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2009年3月24日 (火)

幸せって。片桐ユズルの幸福論、ってかこうづさん。

竹橋乙四郎が新明解の幸福論を出してくれたとき、ちょうど同じ頃に久留米人・神津呂伊利さん(神津兵六)が別件でコメントしござったなかに、(どこさんか行ってしもたコメントのなかに)詩人で翻訳者の片桐ユズルってひとが出てきました。ボブディランの歌詞の翻訳などで知られる人って。

興味があり検索しました。すると舶来の思想を翻訳しござってた。
「幸福論」片桐ユズル訳・バートランド・ラッセル著。
こっです。↓

http://russell.cool.ne.jp/28T-KATA.HTM

で、どこさんかいってしもたコメントば、みつけてきた。
ここんとこ、おせこせしよって、気がぼおーっとしよると。
あ。野球、今日けっしょうですね。
事務所では昨日、部長がケータイ開きっぱなしでみござったので、こちらも聞いておりました。棚からぼたもち。横からwbc。
仕事、もうシーズン終盤。今こんな仕事が多い。建設会社から、伝票を送って。と依頼。から伝票ならこっちは楽なのですが、こういう風に書いてくれ。という依頼がある。それ、困る。共犯依頼なのですよね。冗談じゃない。と思いつつ、逆らえない。ご協力します。だってあちらさんの懐具合と毎日の労働の大変さを肌で知ってる。むげにはできませんとも。なんだかなあ。こういう世の中、矛盾だらけだよね。おとなになりましょうね。

ついでのことに、みつけてきました。
はりつけておきまひょ。それにしても、このこうづ・ろいりって人、何者。
ちっごの方言で、こうづとはふくろうをさします。
ぴったりです。
時々その静謐な文章にひかれて覗いている希望さんのサイトで、こうづをみたっけ。あれはふくろうではなく、みみずく。だったような。まあ、似たようなもんだわね。素人には。

「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」~詩は苦手な私だが、寺山修司と片桐ユズルだけは詩集を読んだ(後者はフォークソングがらみで)。私はこのような思いを感じたことはなく、京都でも東京でも、筑後地区の友達としゃべるときはほとんど久留米弁、今でも年1回やっている高校の関東地区同窓会では、ほとんどの連中がそうです。あ、昔よく寺山修司の物真似やってました。
 大学時代「仁義なき戦い」の影響で、広島弁を喋るのが流行り、おかげで筑後弁(ほぼ久留米弁)・関西弁(京都・大阪・神戸も多少使い分け)・広島弁のバイリンガル、それなのに、英語・中国語・コリア語とそれなりに勉強してもなかなか身につかない。やはり10時間の勉強より1時間の実体験、英会話は中高大と8年やった後よりも、実際海外旅行に行くようになってからのほうがうまくなったし、後の2つも、勉強しただけでなく、今も数年に1回行ってることで何とかそれなりに現状維持している。習うより慣れろ、昔の格言どおりです。

片桐はいりさんとは違うのか。片桐ユズルさんを知りませんですみません。てか、ろいりさんのいわっしゃる人達、たとえば、岡林信康などのメジャーな歌手にしてからが、あまり得意なほうではありません。ほとんど吉田拓郎くらいしか知らない。したがって、あまり詳しくはわからないまま、ついていきますんで、よろしくおねがいいたします。

 片桐ユズル、詩に詳しい人にもあまり知られず、むしろボブ・ディランの歌詞の翻訳とかのほうが知られているかも。ちなみに片桐夕子は日活ロマンポルノで活躍?今もたまに映画・TVに出てます。
 岡林よりずっとメジャーな吉田拓郎、思うにこの2人の活躍する交代期(1970年代初期)が、一つの時代の変わり目のような気がする。「学生運動」が衰退し、三島由紀夫が自死し、米国の威信がガタ落ちし、「いったい日本はどこへ行くんだ」「モーレツからビューティフルへ」というCMがあった時代、久留米では一番街ができ、アマチュア・フォーク団体が生まれては消えていった時代。フォークも売れたもん勝ちとなり、チューリップも海援隊もプロになって売れ線を狙った時代。
 それでも木村屋の味パンはメロンパンなどという小じゃれた名前に変わっていないのでしょうか、うどん屋のメニューに関西や東京にはない「具うどん」は残っているのでしょうか。高校1年の時、大阪から引っ越してきて1年もたってないやつが、学食でこれを「貝うどん」と間違ったのがおかしかったけど、久留米でも今は具うどんというのを見かけない気がする。麺食いの人、教えて下さい。
 

