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2009年2月20日 (金)

昭和の話をしようよ。の2

八女、久留米、鳥栖出身者が思い出を語っております。
かささぎの旗では、編集せず、そのままアップします。
なにかの資料になれるかもしれないとの思いからです。
     (かささぎの旗管理人)

昭和の話をしようよ企画にかたります。
生まれた年号なのにもう「昭和」はなつかしく思い出す時代になったのですね。
世代的には長かった昭和時代のちょうどまん中あたりに生まれているので、前半の空気や匂いも経験してますね。
映画館の思い出はたくさんあります。
京座では東宝映画や洋画を見ました。
バス停の近くの福島劇場はたしか入り口が2ヶ所あって東映と日活、とか^^
福島劇場で最後に見た映画は高校生の時に「ケメ子の歌」です。内容は全然覚えていないんですけど(^_^;)
福島バス停にはいつも映画の大きなポスターが貼られていました。
高倉健さんの等身大のポスターを覚えています。
あの頃のバス停にはたくさんの人がごったがえしていましたね☆彡

エメラルドさんってどうしてそんなに記憶力がいいのですか。わたしは京座しか覚えていませんでした。
父に朝聞いたら、映画館は三つあったとの答え。ほぼエメさんとおなじようなことを申してました。
父は映画をみに行ってたようですが、母は一度もみにいったことはない。といいます。時代、男尊女卑というより、農家には、そんな余裕はどこにもないころでした。

私、高倉健のデビュー作を見たのが自慢。
松島とも子と田代百合子姉妹の隣の部屋に住むやさしいお兄さん役。
子供ごころにもすっごいハンサムだと思った。

映画館へ映画見に行くことは最高に贅沢でしたね。
正座してみたいような貴重なものでしたが、ビデオ借りてきて寝転んでみる時代がこようとは?

>脳の奥底で懐かしく共鳴する音楽といえば、やはりビートルズでしょうか

と、このコメントを書いているのが、おねどしの乙さんってことに驚いた。わたしもかささぎどんと同じく、ずいぶん大人になってから、ビートルズの曲を聴いた。高校時代に初めてレコードプレーヤーをこづかいを貯めて買った。初めて聴いたのがS&Gだった。先輩の影響で岡林信康も吉田拓郎も聴いたけど、結局心酔したのは、S&Gと井上陽水さんでした。アルバイト禁止だったので、こづかいをこつこつ貯めてレコードを買った。初給料で買ったのは、S&GのLP盤。ピュアな時代でしたね。

 私が「ヤァヤァヤァ」を初めて見たのは、それこそ隣の映画館ロイリーで、しかも家の敷地内からのただ見~昔はクーラーとかなく映画館の窓も開けっ放しやった。当時の久留米の中学・高校ではビートルズの映画を見に行くのを禁止していたらしいけど、八女ではそんなことなかったですか?ビートルズについては姉が大ファンで、私は門前の小僧状態で耳に入ってしまった。その後、以前書いたようにフォークルに完全にはまりました。全曲歌えるのはもちろん、ギターもOK、まるで坂崎幸之助です。「イワン・イワノビッチ・イワノフさんと…」は「イワン・イワノヰッチ・イワノフさんとイワン・イワノヰッチ・イワノフさん」で検索してみたらわかります。でもどんな歌かは聴いたことない、というより初めて知った。サトウハチローと言えば、フォークルの「悲しくてやりきれない」も作詞もしてますね。
 かささぎさん、なかなか良い映画見とるじゃなかね。キョンキョンの映画は「空中庭園」も、最近立て続けに映画館で見た「転々」「グーグーだって猫である」「トウキョウソナタ」も良かった。映画はやはり映画館で、2本立てや3本立てで見たい、それが約30年前に東京で就職した最大の理由でした。昔は本当に映画館が多かった。久留米では花畑や水天宮の近くや広又にもあったし、当時は久留米じゃなかった草野にも映画館があったらしい。神津島でさえ2軒あったというからね。

 書き忘れた、「イワン・イワノヰッチ・イワノフさんとイワン・イワノヰッチ・イワノフさん」はサトウハチロー作詞の、日本の曲らしい。

呂伊利ーさん
イワン・イワノヰッチ・イワノフさんとイワン・イワノヰッチ・イワノフさん(唄:伊藤久男,伴久美子)でしたか。「ヰ」とは気付かなかった。長年のもやもやがスカッと晴れました。ありがとうございました。歌いだしの部分は今でも歌えます。耳に残るメロディーです。CDが出てるのですね。いずれゲットすることになると思います。歌詞も味わいがあったのですが、サトウハチローだったとは。同姓同名のふたりの道中物語。

