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2009年3月31日 (火)

縺糸闇と遊糸

四月号の『樹』より、東妙寺らんの五句。
おお。りっぱだ!俳句始めて二年ほどとはとても思えぬ。
熱心に俳句歳時記を読み、勉強をしているのだろう。

おみくじの大吉結ぶ春心
隠国の千手を拝し春の闇
縺糸闇の中にもあたたかし
芹の香やゆるりと水を愉しみぬ
芹の葉を辿れば白根したたかに

高卒後夢見る少女は、生き馬の目をぬく銀行業界に就職。
やわらかくて美しい窓口係はどんどん偉くなっていった。
あれよあれよと歳月は矢の様に過ぎ、でも夢見る少女はそのまんま。
高校時代、わたしたちは、いつもいっしょにいた。
なぜかしら気があった。でも大人になってからは疎遠になっていた。
体調を壊し職を辞していなければ、俳句は勧めなかっただろう。
縁が、あったのよね。
最初に出してくれた句を、ちゃんと覚えてる。


朝涼の腕の淋しさ天の風  東妙寺らん

ああ。このためにであっていたのか。
と、そう思った。

俳号は彼女の亡き愛猫の名。

ところで、三句目。
最初、「縺糸闇れんしやみ」というのがあるのかと思った。
普通の歳時記にはでてこないし、かささぎがもってる角川古語辞典と新明解国語辞典第五版と健吉の季寄せにもない。
けれど、もつれた細い糸が闇に浮かぶ様は、わたしに以前読んだある本を思い出させた。鏡五郎*の飛行蜘蛛の研究書である。

英語でゴッサマー。遊糸=ちいさな蜘蛛の糸。有名な追跡調査の本、まだ山下整子が広川図書館で司書をしていたころ、偶然見つけ、借りてきて読んだ。れぎおんにも書いたっけ。とても面白い本だった。蟲好きなひとはよまれてください。感動します。ただ題を忘れました。空飛ぶ蜘蛛。だったかも。

* あれ。鏡五郎。で今検索したら、ど演歌歌手の名だった!
ってこた、まちがえた。間違いの天災かささぎのやりそうなこと。
鏡がついたとおもったのですが・・。山形の人。
何年もかかって遊糸の正体をつきとめるのです。すごいです。
うーん。鏡リュウジじゃないしなあ・・・だれか知ってない。
最初は山本健吉の『遊糸繚乱』の資料で知った本。
追ううちにその鏡さんの本にであった。別名、雪迎え。
かささぎは恋句で一度出したことがある。

雪迎へ垣間見しより繋がれて  恭子

ここで、仕事より帰還。さっそく調べる。
雪迎え。で調べたら、出てきました!
なんと鏡ではなくて、錦でした。とほほ。
ほんとに失礼いたしました。
錦三郎。資料くっつけておきます。齋藤茂吉文化賞受賞の頁。


http://www.pref.yamagata.jp/ou/bunkakankyo/050001/bunkasinko/21-30.html

思えば、かささぎが連句に誘った人たちは、みながみな、本当にすばらしい。
ぼんもせいこさんもたからさんも都さんも乙四郎もばどさんもおとめさんもまことくんもわこちゃんもかぐやさんもさくらさんも木戸さんもらんちゃんも・・ここにあげてない人たちもみんなとってもうまいです。
この有難き縁に、こころからの感謝をもうしあげます。ぺこぺこり。

追伸:

だいじなこと、書き忘れていた。

縺糸闇の正体。

東妙寺らんに「縺糸闇って何。季語?」ときいた。
するってえと、「あれは、もつれいと。闇の中にもあたたかし。
」と言ったあと、「きょうこちゃんたちのことを詠んだとよ」。
やはり天然。

資料紹介:『空をとぶクモ』 錦三郎(学習研究社)
  (八女郡広川町の図書館においてあります)

錦 三郎(にしき・さぶろう)

《南陽市》

 大正3年生まれ
<南陽市赤湯、高畠地区において晩秋の青空を飛ぶ奇現象の解明>
 通称「雪迎え」について、昭和13年より関心を持ち、昭和30年東亜蜘蛛学会に入会、追手門学院大学教授八木沼博士に師事し、専門的に研究し、日本において未開拓の蜘蛛の空中分散について継続的な研究を行い、クモの種類、生態を観察記録し生態学的な解明を果した。蜘蛛の空中分散についての研究では日本で唯一の権威者であり、外国の研究者にもよく知られている。
<山形県内の蜘蛛採集と研究>
 昭和26年より県内の蜘蛛を採集し、リストを作り現在約160種を確認している。その中には新種として発表された「ニシキサラグモ」を始め、数種類の新種を発見している。
<山形県指定天然記念物「白竜湖泥炭形成植物群落」の研究>
 昭和31年から白竜湖湿原植物の調査を行い植物相の推移の記録、スライド作製を続けるほか、昭和33年から同湖周辺の野鳥の観察と記録(映画、スライド製作)を行い、自然保護や野鳥保護に対する貴重な資料を提出し、その重要性を啓発する等、その対象は蜘蛛のみではなく各分野にわたり積極的な活動を続けている。
 主な著書
  昭和39年 「蜘蛛百態」
  昭和47年 「飛行蜘蛛」
  昭和49年 「空をとぶクモ」
  昭和50年 「雪迎え」



2009年3月30日 (月)

連句的。山村暮鳥と吉田渭城

やなせたかしの『だれでも詩人になれる本』(かまくら春秋社)。
山村暮鳥のつぎの詩をよんで、あっとおもった。

  手

    山村暮鳥

しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた

ひらいてみたが
なんにも
なかつた

しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである

それをまた
ひらかせたのも
さびしさである

  花百句より

    吉田渭城

花にきてなつかしく手を開きけり

のーんびりちっご弁「のさん談義」ばしゅい。

そういや「のさんごつ」もあったね。

九州弁で「たくさん」という言葉を知っとるだけ書いてくれんね・・・というmixiコミュニティーの中から、コピペします。

九州ではかなりの数の方言があっと思っとっとたい。

例えばさ。「たーいぎゃ」「そーにゃ」「どしこでん」みたいにさ。そりゃー~「たーいぎゃ」あっと思とっとたいね。

だいけんがさ、皆ん衆が思いつく限りの「たくさん」の方言ばだしてほしかったいね。

よかろか????

こういう事書く人、ばさらかよか人って思うさくらです。

ばさろ。ばさらか。がば。がばり。
さいんこさいんたんじぇんと。

なつかしかですね。
さくらさんな、こげん前から方言ば使いよらしゃったとですね。おみごと!

・・・よかろか????

が、がばいおかしかね。

こぎゃん昔からあたしゃここにコメントしよったばいね。
と新ためて時間の速さに驚き、また、父への手紙掲示板の日付を確かめに行く。
2006年11月3日。

ひゃー、私の知らない世界がここにありました。
2006年、なんばしよったやか?
思い出せません。

年をとると、時間が加速度的に早く過ぎるって本当だね。
さいきん、何年前ってのを正確に測れません。
きょねんとおもってることが、三年前だったりする。

 「のさんごつ」は、6歳下の朝倉高校出身のやつがよく使ってました、「暑してのさん」とか。そいつと一緒に話していた大牟田の人は「がばい(がーば)きた」というので、最初意味がわからなかった。大牟田方面では「がっかり」というような意味らしい。ありゃりゃ、「がばい」にも別の意味があったつの。そいから「佐賀のがばいばあちゃん」の影響で「がばい」が副詞ではなく形容詞的に使われているのが気になる。甲子園でも「がばい打線」とか。「がばいすごか」の「すごか」が省略されていることを忘れちゃいかんよ、間違った方言が広まってしまう。
 「そーにゃ」「どしこでん」(あるいは「どがしこでん」)「ばさろ。ばさらか。がば。がばり。」は今でも久留米でよく使います。「てーげー」は使うけど、「たーいぎゃ」は初めて聞いた。

2009年3月29日 (日)

ETC,etc

きのう二十年ぶりくらいで国道三号線を主に使って八女ー北九州間を往復した。
往路は三時間半、帰路は四時間近くもかかったが、いろんな新発見があり、楽しめた。
それもこれも、ETC搭載車のなんたら*で高速道路が平時の倍近くの通行量、それをさけたおかげ。

高速料金往復六千円近くがまったくゼロ。有難い。
時間は高速の二倍かかるけど、ゆっくり景色を見たり迷ったり、あたらしい福岡を発見できる。
帰路に迷ったフクツ。不撓不屈の福津の風景、よかった。
懐かしい景色に、こころ震えた。なぜかなみだぽろぽろでた。
http://fukutsukankou.com/index.html


おなじ県内なのに、知らないところがいっぱいだ。

夫は戸畑の一人暮らしのははのもとにかえった。
当初から、両方の親の老後をみる。という約束であった。
若い頃はなんとかなると考えていたが、いざ親が老いてくると、いっしょに住まなければ約束は果たせないことにいやでも気付かされる。
気にはかけつつも甘えて引き伸ばし引き伸ばししていた。
そこへ決意を迫られる出来事がおき、夫は帰っていった。
家族がわかれても、前を向いてすすむしかない。
そうおもいながら、かえってきた。

*「き坊の棲みか」日記:

補正予算に、「高速料金割引のための原資五千億円」が計上されていた。
しかし、それがどのように使われるのか、まるでわからない。
TVのニュースなどを見ていると、“遠くまで自分の自動車で遊びに来られて、嬉しい”というようなニコニコ家族の顔が出ている。まるで、高速道路の会社が、太っ腹にも、値下げをサービスしてくれて、得したというふうに誤解させるのを狙っているみたいだ。
国民が全員で税金で払ってるんだよ、割引分を。
ETC会社も税金で補填されて、大儲けだろう。
どういう道路族が画策し、どういう天下り族がほくそえんでいるのか。
五千億円だよ!!
(大江希望)

2009年3月28日 (土)

戸畑から  帰路4

ふしぎなのは、35号線と思って走ってたのが、いつしか53号線になってたこと。
八女着、十九時五十分。
お疲れさん!!

戸畑から  帰路3

あああ。段々暗くなってきました。休憩無しです。
まだまだ筑前の手前あたり。よくはわかりませんが、35号線の案内が。
案内標識の尖端には久留米の文字が出るようになりました。

戸畑から  帰路2

帰路は完全に道に迷ってしまいました。
こんな海に出るような光景、往路にはなかった。
どうも、海沿いの道を福津方面へむいて走ってたようです。
さっぱりわかりません。ここがどこか。・・・恋の浦?勝浦浜?のにき。

戸畑から  帰路1

はら。はらら。・・・ほれ。ちゃんと正面むきなさい。

帰路、遠賀川を過ぎたあとの風景。

戸畑まで   3

おお。交通誘導員発見。ついシンパシーを感じて写してしまう。
ここまで来るとじき戸畑です。左側に新日鉄のシンボルがみえる。

戸畑まで  2

国道三号線は新と旧道と二つあって、途中でわからなくなります。
昔はたった一つだけだったので、迷うことはなかったのに、今や似たような道路がたくさん並行して走っている。ということがよーくわかりました。ここは八幡近く、桜並木が満開です。それにしても、すごく時間かかってる。笑。ただただハンドル握ってた。きらいじゃないのですよね、運転が。

戸畑まで  1

土日、高速料金がetc搭載車のみ千円というので、混雑を嫌い、はじめて下の道路を通って北九州まで出かけてみました。本当に久々の国道三号線。
これはどこかな。右へ曲がれば、月隈(以前いたところ)あたり。

菊と蓬

さくらさんの写真はとっても素敵だ。
最近のヒットは白い花ばかりを束ねて写したもの。

http://blog.goo.ne.jp/cameragurasi/e/7d88dce5bbdb3c9be338423f52f60ca5

花束の右下、特徴のある葉っぱをアレンジしてある。
それがなければ、小さな菊の蕾には気付かぬままだった。
セイコさんのコメントでそれを知る。
なんと心憎いことか。

菊の葉はほんとうに特徴的だ。
以前れぎおんで、故・水沢周さんが随想に書いておられたことなんだけど、菊の葉っぱ一枚でも盗ってきてさしておけば芽が出るので、容易に盗めるものの一つなんだそうだ。(いちごも似てる。こっちで十何年かけて苦労の末編み出した新品種でも、簡単に大陸へ渡ってこっちで出た翌年くらいにはもう出回ってしまうのはそれ。)

揺るること音立つることなき蓬   中山宙虫

菊の葉っぱとよく似たものに、ヨモギがある。
よもぎ、筑後ではフツとよび、フツ餅とかフツ団子にする。
上記、中山宙虫の一句。
異次元ででもあるかのように超然とした蓬が心眼で捉えられ、心に残る。
菊科の植物の葉っぱの特徴なのかもしれない、ぎざぎざの縁。
裏と表の微妙な色のかえし、葉の付け根にひそかに生まれる新たな芽。
しーんとした印象を人の目には与えつつも、心には旺盛な生命力を秘めたいきものとしての風格を染め付ける。

どこかで絵としてのこのような蓬をみたことがある。
あれはなんだったろう。
そうだ。伊藤若冲。
たしかに彼が描いた絵のなかに、あった。

俳句引用:

中山宙虫ブログhttp://musinandanikki.at.webry.info/200803/article_10.html

関連:

き坊の棲みかhttp://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0903.htm#saisin

(3・25付)

きぼうさん・かささぎがむしろ驚いたのは、希望さんがそれをご存じなかったことです。
博学な方でも、そういうことがあるんだな。とふしぎ。ニガヨモギ=チェルノブイリ=ヨハネの黙示録。は原発事故のあくる年だったか、朝日新聞かなにかに連載されていた藤原新也のエッセイでとりあげられていたのを読んだ記憶があります。

これがニガヨモギ↓

http://kitola.hp.infoseek.co.jp/dokusou/nigayomo.html

2009年3月27日 (金)

理に叶い法に叶い情に叶う公共事業

体調すぐれず、きのう仕事を初めて休んだ。

事務所では市の発注にからむ入札の最中。
一件、おとしてしまった。(あ、かささぎの使う「落す」は、入札したではなく、手放してしまった、の意味ですから。)
これまで数年にわたって受託していた体育館の常駐警備ポストを、小さな警備会社に奪われた。そこは利害を度外視した価格で入札した。

「値段が安ければ、とれるの?」
「そ。」

という世の中。
誇りが、もてない。
自分達(わがたち)はぬくぬくとお城のなかで全てが揃った暮らしをしていながら、なぜ人として最低レベルの暮らしを維持するだけの賃金を保証しないのだろう。アメリカ式がすべていいとは限らないではないか。
いまどき、健康保険も年金もなにもつかない職場なんて。と非難するのなら、それだけの賃金を公共機関は支払うべきではないでしょうか。
談合を禁じるなら、なにかべつのやりかたを編み出す必要があったのに、今の入札制度ではまったくはなしになりません。デフレスパイラルの元凶は色々あるでしょうが、これも一因だとおもいます。

エメさん呂伊利さん二人の投稿者の紹介で知った「蜂の巣城」で出合った、さる社会運動家のことばをはりつけておきます。

蜂の巣城紛争と共に公共事業を進める上で銘記されなければならない意識として、室原の次の言葉がある。

公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない。
              室原知幸

資料:http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/All/All_2775.html

2009年3月26日 (木)

夕桜

夕桜

みやま市瀬高中学校のさくらを信号から写す。

昨日は保健医療経営大学の英語の公開講座の最終日。
たくさんの人達がみえて、盛況でした。
高校三年の時に英検二級に受かり、短大でも英語を学んだというのに。
単語も文法もきれいに忘れていた。
日常まったく英語は使わないものね。
月に二回の講座で十ヶ月、一応の中級英語を復習したことになるのですが、佐藤教授の教え方はかささぎにあっていたようで、最後まで投げ出さず、かといってがむしゃらにのめりこむこともなく(トシのせい)、自然体で、仕事がおわってからでもちゃんと通えたのはよかった。

新年度もいろいろなメニューで講座はあるようです。
シェイクスピアの古典英語を学ぶコースってのもあるのです。
かささぎはかつてボランティアでやった廃品回収でシェイクスピアのソネット集を拾って大事に持っている。(『円交五号』で乙骨五郎さんが、詩人としてはミルトンがシェイクスピアよりも上だ。なんていったことまでが蘇る。以前れぎおんにスティングの歌とシェイクスピアを絡めて書いたのも思い出します。)
興味はあるけど、俳句を英語に訳すという授業にも興味があるから、どっちか一つだけでしょう。ぼんはいろいろ言ってますが、今度は私が誘うつもりです。
詩のことばを選ぶ作業は、言語の闇に手をつっこむかたちになるから、とても役に立つような気がしています。せいこさんは来れないでしょうか。どうせなら、連句の仲間を誘いたい。

ところで、九州俳句誌153号を読んでいたら、みやま市の俳人を発見。
ご紹介します。

 みやま  森 さかえ

うろうろと過去世現世を凍豆腐
ペンギンをなるほどと思う日向ぼこ
花八手季節の言葉にぎりしめ
玄冬やまぼろしのごと人ゆけり
極月の水のかたさや飢餓草子

森さかえ(男性)の句は、諧謔的であははと笑える句が多い。
しかし、最後の二句にはっと立ち止まる。
ことに、極月の水と飢餓草子の一句は鬼気迫る。
誰かが、今という時代は平安時代の闇に通じるといってた。

かささぎは、大牟田の俳人、谷口慎也さんが開かれた句会で一度だけお会いしたことがあります。あれは何十年前だったかな。
かささぎ、四十台はじめ、若かった。
大牟田の学校のうら若き先生たちばかりの句会にたった一人で乗り込んでいきました。
句会は初めて、まるで道場破りみたいにドキドキ。
みなさまにはもうしわけないが、武装していった。
句風があちらさまの句会とは対極にあると思われる、高野素十のあまり人口に膾炙してない句を仕込んでいき、さりげに自分の句として出した。

結果は勿論というか何というか、一点も入らず。
だけどそれで妙に元気が出て、にこにこ顔で帰った。

そのときの句、まだ覚えているかな。

雪晴れの障子細目に慈眼かな

これはちがうな。これは日本画家川端龍子の義弟の茅舎の句。
これに似た句だった。中七はおんなじ。

なんとかの障子細めに花御堂  素十

(なんとかを思い出せん。或る寺の、かも。)
確認しました。

ある寺の障子細めに花御堂  高野素十

参照記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_174b.html

洛北の花背にある地蔵院:http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E6%B4%9B%E5%8C%97%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%83%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E5%9C%B0%E8%94%B5%E9%99%A2&search_x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&u=www.edita.jp/matsukaze2005/archive/category4-new.html&w=%E6%B4%9B+%E5%8C%97+%E3%81%AE+%E8%8A%B1+%E8%83%8C+%E3%81%AB+%E3%81%82%E3%82%8B+%E5%9C%B0%E8%94%B5+%E9%99%A2&d=DR8Ysp2uSfQy&icp=1&.intl=jp うわっ長!このなかの3月9日、地蔵院(別名椿寺)の五色八重散り椿ほかさまざまな椿。

http://www.arkys.net/hanaharu.html
案内:

地蔵院 じぞういん 京都市北区一条通西大路東入ル 075-461-1263 市バス「北野白梅町」下車徒歩2分

片桐ユズルの詩「幼年時代」  やなせたかしの本から

やなせたかし著『だれでも詩人になれる本』

     かまくら春秋社・刊

帯のことば  (本文より)

なぜ、東京は乱雑で、街はメチャメチャなのか。
なぜ、ほとんどの印刷物は奇妙なのか。
なぜ、文学も、漫画もポルノ化するのか。
なぜ、幼児の本が、あんなにけたたましいのか。
もちろん、ぼくらは天使じゃない。
ぼくらは聖人じゃない。
しかし、これらの現象に対して精神は加速せずにはいられない。
君はどうなのだ。

  幼年時代

     片桐ユズル

ぼくの絵を ふつうの大人はほめたが
図画の先生は よろこばなかった
枝をそんなに一本一本かいてはいけません
全体の感じをつかんで かくのです
つめたい色彩です
と 絵の先生は話した
のを 母親は見て
それはお前の心がつめたいからだ
不親切で 思いやりがない
もっと暖かくなれそうなもんだのにねえ
夕食のとき たとえば今日ちゃんばらして
遊んだらとても面白かったよと話すと
そんなことして目でもつっついたら
たいへんだ おまけにあんな塀の上に乗っかったりして
塀がこわれたりしたらどうします
それにあの子と遊ぶのは感心しません
などと言われるにきまっていた
それから
今度放課後に 図画の先生が特別に教えてくれるんだって
などと言えばかならずそれじゃ教えてもらいなさい
なんてことになると遊べなくなるから
昼間あったことは言わないことにした

2009年3月25日 (水)

幸福の変遷と山田主幹の幸福な一生   乙四郎文書 

幸福の変遷と山田主幹の幸福な一生

    竹橋乙四郎

文學博士金田一京助編『明解國語辭典』
こおふく【幸福】①しあはせ。さいはひ。②心の底からの満足。

金田一京助、金田一春彦、見坊豪紀、柴田武、山田忠雄[主幹] 『新明解国語辞典』(初版、第二版)
こうふく【幸福】現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。しあわせ。

見坊豪紀、金田一春彦、柴田武、山田忠雄[主幹]、金田一京助 『新明解国語辞典』(第三版)
こうふく【幸福】現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。しあわせ。「しみじみと----(感)を味わう」

金田一京助、柴田武、山田明雄、山田忠雄[主幹] 『新明解国語辞典』(第四版)
こうふく【幸福】現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。しあわせ。「しみじみと----(感)を味わう」

金田一京助、山田忠雄[主幹]、柴田武、酒井憲二、倉持保男、山田明雄 『新明解国語辞典』(第五版)
こうふく【幸福】現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。しあわせ。「しみじみと----(感)を味わう」

山田忠雄[主幹]、柴田武、酒井憲二、倉持保男、山田明雄 『新明解国語辞典』(第六版)
こうふく【幸福】現在(に至るまで)の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持を抱くことも無く、現状が持続してほしいと思う△こと(心の状態)。「思えば----な一生だった/しみじみと----(感)を味わう」

第六版発行時には山田主幹は亡くなられており、「思えば幸福な一生だった」の用例が追記されています。

ついでに、山田主幹の遺書が仕組まれているといわれる【従前】の項です。

(第三版まで)
じゅうぜん【従前】以前(から今まで)。これまで。「----通り」

(第四版)
じゅうぜん【従前】その状態が以前から今まで続いて来たことを表わす。「私はこれから遠方へ参りますが、何とぞ----の通り御見捨てなく御愛顧のほどを願います」

(第五版)
じゅうぜん【従前】今まで△社会的事実として(少なくとも一回は)行われて来た、ということを表わす。「小中学は----通り六日制をとるべきかと思います/----の身分を保持するが、その職務には従事しない」

(第六版)
じゅうぜん【従前】問題として取り上げられる新たな事態に変わる前(に行われてきたこと)。「新カリキュラムは新一年生から適用され、在学生は----通りである/----の身分を保持するが、その職務には従事しない」

第七版以降、主幹の名が変わったら、「従前の身分を保持するが、その職務には従事しない」の用例は消えることになるでしょう。新カリキュラムへの反対も遺言なのでしょうか。

2009年3月24日 (火)