 1970年の久留米の出来事をもう1つ、ロイリーがなくなった年だった。

詳しい解説ありがとうございました。
具うどんはありません。全滅壊滅。
具うどんと素うどんが天下分け目の決戦をしていたのに、いつのまにか両方ともが消えていた。
ぐがおおきい。って言っていたレトルトカレーのシーエムをみたとき、ああそういえばぐうどんはどこへいってしまったの。っておもったくらいですから、もう相当長い不在です。
いまあるのは、ごぼう天うどんと二句うどんとわかめうどんといか天うどんとかぼちゃ天うどんと。そんなのはないか。
ごぼう天にしても、むかしのはほんとにその場でごぼうを裏庭からとってきて(まさか)それを千切りまたはささがきにしたのを目の前で揚げてくれ、その揚げたてをジュッとのっけてくれたものでしたが、いまは出来合いの、たいがいが薄い拍子木きりのばんびろごぼうのてんぷら。それはまさに、博多うどんのも久留米うどんのも筑後うどんのも八女うどんのもぜーんぶいっしょ。てぬきじゃろうが!とひそかにおもいつつも、かささぎはやっぱりごぼう天うどん。あと邪道ですが、カレーうどん。

片桐ユズル、名前が記憶のどこかに残っていました。翻訳でしたか。そうだったのか。名づけ方が、どこか「私のように黒い夜」の平井イサクに似てる気がする。

ごぼ天うどんファンから一言。

八女市役所前のつるやうどんは、注文した後でてんぷらを揚げてくれます。カウンターに座ったので、ほんとに目の前であげてました。
息子は鯛生金山にある、地元野菜を使ったうどん屋で食べたごぼ天うどんが、今までの中で一番おいしかったと言っております。ここも揚げたてでした。

つるやだったんだ。今もあるのね。
こんど行ってごぼ天うどんたべてみる。
目の前で揚げてくれたのは、むかーしむかしの記憶だったので、いまもあるとは知らなかった。
それと、そのたいおきんざんのうどんやさんにもいってみたいものです。いってみたくなるようにかいてあるから。

エメさんが書いていた、げっそうえん。月窓園。レストランだったみたいですが、どこらへんにあったか覚えてますか。私はさっぱり記憶にありません。
高校時代いつも福島に寄り道して帰っていたけど、それは岩田屋のフードセンター界隈だったように覚えています。
松延寛之の連載小説の欄外に広告があって、月窓園の名が載っているので、どこかにあったのでしょね。

鯛生金山へ行く途中、日向神社にお参りしてください。

へへい。ほんじゃ、そうします。
ちかくなんだね。星野とたいお。

月窓園はお菓子の菊屋の近くじゃなかったね?レストランは2つあって、2階建てのところと、信号の横と。どっちだったかよく覚えてない。

こんばんわ
月窓園>>たしか、清水町商店街の南側列の真ん中あたりだったと思いますが、、。
銀行に就職した友人とお昼に入ってオムライスを食べたのが最後です。
バス停四つ角にあったほうの岩田屋の2階でホットケーキを食べてました(高校生のころ)
つるやうどんは土橋の東側列にもあってよく入ってました。
そこは一間口くらいの幅で奥に長いうなぎの寝床タイプの店舗で長いカウンターにお客さんがびっしりでした。
7歳のころ、土橋にある細い路地にある喫茶店でデートする叔母のおまけに連れて行かれた私はコーヒーの香りの室内でココアを飲んだ思い出がありますcoldsweats01
清水町商店街で覚えていて今はないのは履物屋(青木)、帽子屋、桐明書店、薬屋(貴命堂?)とかでしょうかね~(*^_^*)

