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2009年3月 4日 (水)

生等もとより生還を期せず。一人称談義

こんばんわ
箒草ってほんとにホーキになるんですね^^♪
手作りのあったかみがありますねheart04

おもてんくち。
あるいは、おもてんかど。
うらんくち。
でも、うらんかど、とは言ってなかった。

ばあちゃんのことば。
「かどんくちにほってとかんの」
まじないみたいな、まかふしぎさよ。

「かどんくちにほってとかんの」

最後に・・・・「の」がつくのは福岡弁です。
2,3軒さきの家が福岡県、こっちは佐賀県の県境にあるわたしんち、見分けるのは「・・・・の」の違いでした。

福岡県 来んの、行かんの、しとったの?
佐賀県 来んね、行かんね、しとったね?

その他はほぼ共通語です。
裏んくちも。

うおおお。
ここまでこまかくなってくると、さすがのかささぎもそうじゃったろか?状態です。
せいこさん、かどんくち、ってきいたようなわすれたようなことばねえ。
さくらさんちは県境でしたか。
八女もどっちかといえば熊本のほうが近い。
むかし、ガキだったころ、山の母の里へ泊りがけで行くのが楽しみでした。ディーゼルカーに乗って。
私たちは、じぶんのことを「うち」って言ってた。でも、黒木の山の子は、じぶんのことを女の子なのに「おどん」って言ってたので、内心、うわあいなかもんやんねえって思っていました。笑
黒木瞳さんはどういってただろうね。「うち」だろか。
おどんなんてそんな熊本のおてもやんみたいな呼び方だけはしてほしくなかとです。はい。

おどん、爆笑!!!!!!!

知っとるよ、もちろん、今90歳の親戚のばぁちゃんは言うもん。

私たちも「うち」でした。

相手のこと「自分」ちゅう大阪弁にもまいるけど。
やくざ風に「知っとーか、じぶーん」

訛りが全然抜けない佐世保出身の友人がいた。田舎くさかったが、その人間性と言葉の力で自治会長に推された。
佐世保うまれのワルツ。さっき、テレビで流れてた。

美 し き 天 然
1 空にさえずる鳥の声 峰より落つる滝の音 大波小波とうとうと 響き絶えせぬ海の音 聞けや人々面白き この天然の音楽を 調べ自在に弾きたもう 神の御手の尊しや
2 春は桜のあや衣 秋はもみじのから錦 夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布 見よや人々美しき この天然の織物を 手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや
3 うす墨ひける四方の山 くれない匂う横かすみ 海辺はるかにうち続く 青松白砂の美しさ 見よや人々たぐいなき この天然のうつしえを 筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや
4 あしたおこる雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴たる空を見渡せば 青天井に似たるかな 仰げ人々珍しき この天然の建築を かく広大に建てたもう 神のみ業の尊しや

   ↓

   ↑
この「美しき天然」のページの下のほう、「私の愛唱歌」をクリックすると、懐かしい歌がぞくぞくと出てきました。そのページの「謹告」を読んでから味わってください。
勇敢なる水兵だって、精霊流しだって、帰ってきたヨッパライだって、ケメ子の歌だって、受験生ブルースだって、レナウンの歌だって、エメロン(ふりむかないで)だって、狼少年ケンだって、まぼろし探偵だって・・・なんでんかんでんあります。
さらに、上のほうの「放送禁止曲」をクリックすると、実録三億円事件だとか、これまたいろいろ出てきます。フォークルのイムジン川もここで聴けます。「謹告」を読んでから味わってください。ヨイトマケの歌、山谷ブルース、五木の子守唄ほか、SOS、プレィバックpartⅡ、ウェディングベルもここで聴けます。

自分~>>久留米の男もそういいますよね^^
イムジン川>>高校生のころ、ラジオで放送禁止になる直前まで、、流れるとほんとにかじりついて聞いていました。 いい曲ですね~。
イムジン河>映画「パッチギ」で全編にゆるやかに流れますね。
この時の音楽担当は加藤和彦氏ですね。
シーンの中で、坂崎役のオダギリ氏がギターでしみじみと歌う「イムジン河」は秀逸ですね☆
ここだけ、CDで買いたいくらいすばらしいです^^slate

↑すみません(^_^;)訂正です。
オダギリ氏が歌ったのは「悲しくてやりきれない」でした。ちょっとごっちゃになってました。
slate最近また見たいモードです^^☆
あのやんちゃな井筒監督も同世代ですね♪
私らも含めて、このへん前後はスポット世代って言うんですよね。
団塊世代と共通一時世代のはざまにある・・・わりと自由で、欲がなく、のんびりしてるってゆうか・・・denim

イムジン河が発売自粛となり、イムジン河の曲を逆回転させた曲調をベースに作られたのが「悲しくてやりきれない」だから、その2曲は表裏一体。

さくらさん。少林寺拳法を教えている「うち」の中学時代の男ともだちは、平成のこの時代にも、自分のことを「じぶん」と呼んで、通常的会話をいたします。最初は違和感があったものの、いまは聴きなれた。

エメさん。スポット世代は、のんぽり世代でもあるよねえ。自分でもノンポリやなあって思うもん。

乙さん。うつくしきてんねん。サーカスの薄暗いテントの下のものがなしさを彷彿とさせるのはなぜ。わたしの愛唱歌には、ホント、わたしの愛唱歌が、ばさらかうまっとる。

乙さんが書かれている歌、知ってます。ほとんど歌えます。イムジン川はときどき口をついて出てきます。主人は高校へ、ギター片手に通っていたような人なので、かなりの曲を今でも弾けます。坂崎さんには負けるけど。
岡林やかがわ良のことなどよくしっています。友部正人にいたっては今でもファンクラブにはいっているほどです。
小郡で行われたコンサートに一度付いていきました。農家の納屋をステージに改造してあるところでした。ピアノがおいてあって黒い幕も備えてあり、
ちょっとしたステージでした。知っている曲は1曲もなく、私にとっては長い時間でしたが、前の席の佐賀から来たという女性はのりのりで、そう体をゆすらなくても良いじゃないといいたくなるほどでした。
私が気になったのは、幕の下から出てきた一匹のごきぶり。左端から右端までゆっくり移動して・・・
前の席なら靴で落としてやろうかと思っていたのですが、件の女性は気がついてなかったらしく(主人も)それだけのめりこんでいたんですね。アットホームなステージでした!?
乙さんがこういう歌を知ってあることにも驚きます。俗に言う頭のいい人は歌なんて聞いていない。馬鹿にしている・・・と思い込んでる私です。そうじゃないんですね。父が「歌番組ばかり見ると頭が悪くなる」とすりこんでいたので、そんなふうにおもったんでしょう。父は大正元年生まれでした。

そおらぁにいぃさええずるう・・・・を見て、サーカス小屋は思いつかなかったわ!
そういやそうね。
歌ってるのが小沢昭一というのもおかしか。

あまりに聴きたい曲が多かったので、とうとうお気に入りに入れちゃった。時間があるときにじっくり聴きたい。それにしても、ここの管理人の執念、おそろし!脱帽!すごいねえ、このバラエティにとんだ選曲は。

恋人もいないのに、悲しみは駆け足でやってくる、五番街のマリーなどなど、なつかしい曲がいっぱい。

でも、ここまでで一番わたしに受けたのは、これ。守屋ヒロシさんの「僕は泣いちっち」
14歳違いの叔父が持ってたレコード。
聴いた聴いた。まだわけもわからんチビのときに。思わず吹き出しながら、なつかしくてなつかしくて、涙が出たわ。

「私の愛唱歌」の歌詞入りの軍歌の数々には目頭が熱くなります。「麦と兵隊」にはラヂオ実況入り。中に、米国軍歌だが、自分の記憶に残る最古のSP曲があった。多分、ステレオ購入時にオマケで付いてきたやつ。
「史上最大の作戦」
The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller
Many men came here as soldiers many men will pass this way
Many men will count the hours as they live the longest day
Many men are tired and weary, many men are here to stay
Many men won’t see the sunset when it ends the longest day
(乙訳)
男たちは兵士としてここに来た 男たちはこの道を通ってゆく
男たちは時を数えながら 長い一日を生きる
男たちは疲れてここにとどまる
長い一日が終わるとき、男たちは日暮れを見ないかもしれない

当時、まったく意味もわからずに何百回も聴いていた。こんな深い歌詞だったとは。
外国語は「音」でしかなかった。(シルビーバルタンのフランス語の「音」は心地よかった。彼女が日本語で歌ったレナウン娘は意味が認識できた)

