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2009年3月10日 (火)

きぼうさんの一人称話を聞く

>つかぬことを伺いますが、きぼうさんは、ご幼少のみぎり、ご自分をなんと呼ばれていたでしょう。
>ぼく。わたし。おれ。わい。おどん。おい。いろいろあるとおもいますが、教えてください。     (かささぎの旗 姫野)

わたしは、東京の淀橋区(今の新宿区の西側)で生れました。昭和20年4月に東京から鳥取県日野郡に戦争疎開しています。父親の郷里です。その時わたしは満3歳何ヶ月かでした。
おそらく、3歳の男の子が東京でしゃべるようなおぼつかない「ぼく」と言っていたと思いますが、記憶していません。そのまま日野郡の山村で子供の集団に入りましたが、自分の言葉づかいがおかしい(山村の子供と違っている)ことにとまどいながら、入りこんだのだろうと思います(このこととは別ですが、わたしは、ドモリの子供でした。10代後半まで続きました)。

次が言葉についてのわたしの最初の記憶なのですが、ある夕方両親に向かって、わたしはしばらく躊躇した上で、思い切って

 「わしは・・・・・・」

と言ったのです。そのとき、父親と母親は顔を見合わせて笑いました。両親は野良仕事から戻ってきたところで、イロリのむこうの土間に立っていました。そのときのことをわたしは、つい先ほどのことのようによく覚えております。両親ともそのときは30代の若さだったのですが、今はとうに亡くなっています。その時わたしは満4歳になるかならぬか、という頃だったのでしょう。

その山村では、男の子は自称が「わし」、「わしゃ」(自分は)、「わしらち」(自分たち)でした。女の子は「うち」だったと思います。

わたしはそのあと東京に戻りましたが、少年時代を通して「ぼく」と「おれ」を併用していた(場面によって使い分ける)と思います。


大江希望

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