幸せって。片桐ユズルの幸福論、ってかこうづさん。

竹橋乙四郎が新明解の幸福論を出してくれたとき、ちょうど同じ頃に久留米人・神津呂伊利さん(神津兵六)が別件でコメントしござったなかに、(どこさんか行ってしもたコメントのなかに)詩人で翻訳者の片桐ユズルってひとが出てきました。ボブディランの歌詞の翻訳などで知られる人って。

興味があり検索しました。すると舶来の思想を翻訳しござってた。
「幸福論」片桐ユズル訳・バートランド・ラッセル著。
こっです。↓

http://russell.cool.ne.jp/28T-KATA.HTM

で、どこさんかいってしもたコメントば、みつけてきた。
ここんとこ、おせこせしよって、気がぼおーっとしよると。
あ。野球、今日けっしょうですね。
事務所では昨日、部長がケータイ開きっぱなしでみござったので、こちらも聞いておりました。棚からぼたもち。横からwbc。
仕事、もうシーズン終盤。今こんな仕事が多い。建設会社から、伝票を送って。と依頼。から伝票ならこっちは楽なのですが、こういう風に書いてくれ。という依頼がある。それ、困る。共犯依頼なのですよね。冗談じゃない。と思いつつ、逆らえない。ご協力します。だってあちらさんの懐具合と毎日の労働の大変さを肌で知ってる。むげにはできませんとも。なんだかなあ。こういう世の中、矛盾だらけだよね。おとなになりましょうね。

ついでのことに、みつけてきました。
はりつけておきまひょ。それにしても、このこうづ・ろいりって人、何者。
ちっごの方言で、こうづとはふくろうをさします。
ぴったりです。
時々その静謐な文章にひかれて覗いている希望さんのサイトで、こうづをみたっけ。あれはふくろうではなく、みみずく。だったような。まあ、似たようなもんだわね。素人には。

「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」~詩は苦手な私だが、寺山修司と片桐ユズルだけは詩集を読んだ(後者はフォークソングがらみで)。私はこのような思いを感じたことはなく、京都でも東京でも、筑後地区の友達としゃべるときはほとんど久留米弁、今でも年1回やっている高校の関東地区同窓会では、ほとんどの連中がそうです。あ、昔よく寺山修司の物真似やってました。
 大学時代「仁義なき戦い」の影響で、広島弁を喋るのが流行り、おかげで筑後弁(ほぼ久留米弁)・関西弁(京都・大阪・神戸も多少使い分け)・広島弁のバイリンガル、それなのに、英語・中国語・コリア語とそれなりに勉強してもなかなか身につかない。やはり10時間の勉強より1時間の実体験、英会話は中高大と8年やった後よりも、実際海外旅行に行くようになってからのほうがうまくなったし、後の2つも、勉強しただけでなく、今も数年に1回行ってることで何とかそれなりに現状維持している。習うより慣れろ、昔の格言どおりです。

片桐はいりさんとは違うのか。片桐ユズルさんを知りませんですみません。てか、ろいりさんのいわっしゃる人達、たとえば、岡林信康などのメジャーな歌手にしてからが、あまり得意なほうではありません。ほとんど吉田拓郎くらいしか知らない。したがって、あまり詳しくはわからないまま、ついていきますんで、よろしくおねがいいたします。

 片桐ユズル、詩に詳しい人にもあまり知られず、むしろボブ・ディランの歌詞の翻訳とかのほうが知られているかも。ちなみに片桐夕子は日活ロマンポルノで活躍?今もたまに映画・TVに出てます。
 岡林よりずっとメジャーな吉田拓郎、思うにこの2人の活躍する交代期(1970年代初期)が、一つの時代の変わり目のような気がする。「学生運動」が衰退し、三島由紀夫が自死し、米国の威信がガタ落ちし、「いったい日本はどこへ行くんだ」「モーレツからビューティフルへ」というCMがあった時代、久留米では一番街ができ、アマチュア・フォーク団体が生まれては消えていった時代。フォークも売れたもん勝ちとなり、チューリップも海援隊もプロになって売れ線を狙った時代。
 それでも木村屋の味パンはメロンパンなどという小じゃれた名前に変わっていないのでしょうか、うどん屋のメニューに関西や東京にはない「具うどん」は残っているのでしょうか。高校1年の時、大阪から引っ越してきて1年もたってないやつが、学食でこれを「貝うどん」と間違ったのがおかしかったけど、久留米でも今は具うどんというのを見かけない気がする。麺食いの人、教えて下さい。
 

 1970年の久留米の出来事をもう1つ、ロイリーがなくなった年だった。

詳しい解説ありがとうございました。
具うどんはありません。全滅壊滅。
具うどんと素うどんが天下分け目の決戦をしていたのに、いつのまにか両方ともが消えていた。
ぐがおおきい。って言っていたレトルトカレーのシーエムをみたとき、ああそういえばぐうどんはどこへいってしまったの。っておもったくらいですから、もう相当長い不在です。
いまあるのは、ごぼう天うどんと二句うどんとわかめうどんといか天うどんとかぼちゃ天うどんと。そんなのはないか。
ごぼう天にしても、むかしのはほんとにその場でごぼうを裏庭からとってきて(まさか)それを千切りまたはささがきにしたのを目の前で揚げてくれ、その揚げたてをジュッとのっけてくれたものでしたが、いまは出来合いの、たいがいが薄い拍子木きりのばんびろごぼうのてんぷら。それはまさに、博多うどんのも久留米うどんのも筑後うどんのも八女うどんのもぜーんぶいっしょ。てぬきじゃろうが!とひそかにおもいつつも、かささぎはやっぱりごぼう天うどん。あと邪道ですが、カレーうどん。

片桐ユズル、名前が記憶のどこかに残っていました。翻訳でしたか。そうだったのか。名づけ方が、どこか「私のように黒い夜」の平井イサクに似てる気がする。

ごぼ天うどんファンから一言。

八女市役所前のつるやうどんは、注文した後でてんぷらを揚げてくれます。カウンターに座ったので、ほんとに目の前であげてました。
息子は鯛生金山にある、地元野菜を使ったうどん屋で食べたごぼ天うどんが、今までの中で一番おいしかったと言っております。ここも揚げたてでした。

つるやだったんだ。今もあるのね。
こんど行ってごぼ天うどんたべてみる。
目の前で揚げてくれたのは、むかーしむかしの記憶だったので、いまもあるとは知らなかった。
それと、そのたいおきんざんのうどんやさんにもいってみたいものです。いってみたくなるようにかいてあるから。

エメさんが書いていた、げっそうえん。月窓園。レストランだったみたいですが、どこらへんにあったか覚えてますか。私はさっぱり記憶にありません。
高校時代いつも福島に寄り道して帰っていたけど、それは岩田屋のフードセンター界隈だったように覚えています。
松延寛之の連載小説の欄外に広告があって、月窓園の名が載っているので、どこかにあったのでしょね。

鯛生金山へ行く途中、日向神社にお参りしてください。

へへい。ほんじゃ、そうします。
ちかくなんだね。星野とたいお。

月窓園はお菓子の菊屋の近くじゃなかったね?レストランは2つあって、2階建てのところと、信号の横と。どっちだったかよく覚えてない。

こんばんわ
月窓園>>たしか、清水町商店街の南側列の真ん中あたりだったと思いますが、、。
銀行に就職した友人とお昼に入ってオムライスを食べたのが最後です。
バス停四つ角にあったほうの岩田屋の2階でホットケーキを食べてました(高校生のころ)
つるやうどんは土橋の東側列にもあってよく入ってました。
そこは一間口くらいの幅で奥に長いうなぎの寝床タイプの店舗で長いカウンターにお客さんがびっしりでした。
7歳のころ、土橋にある細い路地にある喫茶店でデートする叔母のおまけに連れて行かれた私はコーヒーの香りの室内でココアを飲んだ思い出がありますcoldsweats01
清水町商店街で覚えていて今はないのは履物屋(青木)、帽子屋、桐明書店、薬屋(貴命堂?)とかでしょうかね~(*^_^*)

エメさん。清水町がどこらへんをさすのかさえ、よく知らないというなさけないやめりかんです。
よく覚えてあることに敬意を表します。
ぼんも、わたしよりずっと記憶力がいいんだなあ。
ショック。

九州帰ったら必ず食べるのが「ごぼうてんうどん」です。
昨秋帰った時、なんと実家のそばにおいしいうどんやさんができていて、すかさずごぼうてんうどん食べました。
何しろ田んぼしかない陸の孤島のような実家周辺に、田んぼが全部つぶされて広大な流通センターができて、それでうどんやさんができたというわけ。
ごぼうてんうどんはくるめか博多に行かないと食べられなかったのに。
人が作って人が食べるごく当たりまえの貴重な「おいしいたべもの」です。
東京じゃ、最近こそ少ないけど(おいしくないと売れない)、試食したんかい?と思うような食べ物多かった。

WBCジャパン勝って、超うれしいさくらでした。

 鯛生金山、20年ぐらい前(結婚前)ヨメに車で連れて行ってもらったことあるけど、今調べたら大分県日田市になるんですね。子どもの頃父に八女(たぶん広川)の鉱山発掘跡のようなところに連れて行かれ、「ここは昔だいかが金ば掘りだして一山当ちゅうち思たばってん、金は出らんで大損したとこぞ」と言われたのを思い出しました。いったいどの辺やったのやら。 
 ゴボウ天、私も好きです。前に紹介した、櫛原町1丁目の交差点にある「桃屋うどん」は、いつでも揚げたての天ぷら出してくれまっせ。でも具うどんはやはりない。具うどんって、昔はうどん専門店ではなく、普通の食堂にあったような気がする。それから久留米の素うどんはトロロ昆布が入っていたけど、今は入ってないようですね。それに、昔の食堂でただ「天ぷらうどん」と言えば丸天うどんのことだったけど、こっちではあれを薩摩揚げと言います。やはり文化が違えば言葉も違う?

こんばんわ
鯛生金山や杖たて温泉に行くのに矢部から中津江村に抜けて行きますが、昔から七曲り(車酔いの名所)と言われていた県境に竹原トンネルができてからは早くて便利になりましたね。
この矢部地区の知人の庭近くに大分県にむけて金鉱を掘ったという大きな縦の深い穴がありました(中学時代)
やはり金を掘っていたようです。
星野村も、昔、矢部か大分のほうに金を掘っていたと聞いたことがあります(たぶん事実)
金>>広川の山も上陽黒木星野矢部とつながっているのでありえない話かもですね^^夢は多いほうが楽しいですshine
うどん>>子供時代に自宅で一時期 祖母がうどん屋をしていました。
種類は素うどん、具うどん、肉(牛)うどんの3種でした。
素うどんはネギととろろ昆布。 具うどんはネギ、かまぼこ2枚、カク天をななめにスライスしたもの2枚、ちくわのスライス2枚。 肉うどんはネギと甘辛に煮込んだコマ肉。 ・・・だったと思います。
母は岡持ちを持たされて「出前に行かされるのがすごくいやだった」と後年に言ってました(20代だったから?)・・余談ですけど^^

新解さんの変遷と幸福論その他

早起きしすぎてしまったので、モーニング珈琲をすすりながら、これまで、斜め読みだったものをじっくり時間をかけて読ませていただいた。乙さん。あーたはおもしれえおとこじゃのう。

こい・れんあいの類もこう論理的に語られると、なんかねえ、恋する気持ちも失せてしまう。さくらさんがいうごと、最後はわらってしもうた。
よのなかにしても、へえ、けっこう時代背景あらわしてんなあと思ったわ。変革を羅列して比較するってのは面白いもんが見えるね。

だれか、わたし自身の変貌の比較ってのもやってくれんやか。

新解さんの人格
新明解国語辞典の醍醐味は、その用例の変遷。たとえば第五版では、『せこい』の用例に、
「献金に百円持ってくるように友だちにいわれたそうで、訳のわからない息子は“----教会だな”と思いながらも、たった百円でたくさんお願いをしてきたという。どっちが----のやら」「消費税が五%もかかると聞いた時、“そんなの----”と思った」「世界征服をたくらんでいるというわりには、どうして幼稚園のバスをねらったり、子供をさらったりと、----ことばかりをするのだろうか」「ただ、ぼくらは宇宙船から見た地球をポケーッと見ていたいのに、やらたにスタジオにカメラを切りかえ、タレントたちにムリヤリしゃべらせたりするのは、宇宙の広大さにくらべて、ちょっと発想が----」
これが第五版では、
「百円ショップで売っているのと同じ品を九十八円ショップで買ったと喜んでいるのだから----」「一日一箱吸っていたタバコをやめて、その金を貯金することにしたのは----ようで堅実な蓄財法かもしれない」
に変わる。
新解さんの用例では、生活苦にあえぐ主人公(職業は物書きらしい)の日常がさりげなく(?)書かれている。
第五版『たっぷり』
「お金はないが夜を徹して文学論をやる時間だけは----ある」
第五版、第六版『だって』
「洋服----靴----みんな兄貴のお古だ」
次の版で子供の数が増えていたり、前の版では近かった妻との距離感が、次の版では遠ざかっていったりと、はらはらどきどきで、次の版が待ち遠しくなるような仕掛けもあります。最近の版では、妻に出て行かれて一人暮らし。自炊しています。

すぶた【酢豚】中華料理の名。角切りの豚肉にかたくり粉をまぶして油で揚げ、いためたネギ・タケノコなどを加えて、酢・砂糖などで調味し、水に溶かしたかたくり粉を入れ、とろ火でからめたもの。

第五版から第六版にかけてのクライマックスは親子関係。詳しくは本書(辞典)で。
第五版『しみじみ』
「別に父と私との間に----としたものがあるわけではないのに、そうして山の端に二人でしゃがんでいると、親しいものがあるのであった」
第五版『ちょいちょい』
「私が床につくと、父は母よりも----病室に来た」
第五版『たま』
「----にやってくる(かと思えば、また金の無心かね)」
第五版『たまたま』
「文明の民はたとい親子の間でも・・・別居しなければならない。・・・----親子同居するものがあっても、息子がおやじから利息のつく金を借りたり他人のように下宿料を払ったりする」
第六版『たま』
「----には連絡してくれ」
第六版『たまたま』
「----無駄遣いを注意したばかりに、その後妙によそよそしくなった」

ふうん。みにしみるねえ。
なんかさ。いまって時代はなにが普通なのかが、さっぱりわからない。でも、この山田って辞書編集者は、われらの父、母の世代とおなじく子沢山の家に生れて、目一杯その団欒のなかでもまれて大きくなった。という印象がありますね。目一杯昭和の人。
ところで。
乙四郎はいつから竹橋乙四郎となったのかを調べていた。そしたら全く関係ないけど、3月18日ごろ息子の修学証明書を母校のふくしま高校にとりにいったことを思い出しました。ということは、去年のいまごろは子はまだ試験もうけていなかったんだ。なんだかみょうだねえ。

日付まちがえた。
3月23日

新解さんの魅力を紹介する面白いページがありました。
   ↓

   ↑
これは危険なページでした。
貴重な時間を何時間も食われてしまった!

中に、金田一春彦氏が新明解から去ったエピソードがあり、次の用語解釈の対立が書いてありました。

マンション〔mansion〕
 スラムの感じが比較的少ないように作った、鉄筋のアパート式高層住宅。〔各階で個人・家族が使用する一画には、賃貸しのものと分譲する方式のものとが有る〕 (第4版まで)

 危険なページ、今回はちょびっと覗いただけですぐ逃げてきた。マンションの項目なんて、ここまでくればビアスの「悪魔の辞典」ですね。
 福島高校という学校があるのを知ったのは大学に入った年で、1講座30~40人ぐらいしかいない中に、2人も福島高出身者がいた。そして数日後に島を出て行く同僚の奥さんも福島高出身、夫は八女高校、2人も立花町出身で中学生の時の同級生らしい(御夫婦ともに60歳)。奇遇でした。

新解さんの哲学
これは、是非、皆さんへ紹介せねば。

いのち【命】①生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称。(一瞬一瞬生きることの繰返しとしてとらえられる緊張の持続であり、客観的には有限であるものが、主体的には無限の連続として受け取られる所に、その特徴が有る)「----を賭けて守る」《その他用例省略》②「命①」の続く間。

命を賭けて、の命も、客観的には有限なものだったことに気付かされ、ハッとした。

こうふく【幸福】現在(に至るまで)の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持を抱くことも無く、現状が持続してほしいと思う△こと(心の状態)。

幸福は自分の心の内にあり、追い求めようとすると消えてしまうものだと教えられた。

ぼんじん【凡人】自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。

「ぼん」は凡人にあらず。

(第二版~第五版)ぞくじん【俗人】①高遠な理想を持たず、すべての人を金持と貧乏人、知名な人とそうでない人とに分け、自分はなんとかして前者になりたいと、そればかりを人生の目標にして△暮らす(努力する)人。②天下国家の問題、人生いかに生きるべきかということに関心が無く、人のうわさや異性の話ばかりする人。③高尚な趣味や芸術などに関心を持たない人。④俗②。
(第六版)ぞくじん【俗人】①(高遠な理想を実現させるためには全てを犠牲にしても惜しくはないなどといった考えは持たず)世間的な立身出世にあこがれたり自分の家族の幸福を願ったりして生きる、ごくありふれた常識感覚を身につけている人。②出家していない人。

山田主幹(1996年没)の影響力が薄れた第六版では、俗人でいいじゃないか、という気分になるが、第五版までで育った者には、俗人であってはいかん、という気概があった。

なるほど。
むかし、「なるほど」なる莨ありけり。
たばこもこっちの草冠に良いという字(ほんとはウシトラね)ですと、くすりなみの待遇になる。けさのちびまるこちゃん、おやじさんのたばこネタ。これもペーソスがあった。
おつしろう。まだ付けてくれた項、開いてないけど、付けてくれた文章から察するに、山田さんは近代知さんと決裂したの。へえ。どっこの世界にもそれありますね。昭和の俳句界を批評で牛耳っていたといっても過言ではない山本健吉にしたって、かげで批判を浴びていた。あったりまえなのかもしれないけど。当人の死後にでてくるのが腑に落ちないというか卑怯な気がする。だけどこれが俗世間なんだろう。

ろいりさんへ。
福島高校はかつて女学校でした。
五木寛之さんが出られたころは、まだ女学校があった地(いまの市役所があるところらへん)に建っていたらしいです。

こぶし咲く 昨日の今日と なりしかな 健吉

午前中、こぶし満開の堺屋へ行ってきました。夢中落花文庫に健吉愛用の辞書。山田俊雄編修の『新潮国語辞典-現代語・古語-』。かなり出世しており、使い込みが良くわかる。
横町町家交流館にも行ってきました。ここの二階を訪れるたび、何か書き残さねば、と触発される。もし、作品が後世に残り、誰かが資料館を作ってくれるような展開になれば、愛用の辞書として新解さんが並ぶことでしょう。

名前の由来

その昔、東京ボンタというコメディアンがいました。彼が一世を風靡していた頃、大都会久留米から一人の転校生が広川中にやってきた。
美しく?聡明な?彼女は一日で彼らを魅了した。廊下側の一番前の席に座らされ、誰も彼もが彼女を一目見んとて、5組の廊下を行ったり来たりした。
担任の国語の先生は、「ほんだ」という姓を使って遊び、ほんとうだというところを「ほんだ、ほんだ。」というふうに言って、クラスを笑わせた。
その内仲良くなったとっしゃんが、ほんだを逆にして「ぼんたちゃん」と呼び始めた。それからは皆が「ぼんたちゃん」と呼び始め、いつからか「た」がとれ、さらに「ちゃん」もなくなった。

な~んも関係なかばってん、書いておこうかなと思いました。

留め書き  どうにかできました。これから清書です。あーもう、ベストも編まないかんとに、いそがしかあ。ご飯のしたく、すうごつなかー。

危険なページ  覗いてしまいました。

「ぶす」は舐めたらいかんのです。きりがなくなります。困ったもんだ。

へえそうだったの。はじめてきいたよ。
ごはんのしたく。これはねー。
最後の砦だ。
逃げられない。
おひるなにした。
こんぶといりことしいたけで大根とごぼう天とゆで卵をおでんみたいに煮た。あと葱とかまぼこだけ入ったニュウメン。これ、年寄り風だよね。子ども中心にすればじいばあが食べんし、年配メニューにしたらこどもは他にラーメンとかを自分で作る。どっちもはきつい。以前はやっていた。今はせん。食べたければわがでせい。とおもうようになった。
昔にくらべれば、ずいぶん父が進歩した。
朝わたしが起きれないときがある。すると父がスイッチいれてる。それどころかたまに味噌汁もこさえてる。およよとおどろきです!これが三人目を出産したとき、母が介護にきてたのを六日目で呼び戻したおとこか。と思う。
やっぱりどうしてん、九州のおとこは男尊女卑やけん。ばってん、それじゃいかんのよ。いまという時代は。

2009年3月23日 (月)

羽犬塚駅

羽犬塚駅

竜の灰、君が代と繋がる。

「円交五号」を引用していたときだったと思います。
乙骨一族について何も先入観なくただひたすら君が代を国歌として発掘した家と捉え、広く紹介しようとして黙々と引用したものですが、あるとき、ある朝、朝刊の一面広告に、日本ではいちばん大きいといっても過言ではない、政治団体までもっている宗派が、とても信じられないような口調で特定の個人をこきおろす(具体的には乙骨まさおという人を)本が広告してあるのが目にとまりました。
思わずぎょっとして、はじめて調べてみたら、その乙骨氏は反そうかがっかいキャンペーンの本陣におられる方なのでした。うわあっと頭がいたくなった無知なかささぎは、その日一日寝込んでしまいました。
そうしたら、翌日だったか、ある匿名のかたが有難いコメントをくださったのです。
その乙骨氏は乙骨太郎乙一族とは無関係であるとおっしゃるのでした。そこで、わたしは、すんでのところで、そういう政治的ないやらしい攻撃合戦にまきこまれることから救われ、気をとりなおして、無事引用を続けることができました。

そういうことを、ふっとここで、このドラゴンアッシュのくだりで、何の脈絡もなくなぜ、思い出したのか。
それがですね、こういうことです。
ドラゴンアッシュ、何も知らなかったものですから、ボーカルのバタ臭いおにいさんを調べたのです。するとこの人は俳優古谷一行の息子だった。
へえ・・・
古谷一行。当たり役は、金田一耕助。
はっ。金田一。横溝せいし。はっ。。。真珠郎。。。。ときて、ここでぴたっとつながった。
私はでも、いつだったか巻き戻せないのです。
以前コメントを下さったかた。知人とおっしゃった。そのつまり、友人におなじ乙骨姓の太郎乙一族のかたがいらして、その姓の登場人物(たしか信州でした)が出てくる小説が一編あり、それが横溝せいしの金田一ものの一つ、真珠郎だった。というのでした。確かそう、ですよね?
こんなまわりくどい接続のしかたがあったとは。
連句的にぴたっと繋がったことに驚きを禁じえない。それを糸とおもっているのは、わたしだけかもしれないのですけど。あのときのコメント、もう一度読み直したいけど、大量の山をどうやって検索するかわかりません。