それにしても(乙訳)は下手っぴ。「私の愛唱歌」にカチューシャの原詩(ロシア語の訳)と日本語詩とが対比してあります。原詩は、ロシアの軍歌だった。
(原詩)
リンゴとナシが花咲いていた
霧が川面を漂いだした
カチューシャは岸へと出かけていた
高くけわしい岸へと
歌いながら出かけていた
ステップの青灰色の鷲の歌を
愛していた人の歌を
手紙を大切にしまっておいていた人の歌を
ああ、歌よ、娘の歌よ
輝く太陽の後を飛べ
そして遠い国境地帯の兵士に
カチューシャからよろしく伝えよ
純朴な娘を思い出させよ
彼女が歌っているように聞こえさせよ
故郷の大地を守らせよ
カチューシャは愛を守るだろう
(訳詩)
りんごの花ほころび
川面(かわも)にかすみたち
君なき里にも
春はしのびよりぬ
岸辺に立ちてうたう
カチューシャの歌
春風やさしく吹き
夢が湧くみ空よ
カチューシャの歌声
はるかに丘を越え
今なお君をたずねて
やさしその歌声

日本語訳の何と豊かな響き!
でも、最近の日本の歌も負けちゃぁいない。日本語が乱れているとはいわせない豊かさがある、病院で戦う看護師たちのための軍歌。
「みんな元気!」
きみの元気は僕の元気さ ファイト!
いのちのよろこびに Yes it's goo-d goo-d Mor-nin'
だってこんなに Fine Day~
笑顔が輝けば Yes it's goo-d goo-d Fee-lin'
みんな元気に Say Hello~
僕のハッピーはきみのハッピーさ トライ!
こころがつながれば そう it's goo-d goo-d Talk-in'
はじめましてと How do you do~
あの子も笑っている Yes it's goo-d goo-d Smi-lin'
みんないい顔 Say Com'-on

出勤前にちょいと読もうと思ったら、読めない濃さであります。帰ってからじっくり読ませていただきやす。

一人称代名詞
このブログに初投稿したのは3月2日の夜だったので、1年が経過した。このブログ上では、よく一人称として「乙」を使った。時に「私」。書き物の場合、一人称はよく用いる。しかし、口語では事情が違う。
小さい頃から「僕」は使っていない。自分のことを「僕」と称する同級生が気障っぽかったので、そう思われるのが嫌で使わなかった。作文の宿題の時に嫌々使っただけ。男の子は「僕は・・・」、女の子は「私は・・・」。日常生活で「僕」は生涯一度も使っていない。
「私」を使うことはできない。女、女といじめられる。「おどん」は田舎っぽくて絶対に嫌。「俺」は、ひ弱系の人間は使わない。
かくして、一人称を全く用いずに、幼年期、少年期、青年期を通過した人間が生まれた。ごくごく小さい頃、周囲の影響で「ウチ」を用い、それが間違いだと知らされ恥ずかしい思いをして以来、一人称を避ける癖が身に付いていたので、比較的楽だった。
成人し、面接試験など一人称の使用が必要な場面が訪れた頃からは「私」。作文の時の「僕」みたいなもので、割り切れる。日常生活は一人称なしで過ごした。「私がやります」→「こちらでやります」みたいな翻訳リストが脳内にぎっしり蓄積されている。公務員は自分を前面に出してならない滅私奉公の職域。一人称なしで困る場面はほとんどなかった。子どもに対しては一人称で強い親を演じなければならないこともあったが、そういう時は「お父さんにまかせなさい」。
最近は、「私」の使用場面が増えてきた。大衆を前に「私」と称することに抵抗がない年齢となってきたため。使ってみると、以外と楽。翻訳リストも少しずつ消えつつある。でも、いまだ家族は「私」が一人称代名詞を口にするのを聞いたことがない。

 私も仕事中にふと覗いたら、その濃さに驚いて、思わず仕事サボってコメントします。
 「美しき天然」はそのワルツのジンタッタというリズムから「ジンタ」という通称がつき、サーカスやチンドン屋の曲として有名になったようです。イムジン河を初めとするフォークル関係・パッチギ関係については語りたいことが多すぎて省略。ロカビリー「3人ひろし」の1人だった守屋浩、その友達なのに全く女性に人気のなかったかまやつひろしのことも、いろいろコメントしたいけど省略。
 「史上最大の作戦」の作曲は「ダイアナ」のポールアンカで、「ザ・ヒットパレード」では誰かが日本語で「いつも 戦いはつらい ものだぜ…」と歌っていた。ちなみに「北京の55日」の日本語バージョンを歌ったのはあの克美しげる、そして映画には伊丹十三が出演している。
 一人称を「自分」と言うのはもともと軍隊用語らしく、そこから体育会系的用語になったのが、一般にも広まったのではないだろうか。関西では二人称で「お前」みたいなニュアンスだから、使い間違えると誤解されてさあ大変、ヤーさん出てきて何やわれ、おっちゃん一緒にケンカしよ、となる。
 

 職場のパソコンで送信したら名前が出なかった。ついでに追加のコメント、「史上最大の作戦」の原題は「The longest day」で、これをもじった日本の終戦記念日映画が「日本の一番長い日」、怪獣映画が、キングギドラ初登場の「三大怪獣 地上最大の決戦」です。ところで、「史上最大の作戦」を日本語で歌ったCDは出てないのだろうか?

のっとられた、完全にブログを。笑

美しき天然とは縁があります。ちんどんやの歌とおもっていましたが、ジンタはこの曲をさすんですね。
櫻濃くジンタかするゝ夜空あり  秀野
墨堤での句。
ぼんの父上は大正元年生まれ。これには驚きを禁じえませんでした。何歳のときのこども?かささぎは計算ができん。えーと昭和29年生まれだから29に大正年間の14年を足すと、43か44だよ。考えたらちがうはずよね。うちはどっちの親とも24しか離れていない。生れたとき親は24だったからだけど。環境におやの年齢は関係するよね。そういうのすべてひっくるめて、いまの愛情深いぼんがある。

おつしろうを小学校のときから知ってるけど、といっても遠くから知ってるって意味だけど、昔からきみの印象はどことなく浮世離れしてたよ。最初の文で書いてるけど、「老」ってことば、がぴたっとはまる気がした。そんなこどもってほかにはいない。なんでかしらんが、きみには「公」ということばがにあった。
んで、この「私」をさす呼称についてのこだわりかたを読んで、深くおもったのは、なんでやねん。ってことだよ。
ひとはそんなにはやい時期から自分の運命に従順であるわけ。なんで。わからん。

ろいりさん。きっとがっこの先生か公務員でしょう。そんなかんじです。勝手にそう思っている。

ではさようなら。ねむいのでねます。
一日こきつかわれたので、許容限度量をこした。

わたしはまだいいほうだ。弟は34年生まれだから父が48の時の子。熊本君にはまけたね。
母は大正8年、9人兄弟のただ一人の女。(たぶん)呉服屋のお姫様だったらしい。なにせ、八女津高女を出ていなさる。八郎叔父さんだけが存命。私ももう寝よう。明日も5時45分起き。おやすみ。

 山本五十六はもっとすごい、父親が五十六歳の時の子だからね。うちの父は昭和2年生まれで若いと思っていたが、早生まれなので学校では大正末年と同じクラス、というか、そっちが主流派だったらしい。
 ところで、私も実は乙四郎さんと同じく、姉の影響で小さい頃、恥ずかしながら「うち」と言っていた。その後は「僕」と「おい(俺)」の使い分け、今でも家族や筑後地区の友達には「おい」(これに格助詞の「は」が付くと「おや」か「おりゃ」に変化)、ちょっと皮肉ったりすねた感じの時は「あたし」「あたしゃ」、それ以外で親しい人には「僕」、ちょっと公的には「私」(文章は親しい人にも)、大学時代の関西系友達には「わし」「わしゃ」を使うことも。同人誌的なものには「おいら」を使ってたこともあるが、これはビートたけし登場以前。昔何かに、一人称をいろいろ使い分ける人は信用できんと書いてあり反省しようとしたが、やはりこうなるのは多重人格のせい?ところで神津島では老若男女問わず、自分のことを「おい」というので、最初はびっくりした。自分の家のことを「おいんげ」というのは、久留米の男言葉と一緒。
 二人称の使い方は、ボランティアで外国人に日本語教える時難しい。「あなた」なんて、丁寧語のようで却って相手に失礼に当たることも多いし、「あなた♡」ってな場合もあるし。コリアン語も似ていて、同じ言葉が「あなた♡」になるかと思えば、「貴様」のようなニュアンスにもなる。あ、でも三人称も難しいか。

呂伊利さん、このごろかささぎの毒にやられてませんか?(笑)

異動or移動と言っておられたようですが、いずこへ?言えない?時を待ちましょ。

三潴は自分ちは「おりげ」です。かあちゃんは「かか」落ちたは「ひっちゃげた」わかめは「めのは」茸類は「なば」・・・ほかにもいっぱい。

「おりげ」は、叔父たちも使っていました。
「おどん」「おまん」複数形になると「おりどん」「おまんどん」に転じます。叔父に至ってはいまでも使う。彼らは方言の宝庫。貴重な存在。

