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2009年3月 7日 (土)

古心は古語に宿るーネイティヴ八女リカン語

こんばんは。ふたたびみたび、おじゃまいたします。こんなときって、ごめんくださ~い、って言いながら、玄関に入るんよね、田舎は。

一仕事終えて、かなり神経がまいっておりますが、くちなはのおはなしがしたくって、やってまいりました。笑

10年近く前のことです。
同僚だった保健婦(このころは保健師ではなかった)のはなしです。かのじょは九州人ではありませんで、本州から嫁いできておりました。保健婦のおもな仕事のひとつに地域のお年寄りを訪問するというのがありまして。地域のおばあちゃんが、おもしろい話を聞かせてくれたといってわたしに聞かせてくれたのです。
「ねえ、せーこさん、ヘビのことをくちひもって言うの知ってた?」
「は?くちひも?へ~、初めて聞くけど」
「あら、そう?にょろにょろと、ひもみたいだから、くちひもって言うんですってよ、この辺では」「・・・??ねえ・・・・、それって、くちなわ、のことじゃないの?」
「・・・・?あー、そうだったかも」

お後がよろしいようで。
作り話ではない、ほんまのハナシです。

づくぼ?初めて目にすることばです。つくし?それともぜんまいとかわらびとかそっち系?べんきょうになるわー。
くちなわにひらくちは庭に居る。裏に田んぼがあったときは、鳩の卵をひらくちがよう食べよった。一度うちの犬とひらくちが睨みおうて、ううっと犬は低く吼え、ひらくちは身動きもせず、私はカーテンの陰からそれを見つめて・・・かなり長い時間だったように思う。30分はそうしていたように思う。固唾を呑む、というのはああいうことやね。
呂伊利さん
「・・・ろ」の言葉は知りません。女の子は使ってなかったのかも。

おはようございます。
子供時代は近所のよその家に入る時、「ごめんください」じゃなくて、「もぉ~し」って言ってませんでしたか?
戸口を開けてせいいいっぱい大きな声で「もぉ~し!」
昔の家は土間の向こう、炊事場の奥、家の畑の裏まで聞こえないといけませんでしたから・・^^
あれは「申す」からきてたんでしょうか。。子供のころは「もーし」は不思議な言葉だと思っていました☆彡

電話の「もしもし」は、もしかしたらあのころの「もーし」といっしょ?

せいこさん、いそがしいの。まぬけなはなしをおありがとう。くちなわ。へび。ながすぎる。っかー
へびとこねこのおっかけっこ(へびは猛スピードで追う)とか鳩をのみこんだのとかはみたことある。でも、へびをつかまえたおっかさんはみたことないよお、さくらさん。そりゃすごすぎる!

ろいりさん。語尾に「ろ」をつけるドラマ見たような気がします。どこの方言やろ。非常にやわらかい。
毒に慣れてるとはものは言いよう。老婆心をわかってやってください。単なるいじめかもしれんが。神津兵六、まだ捨てん。
エメさん。
もーし、もーし。って聞いたことある。たしかにそう声かけして入ってくる人がいました。呼び鈴もなかった時代です。ごめんください。が正統派。
有線放送がふとなつかしい。
何番から何番につないでください。って交換手に言ってつないでもらっていた、近くばかり。ときに火事があると、「いま、どこそこが火事です。」と叫んでくれた。あれはとっても便利でした。仕事中よく消防車のサイレンを聞きますが、あれをやってくれないかなあ。といつも思います。

 「もぉ~し」については私も次の話題にしようと思っていた言葉、昔6歳下の甘木のやつに聞いたら知っていた。大学生の時、同じ久留米出身のやつが京都の店先で、冗談でこれを使おうとして笑ったこともあるけど、まあ、私らの世代で使うのはまれだったかな?
 「…ろ」は、確かに女の人は使わんかったろうけど、金丸校出身の男子に、確実に数名はいた。「なば」は久留米でも知らない人が多く、うちの家族で通じたのは、祖父(母方)が日田出身、父が広川町出身だからだろうか、両親とも「なば」と言います。ただ、椎茸に限って言ってるのかは不明、ナメコやエリンギのようなのは「なば」と言よらんごたる。
 ところで私にとって究極の八女言葉は「ぎゅった」、父は「ゴムぎゅった」と言うけど、これは八女の中でも特に広川町出身だからだろうか、誰か教えて下さい。