コメントを発掘することはできませんでしたが、映画の説明をみつけてきました。

すばらしい秘書をお持ちですね。
類まれな事務処理能力に、
感心を通り越して、
ただただあきれはてて?おります。笑

横溝正史といえば金田一耕輔、金田一耕輔といえば金田一京助、金田一京助といえば明解国語辞典、明解国語辞典といえば新明解国語辞典、新明解国語辞典といえば乙四郎、乙四郎といえば乙骨三四郎、乙骨三四郎といえば横溝正史
ここでも繋がった。

おおそうです。
うわあ。ありがとう!!
三年も前のことになるのですね。
乙の骨、乙四郎も一つ拾ったのですね。

昨年の3月6日の投稿の引用です。
=====================
東妙寺さん・・・「妙子」さんのフルネームが香ってきます。妙香寺ならリサーチ済みだけど。
乙骨太郎乙・・・当然、ペンネーム付ける前にリサーチ済みですよ。この方のリサーチの延長線上に妙香寺が出てきて、そこに
>クラブ活動ってなんだったの。
の回答が潜んでいます。
=====================
乙の骨は当初から拾っていました。
   ↓

http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/kitagata/txt/myoukouji.htm

龍は想像上の動物。瀧は、水となって降りてくる龍。姿形がぼんやりとしてはっきりしない、それが龍のイメージ。朧は、月がぼんやりとした状態。だから龍がいる。
バンド名のDragon Ashは、“drag on ash”(だらだらしていたら灰になる)だそうな by Wiki。

笑。
産休縁燐寸。

灰。瀞。擾。情。城。錠。常。聶。襄。
ああちがう。じょうという字をさがしている。
でてこない。尉。これだ。
灰=尉
これ、大切な連想の糸。
しかも辞書をひくと、みよ。里見とんがいる。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%B0%D3

じょう【尉】(能楽で)白髪の、老人の男性。おきな。(白い灰になった炭火の意にも用いられる)⇒姥
あしたのじょう【明日のジョー】白髪になって燃え尽きたボクサーの男性。

里見とんは有島武郎の実弟。本名は山内英夫(やまのうち ひでお)。
ペンネームは、電話帳をペラペラとめくり指でトンと突いた所が里見姓であったことに由来by Wiki。

里見とんがなぜ関係あるのかな。
わからんごとなってきました。
大石政則日記に関係あった?
とむ。とん。
ああそうか。
とむ、と読ませる名前をつけたのは、乙骨太郎乙の家のえーとあれは、。ベンジャミンフランクリンがどうの。というくだりがでてくる。だれだっけ。わすれたけど、ともかく、さとみとんとおなじ字だったような。それで関係してくるってわけ。それと大石政則日記がかささぎの頭の中でおなじ分類になってるのは、たぶん、乙四郎のおともだちのてんだーさんの名づけがややそれに似ていたからかもしれません。

ひとりで勝手におもっていればいい。はいはい、そうします。

里見と名付けはここからの連想では?
   ↓

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a688.html

投稿: 乙四郎 | 2009年3月23日 (月) 00時04分

乙四郎、いつも助け舟を必要なときにありがとう。
いっしょうけんめい以前調べていたことが、こういうかたちで再び立ち現れて、いまに繋がっていくことがうれしいです。
ただ一つ気になることがあって、ドラゴンアッシュのボーカル、降谷けんじさんのためにもう一筆書いて、弁護しなきゃいけないかも(親の七光みたいな風に思われるのがいやだし)。


2009年3月22日 (日)

ドラゴンアッシュ

こないだ乙四郎の書いていた句に付句して出来た句、

朧月ドラゴンアッシュ聞きながら   恭子

ふと見れば、朧という字のなかには竜がいる。
以前書いた「夕凪ユニオン」につけていた動画が削除されていたので、なにか別の資料はないかとさがした。そしたら、ちょうど新アルバムのキャンペーンがあっていて、代々木公園ライブ映像が見つかった。

http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00091/v06050/

このなかのダンサーのスーツ、胸を抉るドラクロアレッド。
http://homepage3.nifty.com/akaikutu/rk/jiyu.htm
そしてボーカルのセーターは印象的なフェルメールブルー。http://irean.s1.xrea.com/mix/type23.shtml

歌はしかし、ライブではただ騒々しい。
ですから、こっちでこれをきいてほしい。

繋がりSUNSET
http://streaming.yahoo.co.jp/c/t/00091/v06050/v0605000000000512141/

夢で逢えたら
http://streaming.yahoo.co.jp/c/t/00091/v06050/v0605000000000512845/

芽木の雨

芽木の雨

芽木の雨一所懸命やさしくて    恭子

きのうまで柿の枝には何も見えなかった
なのに
春雨がやさしくそっと呼びかけると
柿のかぐろい幹がかかげた無数の指先から
いっせいにわっと声をあげて応える
黄みどり色の
葉っぱの赤ん坊たち

2009年3月20日 (金)

ちっご弁で筑後弁の思い出を語ろう。ほか、連句のお誘い。

ろいりさん

主人に話をしたら、「お目にかかっても、なんも話はしきらんじゃろ。(口下手なので。)それよか、作詞を頼めないだろうか。会社の同僚たち3人で、バンド(のまねごと)をしている。オリジナルの曲を作りたいけどできないでいるから。風景の描写と、心の動きを重ね合わせたようなのがいい。」そうです。
無理なお願いだとは思いますが、いかがでしょうか?

 このブログ、数日見なかったら、どの記事読んでコメントしていいのやら、わからんごつなる、と思い数日分読んでるところで、ぼんさんのコメント見つけました。いやはや、ありがたいお話ながら、私は前にも書いたように、韻文系統はあまり得意じゃないのです。謙遜ではなく、ほんなこつ、ほんなこて、作詞も作曲もしきらん、オリジナルを作りきらんけん、フォークソングから遠ざかったようなものなので。
 かささぎさん、「今日も元気だ煙草がうまい」というのは、1971~72年頃NHKでやっていた「天下御免」というドラマ(平賀源内が主人公)の脚本(早坂暁)の中に出てきたのだった。ということはその頃の流行語か。それと、八幡には「やはた」「やわた」「はちまん」と、いろんな読み方があるな、そう言えば江戸川乱歩の小説で「八幡の藪知らず」なんて言葉覚えたなと思い、今調べたら、その語源は千葉の市川にある心霊スポットだったらしい。ありゃりゃ、市川市は私の姉が結婚時に住んでた所、甥の本籍地じゃなかね。で、滋賀県のほうの近江八幡というのはそれこそ「部落差別」問題が大きかったところで、岡林はそれにも影響されたらしい。初期の歌には特にその傾向が強かった。

ろりぽっぷろりぽっぷ。ぼぼんぼんぼん。
ろゐりさんのコメントは上級生こめんと。むずかしかあ。くわしかあ。人のおぼえとらんとこまでおぼえとらす。(この~シトラスという物言いは、シトラッシャル同様、ぞんざいにみえてその実尊敬の意が含まれる。この微妙な方言のニュアンス。ちょっと標準語にこの類のことばをさがしても見つからない。くるめ弁の~シゴザルって猿語同様に高度な分析が必要とされるところだろう。)・・おいおい。

ぼんのご主人って真っ向勝負の人だなあ。
いきなり一番むずかしい要求ばつきつけてくる。
歌詞でも俳句でも詩でも、いちばんむづかしいのは、「風景に寄せて」心情をうたうことではないでしょうか。リリシズムの極致みたいな要求をごつごつした理屈肌の人に求めてもよ。
かささぎにはぼんのご主人への明解なイメージがあり、それは紋付はかまで庭に突っ立って詩吟高唱。イメージをこわさんでくれ。笑
いやまてよ。同じか。一直線上にならぶ。乙の太陽光線がつくる山の影理論みたいに。

ご主人様はなんでんよかけん、作ってもろてくれとしかおっしゃいませんでした。「人に物を頼むときは具体的にある程度の条件を出したほうがいいよ。」(連句のしばり)と言っていろいろ言わせて、私がまとめたものです。しゅじんはあほです。なんも(他人のことは)考えてません。自分さえ良ければいいという、典型的な人物です。

 「ねえ、そのへんをさるかない?」「え?どこに猿がいるの?」 これは無理して共通語使おうとした筑後人が女性をデートに誘おうとした時の言葉と、筑後人ではない相手の勘違いの反応という、高校生の頃はやった自虐的方言ギャグです。もっともその頃でさえ、「さるく」という言葉を使う友達はいなかったが。八女の皆さんいかがでしょうか。久留米弁では「…しござる」「…しよらす」両方使うけど「…しとらっしゃる」はあまり使わんような気がする。これが筑前だと「…しよんしゃる」になるとやろね。例えば「覚えとんしゃる」とか。
 ぼんさん(のご主人様)、期待に添えずすんまっしぇん。でも、バンドってどんな傾向のものか気になる、よかったら教えて下さい。ロック系?フォーク系?なんせ友部正人ファンちいうのがね。ギター片手に高校へ、はて、まさか私のように下駄はいてというほどアホじゃなかでっしょうもん。

 あ、忘れとった、さっき篠山小出身のヨメに聞いたら、「ふなやき」知ってました。生まれ育った所は歩いて20分ぐらいしか違わんのに。

「おばしゃんのござったもんね・・・」とか
普通に使いよったけど、今声上げてしばしわろた。
おらっしゃるとかござるとか、太郎冠者次郎冠者とかのあれ、のごたるよね。
ものすごく丁寧な言葉かもしれんね。

そいがっさい、先週の土曜日東京のテレビで「アド街っく天国」と言う番組で、なんと「久留米特集」だったとよ。
この番組は東京都内と近郊の街だけを取り上げて
深く探訪するもので、たまーに札幌・名古屋大坂・広島・博多・沖縄があるんだけど、そのたまーに取り上げる地方都市がなぜ「久留米」なのか不思議。
ゲストは久留米出身タレント鮎川誠・チェッカーズの竹内、藤吉産婦人科の娘さん藤吉久美子でした。
3人で小学校はどこや、日吉校、おれも、私も・・となって堅い握手して盛り上がっていました。
文化街も新世界も登場しましたとも。
新世界は今年取り壊されてビルになると言ってました。昭和風情の居酒屋が並んでいましたが、場所的には井筒屋の裏あたりのようだけどどうしても私はそこの記憶がよみがえりませんでした。
竹内さんは文化街でお母さんがバーをしていて文化街っ子だったといっていました。
屋台やラーメンなど食べものやさんのほか神社仏閣、病院の多さ、ゴム三社も登場、興味深く見ました。
この番組、九州でもやってる?
番組HP貼り付けました。
掲示板久留米版もあります。

久留米の回、もちろん、見ました。
鯉とりまぁしゃん、懐かしい響きでした。
三潴の「ふかぼり」邸など、知りませんでした。久留米には名所がたくさんありますね。

こんばんわ
あどまちっく>>見ました。録画もあります。
ラーメンは安武の丸好と六反畑の・・(え~っと、、名前が出てきません・・)がおいしい。
お鮨は六つ門の回転しげながが好みです^^♪特にあぶりあなご♪
八女は昔、月窓園(想?字あってる?)のオムライスが好きでした。
黄色い卵に包まれたオムライスに真っ赤なケチャップがたっぷりたら~っとかけてあってきれいでした~heart
キムラヤで食パンにマーガリンとジャムをそれぞれぬってもらったパンがおいしかった♪
土橋の角の飴がた屋さんの餅飴やお茶飴もおいしかったです^^♪

マイボスから聞いてしまった。とおもいました。
一時間もあってたんだって。丸星ラーメンも出てきたそう。ずあんねん!

さるく。いまも父とか普通にいいよります。
これしっとる。たかざるき。
背の高い猿。

あどまちっく。見ましたよ、もちろん。
大阪在住の婿から、電話があったの。
見て見て、久留米が出てる、って。大騒ぎで。あわててチャンネルを合わせました。

キムラヤといったら、なんったって丸味パン。今でも大好き。ラーメンは大砲ラーメン。でもいまは、龍の家がお気に入り。ごぼ天うどん。娘娘のぎょうざ。そうそう、行ったことがないのが久留米の屋台。焼き鳥も餃子もおいしそうだった。この屋台で紹介されたぎょうざ、八女の鉄鍋で食べさせていたぎょうざによく似ていていて、ああ、鉄鍋の餃子が食べた~~いと家族で叫んでしまったのだった。鉄鍋の餃子、絶品だったのになあ。

くるめっていまとても活気がある。旧市街地のにしてつ駅付近ではなくて、東のほう。ゆめタウンのにき(付近)。
なんとか給付金も八女より一月も早い久留米。
いまひらめいた。
この「にき」ってことば。ひょっとして韓国語。
高橋こうしろう先生の書かれた父上の本のことで、これによく似たことばがでてきたっけな。なんだったかな。ううん。ううん。おお。おもいだした!かかとの「あど」。それ、韓国語だったよね?
アド間チックって、ところで、なに。どういういみ?

方言は、ひとつづつ思い出しながら盛り上がるのが楽しい。
従って、皆さん、これは決して見てはなりませぬ。
   ↓

佐賀弁講座でもじごんでるごつ笑ろたけど、ちっご弁で再び。

佐賀弁でも「えーくろた」が一番わろたけど、ここにもあった。

乙さん、ありがとうございます。

ずいぶん以前、テレビの音をつけたまま聞くともなく聞こえていて、八女のここんにきの人達がず~っとしゃっべてあると思いながらふと見ましたら、韓国のうんと地方のおっちゃんやおばちゃんたちが井戸端などでおしゃべりしていたのでした。
かなりかなり驚きました☆
ハングル語なのに八女弁(ちっご弁)とイントネーションがまるで同じだったのです!
知人の韓国人に聞いたことがあるけど、あちらも日本みたいに各地の方言がすごいらしくてましてやお年寄りの方言などは全然わからないと言ってました。
昔々から朝鮮半島の国と交流があった町だもの、在して暮らし始めた人もたくさんいたはずですよね。
同じ単語やアクセントが似ているのは不思議ではありませんね^^☆彡

ですね。一番エッとおもったのが、カチ。韓国語だったとは。カチガラス、かささぎ。
「ええくろた」。高1の頃だったと思うけど、かささぎのうちに三人の友達がきて、お誕生日会をしたんだろうね、くりごはんがあったから。「赤だまハニーワイン」当時ブルーコメッツが宣伝していたワインをのんで、ふたんちゃんがぐでんぐでんになって「ええくろうた」って階段からおっちゃけそうになったのをらんちゃんが支えて・・というのを思い出します。とてもまじめな高校生でした。ではおやすみなさいまし。

見たらいかんちかいちゃったけど、見たばい。
よくまとめとらしゃったね。ごくろうさん。
乙さんも、どこからさがしてこらっしゃっとやか。ほんなこてあきるる。いそがしかとやろばってん。
そいばってん、えらいおもしろかった。知らんともあったけん、勉強になったばい。今日の夢はちっごべんでみっとやなかやか。楽しみばい。

ここは、だーだー、ちさっちいおごつなる。
コメントのばさらかいみるけんのさんね。

ちっご弁集を書いたおっちゃんもおかしかね。
横顔のページ

 「アド街っく天国」、不在中なので録画したけどまだ見ていません。
 「決して見てはなりませぬ」ち言われたら、誰(だっ)でん見るくさい。残念ながら時間なくてザアッとしか見とらんけど、最初んにきであれ?と思ったのは、家で使っていた「じいちゃん」「ばあちゃん」「おとうちゃん」「おかあちゃん」「姉ちゃん」「兄ちゃん」が載っとらん、これは筑後弁ではなく共通語的な言い方なのだろうからしょんなかばってん(実際、家族の呼び方などでは今方言使う人少ないでしょ)、「おっちゃん」(これは西日本一帯で使う)ときたら「おばしゃん」じゃなかと?「おばはん」はむしろ関西弁っぽい。その他、おうこれこれ、という言葉、知らない言葉、筑後地区以外でも使いそうな言葉と、様々な受け止め方をしています。ありゃ、またここで乙四郎魔術にかかり時間食うてしもた。

おばしゃんばなしわすれらしゃったじゃろ。
ふのわるか。のフと、
あんしたいっでんふうわるうゆう。(あのひとはいつでも口がわるい)のフウは、おんなじじゃろか。
ついでに筑後弁の「じゃん」ことばと横浜弁のジャン言葉はなしけんおんなじ。

school中学んとき半年ほど教鞭にこらしゃった30代くらいの男先生から「このクラスには猫がいるようだね」と、皮肉を言われたことがあったとよ。
女子が「なんなんやんニャ~・・」「そうやんニャ~・・」「ほんなこっちゃんニャ~・・」
もちろんみんなで猛反発(陰で・・(^_^;))
で、何の教科の先生かいっちょんおぼえとらんとよ(^^ゞ素朴で、田舎くさくてもよかやんねね~shoe
たぶん今でもみょうにきどっとらっしゃると思います。。

こんばんは。
今日ははんぶん眠っています。つかれた~
次男の三者面談があって学校へ行った。毎年のことながらこのときしかいきません。成績十番もあがってて、先生からはじめてほめられた。少年のきもちは複雑だ。父親がいない寂しさをエンジンにかえることができたようで、正解だったようね。とおろかな母親はひとりおもった。
ところで。学校の大学入試合格速報をもらった。
みてたら乙四郎大学にも三人合格していた。

エメさん。方言で話すことがいやでたまらなくなり、それを聞くのもいやだったというころがありませんでしたか。
よその土地にいき、そこで暮らし始め、まったく異なるイントネーションのことばに初めて囲まれて緊張を強いられたころ。里帰りをするたび、親の話す田舎言葉がしんから恥ずかしく、いやでいやでたまらなかったよ。理不尽なことだけど、そのときはそう感じた。
まわりには外国語のようにさっぱり何をいってるかわからない鹿児島出身のひともいたし、佐賀出身や五島出身の人など、独特のなまりをもった友達がたくさんいて、そのひとたちのことばを面白がる自分がいた。なのに、自分がなまっていることはあまり自覚できなかった。

 言葉の違いはわかってもアクセントの違いがいまだにわからない。「雨」と「飴」、「橋」「端」「箸」、「柿」と「牡蠣」等々。そして話し方に抑揚がないので、こっちではよく北関東出身と間違われる。私のしゃべり方は立松和平に似ているそうな。顔は似とらんよ。 
 ところで朝鮮半島の言葉の影響、「奈良」というのも「ナラ」(国)が語源のようです。昔々の渡来人が大和地方に住み着き、ここを「ウリナラ」(我らの国)と呼んだらしい。近代以降は「チョンガ」(チョンガッ=独身)とか「パッチ」(パジ=ももひき)とか。「カチ」は「一緒に」という意味の「カッチ」じゃろか?私、韓国リピーターで、言葉もだいぶん覚えました。驚いた時の「アチャ!」も筑後弁に似ている。
 横浜弁「じゃん」との共通性は、高校生の時学級日誌に書いた覚えがある。

おはようございます。
私は昔からなぜか初対面の方に「どちらからですか?(よっぽど遠い他県★)」と聞かれることが多いのです。
なので、いつも、「八女弁しかしゃべれません(^^ゞ」とお答えしています♪
母は広川なので広川弁もOKです(^_-)-☆
この地を出たことがないので方言をどうとらえられるのかはほとんど経験がないけど、昔旅行で関西に行ったときにホテルのエレベーターで相方とおしゃべりしてて同じBOXの人に「クスッ」と笑われたとこはありますgawk
方言大好きなんです。数年前「方言は地方の財産です☆」と何かに書きました♪
旅行に出るとその地方のきっすいの方言を聞くのがなによりの楽しみです。
方言に熱心な方バスガイドさんにあたると「もうかった~heart」って思います。
方言はいにしえからの文化そのものですよね☆

・・・とまあ熱心に語りましたが、場合や相手によっては八女弁をはずしてもしゃべれます。
たぶんなまってはいるんですけど(^^ゞ
なまりっていいですね~。
鳥越俊太郎氏のちっごなまりは大好きです^^

若かりし頃、東京に住む友人の家におじゃましたとき、自分では標準語をしゃべっていたつもりだった。でも、やはりイントネーションが違っていて、自分でもはっきり自覚できた。友人は
1 広川弁
2 東京弁
3 英語   を瞬時にあやつり、まさに同時通訳者でした。
恥ずかしかった思い出です。

うちの長女の7歳になるむすめも、いわゆるばいりんがるばい。なんせ、ちっご弁に横浜弁、最近は大阪弁まで口にする。身に付かなかったのは、名古屋弁だけかなあ。

横浜のじいばあとは横浜弁でしゃべり、福岡じいばあとはちっご弁で、学校のお友達とは大阪弁で話すらしい。改めて、こどもの順応力ってすごいよねと感心させられた。

おわわわぁぁ・・・・どこまで編集したかわからんごつなった。

皆さん、多忙を縫って大事な記憶を書き付けてくださってることに感謝します。
いつか、なにかに役立つと、かささぎは信じている。

おくもじ。さくらさんが書いてくれたおくもじは由緒正しい茶道のことば。っての、どっかに資料がありますか。調べてみたんですが、阿波弁と出ています。漬物、青い葉っぱの。そんな説明でしたが、むしろ、おくもじはゆもじ。という時代がかったものを連想させます。
今日明日で書かなければいけないものがあって集中しようとしているのですが。
こういうときに限って、ろくなことは考えない。
ふじわらのりかはりこんやらせんでもちっとしんぼうすべきじゃないか。とか。どげんんでんよかこつに気がゆくとですたいねえ。

ろいりさん。かちは徒歩という目のつけどころセンスいいっす。
スキップの鵲(かち)のあと行くスキップで 
こんな句ができたことがある。落ち込んでいるときにかちのあとをスキップでついていったら、治ってたことがある。あほみたいだけど。(うつの人はいっぺんやってみるかちがある。)
独特の歩き方をしますし、ひとに近い所にいます。

古里を出て長い人でも訛は抜けないものなのですね。寺山修司を映像でききますと、うわあっておもう。よくぞごぶじで。というか、そういう賛嘆の念。

ところで。ろいりさんやえめさんは文章書くのがおすきみたい。
一度連句会においでください。保健医療経営大学でやります。
韻文とか散文とかに全くこだわらず、ひらめいた言葉をさっと書いて出せばいいんで。
絶対がない相対の世界。どこを切り取っても、ずっとそう、たい。
中心が常に移動する。今が移動する。これからの文芸です。

つぎは、四月十一日。これる。かな。こうづしまより近くなったから来れるか。高速をとばしてくればいい。何時間かかるかしらんばってん。千円でこれるかな。あそうだ。ガソリン代が別途かかるね。えめさんはどうでしょうか。あと、前原の博徒ばどさんやわが町内のたからさんはどうでしょね。ひまならきちゃり。たすけるとおもって。

ぼんは午後三時から仕事、午前中はこれる。
せいこさんはいちごの摘み取り作業があるかもしれない。
これは重労働ですからね。でも、予定に入れておいてくれる。
東妙寺らんは大丈夫、参加。ありがと!
中山そらんさんは当日夜に句会あり。でも、午前中は大丈夫。
いちばん大事な学長は。中座することがあるかもしれないが、在学とのことです。
前田先生は、目下スケジュールを調整中で未定。
みな、たいへん多忙な時期ですが、ほんのちょっとでもいいから集まって、すわって、句を一つでもいいから出して帰る。そこがいいんですよね。てか、そのスタイルしかない。
(連句に興味をおもちのかた、どうぞ参加ください。)

2009年3月19日 (木)