一人称、わたしも使い分けるほう。多重人格ではないが、職業意識がそうさせたものだと。しごとでは、「わたくし」、あるいは「わたくしども」。個人的には「わたし」幼いころは「うち」と呼んでました、もちろん。高校時代か中学生のころの一時期「ぼく」を使ってましたっけ。赤面ものです。

箒草のほうきから、一人称の話題で盛り上がる、連句的転じ方。かささぎの旗。おもしろくて、日に3度も4度も覗いて、自分のブログより長く滞在しておりますが・・・、これってsweat02

山本いそろくの数字の意味はそういう意味か。しらなかったな。

自分のことを自分というのは生硬なかんじがする。
しかし、東条英機の雨の昭和18年の学徒出陣壮行会にて、代表が挨拶したのに、せいら。ってじぶんらのことをよんだのにだけは、ほんとうになんともいえない悲壮感が、あった。
せいら、です。生等もとより生還を期せず

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コメント

>熊本君にはまけたね。

熊本君は、クラスで最も「僕」を多用する友でした。
なつかしかぁ。

ご存じない方のために

熊本君は53歳にしてパパになったお方。おにいちゃんは25歳。彼が賛成してくれてさいこんとあいなりました。

こんにちは
方言はいいですよね~。 
蛙>タンガク>田楽>>梅雨の季節のたんぼには楽しい音楽が流れます♪
毒蛇のひらくち>クチナワ>朽ちた縄>>、、に似てるから踏まないように気をつけなさい。
昔の先生達は授業そっちのけで脱線してはこんな話をしてくださいました。
本来の勉強より、こんなふうな生活に身近な雑学のほうが覚えていますね^^
八女、筑後の方言は京都の方言と共通しているのも多いって、中学のとき歴史に熱心な先生から聞きました。
昔々、こっちからあっちへ言葉も上っていったんでしょうか~♪

↑すみません名前まちがえました(^_^;)担当は、エメでした~clubsweat01sweat01

軍歌あり方言ありでおもちゃ箱ひっくりかえしたよう。
ちっとやそっとの時間じゃよう書けん。

ぼんの父さんが大正元年生まれにやおどろいた。
明治以来の長い年代を生きた大勢の家族の中で
まるくまるくかわいいぼんが出来上がった、納得した。

 大丈夫です、少々の毒に対する免疫性はあるんで。移動先はもちろん本土上陸し東京の家に。何区?と訊かないで、東京には区だけではなく市も町も村もある(というのを知らん人が多い)。私の家は八王子市、生まれてこのかたずっと「市民」だったが、この3年間だけ村民だった、しかも1村1集落という小さな村の。
 ところで3/2のさくらさんのコメントにある「…の」の話、同じ久留米でも金丸校区の人たちの中には、この「の」が「ろ」になる人もいた。例えば「何しょっとの」「おいも、かたせんの」(俺も仲間に入れてくれよ)が、「何しょっとろ」「かたせんろ」になったり。金丸小出身のぼんさん、そんな記憶はないでしょうか?それから「なば」は、椎茸のことを指すことが多く、どうも大分弁のようです。「茸(なば)竹」という名字も1度だけ見たことがある。

ヒラクチ、クチナワ。
これには、書きたかことんあるばってん、、。
ちょいと多忙じゃ。
のちほど、また。

ヒラクチ、クチナワ、この前死んだ母がようつかまえよった。
ナバ取りにも大分ん山ん中まで行きよった。
メノハは大好物やった。
例年今頃は母の大活躍の時期、づくぼ取りが大好きで、馬ん食うごつ取って来て冷凍し一年中食べられよった。
季節季節に足元に生えるような食べ物が大好きで丈夫で長生きやった。地のものを食えと言うのは当たってる。

またここで軍隊話。
戦艦が3度も沈んでそのたび漂流して帰ってきたじいちゃん松永市郎さんが言いよんなさった。
子供の頃ばあちゃんに「地のものを食え」といわれていたことを、大海原で笹の葉のように小さな小船(救助船)に揺られながら思い出し、船べりにくっついた小さなカニを取って夢中で食べ、これで絶対助かると思ったって。

こんばんは。ふたたびみたび、おじゃまいたします。こんなときって、ごめんくださ~い、って言いながら、玄関に入るんよね、田舎は。

一仕事終えて、かなり神経がまいっておりますが、くちなはのおはなしがしたくって、やってまいりました。笑

10年近く前のことです。
同僚だった保健婦(このころは保健師ではなかった)のはなしです。かのじょは九州人ではありませんで、本州から嫁いできておりました。保健婦のおもな仕事のひとつに地域のお年寄りを訪問するというのがありまして。地域のおばあちゃんが、おもしろい話を聞かせてくれたといってわたしに聞かせてくれたのです。
「ねえ、せーこさん、ヘビのことをくちひもって言うの知ってた?」
「は?くちひも?へ~、初めて聞くけど」
「あら、そう?にょろにょろと、ひもみたいだから、くちひもって言うんですってよ、この辺では」「・・・??ねえ・・・・、それって、くちなわ、のことじゃないの?」
「・・・・?あー、そうだったかも」

お後がよろしいようで。
作り話ではない、ほんまのハナシです。

づくぼ?初めて目にすることばです。つくし?それともぜんまいとかわらびとかそっち系?べんきょうになるわー。
くちなわにひらくちは庭に居る。裏に田んぼがあったときは、鳩の卵をひらくちがよう食べよった。一度うちの犬とひらくちが睨みおうて、ううっと犬は低く吼え、ひらくちは身動きもせず、私はカーテンの陰からそれを見つめて・・・かなり長い時間だったように思う。30分はそうしていたように思う。固唾を呑む、というのはああいうことやね。
呂伊利さん
「・・・ろ」の言葉は知りません。女の子は使ってなかったのかも。

おはようございます。
子供時代は近所のよその家に入る時、「ごめんください」じゃなくて、「もぉ~し」って言ってませんでしたか?
戸口を開けてせいいいっぱい大きな声で「もぉ~し!」
昔の家は土間の向こう、炊事場の奥、家の畑の裏まで聞こえないといけませんでしたから・・^^
あれは「申す」からきてたんでしょうか。。子供のころは「もーし」は不思議な言葉だと思っていました☆彡

telephone電話の「もしもし」は、もしかしたらあのころの「もーし」といっしょ?

せいこさん、いそがしいの。まぬけなはなしをおありがとう。くちなわ。へび。ながすぎる。っかー
へびとこねこのおっかけっこ(へびは猛スピードで追う)とか鳩をのみこんだのとかはみたことある。でも、へびをつかまえたおっかさんはみたことないよお、さくらさん。そりゃすごすぎる!

ぼん。乙四郎のコメントであざやかにおもいだした。
くまもとくんにティブってあだ名をつけてた、くんちゃんたちと。高1のころだろうね。英語の単語でtalkativeって習った。そっから語尾を採った。本人はよもや知るまい。また知ったとてわかるまいて。ほんなこてろくなあだなはつけんかった。はひふへほー


ろいりさん。語尾に「ろ」をつけるドラマ見たような気がします。どこの方言やろ。非常にやわらかい。
毒に慣れてるとはものは言いよう。かささぎはいつもまじめなはなしをしてます。軽薄じゃないのに軽薄そうなのがいやで、どっかに痛みを感じてもらいたいというかささぎの風流をわかってやってください。単なるいじめかもしれんが。神津兵六、まだ捨てん。
エメさん。
もーし、もーし。って聞いたことある。たしかにそう声かけして入ってくる人がいました。呼び鈴もなかった時代です。ごめんください。が正統派。
有線放送がふとなつかしい。
何番から何番につないでください。って交換手に言ってつないでもらっていた、近くばかり。ときに火事があると、「いま、どこそこが火事です。」と叫んでくれた。あれはとっても便利でした。仕事中よく消防車のサイレンを聞きますが、あれをやってくれないかなあ。といつも思います。

 「もぉ~し」については私も次の話題にしようと思っていた言葉、昔6歳下の甘木のやつに聞いたら知っていた。大学生の時、同じ久留米出身のやつが京都の店先で、冗談でこれを使おうとして笑ったこともあるけど、まあ、私らの世代で使うのはまれだったかな?
 「…ろ」は、確かに女の人は使わんかったろうけど、金丸校出身の男子に、確実に数名はいた。「なば」は久留米でも知らない人が多く、うちの家族で通じたのは、祖父(母方)が日田出身、父が広川町出身だからだろうか、両親とも「なば」と言います。ただ、椎茸に限って言ってるのかは不明、ナメコやエリンギのようなのは「なば」と言よらんごたる。
 ところで私にとって究極の八女言葉は「ぎゅった」、父は「ゴムぎゅった」と言うけど、これは八女の中でも特に広川町出身だからだろうか、誰か教えて下さい。

ぎゅったの飛びぐっちょで勝ったおひゅぎんばもえもんにしたげなたい。
そんとき尻んべんぷたば打った。ぢごは出んじゃったばってん、ちの痕のつになった。ズボンも出世した。