ぎゅったの飛びぐっちょで勝ったおひゅぎんばもえもんにしたげなたい。
そんとき尻んべんぷたば打った。ぢごは出んじゃったばってん、ちの痕のつになった。ズボンも出世した。

そげんち。そりけんで木からさでくりひっちゃえらしたつげな。ほんなこてウンのわるかひとはうんのわるかけんねえ。

恙なきことは才能ビール酌む 保坂リエ

けさ、これを含む七十名近くの句を引用して、超結社一句抄ってのを一時間かけて作成、アップしようとして・・とんだ。なみだがちょちょぎれた。
恙有ることも才能お茶すする  かささぎ

労多くしてなんとかってやつですな。ご苦労さんでした。

乙さんのコメント、皆わかるやろうもん?べんぷたの使いかたが三潴とはちょっと違う。べんぷた=ほっぺたです。
小学校に上がってしばらくたったとき、杉本さんが消しゴムが落ちた時に「ひっちゃえた。」といった。このとき私は日本語にもいろいろあることを確実に認識した。杉本さんちは広又あたりで農家でした。

こんばんわ
出ましたね~、「つ」、が☆
娘が他県の方と会話して「つ って何?」って聞かれたらしく我が家に持って帰ってきて「つ」談議に花が咲きました。
家族全員それは共通語かと思ってて「じゃあ何?」ってことになって、「かさぶた」で納得したんだけど、そりゃもうカルチャーショックでした

乙さんの、じぇんぶわかります。
鳥栖となーんもかわらん。

鳥栖高校の英語の先生が反対文のことを「この文章ばひっちゃこしにするとどうなりますか?」と言よんなさった。

うちの主人は東京生まれなのに、電話に出る時「もし、もーし」と言います。架けるときならわかるけど、かかってきた電話によ。
ふつう、「はい、○○ですが」というでしょもん。
おかしかけん、やめんねってどぎゃん言うてんやめん。

方言ではないけど、小皿のことを「おてしょ(お手塩)」。京言葉らしい。
「げな」(伝聞)も、古語辞典でおなじみ。

八女の諺
げなげな話はすらごつげな

「ぎゅった」は、久留米に居った時から使いよったと思うけど。ようわからん。
高校の同級生はF市役所勤務。ぎゅったとともに「かっぽす」を周りの人に問うてみたげな。わからんやったち。あ、この話は真実です。

ぼん、べんぷ、べんぷた。はほっぺのほうがあとづけだろとおもう。しりべんぷ、またはべんぷた。は、英語のヒップとおなじ使い方だね、ふたつでひとつ。複数形。びんた、も転のにほひがするね。
ぎゅったはわかる今もつかう。かっぽす、ってなんだ?きいたことある。父が使う。からっぽ。この芋はなかがかっぽすになっとる。みたいに使う。空洞のこと。
ちょうちょまんげのぼうめいた。これを教わったそうです、長男は代表的なやめ弁として、中学のときか高校のときに。
おつしろう。これ。せいこさん。これ。よんでね

あじゃ、しもた!(笑)昨夜は野暮用で遅くなり、今朝は偏頭痛で、寝てたので、すっかり置いてきぼりを喰らった気分。

エメさん、「も~し」は「もの申す」「申す申す」が転じたものと郷土研究家S氏から利いた記憶があります。ばあちゃんたちが「も~し、も~し。どなたかおらっしゃるの?」といいながら、玄関ではなく、土間口までおいでていたことを思い出しました。
でもね、「も~し」ならまだいいほう。隣りの明治32年生まれだったひいばあちゃん(既に故人)は、「おんの~」と言ってわが家を訪ねてみえてました。ちなみに、このひいばあに守りされてた3歳児のひいまごも、「おんの~」と言いながらわが家へ。これには、まいった。

ろいりーさん。「なば」は広川人には「しいたけ」のことでしたばい。それから、ゴムぎゅった。父もたしかに「ゴムぎゅった」って言ってましたね。広川の生涯学習の自主サークルに「ぎゅった体操」と言うのがあります。
「ぎゅった」がわかる世代の元気なばあちゃんたちの健康体操サークル。現在なお、健在のグループ。広川らしか~。

乙さんのことば、もちろんわたしもぜ~んぶわかるばい。ねいちぶ八女リカンじゃけん。「ぐっちょ」「もえもん」もなつかしいけど、涙の出るほど、わらったのは「ぢご」。「魚んぢご」言いよったねえ、たしかに。

強固はん、「かっぽす」って、鉛筆の先につけるのじゃなかった?あれを「カッポス」って呼んでたよね。意味はなんじゃろ?ご依頼の「つ」の記事のトラックバック、やりかたがわからん。したことがなかけん、ここにあげた。よしなに。「つーちつーたい」

エメさんところと同じで、わが家の子ども達も全員標準語だと思っていたらしい。

http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-3833.html

おつさんの書き込みは、おかしゅうして、ぢごんでるごつ笑ろた。

おなかが痛くなるほど笑ったは、こんなふうに言わなかった?

