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2009年5月30日 (土)

『ややこ生る』歌仙、初裏の恋

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現るる玉石       ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 

1秋扇追ひ払ふものと掬ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら

4 心の宝こはしてごめん       乙四郎

整子案

1、輪郭なぞる風の指先
2、キミはいつたいたれなんだらう
3、じぶんの過去を憎むひとたち
4、アールグレイは檸檬が似合ふ

乙四郎案

1 心の宝こわしてごめん
2 その一言をためらう意固地
3 素直になれず損してばかり
4 心背きてなぜに悪態

5 たいせつな人追い方知らず

選句

恋前としてのさくらさんの句は、さまざまな喩をはらんでいる。
せいこ、おつしろうどちらも沢山つけてくれて有難う。
いくつか惹かれる句がありますが、その中からどれか一つ取るとすれば、
せいこ句では、1かキミはいったいだれと自分に聞く句(かささぎ読みではそう、恋をしてまったくみたこともない自分になるのをまじまじと見ている少女の目)、
乙四郎句では1か5だと思いました。
そのうち、せいこ句の風の指先は句のもつリズムがこれまでと同じラインから出ているので、変化が感じられません。
そこへいくと、2の自問自答のような句(たとえていえば、大貫妙子の名作「みずうみ」http://www.youtube.com/watch?v=iWXrXfFcKw8っぽい)は、ものすごい変化球です。

少女。少年。みんな一度は通る初恋。
机の引き出しの中にはその人へつながるものがきれぎれに詰まっている。
キミはだれ?
あたしはだれ?エヴァンゲリオンのコピー、「ぼくは君に逢うために生まれてきた」。
そんなせりふを思い出させる青くさい思春期の恋。

これをとりたくてとりたくてどうしようもなかった。
しかし、これをとれば、次の句は結構むずかしいとおもった。

乙四郎句、1と5。
5はおりたて句の「おいはらう」にかぶさる部分がありました。そこまで気をつかわなければいかん世界なのです。
それで、ドラえもん風な単純な1をここにいただきます。
前句のもつ世界とおなじコードから出て、思春期の恋とも読める。

だけど、いい句だしてもらうとホンと、うれしいです。

つぎも恋。長句。季語なし。たからさん、恋だしてみませんか。

2009年5月29日 (金)

そらんさん、ごめんなさい。みんな、ごめんね。

どこにかくれとるかとおもたら、ろいりさんのとこやった。
乙四郎さんがあれだけていねいにきょうこちゃんのことをフォローしてくれているんだから、あそこにきちんと反省文を書きなさい。そうせんと誰もが連句にこんごとなるよ。お願いやけん、書いて頂戴。私は呂入りさんのとこの貴方のコメント読んで、今泣きよると。
おかしかろ?皆恭子ちゃんのこれからを心配しよる。呂入りさんのとこのコメント消して、ひとこと「ごめんなさい」とうちこめばすむのに、したくないのよね。困ったね。私が恭子ちゃんの名前で書いちゃろうか?
せいこさんがややこの恋句をつけてくれている。秋扇はよくないと思う。
やや子仕上げるためにも恭子ちゃん、ここは連句のためと思って頭下げてね。私たちの友情は不滅です。6月13日(土)エメさん囲んでお茶しよう。(ぼん)
ぼんからメールがきてた。
なにも泣かなくても・・・・びっくりしました。
そんなに心配した?
ごめんね。ごめんね。ごめんごめん。
ちょっと、普通の人と、神経がちがうっちゃろね。
そらんさんがいつぞや、おもて五句目でだした、
鉄人の面子が返る風更けて
だったっけ。これ、きっとわたしみたいな鉄面皮な人が、風が吹いたら裏返った。
って意味だとおもいました。いまがそう、ひっくりかえったよ。びっくりして。
おっかしいなあ。
そらんさんの文章を必死でこけにしたのに、なんでみんなそうむきになってかばってくれるわけ。
よかじゃんね。文芸のことは。わたしだって生身の人間やけんね。
いたいところだってあるよ。そのいたいところにふれてくるから、よみたくないって、
かいたんだよ、かささぎ語で。ここまでかかせたいのね、あんたらは。
切ったら血が出る。それだけのこと。
だいたいばどさんも乙四郎もせいこさんもぼんも、たぶんロイリさんやえめさんまで、ああそうだ、さくらさんもね、あきれはてているだろうとは思いますが。
そういうことで、もういいよ。
ごめんなさい。
そらんさん。あなたは、かささぎとは「真逆」です。
だから時にものすごくいじめたくなる。
ごめんなさい。
みんながああいってますので、たまにはもどっておいでね。

最近の連句文音で学んだこと

椿紀子と書いて、「つばき・みちこ」と読む。

能面を刻む仕事をなさっておられると以前、師に伺った。
そういえば、いつぞや留書で『裏の景色』と題する椿さんの文章を拝読した記憶が蘇る。
たしか、鬼女の面の裏は荒削りであり、それをつけると気が波打つ。
と、そんなことどもを綴っておられた。

前田圭衛子師の文音の座に加えていただき、この方と十年ぶりくらいでご一緒する機会を得た。
猫蓑のベテランの連句人であり、この世界では名のあるお方なのである。
緊張した。
五人での付回し歌仙、付回しとは、前の人の三句から一句を選句して、それに三句をつけて次の人へパス。という捌き不在の連句である。

何度か椿さんが私の句を選句なさるときがあったが、目のつけどころが非凡であった。
また、私が選した句を、差し替えされた箇所がある。
それを今、忘れぬうちに書いておきたい。

戦争はもうしませんと冷素麺  紀子
   疎開の子らの覗く節穴   安芸
望の月ただ青々と清清と     恭子

紀子さんのひやそうめんの句、深い諦念が隠されている。
それにつけるに、安芸さんの疎開のこどもたちの遊びの句。
横から、紀子さんがこうおっしゃっいました。

「戦争に疎開の句は付きすぎ感があります。
疎開体験者としても、四六時中覗かれることはあっても、覗いてまわる自由はなかった記憶があります。どうか他の句にさしかえてくださいませんか。(秋の「天竺まもり」などどうでしょう)。」

ハッとした。
そうだった。石橋秀野にも疎開中の苦しいわびしい暮らしを詠んだ句がたくさんあり、通りすがりの人たちに家の中を覗かれる辛さを詠んだ句が一つあったのを思い出した。

昭和21年、京都鳴滝時代

 戸障子さへととのはぬに
ひとの家のぞきこみゆく墓参  石橋秀野

そういうことを思っていると、なぜか次のような句が思い出された。

戦争を面白さうに泥鰌鍋  

はて。
これは一体、だれの句だったろう。
と思案するうち、はたと思い出す。
忘れもしない、あれは黛まどかの一句だった。
なまじ美しい女は軽くみられがちだが、かような俳諧的な一句が書ける俳人である。

   


星野村役場のアンテナ

星野村役場のアンテナ

行空の碑 下部

行空の碑 下部

行空の碑

行空の碑

 行空上人廟所法会記念

 高野山別格本山本覚院は行空上人が黒木大蔵太夫と待宵小
侍従の請により 建久年間に建立された名刹である その縁
により上人この地方に行化すること屡々 終に文永年中星野
村に於て九十才を以て遷化せられた 因って廟所を構えて祀
り爾来篤信の有志これを護持し今日に至っている 昭和五十
九年三月十一日本覚院第三十八世住職稲葉義猛大和尚を導師
として 九州在住の本覚院法縁の住持諸徳この碑前に参じ
また村民挙げて此処に参詣し上人の第七百五十二回忌法会を
修し 上人の遺徳を追慕し菩提を祈念する 茲にその勝業を
記念して永く留むるものである

行空上人の墓

行空上人の墓

星野村指定文化財
高野堂「行空上人」の墓(史跡)

 行空上人は天台宗を学び、さらに真言宗門下に修業した後、源空(法然上人)の弟子となって浄土思想・専修念仏の普及に努めた僧で、一宿上人とも称されます。
 『元享釈書』には、年九十にして鎮西に没すとは記されていますが、念仏一念義を唱えた罪により追放されて後の、行状や没年については不詳とされています。
 『郷土史物語』(江頭享)には、天福元年(1233)七月六日、星野村と黒木町を境する高牟礼峠を越して星野谷へ下る途中、縫尾久保という所で亡くなったとあります。
行空上人の旧墓塔にかく記されていたように書いてありますが、今日ではそれを確認することができないのは残念です。
 『高野山本覚院因由並ニ筑後国檀縁之由来』には、最終の行化(ぎょうげ)文永年中(1264~1273)、星野村にて年九十、口中より光明を放ち仏舎利を吐いて掩化(えんげ)せらる、とあります。
 いずれにせよ星野谷の人達は、遍歴の途中この地で亡くなったと信じて一堂を建て、遺徳をしのんできました。五十年ごとに高野山本覚院講坊から使僧が来訪して、供養が営まれてきました。現在の墓塔は、宝暦十年(1760)に改修されたもの*で、次のように刻まれています。

 高野山講坊先師行空上人

  時宝暦十天三月 日**
   講坊法印弟子
    戒浄 建之

 また玉垣には、嘉永三庚戌(1850)正月、講坊之建、とあります。
 ところで、行空上人の話は、黒木氏や待宵小侍従との関わり中で説かれます。
また高野山本覚院は、待宵小侍従によって建立された講坊(元禄年間に待宵小侍従の法号に因んで、本覚院と改称された)を起源とします。
 そのいきさつについて学び『高野山本覚院因由並ニ筑後国檀縁之由来』から引用しますと、

(前略)小侍従一子を生むに牛(うし)たり。哀(かなしみ)殺して葬る。媱逸(いんいつ。ただし黒木物語ではほういつ、原文には女偏に宝で「ほう」のルビあり※)の難縷陳(るちん)して済度(さいど)を願ふ。上人応請(おうしょう)して、宿世の因縁輪廻し現世の業報(ごうほう、極善極悪ハ中有ナキ理由)遁れ難きを説示(ときしめ)す。大蔵太夫並に侍従等大に懺悔し厚く帰依す。此(ここ)に於て業障消滅家運長久の為、資財を擲(なげう)ち上人に依願して、高野山に講坊を建立し、次いで十二坊を建てて諸(もろもろ)の修業者を供養し聴講に資するを、待宵の十二坊と云。(後略)

このような縁(えにし)によって、筑後と高野山本覚院とは深い関係を持つようになり、今日なお続いているのです。

  引用「星野村史」 星野村教育委員会編より

*その後、数度の改修が施されてきたようです。
かささぎの旗が尋ねて行ったお堂には、平成十三年の印が入っていました。
また、お堂へ登る村道ももうじき舗装されると伺っています。
**
現在の墓塔には天文年号が彫られています。
このずれがなぜなのか。ふたたび混沌としてきました。
(墓塔の側面の文字をうっかり読み損ないました。)

▼ことば抄(平成26年6月15日書き込み)

黒木物語を読み返しています。
引用を間違っていたわけではないのですが、一字が上記資料と黒木物語で異なる。
いちばん大事なところです。仏教の罪の一つ。

媱逸の難(いんいつのなん)とほう逸の難(ほういつのなん)。
ほうの字、おんなへんに宝。
外字辞典にも女偏に宝は記載なし、しかし放逸とおなじ意味とありました。

放逸(ほういつ)は仏教が教える煩悩のひとつである。

放逸とは、悪を防ぎ善を修することに対してだらしなく、精進を怠ることである。懈怠と似ているが、放逸は、懈怠およびの三不善根の上に、悪を防がず、善を修せざる状態に対して、特に指摘されるものである。

放逸は『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち大随煩悩である。

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%80%B8

かささぎは、いま、ここにいます。この罪に落ちている。大随煩悩、・・

 

2009年5月28日 (木)

「ややこ」 二案

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 


1秋扇追ひ払ふものと掬ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4恋、77

神崎さくら裏3案

鳥栖の人なら久光のはなしはいっぱいあります。
鳥栖高校から毎年どっと就職したので、親しい友人はほとんどあの会社へ就職してたし、隣近所にもいっぱいあの会社勤務の人がいたし、鳥栖の生活を支えていたことが今わかりました。


サロンパスにつなげてもいいのですか?
全然関係ないものを作るんですか?

下記適当
1シップ薬貼りて友は散策楽しむ
2切れ端のサロンパス引き出しにあふれ
3家々にサロンパスのにおい鼻をつき
4病院でもらうシップ薬、たぶん久光製

隣近所のサロンパス勤務のおじさんたちが切れ端をいっぱいもらってきてくれていました。
形が四角じゃなくいろいろな。
遠い昔ののんきな時代の話です。
以後禁止されたようです。(さくら)

さくらさん。

初めてきくお話と四つもつけ句をありがとうございました。
句の付け方は、べたつきでつけて、それからべたの部分を引き剥がせばいいと最初に習います。
これはその典型的な例だとおもいます。
どの句も、べたつきの部分、(ちょうどサロンパス)をはがしますと、とても面白い雑の句になります。

1貼れるだけ貼って散策楽しみぬ(商品名と誰がを消す)

3家々にただよふ匂ひ鼻をつき 
4苦笑。ユーモラス。モーラスっていうんでしたね。
むかしは、サロンパスの箱、右から左へ書かれていました。
スパンロサ。

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 

1鶏頭の種子くろぐろと掌にこぼる  せい
2  たった一人で守る灯台      きょう
3履歴書の趣味欄埋める軽い嘘   おつ
4  年端もいかぬ娘でありぬ    ぼん 
5琵琶法師

1 履歴書の趣味欄埋める軽い嘘
2 古家電エコの御旗でゴミとなる
3 筆跡をあたたかくせし肥後守 (乙四郎案)

履歴書の趣味欄埋める軽い嘘
  ブリッジに惚れた年端いかぬ娘

(ほりけんが結婚したと今TVで言っていたので)happy01
22歳、うちの子より若い。(ぼん)

中島梓追悼、談義

昨夜、栗本薫(中島梓)さんが亡くなられたとか。56歳。
この方の作品はひとつも読んだことがないのですが、かつてメール交換を頻繁にしたことがある方なので、自分にとっては特別な方の死です。
20年ほど前、まだネット上の情報交換が「パソコン通信」といわれていた頃のこと。
ネット上の書き込みで、これから自殺するぞ宣言をした人がいて、なんとかせねばと立ち上がったおせっかい屋がふたり。それが、乙と栗本さんだったという次第。
メールで綿密に情報交換しながら、自殺企図者が立ち寄る様々なサイトの書き込みを見つけては心理分析をして、ふたりの筆力で何とかその方をこの世にとどめた、共闘関係の方です。
お互いにペンネームで身分は明かさずにメール交換してたのですが、メールの返事が、数分後には乱れのない文章で原稿用紙にして数枚分もの分量で届き、ただものではないことはすぐにわかりました。後になってお互いの身分を明かし、びっくらこいたというわけです。
自殺したがってた人は、いまだに、介入したのが栗本薫さんと厚生省の官僚だったということを知りません。

 中島梓の名と文章を初めて知ったのは1976年頃、いかにも才女という言葉がピッタリの感じでした。文壇デビューの頃のキャッチフレーズが「花のニッパチ、水瓶座」で、同じ年月生まれなのに、それに比べて俺はいったい何をしてるんだ、と劣等感抱いたことも~ちなみに花のニッパチとは、その数年前に流行った言葉、相撲界で昭和28年生まれの有望若手力士、北の湖・2代目若乃花・麒麟児・大錦等々(小錦や寺尾などはそれをもじって花のサンパチと言われた)。
 その後、栗本薫の名で江戸川乱歩賞を受賞、でもグイン・サーガ・シリーズは、タイトルがいかにも欧米SFっぽく過ぎて、読まず嫌いで終わった。そしてSFファンの間で話題になった、SFマガジン編集長との不倫騒動といったゴシップも今は昔のこと。乙四郎さんと繋がりがあるとは知りませんでした。

nightこんばんわ
中島氏は辛口で痛快でした。
栗本氏の本は1度だけ読んだことがあります。
乙四郎さんとお知り合いとは驚きです。

花のニッパチ>>流やりましたね。
相撲ニッパチ組の20歳頃は最高に盛り上がってましたね。
なにをかくそう・・私もニッパチの水瓶座ですが・・・aquariuscoldsweats01
それにしても最近は50代の早世が続きますね☆彡

花のニッパチではありませんが、
わたしも水瓶座でございます。
水瓶座は感性ゆたかなものが多い(笑)と、水瓶座同盟(以前働いていた職場で、水瓶座生まれの同盟をつくっておりました。会員6名。自称ゲージュツ家きどりの勘違いヤローばっかり)では、そのような評判だったのですが・・・。

夜もすがら、ソラの一句。

夜もすがら秋風きくや裏の山   河合曾良

句が思い出せなかった。
ゴーゴーとなる風の音で目が覚めると、裏山に風の音が鳴ってるだけのソラの句はなんだったかとかんがえた。

曾良、裏の山。
これで検索をしたら、出てくれた。
http://blogs.yahoo.co.jp/t3814102/42070223.html

この句のなんでもないたたずまいを絶賛した人がいる。
俳句評論で有名な山本健吉だ。
健吉はこう書いていた。
島根に疎開をしていたころ、寺の間借りでの侘び住まいで、裏山をわたる風の音が終夜して、この句とおなじ気分を味わったことがある。
そのとき、初めてこの句のよさが確かな実感を伴って身に蘇ったのだ、と。

2009年5月27日 (水)

板子一枚下

板子一枚下

前世も宿世も今生も板子一枚下は地獄。

『芭蕉七部集』にあるすりつけの例

では、実際の「すりつけ」(同属の物をすりつけ)の例をひきます。

出典 『芭蕉七部集』


花に植物をすりつけ例:または花前に雨とか花前に植物

▼一巻にふたつもある例

一里の炭売はいつ冬篭 一井(発句)
   中略
若者のさし矢射てお(を)る花の陰 一井         
  韮(にら)くらふ香に遠ざかりけり 鼠弾 
   中略
ぬくぬくと日足のしれぬ花曇  長虹
   見わたすほどはみなツツジ也  胡及 