さとうはちろー、へえ。佐藤春夫の子なのかな。

ツイストの思い出をかきます。せらさんじゃないよ。
小学四年生のときだったと思う。お友達の誕生日パーティというものに初めて招かれました。
いまこが(って矢部線の駅があったね、近くに)のくまがいあっこちゃんち。
ぶたの貯金箱かなにかプレゼントをもっていったように記憶してるけど、それはずっとあとの中学生時代の記憶と重なってるのかもしれん。とにかく、あっこちゃんにはおねえさんがいて、歌の好きなおねえさんでした。とても歌の上手な姉妹だったのね。だから彼女の家には当時超珍しかった蓄音機があって、それでレコードをかけて、みんなでツイストを踊りました。おかしいよね、ちびまるこちゃんみたいな話。
あっこちゃんともう一人のおませさんが上手で、どんくさい私もしかたなくまねして手足を動かし腰をひねってたのを昨日のことのように懐かしく思い出します。曲はなんだったかわすれてしまったけど。

すっごー、伴久美子が登場。
童謡全盛時代の、古賀さとこ、近藤圭子と共に三羽烏だった伴久美子。
3人の中では素直な声と容姿でした。
彼女達ももう70歳ぐらい。
伊藤久男さんも朗々とした歌い方に太い声の持ち主、「オロチョンの火祭り」って歌じゃなかったっけ。

このエントリーは、どんどん記憶力を目覚めさせてくれる感じ。

「イワノヰッチ」でヒットしたサイトから。
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この曲をリクエストした方は、10年ほど前にNHKの「ラジオ深夜便」で一度聞いただけでその後もずっと記憶に残り、折に触れて口ずさんでいたとか。
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わかる、わかる。自分もそう。強烈な印象だったから。
CDの曲目紹介引用から。
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イワンイワノヰッチイワノフさんという同じ名前の人が二人いたらどうなるだろうとは、いかにもハチローの考えそうなことで、この名前にふさわしく、舞台をロシアに置いているこの詩を作曲の原六朗に渡して、「君こんなもの作曲できるかね。君しかできないよ、君くらい変わっている人しかできない」といったそうな。それだけ作曲者の力を信じていたということだろう。詩をみて二、三日は出来なかったというが、出来てからは歌手の伊藤久男も伴久美子もよくのって稽古してくれ、気持ち良く仕上がり、ハチローも喜んだということです。
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エメに改名します^^
同居の若い叔父叔母がいたので、流行ものは身近にありました。
彼らツイストの練習の時はタオルのはじを両手でひっぱって、前にもったり、背中にもったりして手や腰を動かしていました(手の位置がかっこよく決まるらしい・・)
座敷でみんなで踊っていました。曲は「監獄ロック☆」
ツイスト、フラフープ、だっこちゃんはいっしょの時期に流行りましたね^^♪

サトウハチローは佐藤春夫の子ではなく、佐藤愛子の腹違いのお兄さん。おとうさんも物書きだったけど、晴夫さんではない。佐藤愛子さんの「血脈」という本を読めばすぐわかる。
サトウハチローさんは「小さい秋みつけた」ほかいい詩をたくさん書いている。でも、とんでもない人物。身内にこんな人がいたら困りものというような人。妻妾同居だし金使いはあらいしで・・・どこからあんな詩(ことば)がでてくるのかと不思議でしょうがないけど事実なんですよね。天才は凡人には理解できない。

その頃はやっていたツイストビートはこれでは?
   ↓

ぼんは血脈を読んだとブログにかいてましたっけね。サトウハチローぼんのうのひとだったんだね。
ぼんのう即ねはん。みっきょうのしそう。
おつしろう。
ばらばら。
そんなえいごのうたじゃない。日本語だったとおもう。

あえかなる薔薇撰りをれば春の雷  石田波郷

こんなところにもあった。
長い題名の第106位
   ↓

 サトウハチロー・佐藤愛子の父親は佐藤紅緑、「ああ玉杯に花うけて」という大時代的な少年小説を数年前に読んだが、この人も息子・娘以上の波瀾万丈人生を送ったらしい。
 ツイスト、私も兄弟3人でよく踊ってました。両手はタオルで背中を拭くように、片足は煙草の吸い殻をもみ消すようにというのが、うまく踊るコツだと(TVかなんか)で教わった。そして日本のツイスト・キングと言われたのが、以前紹介した、今や悪代官役がピッタリ?の藤木孝でした。
 古賀さとこ、近藤圭子は知ってたが、伴久美子という歌手は知らなかった。小鳩くるみなら知ってるが。近藤圭子には知る人ぞ知る「怪傑ハリマオ」の挿入歌も歌ってた~三橋美智也歌う主題歌レコードのB面。古賀さと子は1年ほど前BSで特集番組やってました、追悼番組だったかも?