ぢごんづるごつわろた。
そうでしたそうでした。出るはでるじゃなく、古文みたいに「づる」といいました。どうも方言はなしよるつもりがどっかでねじをしめわすれとる。
「うんがわるか」も「ふのわるか」ちいいよった。このふはどのふやろ。きょうふの味噌汁のふ。かもね。

夜は短冊を作る。連句にはたくさんの短冊がいる。書道用の本格的な短冊ではなく七夕のとき笹にゆわえるみたいなの。事務所から不要なカレンダーのえんぴつ書きオッケイのをもらってきた、それを三センチ×二十センチくらいに切りそろえる。内職みたいな手仕事。こういう手作りのかんじ、いいですね。

こんにちは
タイムリーな事に、今日は出かけた先で「ぎゅった!」を聞きました。
60代20代の女性と3人で会話をしてましたら、婦人がスカートのウエストをひっぱって「ぎゅったヨ、楽~♪」って。
もちろん反応したのは私だけで^^
じご>>子供のころよく、祖父が網で仕掛けてきたハヤのじごを取らされてまして、
新聞紙の上で指でぷちぷち出しました。 カミソリで腹を軽く引いたあと指で出したような気もします。
おいしいものが食べられる喜びのほうが大きくて苦にもなりませんでした。

じごのはなし、ありがとう。

お昼休み、鹿児島育ちの人にこどものころ自分をなんと呼んでいたか尋ねて見ました。すると、おとこもおんなも「おい」っていってたって。あれ。ろいりさんが書いていた。神津島では男も女も自分をオイと呼ぶ。一緒ではありませんか。島のつくとこはおなじなんだね。

北海道の杉浦兼坊さんにもきいてみました。
こどものころ、先生用には僕、友達用にはおれ、家ではぼわん。といっていたそうです。ぼわん。何語。

じご。
さかなつりの趣味はなかったけど、カエルをつかまえて、じべたにたたきつけてしんでもらい、糸をまいて、ざりがにの餌にした思い出はあります。

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コメント

もーし、おんの~
なーい

(訳)
Excuse me, are you here?
Yes, I am.

さくらさん

づくぼ、何のことだか教えておくれ。きになってしようがない。

づくぼはつくしのことです。

つくしの卵とじは最高に美味しい。
関東の人はつくしが食べられることを知らないので、こっちでつくし取りしてる人はだいたい九州人です。

今朝のこと、いつもの散歩コースで、
道端にしゃがみこんでる翁発見。
なにをなさってるのかと思いきや、つくしをつんでおられた。しょうけを乗せた自転車を路肩にとめて。おじいちゃん、すみません。その辺、いつもこいつがおしっこしてますけどぉ・・・。な~んて野暮なことは言わなんだ。
でも、確かに卵とじはうまいです。

久留米の写真屋さんのところに見事なつくしが掲載されています。
名前に貼り付け

 何か、2~3日留守してパソコン開かんうちに話題がてんこもりで。八女と久留米の言葉の共通点や違う点、八女の中でも、また久留米の中でも違ったり、もちろん世代によっても違ったりで、あたしゃ何から言っていいのやら。祖父はほっぺたのことを「ほうべんた」と言ってたが、あれは日田弁だろうか。日吉校区に住んで80年の母は昔々、仲間に入れてくれというのを「かたせんじろぃ」とか、ボコボコに殴ってやるぞというのを「ナバんすっぞ」とか言ってる人がいたというが、これも今は死語方言?
 ところでちょっと前に話題になった「自分」という言い方について考えてたら、久留米では「わが」という1人称的言葉がおまえという意味で使われたり(八女ではどうですか)、「長崎ぶらぶら節」という映画では「おうち」というのがあなたという意味だったり、松山では「おっどんら」と言うと「お前ら」という意味だったり、1人称と2人称は混合しているのか、と、そこでまたまた考えたら、3人称だって1人称や2人称になったりするし、そもそもこの何人称とか、主語と述語という考え方が、日本語と合わないのではとも思いました~後者の考えは、既にそういうことを論じている日本語学者もいるけど。
 乙四郎さん、「句や歌も、一人称代名詞がないほうが世界が広がる」と言いよんなはったが、二人称についてはどうお考えでしょう?