これはすりつけじゃないけど、うちこしが植物同士のさしあい。
すごい生き生きとした歌仙。
いろいろの名もむつかしや春の草 珍碩(発句)
   中略
  また泣きいだす酒のさめぎは  人
ながめやる秋の夕(ゆふべ)ぞだだびろき かけい
  蕎麦真白に山の胴中(どうなか) 人
うどんうつ里のはずれの月の影  かけい
  すもももつ子のみな裸むし   人
    中略
  しきりに雨はうちあげてふる   人
花ざかり又百人の膳立(ぜんだて)に かけい
  春は旅とも思はざる旅    かけい


石橋秀野が随想に引用していた「四十は老のうつくしき」

看経(かんきん)の漱(せき)にまぎるる咳気声
  四十は老のうつくしき際(きは) 珍碩
髪くせに枕の跡を寝直して      乙州
  酔を細めにあけて吹(ふか)るる  野径
杉村の花は若葉に雨気づき     怒誰
  田の片隅に苗のとりさし     泥土



畦道や苗代時の角大師  正秀(発句)
  中略
 やしおの楓木の芽萌立(もえたつ)秀
散(ちる)花に雪踏(せった)挽(ひき)づる音ありて 碩
 北野の馬場にもゆるかげろふ   秀


有名な『鳶の羽も』(スイゼンジノリが出る巻)にも。

鳶の羽も刷(かひつくろひ)ぬはつしぐれ 去来
  中略
 芙蓉の花のはらはらとちる   邦
吸物はまづ出来されしすいぜんじ  芭蕉
 三里あまりの道かかえける  去来
この春も慮同(ろどう)が男居なりにて  邦
 さし木つきたる月の朧夜   凡兆
苔ながら花に並ぶる手水鉢  芭蕉
 ひとり直りし今朝の腹だち  去来
    中略
 たたらの雲のまだ赤き空  去来
一構(ひとかまへ)鞦(しりがい)つくる窓のはな 兆
 枇杷の古葉に木芽もえたつ  邦

これまた高名な『市中は』の巻にも。

市中はもののにほひや夏の月       凡兆
  あつしあつしと門門(かどかど)の声  芭蕉
二番草取りも果さず穂に出(いで)て    去来
  灰うちたたくうるめ一枚          兆
此筋は銀(かね)も見しらず不自由さよ   芭蕉
  ただとひやうしに(突拍子に)長き脇指 去来
草村(くさむら)に蛙こはがる夕まぐれ    兆
  蕗の芽とりに行燈(あんどん)ゆりけす  芭蕉
道心のおこりは花のつぼむ時        去来
  能登の七尾の冬は住うき         兆


灰汁桶(あくおけ)の巻


灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆
  あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉
新畳(あらだたみ)敷きならしたる月かげに  野水
  中略
すさまじき女の智恵もはかなくて  去来
  何おもひ草狼のなく    水
夕月夜岡の萱ねの御廟守る  芭蕉
  人もわすれしあかそぶの水  兆
(思い草と萱は縁語のすりつけ)
(あかそぶの水はかなけみず)

実にたくさんありますね、すりつけ。
それに、作品がとっても面白いし、情がふかい。
じぶんたちのやっている今の連句の不自由さは、いったいナンなんだよ。
って半ば怒りすら感じてきた作業でした。
なにかわたしら、式目を大きく誤解してないだろうか。

と、ほんと、めちゃくちゃむかついて自己嫌悪する孤独な作業でした。

少女

少女

歩道橋の中へ少女達が弾むように自転車を押して入っていく。

2009年5月26日 (火)

星野 こうやんどう

星野 こうやんどう

写真は4月23日ころのものです。
まだ取材にいっていません。
きのう、星野から再び原口さんがおみえになり、新茶を戴きました。
おいしい星野の黒木谷のお茶です。
そろそろ行って確かめたくなってきました。
この墓は行空の墓というけど、それではなぜ年号は天文年間のものなのか。
いま、五木寛之の『親鸞』に行空が出てきますので、注意して読んでいます。

一連の高野堂関連の写真資料:
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/cat549968/index.html

今朝の 『親鸞』

今朝の 親鸞

裏折立句と二句目「ややこ生る」

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 


1秋扇追ひ払ふものと掬ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄える久光製薬*     恭子

旧仮名遣いでは「栄える」は「栄ゑる」「栄へる」「栄ゆる」いずれでありましょうや?・・・古語辞典で確認、栄えるでした。

*

金美齢さんのお話の中で印象に残ったことの一つです。

「サロンパスで有名な久光製薬は昔とかわらず本社を鳥栖におき、地域に貢献している。今時とても立派である。」とのことでした。マラソン好きのらんちゃんもこう言っていた。久光の社長さんはマラソンに出てはサロンパスを配られている、と。
http://www.hisamitsu.co.jp/company/enkaku.html

前句との距離、ついているのかいないのかよくわからない。
こういうのは疎句(そく)といいます。べたつきは親句(しんく)。

(企業の回し者ではございませんのでご安心ください。)

つぎは、もう一句雑か、恋前句をおねがいします。
鳥栖出身のさくらさん、お願いします。
あるいは、マラソン好きなロイリさん、どうぞ。
どなたでも、なにかひらめいたら句をだしてくださんせ。

(しっかし、こっからどうやって恋にもっていけるだろう?)

2009年5月25日 (月)

チューニング中、「ややこ生る」

ぼん、助け舟さんきゅ!

圭衛子師はこういうときおっしゃるのです。

うまくいかないときには一つのことばに執着しない。
なんぼでも捨てるほど言葉はあるから、同じ意味になる他のことばをもってきたらええんです。転べば転ぶほど言葉は磨かれてどんどんよくなっていくよって。
こういうチューニング、座でなら一分もかからない。
それと、乙四郎のいう、だんだん崩れてきたという指摘は、第三、さくらさんのはねぶた囃子の風格が普段着で自転車ではあまりにもユルくなるってことだろうとおもう。しかし、七部集『炭俵』のなかに、こんなのがある。

百韻のおもて八句。

子は裸父はててれで早苗舟  利牛
  岸のいばらの真っ白に咲  野坡
雨あがり珠数懸鳩の鳴出して 孤屋
  与力町よりむかふ西かぜ  利牛
竿竹に茶色の紬たぐりよせ   野坡
  馬が離れてわめく人声    孤屋
暮の月干葉(ひば)の茹汁わるくさし  利牛
  掃(はけ)ば跡から檀(まゆみ)散る也 野坡
  
「ててれ」はふんどし。迫力の俳諧。なんの気取りもてらいもない。
ありのままの庶民の暮らしが生き生きと描かれている。

これがあたまにあったので、さくらさんのフリマー句も自転車乗ってTシャツでの句も、よかじゃんね。ってすぐ思ったんだけど、連句の常識としては、略語やあまりにもかっとんだ言葉はおもてには適さない。
だから、フリマーは蚤の市にかえる。
第三は以下の形にします。

蚤の市自転車こいでTシャツで(乙四郎案)

再再々やりなおし

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 

1鶏頭の種子くろぐろと掌にこぼる  せいこ

2 ァ たった一人で守る灯台
  イ  妖怪辞典でさがすツチノコ
  ウ 上司が愚痴をこぼす口元


1秋扇追ひ払ふもの掬ふもの  ぼん

  ァ ツチノコ探しの旅に出たきり
  イ 鳥栖に栄える久光製薬 
  ウ 広告紙の裏に家計簿

適すると思う組み合わせを一つ選び、付句をお願いします。
選択の自由が与えられていることの不自由を味わって下さい。

次は雑または恋前。季語はいりません。




 

  

金 美齢先生

金 美齢先生

講演がおわって、帰られる先生を見送って。

非礼も省みずこの一葉を撮らせていただいたのには理由がある。
手前の深々とお辞儀をされているかたが気になっていた。
らんちゃんと私は二時間近く前から会場の前にて待っていた。
一番乗りだろうと思っていたが、とうに先客がいらして、それがこの方でした。
始まるまでの長い間、途中で別の場所に並んでくださいとの指示があった。
おばあちゃんはゆっくりと移動され、せっかく一番にお見えだったのに後方の列に入られた。
講演中もどこの席できいておられるだろうと妙に気になった。
最初はこの下段の写真のようにお偉いさん用に席が設えられていた。
ところが空席ができ、直前に四列目のわたしたちは最前列へ移動した。
それでも後ろを見渡せば、いつのまにか満員。

金美齢先生はまことにあざやかな登場をなさった。
うすいピンクのジャケットに黒のスリット入りのロングスカート、大きく胸のあいた所にショッキングピンクのロングスカーフを垂らしておられた。そして黒のハイヒール。
とってもおしゃれで、ほんとうにかっこいいのである。

壇上にあがられ、まず国旗に対して深々と一礼なさった。
(おりられるときにも、日本の国旗に対して深々と礼をなさるのである。)
おそらく、金美齢先生はお着きになられたばかりだったのではなかろうか。
上られるや、水をあけて飲もうとなさった。
ところが、そのミネラルウオーターのキャップが開かないのだ。
困った先生、どなたかあけてくださいませんか。
とおっしゃったけど、広い会場のだれも進み出ない。
最前列のまんまえに座っていたわたしは、はずかしさも忘れ体が動いていた。

それで講演がおわったあと、「さっきはありがとう」といって握手をしてもらえたのでした。

講演会会場

講演会会場

らんちゃん

らんちゃん

2009年5月24日 (日)

再々「ややこ生る」裏1

再々やりなおし

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  夏
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  夏
3自由市Tシャツを着て自転車で     さくら  雑
4  なじみの店のコーヒーの味     乙四郎  雑
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  秋月
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子   秋

1 秋扇追ひ払ふものと掬ふもの     ぼん

1 鶏頭の種子くろぐろと掌にこぼる  せいこ

候補はこの二作です。

あとは宗教句(祭り句など)とかさわりがある句でした。
服の句はシャツが出ているし、コーヒーが出てましたので、ぬたは出すまい。
鶏頭句は前句にあぜ豆、発句に青葉と植物が二つも出ているのですが、妙に印象に残るので、捨て切れなかった。

このいずれかにつけて、七七で雑か恋前句を。

風媒花3  中山宙虫

随想

風媒花 (3)

  時代の家族

     中山 宙虫

 夫婦ふたりの暮らしが始まって何年になるのだろう。子供たちはそれぞれ僕らの元を離れて暮らしている。その暮らしぶりは親の目で見る限り頼りないもので、いらいらとさせられるものだ。もちろん、この不況の時代。どんなかたちででも仕事があるのだから、それはそれでよしとしなければならないのだろう。
 確かに時代は生きてゆくには辛い時代になってきた。社会に大きなひずみが出てきて、何を信じていいのか見えにくいのだ。貯金ゼロの所帯がかなり増えているらしい。僕の息子たちもそれに当てはまる。小さい部屋を借りて、食べてゆくだけのぎりぎりの生活なのだ。
 この国に生きて、未来を見ていくことができるのか?息子たちの未来を考えると社会での生き方は僕らの時代とは様変わりしている。今の時代のめまぐるしい変わりように僕らは振り落とされそうだ。くるくると情勢は変わる。いろんなものが生まれて消えていくサイクルが短くなっている。息子たちはこの高速回転木馬のような時代を生きてゆくのだ。
  そして、僕らは振り落とされそうな時代に疲れてゆく。何にしても情報が溢れているが、その情報の判別ができない。缶詰に表記されている原材料や賞味期限などをじっくり読むだろうか?分厚くなる一方の電化製品の取扱い説明書を隅から隅まで目を通すだろうか?どんどん表示されている文字も小さくなってゆく。そして、そこには僕らが聞いたこともないようなカタカナや英語で表記された言葉が、ますます小さな文字になってゆくのだ。
  社会は、いろいろなものの判断を個人に転嫁させてきた。そのひとつひとつを僕らは理解できているのだろうか。とてもそのようには思えない。溢れ続ける情報整理も自分で整理しなくてはならないのだ。今のままで何も問題はないものはたくさんある。携帯電話の普及で消えていく公衆電話や固定電話。地上デジタル放送も多くの国民はその存在さえ知らなかっただろう。
  そして、僕らはその新しいものを手にして、次の時代を生きていくのだ。社会は少しも止まってくれない。僕らは子供たちの未来を思い、自分自身の未来のそのもろさを感じながら生きる。
  正月に家族写真を撮る機会があった。僕の長男がひさびさに帰ってくる。しかも、結婚して。僕ら親子を中心に僕の母・叔父夫婦・叔母・弟家族・従兄弟など、皆で写真館のカメラの前に並んだのだ。それぞれ自分たちの生き方をしながら、カメラの前で自分たちの今の表情を見せる。フラッシュが光った。
  出来上がった写真を見てみる。
それまで気づずにいたが、皆同じ顔の輪郭なのに驚く。そして、肩から足の先まで似ている。同じ血でつながった家族の姿の瞬間がそこにあった。
 この家族の今の姿がどこまで維持できるのだろうか?めまぐるしく変動する社会情勢に僕ら家族はその姿をどう変えていくのだろうか?同時に、こうやっていつでも受け入れてくれる家族が支える社会もあると感じたのだ。

 超結社俳句季刊誌『九州俳句』154号より引用
  平成21年5月15日発行
  北九州市 福本弘明 事務局長
  編集委員 堀川かずこ
         夢野はる香  

▼ エッセイ 『風媒花』
バックナンバー


河野輝暉: http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e76e.html

足立攝: http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-3f5a.html

2009年5月23日 (土)

おわわ、ねぶたは秋!

やりなおし

1目に青葉やま時鳥ややこ生る       恭子  夏
2  夏霧けぶる玉石の段(きだ)       ぼん  夏
3自由市Tシャツを着て自転車で      さくら  雑
4  行きつけ店のコーヒーの味     乙四郎  雑
5望の夜の甍の波の光るらん        らん  秋月
6  田畦豆(たのくろまめ)を包む小筵  整子   秋

はらほろひれはれな展開。いえ、ごめんなさい。
まさかねぶたが秋の季語とは。
暑いさかりの祭りで、立秋にはおわるのに。
なんてこったい!しかし歳時記には絶対服従です。
南のもんには東北の人たちのあつい想いはわからない。

おもて六句の禁忌。

神祇じんぎ・釈教しゃっきょう・恋・無常(死)・述懐・懐旧・妖怪・地名・人名・病態などは初折のおもてには出さない。

その視点から、脇の「いつか来た道」を変え、第三のねぶた句も変えました。
第三のねぶたは祭り、まつりは祀り、かみさんごとです。
連句をやっているとそういう分類に神経質になるし、同じようなもので、別のさわりない言葉を捜してくるのがうまくなる。
こうして沢山の語彙が集まります。
これは文芸に携わるものにとっては、武器が増えたことを意味します。
無駄ではありません。
今回この頁をかくために、芭蕉七部集のすべての歌仙のおもてに目を通した。発句には何を出してもいいので、伊勢参りがあったけど、ほかの位置にはなかった。あ、一つあったな。四句目くらいに角大師の句が。つのだいし。伝教大師、元三大師ともいいます。深大寺にも祀られてますし、久留米の宮の陣にもあります。関係ないか。

あとは五句目くらいにねのひのまつりのある巻きと、祝い餅を食べる句があるだけで、見事なまでに宗教色は表にはなかった。

もう一つ書きます。

それは第三のかたちといって、三句目はとめかたがきまっている

句のさいごを、「に・にて・て・もなし・らん」のいずれかで留める。
「で」これは「て」の変形だと思う。
「みてごらん」といって、第三で「て」、五句目で「らん」を使いました。
ちょうどらんちゃんのとこに「らん」がきた。

乙四郎句、いじったけど、あまりいいなおしではありません。
気になるのは、シサン*と上下が切れてたこと。
行きつけのカフェいつものコーヒー
シサンとは、下半身が四・三のリズムになることです。
いつもの=四音、コーヒー=三音に近い四音
シンプルな句なのにね。
発句がぶちぶち切れているので、流したい。
ほかにあったらさしかえますのでどうぞ。
さくらさんも、自由市のところにもっといい言葉があれば差し替えます。

フリマーでは連句の市民権はまだ得ていないようです。

ああややこしや。

歌仙『ややこ生る』 裏立句

5月9日起首

1目に青葉やま時鳥ややこ生る       恭子  夏
2  夏霧けぶる玉石の段(きだ)       ぼん  夏
3自由市ねぶた囃子の響くらん       さくら   夏
4  行きつけ店のコーヒーの味      乙四郎  雑
5望の夜の甍の波の照り映えて      らん  秋月
6  田畦豆(たのくろまめ)を包む小筵  整子   秋


1   秋の折立句。

折立句(おりたて句)というのは、歌仙の裏に入ってすぐの句で、立て句ですからしゃっきり立っていて、裏の始まりですので、変化への予兆をはらんでいなければならない。

「さまざまの」半歌仙での兼坊さんの折立、蛇の場の句を最初敬遠したのは、それが生臭かったから。前句の鞍上の風をまっすぐ受けて響き付けのように出ましたが、あれは生きていた。恋前のような句にぎょっとした。そういう生きた句を、なげてください。
しかし、まだ恋句や恋前句は出さないで下さい。

なんでもいいけど、秋の季語を入れて575。

これは夏が三句も出ています。
ふつうは夏や冬は二句までしか続けない。
一句で捨てることも多いです。
しかし三句まではいいと式目書にはあります。
滅多にないことです。

ぼん。長らくお待たせしました。

赤ちゃんの名は葵くん。まもるくんと読むそうです。

草冠にみずのと。癸はすなわち、きぼうのきです。
みずのとの中でももっとも運気がいいといわれる癸卯(きぼう)の癸。

第三、さくらさんの句の「フリマー」が今ひとつこなれません。
おもいきって、自由市と訳して置いてみる。
俳諧でのことばは、こうやって市民権を獲得していくのだと開き直るしかない。
だって、実際にはもう三十年近い歴史があるみたいだから。
蚤の市では表現できませんもの。フリーマーケットじゃないと。

