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2009年3月20日 (金)

ちっご弁で筑後弁の思い出を語ろう。ほか、連句のお誘い。

ろいりさん

主人に話をしたら、「お目にかかっても、なんも話はしきらんじゃろ。(口下手なので。)それよか、作詞を頼めないだろうか。会社の同僚たち3人で、バンド(のまねごと)をしている。オリジナルの曲を作りたいけどできないでいるから。風景の描写と、心の動きを重ね合わせたようなのがいい。」そうです。
無理なお願いだとは思いますが、いかがでしょうか?

 このブログ、数日見なかったら、どの記事読んでコメントしていいのやら、わからんごつなる、と思い数日分読んでるところで、ぼんさんのコメント見つけました。いやはや、ありがたいお話ながら、私は前にも書いたように、韻文系統はあまり得意じゃないのです。謙遜ではなく、ほんなこつ、ほんなこて、作詞も作曲もしきらん、オリジナルを作りきらんけん、フォークソングから遠ざかったようなものなので。
 かささぎさん、「今日も元気だ煙草がうまい」というのは、1971~72年頃NHKでやっていた「天下御免」というドラマ(平賀源内が主人公)の脚本(早坂暁)の中に出てきたのだった。ということはその頃の流行語か。それと、八幡には「やはた」「やわた」「はちまん」と、いろんな読み方があるな、そう言えば江戸川乱歩の小説で「八幡の藪知らず」なんて言葉覚えたなと思い、今調べたら、その語源は千葉の市川にある心霊スポットだったらしい。ありゃりゃ、市川市は私の姉が結婚時に住んでた所、甥の本籍地じゃなかね。で、滋賀県のほうの近江八幡というのはそれこそ「部落差別」問題が大きかったところで、岡林はそれにも影響されたらしい。初期の歌には特にその傾向が強かった。

ろりぽっぷろりぽっぷ。ぼぼんぼんぼん。
ろゐりさんのコメントは上級生こめんと。むずかしかあ。くわしかあ。人のおぼえとらんとこまでおぼえとらす。(この~シトラスという物言いは、シトラッシャル同様、ぞんざいにみえてその実尊敬の意が含まれる。この微妙な方言のニュアンス。ちょっと標準語にこの類のことばをさがしても見つからない。くるめ弁の~シゴザルって猿語同様に高度な分析が必要とされるところだろう。)・・おいおい。

ぼんのご主人って真っ向勝負の人だなあ。
いきなり一番むずかしい要求ばつきつけてくる。
歌詞でも俳句でも詩でも、いちばんむづかしいのは、「風景に寄せて」心情をうたうことではないでしょうか。リリシズムの極致みたいな要求をごつごつした理屈肌の人に求めてもよ。
かささぎにはぼんのご主人への明解なイメージがあり、それは紋付はかまで庭に突っ立って詩吟高唱。イメージをこわさんでくれ。笑
いやまてよ。同じか。一直線上にならぶ。乙の太陽光線がつくる山の影理論みたいに。

ご主人様はなんでんよかけん、作ってもろてくれとしかおっしゃいませんでした。「人に物を頼むときは具体的にある程度の条件を出したほうがいいよ。」(連句のしばり)と言っていろいろ言わせて、私がまとめたものです。しゅじんはあほです。なんも(他人のことは)考えてません。自分さえ良ければいいという、典型的な人物です。

 「ねえ、そのへんをさるかない?」「え?どこに猿がいるの?」 これは無理して共通語使おうとした筑後人が女性をデートに誘おうとした時の言葉と、筑後人ではない相手の勘違いの反応という、高校生の頃はやった自虐的方言ギャグです。もっともその頃でさえ、「さるく」という言葉を使う友達はいなかったが。八女の皆さんいかがでしょうか。久留米弁では「…しござる」「…しよらす」両方使うけど「…しとらっしゃる」はあまり使わんような気がする。これが筑前だと「…しよんしゃる」になるとやろね。例えば「覚えとんしゃる」とか。
 ぼんさん(のご主人様)、期待に添えずすんまっしぇん。でも、バンドってどんな傾向のものか気になる、よかったら教えて下さい。ロック系?フォーク系?なんせ友部正人ファンちいうのがね。ギター片手に高校へ、はて、まさか私のように下駄はいてというほどアホじゃなかでっしょうもん。

