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2009年2月28日 (土)

昭和の話をしようよ。の4

みんなで懐かしき昭和を語ろう。

 
かささぎの旗の共同風呂コーナーです。
都合のいい時間に来て、きおくのもやいぶろにゆっくりのんびり浸かっていってくださんし。
いまのところ、九州の筑後地区出身者が多いです。(管理人)

裸電球が灯りチロリン村が始まる頃、共同風呂のお湯が沸いたことを知らせる「カンカンカン・・」と、板を打つ音が近所中に響きわたります。
「もえぶろ」とか「もやいぶろ」と呼ばれていましたね。
脱衣、洗い場はきちんと仕切られていましたが、湯船の下はつながって、浴槽は1個になっていました。
私の町内は毎日どこかの家が順番でお風呂を沸かしにいってました。
その時は祖母に連れられて薪くべを手伝いました。
たらいを卒業した赤ちゃんも、嫁いでこられた若いお嫁さんも、人の手を借りるおばあさんも、み~んないっしょに入って賑やかでした。
おかんのんこがある時、近所のおばちゃん達から「○○ちゃんな、さるのあかちゃんのごたったよ~」ってよくからかわれていました。小さく痩せて生まれたのでシワシワだったようでした(^_^;)

やだなあ、エメさん。
またまたコメントが集中しそうな、話題を出しちゃった。共同風呂かあ、なつかしいなあ。「もやいぶろ」そう言ってましたね、確かに。そして、行ってましたとも、ばあちゃんと。
ばあちゃんたちの情報収集の場であり、社交場でもありました。小学校中学年のころ、自宅に風呂場ができるまで、毎日毎日通いました。記憶が確かなら、そのころ、風呂場の角には手押しポンプがあって、しゃこしゃこやって、水をくみ出していた。でも、まさかあの大きな風呂桶にはポンプで水はってたわけじゃないよね。

いやそのまさかだとおもうけど。
エメさんの文章、なつかしくって泣きました。
どっこの過去にもかえりたくはないけど、ばあちゃんに連れられていっていた共同風呂のころにはかえりたい。うん。かえりたい。半年しかもたなかったそろばん塾通い(十歳のころ)、まっくらな道、途中おはかがあるところをだだばしりで帰ってた。だんぜん、夜の時間がむかしの昭和のころは豊かだったなあとおもう。やさしいひとたちばかりがいた。
それと。
ことし、わが町(村か)納楚のきりあけ商店が閉店しました。
ながいながいつきあいの近所の小売店で、物心つくころから十円もっておかしを買いにいってた店なんだよね。いつもなにかおまけしてくれた。さいごに父はたばこを二カートンかって、それで幕。感無量でありました。よく村のおとこしが枡酒を飲んでいた。あの人もあの人も、もうこの世にはいない。むねがいっぱいになるね。さみしいね。桐明商店さま、ながいこと、ありがとうございました。本当におせわになりました。

あべしげさんのブログ、いつも、現実の切り取り方に脱帽する。
さすがにプロ。さすがにブン屋。

ショッピングモールにもののあふれゐてホントに欲しいモノが見えない

2005年芥火賞応募作品「街騒のなか」から

大牟田のイオンモールのオープン日が延期されたり、佐賀のモラージュが閉店では?の噂を聞いたり、大型ショッピングセンターはこの不況をどう乗り切るのだろうか。
少なからず私たちも若干の賃金カットを余儀なくされている。ボンビーな生活は慣れているからどうってことはない。
西日本新聞の「価格の向こう側」シリーズにも書いてある。米をたいて自分で握れば20円のおにぎりだが、コンビニで買えば105円はする。「年越し派遣村」に行くような人もコンビニでお金を使っている。現代の人は自分の食を自分の手でまかなおうとしていない。
わが子が小学生の頃、地域懇談会というのが夏休み前にある。「学校に対するご意見を・・・」と司会者が言うので、「子供たちが自炊できるように家庭科にもっと力を入れてほしい。」と言う意見をだしたが、誰も何も答えてくれず、サーっと流されてしまった。
自分で料理が出来れば、子等はコンビニに行かず、店の前にたむろする事もなく、集団でホームレスを襲う事もなく(短絡過ぎるか)いくとおもうのだが。
土曜の朝からこんな事考えているわたしだが、お惣菜売り場には助けられていることもある。近所に化粧せずに歩いていけるお店がなくなってしまうのは困りものだ。
これから年をとって、車の運転ができなくなったとき、買い物に行くのはどの店だろう。地元の店を大事にしよう。