脇起半歌仙『さまざまの』 満尾

起首5月6日 満尾5月21日

さまざまの事おもひ出す櫻かな   松尾芭蕉 
  花を見しこと花見ざる事     杉浦兼坊
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに 姫野恭子
  トランジスタのボリューム高く    山下整子
大襷大和撫子大舞台         竹橋乙四郎
  鞍上の風夏帽子飛ぶ      澄たから


くちなわの肌ぬめぬめと砂を這ひ   兼
  そこから先はご法度である     整
瀬戸凪いで小舟のやうに思ふひと  青翠えめ
  ランデヴーせしアポロ・ソユーズ  乙
動名詞「~deny」と打ち消して     恭
  身を切る風の中の葬列         兼
漆黒の闇を知らぬ子月冴ゆる    たから
  草食獣も爪を研ぎます         整
古き良きレコード盤に傷が付き       八山呆夢
  自恃自照てふ雛の酒あり     恭
散りゆきてふたたびの幽花の川   えめ
  穀雨にめくる天金の辞書     たから

2009年5月21日 (木)

let's俳句を英語に  保健医療経営大学英語公開講座にて

きのうはみやま市の保健医療経営大学での第二期一回目の英語講座の日だった。
一回目は全員出席!(と、てぃーちゃーせっど)。
中級クラス、十数人でちょうどまとまりがいい。
連句の座が三つほど組める。
あ、すみません。つい連句的思考が身についてて。


佐藤教授に言い渡されていた詩の英訳、自分のへたな句をいくつかと芭蕉句と蕪村句を一句ずつやってみた。
どれにしたらいいかなと迷う。
んがしかし、今、当季ということで麦秋句をやろうとハラをきめ、「これにします」と先生に頼んだら、先生はほかの句も書いていた下書きプリントを一枚まるまるコピーして(うっわー・・・)、140問の復習初歩英作文をせっせと書き込む肉体労働のような作業がおわったあとで、みなさんに配られてしまいました。
とほ~杜甫徒歩。カッコ悪。まったく自信ない。
だけど、まちがいがあるからまなぶんですし。
ところで。
自分でも迷訳だと思う↓

逝く春や重たき琵琶の抱きごころ  蕪村

spirng passing by

when I am holding you
like a heavy biwa

この句、ずしっと下腹部にくるのは恋句(そう思った)だからかな。
これと有井諸九(筑後の俳人、大坂の俳人と駆け落ち、死なれて尼)の次の句が、かささぎの中では連句的に響きあっている。

朧夜の底をゆくなり雁の声  諸九尼

諸九という女流俳人について、もっとよく調べようと思いつつ、まだ果たせていない。
高良山の中腹にある桃青霊神社も、そういう筑後出身の俳人のつながりがあってこそ、祀られているのだろうから。

この諸九の印象深い一句にどこで出会ったかといえば、久留米図書館で、北村薫のノベルででした。題はわすれた。あっ、と思うほど、すごい句。なにも知らない自分を恥じた。

2009年5月20日 (水)

脇起半歌仙『さまざまの』 花句

脇起半歌仙『さまざまの』の巻

さまざまの事おもひ出す櫻かな   翁   
  花を見しこと花見ざる事     兼坊  
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに 恭子
  トランジスタのボリューム高く    整子
大襷大和撫子大舞台         乙四郎(雑)
  鞍上の風夏帽子飛ぶ      たから(夏)


くちなわの肌ぬめぬめと砂を這ひ 兼坊
  そこから先はご法度である  せいこ
瀬戸凪いで小舟のやうに思ふひと えめ
  ランデヴーせしアポロ・ソユーズ 乙
動名詞「~でない」と否定して   恭
  身を切る風の中の葬列   兼
漆黒の闇を知らぬ子月冴ゆる  たから
  草食獣も爪を研ぎます   整
古き良きレコード盤に傷が付き ぼん
  自恃自照てふ雛の酒あり  恭
散りゆきてふたたびの幽花の川 えめ

えめさん
たくさん作ってくださってありがとうございました。
どんどん句が締っていくのがみえる。
かささぎの巣篭もり句が一番の出来です。
しかし、これは俳句として鑑賞したい。
付としての花には上の句をいただきます。

ネックは、「ふたたびの幽」。
幽玄の幽です。川べりの花が散ってしまった。
これからはまた日常にもどる。とふつうはおもいます。
しかし、えめさんはそれを逆に表現しました。
そこが面白い。そういう手がある。
反対のことを書いてみるというやりかた。
するとそこにふわりとなにかがまいおりる。
直接事実をのべるときには降臨しない何か。

「ふたたびの幽」とは、再びなんかではなく、作者にとって初めて現前するものでありましょう。それは花が咲く前の、なにもなかったときの想いとは明らかに違う何かです。

花とはなんでしょう。幽とは、なんでしょう。
この句がでてきてくれたときから、それを思う人になるのです。

ガストでのオフ会で、うどん食べながらぼんのご主人さんが何かの拍子にいわれていたことをふっと思い出しています。(うどんじゃなかったかもしれません。)
彦さんは謡曲をなさる人ですので、花とはなにかが、わかる人なんだろうな。
と、てんこもりパフェをたべながら、かささぎは思った。
ああそうだ。久留米のスターの話をしていたんだ。
藤井フミヤはバンド時代のほうがずっとよかったよね。
って話とか。
そこで、出たんだ。花があるかないか。ってはなし。
なにしろバンドの話も専門的なことはわからず、ご近所の話もついていけませんで、あちこちしか聞いてなくて申し訳ないことでした。ろいりさんと山彦さん、ろいりさんとぼん。かささぎは縁をみまもる役でしたねえ。

ということで、揚句にきてしまいました。
なかなかしぶい一巻になりそうです。
揚句は、今日英語教室があるのです。
なんでしょう、↑の文章の脈絡のなさ。
つまりね、たからさんに会うのですよね。
ということは、こころが命じます、たからさんに頼みなさい、と。
これ、かささぎ流。「シンクロニシティ」。
迷いが消える。

エメさん。
かささぎとの縁は、「たらおさ」でした。

棒鱈をもどす匂ひもお盆かな  恭子

2009年5月19日 (火)

暁

マイボスの作品

マイボスの作品

2009年5月18日 (月)

山元志津香句集 『極太モンブラン』

料峭やいまも極太モンブラン  山元志津香

作者は1934年盛岡市生まれ、川崎市在住。
俳諧師。季刊俳句・連句誌『八千草』主宰。
句集名にとられたこの一句は、世の中がどんなに電文化されても私は絶対に手書きですよという、自嘲ならぬ自恃の一句。
極太モンブランという物に全てを語らせ、取り合わせた季語の料峭=春浅きときの肌寒い風=が、毅然と誇らかにシュプレヒコールをあげる。

戦はぬ国でありたし野川澄む  志津香

前田師もそうであるが、この世代の人たちは戦中戦後の飢えを体で知っておられる最後の世代である。
まず真っ先に平和あってこそ、の思いがものすごく強い。
三無主義のわたしなどが時流に棹差して左見右見するのとはわけが違う。
そして、そこをきっちりと俳句にされたところに、とても深い感銘を覚えた。
これは格言ではないし標語の類でもない。
この国にいきる一個の女性の祈念の俳句である。

蜘蛛は囲を月にかようて架けてゐる   山元志津香

「かようて」は通うて。「通ふて」の音便変化。
蜘蛛が糸を張り巡らせるのを志津香さんは見ていた。
まんなかに大きな月が出ていて、その中心に丁度蜘蛛の囲は架かっていた。
夢中で糸をかけている蜘蛛は、どこかこの世のものとは違う存在に見える。
月から糸を仕入れてくるのだ、きっと。
でなければ、あんな小さな体から、あんな複雑で緻密な網目模様は生まれない。
虚空にきっちりと立体図形を立ち上げる力はどこから来るのだろう。
蜘蛛の吐く大量の糸!
なんと不思議な句!

  以上、かささぎ選三句。

山元志津香句集『極太モンブラン』2009・4・20

第五十回 九州俳句大会のご案内

「九州俳句」総会及び懇親会

日時  21年6月20日(土)午後五時より
ところ  国民宿舎 レインボー桜島
     鹿児島市桜島横山町1722-16

大会  6月21日(日)午前9時~12時 

記念講演 「言葉の見る夢」
講師    藤沢 周氏(芥川賞作家)

第五十回九州俳句賞授賞式
大会入賞作講評ほか

かささぎの旗では去年、俳人・東妙寺らんと会場になった宮崎市まで大会当日の早朝から、出かけました。宮崎まで高速道を走って二時間余でした。今年も行けたら行こうと思っています。
ただし大会当日四時おきでの参加になると思います。
まだ経路を調べておらず所用時間が不明ですが、連句仲間を誘って参加したいです。
同人以外の参加も大丈夫な大会なので。
去年の講演会がとても面白かったので、また行きたい。
乙四郎、ぼん、整子、らん、たからさん。
それぞれでいっしょに行きませんか。
ばどさんも行きませんか。一度会っておかねばと思うから。
また、これをお読み下さった方で興味を持たれた方はどうぞご参加下さい。

桜島。修学旅行で中学のとき行った。
この年になるとこういう機会は滅多にない。
行こうね。地域学のためとか何とか言い訳しながら。
参加の節は薄情ながら、現地集合でお願いします。
  

半歌仙 『蓑虫の』 満尾

  半歌仙 『蓑虫の』

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎
海にある月の真顔をあらために      恭子
   ブロガーといふひたむきなもの  整子
鉄人のメンコが返る風暮れて      宙虫
   冬の泉の静かなる面(おも)   らん

この時を簀にちりばめて紙を漉く   乙四郎
   舌でしめらせ裂いて二つに    ぼん
油きりのへたな女と暮らしをり     虫
   迦楼羅捨て去る不動明王    整子
プラハから核廃絶の鬨の声      恭子
   畔の姫百合月光に濡れ     良一
真つ白なノートに夏の詩(うた)を書き seiko
  ひねくれるなと亡母(はは)が見てゐる  良一
残りもの福はあったかなかったか   ぼん
  浜豌豆の砂深き昼     そらん
震え猪口花の根酌すこぼれ酒  乙四郎
  蛇穴を出て旅打ちの棋士     執筆

   

旅打ち・・ 本来は博徒が賭け事をする旅。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E6%89%93%E3%81%A1

起首21年5月6日
満尾〃 5月18日

この半歌仙は乙四郎が宇佐で蓑虫に遭ったところから始まった。
ここです。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-abb7.html
13日で巻き上がりました。
東妙寺らんの出番が一回きり、ごめんなさい。
半歌仙なのでここで終わりですが、名残の折をつけて歌仙に仕立てるかもしれない。

花の句。こんな花、みたことない。
情景がありありと目に浮かびます。
そらんさんの浜豌豆の句、簡潔にして秀逸なスケッチ句ですが、この花も人を出さずに人の姿を鮮やかに現前する「人の写生句」とでもいうもの、感心しました。

一巻に通底するトーンが、発句世界を拡幅した掌編小説の味わい。
これはもう一巻とともに奉納いたします。芭蕉祭献詠連句大会。
ありがとうございました。


 

2009年5月17日 (日)

麦の雨

麦の雨

変化:

麦が黄色く熟れました。
窓の下は階段です。
さがっている紐は
火災報知器の紐。
知らないうちに、義務付けられてた。

2009年5月16日 (土)

乙四郎語録  官僚番外編

高野山

 竹橋乙四郎


昭和が平成になる頃、和歌山県で課長をやってました。
和歌山県には、宗教都市、高野町があり、宗教法人ばかりの町なので、税収が心配でした。
高野町の予算は26億円規模なのに町税歳入は3億5千万円しかありません。
こういう町は地方交付税に頼るしかありません。
しかし、三位一体改革(地方のことは地方でせんね、おりゃ知らんけんね~改革)のあおりで地方交付税は先細りです。

どことも合併せずに独自の宗教文化を育んでいる大好きな町なのですが、今や破産寸前らしい。


この先、高野山文化はどうなるのでしょうか。

かささぎの連句的:

マンション建設

 
平成二十年頃、久留米で警備会社のパート事務をやってました。
建設業界は四月五月は超ヒマで、仕事が入らず閑散となります。
このヒマをもてあますときに一人の隊員さんが暇を取らされ帰ってきました。

「現場は解散するんだって。明日から来なくていいよって言われた。
作業員もみんな帰って誰もいなくなったから帰ってきた。」

えーっ!!

事務所にいた全員が絶句しました。

彼がこの数ヶ月立っていたのは高層ビル建設のための交通誘導でした。
そこの仕事がなくなるということは・・・。

まさか!
みな青くなりました。
ビルは親方日の丸みたいなところのマンションで、そこが潰れることは考えられない。
請け負った地場建築会社にお金が回らなくなったに違いありません。

かささぎは一年間毎月手書きで書いてきた、その会社宛の長い長い請求書を思い出しました。
よそより事務時間が倍かかり、入ってくるお金は一方的に削られている・・
と何度も愚痴をかいたところ。
それでも、潰れるとなると気の毒でした。

建築会社を替えて、マンション建設は続けられるのか。
そこの大きな売り出し広告を先月見たばかりなのです。
それともこれは大元から資金をひきだすための「手」?

余計な気の回し方まで勉強させてくれます。

この不況の大元にあるのは、何なのでしょうね。

霊峰高野山にある慰霊塔

  神崎さくら

高野山には「大石政則少尉」も眠っています。
海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔  

ああ同期の桜の慰霊碑に名前が刻まれています。

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-2kouya2.htm

『ややこ生る』 最初の月句

『ややこ生る』

  五月九日首

目に青葉やま時鳥ややこ生る  恭子
  夏霧けぶる産土の道       ぼん
フリマーにねぷた囃子の響くらん さくら
  行きつけ店のコーヒーの味  乙四郎
望の夜の甍の波の光るなり    らん

東妙寺らん 月

1玉の兎の甍(いらか)に光る話声
2玉の兎のこっちへおいでと誘う声
3玉の兎は光輝く宙の花

あいやー。みんな「玉の兎」でした。
目むくで。ぎょくのと。って読むしかないね。ぎこちないね。

ぎょくと。玉兎。
月の異名といわれるものには他に嫦娥(じょうが)、桂男(かつらお)などがあります。
嫦娥(じょうが)

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AB%A6%E5%A8%A5/
月の異名は、同じ面に月次の月(三月四月とかの)など月の字が既にでている時につかいます。脇句の霧がひびいてしまってご苦労かけました。だけど、ここまで気をつかわなっくてもいいよ。

連句案内にある言葉を逐一守っていたら、にっちもさっちもいかなくなり立ち往生するときが必ず来ます。
他の人はともかく、粗忽者のかささぎはしょっちゅうある。
で、芭蕉七部集にあたる。
するとすっと気がかるくなる。だいじょぶ。心配いらない。
古典をよめば、自由になれる。

ほうれ、さがしてきましたよ。

おもて六句の例

日の出る前の赤き冬空(脇) 孤屋
身にあたる風もふはふは薄月夜(五句目) 桃隣
    炭俵『雪の松』歌仙より

ことに『振売の』の次のおもて六句。

振売の雁あはれなりゑびす講  芭蕉
 降てはやすみ時雨する軒  野坡
番匠が椴の小節を引かねて  孤屋
 片はげ山に月をみるかな 利牛
好物の餅を絶さぬあきの風  野坡
 割木の安き國の露霜   芭蕉
 

小さなさわりより、付け合いの味が大事だってわかるよね。

つぎ、やっと進める。はあ~よかった。
おりはし、せいこさん、出してください。


2009年5月15日 (金)

迦楼羅捨て去る

  半歌仙 『蓑虫の』
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎
海にある月の真顔をあらために      恭子
   ブロガーといふひたむきなもの  整子
鉄人の面子が返る風暮れて      宙虫(雑)
   冬の泉の静かなる面(おも)   らん

この時を簀にちりばめて紙を漉く   乙四郎
   舌でしめらせ裂いて二つに    ぼん
油きりのへたな女と暮らしをり     虫
   迦楼羅捨て去る不動明王    整子

この意味するところ、わかりますか。
不動明王の背後の光背に「迦楼羅焔(かるらえん)」という模様があるそうです。かるらという竜(蛇であり虹であり)をたべてしまう巨大な鳥を模した炎が不動明王を取り巻いているんです。それをとっぱずす、ってことはどういうことかな。
こっちとったら動きが出ますね。はげしい調子になる。
「迦楼羅の母が龍の母と仲が悪かった事から、龍の仇敵になった、という伝承が生まれたようです」↓
(高野山へ、だんだんいきたくなってきました。)

迦楼羅焔…………………三毒(三つの煩悩)を食べ尽くす伝説の火の鳥「迦楼羅」の形をした炎

↑の資料の小学校の校歌、作曲が信時潔なんです。さいきん、リカさんのブログで紹介されていた人ですので、あっと思ってしまいました。
「海ゆかば」(第二国歌とよばれたらしい)の作曲者だそうです。「海ゆかば」には二種の曲があるんだって。その資料をみていたら、神津善行の講演があっていたことも知る。のぶとききよしとわたし。という題。神津さんはかささぎの成人式での講演者だったので気になる。まったく関係なさげなことが繋がってくることがこわい。


この時を簀にちりばめて紙を漉く   乙四郎
   舌でしめらせ裂いて二つに    ぼん
油きりのへたな女と暮らしをり     虫
   迦楼羅(かるら)捨て去る不動明王 せいこ
プラハから核廃絶の時の声      恭子

よっしゃ、きまった。
われながら見事な転じだ。自画自賛。
おつしろうが以前翻訳してくれていたので。

「オバマ大統領のプラハ演説」竹橋乙四郎
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-ac94.html

