大学の四年間で、なにを学ぶか。なにをはぐくむか。

それは大学側が与えるものであると同時に、あなたがたがみずから選んで、掴みとってゆくものであります。

今年度から秋の入学試験制度もとりいれました。
ただいま願書受付中です。
進学はしたものの迷いの中にいるあなた、また、就職はしたもののどこか違和感を感じたまま迷っているあなた、そしてまだ進むべき路をみいだせないでいるあなた。

あなたの未来への第一歩をここ「卑弥呼の里」みやま市の保健医療経営大学でスタートしませんか。

生徒たちの顔は光り輝いています。

大学ホームページ案内:http://www.healthcare-m.ac.jp/

  

     

2009年6月 2日 (火)

中山宙虫への詫び状

そらんさん。

こういうふうにおもうことはできないでしょうか。
ここに引きつったひとがいます。
そのひとは荷物が重過ぎて疲れ果てている。
ここへくる。
あ、いまそういえば思い出した、北原志摩子の句、うろおぼえ。
秋灯窓から見える砂糖壷 
こんなふうな一句でした。記憶ですから間違っています。
秋ともしは秋羨し。
おとなりの窓からみえる砂糖壷がうらやましい作者がいます。

昨日、新聞でこういう文章をよみました。
「自ら社会変える意志を」西日本新聞朝刊、内山節(哲学者)
「失いはじめた持続性や継続性」。

内容は半分がそらんの随想にあらわれていた現代の問題。
あとの半分はどうしたら継続可能な社会ができるかの考察。
「信頼」の回復がまず必要で、それがなければ、この世のすべては砂漠にうもれる薔薇みないなものだ。というのです。

かささぎのもっとも痛い所におちた中山宙虫の随想。

それは裏を返せば、本当は今もっとも必要な、
「真っ当な人生の価値」
について書かれていたのかもしれない。

ごめんなさい。ここに正式にお詫びいたします。

かささぎの旗
2009/06/02 17:43

かるらがいた。

かるらがいた睢

下段の左から二番目が「かるら」です。
博物館でもらったビラ。

(らくがき:カンリンという楽器は高僧の大腿骨をつかって作る。

びっくりしたから、ついメモってきた。
博物館に展示されていたのはホネではないようでした。)

刹那、連句的

刹那とは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B9%E9%82%A3

瞬間おもいだしたのが冬樹蛉。

この世を、ビッグバンとビッグクランチののびたりちぢんだり周期が、また一つめぐる。
それをのんびらーっとした遊星間時間旅行のおかたが、そうさな。
かおは「かるら」のおさるさんみたいな人が、どっかのちさい星の上で、早回ししたり巻き戻したりで見よって、「ふんがあー!!たいくつじゃのう。」と一声。

かささぎはこの人へもきちんとした謝罪をまだやっていませんでした。
心の中で、いまも時としてよみがえる、赤面の、はずかしさの、みっともなさの、記憶。

冬樹蛉さん。ごめんなさい。

『ややこ生る』  裏6、7

1寒月ゆれて立ち止まる君

2 ふりむく君と冬の三日月

3 刹那煌めく冬の満月

             青翠えめ

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様    たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ

えめさんは俳句も連句もはじめてなのだそうです。
ですが、どことなく句がサマになっているのは、歌をよく聞かれているからではないでしょうか。このかたの写真、麦畑の。打たれます。

選句最初ぱっとみたとき、3の刹那句にひかれた。
ところが、そのままおいてみると今ひとつしっくりせん。
いろいろやってみて、
ゆれる寒月+刹那をおいて、ひとまず着地。
冬という季節を直接指すことばをここではもう使いたくない(夏霧の夏、秋扇の秋、とニケも既出)のと、人を、ことに君ということばは出したくなかった、どうしてかというと安易な気がした。どうしてかというと、青臭い気がした。そうだと三句絡みになりそうで。
刹那がきらめく。これぞ、恋です。せつないなあ。
つぎは、もう一句冬を長い句でおねがいします。
575、なんでもいいですが恋からウンとはなれてください。もう一句恋でも悪くはないのですが。旅の句とか地名の入った句とか時事句とかじじい句とか。
変化変化変化。です。
わらいたいよね。


たから句の六地蔵は、六道輪廻をそれぞれ制する地蔵さんらしく、すこしおもいので、たんなるお地蔵さまにかえたいとのことです。地蔵尊にしようかとも思った(ぼん案)けど、かわいらしくてやわらかい、お地蔵様にしましょう。