エメさん。清水町がどこらへんをさすのかさえ、よく知らないというなさけないやめりかんです。
よく覚えてあることに敬意を表します。
ぼんも、わたしよりずっと記憶力がいいんだなあ。
ショック。

九州帰ったら必ず食べるのが「ごぼうてんうどん」です。
昨秋帰った時、なんと実家のそばにおいしいうどんやさんができていて、すかさずごぼうてんうどん食べました。
何しろ田んぼしかない陸の孤島のような実家周辺に、田んぼが全部つぶされて広大な流通センターができて、それでうどんやさんができたというわけ。
ごぼうてんうどんはくるめか博多に行かないと食べられなかったのに。
人が作って人が食べるごく当たりまえの貴重な「おいしいたべもの」です。
東京じゃ、最近こそ少ないけど(おいしくないと売れない)、試食したんかい?と思うような食べ物多かった。

WBCジャパン勝って、超うれしいさくらでした。

 鯛生金山、20年ぐらい前(結婚前)ヨメに車で連れて行ってもらったことあるけど、今調べたら大分県日田市になるんですね。子どもの頃父に八女(たぶん広川)の鉱山発掘跡のようなところに連れて行かれ、「ここは昔だいかが金ば掘りだして一山当ちゅうち思たばってん、金は出らんで大損したとこぞ」と言われたのを思い出しました。いったいどの辺やったのやら。 
 ゴボウ天、私も好きです。前に紹介した、櫛原町1丁目の交差点にある「桃屋うどん」は、いつでも揚げたての天ぷら出してくれまっせ。でも具うどんはやはりない。具うどんって、昔はうどん専門店ではなく、普通の食堂にあったような気がする。それから久留米の素うどんはトロロ昆布が入っていたけど、今は入ってないようですね。それに、昔の食堂でただ「天ぷらうどん」と言えば丸天うどんのことだったけど、こっちではあれを薩摩揚げと言います。やはり文化が違えば言葉も違う?

こんばんわ
鯛生金山や杖たて温泉に行くのに矢部から中津江村に抜けて行きますが、昔から七曲り(車酔いの名所)と言われていた県境に竹原トンネルができてからは早くて便利になりましたね。
この矢部地区の知人の庭近くに大分県にむけて金鉱を掘ったという大きな縦の深い穴がありました(中学時代)
やはり金を掘っていたようです。
星野村も、昔、矢部か大分のほうに金を掘っていたと聞いたことがあります(たぶん事実)
金>>広川の山も上陽黒木星野矢部とつながっているのでありえない話かもですね^^夢は多いほうが楽しいですshine
うどん>>子供時代に自宅で一時期 祖母がうどん屋をしていました。
種類は素うどん、具うどん、肉(牛)うどんの3種でした。
素うどんはネギととろろ昆布。 具うどんはネギ、かまぼこ2枚、カク天をななめにスライスしたもの2枚、ちくわのスライス2枚。 肉うどんはネギと甘辛に煮込んだコマ肉。 ・・・だったと思います。
母は岡持ちを持たされて「出前に行かされるのがすごくいやだった」と後年に言ってました(20代だったから?)・・余談ですけど^^

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コメント

 その後、どうしても具うどんの行方が気になって、あちこちサイトを検索したら、ホントにほぼ壊滅状態。九州各県に1店ずつぐらい、それらしきものが残っているような、でも似て非なるものかもしれません。1件だけ、前に紹介した、私も数年前に定食かチャンポンを食いに行ったことがある古賀久近くの「三潴屋」のメニューとして紹介されていたが、ここも去年あたり行ったら店がなくなってたような気がする、も1度探索してみます。あと、九州では「かけうどん」ではなく「素うどん」と言ってたけど、今は「かけうどん」と書いてある店が多いことも発見、関東文化に毒されるな!ラーメンは素ラーメンぞ。 
 片桐ユズルについて、私は「意味論」というのを読んだことあり、これは翻訳ではありません。なかなか興味深い本だったが、図書館か古本屋ぐらいにしかないでしょう。