そげんち。そりけんで木からさでくりひっちぇらしたつげな。ほんなこてウンのわるかひとはうんのわるかけんねえ。

恙なきことは才能ビール酌む 保坂リエ

けさ、これを含む七十名近くの句を引用して、超結社一句抄ってのを一時間かけて作成、アップしようとして・・とんだ。なみだがちょちょぎれた。
恙有ることも才能お茶すする  かささぎ

労多くしてなんとかってやつですな。ご苦労さんでした。

乙さんのコメント、皆わかるやろうもん?べんぷたの使いかたが三潴とはちょっと違う。べんぷた=ほっぺたです。
小学校に上がってしばらくたったとき、杉本さんが消しゴムが落ちた時に「ひっちゃえた。」といった。このとき私は日本語にもいろいろあることを確実に認識した。杉本さんちは広又あたりで農家でした。

こんばんわ
出ましたね~、「つ」、が☆
娘が他県の方と会話して「つ って何?」って聞かれたらしく我が家に持って帰ってきて「つ」談議に花が咲きました。
家族全員それは共通語かと思ってて「じゃあ何?」ってことになって、「かさぶた」で納得したんだけど、そりゃもうカルチャーショックでしたcoldsweats01sweat01

乙さんの、じぇんぶわかります。
鳥栖となーんもかわらん。

鳥栖高校の英語の先生が反対文のことを「この文章ばひっちゃこしにするとどうなりますか?」と言よんなさった。

うちの主人は東京生まれなのに、電話に出る時「もし、もーし」と言います。架けるときならわかるけど、かかってきた電話によ。
ふつう、「はい、○○ですが」というでしょもん。
おかしかけん、やめんねってどぎゃん言うてんやめん。

方言ではないけど、小皿のことを「おてしょ(お手塩)」。京言葉らしい。
「げな」(伝聞)も、古語辞典でおなじみ。

八女の諺
げなげな話はすらごつげな

「ぎゅった」は、久留米に居った時から使いよったと思うけど。ようわからん。
高校の同級生はF市役所勤務。ぎゅったとともに「かっぽす」を周りの人に問うてみたげな。わからんやったち。あ、この話は真実です。

ぼん、べんぷ、べんぷた。はほっぺのほうがあとづけだろとおもう。しりべんぷ、またはべんぷた。は、英語のヒップとおなじ使い方だね、ふたつでひとつ。複数形。びんた、も転のにほひがするね。
ぎゅった。かっぽす、ってなんだ?きいたことある。からっぽ?
ちょうちょまんげのぼうめいた。これを教わったそうです、長男は代表的なやめ弁として、中学のときか高校のときに。
おつしろう。これ。せいこさん。これ。よんでね

あじゃ、しもた!(笑)昨夜は野暮用で遅くなり、今朝は偏頭痛で、寝てたので、すっかり置いてきぼりを喰らった気分。

エメさん、「も~し」は「もの申す」「申す申す」が転じたものと郷土研究家S氏から利いた記憶があります。ばあちゃんたちが「も~し、も~し。どなたかおらっしゃるの?」といいながら、玄関ではなく、土間口までおいでていたことを思い出しました。
でもね、「も~し」ならまだいいほう。隣りの明治32年生まれだったひいばあちゃん(既に故人)は、「おんの~」と言ってわが家を訪ねてみえてました。ちなみに、このひいばあに守りされてた3歳児のひいまごも、「おんの~」と言いながらわが家へ。これには、まいった。

ろいりーさん。「なば」は広川人には「しいたけ」のことでしたばい。それから、ゴムぎゅった。父もたしかに「ゴムぎゅった」って言ってましたね。広川の生涯学習の自主サークルに「ぎゅった体操」と言うのがあります。
「ぎゅった」がわかる世代の元気なばあちゃんたちの健康体操サークル。現在なお、健在のグループ。広川らしか~。

乙さんのことば、もちろんわたしもぜ~んぶわかるばい。ねいちぶ八女リカンじゃけん。「ぐっちょ」「もえもん」もなつかしいけど、涙の出るほど、わらったのは「ぢご」。「魚んぢご」言いよったねえ、たしかに。

強固はん、「かっぽす」って、鉛筆の先につけるのじゃなかった?あれを「カッポス」って呼んでたよね。意味はなんじゃろ?ご依頼の「つ」の記事のトラックバック、やりかたがわからん。したことがなかけん、ここにあげた。よしなに。「つーちつーたい」

エメさんところと同じで、わが家の子ども達も全員標準語だと思っていたらしい。

http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-3833.html

おつさんの書き込みは、おかしゅうして、ぢごんでるごつ笑ろた。

おなかが痛くなるほど笑ったは、こんなふうに言わなかった?

ぢごんづるごつわろた。
そうでしたそうでした。出るはでるじゃなく、古文みたいに「づる」といいました。どうも方言はなしよるつもりがどっかでねじをしめわすれとる。
「うんがわるか」も「ふのわるか」ちいいよった。このふはどのふやろ。きょうふの味噌汁のふ。かもね。

夜は短冊を作る。連句にはたくさんの短冊がいる。書道用の本格的な短冊ではなく七夕のとき笹にゆわえるみたいなの。事務所から不要なカレンダーのえんぴつ書きオッケイのをもらってきた、それを三センチ×二十センチくらいに切りそろえる。内職みたいな手仕事。こういう手作りのかんじ、いいですね。

こんにちは
タイムリーな事に、今日は出かけた先で「ぎゅった!」を聞きました。
60代20代の女性と3人で会話をしてましたら、婦人がスカートのウエストをひっぱって「ぎゅったヨ、楽~♪」って。
もちろん反応したのは私だけで^^
じご>>子供のころよく、祖父が網で仕掛けてきたハヤのじごを取らされてまして、
新聞紙の上で指でぷちぷち出しました。 カミソリで腹を軽く引いたあと指で出したような気もします。
おいしいものが食べられる喜びのほうが大きくて苦にもなりませんでした。

じごのはなし、ありがとう。

お昼休み、鹿児島育ちの人にこどものころ自分をなんと呼んでいたか尋ねて見ました。すると、おとこもおんなも「おい」っていってたって。あれ。ろいりさんが書いていた。神津島では男も女も自分をオイと呼ぶ。一緒ではありませんか。島のつくとこはおなじなんだね。

北海道の杉浦兼坊さんにもきいてみました。
こどものころ、先生用には僕、友達用にはおれ、家ではぼわん。といっていたそうです。ぼわん。何語。

じご。
さかなつりの趣味はなかったけど、カエルをつかまえて、じべたにたたきつけてしんでもらい、糸をまいて、ざりがにの餌にした思い出はあります。

I, my, me, mineを一切使わずに英語圏で半世紀を生き抜くことなんてできそうにないが、日本語圏だとそれができる。句や歌も、一人称代名詞がないほうが世界が広がる。
哲学としての「我思う故に我あり」思想には馴染めなかった。自我って、そんなに強固なものではない。「自分」は輪郭で明確に内と外とに区分できるものではなく、他人の心の中にも自分が入り込み、自分の心の中に他人が入ってくる、という感覚のほうが日常的。だからこそ文を書いて他人の心を動かそうとしたり、文を読んで他人の心が入ってきたりする。
君の元気は僕の元気さファイト!
   ↓

乙先生

本日はお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。歌仙巻き上がって良かったです。

はらみ句(前もって作っていく句)をどんなに数多く作っていても、自分が出す句は前に出る句によって変わってくるから、意味がないと言う事がわかった。でも、ゼロだとそれはそれで心もとない。
また恋句を出す事ができなかった。次への課題です。
それにしても今日はいい天気だった。矢部川もきらきらして、菜の花は満開で。風は冷たかったけど。
きょうこはん、お疲れ様でした。

いまごろこのコメントに気付きました。
連句が巻き上がって編集してるとき、座でまったく気付いていなかった障りに気がつくことがある。
座はいきものだから、押しとどめようない力が働いている。その力を御すのは「しき」式目でありさばきのちからなんだけど、そのさばきでさえ後でしか見えないものがある。
当日出たたくさんの短冊をもう一度とりだして見直しているとき、それが突如みえる。やれやれ。

朧月 宇徳敬子を 聴きながら

満月に向かって帰宅。BGMは宇徳敬子。ポンコツ車のカセットに古いテープをセットして、伸び切るほど聴いている。目立つアーティストではないが、この人がカバーすると、イルカだって中島みゆきだってキャロルだって、まったく違う味わいになる。彼女なりに歌を解釈し、その解釈をあらためて歌に再現しているのだと思う。
この天才音楽家の活動スタイルが好きである。いい歌をたくさん作るが、自身のソロアルバムは滅多に出さず、他人へ惜しげもなく提供。時にバックコーラスの一員という立ち位置を楽しむ。BBクイーンズ(踊るポンポコリン)のバックとか。紅白歌合戦に2回も出場しているが、Mi-keのひとりとして。

フォークルのカバー
   ↓

きれいでしたね、満月。
月の句を出しなさいと、姫からのお達し。後、留め書きも。しばらく作家もどきになります。

たった今東京の月を見上げてみました。
ほんと、きらきら輝いて綺麗ですね。

おー、さむ!

