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2009年3月11日 (水)

『虚界』   北山四郎

虚界

    北山四郎

第一章    娑婆道

頭でっかちの少年たちがぞろぞろと山を登ってゆく。蟻のように列をなして、おのおの背中に同型の箱を担いでいる。中にちんばの少年とその友人がいた。二人も同じものを担いで登っている。
「この箱が何だか知ってるか。」
「知らないよ。」
「足元をよく見てみろよ。この山はこの箱の積み重ねでできてるんだぜ。俺たちがこうやってこれを上へ上へと運んでるのは、これをこの山のてっぺんに置けばそれだけこの山が高くなろうと信じてのことなのさ。誰が決めたのか知らないが、昔からの慣習だから俺たちもそれに従ってただハイハイとこれを上へ運んでるだけのことさ。山が高くなればそれだけ俺たちの社会も神様の住む所に近まろうとでもいうんだろうな。」
「どこかで聞いたような話だね。」
「そうさ、これがバベルの塔さ。直に神様の怒りを買って崩壊するに決まってるさ。」
「でも、それは科学を知らなかった大昔の人たちの話だろ。僕たちは科学を知っているから・・・だって、この四角い箱だって科学の象徴みたいなものだろ。きちんと積み重ねれば、どこまでだってこの山は高くなるはずだよ。科学は普遍的な言葉だから乱されることなんかないよ。」
「そうかな。」
二人は登り続けた。ちんばの少年は遅れがちであった。友人は努めてそれに歩調を合わせていた。
「箱の中には何が入ってるんだろうな。」
「それを今考えてたんだけど、もしかしてこれはあのパンドラの匣とやらじゃあないのかな。煩悩がいっぱい詰ってるっていうけど、底には『希望』があるっていうあの匣さ。てっぺんに着いたら、蓋をそっと開けて底にあるやつだけを秘かに持ち帰ってやろうかな。」
「お前もつくづく夢の多い男だな。」
「君みたいにのろまじゃあないからね。」

         ◇ 

この山のてっぺんまでは、まだあと数十年はかかるだろう。
もしかすると生きているうちに辿り着くことはできぬかもしれない。いや、多分そうであろう。となると、これまでの道程にどんな意味があるというのだ。自分の存在にどれだけの意味があるというのだ。
そんなことを考えながら、ちんばの少年は既にかなり長いこと登り続けていた。
「おい、本が落ちてるぜ。」
彼はそれを拾いあげた。
「こりゃあひでぇ本だ。」
その本の最初の数頁は落丁であった。次の数頁は活字が薄れてて殆ど判読できかねた。やっと読める頁が出てきたかと思えば、他の書物の頁が紛れ込んだものであった。それも誤植だらけである。
そしてあとの頁は空白であった。
「こんな本、いらねえよ。」
「でも、どこか愛着ある本だし、持っておこうよ。」
友人は本を懐に入れると、さっさと登り続けた。ちんばの少年は遅れがちであった。しばらくして友人が振り返ると、彼の姿は見えなかった。箱だけが下の方に置き去られてあった。

