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2009年3月 7日 (土)

芭蕉のすいぜんじの付句

この間から気になっている水前寺海苔の芭蕉の一句を解説した安東次男の『連句の読み方』が、連句辞典を探していたらひょこっと出てきました。忘れぬうちに引用メモしておきます。肝腎の連句辞典は出てきませんでした。
あまり時間がないので、その部分だけ。長いですが。
わたしは、こういう執念の調べ物が大好きです。
とことんまで調べなければ腑に落ちない、というアンツグさんの執念!
なんてすばらしいのでしょうか。

『連句の読み方』 安東次男著よりー

  芙蓉のはなのはらはらとちる  
吸物は先(まづ)出来(でか)されしすいぜんじ  芭蕉

供養に飲食(おんじき)は付物と見込んだ付だが、見どころは、雑の作りを以て季の実(じつ)を引出した手際にある。蓮をして蓮たらしめているのは、浄土を庭前の眺に奪った芭蕉の工夫で、史邦ではない。仮にここを二句観相気味に継げば史邦の句は有季とも治定しがたくなるから、さしづめ、衆目一致の夏の句を付けて「芙蓉のはな」の根締(夏二句)にでも仕立てるのが妥当なはこび方だろう。史邦が、秋の筈はないがさりとて直に夏の季語とも云えぬことばをわざわざ持出して云回したのは、師の継ぎぶりをしかと見たかったからか。
「吸物」は会席料理の汁椀だろう。
飲食は「先」汁からで、菜の賞味は後である。
一汁一菜(膾なますの向付むこうづけ)を以て膳組の基本とし、煮物(ニ菜)・焼物(三菜)の順に加える。もっとも、献立を二汁五菜・三汁七菜などと考えれば、「吸物」は料理を一往出し終わったことを客に告げる湯吸物のことだ。少量、ごく淡味の清汁(すまし)で、いわゆる汁とは別である。そう読んでもよいが、この場の供養後の飲食を窮屈に考える理由もとくに見当らぬ。「すいぜんじ」は水前寺、水前寺苔(のり)のことである。「水」は蓮(水芙蓉)の縁、「寺」は供養の読取。海苔は法(のり)に通い、法事のつきものである。スイモノ、スイゼンジの語呂もよい。
句は、汁椀の蓋をとっただけで篤志の程がわかった、と凡兆・史邦の息の合った付合(つけあい)ぶりを賞めそやしているらしく読める。芭蕉は水前寺苔の名をどこで知ったのだろう。食用のりは一般にはアマノリを云い、これは近海産の紅藻だが、緑藻類に属するカワノリもある。太平洋にそそぐ山間諸川の岩に生じ、菊池川苔(熊本)・芝川苔(富士川苔、静岡)・大谷川苔(日光苔・栃木)など古くから知られている。スイゼンジノリはカワノリとも違う淡水藻で、藍藻類に属する。湧水の池底に生じ、九州の一部にしか発見されていない。形状は、寒天質につつまれた暗緑色の細胞群体である。命名の由来は、寛永九年1632小倉から熊本に移封された細川忠利(忠興の三男)が豊後羅漢寺の僧玄宅に開かせ、後に藩主別荘とした水前寺成趣園に因む。園池の湧水は出て加勢川となり、中流で江津湖をつくるが、最初に寺前の池から見つかったと言われる。大正十三年、上江津湖の天然記念物に指定され、養殖も別に行われている。
そのスイゼンジノリについての文献の初出は、貝原益軒の『大和本草』(宝永五年・1708成)
だろう。去来の父向井元升の『庖厨備用和名本草』(寛文十二年、1672成)にも、人見必大の『本朝食鑑』(元禄八年、1695成)にも見えない。
続いては、寺島良安の『和漢三才図絵』(正徳三年、1713成)か。
益軒は
「川苔」の項に富士・日光・菊池苔と共に入れ、「肥後水前寺苔は水前寺村の川に生ず。乾して厚き紙の如くなるを、切て水に浸し用ゆ。此類諸州にあり」と記している。
良安の方は、「紫菜(あまのり)」の項に「富士苔」「水善寺苔(ママ)」を付記し、前者は・・・(引用者かささぎは、勝手ながら中略致します)

地元のことはわからぬが、元禄頃、水前寺苔はまだ世に知られていなかった。
そう考えるしかなさそうである。
「あさくさ千里がもとにて
苔汁の手ぎは見せけり浅黄椀」。
これは貞享元年1684芭蕉が詠んだ甘海苔の句である。
「吸物は先出来されしすいぜんじ」も、甘い香りが鼻先にただようように作られているが、じつは印象の騙しで、俳諧師は物の実際を知らず、ただ呼名の興のみで句に作ったらしい、と思うとそこにも亦滑稽の一趣向が現れる。味ったと告げることと、味ってみたいということとは、違うだろう。いやいや思切ったことをやるものだが、これは次句の作り(解釈)の決手になるやもしれぬ。とすれば、珍しい苔の名を芭蕉に教えたのは去来に違いない。その去来の知識も、益軒それとも父元升あたりに負うものだったろう。因に益軒は向井家と親交があり、元升の墓誌も撰している。(元升は延宝五年六十九歳で歿、墓は京都真如堂にある)。

「肥後は川苔を産すること多き国にて、菊池郡菊池川の菊池苔、詫摩郡川中島の清水苔、上益城郡大臣川の内大臣苔、皆名あり。なかんづく水前寺苔の名、世に鳴りて響き、滋味ありとにはあらねど、人其の清美を称す」(露伴)。『大和本草』宝永六年に先立つこと十九年、芭蕉が初て世に知らせた名だ、と気付かなければせっかくの名産調べも無駄骨になる。たべものの句を説いてたべものの起りに興味を示した評家などは皆無だ、というのも考えてみれば不思議な話である。
諸注は、農家の庭先や路傍から寺などに、蓮池の場所を例によって見替えて、鑑賞会としゃれこんだ付(つけ)と状況を読んでいる。これもおかしい。蓮見は早朝、花の開くときを楽しむものだろう。供養の席でもなければ、「はらはらとちる」さまを賞翫のたねになどしない。

脚注:肥後細川藩が江津湖産のノリを「清水苔」として幕府に献上した記録の初見は享和二年1802、水前寺池に御苔場を公設したのは文化四年1807である。

 戦後詩論選『連句の読み方』安東次男著
  2000年7月7日思潮社発行

参照記事:

今からでも間に合う。大学とすいぜんじ海苔。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-9ddf.html

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