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2009年3月 2日 (月)

高木門  乙四郎文書

昭和の記憶

    竹橋乙四郎

▼ 高木門

昭和43年12月6日、日本信託銀行国分寺支店長宅へ送られた脅迫状の差出人の名。雑誌「電波科学」などから切り取った文字の貼りつけによる爆破予告。
4日後の12月10日、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へボーナスを輸送中の現金輸送車が、発炎筒をダイナマイトに見せかけた小細工でまんまと窃盗される。いわゆる、2億9430万7500円事件。この手製発炎筒の巻紙に「電波科学」の同じ号が使われていた。
この年の春から夏にかけて、府中市の多磨農業共同組合に現金を要求する脅迫状5通が届いた。筆跡鑑定により、日本信託銀行脅迫多犯と同一人物。

最初の脅迫状(昭和43年4月25日)

「していした くるまに うんてんしゃ一人のり じそく二〇キロで やじるし のとおりにはしること 女でも こどもでも 白い はたお ふったものに かねおわたせ けいさつにしらせると ためにならない」

2回目の脅迫状(5月25日)
「おぬし が さつに しらせた ことは 我々 にも すぐわかったよ われら どくじ 方法 に より 車のなかにわ私服の ポリが のり 金わ 持って いない と 判断したので 中止した」

3回目(20日後)
「この前は さつ の ごえいつきで走った そうだな 我々も 人質で どじを ふみ いざというとき きりふだ がないと きけんなので中止した これは 苦心した 計画だ 人を殺しても うちに火をつけても ぜったい じっこうする ことわっておくが いやがらせ など のたぐいでわない (中略) 全て この前と 同じにせよ さつに しらせると さつわ いやでも しつどうしなければ ならない そうなれば 死人でる」

4回目
「いいかげんに しろ しかたない やくそくどうり 一人 ころした へんな まねを して あったら ある方法で 百人でも 二百人でも ころしてやる」

5回目
「ころしかたは つつんで あるもの を つかう 何か わかるかい これを たいりょうに つかえば また せけんわ おおさわぎ するぜ 人わ 死ぬ」

以上が、2億9430万7500円事件に関する、あまり知られていない話。

10年後の昭和53年、グリコに「3億円」を要求するテープが送られる。江崎社長の誘拐、青酸入り菓子のばら撒きなどの犯行予告。
6年後の昭和59年3月18日、江崎グリコ社長誘拐事件。何回かの現金受け渡し方法を指示した脅迫状。
5月10日、青酸菓子ばら撒き事件。いわゆる、グリコ丸大森永ハウス不二家駿河屋事件の勃発。
「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」
「けいさつの 車 5だいか 6だい はしっとったで タクシーに のった あほも おった あの道 よるは タクシー とおらんのに 会社の 車に のって 一人で くるよう ゆったのに ちがう車で 2人も すわって まっとった きいとるだけで あほらしいやろ」
「わしら けいさつ わな しかけとる ときでも いつも かげから みとる けいさつの くんれん したってるんや 丸大の ときの ことも けいさつ うそ ついとる  わしらの ゆうとおり したら にせさつ とられるの  わかっとるから せこいこと しおった バッグ おとせるよおに まど あけておけ かいとったのに  まど あけずに ほかの まどから デカが みとった  わしらが はた ふったの みとるんや  1メートルも ある 白い はたやで  わしら あほばかりや  けいさつが もっと あほなだけや」

昭和60年8月12日、犯人側から終息宣言。
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」
同日、日本航空123便墜落。犠牲者に脅迫されていたハウス食品の浦上郁夫社長が。

昭和の迷宮入り大事件の数々が連句的(?)につながる。

かい人わ 三億犯と よおにとる (乙)

おつしろうの解説:

高木門という人は昭和43年に「浪人ブルース」というのをリリースした歌手。
“浪人ブルース”高木 門
星の王子に願かけて受けてすべって涙も出ない 試験試験でまた暮らす 何度受けても同じ事 およしなさいと言われるけれど俺にゃ俺の意地がある 俺たちゃなぁ学校の裏街道を歩く渡世なんだぞう え~言わば一家の厄介もんだぁ 幼稚園から狭き門 始め本命で大穴狙い だんだん望みもダウンする 教育ママにおだてられ かわいこちゃんにつれないそぶり 浪人暮らしはままならぬ 社会学部が5747名で16.4倍 文学部が7106名で12.1倍 法学部が4533名で22.4倍 嫌な渡世だなぁ 何が何でももう一度やらにゃなるまい大和魂 人を寝かせて俺はやる 一年遅れなんのその負けてなるかとハッスルすればいつか出る日もあるだろさ… はぁ~あ入りてえなぁ 山勘作戦練りながら角材もって頭の体操 心は明日へジャンプする 良いせんいくだろ ぎむのぺじゃ 眠っている間にテレパシー入れて 夢は満点ストレート うぅ~ 入ったぁぁ~!!!

う~ん、どこにヒットの要素があるのか皆目わからん。
この曲以降は役者人生を歩まれておられたようで、当時のいろんなドラマの出演者名の隅っこに名前を見つけることができました。「太陽にほえろ!」でも薄幸の青年役だったそうです。

こういうアングラソングの歌手名を騙って脅迫状を書くのは、「自分は浪人ブルースに共感する世代の者だぞ」とカムフラージュ(フランス語:camouflage)する目的か、あるいは、本当に浪人ブルース共感世代だったのか、おそらく前者でしょうが、ただ、カムフラージュ目的だったら、同じ昭和43年に大ヒットした受験生ブルースの高石ともやを騙ればいいものを、高木門を騙るところは相当にオタクっぽい。「電波科学」が身近にあるので理系オタクですね。バイクの改造なんぞ序の口、捜査情報を得るために高性能盗聴器をこさえることくらいお茶の子さいさい。真犯人はいまごろは、豊富な資金力をバックに、理系オタク度をさらに磨いていることでしょう。

機密に触れる仕事に従事していると、盗聴には敏感になります。
実際、盗聴器を発見したことや、盗聴を逆手にとって嘘の会話を演技したこともあります。よく役所には、人事異動時の就任祝いだとかに、胡蝶蘭の鉢植えなどの届け物などがあるのですが、盗聴器のチェックは怠りませんでした。今はネット時代なので、電話や会話の盗聴は主流じゃなくなりましたが、ネット上の情報を絶えずチェックしている人々はいますので、皆さん、ご用心のほど。この文章や前の文章みたいに、ちょっと危ない情報を漏洩したりすると、真犯人がどこかでチェックしていて、ロシア語が読める投稿者向けにロシア語で忠告が入ったり、○○が車に跳ねられ死んだぞ、と投稿を牽制されたりするかもしれません。

[読者の反応]

ほへ。シャー六句おつ。ふっかーつ。
シャーロックって高利貸しの名前だったよね?
いや、ちがった、あれは謝意六句か。ベニスの商人。
おたく度、相当たかいっす。
まったくきおくにない。高木門。そっかー。
高木ブーとはちがふのだな。
青春の門。はおもしろかったけどねえ。
石炭。
今日、らんちゃんと相良観音、山鹿温泉に行った。らんちゃんちは旧国鉄駅の前だったから、チッキを聞いてみた。知ってましたね、さすがに。ついでにこういう話をしてくれた。
石炭をたくさん落としていた(たぶん汽車だったからじゃろう)のを拾って風呂をたいていたと。
おなじことを黒木の駅官舎に住んでいた親戚のおばが今日話してくれました。汽車が使ったばかりのコークスを穴にざざっと捨てるのを拾ってきてた。と。たくさんの人たちが待ち構えていたって。まだ熱いコークスを拾ふ。(何に入れて持ち帰ったただろうね?新聞紙じゃ燃える。火鉢?)