第二章  賽の河原

河原の石を積み重ねて仏塔を作っている少年たちがいる。
彼らの塔は強風のたびに倒され、倒されるたびに再び彼らは作り始める。
中にちんばの少年がいた。
「ハハハハハ。やっとすっきりした。肩の荷がおりたとでもいうのかな。奴らは未だに神に近づこうと汗を流してることだろうが、俺は簡単に神を超越してやったぞ。なにしろ神様にもできぬことをやってのけたんだからな。自殺さ。神様には自殺することはできないからな。ハハハハハ。」
彼の作る仏塔はかなりの強風にも平気であった。彼は四角い石ばかりを集めてきちんと重ねていたのである。
「科学かぁ。こんな所で役に立つとは思わなかった。ハッハッハ。」
瞬間、金棒が飛んできて、彼の塔も無残に崩されてしまった。
人一倍高い塔であっただけに、その崩れ方も凄じかった。
彼の前には鬼が立っていた。
「お前のおやじはまだ来ぬか。」
「親父を待ってるんじゃないさ。ある男を待ってんだ。そいつと一緒にこの河を渡ろうと思ってるのさ。」
「どんな関係の男だ。」
「別にどうってぇ関係じゃないさ。奴は俺のことを『親友だ』とかぬかしてたけど、俺はそうは思ってないさ。俺はちんばだから大勢からばかにされてきたんだ。あいつだけはと信じてたのに、あいつも十人並に俺をばかにしやがった。だから奴も俺にとっては十人並の男にしかすぎないのさ。」
「そんな男をなぜ待つのだ。
一人で渡ればよいではないか。
さっさと行って、閻魔様の裁きを受けてこい。」
「いや、俺だって好きで待ってるんじゃないさ。こんなとこ、早く出てゆきたいに決まってるさ。ただ、奴がいつまでも俺のことを忘れてくれないもんだから、こんなふうにいつまでたっても成仏できずにいるんじゃないか。奴はおせっかいにも俺の生涯に意味づけをしようとしてるんだ。御苦労様にも俺の担いでた箱まで担いで登ってるんだぜ。早く捨てちまえばいいのに。そんなことやったって俺の生涯に意味づけできるはずはないじゃないか。もともと意味なんかないんだから。

「それでは、もしその男とやらがお前の意味づけを諦めたならばどうだ。その時はそいつも直にここへやって来るのではないか。」
「いや、奴は次には自分の生涯の意味づけを始めるさ。そして、結局は自分の生涯が意味のないものだと悟りきれないもんだから、土壇場まで生き続けることになるのさ。奴らの考える人生とはそういうものさ。」

鬼は去って行った。ちんばの少年は再び石を拾い集め始めた。 

出典:山口大学医学部文芸誌『藪思』昭和51年7月発行

▼かささぎの連句的

1 石橋秀野昭和21年洛西鳴滝時代の句

曼珠沙華獣骨舎利を置く磧(かわら) 石橋秀野

2 アンデルセンの『パンを踏んだ娘』

3 五木寛之『親鸞』(新聞連載中)の「選択ということ」のくだり

     

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コメント

ぎゃ!
怖れていたことが・・・

著作権ものかは、かささぎの本領発揮。
いつもながら活字本のスピード書写能力には感心します(「安楽病棟」松永さんも、ご自身の電子媒体データがどうやって盗まれたのだろう・・・とセキュリティチェック体制を本気で心配されたぐらいです)。
タイプミスや字の脱落はご愛敬とはいえ、現代では許されない差別用語を堂々と使っている作品です。読者の皆様方は、「足の不自由な少年」に置き換えて読んでいただきますよう、作者「北山四郎」にあいかわりましてお願い申し上げます。

この作品は、連句会場でいちばんさきに読ませていただいたものでした。あと、数作品ありましたよね。乙さんの作品やこのかささぎの旗へのコメントの強烈さと、乙さんじしんんおおだやか(そう)な風貌がどうしても同一人物とは思えないときがあります。ひょうっとして、二重人格者?多重人格者?そして、ペルソナかぶってる?

松永さまへは引用のお断りのおてがみを書かねば。
と思いつつ、まだ何にも書いておりませんでした。
ほんとうにすみません。
あと、事務蝶さまの文章をひけば、どういういきさつであの大学ができたのかがよおくわかるのですが、かなり長いので、できずにいる。

いつの間にかタイプミス等の修正、ありがとう。

二十歳そこらの頃、山口刑務所に出入りした。「藪思」を活字化するため。受刑者の職業訓練のメニューのひとつに印刷技術があった。どなたかは存じあげませんが、「虚界」の最初の読者は、鉛活字を拾ってくれた方。今頃は娑婆でまっとうに生きておられることと思います。
ここの受刑者の方のひとりとは、山口福音協会で知り合った。愛に満ちた方だったが、受刑理由は殺人。いろいろあったのでしょう。

