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2009年5月 7日 (木)

オフ会始末談義

気のせいでしょうか?
ぼんのご主人とろいりーさんって、
お顔の雰囲気まで似てらっしゃいません?
体つきまで。

まるで、兄弟みたいですね。

似ているというよりそっくりでした。波長。笑
すがたかたちは背のたかさが違うけど、やせているところとかおなじでした。
うしろから二人を写したのがありましたが、よくにています。どことなく。
ろいりさんは高校の歴史の先生だそうです。

こんばんわ
オフ会>>おつかれさまでした。 今回は欠席で失礼しました。
それと、「MK」は終わっとったですか。。ごめんなさい。。未確認情報やったですね★失礼しました。(これは中華料理やさんの件です、かささぎ脚注・でもひょっとしたら探せなかっただけで、あるのかもしれないです。)
ろいりさんは無事に合流できてよかったですね。
歴史のプロやったとですね☆ひめさん心強いですね^^☆☆☆
久留米から上陽へ>>深い森があったでしょう。
それと深い谷にかかる大きな橋も。
おぼろと逆の右のほうへ行くと「是善社」があります。
道真さんのお父様の。
こちらは必ずご利益があるとですよ(^_-)-☆
http://yamep.sblo.jp/article/9935605.html(是善社、八女)

エメさん、おかえりなさい。
どうでしたか、岩国は。
十八歳のエメさんの記録ノートの断片、ちゃんとろいりさんへ渡しましたので、ご安心ください。
ろいりさんから当日きいたことであっとおもったのは、六角堂。くるめの広場のある。ほんとうに昔お堂があったんだって。
そこまで言われてやっと結びついた。
六角堂、聖徳太子、法然、親鸞、そして行空上人のその1その2!

おはようございます
ノート>>へた字で恥ずかしいですが、女子高生のいきおいということで・・(^^ゞ・・その頃はまだ17よ♪)
六角堂>>あ~、、そうですか・・お堂が~☆
熊本県の某所の神社に六角の聖徳太子廟があります。
そんなに古くはないんだけど、すてきな廟です
広川の某に私の好きな六面のお地蔵様があります。
六根清浄って言葉があるけど、神仏には大事な数字ね。きっと☆

 一昨日は、ありがとうございました。で、いろいろありすぎて何から言っていいのやら。まずこのようなオフ会が持てたのも、ぼんさんのお連れ合いとまでお会いできたのも、何よりもかささぎさんのおかげ。以前ぼんさんのコメントで「夫は無口で何もしゃべりきらんかも」と言われていた割にはとてもおもしろい方(もちろんこれは褒め言葉)で、本当にまたお会いしたいです。それにしても、どっかこっかでつながりがあるもんたい。ぼんさんのお姉さんの中学・高校の卒業アルバムがもし見られたら、そこにうちの姉も写っているはず。

 あの夜、父親から聞きだした情報を幾つか。まずぼんさんの金丸校時代の同級生のおうち、「平井理髪店」は弥永外科のすぐ近くにあったけど、後継ぎがいなくて廃業したそうです。しかも何と「平井君」のお父さんは、昔日吉町にあったうちの店(おそらく祖父の代)で職人さんしてらしたとか。
 それから、釣りができる池のある豪邸、やはりラッキーパチンコ店の経営者の家のようで、日吉校で私と同学年だったのが後を継いでいるらしい。
 広川町にお住まいの方、父の出身地は梯という所みたいです。S15年3月上広川小学校卒業で、5年前に行われた同窓会の名簿でわかりました。まともに小学校行ってない割には、今も地元に残ってる人たちと付き合いがあるようです。おっと、ここで検索して数ヶ月前のseikoさんのコメント探し当てたら、梯区という地名も、広川ダムの近くに大森姓の友人がいるとも書いとらっしゃった。父の時代(約70年前!)は、当時の校長が、生徒は1000人以上いて税金の滞納者も一番少ない校区ち言うて自慢しよったらしい。
 エメさん、ノートありがとう。ホント、当時の女子高生っぽい文で、胸キュンものですね。福岡系の深夜放送では「ユー・アンド・ミー」を聞いてました。確か番組最初のフレーズが「あなたと私、you & me!」とか言ったんですよね。でもこれは事前録音番組だったようで、やはり生のほうがおもしろいと、当時はまだ福岡に中継局がなく、東京から直接流れてくる電波を拾ってました。ちなみに大阪では、当時無名の笑福亭仁鶴のエッチなトークが思春期の少年心をくすぐり、これも時々聞いてました。
 オフ会でも話題になったダンス場の件、ぼんさんの夫さんの話を参考にすれば、さくらさんが行っていた社交ダンス場というのは「ダイアナ」ではなく「ダイナ」ではないでしょうか、というわけでさっそく「ダイナ」のホームページhttp://www.dinah1947.com/見つけたら「社交ダンスと共に半世紀」という宣伝文句が載ってました。で、Go!Go!系というか前ディスコ系のダンス場は「クインビー」ちいう名前じゃなかったろかとも言ったけど、こんどそこでバンドやっていた同級生に会ったら確認してみます。
 ふ~、なごなった。後は他の記事にコメントするか、後日にと思たけど最後に1つ、これまた父から聞いた話で、数日前に満州屋(屋台店舗)の元祖が50代の息子を刺し殺したという事件が、数日前にあったとか。でも検索してもほとんど出てこない。詳しい記事がどこかに出とらんやか。