こんばんは。
母が一気に老いてしまった。そんなかんじの今日この頃です。寒い。月はきれいですが。ストーブと暖房ふたつつけている。八畳の隙間風はとても寒い。
アイチューンのライブラリに入れている「夢で逢えたら」を聞きつつ。ドラゴンアッシュですが。夕凪ユニオン、動画がいつのまにか消えていた。気に入っていたのにむごい。どこかの大学みたいだったけど、ついに確認できないままだったなあ。ダンスシーンが中世の泰西名画の背景みたいなおもむきがあった。もう一度みたいなあ。ドラゴンアッシュ。末っ子がいなければ、出会うこともなかっただろう。

 宇徳敬子と聞いて、最初は全然知らんと思ったが、Mi-keのメンバーとわかり、早速今は亡き、同い年でジャックス(40年近く前に解散)・ファンクラブのメンバーでもあった元同僚の遺品、「想い出のG・S・九十九里浜」というビデオのパッケージを見たが、どの子かわからん。フォークルの何をカバーしているのか、よければアルバム名とか教えて下さい、乙四郎さん。
 あとついでと言っちゃなんだが、「君の元気は僕の元気さファイト!」の後の、「命の喜びに~」と「だってこんなにファイン・デイ」?の間の歌詞も教えていただければ幸いです。
 パソコンそんなに得意じゃないので、コメントの最後の↓の意味がわからん。

 あ、顔はわかった、ビデオパッケージに、老眼者には見えにくい一番小さな字で書いてあった。このビデオは1991年発売だから、もう「女の子」ではないか。

きみの元気は僕の元気さ ファイト!
いのちのよろこびに Yes it's goo-d goo-d Mor-nin'
だってこんなに Fine Day~
「↓」は、矢印の先のアンダーラインのある名前をクリックすると関連リンクが見れますよ、という符牒です。

Mi-KeはBBクイーンズのバックコーラスの三人組が独立したものなので、宇徳敬子はMi-KeとBBクイーンズと合わせて3回も紅白に出場されておられることになります。「想い出の九十九里浜」はGSヒットソングのタイトルばかりを繋ぎ合わせて歌詞にしたもの。ずいぶん昔のことなので、もう40歳を超えておられる頃と思います。
業績をWikiでピックアップしてみました。Cecile Minamiとかいう別名を使われたりするので実態が掴みにくい。乙四郎みたいだ。一時はZARDの坂井 泉水(本名:蒲池 幸子)との同一人物説まで流れたりしましたが、生きてせっせとブログを書かれてますので同一人物ではありませぬ。
(作詞または作曲)
NTTドコモ・ポケットベルCM曲
TBS系「COUNT DOWN TV」オープニング曲
伊藤園「お~いお茶」CM曲
「三井生命」CM曲
読売テレビ・日本テレビ系「名探偵コナン」エンディング曲
テレビ朝日系「超次元タイムボンバー」エンディング曲
フジテレビ系「中華一番!」エンディング曲
コーセー「Newサロンスタイル」CM曲
テレビ朝日系「トゥナイト2」エンディング曲
TBSテレビ「クチコミ」エンディング曲
知的障害者スポーツ大会ゆうあいピック(岐阜)テーマ曲
フジテレビ系月曜サスペンスシリーズ「ウーマンドリーム」エンディング曲
『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』ゲームのオープニング曲とエンディング曲
WANDS「Please tell me Jesus」
薬師丸ひろ子「Love holic」
(レコーディング参加)
T-BOLAN 「刹那さを消せやしない」「愛のために愛の中で」
WANDS 「世界中の誰よりきっと ~album version~」「WORST CRIME」
TUBE「good day sunshine(アルバム)」
B'z「LOVE PHANTOM」
松本孝弘「KNOCKIN'“T”AROUND(アルバム)」
北原愛子、愛内里菜 、小松未歩、Fayray 他

想い出の九十九里浜
   ↓

 乙四郎さんありがとう、また1つ賢くなりました。フォークルの曲というより、北山修ー加藤和彦コンビの曲なんですね。ところで、フォークルは解散後も年に1回は「同窓会」をやると言ってたのになぜやらなかったのか、限定付新フォークルになぜはしだのりひこが入らなかったのか、どうやら北山と端田の不仲のせいらしいです。これはジャックス(知っちゃるですか?)ファンクラブ会員から聞いた話と、そこからの推測。
 よし、何とか給付金でMi-Keの、そして宇徳敬子のCD買おうかな。

はしだのりひこは神学部卒業。俗世間の価値観とは違う価値観の中で生きているのかも。北山修はフォークルが解散した後も『花嫁』(作詞・北山修 作曲・端田宣彦)などいい詞を提供しているし、2001年のはしだのりひこのアルバムにも北山修が寄稿しているから、二人の不仲が原因ということはないのでは。そもそも、解散後、不仲になるだけの接近をしている様子がない。

花嫁。いいことばです。(花嫁はたしか正花になるんじゃなかったかな、連句の雑、恋での。)
新鮮だったなあ。
女性ボーカルのどちらかといえば低い堂々とした伸びのある声と、はしだのりひこのビブラートぎみの高い声と。
みけさんはしりませんで、すみません。
ところで。遠い昔のうねさん、いきてらっしゃるようでよかったなあ・・。とおもった。息子さんが母親のことをおかあさん。とよべないきもち、いたいですね。
めぐみさんたちもきっとどこかでいきておられるような気がしてきました。早く無事な姿でもどってきてほしいものです。待ちわびてある父上や母上のもとへ。

うねさんの振る舞いなんと美しいのでしょう。
一昔前の日本女性そのもの、彼女を日本人化する役目であった田口八重子さんとうねさんが、お互いに過酷な運命を背負いながら過ごした日々がどんなものであったかがにじみ出てるような女性に見えました。
田口お兄さんと会ったときまず「私のほうから挨拶しなければならなかったのに、すみません・・・」と言う
のが第一声だった。
まずすみませんと言うのが一番日本人らしいところですが、そっくり彼女はそんな振る舞いでした。
誰も悪くない。
命を懸けて生きてる人は研ぎすまされていてただただ美しい。

特攻隊員もみな美しかった。

 どうでもいいことだけど(と言いながらこだわるこの私)、端田は経済学部で、岡林が神学部中退です。端田は伏見稲荷の近くの化粧品屋の息子で、高校か中学から同志社、岡林は父親が近江八幡の牧師で、神学部ながらボクシング部所属という変わり者。同志社は他にシューベルツのおちゆうじ、夭折した井上博、今はロック評論家の中川五郎と、関西フォークのメッカだった。そして私はそれにあこがれてこの大学に入ったけど、入学後は映画ばっかり見てたというアホだった。
 まあ不仲だったとしてもほんの一時期の話でしょう。「フェアウェル・コンサート」のレコードで、北山が年に1度同窓会のようなことを、と言いながら結局実現しなかったのは、シューベルツの活動が忙しいと、端田が断り、北山は機嫌を悪くしたらしいが自分の勉学の道でも忙しくなったし、加藤はもともとロック志向があって我が道を進んだ。シューベルツの3曲目からは杉田二郎が作曲もヴォーカルもメインになり、確かに「花嫁」は北山・端田コンビ(もう1人、のちに高石友也とナターシャセブンのメンバーになる坂庭省吾も共同作曲)だが、北山・加藤コンビに比べると曲が少なくなった。乙四郎さんが言うように、2人の接近が少なくなった、縁遠くなったというところか。でもやはり限定復活には端田も一枚加わってほしかった。
 前にぼんさんのコメントにあったけど、夫が友部正人のファンクラブとは渋い!ギター片手に高校へ行き、岡林も加川良もよく御存、お友達になりたいわぁ、もちろん乙四郎さんとも、いやいや他の方々とも。と、これまた全方位外交。

ねえねえそれって、「オフ会」をしようってこと?憧れの「オフ会」娘がよく行っていた「オフ会」してみたいわあ。
実現したらどうなるんじゃろ。何語で話せばいいじゃろか。

 「オフ会」って何ですか?何となくわかるけど?何語もなんもあーた、しょせんちっご弁くさ。
 今日からまた引っ越し準備で東京帰るので、数日お休みします。

愛内里菜ってマジ可愛すぎます。。。


うわ。なつかしい。
みなさん、今よりずっとわかい。
ろいりさんは、加川良をごぞんじだったのですね。
そういえば、その人みにいったっけな。えめさんに券をもらって、友達と。去年の菖蒲の花の咲くころ。大宰府文書館コンサート。なつかしいなあ。