 あ、忘れとった、さっき篠山小出身のヨメに聞いたら、「ふなやき」知ってました。生まれ育った所は歩いて20分ぐらいしか違わんのに。

「おばしゃんのござったもんね・・・」とか
普通に使いよったけど、今声上げてしばしわろた。
おらっしゃるとかござるとか、太郎冠者次郎冠者とかのあれ、のごたるよね。
ものすごく丁寧な言葉かもしれんね。

そいがっさい、先週の土曜日東京のテレビで「アド街っく天国」と言う番組で、なんと「久留米特集」だったとよ。
この番組は東京都内と近郊の街だけを取り上げて
深く探訪するもので、たまーに札幌・名古屋大坂・広島・博多・沖縄があるんだけど、そのたまーに取り上げる地方都市がなぜ「久留米」なのか不思議。
ゲストは久留米出身タレント鮎川誠・チェッカーズの竹内、藤吉産婦人科の娘さん藤吉久美子でした。
3人で小学校はどこや、日吉校、おれも、私も・・となって堅い握手して盛り上がっていました。
文化街も新世界も登場しましたとも。
新世界は今年取り壊されてビルになると言ってました。昭和風情の居酒屋が並んでいましたが、場所的には井筒屋の裏あたりのようだけどどうしても私はそこの記憶がよみがえりませんでした。
竹内さんは文化街でお母さんがバーをしていて文化街っ子だったといっていました。
屋台やラーメンなど食べものやさんのほか神社仏閣、病院の多さ、ゴム三社も登場、興味深く見ました。
この番組、九州でもやってる?
番組HP貼り付けました。
掲示板久留米版もあります。

久留米の回、もちろん、見ました。
鯉とりまぁしゃん、懐かしい響きでした。
三潴の「ふかぼり」邸など、知りませんでした。久留米には名所がたくさんありますね。

こんばんわ
あどまちっく>>見ました。録画もあります。
ラーメンは安武の丸好と六反畑の・・(え~っと、、名前が出てきません・・)がおいしい。
お鮨は六つ門の回転しげながが好みです^^♪特にあぶりあなご♪
八女は昔、月窓園(想?字あってる?)のオムライスが好きでした。
黄色い卵に包まれたオムライスに真っ赤なケチャップがたっぷりたら~っとかけてあってきれいでした~
キムラヤで食パンにマーガリンとジャムをそれぞれぬってもらったパンがおいしかった♪
土橋の角の飴がた屋さんの餅飴やお茶飴もおいしかったです^^♪

マイボスから聞いてしまった。とおもいました。
一時間もあってたんだって。丸星ラーメンも出てきたそう。ずあんねん!

さるく。いまも父とか普通にいいよります。
これしっとる。たかざるき。
背の高い猿。

あどまちっく。見ましたよ、もちろん。
大阪在住の婿から、電話があったの。
見て見て、久留米が出てる、って。大騒ぎで。あわててチャンネルを合わせました。

キムラヤといったら、なんったって丸味パン。今でも大好き。ラーメンは大砲ラーメン。でもいまは、龍の家がお気に入り。ごぼ天うどん。娘娘のぎょうざ。そうそう、行ったことがないのが久留米の屋台。焼き鳥も餃子もおいしそうだった。この屋台で紹介されたぎょうざ、八女の鉄鍋で食べさせていたぎょうざによく似ていていて、ああ、鉄鍋の餃子が食べた~~いと家族で叫んでしまったのだった。鉄鍋の餃子、絶品だったのになあ。

くるめっていまとても活気がある。旧市街地のにしてつ駅付近ではなくて、東のほう。ゆめタウンのにき(付近)。
なんとか給付金も八女より一月も早い久留米。
いまひらめいた。
この「にき」ってことば。ひょっとして韓国語。
高橋こうしろう先生の書かれた父上の本のことで、これによく似たことばがでてきたっけな。なんだったかな。ううん。ううん。おお。おもいだした!かかとの「あど」。それ、韓国語だったよね?
アド間チックって、ところで、なに。どういういみ?