ろゐりさん。伊藤の伊は旧かなではどっちだろう。いだろうか、ゐだろうか。以前、句集をあみたいなあ。と思ったことが一度あり、題をつけるなら、「ゐ」だとおもってた。
井戸のゐ、率るのゐ。
日本語は奥が深いですね。

えめさん。
「岡もち」。もしや、あの木でできた手提げ。
岡っぴきなら知ってたけど、岡もちは初めてです。一つかしこくなった。ありがとうございます。ふしぎな雰囲気のえめたん。
七曲は鎌倉あたりにそういうのがありませんでしたか。どこにもある地名だろうけど。普遍名詞かな。つづらおりってことか。
あっち経由でそっちへいったことはあまりないかささぎでした。

岡もち>>はい。 
でもうどん屋の時期は2年生くらいまででした。
中、高時代は親戚がラーメン屋をしていたので岡もちはよく見ていました。
少年マガジンの発売日には「明日のジョー」を読みながらタダでとんこつラーメンをすすってました。。幸せな時間でした(*^_^*)・・すみません・・noodle
七曲り>>これまた親戚が矢部や杖たてにいたので運転のできる叔母とよく通りました。
ヘアピンカーブ(車酔いの名所、地図を見ると納得です)とも呼んでいました。
一昨年久しぶりに通ったらトンネルが完成していて感動でした☆すてきなトンネルですよ^^
小国も黒川も矢部越えすると近いです。
昔、闘争があってた蜂の巣城のニュースも大人達が話すので興味を持って聞いていました。
今でも下筌ダム付近を通るとなんとなく思い出します。
松原ダムは紅葉の名所ですよ(以外に穴場です☆)・・・思い出話が長くなりました~(^^ゞ

子供の頃は、素うどん、かけうどんは久留米に出かけた時、安くて腹ごなしに食べるものでした。

だから今のようにラーメンやうどんが1000円もして主役になってるのは気に食わない。

そこへいくと久留米あたりはまだ当時の安さが残ってたりするのがまたいいです。

 「七曲」、確かに鎌倉にもあります。鎌倉が天然の要塞と呼ばれた要素の1つかも。下筌ダムは室原なんとかさんの「蜂の巣城闘争」で有名になったけど、子どもの頃だったので場所はよくわからなかった。なぜか高校3年の時のクラス遠足で行き、その頃はまだ蜂の巣城の跡が残っていたので、あ~、ここがニュースで有名になったところか、久留米からこんなに近かったのかと思い、大学時代に「蜂の巣城主その後」というドキュメンタリー映画を見て、更に20年ぐらい前に松下竜一の「砦に拠る」を読み、室原さんがなぜあんなに抵抗を続けたのかとか、下筌ダムがS28年の久留米の大洪水をきっかけに建設が始まったことなどを知りました。
 私の年代は子どもの時、「お前は洪水の時流されてきて拾われたっぞ」という冗談をよく聞かされたが、みなさんはそんな経験ないですか?なお20年頃前に下筌ダムに行ったら、室原さんを褒め称えるような石碑のようなものがダムのそばに建っていた。時代が変われば評価も変わる?
 かささぎさん、「だれでも詩人になれる本」教えてくれてありがとう。「呂」「伊」「利」ともに、「ロイリ」というカタカナのもとになった漢字を使ってみたけど、「ゐ」のカタカナは何でしょう?「ヰ」かな?となると漢字は「井」?古代語的に発音したら「ロウィリ」になるのかな?ちなみに私の母の名には珍しく「ヱ」(ゑ)が付きます。カタカナが本名です。

昭和28年の筑後地方の大洪水、忘れもしません。
比較的高台の我が家は無事だったので、うちでおにぎり作って一面海のようになった味坂の叔母の家に船で運んでいたおじさんたち。
宝満川が氾濫したわけで、そのご後護岸工事が行われ以来一度も洪水にはなっていません。
こういう公共工事はありがたいなと思ったものでしたが、ダム工事に反対してる人もいたんですか?
下筌ダムってどのあたりなんですか?