そこまでひとをあいしたことがない。つまり、ころしたくなるまで。

原点いろいろ
上妻PTA新聞第93号『継志堂』(2009年3月15日)に卒業生全員の夢の寄せ書きが掲載されていた。

<スポーツ系>
サッカー選手になりたい9人。水泳選手2人。相撲の選手。柔道か相撲の監督。スキーをする。世界に注目されるようなプレーをしたい。
野球選手10人。この中の2人のコメント。
プロ野球選手になる。めざせ5億円。
プロ野球選手になってお母さんを楽にしてあげたい。

<職業系>
外科医。薬剤師。看護師3人。保育士7人。幼稚園の先生。美容師6人。トリマー。ペットトリマー。スタイリスト。パティシエール。パティシエ。棋士。料理人2人。マンガ家。考古学者。
おいしいパンを焼きたい。
板前になってお店を出すぞ。
コンピュータやロボットを作りたい。
人の役に立てる人になります。
みんなを喜ばせる仕事につく。
博士になってキャビアを食べる。
芸人になってみんなを笑わせたい。
歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ。
介護福祉士になってたくさんのおじいちゃんやおばあちゃんを元気にさせたいです。

<その他の夢>
宝クジで3億あてるぞ。
3億円あてて日本一周旅行。
世界一周するぞ。
外国の町を旅したい。
セレブな暮らしがしたい。
「大人買い」をしたい。
大学に行く。
将来ちゃんと職について金を稼ぎたいです。

担任の先生に”卒業おめでとう。記念に君たちの将来の夢を書き残そう”とか言われて、同級生たちの、○○になりたい、の力強い字が居並ぶ中、こじんまりとした整った字で

歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ!!

と書いたR.T.ちゃん(女)。
あなたの感性を、かささぎの旗は待ってる(と思う)。

笑。
なんでわかると。ほんとにそうおもった。
ぱっと具体的な像がうかぶ素晴らしい答えだから。
ja発行の情報誌みていたら、こういう夢も載っていた。小6か小5の男子。福岡の芸能学校に所属していて、そこで義務教育では習わない種々の技能を修得、将来はプロの・・あれ。なんだったかな。わすれた。プロの芸人?サッカー選手?八女の子にしてはおしゃれだなあと思って。八女から福岡まで通ってるんですね。すごい時代。

乙四郎少年、小学校6年生の日記。
探し物していたら出てきた。
宿題で書かされていた日記だったので、読者(穴見先生)を意識した優等生的作文。
それにしても醒めたガキだった。

8月19日金曜
今日は、朝におよぎにいって、それから、べんきょうをした。およいで、きつかったのであまりはかどらなかったがしあげた。昼から、電車と、バスにのって、一人で帰った。一人なのでちょっとこわかったが、ついてみるとなんでもない。もう一人でもいけると思う。

9月10日土曜
今日もまた、みつのり君やひとし君と遊んだ。夕方までは大部分が、いつも、みつのり君と遊ぶが、よく、あきないものだと思う。にたようなあそびだが毎日少しずつ、おもしろい遊び方をくふうしているからだろう。そして、月をみにいくようにしたがやっぱり夜になってもでなかった。

9月23日金曜
今日は、みつのり君のうちに、あそびにいくとちゅうで、あした、はれるかどうか、てんとう虫をほうり投げてとばしたら、雨ということになった。うらないなのであたるとはかぎらないが、2ひきとばして、2ひきとも落っこちたので、どうもふきつだ。

9月29日木曜
今日は29日の十五夜でまん月の日だった。このまえは、早くから月がでていたので、きょうもみたら、でていなかった。それで、あきらめてかえってしまったら、8時ごろおとうさんがかえってきて、月がよくでているといわれた。でも、せからしいのでみにいかなかった。

10月9日日曜
今日は、朝、早くおきてべんきょうをして、それから、じてんしゃのそうじをした。しばらくのらなかったので、ほこりがたくさんついていたのをとったのだから、とても、きもちがよくて、どんどんのりまわした。ごごはあそんで、あそびながら、たんかやはいくをつくった。

10月29日土曜
今日は、夜にテレビをみおわって、ちょっと休んでいたら、とおくから、サイレンがきこえてきた。そしたら、サイレンがすぐ近くでとまったのでびっくりした。それまで、しょうぼうしゃと思っていたが、外をみたら、パトカーだった。そして、うちのすぐまえにとまっていた。なぜきたのかは、わからないままだ。