それにしても、おじぞさんのもともとの意味、「大地の子宮」だった。

ちょっとまって。
「刹那」ってもしや、釈教?
なんかそんな気がしてきた。
だけど、みのがして。さばき、まぬけだし。いいよね。
うちこしじゃなく、すりつけです。(かささぎ)

冬の長句        (せいこ)
(じじい編で。ばばあ句ともいふ)
障りもべたつきも無視して、気の向くまま。笑

1、格子柄飛柄縦縞布団柄
2、モスリンのジャケツが脱げん昼日向
3、マグダラのマリア紙衣(かみこ)を纏ひたり

モスリンのジャケツをしらない人でも、イメージはわいてくる。
おかしい、うちの母みたい。

なんめでんきてから、しやなか。あつなったら、いちめにめちぬいで、そりばハウスの芯棒さんひっかけなさると。それがああた、ちょいとじゃなかとです。もたもたして、いもむしのごつして。みかねてこっちからひっぱってやっとです。・・・おお、なんとゆかしき八女のお国ことば。

前句のきらきらした句の世界へうしろからけりを入れる、俳諧性の一句。
乙四郎句の口語体「ごめん」と「脱げん」が少しきになるので、一字かえた。
句が死ぬかなとおもったけど、意外とだいじょぶだった。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ    冬
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子  冬
8 雑
9  雑
10  雑
11  花
12  春

つぎは。時事でもなんでもいいですから、だしてください。
77、季語なし。ばどさんも、やってみませんか。
前句、おじいちゃんが四苦八苦してセーターを脱ぎよんなさる。
ぽかぽかのひだまりのなかで。
その人につけるか、まったく違うとこから句をだして。

だせないもの、恋、仏教、病、星

2009年6月 1日 (月)

国立博物館

国立博物館

『ややこ生る』裏、冬月で恋

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん(元句に戻します)
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5涙雨そ知らぬふりの六地蔵    たから

一句目、「不器用に繕う君の青い糸」
とてもいじらしい句、少女が繕い物をしているのを少年がみているようでもあり、関係修復を図ろうともたもたしてる図のようでもあり。
けれども、この句をここにおけない理由が二点。
一つは発句に青が出ていること。こんだけ離れているから構わないけど、青は結構めだつ。
つぎに、打越にあるきれっぱしというお裁縫用語と同じコードの言葉、糸が。これは見送ります。

2、涙雨そ知らぬふりの六地蔵

心の宝を壊すってどういうことをさすのだろう。
謝っている人は泣いている人とどういう関係だろう。
と考える時に、六地蔵が示唆するものは、なんでしょう。
べたつきなのですが、釈教をいれたことでふくらみが出たし、場の句にしたことで簡潔に情景だけがうかぶ。降りものもとてもいいですね。

3追って来る影重なりて風の道


ここで迷う。
恋句としてみた場合、3と2ではどちらが思いが強いだろうかと。
恋句の展開として、2がまずべたつきでつき、それに付ける恋句が3です。常套的には3のほうがほどほどの距離間あるいい付句なのですけど、ややあったり前だのクラッカーみたいな抱擁図です。ほうらね。むずかしかろ。恋句。下品にならず、かといって色気がなければならず、叙情性もいるものね。
だけど、恋句に六地蔵は珍しいですね。
チベット展ポタラ宮をみてきたばかりです。
これいただきます。
で、次はもう一句恋、冬月。涙雨を恋離れにしてしまうと恋があまりにも薄いのでもう一句作ってください。全員で考えよう。
↓六地蔵

penこんばんわ
恋句って季語はいらなかったですよね?

☆ 泪川 路上ライブの声響く
☆ 肩ならべ 箸からまりて ぐいの飲み
☆ ふりむけば 月照らしおり 夜の海

ではおやすみなさいnight

club↑2句目書き間違えました。

☆ 肩ならべ 箸からませて ぐいの飲み

<情景>
1中洲の出会い橋付近
2居酒屋のカウンターで親密な後姿
3ふと・・思っている人の声が聞こえた気がして

えめさん三つもありがと。
ここ77です。短句。
冬の月を涙雨のあとであげるのですが、

月の座がどのあたりでくるか、連衆は心得ていなければなりませんが、初折では裏六句目、七句目、八句目あたりが最も月の出没する穴場だと思ってください。月は引き上げたり押し下げたりすることができます。→面の中で移動可能という意味。大学で最初に巻いた一巻『海へ拓ける』は初裏の月がかなり変則的な位置にひきあげてありましたよね。あれは、さばきの姫野が歌仙一巻をぶっつけで巻いたので、季順をあたまで組み立てていなかったため、オモテで春の句を四つ、一つの雑をはさんで折端に秋、そのまま裏に入って秋となり、秋は必ず月を一個だすのがきまりですので、そうなった次第です。あれはあまりバランスのいいめぐりではありませんでした。なんでも失敗しないと見えないものです。