ろいりさん、そう、、クインビーかも☆彡
そんな気がしてきました☆彡
私の記憶力は全然だめですね~(^_^;)
ノート>>久しぶりに眺めましたら懐かしい気分です。 字ヘタはごかんべんを。。 あの頃はサンデーVSマガジンの激烈な頃でしたので(タイミングよくNHKでドキュメンタリーがあっていました)、チョイスしながら読んでいたマンガもキラ星のごとく名作がありましたね。
それと、当時のラジオでは米軍(?)の板付けから(?)の音楽だけのチャンネルがありましたでしょう。
英語のMCで、あちらのヒットチャートの音楽がバンバンかかっていました。
家のラジオでは受信できなくて、カーラジオだとなんとか聞こえたたのでよく車庫の中で聞いていました^^♪

ろいりさん。
今日ろいりさんちの前を二回通りましたよ。笑
ちゃんと出世したバイクがあった。みた。
朝九時過ぎ、広川町のせいこさんちへ豌豆をとどけて、それからぐにゅぐにゅ道をまっすぐ相川経由で209号線へ出、福岡方面へ出ました。のはずが、梶原理容店の前の道をまた引き返したのは、五号線を通ろうと思ったので、旧かささぎロードの。ところが長く通らないので、どの橋をわたった道がそうだったのかを思い出せず、これだろうと思っていったら、200号線でした。すいていてびゅんびゅん飛ばせた。が、しかし、途中有料!!200円とられた。ああ、そういえば言ってましたね、ひやみず峠の道。長いトンネル。なーんだ。っていうか。遠回りだね。きっと。
かささぎは戸畑の夫へおかみの給付金を届けにいった。ひとりぶん。今回は速かった。とくに帰路は三号線を遵守して帰ったので二時間しかかからなかった。前回行って帰るのに七時間もかかったのが嘘みたい。九時に出て二時だから、二時間短縮。

オフ会の話題について、書こうとしたんだよね。
ところが、笑、かささぎは聞いていなかったんだろうね。なーんもおぼえていませんでした。だから、書いてくださったの、ありがとう!!
じぶんの知らない話って聞いているようで残らないものですね。今回のオフ会はある種、ろいりさんとぼんの同窓会でしたからね。
だけど、ふしぎだね。
架け橋、梯って書く、その地ですが。
私は高橋甲四郎先生に聞いたことがあって。
去年。先生の母方の里だったかな。父方の里だったような気がします。たしか梯というのがこうしろう先生のおとうさんの旧姓で、黒木の高橋家の養子になられたのでした。
なんとなく、そういうことを連句的に思い出しております。関係ないのかあるのか知らないけどね。
せいこさん、今日はのこの島にいってたそうで。
いつかまたの機会に、みんなで会いたいです。
そうしたら、縁がよりはっきりしそうな気がします。
とにかく、ありがとうございました。どちらさまも。

追伸、こうしろう先生の先祖は青木牛之助です。

呂伊利さん

お疲れ様でした。夫は「彦さん」というハンドルネームにします。いつまでも「ぼんさんのだんなさん」では時間がかかりますから。
で、彦さんを連れて行ったのは正解だったようですね。遊ぶ事やバイクの事などはよく知っています。車を買い替えるときなど展示場を何件も回り、パンフレットを何冊も集めて吟味し、どの車種にどんな機能がついているかを暗記しているのですから、たいしたものです。ここのところだけはやっぱ男だなあと思います。
息子も「お父さんがパンク修理をするのは当たり前(自転車、バイクの)だとおもっていたけど、ちがうとやね」と言っておりました。他所の家ではしないんですね。わたしも知りませんでした。ふだんばかにばかりしてますけど、かなわない面を持っているから、今までもてているんだと思う。
かささぎさん、旦那さんは元気でしたか?だんなさんもギターが上手いって言っていたから、今度は一緒に会おうね。

ぼんさん。彦さんは面白い人でしたなあ。
そしてたよりになるドライバーでしたなあ。

 昨晩、父が上広川小学校創立百周年記念誌というのを出して見せてくれた。この小学校は昔から現代に至るまで、1組・2組…でもA組・B組…でもなく、い組・ろ組…なんですね。まるで江戸の火消し衆みたい。そして各年度の卒業写真が、古いのでは大正10年頃のものから載っており、でも戦前~戦後直後までは、写真のない年度も。空襲で焼けるなどして散逸したのか、載っているのはたまたま誰か保存していた人から提供があったのか。S14~20年あたりだけ奉安殿をバックに、S50年頃だけ?日の丸をバックに写真撮っているというのも、何か時代的意図を感じる。S23年ぐらいのからは全部載ってるようです。ということは、このブログに投稿している上広川小出身の人の写真も載っているということですよ。
 上広川小出身で、この記念誌を持っておらず見たい方はご一報ください。ただし夏まで待っていただかなければいけないけど。
 おっと、もう1つ別の話題、もはや壊滅状態と言われていた「具うどん」のメニュー、古賀久近くの「三潴屋」食堂で発見!
        プラネット西鉄久留米リベール店にて

「ダイナ」のホームページ見ました。
住所から言うと私の思ってる場所の住所ですが、経営陣の顔ぶれと経歴がぜんぜん違う。
ただし、昭和22年ごろからやってたという「ダイナ」は別の場所にあったそうで、その当時の「ダイナ」にも一度行ったことがある。
そのご、今の東町にあったダンスホールを買い取って移ったんじゃないかと想像しました。
昭和40年ごろの東町のホール経営者の山田先生と、今の「ダイナ」の経営者の先生は、昔のダンス教師のタイプ(細身で色白)なところがそっくりです。

ろいりさん、ホームページ紹介していただいてありがとうございました。
必死で検索かけたよ。

昭和50年から51年にかけて、このダイナにも何度か行きました。職場の12月のダンスパーティに向けて、社交ダンスを習いに行ったのでした。同僚達と。若かったなあ。
ダンスパーティのことをダンパと呼んでいました。今は死語ですね。笑

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