時は矢のようにすぎていきます。

今日の新聞に、フォークルの解散コンサートのテープ音源が発見され、7月10日にCD発売とありました。

ふうん。そういうことですか。

今日、眞鍋天魚先生にお手紙を書きました。
檀一雄の評伝を書いておられます先生に、脇起歌仙の発句使用について何か聞きたいと思いました。
先生は連句人ではあるし、以前、高木咲耶さんを通じて、どういうわけだったのか、先生から電話をいただいたことがあり(中国へ行った、とってもいいところだった、とやや興奮の面持ちで話されました。びっくりしました、唐突だったので)、懐かしく思い出されます、一度もお会いしたことなどないのにです。
失礼のないように、墨で書こうとしたのですが、長いこと手紙を人様にかいておらず、便箋がなく和紙もなし。ぱそこん文字を大きく印刷しました。先生はことし90だと思います。
さて、お返事をくださるでしょうか。、なぜ先生はあの時、わたしなどに電話を下さったのだろう。と思ったのです。しかし、こないだ乙四郎紹介のみやまのお寺のブログ記事を読み、眞鍋先生が檀とともに紹介されているのを読み、ああなるほど。八女はふるさと近くだと思って、なつかしかったのだろうか。と思いました。
あとで、思いつくことは、ほかにもあります。
石橋秀野と健吉の物語と、檀一雄と律子の話。似通うものがある。時代がいっしょですし。
また、秀野さんと眞鍋呉夫先生はおなじ文化学院です。なぜもっと早くきづかなかったのだろう。
返事をくださるといいなあ。と思いつつ。

思いがけずここで時間くってしまった。
なぜなら、この「一人称談義」は話がどいんどいんと広がったり混戦したり深まったりと、あまりに面白すぎ。あああ、なつかしさ。たった1年半前の記事なのにねえ。

Me too.

リハビリの時間を費やしてしまった。

はじめまして(*^-^)
検索してたらこの記事にたどり着きました。
「もーし」は「申し」で、電話の「もしもし」と同じですね。この「もしもし」の語源の話、テレビでもよく聞きます。
「もしも~し」と伸ばして言う人がいますね。これがまさに「もし、申し」に感じます。

「すぐる」さん。はじめまして。
コメント、ありがとうございました。

「もーし。もーし。だりか、おりなさらんかのう。」

じっさいに、こども時代、ばあちゃんといっしょにご近所にいって、玄関口でばあちゃんがかけたことば。
いまにしておもえば、なんときれいな日本語でしょう。沖縄人でいらっしゃいますか。それはそれは。

あちこちブログをかじらせていただきました。

こどもの日を単語の節句にするのは片手落ち、男女差別っての、おもしろし。そういや、暇な釣って、いや、ひな祭りって公休ではありませぬ。いま、はっとしましたよ。どっちかというと、端午の節句よりひな祭りのほうが派手派手に祝うのに。でも、五月五日、重陽であることのめでたさは捨てがたし。
あと、社会主義、マルクス思想のことや、オランダ語のvとfの発音のこととか、よませてもらいました。
お若い人なのですね。
沖縄。おきなわ。だれがつけたか、おきなわと。
鳩山総理のポカは責められません。
わたしも一度もなぜ沖縄でなければいけないのか、その軍事的政治的意味あいということについて、これまで深くかんがえたこと、ありませんでした。

この記事の本題、一人称の話といきましょう。
大人の男性があまりにも「僕」を多用してるのが怖いです。子供の男子が僕と言うのはいいです。「僕」とはしもべ(上の人に仕える人)のことで、公務員のことを「公僕」という。これは男は仕事で女は家庭、男は自分を犠牲にして相手に頭を下げないといけないことが多々ある(会社の上司に逆らわない)、それに対して女(特に主婦)はこういうのを気にせず自由だ、というのを象徴しているような感じがします。日本はほかの先進国より女性の社会進出が低く、その一方で家に帰っても奥さんに頭が上がらないだんなさんが多く見られ、こういう現状に不安を覚えます。

あと、常用漢字に「俺」が追加され、「私」に「わたし」という読みが追加される予定です。いいことだと思います。現行の常用漢字表だと、これを忠実に守るなら、「わたし」は「わたし」とかな書きにしなければならず、漢字で「私」と書いてある場合は常に「わたくし」と読むべき・・・・・これでは現実にそぐわないですからね。

すぐるさん。こんばんは。
そうなんですか。
常用漢字とか当用漢字とかころころかわるものは、あまりあてにしない生活をしてきました。勝手に気に入った字を使います。それが変則的である場合は、ときにルビをふりますが、るびはあんまりかっこのいいものではないので、滅多にふらないようにしています。
お上は管理しやすいようにそういうことまで規定するのでしょうが、教育の場ではそうであっても、文学は自由にありますから、まったく関係ないと思っています。
戦前の人たちが書かれた文章を読んでいますと、仮名遣いは旧かな、漢字は正字、いまとまったく違います。森鴎外が書いた仮名遣意見という文がネットでも読めると思うので、一度は読んでおきたいです。正論だと思います。(歴史的仮名遣いとして旧仮名表記は残すべし。っていうのです。時代によってかわるものとかわらないものがあり、かわらないものを厳然と守っていくべし、といっているのですが。いまの時代に鴎外が生きていたら、なんと言うでしょう。あんがい、きゅうかななんて、めちゃくちゃじっさいのしゃべりことばとちごとんやん。こんなのあかんわ。っていうかもしれない。あるいは、だからこそ、古代からずうっと生き延びてきた旧仮名を大事にすべし。っていうかもしれません。
人は時代から自由にはなれないものですね。)

ぼく。おとなのおとこ、とくにテレビでみる人たち、タレントが、ぼくぼくってそういえばいいますね。

ところで、。ひとつ、きいてもよろしいですか。
なにをそんなにおそれておられるのです?さしさわりなければ、おしえてください。

僕はこの年でもよく「僕」といいます。、「私的」には(個人的にはこの表現好きじゃないがあえて使います)、「私」というと改まった感じがするので。確かに語源はそうだろうけど、「貴様」「御前」が無礼な言葉になったりしてる例もあるし、しょせん言葉は生きもの、ライク・ア・ローリングストーン(転がる石の如し)、と言って何でもありとも思いませんが。幕末の志士たちも映画とかでよく「僕」「君」なんて言ってるけど、ありゃ何でじゃろ?方言だらけの中で一種の共通語化したのだろうか。
フォークルの解散コンサートのテープ音源か、昔聴いた最初のレコードで、あ、ここでイムジン河が飛ばされてると思った箇所があった~うんにゃ、それは「はれんちリサイタル」だったかな?40年前の記憶だからな~とにかくCD買いそびれないようにしなきゃ。おっと、本題からはずれたのでこのへんで。

ふうん。ろいりさんは、そこまですきなんですね。

最近では、世界の終わりのユーチューブ、幻の命、一箇所音がとんでいるところがあって、それ、実際はどうなんだろ。って、たしかめた、アルバムでは飛んでいませんでした。
はれんち。ってことば、なつかしい。
今日、勤務先の先生が、ちっちとサリーって身長差カップルをたとえて言われたのも、懐かしかった。
リアルタイムでご存知かたずねてしまった。そこまで年寄りではない。といわれた。笑

「僕」がしもべを意味するとしたら、女性は僕を使わないから、女性はしもべじゃないのに男性はしもべなのかと言いたくなります。あまり好きな言葉ではありません。

>呂伊利さん、幕末の志士たちも映画とかでよく「僕」「君」なんて言ってる

二人称の「きみ」に関しては、とくに文句はないですが、「○○君(くん)」に関してはどうも納得いかない点があります。「くん」は同年代か目下の相手に限って使われるのに対し、「さん」は年長者など広く使えます。それが男子に「くん」、女子に「さん」を付けて呼ぶというやり方では不公平感があり、はっきり言って不満です。これは女性はそんなに上下関係を意識しなくていいのに、男性は上下関係が激しい世界で生きていかないといけないことを表しているようです。あと、さんづけで呼ばれるようになることで「大人になったなぁ」という実感につながることもあるはずです。女子の場合小1からさんづけで呼ばれていると、そういう実感も薄いので、女子がかわいそうです。男女とも「さん」にするか、女子を「ちゃん」にかえるかすべきだとおもいます。

私にとって悩みの種である「僕」「君」という言葉を広めたのは松下村塾の弟子たちだといわれています。だから私は吉田松陰が大っきらいです。

すぐるさん。お久しぶりです。お元気でしたか。
最近偶然じぶんのなかの性差別を知りました。
女はこう。男はこうあってほしい。と思っている。
年をとって世の中にでて初めて知ったのですが、人に使われることは中々つらいものがあります。逆らえません。言い返せない。どんなときも一方的に黙っているしかない。それはストレスであります。ですから、すぐるさんのその論はわかります。でもわからない点もあります。沖縄は地理的にあやうい処にあり、基地がなければどうなるか。と気になります。