カーネーション

カーネーション

むらさき色のカーネーションがきれいで、つい写しました。
去年バラをくれた隊員さんが、贈ってくれたものです。
上の壁にはマイボスのかな書道の作品が無造作に押しピンで貼り付けてあります。
このとても神経のこまやかな、勝気にみえてその実弱いところのある人と、おおざっぱでのうてんきな私とは、ふしぎと気があう。うそがない。という一点で結びついている。

2009年3月18日 (水)

新明解国語辞典 (辞書にある人格)

うめちゃんと言う有名な25歳女性写真家がいます。

http://tenjin.keizai.biz/headline/photo/1605/

彼女の写真は田舎に帰って撮ったじいちゃんばあちゃん、小学生男子のふざけてる写真ばかりです。

カメラや写真についてのうんちくが全て吹き飛ぶ面白くてたまらない写真ばかりです。

「うめめ」(梅ちゃんの目で撮った写真)と言う写真集が爆発的に売れています。

うめちゃん。おもしろい写真ですね。かかかってわらえる。

うめかよさんは「男子」で話題になった時に知りました。歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ夢をもつ女児も撮ってほしいところ。
梅佳代(本名)さんは、高校の進路相談で「イチローと結婚したい」と夢を語り、スポーツカメラマンとしてイチローに近づくために写真の専門学校に進学したとか。「写真を撮っていればおじいちゃんは死なない」とも言っているとか。
写真集「うめ版 新明解国語辞典×梅佳代」(三省堂)というのを発刊しているらしい。明解国語辞典(復刻版)以降のすべての版の新明解国語辞典を揃えている乙としては、うめかよさんも新解さんファンらしいことがわかって嬉しい。さん付けで呼ばれる国語辞典はこれくらいでしょう。
(学研の国語辞典)
ざせき【座席】すわる所。席。
(新解さん)
ざせき【座席】その人が腰かけて何かを見たり、ずっとすわって乗って行けたりする席。
(うめ版)
ベンチに二匹の猫の写真入り。

こい【恋】、よのなか【世の中】も
   ↓

世の中の解説がふかいですね。
世の中は・・というときの場面設定からまず入ってるかんじ。
ねこがずっしりすわってるベンチの写真、すごくいいね。座席ということば、解説のことば、ほどよい距離とあそびがある。

恋と恋愛の変遷

明解國語辭典(昭和18年)
こい【戀】愛情をよせること。戀愛。
れんあい【戀愛】男女間のこひ慕ふ愛情。こひ。
新明解国語辞典(昭和47年)
こい【恋】[男女の間で]好きで、一緒になりたいと思う強い気持ち(を持つこと)。
れんあい【恋愛】一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること。
新明解国語辞典第二版(昭和49年)
初版と同じ。
新明解国語辞典第三版(昭和56年)
こい【恋】①恋愛。②その土地に(もう)一度遊んで見たい、その物に(もう)一度接して見たいという強い気持ちに駆られて、抑えることが出来ない心の状態。
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。
新明解国語辞典第四版(平成元年)
第三版と同じ。
新明解国語辞典第五版(平成9年)
こい【恋】①特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が昂揚する一方、破局を恐れての不安と焦躁に駆られる心的状態。②その土地に(もう)一度遊んで見たい、その物に(もう)一度接して見たいという強い気持ちに駆られて、抑えることが出来ない心の状態。
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。
新明解国語辞典第六版(平成17年)
こい【恋】特定の異性に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦躁に駆られる心的状態。
れんあい【恋愛】特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

世の中の変遷

明解國語辭典(昭和18年)
よのなか【世の中】①世間。社會。②現世。③人情。④よごころ。
新明解国語辞典(昭和47年)
よのなか【世の中】①人びとが互いにかかわりあいを持って住んでいる所。世間。社会。②時代。
新明解国語辞典第二版(昭和49年)
初版と同じ。
新明解国語辞典第三版(昭和56年)
よのなか【世の中】①同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。②時代。
新明解国語辞典第四版(平成元年)
よのなか【世の中】①同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。②現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。
新明解国語辞典第五版(平成9年)
よのなか【世の中】①同時代に属する社会を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。②現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。
新明解国語辞典第六版(平成17年)
よのなか【世の中】①社会人として生きる個個の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望を抱かせる面とが混在するととらえられる。②現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。

「世の中」の解説、ほほう!そうかい。
と感心します。

「恋」「恋愛」も前にどっかで読みました。
どうしても最後のほうで爆笑となります。
誰が書くのやら、書いてる人の顔を見たいです。
度の強いめがねをかけて、腕カバーをつけたがっちがっちのおじさんだったら?

さくらさん、そ。そんなかんじがしますよね。

ところで乙四郎。おごくろでござった。
きっちりと比較してもらってなるほどでした。
以前新明解が話題になったとき、有名な恋の項(合体がどうのこうの)を立ち読みした記憶がありますが、こうしてまとめていただけると、違いがくっきりします。編者はどこにこだわったかまで。
あたしは山田みづえ(石橋秀野論を書いた俳人、いま九十台とおもうけど。八女に見えたとき講演を聴きました)氏のお話をきいたことがあって、父上が高名な辞書学者の山田孝雄博士で・・・と知っていましたが、新明解の山田忠雄さんがみづえさんの兄にあたるのか弟さんかはよく存じません。でも兄弟なのですよね。なにしろ、兄弟がほぼ辞書を編む人ばかり。みづえさんはこうおっしゃっていました。
わたしは父の辞書を繰る音を子守唄がわりに育ちました。
ひえ~っとおもいました。でも、ユーモアセンスのある方で、そのおかたの兄さんならさもありなん。とおもって。
初詣一度もせずに老いにけり
なんて句を教えて下さった、ご自分の。
以前みづえ句集についてはこのブログでも紹介してるので興味があるかたはどうぞお読みください。俳人として立派なかたがたはどんなにつらい目にあってこられたのか。というのがよくわかる。↓

国語学者の山田孝雄(やまだよしお)は尋常中学校を中退後、独学で小、中学校教員検定試験に合格。小、中学校教員をへて、ついには東北帝国大学教授となっている。退官後は1940年に神宮皇學館大學学長、1941年神祇院参与、1945年愛宕神社名誉宮司。戦後公職追放され、国語辞典の編修に専念。
子供は9人。男子は、山田忠雄(国語学)・山田英雄 (日本史学)・山田俊雄(国語学)・山田春雄、女子は山田さくら・山田みづえ・山田さなえ・山田ちあき・山田かおる。

店内風景

店内風景

坂本繁二郎の絵

坂本繁二郎の絵

久留米の丸星ラーメン店のものです。

絵にちなむエピソードはこちらをクリックして下さい。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-02b8.html

2009年3月17日 (火)

三姉妹を映画館へ

日曜、久留米の映画館へ母達三姉妹をつれていく。
前から三列目の席で『おくりびと』をみました。
先売券という二日前から買える入場券を土曜に購入していたので、当日は並ぶこともなく、スムーズに入れました。
開演に三分ほど遅れてしまったのですが、場内はスロープばかりで階段はない造りでした。
これなら暗くても、転ばず安心です。


はじめて母を映画に連れていったのです。
あまりにも前方すぎて首が痛かったけど、目が不自由なすぐ下の叔母(八女在住)がたいそう喜んでくれました。
もう一人の久留米の叔母(むかし黒木駅近くにいた叔母)も思いがけなかったといって喜んでくれました。
映画は面白くてうつくしく、示唆に富んでいました。
できすぎと感じもしたが、映画では自然に思えるからふしぎだ。

主人公が幼い日別れた父役の俳優さん(峰岸徹)の一回切りの眼差し。
山形の窓外にしきりと雪の降る景色。
チェロを弾く支点となる床の一点の深い疵。
・・これらがゆたかな音色とともに心に刻まれる映画でありました。

もうちょい

もうちょい

「霧の朝」の写真とおなじ場所。

まだまだ

まだまだ

2009年3月16日 (月)

夢のよせ書き

夢のよせ書き

  竹橋乙四郎

原点いろいろ
上妻PTA新聞第93号『継志堂』(2009年3月15日)に卒業生全員の夢の寄せ書きが掲載されていた。

<スポーツ系>
サッカー選手になりたい9人。水泳選手2人。相撲の選手。柔道か相撲の監督。スキーをする。世界に注目されるようなプレーをしたい。
野球選手10人。この中の2人のコメント。
プロ野球選手になる。めざせ5億円。
プロ野球選手になってお母さんを楽にしてあげたい。

<職業系>
外科医。薬剤師。看護師3人。保育士7人。幼稚園の先生。美容師6人。トリマー。ペットトリマー。スタイリスト。パティシエール。パティシエ。棋士。料理人2人。マンガ家。考古学者。
おいしいパンを焼きたい。
板前になってお店を出すぞ。
コンピュータやロボットを作りたい。
人の役に立てる人になります。
みんなを喜ばせる仕事につく。
博士になってキャビアを食べる。
芸人になってみんなを笑わせたい。
歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ。
介護福祉士になってたくさんのおじいちゃんやおばあちゃんを元気にさせたいです。

<その他の夢>
宝クジで3億あてるぞ。
3億円あてて日本一周旅行。
世界一周するぞ。
外国の町を旅したい。
セレブな暮らしがしたい。
「大人買い」をしたい。
大学に行く。
将来ちゃんと職について金を稼ぎたいです。

担任の先生に”卒業おめでとう。記念に君たちの将来の夢を書き残そう”とか言われて、同級生たちの、○○になりたい、の力強い字が居並ぶ中、こじんまりとした整った字で

歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ!!

と書いたR.T.ちゃん(女)。
あなたの感性を、かささぎの旗は待ってる(と思う)。

笑。
なんでわかると。ほんとにそうおもった。
ぱっと具体的な像がうかぶ素晴らしい答えだから。
あと「大人買いをしたい」ってなんだろ?っておもった。
ja発行の情報誌みていたら、こういう夢も載っていた。小6か小5の男子。福岡の芸能学校に所属していて、そこで義務教育では習わない種々の技能を修得、将来はプロの・・あれ。なんだったかな。わすれた。プロの芸人?サッカー選手?八女の子にしてはおしゃれだなあと思って。八女から福岡まで通ってるんですね。すごい時代。

いんがっと浮いとらすと IN GOD WE TRUST

IN GOD WE TRUST

   竹橋乙四郎

「34丁目の奇跡」(いくつかあるバージョンのひとつ)で、サンタの存在の傍証にドル紙幣の裏の「IN GOD WE TRUST」の印刷が用いられていました。
1ドル札では、ピラミッドの上に光輪を放つ目が浮いています。

いんがっと浮いとらすと。

永遠の神の目を意味し、物質の上に精神を置くものだとのこと。
金貨や銀貨と違い、紙幣は単なる紙切れにすぎず、神の威厳をもって紙を神に通じさせた先人の智恵。
日本最古の紙幣は、伊勢神宮が発行した「山田羽書」。守武のちょっと後の時代。確か伊勢神宮は経済危機だったはず。自分でお金を印刷して脱したのか・・・
単なる紙切れが、伊勢神宮の威厳によって神に通じた。

   ↓

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_09.htm

かささぎ族の声:

八女方言いんがっと。は、方言「もっとっと」=入念に。に似て、ていねいに、きちんと、というような、すみずみまで気が行きまわっていることをさします。
おつしろうが書いていたように(かいてなかったかも)、かささぎも、方言のいくつかは中世にこの地方にきたばてれんの異国語の転だと思う。「ばってん」=but thenから、「いんがっと」=in godから。てなふうに。あ。でもばてれんは英語はなしたかな。ポルトガル語だった?ありゃ。そこらへんの基本的な押さえがまったくできとらん。

2009年3月15日 (日)

じっちゃん

じっちゃん

年に一度の村人総出の溝浚い。
じっちゃんが出てくれた。
水路の草を刈ったり、空き缶を片付けたりします。

薄氷

薄氷

人参を洗ひし水の薄氷    恭子

2009年3月14日 (土)

発禁とか放送禁止とか自粛とかの系譜

第八百四十五夜
森達也『放送禁止歌』
(1/10)


 美輪明宏さんに「長いあいだ、『ヨイトマケの唄』が流れなかったでしょう。どうしてですか」と聞いたことがある。美輪さんが吐き捨てるように言った、「あれね、ほんとにバカな話なのよ。“土方”っていう言葉がダメだっていうのね」。土方が差別用語だというのだ。「聞こえてくるよ、あの唄が、働く土方のあの声が、貧しい土方のあの声が」という箇所だ。
 早川義夫のジャックスの名曲『からっぽの世界』も、突然、レコードからもラジオからも姿を消した。「ぼく 唖になっちゃった」の「唖」が差別用語だという理由である。フォーク・クルセダーズの『イムジン河』は南よりの歌詞だというので、朝鮮総連からの抗議があって自粛された。『イムジン河』が復活したのはごく最近のことである。
 実はぼくが作詞して、小室等が作曲してくれた『Zの挽歌』も受難した。「きのう 佐世保の商店街で 催涙弾を投げられた べつに日本が嫌いじゃないけれど あすの ゲバルト やれはせぬ」という1番の歌詞だが、ラジオで小室が歌ったところ、そこがカットされた(3番か5番まで作ったが、いま思い出せないでいる)。翌日、電話がかかってきて「松岡さん、あれ、放送禁止ですって」と小室が言った。やっぱり、そういうことがあるのかと思った。1969年だったか。

ちょっくら上の文章、どっかから盗んでまいりました。
松岡正剛さんちみたいですね。
名前が入ってますし、だいじょぶでしょ。
名文だとおもう。ご縁に感謝。

先日ブログになにげなく、部落ということばを書いた。
親切な友がそれは禁止語、集落におきかえたほうがよい。
と助言してくれた。
いやだ。とかささぎはおもったので、そう説明した。
こども時代から運動会の花形種目に部落リレーがあった。
しぜんな言葉なのだ。それを、わざわざ他のことばに置き換える。
そういう小細工をすることが差別なのだと強くおもうから。
むかし、ちびくろサンボがそれで消えた。
あほくさい。
ことばをけすな。
ことばの灯をけすな。

母のこと  

母のこと

  神崎さくら

母は3人姉妹の長女でした。(だから父は養子)
3人姉妹はずーっと元気で仲良しでした。
この3人が居るうちは私は子供で居られると思っていました。
母が死に、相次いで次女82歳が最近脳梗塞で倒れました。
三女は一番地味で無口で芯が強い。
姉ちゃん二人の看病をぐちもこぼさずしてくれる。
次女入院中で空きやとなった家にせっせと通って冷蔵庫の掃除などしてくる。
77歳にもなって、昔の布で姉ちゃん二人の服をいっぱい縫ってあげてることに驚いた。
仲が良かったとはいえ、この三女、若くして未亡人になり孤軍奮闘したのに、二人の姉ちゃんにあまり助けてもらったわけではない。
丈夫で姉ちゃんたちの面倒を最後まで見られるという運命だと思ってるという。

80歳すぎたら体内ではどっかに故障が起きてると思わなきゃいけないのではないかと思います。
いつかはその日が来るってわかってるのに、その日が来て初めて気がつくことが多いこと。
幸い脳梗塞の次女は復帰して会話ができそうなので、そうなったら「あれは絶対聞いて処理しとかなきゃいけないね」などと言っています。

花嫁談義(ちがいますって)

宇徳敬子と聞いて、最初は全然知らんと思ったが、Mi-keのメンバーとわかり、早速今は亡き、同い年でジャックス(40年近く前に解散)・ファンクラブのメンバーでもあった元同僚の遺品、「想い出のG・S・九十九里浜」というビデオのパッケージを見たが、どの子かわからん。フォークルの何をカバーしているのか、よければアルバム名とか教えて下さい、乙四郎さん。
 あとついでと言っちゃなんだが、「君の元気は僕の元気さファイト!」の後の、「命の喜びに~」と「だってこんなにファイン・デイ」?の間の歌詞も教えていただければ幸いです。
 パソコンそんなに得意じゃないので、コメントの最後の↓の意味がわからん。

 あ、顔はわかった、ビデオパッケージに、老眼者には見えにくい一番小さな字で書いてあった。このビデオは1991年発売だから、もう「女の子」ではないか。

きみの元気は僕の元気さ ファイト!
いのちのよろこびに Yes it's goo-d goo-d Mor-nin'
だってこんなに Fine Day~
「↓」は、矢印の先のアンダーラインのある名前をクリックすると関連リンクが見れますよ、という符牒です。

Mi-KeはBBクイーンズのバックコーラスの三人組が独立したものなので、宇徳敬子はMi-KeとBBクイーンズと合わせて3回も紅白に出場されておられることになります。「想い出の九十九里浜」はGSヒットソングのタイトルばかりを繋ぎ合わせて歌詞にしたもの。ずいぶん昔のことなので、もう40歳を超えておられる頃と思います。
業績をWikiでピックアップしてみました。Cecile Minamiとかいう別名を使われたりするので実態が掴みにくい。乙四郎みたいだ。一時はZARDの坂井 泉水(本名:蒲池 幸子)との同一人物説まで流れたりしましたが、生きてせっせとブログを書かれてますので同一人物ではありませぬ。
(作詞または作曲)
NTTドコモ・ポケットベルCM曲
TBS系「COUNT DOWN TV」オープニング曲
伊藤園「お~いお茶」CM曲
「三井生命」CM曲
読売テレビ・日本テレビ系「名探偵コナン」エンディング曲
テレビ朝日系「超次元タイムボンバー」エンディング曲
フジテレビ系「中華一番!」エンディング曲
コーセー「Newサロンスタイル」CM曲
テレビ朝日系「トゥナイト2」エンディング曲
TBSテレビ「クチコミ」エンディング曲
知的障害者スポーツ大会ゆうあいピック(岐阜)テーマ曲
フジテレビ系月曜サスペンスシリーズ「ウーマンドリーム」エンディング曲
『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』ゲームのオープニング曲とエンディング曲
WANDS「Please tell me Jesus」
薬師丸ひろ子「Love holic」
(レコーディング参加)
T-BOLAN 「刹那さを消せやしない」「愛のために愛の中で」
WANDS 「世界中の誰よりきっと ~album version~」「WORST CRIME」
TUBE「good day sunshine(アルバム)」
B'z「LOVE PHANTOM」
松本孝弘「KNOCKIN'“T”AROUND(アルバム)」
北原愛子、愛内里菜 、小松未歩、Fayray 他

想い出の九十九里浜
   ↓

 乙四郎さんありがとう、また1つ賢くなりました。フォークルの曲というより、北山修ー加藤和彦コンビの曲なんですね。ところで、フォークルは解散後も年に1回は「同窓会」をやると言ってたのになぜやらなかったのか、限定付新フォークルになぜはしだのりひこが入らなかったのか、どうやら北山と端田の不仲のせいらしいです。これはジャックス(知っちゃるですか?)ファンクラブ会員から聞いた話と、そこからの推測。
 よし、何とか給付金でMi-Keの、そして宇徳敬子のCD買おうかな。

はしだのりひこは神学部卒業。俗世間の価値観とは違う価値観の中で生きているのかも。北山修はフォークルが解散した後も『花嫁』(作詞・北山修 作曲・端田宣彦)などいい詞を提供しているし、2001年のはしだのりひこのアルバムにも北山修が寄稿しているから、二人の不仲が原因ということはないのでは。そもそも、解散後、不仲になるだけの接近をしている様子がない。

花嫁。いいことばです。(花嫁は正花になるんじゃなかったかな、連句の雑、恋での。)
新鮮だったなあ。
女性ボーカルのどちらかといえば低い堂々とした伸びのある声と、はしだのりひこのビブラートぎみの高い声と。
みけさんはしりませんで、すみません。
ところで。遠い昔のうねさん、いきてらっしゃるようでよかったなあ・・。とおもった。
かささぎは個人的にとても愛着のあるかたなので。いえいえ、何の関係もない無関係な他人ですが、失踪当時の新聞に投稿したことがあって。さすがにあほなかささぎでもぶしつけなことは書けないと思い、靴のことを書いたんでした。足のサイズが24・5とあったので、親近感がわいたのよね。背もたかいひとだったらしく。コードネームが李恩恵と書いて、り・うねと読むのもとっても印象的でした。
息子さんが母親のことをおかあさん。とよべないきもち、いたいですね。
横山めぐみさんたちもきっといきておられるとおもいます。
早く無事な姿でもどってきてほしいものです。待ちわびてある父上や母上のもとへ。

きむさんの振る舞いなんと美しいのでしょう。
一昔前の日本女性そのもの、彼女を日本人化する役目であった「り・うね」こと田口八重子さんときむさんが、お互いに過酷な運命を背負いながら過ごした日々がどんなものであったかがにじみ出てるような女性に見えました。
田口お兄さんと会ったときまず「私のほうから挨拶しなければならなかったのに、すみません・・・」と言う
のが第一声だった。
まずすみませんと言うのが一番日本人らしいところですが、そっくり彼女はそんな振る舞いでした。
誰も悪くない。
命を懸けて生きてる人は研ぎすまされていてただただ美しい。

特攻隊員もみな美しかった。

 どうでもいいことだけど(と言いながらこだわるこの私)、端田は経済学部で、岡林が神学部中退です。端田は伏見稲荷の近くの化粧品屋の息子で、高校か中学から同志社、岡林は父親が近江八幡の牧師で、神学部ながらボクシング部所属という変わり者。同志社は他にシューベルツのおちゆうじ、夭折した井上博、今はロック評論家の中川五郎と、関西フォークのメッカだった。そして私はそれにあこがれてこの大学に入ったけど、入学後は映画ばっかり見てたというアホだった。
 まあ不仲だったとしてもほんの一時期の話でしょう。「フェアウェル・コンサート」のレコードで、北山が年に1度同窓会のようなことを、と言いながら結局実現しなかったのは、シューベルツの活動が忙しいと、端田が断り、北山は機嫌を悪くしたらしいが自分の勉学の道でも忙しくなったし、加藤はもともとロック志向があって我が道を進んだ。シューベルツの3曲目からは杉田二郎が作曲もヴォーカルもメインになり、確かに「花嫁」は北山・端田コンビ(もう1人、のちに高石友也とナターシャセブンのメンバーになる坂庭省吾も共同作曲)だが、北山・加藤コンビに比べると曲が少なくなった。乙四郎さんが言うように、2人の接近が少なくなった、縁遠くなったというところか。でもやはり限定復活には端田も一枚加わってほしかった。
 前にぼんさんのコメントにあったけど、夫が友部正人のファンクラブとは渋い!ギター片手に高校へ行き、岡林も加川良もよく御存、お友達になりたいわぁ、もちろん乙四郎さんとも、いやいや他の方々とも。と、これまた全方位外交。

ねえねえそれって、「オフ会」をしようってこと?憧れの「オフ会」娘がよく行っていた「オフ会」してみたいわあ。
実現したらどうなるんじゃろ。何語で話せばいいじゃろか。

 「オフ会」って何ですか?何となくわかるけど?何語もなんもあーた、しょせんちっご弁くさ。
 今日からまた引っ越し準備で東京帰るので、数日お休みします。

いんがっと、ようら談義

今朝は夫からいきなりの方言パンチでした。
当方、治療中の歯の詰め物から消毒味が出てきていたのです。。
leo「いんがぁっと 入れてもらい~」・・
若い人が聞いたらまるで外国語ですよね。 
インガット!・・インゴット!
shineインゴットが1ポンあれば大金持ち~scissors

