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2009年3月 3日 (火)

『八千草』 2009如月号

 季刊 俳句・連句誌『八千草』

幼日の漁港を映しシャボン玉   有馬朗人
                     
『天為』主宰
石鹸玉江戸の匂ひを背負ひ飛ぶ  有馬ひろこ

 源氏絵よむ   

     山元志津香

抱くやうに贖ひし聖護院かぶらかな
稲掛の雨餓ゑし昭和の径にほふ
その先は風の領域草かげろふ
秋彼岸帰路の双手のさみしくて
八千草の風得手勝手されど美し
ネイルアートせし娘も囲むきぬかつぎ
海晩秋こころに余るものは捨つ
真ごころは母の口ぐせ豆名月
歌女鳴くや伐れば祟(たた)るといふ雄松
焼いも抱く秘密のメールなどもたず
聖域につづく戦さや冬燕
金婚や当り障りもなく冬至
源氏絵よむ身巾にあけし白障子

参照

季語「歌女鳴く」http://blogs.yahoo.co.jp/fayhaiku/folder/494286.html

又引きの又引きですが山本健吉の言葉を引きます。
(出典者のかた、ありがとございます。)

どうして蚯蚓はあのように声がよくて、それでまた盲であるかとは、古くからなぜ話の一つで、その作者は座頭だった。今では、あれは螻蛄であって、蚯蚓は鳴くものでないと言ったりしているが、以前は、夕方庭のあたりで、何処からともなく清い音がきこえてくると、蚯蚓が鳴いているといって、かならずこの話が出たものであった。昔、蛇は歌が巧みで目を持たなかった。その蛇のところへ蚯蚓が歌を教えてもらいに行くと、その目となら取替えようと答えたので、声と目を交換したというのである。音曲の手を休めると、座頭がこういう他愛ない話をして、座を取持つこともあったのであり、自分の身によそえて、昔は蚯蚓も今の蛇のように美しい目を持っていったと言ったところに、ユーモアとペーソスがある。こういう昔話が出来たので、蚯蚓は声の薬だなどといって、煎じて飲む者が今でもある。中国で、蚯蚓を歌女ということから、蚯蚓鳴くとは中国伝来のように言っているが、そうではない。

もっと読みたくなってきます。
八千草主宰は山元志津香さんですが、トップにはいつも天為主宰の句を据えられています。
今回は「シャボン玉」の句です。
わたしは連句で初めてしゃぼん玉が春の季語だと知りました。
ブランコも春。
なぜなのかは・・・どうぞお調べください。

有馬朗人さんの俳句は、漢語調で堅く緊(しま)って心地いい。
情に流されそうな内容をきりりとまとめてあります。

今回の志津香主宰の句でことに印象深いのは、

歌女鳴くや伐れば祟(たた)るといふ雄松
真ごころは母の口ぐせ豆名月
聖域につづく戦さや冬燕

過去の「八千草」記事から:

「魚の吐く虹」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_0ca7.html

「備中鍬と馬唐黍」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/48-3f22.html

宇佐八幡と俳句」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8c26_1.html

「季刊 八千草2008如月号」 

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d38d.html

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コメント

蚯蚓(ミミズ ・・・目見ずの転訛)
ミミズは、地下帝国に住む地底人の仮の姿。こいつらには眼点というのがあり、そこで光の方向を感知することができます。タイの田舎町に住んでいた頃、未舗装道路にたくさんのミミズの這った痕を横切りながら通勤していました。自分の字よりはるかに整然とした痕だったので、以降、悪筆の例えにはしないことにしました。
それにしても、なぜミミズは秋の季語?
秋、地中から聞こえるジーッという音はオケラのオスの鳴き声。
今週末は、春なのにミミズがたくさんいそうな地で連句会。
慣れない方のために、やや遠回りだけど、アクセス案内です。

国道209号線を南下し、矢部川を渡ってみやま市役所を右手に、警察署を左手にひたすら進むと、ガソリンスタンドの先に「井手ノ上」信号交差点。ここを右折します。しばらく進むと「大学南」信号交差点。ここを右折してすぐです。週末休業日なので守衛詰所前の門(最初の門)が半開きになっているだけで、他の門は閉じています。
会場へは、守衛詰所に声を掛けてから来てください。不審人物には警報機が鳴ります。

ご親切な道案内に感謝いたします。
これなら、わかりやすそう。
でも、つさっき、ぼんさんに同乗させていただきたい旨を送信したばかり。どうしようかなあ。自力でいけるかなあ。

あ。そうね。たぶん一人でいったら、迷う。
何ヶ月も迷ってた。いきすぎたりもどったり。
当時に較べたら格段に道がひらけてきましたなあ・・とはるかかなたをみる目。
ま、なんとかなるでしょう。ぼんがいるから。
守衛さんのおられる位置、わかるかな。いつも入るところじゃない。門から向かって左端にあります。
でも、試してみよう。どのくらい怪しかったら警報が鳴るか。

スワロフスキー社のラインストーンはやはり別格ですね。

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