方言は、ひとつづつ思い出しながら盛り上がるのが楽しい。
従って、皆さん、これは決して見てはなりませぬ。
   ↓

佐賀弁講座でもじごんでるごつ笑ろたけど、ちっご弁で再び。

佐賀弁でも「えーくろた」が一番わろたけど、ここにもあった。

乙さん、ありがとうございます。

ずいぶん以前、テレビの音をつけたまま聞くともなく聞こえていて、八女のここんにきの人達がず~っとしゃっべてあると思いながらふと見ましたら、韓国のうんと地方のおっちゃんやおばちゃんたちが井戸端などでおしゃべりしていたのでした。
かなりかなり驚きました☆
ハングル語なのに八女弁(ちっご弁)とイントネーションがまるで同じだったのです!
知人の韓国人に聞いたことがあるけど、あちらも日本みたいに各地の方言がすごいらしくてましてやお年寄りの方言などは全然わからないと言ってました。
昔々から朝鮮半島の国と交流があった町だもの、在して暮らし始めた人もたくさんいたはずですよね。
同じ単語やアクセントが似ているのは不思議ではありませんね^^☆彡

ですね。一番エッとおもったのが、カチ。韓国語だったとは。カチガラス、かささぎ。
「ええくろた」。高1の頃だったと思うけど、かささぎのうちに三人の友達がきて、お誕生日会をしたんだろうね、くりごはんがあったから。「赤だまハニーワイン」当時ブルーコメッツが宣伝していたワインをのんで、ふたんちゃんがぐでんぐでんになって「ええくろうた」って階段からおっちゃけそうになったのをらんちゃんが支えて・・というのを思い出します。とてもまじめな高校生でした。ではおやすみなさいまし。

見たらいかんちかいちゃったけど、見たばい。
よくまとめとらしゃったね。ごくろうさん。
乙さんも、どこからさがしてこらっしゃっとやか。ほんなこてあきるる。いそがしかとやろばってん。
そいばってん、えらいおもしろかった。知らんともあったけん、勉強になったばい。今日の夢はちっごべんでみっとやなかやか。楽しみばい。

ここは、だーだー、ちさっちいおごつなる。
コメントのばさらかいみるけんのさんね。

ちっご弁集を書いたおっちゃんもおかしかね。
横顔のページ

 「アド街っく天国」、不在中なので録画したけどまだ見ていません。
 「決して見てはなりませぬ」ち言われたら、誰(だっ)でん見るくさい。残念ながら時間なくてザアッとしか見とらんけど、最初んにきであれ?と思ったのは、家で使っていた「じいちゃん」「ばあちゃん」「おとうちゃん」「おかあちゃん」「姉ちゃん」「兄ちゃん」が載っとらん、これは筑後弁ではなく共通語的な言い方なのだろうからしょんなかばってん(実際、家族の呼び方などでは今方言使う人少ないでしょ)、「おっちゃん」(これは西日本一帯で使う)ときたら「おばしゃん」じゃなかと?「おばはん」はむしろ関西弁っぽい。その他、おうこれこれ、という言葉、知らない言葉、筑後地区以外でも使いそうな言葉と、様々な受け止め方をしています。ありゃ、またここで乙四郎魔術にかかり時間食うてしもた。

おばしゃんばなしわすれらしゃったじゃろ。
ふのわるか。のフと、
あんしたいっでんふうわるうゆう。(あのひとはいつでも口がわるい)のフウは、おんなじじゃろか。
ついでに筑後弁の「じゃん」ことばと横浜弁のジャン言葉はなしけんおんなじ。

中学んとき半年ほど教鞭にこらしゃった30代くらいの男先生から「このクラスには猫がいるようだね」と、皮肉を言われたことがあったとよ。
女子が「なんなんやんニャ~・・」「そうやんニャ~・・」「ほんなこっちゃんニャ~・・」
もちろんみんなで猛反発(陰で・・(^_^;))
で、何の教科の先生かいっちょんおぼえとらんとよ(^^ゞ素朴で、田舎くさくてもよかやんねね~
たぶん今でもみょうにきどっとらっしゃると思います。。