 帚木蓬生って、森山光章さんのお兄さんだったんですか!森山さんは1つ年上で同じ高校、授業中もフランス文学などを読んでいて勉強せず、1年留年し2・3年と同じ学年だった。クラスは違ったけど友人を介して何度か話したことあります。3年の時の文化祭では、校舎2階にあった講堂の中をバイクが突っ走るという、当時流行った「アングラ演劇」を上演するなど、何かと話題の多い人だった。
 その後、塾の先生しながら俳句やったり詩集を出したりとか、お兄さんが何かの文学賞候補になったとかいう話は聞いていたけど、いやはや、そうだったのか。

こうづひょうろくはもりやまみつあきの後輩もしくは同級生だったのか
世間はせせこましいもんだな
その懐旧談は かささぎの知ってる怪人のイメージを破りそうで優しく補完する
十年前一度あったその人は とても静かで無口で だけど親指で大きな体をプイと圧せば
お経みたいな難しい漢字がうじゃうじゃ際限なく湧き出てきそうな怖さがあった
小郡の怪人と密かに名付けて畏れ敬っていた
私生活はまったく知らん
ただ文韻中に 森山さんがそう書かれていた はわきぎそうせいは兄だと

森山光章に捧げる歌二つ

帚木に影といふものありにけり  虚子

帝王のかく閑かなる怒りもて
割く新月の香のたちばなを    邦雄

あら
なまえ間違えました
ほうせい◎ そうせい×
杉山のオンジイに そこつ者と言われても
同感ですというほかない
まことに失礼致しました

ろいりさんが俳人の森山さんと同窓と知って、偶然とは思えなくなり、文章をまるごと引用しました。
読まれてください。
去年出席した保健医療経営大学の創立記念行事で、かささぎが傘のことで話しかけたお方は井手信という偉いお方だったらしく、そのことも偶然とは思えなくなりました。ぼんが前に貸してくれた小冊子に、この井手信というひとの書かれた文章がありましたね。なにも知らないのに、ひっぱられてしまいました。

森山光章と橋章山

橋章山って誰どす?
   ↓

そうだった。赤面。おそれいりやの鬼子母神。
このおそれいりやの・・・のフレーズは、鍬塚さとこさんから四十代のころ習った。ちゃんとものごとにはルーツがあるね。ははは・・かんらからから。(とごまかしてそそくさとにげる)

木曜日の夜、私は三ノ輪線と言う東京で唯一の路面電車に早稲田から乗り、鬼子母神を通って大塚に行った。

ええっまだ路面電車があるんですかい。さくらさん。
みのわせん。みつのわせん。みつわせっけん。
きしもじん。
そその鬼子母神はどっかでどなたかのおはなしのなかに出てきたのを入力したことがあります。ちゃんと指が覚えています。ちょっと確認してみる。円交だったっけな。たぶん。まず思い出すのはそれ。大塚。ウン間違いない。

三ノ輪橋とうところが基点で昔は三ノ輪線と言ってたようですが、今の正式名は、都電荒川線、鬼子母神前駅です。
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/toden/map/index.html

都電と熊野前で交わる、この線の名前も好きです。
   ↓

 「おそれ入谷の鬼子母神(きしぼじんorきしもじん)」「ピーピー、ドンドン、神楽坂」「酔って九段の坂の下」「銭が内藤新宿で」など、江戸っ子の洒落言葉、昔、舟木一夫の歌で覚えました~他にも「その手は桑名の焼き蛤」とか。都電荒川線は早稲田の次が面影橋、「面影橋から天満橋…」じゃなかった(これは六文銭や吉田拓郎が歌った歌の歌詞)、大塚や王子を通って、終点は近くに吉原や山谷がある三ノ輪という、東京都唯一の路面電車、と言いたいが、東急世田谷線も一部路面を走っている。
 ところで、この荒川線に私の名字と同じ駅があるのであるのである。1度行ってみたいと思いながら20年近く、まだ下車したことのない駅。

 ついでに参考ながら、入谷の鬼子母神近くには林家三平の記念館「ねぎし三平堂」、「子規庵」「一葉記念館」という見所あり。何年か前行って、三平のCDを買ってしまった。

樋口一葉。と乙骨まき子(太郎乙長女)がおなじ歌塾、萩の舎で学んでいたのではなかったかなあ。とても元気がいい勝気なまき子さんがイメージとして浮かぶ。どんな歌を詠んだのか。
ろいりさんのなまえ神津兵六にまだ執着してるのは、ろいりには苗字がないからです。名前だけは正面をむいていてほしい。という視点から、神津だと、きちんとした情報を発してくる。本人はいやかもしれないけど、受け取る側には逃げない何かがある。

堀川バスって慰安旅行には良く乗せていただきました。
確か八女のバス会社でしたが、何かありましたか?