高木門については、100人中99人は記憶にないと思います。記憶しようにも、ほとんど報道されなかったのではないかと思う。人々は、犯人の手際のよさと、直接的には誰も傷つけていない、銀行も損害が保険でカバーされて実損なし、というスマートさに、どちらかというと英雄視していた向きがあり、脅迫だの、誘拐予告、放火予告、毒物ばらまき予告、バイク窃盗や自動車窃盗といった犯罪者イメージを強めるような報道は陰に回ったようです。
グリコ事件報道にも似たような傾向がありましたが、こちらは誘拐や毒物ばらまきという悪質な犯罪性があったので、過去の「ヒーロー」とイメージをダブらせるような報道は避けていたようです。

コークスを入れていたのはブリキのバケツに違いない。それか、いっと缶に穴を開けはりがねをわたしたもの。火箸もどこの家にもあったんじゃないかな。いやまてよ、たどんを運ぶじゅうのうやったっけ。あれかもね。想像だけの世界。
乙さんの過去は、毎日の生活そのものがドラマみたいですね。「平穏な日々」も経験されているんでしょうか。

子供のころ外で遊ぶことを、かどで遊ぶと言っていました。
鳥取県で子供時代を過ごされた方と同じ風景でした。

コークス拾いという言葉がありました。
落穂拾いと同じように線路で行われていたように思います。

乙さんの書かれたようなことは、政治の世界を見ていると現在進行形、先日から騒がれていることも一本線でつながるようですが。

 「高木門については、100人中99人は記憶にない」、なるほどその通り。しかし「浪人ブルース」というタイトルを聞いて記憶が蘇った。
 フォークルの「帰ってきたヨッパライ」がヒットして以来、アングラと言いつつ実はただ、テープの早回しなどを真似したコミックソングに過ぎないものが雨後の竹の子のようにレコード化されたものの、ほとんどヒットしなかった。アングラヒット曲第2弾?「ケメ子の歌」は、作詞・作曲者はアングラ系だが歌ったのはプロのバンド、でも第3弾の「受験生ブルース」は、当時高石友也は既にレコード出していたものの、アングラと言って良いだろう。つまり、アングラという言葉が完全に誤解され、実際はプロが作詞や作曲していた頃にレコード化されたコミックソングが、「受験生ブルース」をヒントにした「浪人ブルース」。当時大映レコードがかなり力入れていたみたいで、ヒットしなかったにもかかわらず、当時深夜ラジオをよく聴いていた私には、その歌詞や曲が記憶に残っている。何かの事件で名前を使われたというのも思い出した、シャーロック乙さんありがとう。
 というわけで、高木門について調べたら、この人、もともと役者やないの?1967(S42)年の日活映画とかに出とるやんけ。
 ついでながら、「破廉恥」という言葉を「ハレンチ」と、従来とは違ったニュアンスで流行らせたのは、永井豪の「ハレンチ学園」だと思っている同世代者が多いけど、実はフォークルなのであります。

フォークルが駆け抜けたのが、この昭和43年でしたね。
たった一年のプロ活動で、この存在感は何なのでしょう。フォークルとしての最後の曲が、五木寛之が詞を提供した、青年は荒野をめざす、でしたね。解散後は、北山修がいい詞をいろんな歌手に提供してます。浅川マキの「赤い橋」、自分の前にしばしば現れた橋でした。
   ↓

しかし、石橋貞吉と石橋秀野夫妻がナップを抜けたのは、第一子をなくしたからだとおもう*。それはどこにもきちんと記されていないけど、俳句作品から察して昭和九年。全てをかけてというくらいに熱中しマルクス思想が、つき物がおちたみたいにつまんなくなる瞬間。

さくらさん。かどって角じゃなく庭っていみのですか?へえ。大江希望さんの書かれているのといっしょだ。きいてみるものですね。

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コメント

乙四郎又はろいりさん
つかぬことをお尋ねしますが
アンダーグラウンドてのは何
石橋秀野を調べていたときから 赤の言葉と 地下生活 が目につくのですが
かささぎのあたまでは ほんなこて地下に穴掘ってコソコソくらしてるイメージしか湧かない
日本のアングラを定義してやっておくんなせい

難しいこた ナシでたのんまさ

我々が住んでいる地球には、内部に大きな空洞があって、高度な文明を持つ「地底人」が住んでいます。地表に出るたびに“UFOだぁ!”と大騒ぎになるので、ひっそりと暮らしていましたが、姿を見られなくてすむ音楽の世界などには昭和40年代くらいから少しずつ進出してきています。近年は、ネット上を堂々と闊歩するようになってきました。彼らは地上征服の機会を虎視眈々と狙っています。
なお、地底人の住む空洞のさらに下にも空洞があり、そこには「最底人」という情けない種族が存在するそうです(いしいひさいち)。
このような駄文を書いて喜ぶひとたちがアングラでした。