こんばんは。
今日ははんぶん眠っています。つかれた~
次男の三者面談があって学校へ行った。毎年のことながらこのときしかいきません。成績十番もあがってて、先生からはじめてほめられた。少年のきもちは複雑だ。父親がいない寂しさをエンジンにかえることができたようで、正解だったようね。とおろかな母親はひとりおもった。
ところで。学校の大学入試合格速報をもらった。
みてたら乙四郎大学にも三人合格していた。

エメさん。方言で話すことがいやでたまらなくなり、それを聞くのもいやだったというころがありませんでしたか。
よその土地にいき、そこで暮らし始め、まったく異なるイントネーションのことばに初めて囲まれて緊張を強いられたころ。里帰りをするたび、親の話す田舎言葉がしんから恥ずかしく、いやでいやでたまらなかったよ。理不尽なことだけど、そのときはそう感じた。
まわりには外国語のようにさっぱり何をいってるかわからない鹿児島出身のひともいたし、佐賀出身や五島出身の人など、独特のなまりをもった友達がたくさんいて、そのひとたちのことばを面白がる自分がいた。なのに、自分がなまっていることはあまり自覚できなかった。

 言葉の違いはわかってもアクセントの違いがいまだにわからない。「雨」と「飴」、「橋」「端」「箸」、「柿」と「牡蠣」等々。そして話し方に抑揚がないので、こっちではよく北関東出身と間違われる。私のしゃべり方は立松和平に似ているそうな。顔は似とらんよ。 
 ところで朝鮮半島の言葉の影響、「奈良」というのも「ナラ」(国)が語源のようです。昔々の渡来人が大和地方に住み着き、ここを「ウリナラ」(我らの国)と呼んだらしい。近代以降は「チョンガ」(チョンガッ=独身)とか「パッチ」(パジ=ももひき)とか。「カチ」は「一緒に」という意味の「カッチ」じゃろか?私、韓国リピーターで、言葉もだいぶん覚えました。驚いた時の「アチャ!」も筑後弁に似ている。
 横浜弁「じゃん」との共通性は、高校生の時学級日誌に書いた覚えがある。

おはようございます。
私は昔からなぜか初対面の方に「どちらからですか?(よっぽど遠い他県★)」と聞かれることが多いのです。
なので、いつも、「八女弁しかしゃべれません(^^ゞ」とお答えしています♪
母は広川なので広川弁もOKです(^_-)-☆
この地を出たことがないので方言をどうとらえられるのかはほとんど経験がないけど、昔旅行で関西に行ったときにホテルのエレベーターで相方とおしゃべりしてて同じBOXの人に「クスッ」と笑われたとこはあります
方言大好きなんです。数年前「方言は地方の財産です☆」と何かに書きました♪
旅行に出るとその地方のきっすいの方言を聞くのがなによりの楽しみです。
方言に熱心な方バスガイドさんにあたると「もうかった~」って思います。
方言はいにしえからの文化そのものですよね☆

・・・とまあ熱心に語りましたが、場合や相手によっては八女弁をはずしてもしゃべれます。
たぶんなまってはいるんですけど(^^ゞ
なまりっていいですね~。
鳥越俊太郎氏のちっごなまりは大好きです^^

若かりし頃、東京に住む友人の家におじゃましたとき、自分では標準語をしゃべっていたつもりだった。でも、やはりイントネーションが違っていて、自分でもはっきり自覚できた。友人は
1 広川弁
2 東京弁
3 英語   を瞬時にあやつり、まさに同時通訳者でした。
恥ずかしかった思い出です。