で、『蓑虫の』まき、つぎは裏6句目、夏でいきます。
夏の季語をいれて、どんなことでも結構ですんで。
だしてください。たくさん出してくださいませ。

ばどさん、きっと流れについてゆけないだろうと思います。
ばどさんは気がのったときに恋句をだしてくれる人、そしてその恋句が時に
みんなとは違うはっとするようなモノをもっている人です。
だけどそんなわがままな投句のやりかたではいけないです。
連句はいろいろときまりがあって、たとえば、さっきまで冬だったのになんで急に夏なんだ。って思うでしょう。
式目の、「季戻りを避ける」という決まりは、あくまで、一つの季節のなかでの季節の戻りはやめる、という約束です。
季節と季節のあいだは雑といって季語なしの句をはさみます。この雑句のなかから川柳がうまれました。
その代表的なものが恋句、恋をよまずになんの川柳人であろうか。
とはいえど。

ばどさんの持ちネタ、今朝ブログへ行ってみてきました。
おもしろい句もあったしかなしい歌もあった。
http://622.dtiblog.com/blog-entry-193.html

ばどさんブログ「輪のぼやき」競輪ですった話中心主義ブログ。
さいごに必ず一句のまたは一首の句や歌が添えられる。
でもおどろいた。全部主語はおれ。それ以外の句はあまり無い。
それってさびしいよ。やっぱ連句しなよ。
自分以外のものになって、その視点で句を出してみる。
これがまず、課題としてばどさんへ与えられました。
ただの景色の句とか、作るれんしゅうをしておいてください。
次の句は夏の景色の句がほしいです。
ばどさん、出してほしい。
なんの感情もはさまず、ただ夏の景色を短句の77で表現してください。
前句を意識のどこかにおいて。

あの演説に関して、希望さん(大江希望さん)のブログでしたたかなアメリカ外交戦略を揶揄する記事を見ました。

ついでですから、まるごと引用しておきましょう。とっても公的。
じつに簡潔に各国の反応をまとめてあります。引用は、大江希望「希望の棲みか」
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0904.htm

4/12-2009  (大江希望日記ブログ)

米国のオバマ大統領が欧州で行った「核廃絶宣言」に対し、フランス政府の内部文書が「米の海外でのイメージアップ戦略に過ぎない」と強く批判していたことが10日、わかった。仏の高級紙・フィガロが伝えた。文書は、核実験全面禁止条約(CTBT)を批准していないなど、米の核廃絶の取り組みの遅れを逆に指摘、「理念ばかり唱えず行動すべきだ」と批判している。
同紙によると文書は仏のサルコジ大統領の外交補佐チームが作成した。

文書はまず、オバマ氏が欧州訪問で「米国は核なき世界の実現に努力する」とする一方で、他の核保有国にも協力を求めたことに、「問題を作っているのは米国だ」と指摘。米のCTBTや、ロシアとの戦略兵器削減条約(START)に対するこれまでの消極的態度を厳しく批判した

文書は、核削減に関するオバマ氏の各種提案を「大部分がブッシュ前政権の政策の焼き直し」だとも指摘。「米のイメージ改善のための“輸出用”の主張だ」と皮肉っている。(毎日新聞4/11)

↓バラク・オバマ大統領の演説(ネット記事のトップに表示されるもの)

2009年5月14日 (木)

朝、免許試験場で

連休中、免許を紛失した。
城島図書館に一冊だけある『砦に拠る』って本を借りにいこうとして、免許証入れを探したらなかった。(図書カード二枚、古い免許証一枚、と今のが一枚、あとは人の名刺)

やっと昨日交番で紛失届けを書いてもらって、今朝最寄の試験場に手続きに行く。

再発行も半日かかる。
申請書を係官に提出していたら、隣の窓口から若い女性の元気な声。

「メキシコから帰ったばかりで、あちらで紛失したのです。」

はっメキシコ・・(心の声)

「警察に届けて書類を書いてもらわないといけないんですが・・」(係官)

「メキシコのけいさつで書いてもらってきました。ほら、これです!」

えっメキシコで・・・(心の声)

思わず息をとめていたかささぎであった。(ごめんなさい)

そうか。
もはやどこにいてもメキシコがあちらからやってくる時代なんだね。

2009年5月13日 (水)

保健医療経営大学・英語の公開講座にて

今期開校式がきのうみやま市の保健医療経営大学であった。

角真理子(俳号・澄たから)さんといっしょに出席する。
どし(同志)のあるとはこころづよかことですね。
橋爪学長も出席されて、冒頭流暢な英語で自己紹介された。

前回見知った顔の方々もみえる、新しい人たちも多い。
その中に若い人たちがちらほら。
保健医療経営大学の生徒さん数人と久留米高専の生徒さんも。ひえー!
今回は初級中級上級特級と四段階に設定されている。
おしえられる先生の熱意が、それだけでも伝わってくる。

ところでとってもびっくりした。

受講者の中に高校時代英語を習った懐かしき恩師のお顔を発見したからだ。
もとぞのひろき先生!!

うっわあ!こんなことってあるんだな。
次男が通う学校の講師のなかに先生のお名前を発見して驚いたばかりだった。

受講者全員の自己紹介で本園先生はこうおっしゃった。

「ずっと古英語を学びたかったのです」

と。こんどの講座ではそれが学べる特級講座が組まれている。
佐藤哲三教授はざっとこのような説明をなさった。

私の恩師は山川喜久男といいまして、英和大辞典の編集をやった英文学者です。
この師から私は古英語をまなびました。
古英語を学ぶと今かかえている現代英語のいろんなことが、面白いように根本からみえてくるんですねえ。
古英語をおしえてくれるところは実はあまりないんです。
わたしは鹿児島でもこのような講座を長い間やっていまして、今でもその霧島英友会のために毎週末かごしま往復しています・・・

単細胞のわたしはすぐ鼓舞される。
古英語をまなびたい。
だけれども、一歩ずつ。
前回あまり勉強しなかったかささぎも、今回は真剣にならざるを得ない。
「すきな詩を英訳してくるように」と有難い課題をいただいてしまったから。

リンク:

保健医療経営大学学長ブログ:http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=380

2009年5月12日 (火)

はぶてとるときの『点鐘』

こころはぶてとるちょうどのとき、スミサクさんの川柳誌『点鐘』134号が届いた。

(はぶてとる、とは方言、むくれてるとか、あれている)

昼ごはん食べながらよんだ。

くすくす・・

けっけっけ・・

あっはっは!!

ばかじゃんこの渡辺隆夫って柳人。(すんません)
なんかおかしい。やっぱ川柳はわらってなんぼのもんやねえ。

こげんとのあっとです。

神奈川県 渡辺 隆夫

君が代だ各自保身の口パクだ
吊し雛に東条首やイケメン首
天の川泳ぐ御先祖さま一行
通販で老人用の仕込杖
テポドンに紅の豚ぶちかまし
脳しんとうにはキツツキ製薬のキツケ薬
便秘には両国薬局のオシダシ

2009年5月11日 (月)

体温計の歴史  乙四郎の薀蓄ばなし

体温計の普及

保健医療経営大学長  橋爪章

病気は、治療の前に診断があり、診断の前に検査があります。

通常は検査も診断も治療もすべて医療機関内で行われます。

しかし患者数が多く医療機関数が少ない場合、検査と診断(の一部)が医療機関外で行われれば効率的に保健医療経営を行うことができます。

メタボ健診でリスクが高い人を選択的に医療機関へ誘導しようとする行政施策も、限られた医療資源の効率的利用のための保健医療経営です。

インフルエンザや結核など、現在に至るまで何世紀にもわたって人類を脅かしてきた病気は感染症で、これらの感染症にほぼ共通して出現する症状は「発熱」です。

体温計は感染症を診断するための検査機器のひとつです。

体温計が家庭に普及すれば感染症蔓延地域の保健医療経営に効果的です。

ある開発途上国を訪問した折、体温計の家庭への普及率を質問したことがあります。

「体温計は医療機関にある医療機器であって、家庭にはありません」

これが、その質問への答えでした。

日本では、1921年、大日本医師会会長であった北里柴三郎博士が設立発起人となり、「赤線検温器株式会社」を設立しました。

(赤線検温器はその後、仁丹体温計(1936)、仁丹テルモ(1963)、テルモ(1974)と変遷しました。テルモは体温計の英語thermometerの語幹のローマ字読みです。)

http://www.jintan.co.jp/museum/story/index02_02.html

高品質で低価格の体温計が開発されたおかげで、わが国においては体温計が急速に家庭や学校の保健室へ普及しました。

発熱の目安である37度のところが赤く強調されるなどの工夫により、発熱の客観的な「診断」も家庭や学校の保健室で行われるようになり、37度を超えたら病気だと小学1年生でも自己診断ができるほどの国となり、感染症対策は飛躍的に進展しました。

昭和40年代以降、水銀柱式が電子式に、やがて耳赤外線式に置き換わるにつれ、「37度」はデジタル表示値のひとつにすぎなくなりました。

水銀柱式体温計は量産されなくなり、割高となりました。

多くの開発途上国は、まだまだ体温計の普及以前の状態にあります。

まずは、37度をリスクと認識できるタイプの体温計を普及させるべきだと思います。

電子式や耳赤外線式では、内臓のボタン電池が切れたら計測できません。

市販されている体温計には感熱変色式の液晶プラスチック製のものがあります。

ガラスも水銀も使わず、電池も不要で、37度以上を強調する工夫もできますが、量産されてないので比較的高価です。

これが量産されてコンドーム程度に安価になれば、国際協力の有力な手段として大量に配布することができます。

感染症に立ち向かう有力な手段を人類は手にしているというのに、誰がどのように動けばそれを途上国の人々に届けることができるのか、そんなところで人類は躓いています。

  (学長ブログよりこっそりと引用)

▼上記にささやかな抵抗を試みる。

  原始人冷血姫野

かささぎの家では体温計はまったく使いません。
手で額をさわって、おや、熱いな。
と感じれば発熱、冷たいと思えば平熱とみなす原始型です。

家にも文明の電子体温計がありますが滅多につかいません。
むかし、水銀がぽろんぽろん転がるのがみたくて

わざと壊したことがあった。
かぜをひいたと嘘をつき、祖母や母が向こうへいったすきに

掘り炬燵の中に体温計を入れると上がりすぎたので

慌てて丁度いい高熱加減になるまで振ってさまして、
ばあちゃん、熱があるけん学校休む。

とずる休みしたことが数回ある。
そういうときの体温計は信用のおける忠実なしもべだった。
だれも数字をうたがわなかった。


あとはおとなになって基礎体温をつけてた時期がある位で、

体温計は病院にかかったとき、そこでしか用いない。

看護婦さんが「計ってください」といわれるから、しぶしぶと。
こころのなかでは思っている、熱くないから熱はないのに。

「大きなお世話だーっ!!」

先進国が、途上国のかわいそうな(と一方的に思い込む先進国病)人々へ愛の手をさしのべる余計なおせっかいをしござるのは、やめましょう。

あたしゃ扶助の精神がでえっきらいだ。
そうやってどんどんその国のその人たちのふんばる力を奪ってしまう。
いいじゃんよ、わらわらとたくさんうじゃうじゃとうまれてきても、

わらわらとうじゃうじゃとむしけらとおなじようにしんでいっても。

おれは、ぜってえ、扶助なんていらん

たいおんけい。そんなものもいらん。
(かささぎ時に凶暴化しますんで周りの人はご注意下さい)。

黒木の日向神社案内板

黒木の日向神社案内板

八女津媛神社の磐座2

八女津媛神社の磐座2

八女津媛神社の磐座

八女津媛神社の磐座

八女津媛神社2

八女津媛神社2

八女津媛神社1

八女津媛神社1

2009年5月10日 (日)

脇起半歌仙『さまざまの』

脇起半歌仙『さまざまの』の巻

さまざまの事おもひ出す櫻かな   翁   
  花を見しこと花見ざる事     兼坊  
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに 恭子
  トランジスタのボリューム高く    整子
大襷大和撫子大舞台         乙四郎(雑)
  鞍上の風夏帽子飛ぶ      たから(夏)
すぎさく先生。つぎは夏のおりたて句をおねがいいたします。
おつしろう句のやまとなでしこに、けちをつけるひとがいるでしょうか?
秋の季語だというて。(かささぎ)

くちなわの肌ぬらぬらと砂を這い  兼坊
時鳥聞くや翁は野を横に
滝壺に近づく頃は日が陰り

 大和撫子が夏か秋か、手元の歳時記・季寄せを見ると両方ありますね。けち付ける人はいるかもしれませんが、そういう時は自分の都合のよい方を主張すればいいのでしょう。
              (兼坊)

裏一
時鳥聞くや翁は野を横に  兼
選句。いやあ。びっくりした。
じつはぶっちゃけ、かささぎはこの学者(すぎさく先生)の句ははっきりいって、へたっぴだとおもっていた。ところが、ときどき、まじびびるような句がにゅうっと出る。
これ。
ほれぼれします。「や」が切れ字、そして、ほんとにきれてる。
だけどそげなこつがなんのさわりになるでっしょか。
リズムがうたうようで、しかも風格がある。
前句の格をうけてしゃきっと立っている。
よかなあ。
で、つぎ。
なんでもどうぞ。
競作とします。
七七。どなたでもなんでも。もちろん、姫野もつくります。

2009年5月 9日 (土)

脇起半歌仙『蓑虫の』の巻

 起首:21年5月7日

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁(秋・人自他半)
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎(秋・自)
海にある月の真顔をあらために      恭子(月・場に近い自)
   ブロガーといふひたむきなもの  整子(雑・他か自)かえました。雑句に。
鉄人の面子が返る風暮れて      宙虫(雑)
   冬の泉の静かなる面(おも)       らん(冬・場)

東妙寺らん6句目案

冬の泉や静かなるもの
冬の泉や揺らぎぬものよ

この「もの」はうちこしにあるじゃろう。
それと「や」という言葉は切字、連句では使わない。
二句目は、揺るがぬものよ。の間違いかも。
古典では発句以外でも「や」が出てきますが。

付け順、最初に戻ります。
乙四郎。長句。冬。
もうなんでもいいです。俳句みたいな感じの句がいいです。
名詞どめが続いていますので、そうじゃないほうがいい。
ねむたくなってくるから。

調子をかえてください。それがここではまず求められる。

なお、4句目は秋句でしたが、秋を四句続けると雑句が一つになり、せせこましくなりますので、雑にかえます。

せいこさん元句:ブロガーといふ厄介なもの(これだと自嘲)
あらため句   :ブロガーといふひたむきなもの(自賛)

おもてではマイナス思考よりプラスのほうがいいみたい。

おめでた歌仙『ややこ生る』

歌仙『ややこ生る』

 起首 21・5・9

目に青葉やま時鳥ややこ生(あ)る  恭子

ぼん、脇をつけてください。夏、三句。
上の句、本歌取りもいいとこだね。
(この歌仙に、ばどさんやエメさんやさくらさん、みーんな入ってもらいますからね。)
なにしろ、お祝いだから。

葵と書いて、まもる。
きっと誰もよめないよね。
葵祭りと関係あるのかな?

出たよ! 韻降る者と行空上人

今日ニュースは新型インフルエンザ感染者が国内で出た話題でもちきりです。
いのちに別状がないことを祈るばかりです。

乙四郎日記よんでいると、そうパニックになることもない気がする。
というよりか、さわいだって無駄っていうかなあ。そんなかんじ。
保健医療経営大学長ブログ:
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=351
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=354

たからさんが言っていたっけな。
マスク、もう売り切れるだろうね。って。
買っておくべきなんだろうか。かささぎは買わないタイプ。
ひらきなおるあじのひらきだから。

ところで。

連休には新聞の休みがあって、五木寛之の親鸞、よめなかった。
今朝久々に読んでいたら、あれー。ぎょうくうがでちょる!
行空その1。

行空は、美しい僧ではなかったのね。
そっち系はもうひとりの安楽房遵西みたい。

行空。以下引用文です。

行空は法然門下中でも、とびきりの大声で知られている。
色あくまで黒く、腕はなみの男の太股くらいはあるだろう。
比叡山の僧兵も道をあけるといわれる豪の者である。

親鸞(242) 異端の渦の中で(一)2009・5・8付西日本新聞。

2009年5月 8日 (金)

脇起半歌仙を二つ

脇起半歌仙

1 『さま/ \゛の事おもひ出す櫻かな』

首 21・5・6

さまざまの事おもひ出す櫻かな      芭蕉翁 (植物・春・人自)
  花を見しこと花見ざる事         兼坊  (花・春・人自)
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに   恭子 ( 月・春・場 )
  トランジスタのボリューム高く        整子 (  雑 ・場 )
                           乙四郎(雑・人他)

解説:

最後の( )に句の分類をやっております。
植物(うえもの)、さくらは花とは呼ばず、うえものです。春の句です、そして、人情自の句です。にんじょうじの句っていうのは、自分の感慨などを述べたものです。これは述懐句になります。さくらをみていると、こどものころから今までの様々なことが思われることだ。

兼坊句ですが、やや特殊です。
しかしその意図する心は、さくらでは花にならないから、花という言葉をはっきり出して、前句に花をもたせたのです。持たせすぎかもしれませんけども。発句と併せてよめば、いろんな思い出がさくらにはある。花を見ないで慌しく過ぎた春もあったよ。というところでしょうか。

月の句は「場(ば)」の句です。場の句というのは、景気(けいき)の句ともいい、景色を詠んだ句をいいます。人のすがたも思いもありません。客観写生の句の場合と、暗喩のときとあります。
春が三つ、雑が二句。で、次の雑をお願いします。
季語なしの五七五です。
うちこしにある句をみてください。
春月句です。場ですし、天象の句になります。
そこでそういうのから切れた句を出します。
前句とは付き、前前句(うちこし句)とはさっぱりと切れる。
いま、そらんさんがもう一つの半歌仙の五句目をつけているので、ここは乙四郎がつけてくれますか。