八女方言の王道はやっぱ「よ~ら」でしょうか~☆
これは永遠に不滅のような気がします。
娘たちも私も使わない日がありません。
なんにでも使えて便利ですばらしい言葉ですよね~☆
あと好きな方言は「すびく」・・スビィ~ク・・何語♪

城島町(現在は久留米市)に図書館の併設された複合施設があって、そこの愛称が「インガットホール」です。オープンした当時に図書館を見に行きました。「インガットホール」ってどんな意味なんだろうと思っていたら、やはり、その「いんがっと」でした。ちっご弁の「いんがっと」です。直訳すれば「ていねいに」でしょうが、なんかニュアンスが違うでしょ?やっぱし、いんが~っと、ですもんねえ。

うんうん。くるめはほとめきのまちって勝手に名乗りをあげとらっしゃるね。
今日職場では、いつになく高尚な話題がでてきました。英語のナイト騎士やナイフにはKがついてるのに、よまないのはなぜか。とA隊員。ゼットン隊員答えていわく、そりゃあれよ。もともとちゃんと発音してたのが、だんだん落ちてきたんでしょ。シンコペーションだからね。・・なになに。しんこぺーしょんとな。た、たーん、た。くないと。くないふ。なるへそ。ぜっとん隊員、さすがうるとら警備隊出身。

 「よ~ら」というのも「なしけん」同様、旧瀬高町出身で高校2年は森山さんと同級生&10年ぐらい前は塾経営者仲間でもあった広川町「木下塾」の木下というやつがよく使っていた。これと「なしけん」というのは、久留米では使わんから、八女~山門地方の言葉だろうか、あるいはもっと広範囲に使われているのか?そして「ふなやき」というのもこいつから初めて聞いた言葉の1つ、これは八女で使いますか?「いんがっと」?「すびく」?、じぇんじぇん聞いたこんなか。

あそこんだんなさんな、いんがぁーっとしとんなさる。

不祥事が起きて大変な取り込み中にもかかわらず
だんなさんは我関せず・・・と言う風に鷹揚に構えてる・・・・
こんな風に使います。
親切にという意味に使うとは知りませんでした。

ろいりーさん。久留米で「ようら」は使わないんですか?はじめて知りました。じゃあ、南筑後圏内の方言なのかなあ。広川で「なしけん」は微妙です。言うなら「なして?」でしょうか。
「すびく」は「しみる」こと?「冷たいもんが歯にすびく」と使われるのではなかったか。これも広川では馴染みがない気がします。

さくらさん。いんがっとの使い方が違うんですね。この辺では「あんひとはいんがっとしとらっしゃる」というのは「なにをするにもきち~んとしてる」とか「手を抜かずにやる人」とか「仕事がきれいな人」とか、そのような意味合いで使われるようですよ。

ふなやきは知ってました。久留米のときから。
「ようら」はつかうけど、いつからつかっていたかはわからない。いつか甘木の人に「ようら」をつかったら、わからないと言われた事がある。
「いんがっと」は三潴は使わんごたる。

同じ筑後でも、いろいろやね。
前にも書いたけど、父は福井県出身。ばあちゃんから育てられたから福井の言葉を思い出しているんだけど、何も思い出せない。何かあるとおもうんだけど。

すびく>>小学生の冬、道の霜柱や水溜りにできた薄い氷を靴で踏みこわしながら通学しましたね。
あの時手袋の中でも手はかじかんでいて すびい~ていました。
ほんとに、歯に冷たいものがすびくといいますね。
さっき、方言のページを見ていましたら日にちの呼び方のこれはどうも八女方言のようです。
1日・・いちんち  2日・・にんち  5日・・ごんち  6日・・ろくんち  7日・・なぬか又は、しちんち  8日・・はちんち  9日・・くんち
私今でもかなりこのまま使ってる気がします@@byヤメリカ人

エメさん、数の10のことは「とんお」じゃない?

さくらさん、はい^^10はたしかに「とんお」ですね。
普段なにげに使っている言葉を改めて見直してみるとかなりおかしくておもしろい事実がありますhappy02

すびくもスビィクと書くとまるで外地のことばみたいですね。季語すさまじ「冷まじ」とつながってる。
とんお!
ふろにはいったら、とんおかぞゆるまで浸かっとかやんぞ。
というふうに使っていました。

いんがっとだけはなしけんそげなことばなのかみえない。
in godだったりして。

おはようございます。
in god>>^^私も思いました。 ガットもゴットも神様☆ それにしても不思議な言葉・・・。
他県からの娘婿に「よ~ら」を説明するのはかなり難しいです。
よ~らよかよhappy01 よ~らしてからpout よ~らしとるばってんcoldsweats01 よ~らやけんbearing よ~らくさcatface 
・・きりなくありますね。 よ~ら、大好き^^よかごつですけど・・。

泣きわめいて学校や幼稚園に行きたがらなかった子がここにも約2名いるみたいだけど、あれは何だったのか。(必ずクラスに1、2名いたよね)

「子供が泣くこと」について孫が出来てよく観察するようになった。

子供はかなり早くから大人の気持ちから何から全ておみとうし、だけどそれを表現する手段を持たずもどかしさから泣くことで主張しているのだと思う。
子供が泣くという事はすばらしいことだとわかった。
なんでうちの子はこんなに泣くやろかと思わんでよろし。

泣かないで我慢ばかりしていた子は、大人になって主張するのが下手な気がする。

ここの御大お二人さんの主張は、子供の頃からかなりのもんだったと云うこと。

私は4歳の下の妹をつれて学校行って、幼稚園にも私が迎えに行ってた。
その妹が行きたくないと泣きすがる。
3年生の私は妹を自分のクラスの席に座らせて授業を受けていた。
お~かわいい話だ。

エメさんすばらしい!よ~らの羅列。連句できる素質あり。言葉遊びの一面も持っているんですよ、連句は。次回はどうぞおいでくださいませ。

櫻姉御も連句むきです。はるばるおいでください。
さくらさんは姉としてけなげなふるまいをなさっていたのが目にみえるようです。妹って甘えられると思ったら、とことん甘えない?まるで姉は保護者ですよね。

そうだった!
大事な話があったのよ。
マイボスは純久留米人で高良さんの神域に育った由緒正しきお嬢さま。
古風で、とてもしっかりしてる。このひとに筑後の代表的おやつ、ふなやきをきいてみた。知ってた!そしてこういった。「おこのみやきみたいな生地に黒砂糖をくるくるまいたとやろ。あれは利休が伝えたおかしなんだってよ。」
江戸千家を長らくなさってる人がおっしゃると、ほんとに思える。

ばあちゃん達が使っていた漬物のことを「おくもじ」、
これは由緒正しい茶の湯のことばだと知った。

稿: さくら | 2009年3月13日 (金) 21時34分

資料

江戸千家と久留米藩http://www.edosenke.jp/history/index.html

2009年3月13日 (金)

大根の花   安西均

 大根の花

     安西 均

  ― 宗治郎(そうじろ)に
  おかねが泣きて口説(くど)き居(を)り
  大根の花白きゆふぐれ

啄木の『一握の砂』にある、
わたしの好きな一首だ。
おかねは、お国訛で口説いてゐる。
  ― おらぁ、おめはんどこ、好ぎで好ぎで、
  わがね、宗治郎さ、
  おらどこ捨てるつもりだすか?

大根の花なんか、どこにでも咲く。
宗治郎もおかねも、
全国いたる所で恋をしてゐる。
肥後熊本だったら、
おかねはかう言ふ。
  ― あたきゃ、あんたに惚れとるばい。
わたしの生国・筑前博多近くの、
色の浅黒いおかねなら、
  ― うちゃ、ああたば、好いとうとよ。

わが友・三井葉子は、
近畿河内の生れ育ちだが、
どんなお国ことばで恋をしたやら?
  ― わたくしたちは、いつも
  標準語で恋をし、
  標準語で詩を書いてきた。
さうあっさり言ってゐた。
とりわけ詩人にとっては、
ひどく切なく、むづかしいことを。

大根の花だけだ。
標準語みたいに全国に分布しながら、
しかも方言みたいに懐かしいものは。

 詩集『晩夏光』1991・11・10花神社刊より

2009年3月12日 (木)

方言で昭和の記憶を語ろう

ごーほん
そーにゃ
ばさらか

さくらさんから教えられて
消去されてた記憶がひとつ。
やっぱり、この辺でも、つくしを「づくっぽ」といってたそうです。これは、五歳違いの連れ合いの記憶でした。

ごーほんは、個数の多さに。動詞の形容には用いない。そーにゃ、ばさらか、こ、は両方に用いることも可能。みたいな用途でしょうか。

つくしのごーほんとれた。

コーヒー飲んだらねむくなく。

ばさろ、ばさらか、ばさか、こまった。

けっ?!ここにもよいっぱりがひとりおる。
それも、てーげな時間帯。
それこそ、てーげにせんの。

きょうもげんきだ。たばこがうまい。・・ってかいてみたかった。あれはよくできたコピーだったね。ではいってきまっす。

 「わがよかーごつして・・・」は「自分の(都合の)良いようにばかりして」=わがままだけど、まさしくこの「わが」こそ、一人称にも二人称にも変わりうる「自分(の)」と同じでしょう。「わが祖国」と言えば一人称自分の祖国だし、久留米で(八女でも?)「わが何ば言よっとか」と言う時はぞんざいな二人称だし。そういや日田出身の人は「ぬしゃ何言よるかい」と言ってた、「主は」が縮まったのだろう。
 「きょうもげんきだ。たばこがうまい。」、これ、つい最近読んだ本に出てきて、そういやこんなコピーがあったな、今じゃ使えないなと思ったけど、もう何の本か忘れっしもた。

ないないばなしでよそ者にはさっぱり意味がつうじていないという。(連句のときよそ者そらんsaid.)
そりでちゃ、けんかつにいちいち対訳やらつけらるるもんですか。
きのうねていないかささぎはもうねます。
さいごに、
たばこの害だけを唱えるよりたばこの徳も唱える世の中でありたい。
かささぎは二十歳から二十八歳まで吸っていた。喫煙とはとても精神的なものであった、とおもう。

こんばんわ
カッポス>>あああ~なつかしい~です~☆
紙石鹸で手を洗ったり、おんじゃくでコンクリに絵を描いたり、、。
瓦の破片で爪を磨くとピカピカになりましたshine

わが>>男の子はそう言ってました。
きさん>>大人びた子はけんか相手にこう言ってたようです(夫より) 貴様のことやろけど、相手にさんや様を付けるんだから丁寧ですよね(^_^;)

出ました、紙石鹸。これ、どこにでもは売ってなかったのよね。当時住んでいた小頭町にはなくて、日吉小の前の文房具屋さんに、不良と呼ばれるのを覚悟して買いに行ってました。
翌日クラスで人気者になってました。

小6の頃男子はほうきをエレキギターにみたててかきならし、若大将をきどっていました。その中でも目立っていた藤田君は、現在うどん屋さんをしています。

おんじゃく、わあなつかしか。道路に大きく円を書いて10等分ぐらいに分け、「おみや」とか「看板や」とか行き先を書いて、それに石を投げ込み、自分の行き場所を決めて一斉に走り出して、早く帰ってきた人が勝ちという遊びをやってました。

ぼんは都会人だったのね
うちらは地べたに棒切れでひょうたん島みたいな絵をかいてブタごろしっていう楽しい押し出しゲームをよくしました
おんじゃくが流行ってたのは幼稚園の頃だった 幼稚園 二キロ離れてた 毎日行きたくなくて泣いてたら じっちゃんが十円やるから行け とお金を握らせた
帰りに上妻小近くの新みせという何でも置いてるお店で お菓子を買った
歩いて通っていた道懐かしい
余り変わってないのだけどね

幼稚園には行かなかった。
一日だけ行って、二日目からは泣きわめいて、登園拒否。
従って、はじめての集団生活は小学校から。
幼少期、「僕」も「君」も使う場面は訪れなかった。

紙石鹸、おんじゃく。なつかしかあ!
おんじゃく。小さな黒板(といっても色落ちしたぼろぼろのもの)を貰い受けて、お絵かきに使っていました。
それと、石の粉での爪磨き。
小学校の講堂の裏には、青い石がばさらかのごと落ちとって、これを粉にして爪を磨くときらきら光る爪が現れたのを覚えてる。掃除の時間にさぼって、みんなで爪磨きばしよったよ。ダンもバケイもいっしょのクラスにおった時代。

じべたに地図を描いて、じんとりゲーム。
ひまわりって名の鬼ごっこも線を引いて遊んでた。
四角い箱を描いて、おはじきかなんかで陣地をとりあうゲームもあったなあ。お宮の境内は、年長のにいちゃんやねえちゃんと遊んでもらえるこどもの社交場だった。

ほんとに、近所の少し上のお兄さんやお姉さんたちからはたくさん遊んでもらって、、
食べれる草の茎や草花の蜜のなめかたもぜ~んぶ教えてもらいました。
遊んでもらった最後の世代かも☆
急に時代が変わっていったから外遊びの伝承もいつのまにか途絶えてしまいましたね。
じべたにもたくさんのエネルギーをもらっていたのでしょうね^^☆彡

>じっちゃんが十円やるから行け とお金を握らせた
これが毎日だとしたらすごい!
当時、まだ駄菓子屋では「銭」の単位が生きていて、豆菓子が一個50銭だった。もちろん流通貨幣は「円」しかなかったので1円出して二個ゲットして満足してた。十円あればグリコのおまけ付きキャラメル箱が買えたような記憶があります。

 すんません、私は小学生の頃毎日10円のお小遣いでした(高学年になると1月300円)。日吉小の前の文房具屋さんに行くのが不良とは!?原口とあだち(漢字忘れた)という2軒の、文房具屋兼駄菓子屋で、物は買わんでも毎日のように学校帰りに寄りよったばってん。ぼんさんが行ったのはどっちじゃろか。中のほうに入ると10円の「お好み焼き」が食えたけど、今考えればあれは「ふな焼き」と言うべきものだったのでしょう。初めて使う分度器もここで買ったし、時には奮発して科学系実験セットやプラモデルを買ったことも。それこそ子どもの社交場だった。
 ところで話は変わり、広川で学習塾やってた高校時代の友達(森山光章さんも同じ頃塾をやっていたので会う機会があり、歌集ももらったらしい)が、「なしけん」という言葉を使っていたけど八女の方では使わんでしょうか?瀬高(今のみやま市)あたりの方言らしいが。
 あ、急に思い出した、森山さんが高校の時演出した劇のタイトル、「夜陰妖火変化蛍草」(漢字は不正確)、確か家の中のどこかにその台本がまだ取ってあるはずだ。

日吉小の前の店の名はわかりません。お好み焼きの記憶もありません。リリアン編みといって縄跳びの握るところみたいなのに釘が打ち付けてあり、それに糸をまわしかけて紐を作る道具も、この店に買いに行きました。
六つ門は都会で、行ったら不良だと言われてました。は・は・は。じゃあ日吉小の人は皆不良なのかいと、少し思っていました。
なしけん=なぜですよね。
三潴に来てから使い始めたような気がします。

えめさーん。こないだの連句のとき、えめさんってどこの人なの。ってきかれた。つい教えてしまいました。たはは。

おつしろう。いたいとこ、ついてくるね。きおくではそうだけど、今日父にきいてみたら、おまえが毎日大鳴きするけん、おりが自転車のうしろにむりやり乗せて送ってた。との返事。じっちゃんがお金をやるけんていいよったよね?と聞くと、そげんそげん。ばってん、十円じゃなかったかもね。銭がまだ生きていたよね、たしかにかすかに覚えてます。
幼稚園のころまでは、寺田村にもお菓子などを置いているお店があった。今は整骨院をおつしろう宅近くで営んでおられるこぞのいさんがやっておられた。
今はなにもないけど、うちの隣は豆腐屋さんだった。だから、隣のことを今もとーふやと呼ぶ。それからかどんくちを出て突き当たりの家は傘屋と言ってた。和傘を作ってたんだろうね。

ところで、今日おみせ、ということばの響きから思い出したことがあります。
それはね。学校のなかに出店があって、店番が交代で上級生になると回ってきたこと。あれはわくわくしました。お店屋さんごっこみたいで。ノートや鉛筆などを校内販売する係りだった、二人一組で。あれをやると、ああ上級生になったなあ。と感慨深かった。

ろゐりさん。
にんまり。その題!森山さんだ。まぎれもなく森山さん。はるかな大昔から森山さんは森山さんだったんだなあ。ってなみだでそうになった。
おつしろうの大学時代の創作を打ち込みながら、いまと全くおなじ味がするので、安心したのとおなじ。
どんだけさかのぼれば、原点にいきつける。
どんだけさかのぼっても、原点には行き着かない。

古心は古語に宿るー 方言で話そう。

もーし、おんの~
なーい

(訳)
Excuse me, are you here?
Yes, I am.

さくらさん

づくぼ、何のことだか教えておくれ。きになってしようがない。

づくぼはつくしのことです。

つくしの卵とじは最高に美味しい。
関東の人はつくしが食べられることを知らないので、こっちでつくし取りしてる人はだいたい九州人です。

今朝のこと、いつもの散歩コースで、
道端にしゃがみこんでる翁発見。
なにをなさってるのかと思いきや、つくしをつんでおられた。しょうけを乗せた自転車を路肩にとめて。おじいちゃん、すみません。その辺、いつもこいつがおしっこしてますけどぉ・・・。な~んて野暮なことは言わなんだ。
でも、確かに卵とじはうまいです。

久留米の写真屋さんのところに見事なつくしが掲載されています。
名前に貼り付け

 何か、2~3日留守してパソコン開かんうちに話題がてんこもりで。八女と久留米の言葉の共通点や違う点、八女の中でも、また久留米の中でも違ったり、もちろん世代によっても違ったりで、あたしゃ何から言っていいのやら。祖父はほっぺたのことを「ほうべんた」と言ってたが、あれは日田弁だろうか。日吉校区に住んで80年の母は昔々、仲間に入れてくれというのを「かたせんじろぃ」とか、ボコボコに殴ってやるぞというのを「ナバんすっぞ」とか言ってる人がいたというが、これも今は死語方言?
 ところでちょっと前に話題になった「自分」という言い方について考えてたら、久留米では「わが」という1人称的言葉がおまえという意味で使われたり(八女ではどうですか)、「長崎ぶらぶら節」という映画では「おうち」というのがあなたという意味だったり、松山では「おっどんら」と言うと「お前ら」という意味だったり、1人称と2人称は混合しているのか、と、そこでまたまた考えたら、3人称だって1人称や2人称になったりするし、そもそもこの何人称とか、主語と述語という考え方が、日本語と合わないのではとも思いました~後者の考えは、既にそういうことを論じている日本語学者もいるけど。
 乙四郎さん、「句や歌も、一人称代名詞がないほうが世界が広がる」と言いよんなはったが、二人称についてはどうお考えでしょう?

おや。へうろくさん。
先日いってきました、ラーメン屋さん。
絵、ちゃんとまだありました。
年かさのおばさんが指差して教えて下さった。
いまどき感激の一杯380円。
ボスが、あそこはまずいよ、汁の中に指をつっこんでもってくるよ。なんていいましたが、ちゃんとお盆にのせて運んでくれたし、おいしかったし、きれいなお店じゃないけどラーメンやさんは汚いほうがおいしいと思ってるかささぎにはどってことなかった。
以上、報告おはり。

乙四郎さんにろゐりさんがきいてみたのは正解。
この乙四郎、超のつく変人です。
連句のときもへんなこといってた。
場面は恋句。
おつしろうは出してくれた。でも、なんかへん。
二人称の代名詞が入らねばおかしいのに、なんにもなかったからです。
具体的に句をあげて、どこがどうしてどうなった。と表示したいが、守秘義務があるからおしえない。
くやしけりゃ、次の機会にきてください。

乙四郎が以前書いていた、幼少の砌から一人称代名詞を絶対使いたくない病だった。というのを読んで、その原因を知りたい。と思ったのは私だけではなかったようで、セイコさんも、なんの虎馬があったの。って言ってた。そこで、かささぎは、本人から借りてきたのであった。
『藪思』。同人誌。学生時代のおつしろうの。
きのう、つぎの順番に読んだ。
1 機械(横光利一に同題のがあるが、それとは違う。宮崎駿の映画みたいだった)
2 遺書(別名で書いているが、たぶん乙四郎)
3 虚界(これが一番うまい。深い。)
4 さいころ(けっ。つまらん)
5 麻雀(或る恋愛小説)・・・これは数学。確率?組み合わせ?得意な人には解けるんだろう。って、やいこら。これのどこが恋愛小説なんじゃーって普通は怒るで、まじで。 
あと一編残っている。まだ読んでいません。
で、これらの小説をかいた早熟(しかしながらこの早熟さには偏りがある)で緻密な頭の持ち主は、いったい現実にはどんな恋をしてどんな人生を歩んだだろうか。とふっと思ったのである。
かささぎのかたい挨拶の発句に対しては、見事なまでに叙情的な脇句をつけてくれた乙四郎であったが、恋句でぎこちなく四苦八苦、というより逃げの姿勢を感じたのは、その職人気質ゆえ?いくら公務員をながくやってきたからって、あまりといえばあんまりな。
竹橋乙四郎。
時に風のように現れる神津ろゐり。
この二人はとにもかくにも謎の人である。

づくぼ=つくし。
づくのごつ肥えとる。とか、いいませんか。
この場合の「づく」とは一体なんでしょうね?
それがわからんのですが、その「づく」のように太い穂がづくぼ、なのでしょう。

一人称代名詞を半世紀近く使わなかったことは故意なので意識しているが、そういえば二人称代名詞も、目の前の人をさして、あなたとか、君とか、貴様とか、言った記憶がない。たいてい、○○君、と固有名詞を使ったり、そちら(三人称?)を使ってた。
I, my, me, mine, you, your, yours なしの人生!ギネスものかも。
先日、恋句を出せと言われて、やっとこさ出した句の出来がよくないといわれ、心理表現に「君」を使えば少しはましになりそうな気がして使ってみたが、使い慣れないのでぎこちなかった。
恋の表現には一人称や二人称を操らなければならないのかも・・・不得手です。

かささぎさんが書いていた運が悪い人のこと、ふのわるかって勝負の負じゃないと?
負(ぶ)が悪い。

づくぼのづくは、ちょっと太っちょのことをづくっとしとるって言わん?

わがままな人のことを「わがよかーごつして・・・」って言わん?

ふうべんたばごーほんたたかれた!っとか、鳥栖でもそうやった。
ごーほん=強くとかたくさんとか

裏の風景

裏の風景

さくら

さくら

保健医療経営大学。春宵一刻

保健医療経営大学。春宵一刻

朧月 宇徳敬子を 聴きながら   乙四郎

満月に向かって帰宅。BGMは宇徳敬子。ポンコツ車のカセットに古いテープをセットして、伸び切るほど聴いている。目立つアーティストではないが、この人がカバーすると、イルカだって中島みゆきだってキャロルだって、まったく違う味わいになる。彼女なりに歌を解釈し、その解釈をあらためて歌に再現しているのだと思う。
この天才音楽家の活動スタイルが好きである。いい歌をたくさん作るが、自身のソロアルバムは滅多に出さず、他人へ惜しげもなく提供。時にバックコーラスの一員という立ち位置を楽しむ。BBクイーンズ(踊るポンポコリン)のバックとか。紅白歌合戦に2回も出場しているが、Mi-keのひとりとして。

フォークルのカバー:http://www.youtube.com/watch?v=2upDjeNX2_k&feature=related
   ↓

きれいでしたね、満月。
月の句を出しなさいと、姫からのお達し。後、留め書きも。しばらく作家もどきになります。

たった今東京の月を見上げてみました。
ほんと、きらきら輝いて綺麗ですね。

おー、さむ!