沖縄問題解決策、それは再独立、あるいは今の香港のような特別自治区にする…夢物語でしょうか?それでは沖縄の経済が成り立たんとか何とかは、ヤマト人が口出しせず、沖縄・琉球人に判断させればいいこと。
①日米安保条約に基づく基地は、沖縄に置く条約的根拠がなくなるので、形の上で日本本土が引き受けるしかない
②現在ある基地をどうするかについては、米国と琉球政府で交渉し、平和条約なり安保条約なりを締結する、あくまでも琉球人の意志で。
たしかに「沖縄は地理的にあやうい処」にあるけど、それを歴史上最初に自分たちの国益に結びつけたのは、近世・近代日本です。

話はちゃうけど、私がよく言うように、言葉はしょせん変化するもの、昔の敬語が今は蔑称なんてよくある話なんで、「君」「僕」、「くん」「さん」、私はこだわりません。中学の時女性の担任が、「くん」「さん」の使い分けは一般社会ではおかしいので、男の子も女の子も「さん」と呼ぶべきだと言い、それを実行されてました、またその影響を受けた学級委員の女子も。でも、あたしゃ「さん」づけで呼ばれるのは気色悪かったね。人に不快感を与える呼び方が一教師の判断で推奨されて良いものだろうか?と今なら思う。
多くの男子諸君が「くん」は上下関係の下を意味すると自覚するようになった時に「くん」はなくなるんじゃないですか?ちなみに私は同窓会などで、昔好きだった人から「…くん」と呼ばれると胸が熱くなる。

私は学生に対して「くん」「さん」で呼んでいるが、男子に「…さん」と言ったら絶対変に思われるやろな。ついでにいうと、最近、生徒の呼び捨てや「おまえ」呼ばわりは不適切であるという都教委の指導が入っているが、これは余計なお世話。「くん」「さん」呼びは私のポリシーとしてやってるだけで、部活とか担任とかで気安くなったら呼び捨てにしてる。そういう微妙な人間関係を無視して、呼び方まで一律化しようというのが今の日本の、少なくとも東京の教育です。

へえ。それはおそろしいことです。
このところの、たばこ談義をアップすべきか迷いつつ見送りました、どっちも現職ですから。かささぎでも気を遣いました。

この頁をよみかえして、思い出した。
まなべくれお先生は文化学院でしたが、河童の監督の人も文化学院でした。びっくりしました。あちゃーっておもった。

>ちなみに私は同窓会などで、昔好きだった人から「…くん」と呼ばれると胸が熱くなる。

笑。かじわらくん。そこをどきたまへ。とかですね。

ここで荷物やさんが前田師からの贈り物を、。
あら、マロングラッセ!うわあなんで?
とあけようとしたら。亜の会の皆様へ。でした・・
よかったあけずに。笑

わたしもたいがい高校んときの同級生をくんづけで呼ぶけど、胸を熱くしているやからがいるのかどうか、これはあやしい。笑
でもさ、本当に仲んよか男友達はやっぱ呼び捨てがおおい。
たかやまとか、はるこーとか、しんじとか、もんちゅーとか。すでに、異性という範疇を通り越してる。

こんなコメント↑をいれるつもりじゃなかったとよ。
ろいりーさんにお尋ねしたいことがあったとやった。
トーキョーでは、男の人が、年下からでも「くん」づけで呼ばれるって聞いたけどそれって本当ですか?
このハナシを聞いてから、目下への呼び方とは限らないのかなと以前からに思ってた「君づけ」であります。

せいこさん、それもしかしたら、「議長」ではない。笑。いえ、すぐるさんブログをのぞいてきたら、さようなことをかいてあったから。

いま、横で次男が暗くして「レインマン」を見ています。なつかしいな。でも彼にとっては初見、真剣。

せいちゃんが名前あげたそのうち、モンチュウくんは同じクラスだったよ。なつかしい。いい面構えしてた。
ところで、かささぎはほとんど男子と話したことがなかった。ぼんやセイコの話についていけないのは、その人物をほとんどしらないからです。いかに狭い範囲でくらしていたかって驚きます。
私は短大の友達にもう一度あいたいなあ。あれはあれでとっても楽しかった。同じクラス、50人がもちあがるのです、二年間ずっといっしょだったから。女だけの世界。いろんなともだちがいたなあ。いろんな先生も。

トーキョでなくても、私の通った中高一貫高では、先輩に対しても、卒業生に対してさえも「くん」づけです。

あのね、本名(本姓)出さんでと言うたでしょうが、ほんなこつ。第一「そこをどきたまへ」などというおなごを好きになるはずがなか。

>トーキョーでは、男の人が、年下からでも「くん」づけで呼ばれるって聞いたけどそれって本当ですか?
この質問への回答
あんまり聞かん。たまにおるかなという程度。それより、部活とかの先輩をいちいち何々先輩と言うのが気になった(呼びかける時も、第三者に言う時も)。私らは何々さんだったが。おやおや、乙四郎さんところは「くん」づけですか、そりゃまた珍しか。
ちなみに神津島の連中は、同い年なら男女にかかわらず呼び捨て、ちょっと年上には何々ニイ(兄)、何々ネエ(姉)と呼ぶ~同姓が多いから名前を。私の業界では人によるが、私はだいたい年齢関わらず「さん」づけにしてきた、これもポリシー(方針)。
中学・高校の頃は、男女間で呼び捨てというのは、まずなかった気がする。小学生の時には男子が女子をいささか差別的に呼び捨てにしていた。ごめんなさい。
そういうわけで、住むところで様々、時代によっても様々、そしていつものセリフながら、言葉は常に変化していく。

ジャニーズの面々がせんぱいにたいしても「君」づけなのが話題になりましたね。男社会だから上下関係にはやかましいのかと思ったら、そうではない。たぶん、「人気」は年には関係ないから。
タッキーが東山君と呼ぶのは違和感がある。古いやつだからでしょうか。

思い出した。高校時代にやがって、自分のことを僕と言っていた。男になりたかったのかな。わからん。

大学では私の周りに年上の同級生や先輩に対して君付けで呼んでいた人がいたし、私も後輩に君付けで呼ばれたことがあります。そうすると、その年長の人が女性だった場合さん付けになるので、差別感がなくなるので、後輩に君付けされたときは嬉しかったです。

>生徒の呼び捨てや「おまえ」呼ばわりは不適切であるという都教委の指導が入っているが、これは余計なお世話

授業中は先生も丁寧語でしゃべることが多いので、呼び捨てだと丁寧語とマッチしなくて落ち着かないというのは言えるでしょう。逆に丁寧語を使わない場合は、呼び捨てでも結構と思います。

いずれにしろ、「くん」「さん」という呼び分けは戦後の負の遺産だと思うので、この慣習から脱却するために教委がメスを入れていくことは必要でしょう。

はははっ、「戦後の負の遺産」ですか。あたしゃそう思わんし、教委はそういうものにメス入れるより、もっとましなことをしてほしい。例えばほとんどの人が使わない高価なOA機器を入れないとか…してほしいというより、してほしくないことですね、これは。だがそれはひとまず置いといて。
ぼんさん、実は1970年代初期に、女の子が自分のことを「ぼく」というのが流行ってたらしいんですよ。大学時代にそういう子(今おばはん)がいたし、新聞にそういう風潮が嘆かわしいと書いてあったり、それに対して年配の方が、戦前にも一時それが流行したこともあるから、いちいち目くじらたてることはない、と投書してたのも記憶がある。まあ、そういうものだ~いつの時代も大人は若いもんの使う言葉に、「今のわが国の言葉は乱れておる」と反感を持つものである、かくいう私でさえそうだから。
ところで、ついこの前まで「なるへそ」というのは私の子どもの頃の流行語かと思ってたが(実際そうだった)、実は戦前にも若い人が使っていたことを、向田邦子の「あ・うん」で知った。

すぐるさんの口調が五十代みたいで、ろいりさんやぼんの口調が若者みたいにおもえるなりよ。
それはなぜか、すぐるさんはきちんとした話し言葉で書いておられるからであり、いわば正座だから。
一方ろいりさんやぼんはブロークンであぐらだから。
と、ちがいますかね。笑。
すぐるさんの話で興味をそそられるのは、差別感がなくなる。と書かれていることです。差別ですか。そうなのかな。と思って。
ろいりさんの、そんなことより・・・っての、論の進め方は、よくわかる。お上はいらないものをたっぷりくれる、お前ら、予算の配分量で愛情が測れるだろうが、といわんばかりに。思うに、パソコン業者と通じていて、どっさりリベートもらってたんじゃないかな。個人へではなく、党へ。ほら、こうていえきのとき、すぐさま、他にも殺さない方法もあったのにもかかわらず、速攻で、ワクチンで皆殺し作戦を展開したのも、ワクチン製造業者とつるんでいたようだし。まこて、どこが清潔か、鳩山さんのほうがずうっと清潔だった。やっていることは趣味の範囲を出なかったかもしれないが、自分のお金をたくさん党のために拠出した。それにくらべて、カンさん民主は。
とにかく、政治はお金がかかるんだろう。選挙が命だから。だから悪にも目をつぶる。そういう体制になっているんだろう。
あれ、なんのはなしでしたっけ。
すみませんでした。向田邦子、好きです。

向田邦子さん、好きだけど嫌いでもあります。
ドラマを見ていると時代背景も人々の心理描写もよくできていると思うのですが、重くて。TVだからでしょうか。本では違うのかな。

いえ、本も重い。表現はあっさりとして簡潔で俳文みたいなのですが、内容は重くてどろどろしてい、神経にこたえる。
すきだとかいたけど、正直なところは、きつい。
ぼんの書いたコメントで、それ、きづいた。

向田さんbook本もテレビも大好きです。
「あ・うん」のTV放送分ビデオ持ってます(TBS)
どなたか見られますか? わが家はもう見れません・・★・・DVDに焼きなおすと法にふれる?