おや。へうろくさん。
先日いってきました、ラーメン屋さん。
絵、ちゃんとまだありました。
年かさのおばさんが指差して教えて下さった。
いまどき感激の一杯380円。
ボスが、あそこはまずいよ、汁の中に指をつっこんでもってくるよ。なんていいましたが、ちゃんとお盆にのせて運んでくれたし、おいしかったし、きれいなお店じゃないけどラーメンやさんは汚いほうがおいしいと思ってるかささぎにはどってことなかった。
以上、報告おはり。

乙四郎さんにろゐりさんがきいてみたのは正解。
この乙四郎、超のつく変人です。
連句のときもへんなこといってた。
場面は恋句。
おつしろうは出してくれた。でも、なんかへん。
二人称の代名詞が入らねばおかしいのに、なんにもなかったからです。
具体的に句をあげて、どこがどうしてどうなった。と表示したいが、守秘義務があるからおしえない。
くやしけりゃ、次の機会にきてください。

乙四郎が以前書いていた、幼少の砌から一人称代名詞を絶対使いたくない病だった。というのを読んで、その原因を知りたい。と思ったのは私だけではなかったようで、セイコさんも、なんの虎馬があったの。って言ってた。そこで、かささぎは、本人から借りてきたのであった。
『藪思』。同人誌。学生時代のおつしろうの。
きのう、つぎの順番に読んだ。
1 機械(横光利一に同題のがあるが、それとは違う。宮崎駿の映画みたいだった)
2 遺書(別名で書いているが、たぶん乙四郎)
3 虚界(これが一番うまい。深い。)
4 さいころ(けっ。つまらん)
5 麻雀(或る恋愛小説)・・・これは数学。確率?組み合わせ?得意な人には解けるんだろう。って、やいこら。これのどこが恋愛小説なんじゃーって普通は怒るで、まじで。 
あと一編残っている。まだ読んでいません。
で、これらの小説をかいた早熟(しかしながらこの早熟さには偏りがある)で緻密な頭の持ち主は、いったい現実にはどんな恋をしてどんな人生を歩んだだろうか。とふっと思ったのである。
かささぎのかたい挨拶の発句に対しては、見事なまでに叙情的な脇句をつけてくれた乙四郎であったが、恋句でぎこちなく四苦八苦、というより逃げの姿勢を感じたのは、その職人気質ゆえ?いくら公務員をながくやってきたからって、あまりといえばあんまりな。
竹橋乙四郎。
時に風のように現れる神津ろゐり。
この二人はとにもかくにも謎の人である。

づくぼ=つくし。
づくのごつ肥えとる。とか、いいませんか。
この場合の「づく」とは一体なんでしょうね?
それがわからんのですが、その「づく」のように太い穂がづくぼ、なのでしょう。

一人称代名詞を半世紀近く使わなかったことは故意なので意識しているが、そういえば二人称代名詞も、目の前の人をさして、あなたとか、君とか、貴様とか、言った記憶がない。たいてい、○○君、と固有名詞を使ったり、そちら(三人称?)を使ってた。
I, my, me, mine, you, your, yours なしの人生!ギネスものかも。
先日、恋句を出せと言われて、やっとこさ出した句の出来がよくないといわれ、心理表現に「君」を使えば少しはましになりそうな気がして使ってみたが、使い慣れないのでぎこちなかった。
恋の表現には一人称や二人称を操らなければならないのかも・・・不得手です。

かささぎさんが書いていた運が悪い人のこと、ふのわるかって勝負の負じゃないと?
負(ぶ)が悪い。

づくぼのづくは、ちょっと太っちょのことをづくっとしとるって言わん?

わがままな人のことを「わがよかーごつして・・・」って言わん?