えめさんとろいりさんのコメントにある蜂の巣城ってなんじゃろう。とおもいました。
なんじゃろなんじゃろ。かなしいことに、しらーん。
としがたった一年、二年ちがうだけで、話題にさっぱりついてけない。こらいったいなんだすねんやろ。
だけど、昭和28年の大洪水は有名で、今シーズン一回だけ浮羽に立ったとき(けいびのおしごとで)通りすがりのおばさんが、その話をなさってたのが印象的でした。大洪水のせいでここへきた。と。

 下筌ダム及び蜂の巣城闘争については、詳しく語ると長くなるので、Wikipediaで「下筌ダム」をご覧下さい。私も今見たばかりだけど、「蜂の巣城紛争」の項、特に室原知幸氏の思いと、周囲の無理解・偏見や仲間の変貌、勝手な毀誉褒貶に、室原氏の孤独感を感じます。住民エゴなどという言葉もあるけど、相談もなく勝手に土地を取り上げようとするのは、成田空港も同じことで、最初にちゃんと話し合い→和解をしておけば、どちらもあんな激しい反対運動にはならなかったはず。ちなみに、ダム完成後、室原氏が指摘していたダムの欠陥が見つかったという記事を、30年以上に読んだ記憶があります。詳しく知りたい方は、前回紹介した、松下竜一の「砦に拠る」(文庫あり)をお読み下さい。

クリックしてもでませんね。
しかし、自分で調べるぶんにはちゃんと出ます。
一番にぱっと目につくのは、施工業者 西松建設であること。

こんばんわ
蜂の巣城>>子供の頃だったので深い意味はわからなかったけど、モノクロのテレビ画面に映しだされる、、闘争して岩場にような場所にたてこもっているおじさん(室原さん)が印象に残っています。きっと、孤独で長い戦いだったのでしょうね☆
色んなことがあっただろうあのあたりの場所は春夏秋冬には水面に美しい風景を映しています。
松原ダムに遊覧船があるはずですが、秋に乗りたいな~と思いながら何年も過ぎてしまいました。今でもあるといいな~diamondmaplediamond

矢部を通って行かれるなら、日向神神社のほかに八女津姫神社も立ち寄られたらどうでしょう。
右手側に大きなほこらがあります。
1980年ころのNHKの歴史番組(たぶん歴史への招待?)の1回目放送でこの場所が放送に映りました。
黒岩重悟氏がここを卑弥呼のいた場所だというような事をおっしゃいました。
その頃の風景はほんとにすばらしい場所でした。
数年前に大きく変貌してがっかりしたんですけど、ほこらはちゃんとそのままあるので、もしまだ未経験の場所だったら一度おすすめします☆経験済みだったらごめんなさい(^_^;)
それにしても、ヤメツノヒメ・・・ヤマトノヒメ なんか似てますよね☆(これは私の造語ですけど^^)

エメさん。
古い時代の場所の記憶がちゃんと残っておられるのですね。すばらしいです。
じつはほとんど奥八女のことをよく知りません。知ってるのは黒木の一部だけ。笠原。
矢部も役場(故・穴井太師の俳句誌・天籟通信にいたころ同人の椎窓猛先生を訪ねていったことが一度あり。当時教育長をなさっていました)と「そまのさと」にしかいったことないんですよねえ。だけん今度いってみる。そのかくしとりでのあとにもいってみますね。まったく知らない郷土の大切な記憶を教えてくださって、有難うございます。ふしぎ。エメさんとろいりさん。エメさんはふっこうの先輩に思えるし、ろいりさんは明善かな。そんなかんじですねえ。こころ強いです。ってことで連句にきてくださいね。←これがいいたかった。笑

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