うちの長女の7歳になるむすめも、いわゆるばいりんがるばい。なんせ、ちっご弁に横浜弁、最近は大阪弁まで口にする。身に付かなかったのは、名古屋弁だけかなあ。

横浜のじいばあとは横浜弁でしゃべり、福岡じいばあとはちっご弁で、学校のお友達とは大阪弁で話すらしい。改めて、こどもの順応力ってすごいよねと感心させられた。

おわわわぁぁ・・・・どこまで編集したかわからんごつなった。

皆さん、多忙を縫って大事な記憶を書き付けてくださってることに感謝します。
いつか、なにかに役立つと、かささぎは信じている。

おくもじ。さくらさんが書いてくれたおくもじは由緒正しい茶道のことば。っての、どっかに資料がありますか。調べてみたんですが、阿波弁と出ています。漬物、青い葉っぱの。そんな説明でしたが、むしろ、おくもじはゆもじ。という時代がかったものを連想させます。
今日明日で書かなければいけないものがあって集中しようとしているのですが。
こういうときに限って、ろくなことは考えない。
ふじわらのりかはりこんやらせんでもちっとしんぼうすべきじゃないか。とか。どげんんでんよかこつに気がゆくとですたいねえ。

ろいりさん。かちは徒歩という目のつけどころセンスいいっす。
スキップの鵲(かち)のあと行くスキップで 
こんな句ができたことがある。落ち込んでいるときにかちのあとをスキップでついていったら、治ってたことがある。あほみたいだけど。(うつの人はいっぺんやってみるかちがある。)
独特の歩き方をしますし、ひとに近い所にいます。

古里を出て長い人でも訛は抜けないものなのですね。寺山修司を映像でききますと、うわあっておもう。よくぞごぶじで。というか、そういう賛嘆の念。

ところで。ろいりさんやえめさんは文章書くのがおすきみたい。
一度連句会においでください。保健医療経営大学でやります。
韻文とか散文とかに全くこだわらず、ひらめいた言葉をさっと書いて出せばいいんで。
絶対がない相対の世界。どこを切り取っても、ずっとそう、たい。
中心が常に移動する。今が移動する。これからの文芸です。

つぎは、四月十一日。これる。かな。こうづしまより近くなったから来れるか。高速をとばしてくればいい。何時間かかるかしらんばってん。千円でこれるかな。あそうだ。ガソリン代が別途かかるね。えめさんはどうでしょうか。あと、前原の博徒ばどさんやわが町内のたからさんはどうでしょね。ひまならきちゃり。たすけるとおもって。

ぼんは午後三時から仕事、午前中はこれる。
せいこさんはいちごの摘み取り作業があるかもしれない。
これは重労働ですからね。でも、予定に入れておいてくれる。
東妙寺らんは大丈夫、参加。ありがと!
中山そらんさんは当日夜に句会あり。でも、午前中は大丈夫。
いちばん大事な学長は。中座することがあるかもしれないが、在学とのことです。
前田先生は、目下スケジュールを調整中で未定。
みな、たいへん多忙な時期ですが、ほんのちょっとでもいいから集まって、すわって、句を一つでもいいから出して帰る。そこがいいんですよね。てか、そのスタイルしかない。
(連句に興味をおもちのかた、どうぞ参加ください。)

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コメント

  「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」~詩は苦手な私だが、寺山修司と片桐ユズルだけは詩集を読んだ(後者はフォークソングがらみで)。私はこのような思いを感じたことはなく、京都でも東京でも、筑後地区の友達としゃべるときはほとんど久留米弁、今でも年1回やっている高校の関東地区同窓会では、ほとんどの連中がそうです。あ、昔よく寺山修司の物真似やってました。
 大学時代「仁義なき戦い」の影響で、広島弁を喋るのが流行り、おかげで筑後弁(ほぼ久留米弁)・関西弁(京都・大阪・神戸も多少使い分け)・広島弁のバイリンガル、それなのに、英語・中国語・コリア語とそれなりに勉強してもなかなか身につかない。やはり10時間の勉強より1時間の実体験、英会話は中高大と8年やった後よりも、実際海外旅行に行くようになってからのほうがうまくなったし、後の2つも、勉強しただけでなく、今も数年に1回行ってることで何とかそれなりに現状維持している。習うより慣れろ、昔の格言どおりです。

片桐はいりさんとは違うのか。片桐ユズルさんを知りませんですみません。てか、ろいりさんのいわっしゃる人達、たとえば、岡林信康などのメジャーな歌手にしてからが、あまり得意なほうではありません。ほとんど吉田拓郎くらいしか知らない。したがって、あまり詳しくはわからないまま、ついていきますんで、よろしくおねがいいたします。