ふうべんたばごーほんたたかれた!っとか、鳥栖でもそうやった。
ごーほん=強くとかたくさんとか

ごーほん
そーにゃ
ばさらか

さくらさんから教えられて
消去されてた記憶がひとつ。
やっぱり、この辺でも、つくしを「づくっぽ」といってたそうです。これは、五歳違いの連れ合いの記憶でした。

ごーほんは、個数の多さに。動詞の形容には用いない。そーにゃ、ばさらか、こ、は両方に用いることも可能。みたいな用途でしょうか。

つくしのごーほんとれた。

コーヒー飲んだらねむくなく。

ばさろ、ばさらか、ばさか、こまった。

けっ?!ここにもよいっぱりがひとりおる。
それも、てーげな時間帯。
それこそ、てーげにせんの。

きょうもげんきだ。たばこがうまい。・・ってかいてみたかった。あれはよくできたコピーだったね。ではいってきまっす。

 「わがよかーごつして・・・」は「自分の(都合の)良いようにばかりして」=わがままだけど、まさしくこの「わが」こそ、一人称にも二人称にも変わりうる「自分(の)」と同じでしょう。「わが祖国」と言えば一人称自分の祖国だし、久留米で(八女でも?)「わが何ば言よっとか」と言う時はぞんざいな二人称だし。そういや日田出身の人は「ぬしゃ何言よるかい」と言ってた、「主は」が縮まったのだろう。
 「きょうもげんきだ。たばこがうまい。」、これ、つい最近読んだ本に出てきて、そういやこんなコピーがあったな、今じゃ使えないなと思ったけど、もう何の本か忘れっしもた。

ないないばなしでよそ者にはさっぱり意味がつうじていないという。(連句のときよそ者そらんsaid.)
そりでちゃ、けんかつにいちいち対訳やらつけらるるもんですか。
きのうねていないかささぎはもうねます。
さいごに、
たばこの害だけを唱えるよりたばこの徳も唱える世の中でありたい。
かささぎは二十歳から二十八歳まで吸っていた。喫煙とはとても精神的なものであった、とおもう。

こんばんわ
カッポス>>あああ~なつかしい~です~☆
紙石鹸で手を洗ったり、おんじゃくでコンクリに絵を描いたり、、。
瓦の破片で爪を磨くとピカピカになりました

わが>>男の子はそう言ってました。
きさん>>大人びた子はけんか相手にこう言ってたようです(夫より) 貴様のことやろけど、相手にさんや様を付けるんだから丁寧ですよね(^_^;)

出ました、紙石鹸。これ、どこにでもは売ってなかったのよね。当時住んでいた小頭町にはなくて、日吉小の前の文房具屋さんに、不良と呼ばれるのを覚悟して買いに行ってました。
翌日クラスで人気者になってました。

小6の頃男子はほうきをエレキギターにみたててかきならし、若大将をきどっていました。その中でも目立っていた藤田君は、現在うどん屋さんをしています。

おんじゃく、わあなつかしか。道路に大きく円を書いて10等分ぐらいに分け、「おみや」とか「看板や」とか行き先を書いて、それに石を投げ込み、自分の行き場所を決めて一斉に走り出して、早く帰ってきた人が勝ちという遊びをやってました。

ぼんは都会人だったのね
うちらは地べたに棒切れでひょうたん島みたいな絵をかいてブタごろしっていう楽しい押し出しゲームをよくしました
おんじゃくが流行ってたのは幼稚園の頃だった 幼稚園 二キロ離れてた 毎日行きたくなくて泣いてたら じっちゃんが十円やるから行け とお金を握らせた
帰りに上妻小近くの新みせという何でも置いてるお店で お菓子を買った
歩いて通っていた道懐かしい
余り変わってないのだけどね

幼稚園には行かなかった。
一日だけ行って、二日目からは泣きわめいて、登園拒否。
従って、はじめての集団生活は小学校から。
幼少期、「僕」も「君」も使う場面は訪れなかった。

紙石鹸、おんじゃく。なつかしかあ!
おんじゃく。小さな黒板(といっても色落ちしたぼろぼろのもの)を貰い受けて、お絵かきに使っていました。
それと、石の粉での爪磨き。
小学校の講堂の裏には、青い石がばさらかのごと落ちとって、これを粉にして爪を磨くときらきら光る爪が現れたのを覚えてる。掃除の時間にさぼって、みんなで爪磨きばしよったよ。ダンもバケイもいっしょのクラスにおった時代。

