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2009年5月 3日 (日)

うた、二首。

暗き灯に過ぎゆくひとりうかうかと
    生きゆくひとり我にあらずや
         

雨しづく綺羅綺羅として裸木の
   こよひこの世に遠きいつぽん

 二首とも、 諫早  長島 洋子

   31文字倉庫より引用しました。
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-a9e5.html

優れた歌は、繰返し何度も読ませられる。
自然とリズムと風韻とを刻み付けさせられる。(使役動詞)

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コメント

この短歌を紹介していただいて、ありがとう。
やまなみで、いちばん言霊を大切に詠まれている歌人だと思っています。読者の中には、長島短歌は暗いとおっしゃる向きもあるようですが、暗さと深さは似ていて異なるもの。彼女の歌はふかい。わたしがあこがれてやまない歌人でもあります。

たとえば、上の歌の、うかうかと。
この安直そうな言葉が、この一首に抜き差しがたい深みを与えているのだということに、何度も読み返しているうちにようやく気づく。
短詩系文学の生命は、なにか。
覚えられるかどうかなんだと思う。
覚えようとして覚えるのではなく、自然にあたまにねじこまれてしまう。そんな呪術のような力が、この人の歌にはあります。
うかうかと罠にはまるようにして読者は、なんのたくらみもなさそうなこの歌の、しぜんなりズムの心地よさにやられ、リフレインの心地よさにやられ、最後に歌によって浮かんでくる情景にやられる。
そうだ、私にもそんな時があった。裸電球の街灯に照らされて下を行過ぎるとき、これまでなんとなんの気づきもなく日々を送ってきたことだろう。との思いがよぎる。「ひとり」「ひとり」の繰返しのつよさも、それに追い討ちをかける。無意識にこれらの歌のことばを選択して作者は一首を構築しているのだと思うけど、はかりしれない、まるで魔力のような力を感じる。山中智恵子にも似たことだまつかいの。

もう一首。
これは、この裸木は、作者だろうね。

(今日は、大変お世話になりました。)

そうか。このうた。
ながしまようこ。
もし、ごらんになっているのであれば、二〇日、いらっしゃいませんか。日曜です。遠いけど、来ようと思えば、近いです。北海道よりずううっと近いです。

近くて遠くて、遠くて近い・・そちら。
会いたいひとが、ふたりいる・・そちら。

いつもおふたりのおはなしに、
励まされているような、癒されているような。

いつかきっと会いたい・・・。

けいとうさん。

わたくしも違った場で、またお会いできればと思います。
いつか、きっと、連句においでください。
いつかきっと。ぜひ、いちど。
こころを放ちにおいでいただきたいと存じます。

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