無料ブログはココログ

« 行空上人の墓 | トップページ | 行空の碑 下部 »

2009年5月29日 (金)

行空の碑

行空の碑

 行空上人廟所法会記念

 高野山別格本山本覚院は行空上人が黒木大蔵太夫と待宵小
侍従の請により 建久年間に建立された名刹である その縁
により上人この地方に行化すること屡々 終に文永年中星野
村に於て九十才を以て遷化せられた 因って廟所を構えて祀
り爾来篤信の有志これを護持し今日に至っている 昭和五十
九年三月十一日本覚院第三十八世住職稲葉義猛大和尚を導師
として 九州在住の本覚院法縁の住持諸徳この碑前に参じ
また村民挙げて此処に参詣し上人の第七百五十二回忌法会を
修し 上人の遺徳を追慕し菩提を祈念する 茲にその勝業を
記念して永く留むるものである

« 行空上人の墓 | トップページ | 行空の碑 下部 »

コメント

かささぎは十日までフリーです。仕事、11日から。
神があたえたしばしの休暇、ありがたし。
今日まで空リアプラザで、eat,pray,loveがあっている、ジュリアロバーツの映画、それ、博多の娘と見に行こうと思ってたんですが、おせこせしてできそうもなく。で、おこもりですね。ずうっと暮れから、そ。でも飽きない。やることはいっぱいあります。

アクセスから、まなぶ。自分の動きと連動してる。
かささぎは、この行空の碑をみて、黒木物語をよみ、嗚呼その前に、黒木教育委員会のこどもむけ調城哀話をよんだのですが、・・・これらは今まったくおもてにだされていませんが、残っているということは、ちゃんと歴史のなかでかたりつがれてきたってことでしょう。
で、素朴な疑問をまとめてみた。
ここには、本覚院(こうやさんの)に請願したのは小侍従の名前とともに、黒木すけよしのなまえもちゃんとかかれています。
ところが、本覚院のサイトにいっても、出てくるのは小侍従の名前だけで、黒木氏の名前はふせられています。これはなぜでしょうか?
まあ、行空とその墓については、たくさんのなぞがあふれるほどあるんですが。とりあえず、これ。
かささぎはこのなぞをいちばんにだしたい。
ここにすべての鍵がありそうだから。

星野村(いまも村かな?)の教育委員会に敬意をささげつつ。

ちょっといいかな。
この稲葉猊下というお方はご生存でしょうか?
今日「稲葉義猛 死去」検索でこちらへおいでです。

今しらべました。なくなったのは昨日。おうまいがっ!以下引用。

2011年1月24日16時11分
ソーシャルブックマーク .「 稲葉義猛さん(いなば・ぎみょう=元高野山真言宗管長・総本山金剛峯寺座主)が23日、心不全で死去、96歳。通夜は25日午後7時、葬儀は26日午後1時から和歌山県高野町高野山618の本覚院で。喪主は同院住職で娘婿の法研(ほうけん)さん。

 1994年から4年間、第409世座主を務めた。 」
目に留まったブログ。↓

この石碑に刻まれた行空と本覚院とのいきさつにおいて、高野山の稲葉猊下が星野黒木谷のこの小さな廟へおいでになった日付に注目。
三月十一日です、昭和五十九年の。

なんとなく胸騒ぎ。

龍笛独奏を捧げます。↓

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 行空の碑:

« 行空上人の墓 | トップページ | 行空の碑 下部 »

最近のトラックバック

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31