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2009年2月 3日 (火)

『海やまのあひだ』

『海やまのあひだ』

自選歌集『海やまのあひだ』 折口信夫著
 大正十四年五月三十日発行定価一円八十銭
    改造社刊

   

  供養塔

      釋 迢空 

数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立つてゐるのは、あはれである。
又殆、峠毎に旅死の墓がある。
中には、業病の妻を家から隠して、死ぬるまでの旅に出た人のなどもある。

人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。
旅寝かさなるほどのかそけさ

道に死ぬる馬は、佛となりにけり。
行きとゞまらむ旅ならなくに

邑(むら)山の松の木(こ)むらに、日はあたり
ひそけきかもよ。旅びとの墓

ひそかなる心をもりて をはりけむ。
命のきはに、言ふこともなく

ゆきつきて 道にたふるゝ生き物の
かそけき墓は、草つゝみたり

   以上、大正十三年の作より

戦時中の馬たちのたましい

     神崎さくら

戦争中の馬の活躍話を私はこう書きました。
泣けちゃうよ。

砲兵隊では兵隊と共に数百頭の軍馬が配置され、分解した大砲や弾薬を背に載せて運び、頼もしい戦友として戦いました。
疲労困憊した隊員は、馬の尾につかまって引っ張って助けてもらう事もありました。
しかし敵機の激しい空爆の中で次の陣地への移動は、病傷馬は連れていけず、餌を与えて放馬するしか有りませんでした。
よろよろと後を追ってきた馬や、事態を悟っていなないた姿の哀れさは、復員した隊員の頭から離れる事はなく、各地に軍馬の慰霊碑が建立されました。  


▼戦争追悼画より
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/3222/ehagaki3.htm

▼ かささぎの旗姫野

さくらさんのその文章、こころがこもっています。やさしい短い文章ですが、これだけ要約するために、たくさんの資料をよまれたことがしのばれます。
兵隊さんたちといっしょにいったい何頭の馬が大陸へ渡ったのでしょうね。

同じようにしてその昔、日本へ舟で渡ってきた馬たちを思います。(かささぎは、馬ってずっともとから日本にいたと思い込んでいた。でも、やまたいこく調べてたらそうじゃないとわかったし、「装飾古墳のふしぎ」を読んで、馬が大陸から舟でやってきたと知った)。

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コメント

馬の記憶。
わたしが小学校に入学したときに教育長としてご挨拶なさったのは、顔なじみの「馬のお医者さん」だった。母屋に併設した小屋の一角に馬小屋があって、たぶんこげ茶色だったと思うが、黒い馬が飼われていた。もちろん農耕馬として。具合がわるくなったり予防注射の時期になると、このめがねをかけた大柄な「馬のお医者さん」がやってきていて、わたしはすっかり顔なじみになっていた。そのおっちゃんが、入学式の晴れやかな場で「お祝いのことば」をおっしゃったのでびっくりしたものだった。不思議に強烈な印象でのこっているできごと。「馬のお医者さん」は「ナカムラジロウ」という名の獣医さんだったと思う。もう五十年近く前の思い出である。

せぃこさん いい思い出をありがとう
こどものころ は 今よりずっと哲学的なことを真剣に考えてたし雰囲気を雰囲気として分析なんかせず そのまままるがかえしてた だから今よりずっと世界は大きなものでした

「れぎおん」頂きました。
忙しいのにありがとうございました。

そうそうたる書き手の中で場違いな感じ、でも、ど素人の普通の感覚でまぁいいかと思いました。

さくらさんそれが俳諧です。
あれは作品が連歌みたいでしたんで
さくらさんのとめがきとの間がなければ
ちっともおもしろくなかったろうとおもう。
生きのいいご文章をありがとうございました。
あんな現代文のさくらさんと、きちんとした追悼文のさくらさんとブログでのサービス精神のさくらさんと。たくさんのかげがいらっしゃる。
ところで、連句と連歌はどう違うかわかるでしょうか。
れぎおんの作品をよめばほぼわかるとおもいます。前にあるのが連句、あとにおかれてるのが連歌です。
用語使いと流れがまったく違います。連歌はけっして俗になびかないし流れもとてもゆるやかです。
題からしてまったくちがいますもんね。
以前、れぎおん誌上で鶴崎裕雄先生がこたえてくださったことがありました。連歌の題の『賦何(ふすなに)』のなにとはなにかについて。しかし、一度や二度説明を読んだだけではさっぱりわかりませんでした。笑
それでも礼儀上、ありがとうございましたと申しました(当時読む読むという欄を担当していた、そこでです)が、今でもわたしはよくわかっていない。たぶん考えるより、じっさいに中に入ってなんどかやってみるとよくわかるんでしょう。近けりゃ教えてもらいにいくのですが。

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