2 『蓑虫の』のまき

  首21・5・7

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁(秋・人自他半)
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎(秋・自)
海にある月の真顔をあらために      恭子(月・場に近い自)
   刀豆(なたまめ)にある弓形のさや  整子(秋・場)
                          宙虫(雑)

人情句について

  自とは自分が主語の句です。
  他とは自分以外の人。
  自他半は両方。
  呼びかけの場合は半。
  うちこしに重ならないように心がけます。

小森清次句集『江戸菖蒲』に寄せて  

  青木 貞雄(元「九州俳句」編集長・北九州在住)

    『九州俳句』154号(平成21年5月15日発行)より

小森清次さんの第一句集「やまとたける」の跋文の冒頭で、わたしは小森清次さんを、「九重のみどりがよく似合う男の一人だと思う。一見無骨そうな体つきに似合わず、やさしい目で九重連山を見上げる姿は、凡そ雪国新潟の人とは思えない九州の男っぽさを感じる」 と書いた。

今年の天籟通信新年俳句大会の席上、清次さんは句集発刊に対するお祝いの謝辞として、昨年大事なご子息を亡くされ暫くの間、自失の渕に嵌り、仕事も俳句も手につかず、只々子息の牌に対峙する毎日であった、と今にも溢れそうな涙を抑えながら、発刊に至った経緯を述べられた。

句集の評に入るのだが、江戸菖蒲の欄の三頁に大学箱根駅伝十句と題して

 学ランの初駆けに沸く都かな
 はら痛のジンクス雪の権太坂
 一歩入れば箱根は雪の槍ぶすま
 あんちゃんの箱根力走佐渡は雪
 逆さ富士凍(しば)れて我等完走す


ほか五句があり、また数頁置いて、

 素振り千回厳冬ゆるむ気配なし
 補欠でいいさ大根の花まっさかり

に清次さんの隠れた一面に気がついた。俳句の世界は、企業の学歴社会と異なり、学歴や経歴などを滅多には喋らない。清次さんは学生時代を駅伝にまた剣道に、若きエネルギーを燃やしていたに違いない。そう言えば清次さんの発言には、未だに若き血が漲っている。
此処まで来て、あの律儀な清次さんが哀愁に充ちたピエロの姿に変貌する。

 納税のついでに風邪を置いて来る
 水道を出て若水になりすます
 ツケの利く酒屋の角を恵方とす
 字余りのおとこ踏ン張れ春の馬

これらの句を見ていると、哀愁というよりも、おかしみに充ちた滑稽さを感じる。滑稽のおかしみを宗とせざれば、俳諧にあらずと唱えたのは、芭蕉の門弟許六である。いま清次さんの句のおかしさを採るべく、第一句集『やまとたける』 から数句拾ってみた。

 万策の尽きて煮干になりにけり
 ジャンケンに負けて芒となりにけり
 ていねいに並べたんだねいわし雲
 デパートを引っ張ってゆく兜虫
 生涯をすすきのままでおわりけり

こう並べてみると、清次さんのおかしみの質の変遷を伺うことが出来る。

 小森清次句集『江戸菖蒲』三十句抄

ぼくが貰った大往生の冬帽子
尺蠖りのぴんこしゃんこと急ぎけり
切り火打つひとつ女増しの江戸菖蒲
納税のついでに風邪を置いて来る
つちふるやおろおろ昏れる鉄の町
たくあんとめしで御の字去年今年
雪卸し重ねし村を捨てかねる
どんど火のするめの踊る竿の先
白馬も槍も流れて来る雪解
へそくりの中も菜の花日和かな
ジューンブライド婿は越後の鬼ごろし
火遊びを知らない頃のななかまど
さんま焼くだけの七輪渋うちわ
絵に画いた餅の歯ごたえ去年今年
賀を述ぶる骨董品のような顔

雪女振り向かせたら君のもの
まっとうな百合根人生茶わん蒸し
無住寺の美男かずらに騙されて
水道を出て若水になりすます
啓蟄や開けっ放しの大金庫
万緑やひとくち大の塩むすび
秋風のするりと抜ける身八ツ口
ツケの利く酒屋の角を恵方とす
うしろからつつけばへこむ春の月
大佐渡に小佐渡寄り添う春の闇
一徹なカンカン帽でありしかな
寡黙なりし漢(おとこ)の墓標花野燃ゆ
雪掻いて押して人生駆けくらべ
新しき墓にもの言う寒さかな
字余りのおとこ踏ン張れ春の馬

  青木貞雄・抄出

かささぎの旗:姫野のざんげと感慨

小森さん。
新潟の豪雪地帯のひとなのに、長年九州俳句に付き合っておられる小森さん。
そのお名前を拝見するたび、胸の奥に火箸を当てられたような痛みが走ります。それはかささぎが若かりしころ、小森清次句集『やまとたける』 を、こてんぱんにこきおろしたからです

鹿児島の俳人・国武十六夜氏の全句手書きの書による句集は、きれいな和紙の箱に入っていて、とっても立派でした。それなのに、いや、だからこそなのかもしれない、十年前のわたしの目には、それがとてもスカスカのものにしか見えなかった。
採ったのは次の一句だけでした。

木造の郵便局のさくらかな   小森清次

これは今も空でいえます。大好きな句だからです。
なみだがでそうなほど、懐かしい。

九州俳句にこてんぱんを書いたあとの樹(たちき)の新年句会で、はじめて小森さんにお目にかかりました。
猛烈に怒ったおかおで、「あんたね・・・」と言って、わたしをにらみつけておられましたが、ただ頭をさげるだけの私に、諦めたようにフイっと、「もう・・ゆるしちゃる!」 と言って、手にしておられた花束をグイっと押し付けて、去ってゆかれました。
そのときの、清次さんのなんともいえない
お顔。
ガキ大将が喧嘩に負けて、抑えきれない怒りを収拾している時のような。

ほんとはぜったいおまえのことは許さん!!
と、その目が言っていました。
だけど、かささぎは、そのとき、はじめて、
確かな手ごたえを感じたのです。
ものをかくものとしての。
軽蔑されようが怒りまくられようが、書きたいように書くのだ、とおもった。

あれから十年。
この第二句集は、かささぎには、送られては来ませんでした。
かささぎがけなした「やまとたける」が、彼の第一句集であったことにいまさらのように思い至り、天をうち仰ぐのであります。

つるのみそカレーうどん

きのう、澄たからさんとみやま市の保健医療経営大学へ英語の公開授業の申し込みに行った帰り、八女市役所前にあるうどんやさん、つるのうどんをたべました。

たからさんは、目のまえで揚げてくれるごぼう天ののっかったごぼ天うどん。
わたしは、ぎょぎょぎょの「みそカレーうどん!」をたべました。
どんな味かを説明します。
ふつうのカレーうどんより甘め。
うどんの白い味、カレーの黄色い味にまじって、時々みその甘い味がする。
だけどもカレー味がやっぱり勝つ。

だーれがこんな妙なくみあわせ、かんがえたんだろう。
おいしかったです。

柿の木のてっぺん

柿の木のてっぺん

飽きない。

飽きない。

2009年5月 7日 (木)

乙四郎、宇佐で蓑虫に会う。の巻き。

帰りました。
明日から通常勤務です。
今日は時間的にも心情的にも余裕があったので、
USAに立ち寄ってきました。
宇佐神宮。
広い。
数十年ぶりに蓑虫と再会しました。
通り道だったので、鯛生金山にも立ち寄り。
山菜うどん、おいしかった!
その昔、矢部村のさらに向こう側に、3000人もの人々の暮らしがあった。映画館もあった。
なんとイギリス人(技術指導)も住んでいたと。

その他、発見事項。
北九州空港は北九州市にはない。

訂正

北九州空港の北半分は北九州市でした。

え?北九州にあるんでしょ?
小倉にあるんじゃなかったですか?
ま、まさか、苅田町?

あ、半分が苅田町ってことですか。

そう、かんだ。たしかそうだよ。
おつしろう、おかえりなさい。
何時間かかるものなんだろう、関東から。
ところで。
おつしろう先生。
あした、たからさんと申し込みにいくことになりました。英語。ううう。わすれたふりしていたが・・・
佐藤先生、また不出来な生徒ですが、よろしくお願いいたします。たからさんは優秀でありますからね。
今日きいたはなしでは、すみ先生(ご主人ね)も独学で英語を学んでらして、それがもう二年目、今やドイツ語まで手をひろげておられるそうですよ。

みのむしの音をききにこよ草の庵 (芭蕉)

蓑虫が消えてしまった。
九州では絶滅かと思ってたら宇佐神宮の古木にぶら下がってた。
小ぶりだったので種が違うのかもしれない。

およ。ここで芭蕉をだしてくれるなんて、。
じゃやっぱ、あれです。
脇をつけてください。
おつしろうがつけてください。
かささぎは、芭蕉祭に半歌仙を奉納しようと長らくおもいながら、一回やっただけでした。今年は今からやれば間に合いそう。一つは、昨日杉浦けんぼうさんに脇を頼んで、今みたら付けてくださっています。
さまざまのこと思ひ出すさくらかな。これ。春です。
蓑虫は冬かな。
同時期、同場所の句をつけてみてください。三句。

あさがお忌のもりたけ忌のはやっているのかな。
芭蕉祭の応募要項は毎年おくられてきます。
連歌にしろ連句にしろ、法楽であるということは。

  貞享四年秋
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵

  貞享五年春
さまざまの事おもひ出す櫻かな

ぐうぜん、ほぼおなじころの句です。
芭蕉44~45歳。
岩波の「芭蕉俳句集」(中村俊定校注)で確認。

半歌仙は、文字通り歌仙の半分です。名残の折がついてないもの、ほかは歌仙と同じ。
付句はべつに芭蕉の生涯に寄り添わなくても、自分なりのよみで自分なりの脇をつければいいと思います。
なお、蓑虫については、かささぎも忘れがたい詩がある。
さぐりあてたその位置は正しい。
で始まる詩です。有名な人でなく無名の詩人の。
いわれてみて気づく。蓑虫、ながらくみてない。

みのむし:http://puh.web.infoseek.co.jp/aboutminomushi.htm

オフ会始末談義

気のせいでしょうか?
ぼんのご主人とろいりーさんって、
お顔の雰囲気まで似てらっしゃいません?
体つきまで。

まるで、兄弟みたいですね。

似ているというよりそっくりでした。波長。笑
すがたかたちは背のたかさが違うけど、やせているところとかおなじでした。
うしろから二人を写したのがありましたが、よくにています。どことなく。
ろいりさんは高校の歴史の先生だそうです。

nightこんばんわ
オフ会>>おつかれさまでした。 今回は欠席で失礼しました。
それと、「MK」は終わっとったですか。。ごめんなさい。。未確認情報やったですね★失礼しました。(これは中華料理やさんの件です、かささぎ脚注・でもひょっとしたら探せなかっただけで、あるのかもしれないです。)
ろいりさんは無事に合流できてよかったですね。
歴史のプロやったとですね☆ひめさん心強いですね^^☆☆☆
久留米から上陽へ>>深い森があったでしょう。
それと深い谷にかかる大きな橋も。
おぼろと逆の右のほうへ行くと「是善社」があります。
道真さんのお父様の。
こちらは必ずご利益があるとですよ(^_-)-☆
http://yamep.sblo.jp/article/9935605.html(是善社、八女)

エメさん、おかえりなさい。
どうでしたか、岩国は。
十八歳のエメさんの記録ノートの断片、ちゃんとろいりさんへ渡しましたので、ご安心ください。
ろいりさんから当日きいたことであっとおもったのは、六角堂。くるめの広場のある。ほんとうに昔お堂があったんだって。
そこまで言われてやっと結びついた。
六角堂、聖徳太子、法然、親鸞、そして行空上人のその1その2!

sunおはようございます
ノート>>へた字で恥ずかしいですが、女子高生のいきおいということで・・(^^ゞ・・その頃はまだ17よ♪)
六角堂>>あ~、、そうですか・・お堂が~☆
熊本県の某所の神社に六角の聖徳太子廟があります。
そんなに古くはないんだけど、すてきな廟ですdiamond
広川の某に私の好きな六面のお地蔵様があります。
六根清浄って言葉があるけど、神仏には大事な数字ね。きっと☆

 一昨日は、ありがとうございました。で、いろいろありすぎて何から言っていいのやら。まずこのようなオフ会が持てたのも、ぼんさんのお連れ合いとまでお会いできたのも、何よりもかささぎさんのおかげ。以前ぼんさんのコメントで「夫は無口で何もしゃべりきらんかも」と言われていた割にはとてもおもしろい方(もちろんこれは褒め言葉)で、本当にまたお会いしたいです。それにしても、どっかこっかでつながりがあるもんたい。ぼんさんのお姉さんの中学・高校の卒業アルバムがもし見られたら、そこにうちの姉も写っているはず。

 あの夜、父親から聞きだした情報を幾つか。まずぼんさんの金丸校時代の同級生のおうち、「平井理髪店」は弥永外科のすぐ近くにあったけど、後継ぎがいなくて廃業したそうです。しかも何と「平井君」のお父さんは、昔日吉町にあったうちの店(おそらく祖父の代)で職人さんしてらしたとか。
 それから、釣りができる池のある豪邸、やはりラッキーパチンコ店の経営者の家のようで、日吉校で私と同学年だったのが後を継いでいるらしい。
 広川町にお住まいの方、父の出身地は梯という所みたいです。S15年3月上広川小学校卒業で、5年前に行われた同窓会の名簿でわかりました。まともに小学校行ってない割には、今も地元に残ってる人たちと付き合いがあるようです。おっと、ここで検索して数ヶ月前のseikoさんのコメント探し当てたら、梯区という地名も、広川ダムの近くに大森姓の友人がいるとも書いとらっしゃった。父の時代(約70年前!)は、当時の校長が、生徒は1000人以上いて税金の滞納者も一番少ない校区ち言うて自慢しよったらしい。
 エメさん、ノートありがとう。ホント、当時の女子高生っぽい文で、胸キュンものですね。福岡系の深夜放送では「ユー・アンド・ミー」を聞いてました。確か番組最初のフレーズが「あなたと私、you & me!」とか言ったんですよね。でもこれは事前録音番組だったようで、やはり生のほうがおもしろいと、当時はまだ福岡に中継局がなく、東京から直接流れてくる電波を拾ってました。ちなみに大阪では、当時無名の笑福亭仁鶴のエッチなトークが思春期の少年心をくすぐり、これも時々聞いてました。
 オフ会でも話題になったダンス場の件、ぼんさんの夫さんの話を参考にすれば、さくらさんが行っていた社交ダンス場というのは「ダイアナ」ではなく「ダイナ」ではないでしょうか、というわけでさっそく「ダイナ」のホームページhttp://www.dinah1947.com/見つけたら「社交ダンスと共に半世紀」という宣伝文句が載ってました。で、Go!Go!系というか前ディスコ系のダンス場は「クインビー」ちいう名前じゃなかったろかとも言ったけど、こんどそこでバンドやっていた同級生に会ったら確認してみます。
 ふ~、なごなった。後は他の記事にコメントするか、後日にと思たけど最後に1つ、これまた父から聞いた話で、数日前に満州屋(屋台店舗)の元祖が50代の息子を刺し殺したという事件が、数日前にあったとか。でも検索してもほとんど出てこない。詳しい記事がどこかに出とらんやか。

ろいりさん、そう、、クインビーかも☆彡
そんな気がしてきました☆彡
私の記憶力は全然だめですね~(^_^;)
ノート>>久しぶりに眺めましたら懐かしい気分です。 字ヘタはごかんべんを。。 あの頃はサンデーVSマガジンの激烈な頃でしたので(タイミングよくNHKでドキュメンタリーがあっていました)、チョイスしながら読んでいたマンガもキラ星のごとく名作がありましたね。
それと、当時のラジオでは米軍(?)の板付けから(?)の音楽だけのチャンネルがありましたでしょう。
英語のMCで、あちらのヒットチャートの音楽がバンバンかかっていました。
家のラジオでは受信できなくて、カーラジオだとなんとか聞こえたたのでよく車庫の中で聞いていました^^♪

ろいりさん。
今日ろいりさんちの前を二回通りましたよ。笑
ちゃんと出世したバイクがあった。みた。
朝九時過ぎ、広川町のせいこさんちへ豌豆をとどけて、それからぐにゅぐにゅ道をまっすぐ相川経由で209号線へ出、福岡方面へ出ました。のはずが、梶原理容店の前の道をまた引き返したのは、五号線を通ろうと思ったので、旧かささぎロードの。ところが長く通らないので、どの橋をわたった道がそうだったのかを思い出せず、これだろうと思っていったら、200号線でした。すいていてびゅんびゅん飛ばせた。が、しかし、途中有料!!200円とられた。ああ、そういえば言ってましたね、ひやみず峠の道。長いトンネル。なーんだ。っていうか。遠回りだね。きっと。
かささぎは戸畑の夫へおかみの給付金を届けにいった。ひとりぶん。今回は速かった。とくに帰路は三号線を遵守して帰ったので二時間しかかからなかった。前回行って帰るのに七時間もかかったのが嘘みたい。九時に出て二時だから、二時間短縮。

オフ会の話題について、書こうとしたんだよね。
ところが、笑、かささぎは聞いていなかったんだろうね。なーんもおぼえていませんでした。だから、書いてくださったの、ありがとう!!
じぶんの知らない話って聞いているようで残らないものですね。今回のオフ会はある種、ろいりさんとぼんの同窓会でしたからね。
だけど、ふしぎだね。
架け橋、梯って書く、その地ですが。
私は高橋甲四郎先生に聞いたことがあって。
去年。先生の母方の里だったかな。父方の里だったような気がします。たしか梯というのがこうしろう先生のおとうさんの旧姓で、黒木の高橋家の養子になられたのでした。
なんとなく、そういうことを連句的に思い出しております。関係ないのかあるのか知らないけどね。
せいこさん、今日はのこの島にいってたそうで。
いつかまたの機会に、みんなで会いたいです。
そうしたら、縁がよりはっきりしそうな気がします。
とにかく、ありがとうございました。どちらさまも。