じべたに地図を描いて、じんとりゲーム。
ひまわりって名の鬼ごっこも線を引いて遊んでた。
四角い箱を描いて、おはじきかなんかで陣地をとりあうゲームもあったなあ。お宮の境内は、年長のにいちゃんやねえちゃんと遊んでもらえるこどもの社交場だった。

ほんとに、近所の少し上のお兄さんやお姉さんたちからはたくさん遊んでもらって、、
食べれる草の茎や草花の蜜のなめかたもぜ~んぶ教えてもらいました。
遊んでもらった最後の世代かも☆
急に時代が変わっていったから外遊びの伝承もいつのまにか途絶えてしまいましたね。
じべたにもたくさんのエネルギーをもらっていたのでしょうね^^☆彡

>じっちゃんが十円やるから行け とお金を握らせた
これが毎日だとしたらすごい!
当時、まだ駄菓子屋では「銭」の単位が生きていて、豆菓子が一個50銭だった。もちろん流通貨幣は「円」しかなかったので1円出して二個ゲットして満足してた。十円あればグリコのおまけ付きキャラメル箱が買えたような記憶があります。

 すんません、私は小学生の頃毎日10円のお小遣いでした(高学年になると1月300円)。日吉小の前の文房具屋さんに行くのが不良とは!?原口とあだち(漢字忘れた)という2軒の、文房具屋兼駄菓子屋で、物は買わんでも毎日のように学校帰りに寄りよったばってん。ぼんさんが行ったのはどっちじゃろか。中のほうに入ると10円の「お好み焼き」が食えたけど、今考えればあれは「ふな焼き」と言うべきものだったのでしょう。初めて使う分度器もここで買ったし、時には奮発して科学系実験セットやプラモデルを買ったことも。それこそ子どもの社交場だった。
 ところで話は変わり、広川で学習塾やってた高校時代の友達(森山光章さんも同じ頃塾をやっていたので会う機会があり、歌集ももらったらしい)が、「なしけん」という言葉を使っていたけど八女の方では使わんでしょうか?瀬高(今のみやま市)あたりの方言らしいが。
 あ、急に思い出した、森山さんが高校の時演出した劇のタイトル、「夜陰妖火変化蛍草」(漢字は不正確)、確か家の中のどこかにその台本がまだ取ってあるはずだ。

日吉小の前の店の名はわかりません。お好み焼きの記憶もありません。リリアン編みといって縄跳びの握るところみたいなのに釘が打ち付けてあり、それに糸をまわしかけて紐を作る道具も、この店に買いに行きました。
六つ門は都会で、行ったら不良だと言われてました。は・は・は。じゃあ日吉小の人は皆不良なのかいと、少し思っていました。
なしけん=なぜですよね。
三潴に来てから使い始めたような気がします。

えめさーん。こないだの連句のとき、えめさんってどこの人なの。ってきかれた。つい教えてしまいました。たはは。

おつしろう。いたいとこ、ついてくるね。きおくではそうだけど、今日父にきいてみたら、おまえが毎日大鳴きするけん、おりが自転車のうしろにむりやり乗せて送ってた。との返事。じっちゃんがお金をやるけんていいよったよね?と聞くと、そげんそげん。ばってん、十円じゃなかったかもね。銭がまだ生きていたよね、たしかにかすかに覚えてます。
幼稚園のころまでは、寺田村にもお菓子などを置いているお店があった。今は整骨院をおつしろう宅近くで営んでおられるこぞのいさんがやっておられた。
今はなにもないけど、うちの隣は豆腐屋さんだった。だから、隣のことを今もとーふやと呼ぶ。それからかどんくちを出て突き当たりの家は傘屋と言ってた。和傘を作ってたんだろうね。

ところで、今日おみせ、ということばの響きから思い出したことがあります。
それはね。学校のなかに出店があって、店番が交代で上級生になると回ってきたこと。あれはわくわくしました。お店屋さんごっこみたいで。ノートや鉛筆などを校内販売する係りだった、二人一組で。あれをやると、ああ上級生になったなあ。と感慨深かった。

ろゐりさん。
にんまり。その題!森山さんだ。まぎれもなく森山さん。はるかな大昔から森山さんは森山さんだったんだなあ。ってなみだでそうになった。
おつしろうの大学時代の創作を打ち込みながら、いまと全くおなじ味がするので、安心したのとおなじ。
どんだけさかのぼれば、原点にいきつける。
どんだけさかのぼっても、原点には行き着かない。

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