エメさん、テレビのあ・うんは、杉浦直樹、愛川欽也でしたっけ?
重いねえ、確かに心の葛藤の微妙なところがおもしろいけどね。
誰にでもある心理状態でわかりやすいとおもうけど。


このコメント欄、記事タイトルとはじめのエメさんコメントと、次のseikoさんコメントが全く辻褄あわなくて、ばくしょうです。
よくこれだけ好き勝手なこと書けたもんですね、みんな。
腱鞘炎起こすごつスクロールせにゃんじゃんね。

さくらさん、みなさん、こんばんわ。
あ・うん>>NHKのは仙吉・フランキー氏、門倉・杉浦直樹氏=これは見ました。
持ってるビデオはTBS分です=仙吉(?)門倉のおじさん>>小林薫、仙吉の奥さん=田中裕子です。
この時山師のおじいさん役は森繁さん。枯れていく老人役はほんとに秀逸でした☆さすがにうまいですね~。
そういえば映画版も見ました(門倉=高倉健)

この欄をあらためて見てみるとたしかにみなさん自由におしゃべりしてますね。
おしゃべりって確かにあらぬ方向へいってとりとめの無い話がえんえんと続くものです。
しゃべり場って、ネットも喫茶店もたいして違いはありませんね^^cafe

さくらさんえめさん、こんばんは。
話があらぬ方向へいくのも楽しいです。
あ・うん、阿修羅のごとく。父への詫び状。
大根の月。ドラマ阿修羅のごとくをちびっとみた。
音楽が印象にのこっている。女ばかりのドラマ。

「生等もとより生還を期せず」この本題に戻ります。今日の朝日新聞朝刊に、この答辞を読んだ学徒代表、江橋慎四郎さんの記事が載ってました。以下その抜粋。

「答辞は我が身にとっては名誉なこと。だが、戦没者のことを思えば何も言えない」…取材依頼にも「貝になりたい」と語るなど学徒代表の体験についてはずっと口を閉ざしてきた。…「あの時は国があれほど傾いているとは思っていなかった。情報が操作されていた」と漏らす。「同じ過ちは絶対に繰り返してほしくない」…いまも毎年2回沖縄を訪ねる。日本が中国やアジア、沖縄の人に迷惑をかけたことを忘れてはならないと思っている。

さて、みなさんはどう思いますか?

うわっとっとっと。
砂川恵理歌さんの『一粒の種』を聞いて、なみだがでるほど感動したわたしは、ユーチューブでさがしだしました。歌の背景もわかりました。余計に感動して、。まず、がん患者さんの肉声があって、それに心動かされた看護師さんがそれを種にして歌詞をかき、さらにそれを沖縄出身のプロのシンガーソングライター下地勇さんが曲をつけた、そしてそれを心に声が届く歌い手である砂川恵理歌さんが歌う。
おとといの夜でした、ある番組中、この曲が流れました。すっかりこころとらわれてしまいました。番組中でも、ikkoさんが感動して泣いていました。
で、この↓の動画で下地勇の名にであって、はっとしたかささぎ。

じゃ~ん!去年だっけ、おととしだっけ、太宰府文書館コンサートに、えめさんからのおこぼれ券三枚をもらって、ともだち誘っていきました。それにでられた方ではなかったですか!もっとも若くて、かっこいい人だった。つまりほかのふたりはビジュアル系ではなかったけどね。
それをさがしていたら、この長々とつながっているコメント集にぶつかり、よんでいたら、なつかしくて、つい、よみふけってしまいました。
ごめんなさい。
まだ、太宰府文書館コンサートの記事、発掘できず。笑。

ここ。何かの検索で開かれていて。
やはり、おかしいので何度も笑いました。

ここ、なつかしいやらおかしいやら。

ほんとにjapanesetea

おはよう。

みんな読んだのですね。私も読み返しました。月日のたつのが早いですね。

そして、
呂伊利さんに先生をつけるようになってきたのは、このあたりからだったような気がします。
さすが歴史の先生だとおもいます。
知らなかった。だけど、知って、何かが救われる気がして、ホッとした。
雨の日の学徒出陣壮行会で学生代表のあいさつ、せいらもとより生還をきせず、を述べられた人のその後をきちんと教えてくださってありがとう。

いや、もう「先生」はええですわ。先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし、だったかな?

ところで今年の年賀状に書いた偽漢文
「老師不死、也不消失」
もちろん、マッカーサーの「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」をもじったものです。

ちなみに「老師」の本当の中国語の意味は、「老いた師」ではなく、老若男女問わず「先生」のこと。中国語の「先生」は、日本語にすると「…さん」という意味です。
「不死」「不消失」も、正しい中国語なら「没死」「没消去」=まだ死なない、まだ消え去らないというべきところなんですけどね。
年賀状ではわかりやすいように日本語風にしたわけです。

ろいり先生コメントありがとございます。
かぜが抜けきらず、薬飲んだら眠ってしまいました。あすはやっと休み、法事もあるし、多忙は続きます。乗り切らねば。


[文部省が制作した映画として、東條英機ら陸海軍関係者・教育関係者が出席した抜刀隊による演奏と学徒の行進があった学徒出陣の映像が撮影された。1943年(昭和18年)10月21日に開催された神宮外苑での学徒出陣壮行会では、答辞を読んだ。 
答辞は以下である。
「明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競ひ、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり。本日、この思ひ出多き地に於て、近く入隊の栄を担ひ、戦線に赴くべき生等の為、斯くも厳粛盛大なる壮行会を開催せられ、内閣総理大臣閣下、文部大臣閣下よりは、懇切なる御訓示を忝くし、在学学徒代表より熱誠溢るる壮行の辞を恵与せられたるは、誠に無上の光栄にして、生等の面目、これに過ぐる事なく、衷心感激措く能はざるところなり。思ふに大東亜戦争宣せられてより、是に二星霜、大御稜威の下、皇軍将士の善謀勇戦は、よく宿敵米英の勢力を東亜の天地より撃壤払拭し、その東亜侵略の拠点は悉く、我が手中に帰し、大東亜共栄圏の建設はこの確固として磐石の如き基礎の上に着々として進捗せり。然れども、暴虐飽くなき敵米英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は日を追って、熾烈の度を加へ、事態益々重大なるものあり。時なる哉、学徒出陣の勅令公布せらる。予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外にのみ迸しめ得たりし生等は、是に優渥なる聖旨を奉体して、勇躍軍務に従ふを得るに至れるなり。豈に感奮興起せざらんや。生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を帰せず。在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。斯くの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。生等謹んで宣戦の大詔を奉戴し、益々必勝の信念に透徹し、愈々不撓不屈の闘魂を磨礪し、強靭なる体躯を堅持して、決戦場裡に挺身し、誓って皇恩の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす。1943年(昭和18年)10月21日。
その一節の「生等、もとより生還を期せず」は有名な答辞である。出陣後、航空整備兵として内地で陸軍(大日本帝国陸軍)に所属する。]

以上、「江橋慎四郎」ウィキペディアより。


このお方は、竹橋乙四郎の父上とおなじく体育系の先生で、日本初の体育大学の学長もなさった人ですね。
はやぶさが帰ってきたことを報じる日の新聞に記事がのったんだそうで、ろいりさんが書かれていた記事って、これみたいですよ。↓

開かれてたので、開いて読み始めた、
つかまって最後まできた、
時間を忘れてしまった。

ことし、加川良さんが亡くなられた。
エメさんからチケットを譲られなければ、太宰府のコンサートに行くこともなく、全く知らないままだった。

エメさん、ろいりさん、さくらさんに乙四郎さん。
せいちゃん、ぼん、そして沖縄のすぐるさん。

十年近い歳月が流れましたが、みなさん恙無く、お元気でしょうか。


今はたと気づきましたが、せいら、もとよりせいかんをきせず、
の江橋慎四郎氏と竹橋乙四郎氏とは漢字が二つしか違わない。
、、だからなんなの、と聞かれたら困るけど。

真夜中の雨も緑雨と呼ぶのだか

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