11月13日日曜
今日は、朝おきて、とけいをみたら、9時半だった。そして、かみなりがなった。むかしから、こわいものは、「じしん、かみなり、かじ、おやじ」といわれているので、おとうさんがおこったらたいへんだと思って、すぐ、しゅくだいをはじめた。

11月27日日曜
今日は、早くおきて、11時ころから、スケートリンクにいって、2時間ぐらい、すべった。それから、いわたやにいっていたら、ちょうど、マラソンのある、三十分まえだったので、みんな、はたをもらっていた。もらったが、おそくなるので、すぐ、いわたやにいって、すてた。

1月28日土曜
今日は、さいしゅうどようとせんきょのよういがかさなって、はやくかえった。でも、雨だったので、あそばれなかった。それでしゅくだいのうちのプリントだけしたが、二まいして、あとはせからしくて、しなかった。

1月30日月曜
今日もがっこうがはやかったが、まだ、みちがぬかっていたので、かえってから、あそばなかった。たいくつで、そのうえ、しゅくだいをするきもなかったので、なんとなく、テレビをかけてみたが、せんきょのことばかりで、おもしろくなかった。

2月16日木曜
今日「ふるさとのうたまつり」で、「ねるじかんは、日の丸まで、」ということばがでたので、なんといういみか、おとうさんにきいたら、夜、12時ごろ、いつも、テレビのおわりに、日の丸がでているそうだ。それで、いままで、みたことがないので、こんどの土ようにみようと思う。

2月18日土曜
今日は、はやくかえったので、今日のうちにしゅくだいをしようとおもっていたが、じっこうされずに、おそくなるまで、テレビをみた。そして12時の日の丸をみるためにおきていたが、10じごろから、ねむくなった。

3月12日日曜
今日は、だれとも、あそぶやくそくをしていないので、テープレコーダーのまだ、とっていないところで、あそんでいた。テープのさいごのほうで、きれてしまったので、きれたのを、はしとはしとをつないで、何回もおなじことばをいわせるようにして、あそんだ。

久しぶりに『虚界』を読み直し、はじめて読んだときにも感じたことを再び思いました。
はなしのすじとは直接関係ないことなんです。
だからこそ、印象にのこるんだろうとおもう。
以下のぶぶん。これがずっとのこっている。

その本の最初の数頁は落丁であった。次の数頁は活字が薄れてて殆ど判読できかねた。やっと読める頁が出てきたかと思えば、他の書物の頁が紛れ込んだものであった。それも誤植だらけである。
そしてあとの頁は空白であった。
「こんな本、いらねえよ。」
「でも、どこか愛着ある本だし、持っておこうよ。」
友人は本を懐に入れると、さっさと登り続けた。ちんばの少年は遅れがちであった。しばらくして友人が振り返ると、彼の姿は見えなかった。

この本を拾う。という行為の意味するもの。
そして、拾ったのは、「ぼく」あるいは「わたし」なのであるが、乙四郎はそうは書かない。なぜか「友人」なのである。ここで読者は混乱する。えっ。ではこの本をひろったのは、だれなの。と。
ちんばの少年にとっての「友人」なのだから、書き手なのだ。それがすんなりわからないので、奇妙な焦燥感をおぼえる。

小学校時代の優等生の作文。日記なんだけど、作文だなあ。これにも、「ぼくは」がほんとうにでてこない。あらためておどろかされる。
おつしろう。
きみはいったい。

あー、意識して一人称を使わない人でしたね。
それに比べて、私はいつも「私」ばかりです。
「誰か私を見て」と言わんばかりに。

さきほどの姫野コメントの隣にこれがあった。
懐かしや。
乙少年の日記も。

またもや、かささぎコメントの隣にこれが。
時々、思い出してくれと言わんばかり。

歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ!!
と書いたR.T.ちゃんはもう高校2年生かな。
さ来年は保健医療経営大学に入ってくれないかな。

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