追伸、こうしろう先生の先祖は青木牛之助です。

呂伊利さん

お疲れ様でした。夫は「彦さん」というハンドルネームにします。いつまでも「ぼんさんのだんなさん」では時間がかかりますから。
で、彦さんを連れて行ったのは正解だったようですね。遊ぶ事やバイクの事などはよく知っています。車を買い替えるときなど展示場を何件も回り、パンフレットを何冊も集めて吟味し、どの車種にどんな機能がついているかを暗記しているのですから、たいしたものです。ここのところだけはやっぱ男だなあと思います。
息子も「お父さんがパンク修理をするのは当たり前(自転車、バイクの)だとおもっていたけど、ちがうとやね」と言っておりました。他所の家ではしないんですね。わたしも知りませんでした。ふだんばかにばかりしてますけど、かなわない面を持っているから、今までもてているんだと思う。
かささぎさん、旦那さんは元気でしたか?だんなさんもギターが上手いって言っていたから、今度は一緒に会おうね。

ぼんさん。彦さんは面白い人でしたなあ。
そしてたよりになるドライバーでしたなあ。

 昨晩、父が上広川小学校創立百周年記念誌というのを出して見せてくれた。この小学校は昔から現代に至るまで、1組・2組…でもA組・B組…でもなく、い組・ろ組…なんですね。まるで江戸の火消し衆みたい。そして各年度の卒業写真が、古いのでは大正10年頃のものから載っており、でも戦前~戦後直後までは、写真のない年度も。空襲で焼けるなどして散逸したのか、載っているのはたまたま誰か保存していた人から提供があったのか。S14~20年あたりだけ奉安殿をバックに、S50年頃だけ?日の丸をバックに写真撮っているというのも、何か時代的意図を感じる。S23年ぐらいのからは全部載ってるようです。ということは、このブログに投稿している上広川小出身の人の写真も載っているということですよ。
 上広川小出身で、この記念誌を持っておらず見たい方はご一報ください。ただし夏まで待っていただかなければいけないけど。
 おっと、もう1つ別の話題、もはや壊滅状態と言われていた「具うどん」のメニュー、古賀久近くの「三潴屋」食堂で発見!
        プラネット西鉄久留米リベール店にて

「ダイナ」のホームページ見ました。
住所から言うと私の思ってる場所の住所ですが、経営陣の顔ぶれと経歴がぜんぜん違う。
ただし、昭和22年ごろからやってたという「ダイナ」は別の場所にあったそうで、その当時の「ダイナ」にも一度行ったことがある。
そのご、今の東町にあったダンスホールを買い取って移ったんじゃないかと想像しました。
昭和40年ごろの東町のホール経営者の山田先生と、今の「ダイナ」の経営者の先生は、昔のダンス教師のタイプ(細身で色白)なところがそっくりです。

ろいりさん、ホームページ紹介していただいてありがとうございました。
必死で検索かけたよ。

昭和50年から51年にかけて、このダイナにも何度か行きました。職場の12月のダンスパーティに向けて、社交ダンスを習いに行ったのでした。同僚達と。若かったなあ。
ダンスパーティのことをダンパと呼んでいました。今は死語ですね。笑

2009年5月 6日 (水)

『白椿』

DVD 『白椿』 を見る。
ゆたりとして、シンプルな映画。

ものがたりの筋。

いまの女性なら誰でも抱えているだろう日常の不満。

ひとりの若い母親ーきれいな女優さん。名前を知らない。
仕事をおえて帰ってくると待っているお給仕。おさんどん。
きついのはおなじなのに。
夫は「おれは毎日なんのためにこんなきついめにあっているんだ。」
というが、妻のがんばりには目をくれない。
むしろ当然のことをなぜお前はやれない。という目。
いたわってくれ。やさしくしてくれ。
そう目がいっているが、妻はそれに応える余裕がない。
園児の娘の送迎も父親まかせである。

また、別の所に受験浪人のむすめがいる。
女優さんの名前を知らない。テレビでよくみかける顔。
きれいな母親から口をすっぱくしてああしろこうしろいわれ、
うるさくてたまらない。へやはちらかり、友達以外誰とも口をきかない。
いつもむすっとして不機嫌。

主役は題にあるように美しい白椿である。
咲いているのは海に面する町のなにげない小さな通り。
幼稚園児の女の子がおじいちゃん(財津一郎)に手を引かれてその樹の前を通る。
ここから話ははじまり、二人のヒロインと椿の精とが入れ替わる。

原作、夢野久作。
女優さんたちのファッションが繊細でとてもきれい。
何回となく挿入される入江の俯瞰シーン、どこだろう。
主題歌より途中で流れるピアノの曲が印象的だった。

ラスト近く、夫がひとり白椿とむきあって長い間ものをおもう場面。
そのとき、かれはなにをおもっていたのだろう。
役者さんにたずねてみたいきもち。

六角堂

仕事で六角堂広場のもよおしの雑踏警備を請け負った去年。
そのときには六角堂っていうのは久留米市民のための広場のなまえ、くらいの認識しかなかった。広場についた名前にしては六角堂だなんてね。くらいのかんじ。

それが西日本新聞の五木寛之の連載小説『親鸞』を読んでいて、六角堂が出て来たことにおやと思う。
38歳の親鸞が(未だしゃっくう、という名前のころ。綽空)、京の吉水の六角堂に百日のあいだ籠る。そのおわり近くになって、聖徳太子の夢のお告げがある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E#.E5.85.AD.E8.A7.92.E5.A4.A2.E5.91.8A
わたしは親鸞のみ教えの真宗を信ずる家で育ったけれども、そういう親鸞の出自については知らないできた。

上記の資料から、気になるいくつかをこぴぺする。カラー部分は引用文です。

1 改名について。

「綽空」から「善信」に改めたのではなく、「善信房綽空」から「善信房親鸞」に改めたとする。法名は、自ら名告るものではないため、「親鸞」の法名も法然より与えられたとする。
親鸞は、晩年の著作にも「善信」と「親鸞」の両方の名を用いている。また越後において、師・法然より与えられた「善信」の法名を捨て、「親鸞」と自ら名告るのは不自然である。

2 妻帯

    妻帯の時期などについては、確証となる書籍・消息などが無く、諸説存在し推論である。

    当時は、高貴な罪人が配流される際は、身の回りの世話のために妻帯させるのが一    般的であり、近年では配流前に京都で妻帯したとする説が有力視されている。

3 法難

  このくだりで「行空」が出てきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%85%83%E3%81%AE%E6%B3%95%E9%9B%A3

 目下かささぎは親鸞より「行空」が気になるので、その部分のみコピペ。

しかし『六時礼讃』に節をつけて勤める法会で人気を博していた安楽房遵西法本房行空が、非難の的にされた。法然は、行空を破門処分するもののの事態は収まらなかった。

この文章の要点、当時の最高権力者であった後鳥羽上皇が寵愛していた松虫・鈴虫というふたりの女性が、世を憂いて出家してしまう。それを知った上皇は激怒していかりの矛先を僧門籍へ持っていった、という流れの一部。てことは、おもいきり単純なかささぎ語にしてしまうと、ただの男、オスとしての後鳥羽上皇の嫉妬がふたりのきれいなお坊さんのちんこのじゆうを断ってしまった。ということになるんだろうかなあ。おおっと、放送禁止用語でした。下品でごめんなさい。何しろかささぎですから。

5 行空(ぎょうくう)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E7%A9%BAより丸ごとコピペをごめんなさい。

ところが翌年(1205年)、興福寺の僧徒らが『興福寺奏状』をもって再び専修念仏停止の訴えが起こると、行空は「一念往生義」を立てているので流罪にせよと訴えられた。そして建永元年(1206年)、遵西とともに流罪に処せられ、法然より破門された。なお、この2名の流罪では収まらず、翌年承元の法難へと発展した。

※かささぎの独り言:

このあいだ、星野村の黒木谷、こうやんどう「高野堂」からみで行空を検索したとき、上記の項目はヒットしませんでした。その後どなたかが書き足されたものと存じます。ありがとうございました。だけどだけど、どなたか、ふたたびかささぎの次の疑問に答えてはくださいませんか。

一つ。女犯の罪で行空はもうひとりの僧とらせつの刑に遭う。とあります。↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%88%91「宮刑」

実際の執行例としても、土御門天皇の代、1207年(承元元年)に法然の弟子である法本坊行空と安楽坊遵西が、女犯の罪で羅切の刑に処せられたとの、「皇帝紀抄(巻7)」の記録がある。

このはなしと行空の流罪と恋多き小侍従との関係はどうなるのでしょうね?
なにか小説みたいなものでもあればいいのですけど。
高野山別格本山講坊という名のお堂を行空が持ったのは○○(かささぎの旗にはアップしてない写真にあります星野の高野堂=行空上人のお墓にあった碑に書かれている、よめない、もう一度行って要確認、でもまだ日本一の玉露の茶摘が終わっていない、大事なときであるため、行くにいけない。というのはど真ん中にあるわけです、玉露園の)と小侍従の請願により。とありました。

あー。なにがいいたいのかさっぱり要をえない文になった。
ごめんなさい。親鸞で読まれていた方、ごめんさない。
途中で行空になってしまってごめんなさい。
ともかく、謎だらけで、こんぐらがっています。

親鸞が法然に許されてというか、夢のお告げに聖徳太子が現れて、妻帯をすすめられた。
ってことだけどもさ。
じゃなんで行空は女犯の罪でおちんこをちょんぎられちゃうの。
ってはなしになるんだよね。
ほぼ同時代のことでしょう。
わけがわからない。

このへんのところを、どなたか、資料もそろえてきちんと説明してくださいませんか。

かささぎは、この文章を、おととい帰省された歴史の先生という神津呂伊利さんから「久留米の六角堂広場には昔ほんとうにお堂があったんだ」って聞いてから、ほんとうの「六角堂」、聖徳太子に立ち戻り、書いた次第です。

本来の六角堂:http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%85%AD%E8%A7%92%E5%A0%82/

リンク記事:「星野村高野堂」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-12.html(写真、この頁の上部にクリックするところがあります。このほかに五枚ほどありますのでどうぞごらんください。)

ご詠歌  頂法寺=六角堂http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%82%E6%B3%95%E5%AF%BA#.E5.BE.A1.E8.A9.A0.E6.AD.8Cより

  わが思う 
    心のうちは 
    六の角 
  ただ円かれと 
  祈るなりけり

2009年5月 5日 (火)

森林公園久留米

森林公園久留米

花はおわりがけでした。

白つつじ雪崩れてつづく霧の坂

5・4かささぎの旗オフ会。
霧雨ふる寒い一日でした。

真ん中が神津呂伊利さん両脇はぼん夫妻。
ぼんのご主人にも初めてお会いできました。
この写真、よく撮れていましたね。
それぞれの花がよく撮れている。

ぼんのご主人とろいりーさんは共通のキーを持っておられました。
三時間近くかけて新門司から70のバイクでたどり着かれたろいりさん。
ほんとうはくたびれていらしたと思うのですよ。
休む間もなく(与えず!かも。)付き合って下さってありがとうございました。
しまった!とあとで気づいたのですが。笑

ひめのが行ったことなかった森林公園と、ぼん、ろいりさんが行ったことがない八女上陽のおぼろ大橋まで、運転のベテランぼんのご主人が連れて行ってくださる。
知らない道を知ることができました。ありがとうございました。
やはり、山に咲くつつじが、別格で非常にうつくしかった。
天気がよかったら。とはおもわなかったほど、霧も美しかった。

▼ルートメモ

1 ガスト集合。(エメさん紹介店なくなっていた。)
2 たべながらはなしながら二時間半余。
3 一台で森林公園、おぼろ大橋へ行く。
  森林公園へは自衛隊の幹部候補生寮がある道を通った。
  耳納スカイラインから上陽へ抜ける道がある。
4 帰りは上広川へ出る道を通って帰る。
5 サンカクヤ駐車場で解散。四時近く。

リンク引用:

1ぼんさん
http://houyume1150-4.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-f4aa.html
2せいこさん
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-7043.html

御井の山の城跡

2009年5月 4日 (月)

封じ込め失敗事例

 保健医療経営大学長  橋爪 章

はしか(麻疹)も予防接種が対策の決め手となる感染症です。

アメリカでは予防接種の徹底により、2000年以降は海外からの輸入症例がほとんどで医学部の臨床実習症例が見つからないほどまでに患者数が激減しました。

かたや日本では、いまだに毎年推定十万人規模の患者発生があり、死亡例も毎年あります。

途上国も含め、ほとんどの国が着実に麻疹制圧に近づいている中、日本の麻疹の現状には目を覆いたくなります。

日本の失敗の原因は、予防接種率の低さと接種回数の少なさです。

2001年の大流行(患者数28万人)を契機として、2002年にはキャンペーンで1歳児の接種率が向上し、2006年からは接種回数を増やし、2008年からは接種機会も増やしていますが、いまだに日本は、麻疹の最大の輸出国との汚名を返上できずにいます。

2007年には麻疹の流行のため83の大学が休校しました。

2008年も相変わらずです。

http://idsc.nih.go.jp/disease/measles/2008pdf/meas08-52-01.pdf

保健医療経営大学学長ブログより引用

▼かささぎの連句的

去年、連句を文音(ぶんいん、ファクスやはがきやネットなどの通信媒体を通して連句をまくことをいう。二十年前までは郵便が普通だったが、最近はファクスや電子メールでの文音がさかんになってくる。テレパシーまでもう一歩!)で巻いていた、杉浦兼坊ブログ日記で、その話題を発見したことがあります。
かささぎはコメントを残していました。(先生、断わりもなく、失礼します。)

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/view/200804?.begin=11

連句の話題とスクランブル。
4・16コメントhttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20080416/1208336735#comment

もう一つ。http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20080408/1207646842#comment

乙四郎、帰りも拘束さけながら

明日の午後から帰路です。
大都市はまったく通らないので渋滞なし。
疲れたら休む。
観光地を見つけたら立ち寄る。
拘束道路より快適なのは間違いない。
とりあえず、明日の風呂は山奥の秘湯を目指します。

せいこガーデン

せいこガーデン

オレンジ色のガーベラ、とってもきれい。
うしろの物干しに下がっている網のなかには、なんの葉っぱが入っているだろう。
せいこさんちに初めていきました。
昼から高校時代の友がもうひとり(病院スタッフ)来て、世間話をしました。
いいなあ。せけんばなしって。

せいこガーデンのナス畑の一角

せいこガーデンのナス畑の一角

there are six eggplants around the flower

あ。六角堂。ふとおもいだした。

2009年5月 3日 (日)

のんびり乙四郎 連休道中投稿記

てこた連休中の学長ブログは「仕込み」ってことになります。
今朝のは封じ込めの3、ポリオでした。
ポリオワクチンはほんとに飲むだけだから楽だった。

http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=289

昨日ぼんのブログをささっと読んでいたら、お誕生日だったそうで、うっへえもう55!
おめでとうもいわず、ささっと逃げ帰った。笑。
ぼん、ごめん。わしは薄情なんや。いや、わしじゃなくかささぎ。

軽乗用車で関東方面へ帰った同級生・乙四郎。
以下、コメント投稿。

八女ー関東、高速じゃない一般道道中記

  のんびり竹橋乙四郎

ETC付けてないので一般道のみで駆け抜けました。
主な立ち寄り場

○岡山県湯原温泉 砂湯(露天風呂)
○岐阜県下呂温泉 墳泉地(露天風呂)

いずれも、公道や橋から丸見え。
無料。
混浴ですが勇気ある女性は稀でしょう。
草なぎ君も、ここだったら逮捕されずにすんだのに。

○福井県 天の橋立~若狭湾

一車両の電車が通る単線と若狭湾に挟まれた道を走りながら、あの感動の名シーン(大漁旗と和久井映見の「ふるさと」熱唱)が蘇ってきました。
和久井映見、海へ行くわ。(回文)

○東京都 奥多摩
サイクリングツアーのおじさんたち。忌野清志郎が順調に回復して混じってるかも、と思いながら追い抜く。帰ったら訃報に接す。虫の知らせだったかも。

○鳥取県 投入堂 
   ↓

うた、二首。

暗き灯に過ぎゆくひとりうかうかと
    生きゆくひとり我にあらずや
         

雨しづく綺羅綺羅として裸木の
   こよひこの世に遠きいつぽん

 二首とも、 諫早  長島 洋子

   31文字倉庫より引用しました。
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-a9e5.html

優れた歌は、繰返し何度も読ませられる。
自然とリズムと風韻とを刻み付けさせられる。(使役動詞)

エメさんを待ちながら

エメさんを待ちながら

心霊写真ではありません。ご安心ください。
外の景色まで写ってしまいました。
エメさんと三時に納楚の31(アイスクリームやさん)で待ち合わせ。
自転車で五分です。むすこなら二分かも。
おこさまとカップルばっかりがうじゃうじゃ。
こんなに客が多いって知らなかった。
向かって右の通りが国道三号線、写真を撮ってる私の背後を走っているのが羽犬塚から黒木方面へ抜ける442号線。
ここは四つ角でして、町内でも最も交通量の多いところです。
信号は「納楚北」。

さて、お待たせしました。
エメさん!
コメントくださる印象とぴたりと重なる!
かささぎ語では、エスティローダーみたいなかんじ。
エスティローダーってなんやねん。笑
ぱっと見、華やかなかたって意味よ。
んが、座って話しておりますと、とっても落ち着く女らしい方です。
混雑をものともせず、一時間半も百円のコーヒーだけで話し込んでいた。
それができるとこでした。お店の人ありがとう。