アングラ
   ↓

「きさんなめとんのかっ、こんあほんだらがあ!!」

と言いながら、こぶしをしっかとにぎって、はあはあ息をふきかけて向かってくる教師がいた。たしかにきおくのそこにある。英語と体育の先生だったが。
なつかしいなあ!!
昭和の先生。ばんばんぶったたきよった。
おやもおやで、どうぞたたいてください。とあたま下げていた。あんぐら。まだどこかにあるだろか

 五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読み、俺も数年後には横浜からナホトカまで船に乗り、そしてヨーロッパへと放浪の旅に出ようと思ったのが15歳の時。でも実際に最初に海外行ったのはその20年後、下関から船に乗って釜山へ、たった3日間の放浪の旅でした。
 アングラについて、易しく簡潔に。唐十郎などのいわゆる前衛的な演劇がアングラという呼称の始まりでは?それに前衛美術・自主映画もアングラと呼ばれ、新宿あたりがその中心地?フォークル以降は体制批判・反戦歌を主とする関西系フォークソングもそう呼ばれるようになり、高石友也・岡林信康などが主となり、今で言うインディーズ、日本初の自主制作レコード会社URC(アングラ・レコード・クラブ、最初は会員制)が誕生した。私はさっそくその会員になったが、そこから五つの赤い風船、高田渡、六文銭などがレコードデビュー。
 おっと、簡潔にと言いながら、アングラ・フォークについてが長くなった。ほんで、森山光章さんにつながるけど、同級生になった私の友達(これがseikoさんも御存じの、広川町で木下塾をやってたやつ)が、2年はじめの自己紹介で、森山さんが「アングラ」に興味があると言われ、「アングラフォーク」のことかと思って早速話しかけたら、演劇のほうへの興味だったらしい。でも私の好きなアングラ系バンド「ジャックス」(のちにつのだひろなども参加、リーダーの早川義夫は「サルビアの花」の作詞・作曲も)のLPを聴いてもらうと、詩が良いと評価され、嬉しかった。
 以上、長々となりました。元フォーク少年ゆえご勘弁を。

携帯でかささぎの旗を検索しますと、最近はここ、高木門へ出ます。
読み返して気づいたのですが、さいご、高木門は日航ジャンボ機墜落事件につながっていくのが、今にして思えば、非情に怖いです。これ、なにからこのはなしになったのだろう。

「昭和60年8月12日、犯人側から終息宣言。
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」
同日、日本航空123便墜落。犠牲者に脅迫されていたハウス食品の浦上郁夫社長が。」

連句的につながっていく回路がとても気になる。
今年みた映画にジャンボ機墜落のがあったことも気になる理由の一つです。
ところで。
三鷹の永井友二郎先生から先日返信が届きました。
妻菊枝は去る八月に死にました。と書かれていました。先生と奥様とは小学校からの同級生じゃなかったかと記憶します。その奥様に先立たれて、永井先生はひどく気落ちされているようであったと、これは同時期永井先生にお会いになったタンゴバイオリニスト麻場利華さんのお話です。(アストロリコの関東公演を永井先生はお聞きになられたそうです)
資料を前にどう手をつけていいかと逡巡されている先生のお姿がうかびます。それで、かささぎはそう先方にお伝えしましたところ、すぐに日本昆虫学会に問い合わせられ、なんとかこどもさんの連絡先がわかったということでした。三人のおこさんのうちの
ひとりは、よど号事件の副機長さんだったのですね。と驚いておられました。そうなんですよね。
ところで、永井先生がわからないと返された理由のひとつは、(かささぎはなぜかふとそうおもったのですが、)直接の依頼ではありませんでしたので、そういうような返信になったのではなかろうかと思うのです。なぜなら、わたしもはじめは動くまで時間がかかりました。いまもよくわからないところがあります。それで、おききになりたいという明石先生の専攻は何ですか。とたずねました。ぶしつけとは思いません。知りたかった。すると、教え子と申される方がおっしゃるには、先生はもともとキューバ危機の研究者です。と。
えっ・・!
ちょうどそれを聞いた前夜、「坂の上の雲」でキューバがでてきました。そして、もしやこの先生は当時の諜報活動とかも研究されているのではないか。という疑念もよぎりました。いまのわたしたちには想像もつかない世界ですが、「ワールトオブライズ」などの映画をみますと、いまもずっと戦時中である米国やムスリムの国では生きるか死ぬかの国をかけた諜報合戦が繰り広げられています。日本だけが戦時中の国と同盟むすんでいるくせに、戦時中の意識も皆無だしあまりに能天気なのです。
そういったことを漠然とおもうにつけ、永井友二郎先生の戦塵を潜り抜けてこられた、このすばやいそして慎重な対応には、納得と敬意とをおぼえたことでした。依頼者の明石氏の真意が今ひとつ汲み取れなかった、ということだとかささぎは思います。自分なら、人にききたいことがあれば、自分で依頼の手紙を直接かくだろう。と思われたのかもしれません・・。それがかささぎのような市井のものがおもいつく理由です。ですから、明石さま、どうかお気を悪くなさらず、ご放念くださいませ。