こんばんは。
母が一気に老いてしまった。そんなかんじの今日この頃です。寒い。月はきれいですが。ストーブと暖房ふたつつけている。八畳の隙間風はとても寒い。
アイチューンのライブラリに入れている「夢で逢えたら」を聞きつつ。ドラゴンアッシュですが。夕凪ユニオン、動画がいつのまにか消えていた。気に入っていたのにむごい。どこかの大学みたいだったけど、ついに確認できないままだったなあ。ダンスシーンが中世の泰西名画の背景みたいなおもむきがあった。もう一度みたいなあ。ドラゴンアッシュ。末っ子がいなければ、出会うこともなかっただろう。

 宇徳敬子と聞いて、最初は全然知らんと思ったが、Mi-keのメンバーとわかり、早速今は亡き、同い年でジャックス(40年近く前に解散)・ファンクラブのメンバーでもあった元同僚の遺品、「想い出のG・S・九十九里浜」というビデオのパッケージを見たが、どの子かわからん。フォークルの何をカバーしているのか、よければアルバム名とか教えて下さい、乙四郎さん。
 あとついでと言っちゃなんだが、「君の元気は僕の元気さファイト!」の後の、「命の喜びに~」と「だってこんなにファイン・デイ」?の間の歌詞も教えていただければ幸いです。
 パソコンそんなに得意じゃないので、コメントの最後の↓の意味がわからん。

 あ、顔はわかった、ビデオパッケージに、老眼者には見えにくい一番小さな字で書いてあった。このビデオは1991年発売だから、もう「女の子」ではないか。

2009年3月11日 (水)

『虚界』   北山四郎

虚界

    北山四郎

第一章    娑婆道

頭でっかちの少年たちがぞろぞろと山を登ってゆく。蟻のように列をなして、おのおの背中に同型の箱を担いでいる。中にちんばの少年とその友人がいた。二人も同じものを担いで登っている。
「この箱が何だか知ってるか。」
「知らないよ。」
「足元をよく見てみろよ。この山はこの箱の積み重ねでできてるんだぜ。俺たちがこうやってこれを上へ上へと運んでるのは、これをこの山のてっぺんに置けばそれだけこの山が高くなろうと信じてのことなのさ。誰が決めたのか知らないが、昔からの慣習だから俺たちもそれに従ってただハイハイとこれを上へ運んでるだけのことさ。山が高くなればそれだけ俺たちの社会も神様の住む所に近まろうとでもいうんだろうな。」
「どこかで聞いたような話だね。」
「そうさ、これがバベルの塔さ。直に神様の怒りを買って崩壊するに決まってるさ。」
「でも、それは科学を知らなかった大昔の人たちの話だろ。僕たちは科学を知っているから・・・だって、この四角い箱だって科学の象徴みたいなものだろ。きちんと積み重ねれば、どこまでだってこの山は高くなるはずだよ。科学は普遍的な言葉だから乱されることなんかないよ。」
「そうかな。」
二人は登り続けた。ちんばの少年は遅れがちであった。友人は努めてそれに歩調を合わせていた。
「箱の中には何が入ってるんだろうな。」
「それを今考えてたんだけど、もしかしてこれはあのパンドラの匣とやらじゃあないのかな。煩悩がいっぱい詰ってるっていうけど、底には『希望』があるっていうあの匣さ。てっぺんに着いたら、蓋をそっと開けて底にあるやつだけを秘かに持ち帰ってやろうかな。」
「お前もつくづく夢の多い男だな。」
「君みたいにのろまじゃあないからね。」

         ◇ 

この山のてっぺんまでは、まだあと数十年はかかるだろう。
もしかすると生きているうちに辿り着くことはできぬかもしれない。いや、多分そうであろう。となると、これまでの道程にどんな意味があるというのだ。自分の存在にどれだけの意味があるというのだ。
そんなことを考えながら、ちんばの少年は既にかなり長いこと登り続けていた。
「おい、本が落ちてるぜ。」
彼はそれを拾いあげた。
「こりゃあひでぇ本だ。」
その本の最初の数頁は落丁であった。次の数頁は活字が薄れてて殆ど判読できかねた。やっと読める頁が出てきたかと思えば、他の書物の頁が紛れ込んだものであった。それも誤植だらけである。
そしてあとの頁は空白であった。
「こんな本、いらねえよ。」
「でも、どこか愛着ある本だし、持っておこうよ。」
友人は本を懐に入れると、さっさと登り続けた。ちんばの少年は遅れがちであった。しばらくして友人が振り返ると、彼の姿は見えなかった。箱だけが下の方に置き去られてあった。

第二章  賽の河原

河原の石を積み重ねて仏塔を作っている少年たちがいる。
彼らの塔は強風のたびに倒され、倒されるたびに再び彼らは作り始める。
中にちんばの少年がいた。
「ハハハハハ。やっとすっきりした。肩の荷がおりたとでもいうのかな。奴らは未だに神に近づこうと汗を流してることだろうが、俺は簡単に神を超越してやったぞ。なにしろ神様にもできぬことをやってのけたんだからな。自殺さ。神様には自殺することはできないからな。ハハハハハ。」
彼の作る仏塔はかなりの強風にも平気であった。彼は四角い石ばかりを集めてきちんと重ねていたのである。
「科学かぁ。こんな所で役に立つとは思わなかった。ハッハッハ。」
瞬間、金棒が飛んできて、彼の塔も無残に崩されてしまった。
人一倍高い塔であっただけに、その崩れ方も凄じかった。
彼の前には鬼が立っていた。
「お前のおやじはまだ来ぬか。」
「親父を待ってるんじゃないさ。ある男を待ってんだ。そいつと一緒にこの河を渡ろうと思ってるのさ。」
「どんな関係の男だ。」
「別にどうってぇ関係じゃないさ。奴は俺のことを『親友だ』とかぬかしてたけど、俺はそうは思ってないさ。俺はちんばだから大勢からばかにされてきたんだ。あいつだけはと信じてたのに、あいつも十人並に俺をばかにしやがった。だから奴も俺にとっては十人並の男にしかすぎないのさ。」
「そんな男をなぜ待つのだ。
一人で渡ればよいではないか。
さっさと行って、閻魔様の裁きを受けてこい。」
「いや、俺だって好きで待ってるんじゃないさ。こんなとこ、早く出てゆきたいに決まってるさ。ただ、奴がいつまでも俺のことを忘れてくれないもんだから、こんなふうにいつまでたっても成仏できずにいるんじゃないか。奴はおせっかいにも俺の生涯に意味づけをしようとしてるんだ。御苦労様にも俺の担いでた箱まで担いで登ってるんだぜ。早く捨てちまえばいいのに。そんなことやったって俺の生涯に意味づけできるはずはないじゃないか。もともと意味なんかないんだから。

「それでは、もしその男とやらがお前の意味づけを諦めたならばどうだ。その時はそいつも直にここへやって来るのではないか。」
「いや、奴は次には自分の生涯の意味づけを始めるさ。そして、結局は自分の生涯が意味のないものだと悟りきれないもんだから、土壇場まで生き続けることになるのさ。奴らの考える人生とはそういうものさ。」

鬼は去って行った。ちんばの少年は再び石を拾い集め始めた。 

出典:山口大学医学部文芸誌『藪思』昭和51年7月発行

▼かささぎの連句的

1 石橋秀野昭和21年洛西鳴滝時代の句

曼珠沙華獣骨舎利を置く磧(かわら) 石橋秀野

2 アンデルセンの『パンを踏んだ娘』

3 五木寛之『親鸞』(新聞連載中)の「選択ということ」のくだり

     

2009年3月10日 (火)

石橋秀野と石田波郷

濹堤

櫻濃くジンタかするゝ夜空あり   昭和16年石橋秀野

冬日宙少女鼓隊に母となる日   石田波郷製作年不明

この二句を並べたい。
なぜ、おなじものをかんじたのだろうか。
内容はまったくちがうのに。
そして、山本健吉は亡き妻で同志だった秀野の唯一つの句集名に、なぜこの「櫻濃く」の句を選んだのだろう。

きぼうさんの一人称話を聞く

>つかぬことを伺いますが、きぼうさんは、ご幼少のみぎり、ご自分をなんと呼ばれていたでしょう。
>ぼく。わたし。おれ。わい。おどん。おい。いろいろあるとおもいますが、教えてください。     (かささぎの旗 姫野)

わたしは、東京の淀橋区(今の新宿区の西側)で生れました。昭和20年4月に東京から鳥取県日野郡に戦争疎開しています。父親の郷里です。その時わたしは満3歳何ヶ月かでした。
おそらく、3歳の男の子が東京でしゃべるようなおぼつかない「ぼく」と言っていたと思いますが、記憶していません。そのまま日野郡の山村で子供の集団に入りましたが、自分の言葉づかいがおかしい(山村の子供と違っている)ことにとまどいながら、入りこんだのだろうと思います(このこととは別ですが、わたしは、ドモリの子供でした。10代後半まで続きました)。

次が言葉についてのわたしの最初の記憶なのですが、ある夕方両親に向かって、わたしはしばらく躊躇した上で、思い切って

 「わしは・・・・・・」

と言ったのです。そのとき、父親と母親は顔を見合わせて笑いました。両親は野良仕事から戻ってきたところで、イロリのむこうの土間に立っていました。そのときのことをわたしは、つい先ほどのことのようによく覚えております。両親ともそのときは30代の若さだったのですが、今はとうに亡くなっています。その時わたしは満4歳になるかならぬか、という頃だったのでしょう。

その山村では、男の子は自称が「わし」、「わしゃ」(自分は)、「わしらち」(自分たち)でした。女の子は「うち」だったと思います。

わたしはそのあと東京に戻りましたが、少年時代を通して「ぼく」と「おれ」を併用していた(場面によって使い分ける)と思います。


大江希望

2009年3月 9日 (月)

自我の越境体験としての連句

I, my, me, mineを一切使わずに英語圏で半世紀を生き抜くことなんてできそうにないが、日本語圏だとそれができる。句や歌も、一人称代名詞がないほうが世界が広がる。
哲学としての「我思う故に我あり」思想には馴染めなかった。自我って、そんなに強固なものではない。「自分」は輪郭で明確に内と外とに区分できるものではなく、他人の心の中にも自分が入り込み、自分の心の中に他人が入ってくる、という感覚のほうが日常的。だからこそ文を書いて他人の心を動かそうとしたり、文を読んで他人の心が入ってきたりする。
君の元気は僕の元気さファイト!
   ↓

乙先生

本日はお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。歌仙巻き上がって良かったです。

はらみ句(前もって作っていく句)をどんなに数多く作っていても、自分が出す句は前に出る句によって変わってくるから、意味がないと言う事がわかった。でも、ゼロだとそれはそれで心もとない。
また恋句を出す事ができなかった。次への課題です。
それにしても今日はいい天気だった。矢部川もきらきらして、菜の花は満開で。風は冷たかったけど。
きょうこはん、お疲れ様でした。

いまごろこのコメントに気付きました。
連句が巻き上がって編集してるとき、座でまったく気付いていなかった障りに気がつくことがある。
座はいきものだから、押しとどめようない力が働いている。その力を御すのは「しき」式目でありさばきのちからなんだけど、そのさばきでさえ後でしか見えないものがある。
当日出たたくさんの短冊をもう一度とりだして見直しているとき、それが突如みえる。やれやれ。

2009年3月 8日 (日)

弥生連句興行於保健医療経営大学

弥生連句興行於保健医療経営大学

歌仙 『海へ拓ける』

      捌  姫野恭子

有明の海へ拓ける春意かな       姫野恭子
  青きカンバス跨ぐ燕(つばくろ)   竹橋乙四郎
雨近し樹々に辛夷のふくらみて     山下整子
  土筆のはかま取りし爪なる      中山宙虫
えんぴつを包丁で研ぐ母のあり     八山呆夢
  色なき風に揺れる電線        東妙寺らん
 
意地張りて遊ぶふりする螽蟖(きりぎりす)  乙
  二人にされてはじかみを噛み      恭
好きすきと月をまはって来るメール     虫
  穴を覗けばみえる魚籠底        夢
この不況侍ジャパン救へるか        らん
  カンパリソーダはいつも饒舌      整
石炭を拾って帰る野川守          恭
  雑巾しぼるしもやけのゆび       乙
八幡の古き鳥居にゐる鳥よ        整
  新幹線の固い槌音           虫
紅白の配置見事に花の庭         夢
  余る寒さも隠国(こもりく)の里    らん


名残表

代々の手を借り吊るす雛飾り     夢
  ぶらんこ漕いだ長ぐつ脱げた   恭
イ短調横一列の四分音符      らん
  小石ころがり山がこはれる    虫
沸点をたやすくこえし罵詈雑言   整
  夕立となる魂ごひの果て       恭
くちづけは長し緑陰深くなる      宙
  猫のぬくもり膝枕にし       乙
藍瓶を守る老爺の庵あり       夢
  何だか自由になれた気がした   整
洋灯宿(ランプやど)余白を埋める二日月  らん
  夜長に閉ぢる読みかけの書(ふみ) 乙

名残裏

小売店皮茸(こうたけ)もある舞茸も   整
  朽ちたるものを潮が引き去る     恭
初御空北に向かひて祈りをり       夢
  これからの季(とき)それぞれの時  らん
あまたある花の蕾のほころびて     乙
  学び舎がある陽炎のさき       宙  

平成二十一年三月七日(土) 10時~4時
於・保健医療経営大学連句の部屋

資料:

キリギリス http://www.insects.jp/kon-kirigikirikirisu.htm

はじかみ http://www.recipe.nestle.co.jp/from1/cook/word/ha/hajikami.htm

魂ごひ  http://protophilosophy.noblog.net/blog/r/10573488.writeback

魚籠  http://www.kousyu.net/dougu-biku.html

石炭拾い  http://www.justmystage.com/home/yagisan/semro.html

イ短調の名曲  http://niseaibon.at.infoseek.co.jp/am-1.htm

皮茸  http://www.ztv.ne.jp/grdymvo1/kinoko/kotake.htm

舞茸  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E8%8C%B8


   

2009年3月 7日 (土)

古心は古語に宿るーネイティヴ八女リカン語

こんばんは。ふたたびみたび、おじゃまいたします。こんなときって、ごめんくださ~い、って言いながら、玄関に入るんよね、田舎は。

一仕事終えて、かなり神経がまいっておりますが、くちなはのおはなしがしたくって、やってまいりました。笑

10年近く前のことです。
同僚だった保健婦(このころは保健師ではなかった)のはなしです。かのじょは九州人ではありませんで、本州から嫁いできておりました。保健婦のおもな仕事のひとつに地域のお年寄りを訪問するというのがありまして。地域のおばあちゃんが、おもしろい話を聞かせてくれたといってわたしに聞かせてくれたのです。
「ねえ、せーこさん、ヘビのことをくちひもって言うの知ってた?」
「は?くちひも?へ~、初めて聞くけど」
「あら、そう?にょろにょろと、ひもみたいだから、くちひもって言うんですってよ、この辺では」「・・・??ねえ・・・・、それって、くちなわ、のことじゃないの?」
「・・・・?あー、そうだったかも」

お後がよろしいようで。
作り話ではない、ほんまのハナシです。

づくぼ?初めて目にすることばです。つくし?それともぜんまいとかわらびとかそっち系?べんきょうになるわー。
くちなわにひらくちは庭に居る。裏に田んぼがあったときは、鳩の卵をひらくちがよう食べよった。一度うちの犬とひらくちが睨みおうて、ううっと犬は低く吼え、ひらくちは身動きもせず、私はカーテンの陰からそれを見つめて・・・かなり長い時間だったように思う。30分はそうしていたように思う。固唾を呑む、というのはああいうことやね。
呂伊利さん
「・・・ろ」の言葉は知りません。女の子は使ってなかったのかも。

おはようございます。
子供時代は近所のよその家に入る時、「ごめんください」じゃなくて、「もぉ~し」って言ってませんでしたか?
戸口を開けてせいいいっぱい大きな声で「もぉ~し!」
昔の家は土間の向こう、炊事場の奥、家の畑の裏まで聞こえないといけませんでしたから・・^^
あれは「申す」からきてたんでしょうか。。子供のころは「もーし」は不思議な言葉だと思っていました☆彡

telephone電話の「もしもし」は、もしかしたらあのころの「もーし」といっしょ?

せいこさん、いそがしいの。まぬけなはなしをおありがとう。くちなわ。へび。ながすぎる。っかー
へびとこねこのおっかけっこ(へびは猛スピードで追う)とか鳩をのみこんだのとかはみたことある。でも、へびをつかまえたおっかさんはみたことないよお、さくらさん。そりゃすごすぎる!

ろいりさん。語尾に「ろ」をつけるドラマ見たような気がします。どこの方言やろ。非常にやわらかい。
毒に慣れてるとはものは言いよう。老婆心をわかってやってください。単なるいじめかもしれんが。神津兵六、まだ捨てん。
エメさん。
もーし、もーし。って聞いたことある。たしかにそう声かけして入ってくる人がいました。呼び鈴もなかった時代です。ごめんください。が正統派。
有線放送がふとなつかしい。
何番から何番につないでください。って交換手に言ってつないでもらっていた、近くばかり。ときに火事があると、「いま、どこそこが火事です。」と叫んでくれた。あれはとっても便利でした。仕事中よく消防車のサイレンを聞きますが、あれをやってくれないかなあ。といつも思います。

 「もぉ~し」については私も次の話題にしようと思っていた言葉、昔6歳下の甘木のやつに聞いたら知っていた。大学生の時、同じ久留米出身のやつが京都の店先で、冗談でこれを使おうとして笑ったこともあるけど、まあ、私らの世代で使うのはまれだったかな?
 「…ろ」は、確かに女の人は使わんかったろうけど、金丸校出身の男子に、確実に数名はいた。「なば」は久留米でも知らない人が多く、うちの家族で通じたのは、祖父(母方)が日田出身、父が広川町出身だからだろうか、両親とも「なば」と言います。ただ、椎茸に限って言ってるのかは不明、ナメコやエリンギのようなのは「なば」と言よらんごたる。
 ところで私にとって究極の八女言葉は「ぎゅった」、父は「ゴムぎゅった」と言うけど、これは八女の中でも特に広川町出身だからだろうか、誰か教えて下さい。

ぎゅったの飛びぐっちょで勝ったおひゅぎんばもえもんにしたげなたい。
そんとき尻んべんぷたば打った。ぢごは出んじゃったばってん、ちの痕のつになった。ズボンも出世した。

そげんち。そりけんで木からさでくりひっちゃえらしたつげな。ほんなこてウンのわるかひとはうんのわるかけんねえ。

恙なきことは才能ビール酌む 保坂リエ

けさ、これを含む七十名近くの句を引用して、超結社一句抄ってのを一時間かけて作成、アップしようとして・・とんだ。なみだがちょちょぎれた。
恙有ることも才能お茶すする  かささぎ

労多くしてなんとかってやつですな。ご苦労さんでした。

乙さんのコメント、皆わかるやろうもん?べんぷたの使いかたが三潴とはちょっと違う。べんぷた=ほっぺたです。
小学校に上がってしばらくたったとき、杉本さんが消しゴムが落ちた時に「ひっちゃえた。」といった。このとき私は日本語にもいろいろあることを確実に認識した。杉本さんちは広又あたりで農家でした。

こんばんわ
出ましたね~、「つ」、が☆
娘が他県の方と会話して「つ って何?」って聞かれたらしく我が家に持って帰ってきて「つ」談議に花が咲きました。
家族全員それは共通語かと思ってて「じゃあ何?」ってことになって、「かさぶた」で納得したんだけど、そりゃもうカルチャーショックでしたcoldsweats01sweat01

乙さんの、じぇんぶわかります。
鳥栖となーんもかわらん。

鳥栖高校の英語の先生が反対文のことを「この文章ばひっちゃこしにするとどうなりますか?」と言よんなさった。

うちの主人は東京生まれなのに、電話に出る時「もし、もーし」と言います。架けるときならわかるけど、かかってきた電話によ。
ふつう、「はい、○○ですが」というでしょもん。
おかしかけん、やめんねってどぎゃん言うてんやめん。

方言ではないけど、小皿のことを「おてしょ(お手塩)」。京言葉らしい。
「げな」(伝聞)も、古語辞典でおなじみ。

八女の諺
げなげな話はすらごつげな

「ぎゅった」は、久留米に居った時から使いよったと思うけど。ようわからん。
高校の同級生はF市役所勤務。ぎゅったとともに「かっぽす」を周りの人に問うてみたげな。わからんやったち。あ、この話は真実です。

ぼん、べんぷ、べんぷた。はほっぺのほうがあとづけだろとおもう。しりべんぷ、またはべんぷた。は、英語のヒップとおなじ使い方だね、ふたつでひとつ。複数形。びんた、も転のにほひがするね。
ぎゅったはわかる今もつかう。かっぽす、ってなんだ?きいたことある。父が使う。からっぽ。この芋はなかがかっぽすになっとる。みたいに使う。空洞のこと。
ちょうちょまんげのぼうめいた。これを教わったそうです、長男は代表的なやめ弁として、中学のときか高校のときに。
おつしろう。これ。せいこさん。これ。よんでね

あじゃ、しもた!(笑)昨夜は野暮用で遅くなり、今朝は偏頭痛で、寝てたので、すっかり置いてきぼりを喰らった気分。

エメさん、「も~し」は「もの申す」「申す申す」が転じたものと郷土研究家S氏から利いた記憶があります。ばあちゃんたちが「も~し、も~し。どなたかおらっしゃるの?」といいながら、玄関ではなく、土間口までおいでていたことを思い出しました。
でもね、「も~し」ならまだいいほう。隣りの明治32年生まれだったひいばあちゃん(既に故人)は、「おんの~」と言ってわが家を訪ねてみえてました。ちなみに、このひいばあに守りされてた3歳児のひいまごも、「おんの~」と言いながらわが家へ。これには、まいった。

ろいりーさん。「なば」は広川人には「しいたけ」のことでしたばい。それから、ゴムぎゅった。父もたしかに「ゴムぎゅった」って言ってましたね。広川の生涯学習の自主サークルに「ぎゅった体操」と言うのがあります。
「ぎゅった」がわかる世代の元気なばあちゃんたちの健康体操サークル。現在なお、健在のグループ。広川らしか~。

乙さんのことば、もちろんわたしもぜ~んぶわかるばい。ねいちぶ八女リカンじゃけん。「ぐっちょ」「もえもん」もなつかしいけど、涙の出るほど、わらったのは「ぢご」。「魚んぢご」言いよったねえ、たしかに。

強固はん、「かっぽす」って、鉛筆の先につけるのじゃなかった?あれを「カッポス」って呼んでたよね。意味はなんじゃろ?ご依頼の「つ」の記事のトラックバック、やりかたがわからん。したことがなかけん、ここにあげた。よしなに。「つーちつーたい」

エメさんところと同じで、わが家の子ども達も全員標準語だと思っていたらしい。

http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-3833.html

おつさんの書き込みは、おかしゅうして、ぢごんでるごつ笑ろた。

おなかが痛くなるほど笑ったは、こんなふうに言わなかった?