エメさんの話で印象にのこったこと。
娘さんが壱岐にとついでおられるんですって。
その壱岐ですが、島内に二千もの神社があるんだって。
あっと驚く神社の数です。
金印の島だし、ソラの死んだ島ですものね。
曾良。芭蕉の奥の細道の旅に同行した。*
(いつか行ってみたいんだよ、ソラのお墓に。)
それと、エメさんが話してくれた。月読神社。
壱岐の月読神社は全国のつきよみ神社の総本山だって。
それなのに、手の平にのるくらいちいさいんだって。笑
想像を絶する。見てみたいなあ。
壱岐。しらないことがいっぱいだ。

壱岐の月読神社サイト:http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/menu.html

つぎにやめつひめ神社。矢部の。
エメさんの話を聞いて、はじめて行きたいなあと思った。
情けないことに、かささぎは八女人なのにその地名の由来となった地へいったことがないのであった。
これは自分の目が中央へばかり向いていたことの反省となって胸に迫る。
そのことをエメさんの話からさりげなく気づかせてもらいました。
八女津媛神社、むかしはとっても神秘的な場所だったんだそうです。
それはことばにはできないじげんのはなしで。
聞いていて、そう思った。
ひとにしられずひっそりとあるからこその真ってものがある。

話していたら、あっと驚く接点があることを発見しました。
だけど、ここには書きません。
ろいりさんと同学年らしいことも判明しました。
明日ろいりさんへ渡すノートのコピーをあずかり、再会を期して別れました。

*

村松なんとかって人の書かれたソラの本を読んだことがあります。
お役人だったソラは幕府のお金をたくさんもらって旅のお金にあてた。もちろん芭蕉のぶんもあずかってた。今で言うなら百万近い大金を枕元においてどきどきで歳晩を寝た、っていう感慨を詠んだ句もあるらしく。記憶で書いていますんで間違っていたらごめんなさい。
どういう仕事をしてたのだろう。諸国の事情をさぐる旅だったのは間違いないのでしょう。
これ、とても面白い本でしたので、いつかきちんとご紹介いたします。佐賀図書館の本。

2009年5月 2日 (土)

オフ会への道談義

ほんなこて。
だけん、ろいりさん、もし時間が少しでもあけば、すぐこのブログコメント欄でよかけん、連絡してくだされ。ぜったいかけつけるから。えめさんせいこさんぼんまあおつしろうはむりとしてもともかく声かけられるしこ声かけてみんなでめしくお。うんそうしよう。
ついでに六句だけでも蒔こう。←したごころ

 よかですよ、なかなか計画が立たんかったけど、いろいろ事情あって、東九フェリーで5/4早朝に新門司港に到着、その後70ccのカブに乗って久留米へと向かう予定。5/4の昼~夕方で久留米市内ならほぼ大丈夫でしょう、連絡先は…さすがにここに電話番号や携帯メールアドレスのせるわけにはいかんけんね。また連絡します。

了解。わかりました。ではお気をつけて。

おもいだしました。
はじめて夫が八女にきたとき。
50のバイクで博多からきました。
茶畑まで歩いて迎えにいきました。
あれから何年たつだろう。

4日ですか。まだシフト表をもらってないのでなんともいえませんが、善処します。
稼ぎ時なので・・・相談してみます。

オフ会>>せっかくのチャンスなのに、みなさんごめんなさい。。4、5日は岩国に行きますので、、。
呂伊利さんに会えなくて残念です★
こちらのみなさんとはいつか会えるチャンスがあると思います☆

マネージャーと相談して、4日お休みになりました。どういった形で連絡を取るのかわかりませんが、待っています。詳しいことは明日カササギの長老と話をします。
エメさん、お会いしたかったけど、又の機会にね。岩国は航空ショーですか?

よかった。ぼんさまありがとうございまする。
ひとりならできかねることです。
ところで。ついに長老、、、、でででででいやだで。
その長老は前田師に説教うけまくりですわ。
文体、てぬきするな。と。よれよれですものね。
最近わたしはブログ体というからだになっているんだそうです。そうではないかとおそれてはいたんですが。
そのうちだんだんうきあがってきます。

えめさん。いわくに。はじめて目にする地名です。
レポートおまちしてます。

ごめんごめん、私より数ヶ月若いのにね。
長く携わっているってことなんだけど。
前田師にいろいろ言われてるんだ。
窓口でもあり、愛弟子でもある。
さっぱりはしてはるけど辛口やもんね、
一直のこと、又書いてね。

 4日ということでトントントンと話が進んでいますが、70CCではスピードも出ず高速にも乗れないうえに、方向音痴の私なので、久留米に着くのは10時頃かも?そして3時頃には先に帰省しているヨメを高良台方面まで迎えに行き、櫛原の私の実家で両親の相手したりということもあるので、昼間の数時間ぐらいしか取れないと思っておいて下さい。せっかくみなさん都合つけてくださったのにごめんなさい。でも、大胆に7・8と年休取ることに決めつつあるので、5/8の朝までは久留米にいることになりそうです。この間の予定は姉や甥次第で、これはまだ未定。
 岩国と聞いてすぐ思い浮かべたのが米軍基地だったけど、三大奇橋の1つ錦帯橋が近くにあるのではなかったですか?昔「おいでませ、山口へ」という観光CMがあったのも思い出しました。三大奇橋のあとの2つは、徳島のかずら橋、山梨県の猿橋、いや日光の神橋という説もあるそうな。おっと、私は全部制覇した!猿橋はバイクで日帰り十分というところだが、JR中央本線の駅や中央高速のバス停もあるのに、ほとんど観光客が訪れないところ。

sunこんにちは
ぼんさん、岩国は航空ショーも計画してますが、知人に会うことと街並み散策がメインです。
宇野千代さんの故郷を一度訪ねてみたいと30代のころから思っていました。 念願なのです^^heart

呂伊利さん、ゆっくりご滞在ですね。 故郷を楽しんでください。
岩国>>錦帯橋も行きますよ^^
徳島のかずら橋>>こちらもいつかはと思っていますが、いずれなくなるとも聞いたことがあります。
早く行きたいものです。
ひめさん、岩国は城下町のようです。
知らない街をぷらぷら歩くのが好きですので、たっぷり歩くつもりですdenimriceball
レポ書きますね^^camera

4日、主人も暇そうなので、連れて行こうと思っています。上手く会えるといいですね。
高良台って家の近くじゃないですか。相合の近くにカラオケやさん、ありましたよね。ふ・ふ・ふ・

ろいりーさんえめさんこんばんは。
岩国、思い出しました。
うかい。
さびしい。
さびれている。
きんたいきょう。
・・・二年前連句大会があって。やまぐちで。
そのとき、とおりぬけた町だった。ありゃあこれがかのゆうめいな・・。とおもって。
ところで。バイクは車より早く走れていいですね。
高速が混んでいてびっちり後ろからと横からとつめられて走っているとき、すぐ真後ろにぴたりと大きな単車が割り込んできた。バックミラーでみますと、そののっかってる人、たってる!つまり中腰。っていうか腰うかせてる、自転車でいうなら立ちこぎスタイル!
ハラハラしてこのひとへんじゃないやろかとおもって。どっかいってくれんやろか。でもずうーっとおなじかっこでついてくる。びたーっとつけて・・。あのときはこわかった。追撃される人のきもちだった。
バイクのみなさん。そういうことは、やめましょう。
あと、バイクにのりながら、大きなくまのぬいぐるみだっこするのもやめましょう。(くるめにいる、大のおっさんなのに超へん)目が点になるから。気がちって、あぶないんであります。
いやー。つい関係ないことまでかいてしまいました。
ほんとにこのろいりって人は二上がりもんさんみたいなので、つっこみたくなるかささぎの畑であった。

えめさんは宇野千代ファン。
その理由は・・?きものですか小説ですか生き方ですか。

cloudこんにちは。夜は雨かな?
宇野千代さん>>30才の頃、知人から借りて読んだ本が「生きて行く私」。
内容にね、もう、「ぐっ」ときました。
読みながら、装苑に連載されていた着物の話や、昔 叔母の本をみていた頃に載っていたエッセイとかですでに見知っていた人だとわかりました。
生き方は凡人にはとても真似ができないけれど、
ものの見方や考え方にとても心ひかれます。
「人生はあざなえる縄のごとし」この本で千代さんの生き方の筋を伝えるものだと感じました。
以来、自分の中にこの言葉を銘としていますclub(辛い事を経験したあとに、こそっと銘をひっぱりだすのよ^^)
小説よりエッセイのほうを読みましたが、映画は「おはん」を見ました。
幸吉役の石坂氏はこのぐだぐだしたどうしようもない男をみごとに演じていました。
女がしっかり者だから男が甘えてだらしないのか、どうしようもない男だから世話をしてあげたくなるのか・・「男と女」とは、現実でも不思議な世界☆★☆

↑禍福を入れ忘れましたsweat01
人生<=>禍福はあざなえる縄の如し☆

もひとつ↑私も以前3号線で、このハッピーそうなくまおじさんを見ましたmotorsports

 バイクの中腰、立ちこぎスタイルは、スピードが遅かったり前傾姿勢に疲れた時、そのほうが体に楽だからです。ちょっと違うけど騎馬民族の馬の乗り方も中腰、立ちこぎスタイルなので、わかってあげて下さい。かささぎさんに身に覚えがないのなら、追撃しているのではないでしょう。大きなくまのぬいぐるみは、確かに怖い、精神的に。

ろいりさんは論理的ですね。
ストンと納得できます。
中腰には、そういうふかい理由があったのですね。
痔になったわけではないのか。
騎馬民族がこんなところで出てくるとは。
おしゃかさまもどひゃーです。
ところで。閑話休題。
ちょっとのあいだに、ふえている!しかもとんでもなく飛躍充実。なにがかって。「こうやの宮」関連記事。九州古代王朝。いやあずうっとさっきまでそれをのぞきこんでいました。月9ドラマみようと思っていたのに忘れてしまったよ。(きのうの「ぼくの妹」はシリアスでおもしろかったですね)
一方。
おととい知ったことですが。
星野の黒木谷農道のちかくにあるらしい、こうやんどうさん、村人のはなしから想像すると高野の堂さん。だれを祀っているのかをききもらしてしまいました。現地にいって調べてこようかとおもっているところです。かささぎの意思にかかわりのないところで、いやおうなく開けてゆく地平。七百五十年忌が昭和57年ということは、その人物はいつ亡くなっている?えーとえーとざざざっと計算して1222年ころかな。いつじだい。なにじだいよ。高野山に関連する人物が星野の黒木谷で亡くなっているってことは。だれ。わざわざ高野山の本覚院からもおまつりにくるほどの人物って、いったいだれ。

なにを言っているとあっけにとられるでしょうね。
言っている本人にもよく見えていないから、人にわかるはずがない。笑

エメさん、バイクはサイドカーつきのド派手なものでした。くるめではゆうめいなひとなんですか。

えめさん。私もよんでみます。宇野千代。

nightこんばんわ
私が以前見たくまおじさんもサイドカーでしたよ@@

1222年頃は鎌倉時代かな。 市内にも鎌倉時代からのお寺がありますよ。
鎌倉時代>>昔からみょうに心惹かれる時代です。
衣服や文化など絵巻ものに庶民が描かれているものに興味が・・。
着物も動きやすい小袖に前掛けファッションとかネheart02

tv昨夜のドラマはまりそう☆脚本家は池端俊策氏。大作書いてた方みたい。。

book宇野千代さん読みますか^^

おはようございます。
昨夜この頁をひらいて文章うちこんでる途中で寝入ってしまってた。とほほ。
ぼくの妹、長澤まさみがシリアス、かわいいだけだったのが、ちょっと脱皮。ともさかりえ、ラストで死んでいたよね。つぎ、みたいね。むかしむかし、つぎはどうなるんだろ。ってわくわくして一週間まちかまえてテレビの前でみんなで正座してみてたころがなつかしい。あのころといま、たましいのからだがすっかりいれかわってる。とくにかささぎはブログ体ってからだになってしまった。はらだけまっしろのあーおかからだで浮遊するとです。いろんな雑多なもんばどっからかあつめてきて。
市内にもある鎌倉時代のお寺。
それはどこですか。

sunおはようございます
ブログ体>>この時代、、きっとみなさんそうかもよ^^pc
長澤さん>>数年前の朝ドラ「さくら」の時もかわいかったです~cherryblossom
日曜のこのドラマ、掛け合いのテンポもいいし、静かな場面の表情もいいし、なかなかですね☆☆☆
お寺>>幽霊の掛け軸で有名な正福寺さんです。
岩戸山資料館の石馬はもともとこのお寺にあったものだとなにかで読みました。 そうしてみると鎌倉よりもっと前かしら?
では今日もお仕事、ほどほどにお励みください。
当方、励みすぎて高いところにあるコーラのケースが手の甲に(ガンimpact)落ちてきました・・・(^_^;)

おおそりゃ災難でしたね。
コーラのケースがなんでまた天井からふってくるんです?
ゆげがてんじょからぽとりとせなかへ。でしょうもんが。
手の甲はむこうずねよりは痛くないとしても相当いたいとおもいます。

きのうもまた十時にはおやすみしていました。
徹夜して回復するのに時間がかかるようになった。

 古い話題に戻るけど(と言っても1週間前)、ぼんさんの家って荒木なんですか?相合って、相川(あいごう)のこと?久留米から行くと高良台の次のバス停が相川ではなかったですか?小学生の時、父のスクーター(ラビット!)に乗せられてこのへんに来た時、へえ~「あいかわ」じゃのうして「あいごう」ち読むったいね、ち思った記憶がある。朝露がきれいだったのがなぜか印象に残ってます。
 で、たぶんこの近くに「荒木のおばしゃん」と呼んでいた親戚が住んでおり、何度か行って泊まったこともあったなとか、ここが典型的な農家で母屋の近くに馬小屋か牛小屋があり、ハエが飛び交う中を、私は「郷にいれば郷に従え}(そげな難しか言葉は知らんじゃったろが)でバリバリ御飯のおかわりしたが、神経質な弟はあまり食いきらんやったこと、私が初めてちゃんと泳げるようになったのはこの近くの川でだったことなどなど、様々な記憶が蘇った!その後「荒木のおばしゃん」は父の10歳上の姉で、だから私たちに親切にしてくれたということなども判明したが、その頃には引っ越されて今はその家もなく、「おばしゃん」どころかその息子(従兄になるがほとんどつき合いなかった)も亡くなって荒木とは縁遠くなった~と思ってたらヨメの実家が近くで、数年前には高良台~広川町~相川周辺を道に迷いながらランニングしたこともあります。意外とぼんさんの家の近くも通ったかも。
 いや、朝っぱらから長々とすんまっしぇんでした。

ろいりさんごめん!
ぼんがお返事してくれるかおもいよったけど、きづかなかったね。コメントにうもれちゃったね。

ぼんが書いていた相合、すぐ相川だと気づいたけど、まいいかと。あいごうといういいかたが哀号を連想しかささぎは五木寛之のゴキブリの歌なんぞを思い出すのでありました。

 かささぎさん、ナイス・フォロー。ところでメルアドの件、東京離れたらパソコン・メール使えないので携帯アドレスでよかでしょか、また次回にでも。
 それにしても新門司港から久留米までの道を調べたら、どこをどう通ってきたらいいのやら。20年以上前に香春岳の近くを通ってきたら、甘木の手前がクネクネの上り下り道で困ったのを思い出した。九州道路地図ば買わにゃいかん。

ろいりーさん。ぼんさんは、荒木在住でも、荒木出身でもありませんよ。ま、現住所が荒木と同じ久留米市ではありますが。
相川と書いてあいごうと呼ぶ。
地元の人間しか読めませんね。

で、わたしは広川在住ですが、国道3号線じゃなく、国道209号線が生活圏内です。相川に近い。自宅から車で3分も行けば、相川の信号に出ます。あのあたりもすっかり様変わりしましたからね、迷子にもなるでしょう。

あらあらごめんなさい。出遅れましたね。
相川もまちがってたのね、重ねてごめん。
相川にはせいこさんのほうが近いですね。私は10分弱かかります。

どこで何時に待ち合わせるのか、そろそろ決めないと。六つ門の六角堂でxx時でもいいですけど、呂伊利さんのバイク次第ですもんね。パソコンのことは良く解らないので、窓口はかささぎさんになってもらって、かささぎさんからの連絡を待ちます。よろしくね。


高良山の真上でまちあわせ、ってのはどうよ。
きついじぇ~

あ~、つつじがきれいでしょうね。
まさか徒歩で・・・といってるんじゃないでしょうね?
15年ぐらい前、子供たちと一緒に登りましたが、きつかったじぇー。最後はやっとという感じでした。
元自衛隊員という人とお知り合いになりましたが、毎日上っているとのこと。退官後も。よく覚えてないけど、15分ぐらいで登るとか。
又,南筑高校の県道部員は朝練の前に登り、毎日鍛えているとか。走って上ってますもんね。余談が長くなりました。
連絡待ってますよ~。

cherryこんにちは
ろいりさん、お気をつけていらしてください。
先日昔のノートのことを書きましたが、、ひょっこり出てきましたよ♪(真剣に探すまえにほんとに「あら!なんでここに?」みたいに^^)
高校生のころ、クラスに提案して「青春書き込みノート」を教室の後ろ棚に置きました。
それは数冊続いて、終わるたんびに先生に持ってもらう意見があったので 渡していました。
最後のノートの時、はたして先生が大事にもっていてくれるのか不安に思いましたので(書いたほうは思い入れがあるけど先生にとってはどうかなと・・)
最後のノートは仲良し以外は誰にも言わずに私が持ち帰りました(ノート提供者の強みで^^)
書き込みの後半は数人の仲良しグループばかりがメンバーで、自宅に持ち帰って書いたりしていたので内容もかなり私的だったしネ・・(^^ゞ・・恋、おしゃれ、音楽、エッセイ、、などなど ☆彡