 片桐ユズル、詩に詳しい人にもあまり知られず、むしろボブ・ディランの歌詞の翻訳とかのほうが知られているかも。ちなみに片桐夕子は日活ロマンポルノで活躍?今もたまに映画・TVに出てます。
 岡林よりずっとメジャーな吉田拓郎、思うにこの2人の活躍する交代期(1970年代初期)が、一つの時代の変わり目のような気がする。「学生運動」が衰退し、三島由紀夫が自死し、米国の威信がガタ落ちし、「いったい日本はどこへ行くんだ」「モーレツからビューティフルへ」というCMがあった時代、久留米では一番街ができ、アマチュア・フォーク団体が生まれては消えていった時代。フォークも売れたもん勝ちとなり、チューリップも海援隊もプロになって売れ線を狙った時代。
 それでも木村屋の味パンはメロンパンなどという小じゃれた名前に変わっていないのでしょうか、うどん屋のメニューに関西や東京にはない「具うどん」は残っているのでしょうか。高校1年の時、大阪から引っ越してきて1年もたってないやつが、学食でこれを「貝うどん」と間違ったのがおかしかったけど、久留米でも今は具うどんというのを見かけない気がする。麺食いの人、教えて下さい。
 

 1970年の久留米の出来事をもう1つ、ロイリーがなくなった年だった。

詳しい解説ありがとうございました。
具うどんはありません。全滅壊滅。
具うどんと素うどんが天下分け目の決戦をしていたのに、いつのまにか両方ともが消えていた。
ぐがおおきい。って言っていたレトルトカレーのシーエムをみたとき、ああそういえばぐうどんはどこへいってしまったの。っておもったくらいですから、もう相当長い不在です。
いまあるのは、ごぼう天うどんと二句うどんとわかめうどんといか天うどんとかぼちゃ天うどんと。そんなのはないか。
ごぼう天にしても、むかしのはほんとにその場でごぼうを裏庭からとってきて(まさか)それを千切りまたはささがきにしたのを目の前で揚げてくれ、その揚げたてをジュッとのっけてくれたものでしたが、いまは出来合いの、たいがいが薄い拍子木きりのばんびろごぼうのてんぷら。それはまさに、博多うどんのも久留米うどんのも筑後うどんのも八女うどんのもぜーんぶいっしょ。てぬきじゃろうが!とひそかにおもいつつも、かささぎはやっぱりごぼう天うどん。あと邪道ですが、カレーうどん。

片桐ユズル、名前が記憶のどこかに残っていました。翻訳でしたか。そうだったのか。名づけ方が、どこか「私のように黒い夜」の平井イサクに似てる気がする。

ごぼ天うどんファンから一言。

八女市役所前のつるやうどんは、注文した後でてんぷらを揚げてくれます。カウンターに座ったので、ほんとに目の前であげてました。
息子は鯛生金山にある、地元野菜を使ったうどん屋で食べたごぼ天うどんが、今までの中で一番おいしかったと言っております。ここも揚げたてでした。

つるやだったんだ。今もあるのね。
こんど行ってごぼ天うどんたべてみる。
目の前で揚げてくれたのは、むかーしむかしの記憶だったので、いまもあるとは知らなかった。
それと、そのたいおきんざんのうどんやさんにもいってみたいものです。いってみたくなるようにかいてあるから。

エメさんが書いていた、げっそうえん。月窓園。レストランだったみたいですが、どこらへんにあったか覚えてますか。私はさっぱり記憶にありません。
高校時代いつも福島に寄り道して帰っていたけど、それは岩田屋のフードセンター界隈だったように覚えています。
松延寛之の連載小説の欄外に広告があって、月窓園の名が載っているので、どこかにあったのでしょね。