さくらさん
こないださくらさんの夢をみました
会ったことないのに何故か解るとこが不思議だった
ウエストにベルトつきの紺色の半そでワンピースだった

堀川バスは今も頑張っています

過去の透視術を持ってるの?
そのワンピースをお見せしたいほどです。
紺の半袖ワンピースに、紺と白の細かいストライプでベルトを作ってもらいました。
そのストライプ柄で、襟ぐりと袖口に縁取りをしてもらいました。
デザインをこのように指定して仕立ててもらいました。

新大阪-鹿児島間を直通で結ぶ新幹線の名前が決まりました。「さくら」だそうです。

乙さん、さくらさん。

わたしも夕方のニュースで、新幹線の名前が「さくら」に決まったのを見て、すぐ、さくらさんを思った。でも、かささぎどんと違って、顔がわからない人の夢はみたことない。笑
紺色のワンピースのイメージ、わかります。
さくらさんの写真に出てくる、女児用ワンピやストライプの木綿のワンピ。清楚できちんとしたイメージ。さくらさんって、きっとそんな女性だと思う。ぞろぶくスカートは決して履かない。ぞろぶくスカート崇拝者のわたしとは、対照的だね、きっと。

 堀川バスって、八女に本社があったのか!そういや、小学校から高校まで、バス旅行と言えばほとんど堀川バスで、その理由は西鉄バスより安いからと聞いたこともあるけど、真偽のほどはわかりまへん。
 浪人生の頃、西鉄久留米駅と一丁田の間ぐらいにあった堀川バスの営業所みたいなところで、バス掃除のバイトをやったことあるな。昔は久留米市内も、今よりは堀川バスが走っていたような気がする。 
 というわけで、今朝堀川バスで検索してみたら、ヤフオクに新型のバスとボンネットバスの、チョロQセットが出ていた。1200円、買おうかなと思って迷いつつ、昼間職場でもう1度見たら、既に売れていて、惜しいような、どうでもいいような気分に。ボンネットバスが走っていた記憶はかすかにあるけど、みなさんどうですか?

あります。みたことあった。あの色独特だし、むかしは野暮天ぽく思えたけど、この年になるとセピア色とかキャラメル色とかとおなじ暮色なんだ。いい色。
それと今朝厠でjafのおたよりを読んでいたら、最後の頁にカンカンに入った働く車のちょろキューセットが載っていた。ほしくなったけど、六千円もするので、思いとどまった。じっさいにいろんな部品が動くって書いてあったから、さぞや楽しかろうと思った。

せいこさん。わたしはさくらさんのお写真を拝見したことがある。高橋甲四郎先生が見せてくださった。正統派のクラシックな美人でした。
ある医院の窓口勤務だったころ、失礼のないよう患者さんの似顔絵を描いて名前を覚えた。ある上品な欝の婦人が、医院にカシミヤの毛布を寄付してくださったり、おいしいケーキを差し入れしてくださったり、フランス焼き菓子の作り方を教えてくださったりしてたのですけど、その人のお顔、今も浮かぶときがある。亡くなられていると思う。残像力、強し。

こんばんわ
堀川バス>>通学や社会科見学、修学旅行、などなどたくさんお世話になりました^^
今は宅配などで個人の荷物が運ばれますが、昔はよく、バス停の切符とかを売ってる商店のおばちゃんが数個の小荷物を運転手さんに預けてありましたね。そして山手や途中のバス停まで運ばれていたんだと思います。
ほんとに日々の生活に密着した交通手段でしたね☆彡

堀川バスには格安の日帰りバスツアーが時々出る。前の職場にいるとき、5~6人で利用していた。温泉入浴付きで、¥3980 昼食も食べきれないほどあります。おみやげを特別買わされたりということもなく、気軽に行けます。良心的です。