なので、オールナイトニッポンの実況書き部分をひめさんに添付メールしますね。
シミもそのままうつるし汚いヘタ字ですが、ご勘弁を★
長々書いていた記憶があったのですが2ページくらいです。
ではのちほどにmusic

エメラルドさまのノート は あしたかあさって 借り受けにいきますか
じつはかささぎ、ほんとのこといえば 社交的な人間ではなーいのだ
たぶん 年代ものの目には かささぎは 発展家 と映るようでありますが
この発展家て言葉懐かしいです
青い山脈あたりにでてきそう

nightこんばんわ
ノート後半はほとんど私物化して書いていたのでかなりcoldsweats01sweat01sweat01ものです。
なので今回は、実況部分のコピーだけでいいでしょうか☆
添付ファイルは目に見えましたか?
見えにくかったらコピーをお渡ししますね。

明日とあさって>>今日、娘の嫁ぎ先のおばあさまが亡くなられたのでお通夜、葬式で遠出します。
一度お会いしたいとは思っていたのですよjapanesetea
1、2、3日のいづれかでどうですか? 場所と時間は昼でも夜でもひめさんに合わせますclub
こんどのメールにケータイアドも入れときますね。
もちろん電話でもOKです。

社交的>>どっちかっていうと、こんな人のほうが少ないんじゃない?
みんな素朴でドキドキな人がほとんどかも(*^_^*)scissors

よみました。
読めました。
実況ノート、すばらしいです。
そのままあの時代の人になれるノートですね。
竹橋乙四郎の大学時代の文芸誌を読んだときにも、それは生々しく感じたことですが、エメさんのこの深夜放送オールナイトニッポン実況中継の記録は、予想以上にすばらしい。
私は連休という名の一時帰休休暇を賜りましてございまするゆえ、なんとかここに乗せてあげたい。

sunこんにちは
高校時代のらくがきノートなのでかなり恥ずかしいですよ~coldsweats01
あの頃は「書きたい衝動」がかなりありました。
深夜とか授業中とかに主に書いていましたsweat01
友人達やお互い、書いたものにつっこみを入れながら、漢字の間違いは訂正しながらの楽しい時間でした。
書き込みノート>>今だとブログがこの代わりをしてるかもだけど、
書き込む人それぞれ字形が違うし性格の個性の楽しさもあって、とても温ったかみがあります。
あの時持ち帰ってきてほんとによかったと思ってます^^☆
掲載はかまいませんよ。。かなり恥ずかしいのが本音ですけど。。
せっかくなら、ろいりさんが見られたあとのほうがいいかな~と思います。memo
△小さな薄いつっこみは写っていないかもです。。

私もクラスノート、持って帰ってます。
同窓生が集まった時たまに見せるんですけど、誰が書いたかわからないのが1ぺーじだけあるんです。解っていても言えないのかもしれませんが。
エメさんのノート、見てみたいな。実物も見たいです。

ブログは文字の羅列だけかもしれませんが、やはりそこにも人格いえ性格が出るように思います。
いろいろ想像してますので、それが当たっているかいないか、会って確かめるのも楽しみです。自分もどう思われているのやら・・・おとろしい。(福井弁かも。)

ただいまー!
今日は母をつれて、上津の山の中にある「おやざと」へほとけさんまいりにいってきました。
母の里は黒木の笠原だったけど、三十五年くらい前に土砂崩れに遭って久留米に移ったのです。
最初は南薫町、ついで高良台、さいごに上津に家を建てました。伯母はひとりでその山中の広い家にいます。時々リュックをしょって歩いて25分のルミエールまで買出しにいくそうです。草むしりさせたら右にでるものはいない。

ところで。
ぼん、みせてよ!!そのノート。
去年ちょっとだけみせてくれたのがそれ?
それじゃ、エメさんの言われるとおりにしましょう。
ろいりさんへみせてから。
らんちゃんから今日はメールがきて、こんど八女学院である金美齢講演会にいっしょにいく約束をした。ぼんも暇ならいこう。十六日だったかな日曜の昼だよ。

ほほお、金美齢女史の講演会か。
私は早稲田大学某教室で聞いた。
日本人の気がつかない日本のいいところをびしばし言って下さると思います。
で、びしばしなんだけど、私の記憶にあるのは、世界中回って物を食べた結果、パンだってチョコレートだってケーキだって日本の物が一番おいしいよってとこだけ鮮明に覚えてます。

さくらさん
こないだたかじん久々にみていたら、金さんは欠席だったけど、国民放送の台湾をめぐる偏向報道を、出演者がぶーぶーいってらした。
そのNHK番組をみなかったので、なんともいえませんが、台湾は舅一家が終戦近くまで暮らしていた地、夫の父方の祖父(大分・宇佐出身)は台湾の学校の校長でした。だからなのかもしれないですが、ずっと毎年舅あてに台湾から同窓会の案内みたいなものが来てました。非常に丁重な扱いでした。いろいろと話をききました。
あちらの人は日本人を尊敬してるのがよくわかりました。私は夫の父が好きでした。寡黙でとっても達筆だったし、胎の座ったひとだった。
十年ほど前に肺気腫でなくなりました。

5月17日日曜日かい?
その日は福島高校の同窓会でもあるけどむしだね。
その日は娘の出産予定日。予定は未定でなんともいえないが、行きたいけど行けないと思う。せいこさんのNPOの乙四郎先生の講演会はいつ?その頃じゃなかったですか?
ノートはいつか見せたと思うけど、又持っていくよ。あれを読んで、消挙はんの才能に気がついたのでは?
エメさんほどではないが、私もよく書いていた。詩集もあるんだよ、1さつだけ。
まだとってある。未完の小説もある。これを仕上げたいけど、時間がたちすぎていて書けないでいる。
恩田陸さんの本、もう直ぐ読み終える。
感想文は又の機会に。

4月28日付書き込み訂正

県道部員改め剣道部員です。
何回も目にしていたのに今気がついた。
あほじゃね~。

ぼん、五月十七日は予定日だったね!
そわそわしてる日だったんだ。
きちんと予定日に産まれるといいね。
せいこさんに尋ねたら七月だったよ乙四郎講座。
ううよかった・・金さんがみたい!

町の広報誌に、八女青年会議所主催の金美齢女史の講演会がついてたけど、5月24日(日)16時開演になってわよ。八女学院体育館で、入場無料。演題は「呼びさまそう 日本人の心」だった。らんちゃんが言ってるの、これじゃないの?日時が一週間違うけど。笑

ちなみに、乙さんのマブダチの、保健医療経営大学学長の国際理解のための講演会は、つぎのとおり。
 と き  7月21日(火)9;30~11;30
 ところ  広川町中央公民館にて。
演題「JICA(国際協力機構)活動体験者による実情報告」・・世界を見る目が」変わる異文化理解のポイント・・・です。お時間があられる方はぜひどうぞ。入場無料!

おわ。・・・・

ひづけがまちごうとるやん!ううう
ぼんはあほだとおもいよったばってん、じぶんのほうが数倍あほだった。

 ご無沙汰しました、連休前の忙しさと荷物が片づかんのとで、パニック状態、いや一番困ってるのが通勤距離・時間の長さです。1年で別の島に移してくれんやろか。
 携帯アドレス入れておきます。場所は、八女の地理には詳しくないので、と思っていたら「六角堂」という話が出てきて、なるほどここならわかりやすい。ロイリー跡地でもいいけど、他の人たちが知らんか。ところで1つだけ心配というか何というか…皆さん女性なんですね。この年になっても女性と話すのは苦手で、若い頃はこの性分で損してました。さすがに今は昔ほどではないとしても。男性も来ていただければいいのですが、まあ、あとはどうなろきゃあなろたい。

 あわわ、まちごうて、アドレス(URL)のとこに携帯のメルアド入れて空の文送ったかも知れん。そん時は無視して下さい。

nightこんばんわ
ろいりさんいよいよ里帰りですね^^
当時、オールナイトニッポンの前にKBCのヤンポーとかRKBのユー&ミーを聞いていませんでしたか?
ノートにはそれも少し書いていました。
いまじどんとか^^☆彡 今もお元気なんでしょうか~?

お役に立つかどうか解らんばってん、うちの旦那を連れて行きます。三潴弁しかしゃべりきらんけん、よろしくおねがいします。

まあ、あとはどうなろきゃあなろたい。

またでた!
ろいりさん、あーたおかしかぁ。

そいばってん、これが一番九州人らしかとこ。
ここが共通なら、心配せんちゃよか、どうかなるくさい。

ろいりさん。
メールアドレスちゃんと届いてました。
じつは携帯ではなくパソコンへ送信したいものがある。それはエメさんが送信してくれた深夜放送実況中継記録一回ぶん。三枚のノートです。
添付資料としてつけて送信したい。
コピーでは字が浮き出ません。
また、パソコンでなら拡大もできますから、ちゃんと読めるはずです。
個人の日記ではなく、複数へ向けて開かれているので、微妙な味わいが面白い。個であって、公。
まるで連句みたいではありませんか。

それと、もう一個ろいりさんへお願い。
くそいそがしかろうとはおもいますばってんが。まあこらえてきいちゃり。
あつかましいお願いではあるのですけどね。
以前紹介くださった、「アメリカの歴史教科書問題 先生が教えた嘘」、これを連休中に読もうと思って、図書館をあちこち探してみました。しかし、ありません。そこで、古本で買おうかと思いました。あまり安くならない本。てか送料はらったら新品買った方が安いよな値段。
わたしがよみたいのは、序章です。
序 文 なにかがひどく間違ってしまった 富田虎男訳
このところだけでいいから、写しを取ってきてくださいませんか。
それを読んでから、買うかどうか決める。
ってことで、いつ出発なさるのですか。
そちらにいらっしゃるうちに、パソコンのアドレスを教えてください。

ぼん、せいこさんへ。
六角堂広場に駐車場あったっけ。
いまから調べる。

追伸。
竹橋乙四郎にも声かけた。
そしたらろいりさんとは逆でそっちへきのう帰った。
なんとおそろしや、軽乗用車にのって東京くんだりまで行くんだと。そういえばおつしろうの小さな車のナンバーはあっち方面だったんだよねえ。
のびたくんにしかできないことだ!笑

六角堂に駐車場はないと思う。井筒屋駐車場か、杉本か、小頭町公園地下にしかない。元のショッパーズの契約駐車場もある。杉本が一番近い。

は?
そのオフ会とやらのメンバーには、
わたくしも組み込まれてるわけ?
わたし、まったくその気がなかったんで、その話題にはあえてスルーしとったとばってん・・sweat02

そもそも、日時もよう覚えとらん。
いつじゃったっけ、それ?

ほいよ、せいこさん。
4日の午前十時頃。
あいてたらでておいでよという趣旨のもの、強制はいたしません。
せっかく都から70㏄バイクでふんだふんだしてこらっしゃるとですけん、多い方がよかちおもって。
歓迎って書いた旗を作るべきかも。笑

ところで、保健医療経営大学のことが今日新聞に写真入りでのっとった。
小アジサシの写真、とってもうまく撮れていた。
かなり近くまで寄って撮ったんだろうか。
望遠でどんぐらいまで寄れるのかな。
鳥や虫の写真は接写ががばり難しい。
ブログでは大江希望さんの蜂や蝶の写真がすごいと感心している。
西日本新聞、今日は蜘蛛研究者で独身のまま亡くなった女性を特集してありましたが、そのなかで、ひさびさに昆虫学者江崎悌三博士の名前を見つけました。博士のもとで下働きしながら、自分の研究をこつこつと続けた、と書かれていました。すばらしいです。なんのためでもなく、そうしたいから。

あいよ、了解。
気が向いたら来るね。

 アジャパー!かささぎさん、いろいろ事情があって「明日の朝この町を、僕は出て行くのです」(井上順「お世話になりました」より)、もっともまた帰らにゃならんけど。さすがに70CCバイクはきついので、東九フェリーでのんびりと2泊の船旅、これで睡眠不足解消してきます。というわけで、パソコンアドレスはお会いした時にでも~別に匿名性に隠れてるわけではないのでご理解を。それから本のほうも、近所の八王子図書館で借りて読んだので、手元にはありません。東京に帰った後、また借りて、FAXかなんかで送ることはできますが。私がメモした部分を一部紹介すると次のような感じ。

・高校生は歴史嫌いで、特に非白人生徒は米国の歴史に嫌悪感さえ抱いている
・高校のグリークラブで「歴史の本をのぞいてごらん…われわれが誇りを高くもたなければならないかわかるから」と聖歌が歌われる
・すべての大統領に対して一段落を当てている米国の歴史教科書
・歴史の専門家ではない人が書く歴史教科書
・ベトナム戦争の結果、『アメリカ国家の興隆』を『アメリカ国民の勝利』と改題~戦争には負けたが本のカバーでは勝つぞ!という意味を込めたこの教科書が販売市場の1/4を占めている

 とにかく、今から帰省の用意、ありゃりゃ、今携帯メール見たら、いつの間にか親族~兄弟ならぬ姉弟会議までやることになってしもうとる。この連休に帰省することをちょっと後悔、皆さんにお会いできるのは嬉しいけど、もうバタバタであきまへんわ。
 ぼんさんの旦那はんは三潴出身ですか、三潴高校出身者が大学のサークルの後輩に2人いました。いや、そんな話もしたいけど、関西フォークについて、また今しござるバンド活動についてなどお聞きしたいです。場所は久留米市内ならどこでも結構、旧井筒屋前でも、旧新世界入口でも、旧一番街たがみ書店前でも。ハハハ、久留米の廃墟地ばっかりや、「廃墟の鳩」が飛んでくるかも。

sunおはようございます。
廃墟の鳩>>なつかし~♪ 
ノートはプリントしたら薄かったのですね★ごめんなさい。
コピーしたものをお渡ししましょうか。
今日3時頃お時間ありますか? どっかでお茶しません?
ぼんさんやseikoさんはお仕事かな?
11時頃電話しますね^^mobilephoneドキドキ

タガミ書店ですって?

あのメインストリート沿いにあった大きな書店?
裏口は一番街にあってどっちからでも入れたんじゃなかった?
「女性セブン」をよく買ってた。なつかしい!

オフ会、インターネットの正しい利用の仕方のお手本のような会やね。
君たち。

アメリカの歴史教科書、私も図書館で探したくなりました。

残念、お仕事でありんす。お料理上手なエメさん、貴方の作られた夕飯が食べてみたい。かなわぬ夢ですが。

restaurantぼんさん、我が家用やけんお口に合うかどうか(^_^;)
そんなのでよければいつでも。
出張でもしましょか。。
今日はお仕事ですか。 GWはいそがしかでしょね、、。
お気をつけて^^☆

封じ込め成功事例(2)  乙四郎文書

封じ込め成功事例(2)

  保健医療経営大学長  橋爪 章

天然痘は伊達政宗の右目を失明させたり、幼い夏目漱石を襲ったりと、世界中に流行していた疾患ですが、1977年のソマリアの患者を最後に根絶しました。

(厳密には1978年のイギリスでの実験室感染死亡事例が最後です。)

天然痘は感染力が強く、潜伏期間が2週間前後あります。

天然痘封じ込めに絶対的な威力を持ったのがワクチン(種痘)でした。

ジェンナーが牛痘種痘法で天然痘ワクチンを開発した1798年以降、天然痘は予防可能な疾患になりました。

(厳密には人痘種痘法がそれ以前に開発されており、日本でも福岡県の秋月藩の藩医である緒方春朔が、ジェンナー以前に秋月の子供たちに人痘種痘法を施し成功させています。しかし、人痘種痘法は死亡率が2%もある安全とはいえない予防接種法でした。)

WHOは、予防接種の普及によって患者総数が激減したあと、発見した天然痘患者のひとりひとりについて、発病直前に患者に接触した人々に種痘を行いました。

感染力が強くても、周辺を免疫の壁で包囲すれば、ウィルスは孤立しやがて死滅します。

天然痘は感染後でも早期であればワクチンが有効であることも幸いでした。

天然痘が発見しやすい病状を示すことも幸いでした。

幸いがいくつか重なると、人類の叡智は長い苦しみに打ち克つことができます。

保健医療経営大学「学長ブログ」より引用

  「封じ込め事例その1」はここです。↓
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=281

▼かささぎの連句的

こないだ、かささぎの旗でつけた漫画資料。
もういちど添付
http://sj.shueisha.co.jp/contents/jin/index.html

学長橋爪章の心友、竹橋乙四郎ですが。

連休なので東京方面へ帰郷したとのことです。
愛車の軽乗用車に乗って。わお。
次の文章の下を流れる水。わお。

幸いがいくつか重なると、人類の叡智は長い苦しみに打ち克つことができます。」

これ。

乙四郎はやっぱり宗教家たい。

ち、かささぎの旗は思うた。

へい。がばすんまっしぇん。ぺこぺこり。
本人がいないのを幸いに。
このブログのやくめは、かたいものをぐにゅぐにゅに。
また、ぐにゅんぐにゅんはかたくする。
それだけでして。そこに高邁なもんはなーもなかとです。
笑。

入れ違いに神津兵六の神津呂伊利が70ccバイクで東京からこちらへ帰郷するってんで、地域学かささぎの旗はその準備をしなくちゃ。

具体的には、「おかいりー」ののぼり旗を一本。
いんにやそげなことより。
ろゐりさんが紹介した本の一冊でもよまにゃんこて。
洋物の新しめの本は筑後くんだりの図書館のどこにもあらねど、松下竜一『砦に拠る』は探したら久留米○島の図書館の閉架に一冊だけ、ある。
へいかにある。ってこた、だーれもよまんのよ。

硬派のかささぎ、おもうことがある。
ばってん、そりは『砦に拠る』ば読んでからたい。

引用文、字の大きさが制御できませんでした。
謹んでおわびもうしあげます。

2009年5月 1日 (金)

けむりのある風景

けむりのある風景

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