ぢごんづるごつわろた。
そうでしたそうでした。出るはでるじゃなく、古文みたいに「づる」といいました。どうも方言はなしよるつもりがどっかでねじをしめわすれとる。
「うんがわるか」も「ふのわるか」ちいいよった。このふはどのふやろ。きょうふの味噌汁のふ。かもね。

夜は短冊を作る。連句にはたくさんの短冊がいる。書道用の本格的な短冊ではなく七夕のとき笹にゆわえるみたいなの。事務所から不要なカレンダーのえんぴつ書きオッケイのをもらってきた、それを三センチ×二十センチくらいに切りそろえる。内職みたいな手仕事。こういう手作りのかんじ、いいですね。

こんにちは
タイムリーな事に、今日は出かけた先で「ぎゅった!」を聞きました。
60代20代の女性と3人で会話をしてましたら、婦人がスカートのウエストをひっぱって「ぎゅったヨ、楽~♪」って。
もちろん反応したのは私だけで^^
じご>>子供のころよく、祖父が網で仕掛けてきたハヤのじごを取らされてまして、
新聞紙の上で指でぷちぷち出しました。 カミソリで腹を軽く引いたあと指で出したような気もします。
おいしいものが食べられる喜びのほうが大きくて苦にもなりませんでした。

じごのはなし、ありがとう。

お昼休み、鹿児島育ちの人にこどものころ自分をなんと呼んでいたか尋ねて見ました。すると、おとこもおんなも「おい」っていってたって。あれ。ろいりさんが書いていた。神津島では男も女も自分をオイと呼ぶ。一緒ではありませんか。島のつくとこはおなじなんだね。

北海道の杉浦兼坊さんにもきいてみました。
こどものころ、先生用には僕、友達用にはおれ、家ではぼわん。といっていたそうです。ぼわん。何語。

じご。
さかなつりの趣味はなかったけど、カエルをつかまえて、じべたにたたきつけてしんでもらい、糸をまいて、ざりがにの餌にした思い出はあります。

芭蕉のすいぜんじの付句

この間から気になっている水前寺海苔の芭蕉の一句を解説した安東次男の『連句の読み方』が、連句辞典を探していたらひょこっと出てきました。忘れぬうちに引用メモしておきます。肝腎の連句辞典は出てきませんでした。
あまり時間がないので、その部分だけ。長いですが。
わたしは、こういう執念の調べ物が大好きです。
とことんまで調べなければ腑に落ちない、というアンツグさんの執念!
なんてすばらしいのでしょうか。

『連句の読み方』 安東次男著よりー

  芙蓉のはなのはらはらとちる  
吸物は先(まづ)出来(でか)されしすいぜんじ  芭蕉

供養に飲食(おんじき)は付物と見込んだ付だが、見どころは、雑の作りを以て季の実(じつ)を引出した手際にある。蓮をして蓮たらしめているのは、浄土を庭前の眺に奪った芭蕉の工夫で、史邦ではない。仮にここを二句観相気味に継げば史邦の句は有季とも治定しがたくなるから、さしづめ、衆目一致の夏の句を付けて「芙蓉のはな」の根締(夏二句)にでも仕立てるのが妥当なはこび方だろう。史邦が、秋の筈はないがさりとて直に夏の季語とも云えぬことばをわざわざ持出して云回したのは、師の継ぎぶりをしかと見たかったからか。
「吸物」は会席料理の汁椀だろう。
飲食は「先」汁からで、菜の賞味は後である。
一汁一菜(膾なますの向付むこうづけ)を以て膳組の基本とし、煮物(ニ菜)・焼物(三菜)の順に加える。もっとも、献立を二汁五菜・三汁七菜などと考えれば、「吸物」は料理を一往出し終わったことを客に告げる湯吸物のことだ。少量、ごく淡味の清汁(すまし)で、いわゆる汁とは別である。そう読んでもよいが、この場の供養後の飲食を窮屈に考える理由もとくに見当らぬ。「すいぜんじ」は水前寺、水前寺苔(のり)のことである。「水」は蓮(水芙蓉)の縁、「寺」は供養の読取。海苔は法(のり)に通い、法事のつきものである。スイモノ、スイゼンジの語呂もよい。
句は、汁椀の蓋をとっただけで篤志の程がわかった、と凡兆・史邦の息の合った付合(つけあい)ぶりを賞めそやしているらしく読める。芭蕉は水前寺苔の名をどこで知ったのだろう。食用のりは一般にはアマノリを云い、これは近海産の紅藻だが、緑藻類に属するカワノリもある。太平洋にそそぐ山間諸川の岩に生じ、菊池川苔(熊本)・芝川苔(富士川苔、静岡)・大谷川苔(日光苔・栃木)など古くから知られている。スイゼンジノリはカワノリとも違う淡水藻で、藍藻類に属する。湧水の池底に生じ、九州の一部にしか発見されていない。形状は、寒天質につつまれた暗緑色の細胞群体である。命名の由来は、寛永九年1632小倉から熊本に移封された細川忠利(忠興の三男)が豊後羅漢寺の僧玄宅に開かせ、後に藩主別荘とした水前寺成趣園に因む。園池の湧水は出て加勢川となり、中流で江津湖をつくるが、最初に寺前の池から見つかったと言われる。大正十三年、上江津湖の天然記念物に指定され、養殖も別に行われている。
そのスイゼンジノリについての文献の初出は、貝原益軒の『大和本草』(宝永五年・1708成)
だろう。去来の父向井元升の『庖厨備用和名本草』(寛文十二年、1672成)にも、人見必大の『本朝食鑑』(元禄八年、1695成)にも見えない。
続いては、寺島良安の『和漢三才図絵』(正徳三年、1713成)か。
益軒は
「川苔」の項に富士・日光・菊池苔と共に入れ、「肥後水前寺苔は水前寺村の川に生ず。乾して厚き紙の如くなるを、切て水に浸し用ゆ。此類諸州にあり」と記している。
良安の方は、「紫菜(あまのり)」の項に「富士苔」「水善寺苔(ママ)」を付記し、前者は・・・(引用者かささぎは、勝手ながら中略致します)

地元のことはわからぬが、元禄頃、水前寺苔はまだ世に知られていなかった。
そう考えるしかなさそうである。
「あさくさ千里がもとにて
苔汁の手ぎは見せけり浅黄椀」。
これは貞享元年1684芭蕉が詠んだ甘海苔の句である。
「吸物は先出来されしすいぜんじ」も、甘い香りが鼻先にただようように作られているが、じつは印象の騙しで、俳諧師は物の実際を知らず、ただ呼名の興のみで句に作ったらしい、と思うとそこにも亦滑稽の一趣向が現れる。味ったと告げることと、味ってみたいということとは、違うだろう。いやいや思切ったことをやるものだが、これは次句の作り(解釈)の決手になるやもしれぬ。とすれば、珍しい苔の名を芭蕉に教えたのは去来に違いない。その去来の知識も、益軒それとも父元升あたりに負うものだったろう。因に益軒は向井家と親交があり、元升の墓誌も撰している。(元升は延宝五年六十九歳で歿、墓は京都真如堂にある)。

「肥後は川苔を産すること多き国にて、菊池郡菊池川の菊池苔、詫摩郡川中島の清水苔、上益城郡大臣川の内大臣苔、皆名あり。なかんづく水前寺苔の名、世に鳴りて響き、滋味ありとにはあらねど、人其の清美を称す」(露伴)。『大和本草』宝永六年に先立つこと十九年、芭蕉が初て世に知らせた名だ、と気付かなければせっかくの名産調べも無駄骨になる。たべものの句を説いてたべものの起りに興味を示した評家などは皆無だ、というのも考えてみれば不思議な話である。
諸注は、農家の庭先や路傍から寺などに、蓮池の場所を例によって見替えて、鑑賞会としゃれこんだ付(つけ)と状況を読んでいる。これもおかしい。蓮見は早朝、花の開くときを楽しむものだろう。供養の席でもなければ、「はらはらとちる」さまを賞翫のたねになどしない。

脚注:肥後細川藩が江津湖産のノリを「清水苔」として幕府に献上した記録の初見は享和二年1802、水前寺池に御苔場を公設したのは文化四年1807である。

 戦後詩論選『連句の読み方』安東次男著
  2000年7月7日思潮社発行

参照記事:

今からでも間に合う。大学とすいぜんじ海苔。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-9ddf.html

2009年3月 6日 (金)

熊本相良

熊本相良

熊本相良

熊本相良

2009年3月 5日 (木)

母の記憶

母の記憶 

     神崎さくら

ヒラクチ、クチナワ、この前死んだ母がようつかまえよった。
ナバ取りにも大分ん山ん中まで行きよった。
メノハは大好物やった。
例年今頃は母の大活躍の時期、づくぼ取りが大好きで、馬ん食うごつ取って来て冷凍し一年中食べられよった。
季節季節に足元に生えるような食べ物が大好きで丈夫で長生きやった。
地のものを食えと言うのは当たってる。

またここで軍隊話。
戦艦が3度も沈んでそのたび漂流して帰ってきたじいちゃん松永市郎さんが言いよんなさった。
子供の頃ばあちゃんに「地のものを食え」といわれていたことを、大海原で笹の葉のように小さな小船(救助船)に揺られながら思い出し、船べりにくっついた小さなカニを取って夢中で食べ、これで絶対助かると思ったって。

はたらく車

はたらく車

2009年3月 4日 (水)

生等もとより生還を期せず。一人称談義

こんばんわ
箒草ってほんとにホーキになるんですね^^♪
手作りのあったかみがありますねheart04

おもてんくち。
あるいは、おもてんかど。
うらんくち。
でも、うらんかど、とは言ってなかった。

ばあちゃんのことば。
「かどんくちにほってとかんの」
まじないみたいな、まかふしぎさよ。

「かどんくちにほってとかんの」

最後に・・・・「の」がつくのは福岡弁です。
2,3軒さきの家が福岡県、こっちは佐賀県の県境にあるわたしんち、見分けるのは「・・・・の」の違いでした。

福岡県 来んの、行かんの、しとったの?
佐賀県 来んね、行かんね、しとったね?

その他はほぼ共通語です。
裏んくちも。

うおおお。
ここまでこまかくなってくると、さすがのかささぎもそうじゃったろか?状態です。
せいこさん、かどんくち、ってきいたようなわすれたようなことばねえ。
さくらさんちは県境でしたか。
八女もどっちかといえば熊本のほうが近い。
むかし、ガキだったころ、山の母の里へ泊りがけで行くのが楽しみでした。ディーゼルカーに乗って。
私たちは、じぶんのことを「うち」って言ってた。でも、黒木の山の子は、じぶんのことを女の子なのに「おどん」って言ってたので、内心、うわあいなかもんやんねえって思っていました。笑
黒木瞳さんはどういってただろうね。「うち」だろか。
おどんなんてそんな熊本のおてもやんみたいな呼び方だけはしてほしくなかとです。はい。

おどん、爆笑!!!!!!!

知っとるよ、もちろん、今90歳の親戚のばぁちゃんは言うもん。

私たちも「うち」でした。

相手のこと「自分」ちゅう大阪弁にもまいるけど。
やくざ風に「知っとーか、じぶーん」

訛りが全然抜けない佐世保出身の友人がいた。田舎くさかったが、その人間性と言葉の力で自治会長に推された。
佐世保うまれのワルツ。さっき、テレビで流れてた。

美 し き 天 然
1 空にさえずる鳥の声 峰より落つる滝の音 大波小波とうとうと 響き絶えせぬ海の音 聞けや人々面白き この天然の音楽を 調べ自在に弾きたもう 神の御手の尊しや
2 春は桜のあや衣 秋はもみじのから錦 夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布 見よや人々美しき この天然の織物を 手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや
3 うす墨ひける四方の山 くれない匂う横かすみ 海辺はるかにうち続く 青松白砂の美しさ 見よや人々たぐいなき この天然のうつしえを 筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや
4 あしたおこる雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴たる空を見渡せば 青天井に似たるかな 仰げ人々珍しき この天然の建築を かく広大に建てたもう 神のみ業の尊しや

   ↓

   ↑
この「美しき天然」のページの下のほう、「私の愛唱歌」をクリックすると、懐かしい歌がぞくぞくと出てきました。そのページの「謹告」を読んでから味わってください。
勇敢なる水兵だって、精霊流しだって、帰ってきたヨッパライだって、ケメ子の歌だって、受験生ブルースだって、レナウンの歌だって、エメロン(ふりむかないで)だって、狼少年ケンだって、まぼろし探偵だって・・・なんでんかんでんあります。
さらに、上のほうの「放送禁止曲」をクリックすると、実録三億円事件だとか、これまたいろいろ出てきます。フォークルのイムジン川もここで聴けます。「謹告」を読んでから味わってください。ヨイトマケの歌、山谷ブルース、五木の子守唄ほか、SOS、プレィバックpartⅡ、ウェディングベルもここで聴けます。

自分~>>久留米の男もそういいますよね^^
イムジン川>>高校生のころ、ラジオで放送禁止になる直前まで、、流れるとほんとにかじりついて聞いていました。 いい曲ですね~。
イムジン河>映画「パッチギ」で全編にゆるやかに流れますね。
この時の音楽担当は加藤和彦氏ですね。
シーンの中で、坂崎役のオダギリ氏がギターでしみじみと歌う「イムジン河」は秀逸ですね☆
ここだけ、CDで買いたいくらいすばらしいです^^slate

↑すみません(^_^;)訂正です。
オダギリ氏が歌ったのは「悲しくてやりきれない」でした。ちょっとごっちゃになってました。
slate最近また見たいモードです^^☆
あのやんちゃな井筒監督も同世代ですね♪
私らも含めて、このへん前後はスポット世代って言うんですよね。
団塊世代と共通一時世代のはざまにある・・・わりと自由で、欲がなく、のんびりしてるってゆうか・・・denim

イムジン河が発売自粛となり、イムジン河の曲を逆回転させた曲調をベースに作られたのが「悲しくてやりきれない」だから、その2曲は表裏一体。

さくらさん。少林寺拳法を教えている「うち」の中学時代の男ともだちは、平成のこの時代にも、自分のことを「じぶん」と呼んで、通常的会話をいたします。最初は違和感があったものの、いまは聴きなれた。

エメさん。スポット世代は、のんぽり世代でもあるよねえ。自分でもノンポリやなあって思うもん。

乙さん。うつくしきてんねん。サーカスの薄暗いテントの下のものがなしさを彷彿とさせるのはなぜ。わたしの愛唱歌には、ホント、わたしの愛唱歌が、ばさらかうまっとる。

乙さんが書かれている歌、知ってます。ほとんど歌えます。イムジン川はときどき口をついて出てきます。主人は高校へ、ギター片手に通っていたような人なので、かなりの曲を今でも弾けます。坂崎さんには負けるけど。
岡林やかがわ良のことなどよくしっています。友部正人にいたっては今でもファンクラブにはいっているほどです。
小郡で行われたコンサートに一度付いていきました。農家の納屋をステージに改造してあるところでした。ピアノがおいてあって黒い幕も備えてあり、
ちょっとしたステージでした。知っている曲は1曲もなく、私にとっては長い時間でしたが、前の席の佐賀から来たという女性はのりのりで、そう体をゆすらなくても良いじゃないといいたくなるほどでした。
私が気になったのは、幕の下から出てきた一匹のごきぶり。左端から右端までゆっくり移動して・・・
前の席なら靴で落としてやろうかと思っていたのですが、件の女性は気がついてなかったらしく(主人も)それだけのめりこんでいたんですね。アットホームなステージでした!?
乙さんがこういう歌を知ってあることにも驚きます。俗に言う頭のいい人は歌なんて聞いていない。馬鹿にしている・・・と思い込んでる私です。そうじゃないんですね。父が「歌番組ばかり見ると頭が悪くなる」とすりこんでいたので、そんなふうにおもったんでしょう。父は大正元年生まれでした。

そおらぁにいぃさええずるう・・・・を見て、サーカス小屋は思いつかなかったわ!
そういやそうね。
歌ってるのが小沢昭一というのもおかしか。

あまりに聴きたい曲が多かったので、とうとうお気に入りに入れちゃった。時間があるときにじっくり聴きたい。それにしても、ここの管理人の執念、おそろし!脱帽!すごいねえ、このバラエティにとんだ選曲は。

恋人もいないのに、悲しみは駆け足でやってくる、五番街のマリーなどなど、なつかしい曲がいっぱい。

でも、ここまでで一番わたしに受けたのは、これ。守屋ヒロシさんの「僕は泣いちっち」
14歳違いの叔父が持ってたレコード。
聴いた聴いた。まだわけもわからんチビのときに。思わず吹き出しながら、なつかしくてなつかしくて、涙が出たわ。

「私の愛唱歌」の歌詞入りの軍歌の数々には目頭が熱くなります。「麦と兵隊」にはラヂオ実況入り。中に、米国軍歌だが、自分の記憶に残る最古のSP曲があった。多分、ステレオ購入時にオマケで付いてきたやつ。
「史上最大の作戦」
The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller
Many men came here as soldiers many men will pass this way
Many men will count the hours as they live the longest day
Many men are tired and weary, many men are here to stay
Many men won’t see the sunset when it ends the longest day
(乙訳)
男たちは兵士としてここに来た 男たちはこの道を通ってゆく
男たちは時を数えながら 長い一日を生きる
男たちは疲れてここにとどまる
長い一日が終わるとき、男たちは日暮れを見ないかもしれない

当時、まったく意味もわからずに何百回も聴いていた。こんな深い歌詞だったとは。
外国語は「音」でしかなかった。(シルビーバルタンのフランス語の「音」は心地よかった。彼女が日本語で歌ったレナウン娘は意味が認識できた)

それにしても(乙訳)は下手っぴ。「私の愛唱歌」にカチューシャの原詩(ロシア語の訳)と日本語詩とが対比してあります。原詩は、ロシアの軍歌だった。
(原詩)
リンゴとナシが花咲いていた
霧が川面を漂いだした
カチューシャは岸へと出かけていた
高くけわしい岸へと
歌いながら出かけていた
ステップの青灰色の鷲の歌を
愛していた人の歌を
手紙を大切にしまっておいていた人の歌を
ああ、歌よ、娘の歌よ
輝く太陽の後を飛べ
そして遠い国境地帯の兵士に
カチューシャからよろしく伝えよ
純朴な娘を思い出させよ
彼女が歌っているように聞こえさせよ
故郷の大地を守らせよ
カチューシャは愛を守るだろう
(訳詩)
りんごの花ほころび
川面(かわも)にかすみたち
君なき里にも
春はしのびよりぬ
岸辺に立ちてうたう
カチューシャの歌
春風やさしく吹き
夢が湧くみ空よ
カチューシャの歌声
はるかに丘を越え
今なお君をたずねて
やさしその歌声

日本語訳の何と豊かな響き!
でも、最近の日本の歌も負けちゃぁいない。日本語が乱れているとはいわせない豊かさがある、病院で戦う看護師たちのための軍歌。
「みんな元気!」
きみの元気は僕の元気さ ファイト!
いのちのよろこびに Yes it's goo-d goo-d Mor-nin'
だってこんなに Fine Day~
笑顔が輝けば Yes it's goo-d goo-d Fee-lin'
みんな元気に Say Hello~
僕のハッピーはきみのハッピーさ トライ!
こころがつながれば そう it's goo-d goo-d Talk-in'
はじめましてと How do you do~
あの子も笑っている Yes it's goo-d goo-d Smi-lin'
みんないい顔 Say Com'-on

出勤前にちょいと読もうと思ったら、読めない濃さであります。帰ってからじっくり読ませていただきやす。

一人称代名詞
このブログに初投稿したのは3月2日の夜だったので、1年が経過した。このブログ上では、よく一人称として「乙」を使った。時に「私」。書き物の場合、一人称はよく用いる。しかし、口語では事情が違う。
小さい頃から「僕」は使っていない。自分のことを「僕」と称する同級生が気障っぽかったので、そう思われるのが嫌で使わなかった。作文の宿題の時に嫌々使っただけ。男の子は「僕は・・・」、女の子は「私は・・・」。日常生活で「僕」は生涯一度も使っていない。
「私」を使うことはできない。女、女といじめられる。「おどん」は田舎っぽくて絶対に嫌。「俺」は、ひ弱系の人間は使わない。
かくして、一人称を全く用いずに、幼年期、少年期、青年期を通過した人間が生まれた。ごくごく小さい頃、周囲の影響で「ウチ」を用い、それが間違いだと知らされ恥ずかしい思いをして以来、一人称を避ける癖が身に付いていたので、比較的楽だった。
成人し、面接試験など一人称の使用が必要な場面が訪れた頃からは「私」。作文の時の「僕」みたいなもので、割り切れる。日常生活は一人称なしで過ごした。「私がやります」→「こちらでやります」みたいな翻訳リストが脳内にぎっしり蓄積されている。公務員は自分を前面に出してならない滅私奉公の職域。一人称なしで困る場面はほとんどなかった。子どもに対しては一人称で強い親を演じなければならないこともあったが、そういう時は「お父さんにまかせなさい」。
最近は、「私」の使用場面が増えてきた。大衆を前に「私」と称することに抵抗がない年齢となってきたため。使ってみると、以外と楽。翻訳リストも少しずつ消えつつある。でも、いまだ家族は「私」が一人称代名詞を口にするのを聞いたことがない。

 私も仕事中にふと覗いたら、その濃さに驚いて、思わず仕事サボってコメントします。
 「美しき天然」はそのワルツのジンタッタというリズムから「ジンタ」という通称がつき、サーカスやチンドン屋の曲として有名になったようです。イムジン河を初めとするフォークル関係・パッチギ関係については語りたいことが多すぎて省略。ロカビリー「3人ひろし」の1人だった守屋浩、その友達なのに全く女性に人気のなかったかまやつひろしのことも、いろいろコメントしたいけど省略。
 「史上最大の作戦」の作曲は「ダイアナ」のポールアンカで、「ザ・ヒットパレード」では誰かが日本語で「いつも 戦いはつらい ものだぜ…」と歌っていた。ちなみに「北京の55日」の日本語バージョンを歌ったのはあの克美しげる、そして映画には伊丹十三が出演している。
 一人称を「自分」と言うのはもともと軍隊用語らしく、そこから体育会系的用語になったのが、一般にも広まったのではないだろうか。関西では二人称で「お前」みたいなニュアンスだから、使い間違えると誤解されてさあ大変、ヤーさん出てきて何やわれ、おっちゃん一緒にケンカしよ、となる。
 

 職場のパソコンで送信したら名前が出なかった。ついでに追加のコメント、「史上最大の作戦」の原題は「The longest day」で、これをもじった日本の終戦記念日映画が「日本の一番長い日」、怪獣映画が、キングギドラ初登場の「三大怪獣 地上最大の決戦」です。ところで、「史上最大の作戦」を日本語で歌ったCDは出てないのだろうか?