さいごに、永井菊枝先生90歳のご逝去を悼み、ご冥福をお祈りもうしあげます。菊枝先生は、4年前、わたしがそうしてものを尋ねましたとき、とても親切に、資料を送って下さったり、いろんなことを教えてくださいました。そのご恩は決して忘れません。

「高木門」で検索しても、ここが上位に出ますね。

3億円事件とグリコ事件と日航123便事件

これらが繋がっている、という仮説です。
これで小説を書けば当たるかも。

キューバといえばチェ・ゲバラ
彼は31歳の時(1959年7月15日)、訪日しています。
途中、予定にない行動を。
大阪の宿を抜け出して夜行列車で広島へ行き、7月25日、原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れています。
「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」とゲバラは中国新聞の取材に答えています。
以来、キューバでは今でも、初等教育でヒロシマ・ナガサキを教えています。

「世界ともしびプロジェクト」という、星野村の原爆の残り火を、平和の灯火として世界に分与しようというプロジェクトがあります。
その第一回「分火国」としてキューバが選ばれました。
本当は今年のうちに分与される予定でしたが、いくつかの“事情”により中止になりました。
キューバでは毎年8月6日に平和を祈る集いが行われています。
テレビは朝から原爆関係の映像を流します。
カストロ議長は、毎年8月6日に日本の被爆者を偲び、「この日を忘れてはいけない」と訴え続けています。
原爆は中学2年生で学びます。
教科書には3ページにわたって書かれています。
キューバの子どもたちは、8月6日がヒロシマの日で、9日がナガサキの日だと答えることができます。

日本は?
チェ・ゲバラが訪日した時も、日本政府は(米国の反応を恐れて?)広島訪問を許さなかった。
キューバで語り継がれているヒロシマは、日本政府非公認訪問の、チェ・ゲバラのメッセージ。
キューバは自給率100%の世界一の有機農業先進国。
大学まで授業料無料。
医療も無料。
主な交通手段はヒッチハイク。
貧しくても、助け合い、支え合いが国家運営の基本。

2009年を締めくくるにふさわしく、新たなコメンテイターの登場ですね。
もしお近くに住んでいらっしゃるなら、1月9日八女市堺屋へいらっしゃいませんか。
雅な遊びをお目にかけたいと思います。熟年美女がお出迎えします。(爆)
かなり寒いので、暖かくしてきてください。

こんばんわ。今夜は晦日で満月、しかも月食。今年は天体ショーの年でしたね

キューバ>>昔から大好きな国ですよ。行ったことはないけど、ドキュメンタリーや旅番組はよく見ます。
確かに食の自給率はすばらしいですね。
どこのお宅の庭先にも国家の勧めでお野菜や鶏などがありました。
特に好きなのが音楽子供時代はキューバ音楽が流行っていましたね。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのビデオ持ってます。 ステキですよ♪♪♪

またあとでおじゃましますね^^

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