式目)月はオモテ五句までに一個。秋の場合は素秋(すあき・連句用語、月の句のない秋)を嫌う。ふつう、歌仙三つの月の座のうち、初折裏で一つ秋以外の月を出すことが多い。

月凍る、月寒し、月冴える・・・これは冬の月です。このどれかをどこかにいれてどういう場面で出すか考えてくださいまし。泪川とか泪壷とかだめですよ前に出てる、涙雨が。
三句目の何も付いてない「月」これは秋になります。

あ、それいいです。
3.
これをそのまま句にできないかな。
月冴え冴えときみの声して
月凍る夜は君の声する

(これはかささぎが勝手にやったもの。)
えめさん、自分のことばでやってみませんか。冬の月の季語をつかって。
きっといい付け句がでそう。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5涙雨そ知らぬふりの六地蔵    たから
6                    えめ

7 冬長句

 

サンダルとトランペット 3  鬼の救済

連句での仲間だった中山宙虫さんが本年度の九州俳句賞を受賞されるそうです。
かささぎの旗では真っ先に、熊本の俳人中山宙虫さんの新しい門出を祝って、心からのお祝いを申し上げたいと思います。

かささぎはつい最近そらんさんへとても失礼なことを書いて、やさしく誠実な人をひどく落胆させてしまいました。それどころか、ここに集ってくださるとても気持ちのいい仲間たちまで、ひどく混乱させ、失望の底までおとしてしまうということをやらかしてしまいました。二日間も眠れないで心配してくださった、前橋のばどさん。ぼん、乙四郎、せいこ。そのほか、なにもいわずに見守ってくださったみなさまへ、心からのお詫びを申し上げます。

その理由はかささぎのみょうにねじけたまっすぐな性格にあります。

と一筆書いて、はい、それではさようなら。
と断念できることではないから、ここにきちんとかささぎなりの理由を書いておきたいと誰よりも願いました、姫野は。

そらんさんへ。

あなたのブログへいくのは、ひめのはホントいうと、とても辛かった。
そこにはいつもとても仲むつまじいご夫婦の姿がありました。
中山宙虫ブログを訪問なさったかたなら、どなたでも真っ先に気づかれることが、それであろうと思います。

一方のひめのはどうかといえば、それはそれは悲惨の一言。
しかも、それをブログに書いて、配偶者への思いやりのかけらもありませんでした。(夫よ、ゆるせ。きみはしらないだろ、こんなことを妻がかいてるなんて。だけど、それも運命だと思ってあきらめてくれ。かささぎがほんとに書きたかったのは、「時代の家族」なのだから。)


中山宙虫、こういう人と知り合えたことを身に余る幸福だと思わず、「なんてめめしい男だろう、妻が妻がばっかりで。」と、そんなふうにずっと思っていたかささぎでした。

神様は、いつでもひめのに「救いの手」をさしのべて下さっていたのに、それに全く気づけないかささぎがいた。

中山宙虫の随想『時代の家族』は、とりたてていうべき新鮮さも何もない、ごく普通の平凡なおやじの感慨を、そのまんま述べたものでありました。
それには、俳句のことも連句のことも何一つ触れられず、それでも堂々と立っていた。

かささぎが鬼になってしまったのは、自分との対比においてだったのでしょう。

このような、本来のあるべき平静な自分に帰れたのは、心いためて泣いてくださった、ありがたい有縁のかたがたのおかげです。
そしてえめさん、きのうはありがとう。思いがけず「加川良コンサート」にいけました。
フォークソング、を聞いてるうちに、かささぎは忘れていたものを思い出しました。
加川良の歌は、最初に師事した俳句の師・穴井太をなぜか思い出させ、また、そのあとで聞いた沖縄は八重山と宮古島の出身という二人のシンガーの歌は、俳句への道へといざなってくださった、沖縄の詩人で俳人の岸本マチ子師を思い出させました。ずっと昨日は一日、それをおもっていた。

私の博多での子育て時代を支えてくれた懐かしい友と三人で、太宰府天満宮に真っ先に参拝し、プタラ宮の秘宝展を観覧し、さいごに菖蒲園よこの文書館でのコンサートをきいてる間中、ずうっと一日、かささぎは心の奥深くで反省していました。

中山宙虫さん、おめでとう。
かささぎは先をこされてしまいました。
けれども、これだけはいっておく。
俳句の賞をとったからってえばるなよ!
けっ。

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