のっとられた、完全にブログを。笑

美しき天然とは縁があります。ちんどんやの歌とおもっていましたが、ジンタはこの曲をさすんですね。
櫻濃くジンタかするゝ夜空あり  秀野
墨堤での句。
ぼんの父上は大正元年生まれ。これには驚きを禁じえませんでした。何歳のときのこども?かささぎは計算ができん。えーと昭和29年生まれだから29に大正年間の14年を足すと、43か44だよ。考えたらちがうはずよね。うちはどっちの親とも24しか離れていない。生れたとき親は24だったからだけど。環境におやの年齢は関係するよね。そういうのすべてひっくるめて、いまの愛情深いぼんがある。

おつしろうを小学校のときから知ってるけど、といっても遠くから知ってるって意味だけど、昔からきみの印象はどことなく浮世離れしてたよ。最初の文で書いてるけど、「老」ってことば、がぴたっとはまる気がした。そんなこどもってほかにはいない。なんでかしらんが、きみには「公」ということばがにあった。
んで、この「私」をさす呼称についてのこだわりかたを読んで、深くおもったのは、なんでやねん。ってことだよ。
ひとはそんなにはやい時期から自分の運命に従順であるわけ。なんで。わからん。

ろいりさん。きっとがっこの先生か公務員でしょう。そんなかんじです。勝手にそう思っている。

ではさようなら。ねむいのでねます。
一日こきつかわれたので、許容限度量をこした。

わたしはまだいいほうだ。弟は34年生まれだから父が48の時の子。熊本君にはまけたね。
母は大正8年、9人兄弟のただ一人の女。(たぶん)呉服屋のお姫様だったらしい。なにせ、八女津高女を出ていなさる。八郎叔父さんだけが存命。私ももう寝よう。明日も5時45分起き。おやすみ。

 山本五十六はもっとすごい、父親が五十六歳の時の子だからね。うちの父は昭和2年生まれで若いと思っていたが、早生まれなので学校では大正末年と同じクラス、というか、そっちが主流派だったらしい。
 ところで、私も実は乙四郎さんと同じく、姉の影響で小さい頃、恥ずかしながら「うち」と言っていた。その後は「僕」と「おい(俺)」の使い分け、今でも家族や筑後地区の友達には「おい」(これに格助詞の「は」が付くと「おや」か「おりゃ」に変化)、ちょっと皮肉ったりすねた感じの時は「あたし」「あたしゃ」、それ以外で親しい人には「僕」、ちょっと公的には「私」(文章は親しい人にも)、大学時代の関西系友達には「わし」「わしゃ」を使うことも。同人誌的なものには「おいら」を使ってたこともあるが、これはビートたけし登場以前。昔何かに、一人称をいろいろ使い分ける人は信用できんと書いてあり反省しようとしたが、やはりこうなるのは多重人格のせい?ところで神津島では老若男女問わず、自分のことを「おい」というので、最初はびっくりした。自分の家のことを「おいんげ」というのは、久留米の男言葉と一緒。
 二人称の使い方は、ボランティアで外国人に日本語教える時難しい。「あなた」なんて、丁寧語のようで却って相手に失礼に当たることも多いし、「あなた♡」ってな場合もあるし。コリアン語も似ていて、同じ言葉が「あなた♡」になるかと思えば、「貴様」のようなニュアンスにもなる。あ、でも三人称も難しいか。

呂伊利さん、このごろかささぎの毒にやられてませんか?(笑)

異動or移動と言っておられたようですが、いずこへ?言えない?時を待ちましょ。

三潴は自分ちは「おりげ」です。かあちゃんは「かか」落ちたは「ひっちゃげた」わかめは「めのは」茸類は「なば」・・・ほかにもいっぱい。

「おりげ」は、叔父たちも使っていました。
「おどん」「おまん」複数形になると「おりどん」「おまんどん」に転じます。叔父に至ってはいまでも使う。彼らは方言の宝庫。貴重な存在。

一人称、わたしも使い分けるほう。多重人格ではないが、職業意識がそうさせたものだと。しごとでは、「わたくし」、あるいは「わたくしども」。個人的には「わたし」幼いころは「うち」と呼んでました、もちろん。高校時代か中学生のころの一時期「ぼく」を使ってましたっけ。赤面ものです。

箒草のほうきから、一人称の話題で盛り上がる、連句的転じ方。かささぎの旗。おもしろくて、日に3度も4度も覗いて、自分のブログより長く滞在しておりますが・・・、これってsweat02

山本いそろくの数字の意味はそういう意味か。しらなかったな。

自分のことを自分というのは生硬なかんじがする。
しかし、東条英機の雨の昭和18年の学徒出陣壮行会にて、代表が挨拶したのに、せいら。ってじぶんらのことをよんだのにだけは、ほんとうになんともいえない悲壮感が、あった。
せいら、です。生等もとより生還を期せず

2009年3月 3日 (火)

『八千草』 2009如月号

 季刊 俳句・連句誌『八千草』

幼日の漁港を映しシャボン玉   有馬朗人
                     
『天為』主宰
石鹸玉江戸の匂ひを背負ひ飛ぶ  有馬ひろこ

 源氏絵よむ   

     山元志津香

抱くやうに贖ひし聖護院かぶらかな
稲掛の雨餓ゑし昭和の径にほふ
その先は風の領域草かげろふ
秋彼岸帰路の双手のさみしくて
八千草の風得手勝手されど美し
ネイルアートせし娘も囲むきぬかつぎ
海晩秋こころに余るものは捨つ
真ごころは母の口ぐせ豆名月
歌女鳴くや伐れば祟(たた)るといふ雄松
焼いも抱く秘密のメールなどもたず
聖域につづく戦さや冬燕
金婚や当り障りもなく冬至
源氏絵よむ身巾にあけし白障子

参照

季語「歌女鳴く」http://blogs.yahoo.co.jp/fayhaiku/folder/494286.html

又引きの又引きですが山本健吉の言葉を引きます。
(出典者のかた、ありがとございます。)

どうして蚯蚓はあのように声がよくて、それでまた盲であるかとは、古くからなぜ話の一つで、その作者は座頭だった。今では、あれは螻蛄であって、蚯蚓は鳴くものでないと言ったりしているが、以前は、夕方庭のあたりで、何処からともなく清い音がきこえてくると、蚯蚓が鳴いているといって、かならずこの話が出たものであった。昔、蛇は歌が巧みで目を持たなかった。その蛇のところへ蚯蚓が歌を教えてもらいに行くと、その目となら取替えようと答えたので、声と目を交換したというのである。音曲の手を休めると、座頭がこういう他愛ない話をして、座を取持つこともあったのであり、自分の身によそえて、昔は蚯蚓も今の蛇のように美しい目を持っていったと言ったところに、ユーモアとペーソスがある。こういう昔話が出来たので、蚯蚓は声の薬だなどといって、煎じて飲む者が今でもある。中国で、蚯蚓を歌女ということから、蚯蚓鳴くとは中国伝来のように言っているが、そうではない。

もっと読みたくなってきます。
八千草主宰は山元志津香さんですが、トップにはいつも天為主宰の句を据えられています。
今回は「シャボン玉」の句です。
わたしは連句で初めてしゃぼん玉が春の季語だと知りました。
ブランコも春。
なぜなのかは・・・どうぞお調べください。

有馬朗人さんの俳句は、漢語調で堅く緊(しま)って心地いい。
情に流されそうな内容をきりりとまとめてあります。

今回の志津香主宰の句でことに印象深いのは、

歌女鳴くや伐れば祟(たた)るといふ雄松
真ごころは母の口ぐせ豆名月
聖域につづく戦さや冬燕

過去の「八千草」記事から:

「魚の吐く虹」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_0ca7.html

「備中鍬と馬唐黍」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/48-3f22.html

宇佐八幡と俳句」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8c26_1.html

「季刊 八千草2008如月号」 

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d38d.html

あんぐらだんぎ

乙四郎又はろいりさん
つかぬことをお尋ねしますが
アンダーグラウンドてのは何
石橋秀野を調べていたときから 赤の言葉と 地下生活 が目につくのですが
かささぎのあたまでは ほんなこて地下に穴掘ってコソコソくらしてるイメージしか湧かない
日本のアングラを定義してやっておくんなせい

難しいこた ナシでたのんまさ

我々が住んでいる地球には、内部に大きな空洞があって、高度な文明を持つ「地底人」が住んでいます。地表に出るたびに“UFOだぁ!”と大騒ぎになるので、ひっそりと暮らしていましたが、姿を見られなくてすむ音楽の世界などには昭和40年代くらいから少しずつ進出してきています。近年は、ネット上を堂々と闊歩するようになってきました。彼らは地上征服の機会を虎視眈々と狙っています。
なお、地底人の住む空洞のさらに下にも空洞があり、そこには「最底人」という情けない種族が存在するそうです(いしいひさいち)。
このような駄文を書いて喜ぶひとたちがアングラでした。

アングラ
   ↓

「きさんなめとんのかっ、こんあほんだらがあ!!」

と言いながら、こぶしをしっかとにぎって、はあはあ息をふきかけて向かってくる教師がいた。たしかにきおくのそこにある。英語と体育の先生だったが。
なつかしいなあ!!
昭和の先生。ばんばんぶったたきよった。
おやもおやで、どうぞたたいてください。とあたま下げていた。あんぐら。まだどこかにあるだろか

 五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読み、俺も数年後には横浜からナホトカまで船に乗り、そしてヨーロッパへと放浪の旅に出ようと思ったのが15歳の時。でも実際に最初に海外行ったのはその20年後、下関から船に乗って釜山へ、たった3日間の放浪の旅でした。
 アングラについて、易しく簡潔に。唐十郎などのいわゆる前衛的な演劇がアングラという呼称の始まりでは?それに前衛美術・自主映画もアングラと呼ばれ、新宿あたりがその中心地?フォークル以降は体制批判・反戦歌を主とする関西系フォークソングもそう呼ばれるようになり、高石友也・岡林信康などが主となり、今で言うインディーズ、日本初の自主制作レコード会社URC(アングラ・レコード・クラブ、最初は会員制)が誕生した。私はさっそくその会員になったが、そこから五つの赤い風船、高田渡、六文銭などがレコードデビュー。
 おっと、簡潔にと言いながら、アングラ・フォークについてが長くなった。ほんで、森山光章さんにつながるけど、同級生になった私の友達(これがseikoさんも御存じの、広川町で木下塾をやってたやつ)が、2年はじめの自己紹介で、森山さんが「アングラ」に興味があると言われ、「アングラフォーク」のことかと思って早速話しかけたら、演劇のほうへの興味だったらしい。でも私の好きなアングラ系バンド「ジャックス」(のちにつのだひろなども参加、リーダーの早川義夫は「サルビアの花」の作詞・作曲も)のLPを聴いてもらうと、詩が良いと評価され、嬉しかった。
 以上、長々となりました。元フォーク少年ゆえご勘弁を。

「イムジン河」と「ポルトガル文」

イムジン河、「パッチギ!」のはとても良かったですね。
主役の青年があの時代の雰囲気をあざやかにまとっていた。
茫洋としていながらいつも何かに餓えていて。

ところで。

先日「あなたになら言える秘密のこと」という映画をみた。
題がタルイのでdvd借りるのはややはずかしいのですが。

これに「ポルトガル文(ぶみ)」という本が出てきます。
なんだろうと気になって調べました。
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/europe/europe-south/portugal/po-letter/po-letter.htm

最後の場面の浅黄色のキッチン。
これだけでも見る価値があります。

2009年3月 2日 (月)

きのうの月

きのうの月

夜の顔を撮ると

写真ってものの正体がわかる

このときわたしの肉眼に映っていたものは

拡幅されたばかりの真新しいたんぼの横道と

道にはりつくようにしてたっている家並み

その眼をすこし上に上げたら

上弦だろうか下弦だろうか三日月と一番星が光っていた

少し先にお墓があるばかりで家も何もなかった昔とおなじ顔で

隣組の花見の話し合い

いつどこでお花見をしようかって話し合いをする宵のこと

高木門  乙四郎文書

昭和の記憶

    竹橋乙四郎

▼ 高木門

昭和43年12月6日、日本信託銀行国分寺支店長宅へ送られた脅迫状の差出人の名。雑誌「電波科学」などから切り取った文字の貼りつけによる爆破予告。
4日後の12月10日、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へボーナスを輸送中の現金輸送車が、発炎筒をダイナマイトに見せかけた小細工でまんまと窃盗される。いわゆる、2億9430万7500円事件。この手製発炎筒の巻紙に「電波科学」の同じ号が使われていた。
この年の春から夏にかけて、府中市の多磨農業共同組合に現金を要求する脅迫状5通が届いた。筆跡鑑定により、日本信託銀行脅迫多犯と同一人物。

最初の脅迫状(昭和43年4月25日)

「していした くるまに うんてんしゃ一人のり じそく二〇キロで やじるし のとおりにはしること 女でも こどもでも 白い はたお ふったものに かねおわたせ けいさつにしらせると ためにならない」

2回目の脅迫状(5月25日)
「おぬし が さつに しらせた ことは 我々 にも すぐわかったよ われら どくじ 方法 に より 車のなかにわ私服の ポリが のり 金わ 持って いない と 判断したので 中止した」

3回目(20日後)
「この前は さつ の ごえいつきで走った そうだな 我々も 人質で どじを ふみ いざというとき きりふだ がないと きけんなので中止した これは 苦心した 計画だ 人を殺しても うちに火をつけても ぜったい じっこうする ことわっておくが いやがらせ など のたぐいでわない (中略) 全て この前と 同じにせよ さつに しらせると さつわ いやでも しつどうしなければ ならない そうなれば 死人でる」

4回目
「いいかげんに しろ しかたない やくそくどうり 一人 ころした へんな まねを して あったら ある方法で 百人でも 二百人でも ころしてやる」

5回目
「ころしかたは つつんで あるもの を つかう 何か わかるかい これを たいりょうに つかえば また せけんわ おおさわぎ するぜ 人わ 死ぬ」

以上が、2億9430万7500円事件に関する、あまり知られていない話。

10年後の昭和53年、グリコに「3億円」を要求するテープが送られる。江崎社長の誘拐、青酸入り菓子のばら撒きなどの犯行予告。
6年後の昭和59年3月18日、江崎グリコ社長誘拐事件。何回かの現金受け渡し方法を指示した脅迫状。
5月10日、青酸菓子ばら撒き事件。いわゆる、グリコ丸大森永ハウス不二家駿河屋事件の勃発。
「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」
「けいさつの 車 5だいか 6だい はしっとったで タクシーに のった あほも おった あの道 よるは タクシー とおらんのに 会社の 車に のって 一人で くるよう ゆったのに ちがう車で 2人も すわって まっとった きいとるだけで あほらしいやろ」
「わしら けいさつ わな しかけとる ときでも いつも かげから みとる けいさつの くんれん したってるんや 丸大の ときの ことも けいさつ うそ ついとる  わしらの ゆうとおり したら にせさつ とられるの  わかっとるから せこいこと しおった バッグ おとせるよおに まど あけておけ かいとったのに  まど あけずに ほかの まどから デカが みとった  わしらが はた ふったの みとるんや  1メートルも ある 白い はたやで  わしら あほばかりや  けいさつが もっと あほなだけや」

昭和60年8月12日、犯人側から終息宣言。
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」
同日、日本航空123便墜落。犠牲者に脅迫されていたハウス食品の浦上郁夫社長が。

昭和の迷宮入り大事件の数々が連句的(?)につながる。

かい人わ 三億犯と よおにとる (乙)

おつしろうの解説:

高木門という人は昭和43年に「浪人ブルース」というのをリリースした歌手。
“浪人ブルース”高木 門
星の王子に願かけて受けてすべって涙も出ない 試験試験でまた暮らす 何度受けても同じ事 およしなさいと言われるけれど俺にゃ俺の意地がある 俺たちゃなぁ学校の裏街道を歩く渡世なんだぞう え~言わば一家の厄介もんだぁ 幼稚園から狭き門 始め本命で大穴狙い だんだん望みもダウンする 教育ママにおだてられ かわいこちゃんにつれないそぶり 浪人暮らしはままならぬ 社会学部が5747名で16.4倍 文学部が7106名で12.1倍 法学部が4533名で22.4倍 嫌な渡世だなぁ 何が何でももう一度やらにゃなるまい大和魂 人を寝かせて俺はやる 一年遅れなんのその負けてなるかとハッスルすればいつか出る日もあるだろさ… はぁ~あ入りてえなぁ 山勘作戦練りながら角材もって頭の体操 心は明日へジャンプする 良いせんいくだろ ぎむのぺじゃ 眠っている間にテレパシー入れて 夢は満点ストレート うぅ~ 入ったぁぁ~!!!

う~ん、どこにヒットの要素があるのか皆目わからん。
この曲以降は役者人生を歩まれておられたようで、当時のいろんなドラマの出演者名の隅っこに名前を見つけることができました。「太陽にほえろ!」でも薄幸の青年役だったそうです。

こういうアングラソングの歌手名を騙って脅迫状を書くのは、「自分は浪人ブルースに共感する世代の者だぞ」とカムフラージュ(フランス語:camouflage)する目的か、あるいは、本当に浪人ブルース共感世代だったのか、おそらく前者でしょうが、ただ、カムフラージュ目的だったら、同じ昭和43年に大ヒットした受験生ブルースの高石ともやを騙ればいいものを、高木門を騙るところは相当にオタクっぽい。「電波科学」が身近にあるので理系オタクですね。バイクの改造なんぞ序の口、捜査情報を得るために高性能盗聴器をこさえることくらいお茶の子さいさい。真犯人はいまごろは、豊富な資金力をバックに、理系オタク度をさらに磨いていることでしょう。

機密に触れる仕事に従事していると、盗聴には敏感になります。
実際、盗聴器を発見したことや、盗聴を逆手にとって嘘の会話を演技したこともあります。よく役所には、人事異動時の就任祝いだとかに、胡蝶蘭の鉢植えなどの届け物などがあるのですが、盗聴器のチェックは怠りませんでした。今はネット時代なので、電話や会話の盗聴は主流じゃなくなりましたが、ネット上の情報を絶えずチェックしている人々はいますので、皆さん、ご用心のほど。この文章や前の文章みたいに、ちょっと危ない情報を漏洩したりすると、真犯人がどこかでチェックしていて、ロシア語が読める投稿者向けにロシア語で忠告が入ったり、○○が車に跳ねられ死んだぞ、と投稿を牽制されたりするかもしれません。

[読者の反応]

ほへ。シャー六句おつ。ふっかーつ。
シャーロックって高利貸しの名前だったよね?
いや、ちがった、あれは謝意六句か。ベニスの商人。
おたく度、相当たかいっす。
まったくきおくにない。高木門。そっかー。
高木ブーとはちがふのだな。
青春の門。はおもしろかったけどねえ。
石炭。
今日、らんちゃんと相良観音、山鹿温泉に行った。らんちゃんちは旧国鉄駅の前だったから、チッキを聞いてみた。知ってましたね、さすがに。ついでにこういう話をしてくれた。
石炭をたくさん落としていた(たぶん汽車だったからじゃろう)のを拾って風呂をたいていたと。
おなじことを黒木の駅官舎に住んでいた親戚のおばが今日話してくれました。汽車が使ったばかりのコークスを穴にざざっと捨てるのを拾ってきてた。と。たくさんの人たちが待ち構えていたって。まだ熱いコークスを拾ふ。(何に入れて持ち帰ったただろうね?新聞紙じゃ燃える。火鉢?)

高木門については、100人中99人は記憶にないと思います。記憶しようにも、ほとんど報道されなかったのではないかと思う。人々は、犯人の手際のよさと、直接的には誰も傷つけていない、銀行も損害が保険でカバーされて実損なし、というスマートさに、どちらかというと英雄視していた向きがあり、脅迫だの、誘拐予告、放火予告、毒物ばらまき予告、バイク窃盗や自動車窃盗といった犯罪者イメージを強めるような報道は陰に回ったようです。
グリコ事件報道にも似たような傾向がありましたが、こちらは誘拐や毒物ばらまきという悪質な犯罪性があったので、過去の「ヒーロー」とイメージをダブらせるような報道は避けていたようです。

コークスを入れていたのはブリキのバケツに違いない。それか、いっと缶に穴を開けはりがねをわたしたもの。火箸もどこの家にもあったんじゃないかな。いやまてよ、たどんを運ぶじゅうのうやったっけ。あれかもね。想像だけの世界。
乙さんの過去は、毎日の生活そのものがドラマみたいですね。「平穏な日々」も経験されているんでしょうか。

子供のころ外で遊ぶことを、かどで遊ぶと言っていました。
鳥取県で子供時代を過ごされた方と同じ風景でした。

コークス拾いという言葉がありました。
落穂拾いと同じように線路で行われていたように思います。

乙さんの書かれたようなことは、政治の世界を見ていると現在進行形、先日から騒がれていることも一本線でつながるようですが。

 「高木門については、100人中99人は記憶にない」、なるほどその通り。しかし「浪人ブルース」というタイトルを聞いて記憶が蘇った。
 フォークルの「帰ってきたヨッパライ」がヒットして以来、アングラと言いつつ実はただ、テープの早回しなどを真似したコミックソングに過ぎないものが雨後の竹の子のようにレコード化されたものの、ほとんどヒットしなかった。アングラヒット曲第2弾?「ケメ子の歌」は、作詞・作曲者はアングラ系だが歌ったのはプロのバンド、でも第3弾の「受験生ブルース」は、当時高石友也は既にレコード出していたものの、アングラと言って良いだろう。つまり、アングラという言葉が完全に誤解され、実際はプロが作詞や作曲していた頃にレコード化されたコミックソングが、「受験生ブルース」をヒントにした「浪人ブルース」。当時大映レコードがかなり力入れていたみたいで、ヒットしなかったにもかかわらず、当時深夜ラジオをよく聴いていた私には、その歌詞や曲が記憶に残っている。何かの事件で名前を使われたというのも思い出した、シャーロック乙さんありがとう。
 というわけで、高木門について調べたら、この人、もともと役者やないの?1967(S42)年の日活映画とかに出とるやんけ。
 ついでながら、「破廉恥」という言葉を「ハレンチ」と、従来とは違ったニュアンスで流行らせたのは、永井豪の「ハレンチ学園」だと思っている同世代者が多いけど、実はフォークルなのであります。

フォークルが駆け抜けたのが、この昭和43年でしたね。
たった一年のプロ活動で、この存在感は何なのでしょう。フォークルとしての最後の曲が、五木寛之が詞を提供した、青年は荒野をめざす、でしたね。解散後は、北山修がいい詞をいろんな歌手に提供してます。浅川マキの「赤い橋」、自分の前にしばしば現れた橋でした。
   ↓

しかし、石橋貞吉と石橋秀野夫妻がナップを抜けたのは、第一子をなくしたからだとおもう*。それはどこにもきちんと記されていないけど、俳句作品から察して昭和九年。全てをかけてというくらいに熱中しマルクス思想が、つき物がおちたみたいにつまんなくなる瞬間。

さくらさん。かどって角じゃなく庭っていみのですか?へえ。大江希望さんの書かれているのといっしょだ。きいてみるものですね。

芹摘み

芹摘み

2009年3月 1日 (日)

箒木のホーキ

箒木のホーキ

ホーキ草を束ねて作ったほんもの、母手製です。
かどの砂利の上に散らばる枯葉を掃くのに最適です。
パソコンのキーの上を刷毛で払うような感じ。

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