かささぎさん
さくらさんの夢、みられたんですか!
彼女はイメージどおり、素敵な女性です。
甲四郎先生の写真も、そうだったでしょ。
背もたかくすらっとしていてよかおなごしっていうのかな。
方言の使い方も最近忘れかけています。

耳がかゆいなぁと思っていたらさんざんうわさされよったですね。
紺白グレーの世界から脱皮して紫ピンクオレンジ黄色と何でも挑戦しようと思っています。
ひめのさんが見たという写真も霜降りグレーのじみーなジャケット着ていたと思います。
甲四郎先生がエッセイの受賞でもらわれた大きな花束を、飛行機に乗せて持って帰れないからと私がもらい受けに行ったホテルで撮った写真です。
どこまでも花が付きまといます。

ハンドルネームの「さくら」は、東京の桜の花を撮ったことがカメラの始まりだったので安易につけた名前ですがもう8年ぐらい使っています。
寝台列車の「さくら」は九州までの往復に何度か乗ったと思いますが、今度は新幹線に受け継がれたんですね。

そうです、そしてペットの牝のなづけの第二位でもある。さくら。社犬とおなじ名。で、今日車検がおわりました。よかった。
エメさんへ。
エメさんの書かれたことを読むと、すぐ伝票に細い針金が結んであった荷物にくっつけるのを連想しました。なつかしかです。
思い出って、そんな具体的なモノ一つで、どっとあふれでてくるものなのですね。

荷札ですね♪
国鉄の荷預かり窓口に大きな荷札をつけた荷物をよくお願いに行ったものです。
それには相手の住所とこちらの住所を書きました。
ついこのあいだのような気がしますが、まさに昭和時代の話ですね☆彡
車検がすんでよかったですね。 落ち着いて運転できるでしょう
最近は何をかけながらの運転でしょう~。 当方は季節はずれなチューブでした^^

その昔、上京したときの引越し荷物は、国鉄でチッキで送りました。
あの荷札と同じ構造の紙と針金は、今も、大災害時に患者を重症度別に仕分ける(トリアージといいます)時に、患者に括り付けるのに用います。ちっとやそっとでは外れないので重宝します。

私の職場では棚卸しの時に使います。丸巻の布地が何メートルのこっているかをはかって、荷札に記入するのです。
乙さんとは反対に、棚卸しが済んだ後はずしていくのですが、外れなくて、てこずります。

チッキという言葉を遠い記憶から思い出しました☆
トリアージという言葉は初めて知りました☆
棚卸しの時にも活用されるのですね☆
なるほど~☆☆☆ 
私はたまのフリマに値段を書いてぶらさげます。
色んな方面に今でも活躍してますね~

荷札、このごろまで引き出しにありました。
チッキとはどんな意味なんでしょうね。
確か旅行する時切符を見せて頼んでなかったですか?
大きな荒縄で手際よくきゅっと締めて荷物を作ってくれました。元海軍で国鉄勤務だったおじが。
紐を結ぶとかものたたむとか整理整頓とか軍人だった人はものすごく綺麗です。
いつ船が沈んでも敏速に身の始末をして逃げられるような訓練をしているからです。
漂流してるところに縄はしごを投げてもらった時、しっかりつかまって助かる訓練までしています。
命を粗末にしたかの様な言い伝えがありますがけしてそんなことはありません。
わずかな水で軍服を真っ白に洗うことまで叩き込まれているので身ぎれいにします。
今でも自分の下着はお風呂に入った時自分で洗うおじいさんも居ます。
戦後教育の人のほうが全然だらしないです。

話がそれまして。

友人に自衛隊関係者がいるのですが、(すでに退職されてます。)バーベキューにおよばれしたとき目を見張りました。火おこしから設営、その他てきぱきとお父さんがするのです。うちでは考えられないのでびっくりしました。
でも、家に入ったら何もしないんですって。それもおかしいよね。自衛隊訓練は厳しそうですね。それよりも厳しいのが、久留米の「梅林寺」での修行だそうです。新入社員教育が時々行われるそうですが、皆帰りたがるそうです。

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コメント

やっぱりね。
当初は「手荷物」と言う感覚だったから、今の飛行機に乗るときの手荷物扱いのようなものだったんですね。
だから切符を見せて送ってもらっていたんだ。

ニッキはニッキの木と言うのがあって、根っこだか皮だかを取ってしゃぶると強いニッキの味がしました。
粉にしたシナモンと同じじゃなかと?
ニック水の強烈な色と味、懐かしいね。

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