鯛生金山へ行く途中、日向神社にお参りしてください。

へへい。ほんじゃ、そうします。
ちかくなんだね。星野とたいお。

月窓園はお菓子の菊屋の近くじゃなかったね?レストランは2つあって、2階建てのところと、信号の横と。どっちだったかよく覚えてない。

こんばんわ
月窓園>>たしか、清水町商店街の南側列の真ん中あたりだったと思いますが、、。
銀行に就職した友人とお昼に入ってオムライスを食べたのが最後です。
バス停四つ角にあったほうの岩田屋の2階でホットケーキを食べてました(高校生のころ)
つるやうどんは土橋の東側列にもあってよく入ってました。
そこは一間口くらいの幅で奥に長いうなぎの寝床タイプの店舗で長いカウンターにお客さんがびっしりでした。
7歳のころ、土橋にある細い路地にある喫茶店でデートする叔母のおまけに連れて行かれた私はコーヒーの香りの室内でココアを飲んだ思い出があります
清水町商店街で覚えていて今はないのは履物屋(青木)、帽子屋、桐明書店、薬屋(貴命堂?)とかでしょうかね~(*^_^*)


エメさん。清水町がどこらへんをさすのかさえ、よく知らないというなさけないやめりかんです。
よく覚えてあることに敬意を表します。
ぼんも、わたしよりずっと記憶力がいいんだなあ。
ショック。

九州帰ったら必ず食べるのが「ごぼうてんうどん」です。
昨秋帰った時、なんと実家のそばにおいしいうどんやさんができていて、すかさずごぼうてんうどん食べました。
何しろ田んぼしかない陸の孤島のような実家周辺に、田んぼが全部つぶされて広大な流通センターができて、それでうどんやさんができたというわけ。
ごぼうてんうどんはくるめか博多に行かないと食べられなかったのに。
人が作って人が食べるごく当たりまえの貴重な「おいしいたべもの」です。
東京じゃ、最近こそ少ないけど(おいしくないと売れない)、試食したんかい?と思うような食べ物多かった。

WBCジャパン勝って、超うれしいさくらでした。

 鯛生金山、20年ぐらい前(結婚前)ヨメに車で連れて行ってもらったことあるけど、今調べたら大分県日田市になるんですね。子どもの頃父に八女(たぶん広川)の鉱山発掘跡のようなところに連れて行かれ、「ここは昔だいかが金ば掘りだして一山当ちゅうち思たばってん、金は出らんで大損したとこぞ」と言われたのを思い出しました。いったいどの辺やったのやら。 
 ゴボウ天、私も好きです。前に紹介した、櫛原町1丁目の交差点にある「桃屋うどん」は、いつでも揚げたての天ぷら出してくれまっせ。でも具うどんはやはりない。具うどんって、昔はうどん専門店ではなく、普通の食堂にあったような気がする。それから久留米の素うどんはトロロ昆布が入っていたけど、今は入ってないようですね。それに、昔の食堂でただ「天ぷらうどん」と言えば丸天うどんのことだったけど、こっちではあれを薩摩揚げと言います。やはり文化が違えば言葉も違う?

こんばんわ
鯛生金山や杖たて温泉に行くのに矢部から中津江村に抜けて行きますが、昔から七曲り(車酔いの名所)と言われていた県境に竹原トンネルができてからは早くて便利になりましたね。
この矢部地区の知人の庭近くに大分県にむけて金鉱を掘ったという大きな縦の深い穴がありました(中学時代)
やはり金を掘っていたようです。
星野村も、昔、矢部か大分のほうに金を掘っていたと聞いたことがあります(たぶん事実)
金>>広川の山も上陽黒木星野矢部とつながっているのでありえない話かもですね^^夢は多いほうが楽しいです
うどん>>子供時代に自宅で一時期 祖母がうどん屋をしていました。
種類は素うどん、具うどん、肉(牛)うどんの3種でした。
素うどんはネギととろろ昆布。 具うどんはネギ、かまぼこ2枚、カク天をななめにスライスしたもの2枚、ちくわのスライス2枚。 肉うどんはネギと甘辛に煮込んだコマ肉。 ・・・だったと思います。
母は岡持ちを持たされて「出前に行かされるのがすごくいやだった」と後年に言ってました(20代だったから?)・・余談ですけど^^

筑後弁ちったたらん

検索でこんな真夜中にきてござるとです。
ちったたらん。
ちった=a little 、足らん。

検索サイト Yahoo  検索ワード 大好き 筑後弁

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