伴淳三郎ならしっとる。
連句的に、おいりゃあせんのう。っていってたおっさんの顔がでてきた。なまえわすれた。

追伸。
石田はきょうに、松山中学三年か四年のころ、俳句をするよう誘ったのは、のちの俳優大友柳太朗しょうねんでした。

あ!この「ばらばら」って曲、同居していた14歳違いの叔父が聴いていたよ。記憶が蘇る。わたしがまだ小学生くらいで、叔父とは中学2年くらいまで同居していた。あのころ、音楽を聴く楽しさがまだ理解できてなかった。本ばっかり読んでいた「文学少女もどき」やったけん。笑  でも、このばらばらはリズムが目新しくて調子よくて、こころに残ってる。

英語の歌ったって、出てくる語彙は、myとbabyとballa(意味不明)のみ。
これさえ覚えとけば「英語の歌を歌詞を見ずに通しで歌えるよ~」と自慢できるとばい。

お、どうしてかわからんばってん、伴淳三郎がでてきとる!

おえりゃせんのう、は長門勇、この人好き。
どんこんならん、、、、みたいな意味。
おえりゃせんのうで大方のことが表現できるところが
爆笑もん。

この時代の喜劇人はほんっとおかしいこと言ってた。お笑いが昔からすいとったけん。

今はくすっとも笑えんお笑い。

 ホンマに、何で突然「アジャパー」やら「母ちゃん、一杯やっか」のバンジュン(伴淳三郎の愛称)がここで出てきたとやろか。長門勇は「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「三匹の侍」でとぼけたオッさんやった。「おえりゃあせんのう」とは確か岡山弁では?大友柳太朗は東映チャンバラ黄金時代に「笛吹童子」「紅孔雀」とかで萬屋ならぬ中村錦之助とか東千代之介の兄貴分的役をやったり、「怪傑黒頭巾」「丹下左膳」の役をやったり、そして晩年も鈴木清順とか伊丹十三の映画で割と良い役やってたけど、なぜか自殺してしもた。喜劇人と映画のことならまかせとってください。
 「ばらばら」って「マイ ベイビー、バラバラ」という歌のことだったのか、それなら私もよう知っとる、中1の時流行ったけど、歌詞は簡単でも肺活量がないと途中で息継ぎできない歌だった。

 追悼番組があったのは川田正子でした、古賀さと子さんを勝手に殺してごめんチャイ。ついでながら近藤圭子さんは「月光仮面」の後番組「豹(ジャガー)の眼」の美少女役でも出て、副主題歌を歌ってました。

てなもんや三度笠!なつかしかあ!
見てました。夕方6時くらいからの放映ではなかったでしょうか?前田クラッカーの宣伝とともに記憶に残ってる。藤田まことさんと白木みのるっていう小さな男の人が出てたのでしょ?
小学2年生か1年生の夏休みにテレビがやってきた。もちろん白黒で、それも画面がちっちゃいやつ。スイッチがガチャガチャとまわすもので。

大友柳太朗とか大川橋蔵とか、ばあちゃんが好きな俳優さんで、もうひとりお気に入りの俳優さんがいた。なんて名前だったかな。スローニンの役をやってたひと。ああ、思いだせん。

もしかして、東千代之介じゃなか?

白木みのるさん、出ていました。博多座の北島三郎公演にね。懐かしかった。
そうだったんですね。
じつは今朝おいりゃあせんのう。ってことばと、あのあったかいおっさんの顔が突然浮かんで、消えないので、お昼休みにサイバー携帯で検索した。でも、おいりゃあせんのう。だけではわからなかったとです。なまってたから。正解は、おえりゃあせんのう。だったんだね。岡山弁。意味不明だったけど、さくらさんの解説でわかった。サンキュ。
わたしは弟しかいなかったので、みなさんのはなしをこうしてきいて(みて)いると、いろいろななぞがとけてゆく気がして、ありがたいです。
そうでしたか。大友柳太朗さんは自裁されたんですか。
去年、ある時代劇スタアを調べていたら、ぐうぜん、和歌のほうとつながったことがありましたね。だれだったっけ。えーと、古今集の。たんげしゃじぇんの。筑前出身の。わっかんね。おもいだせないよー
でも、ふしぎなかんじ。長門勇さんもふしぎなかんじ。出方が。ねえ、さくらさん。長門って戦艦、でましたよね?孫七で。うわあこれか。

大河内 傳次郎、今ウイキペディアで見てきた、福岡出身とは知らなかった。

大友柳太郎さんはあの有名な「北の国から」にもでてたよね。

孫七さんの息子さんが戦艦「長門」の艦長だった。
調べた先からどんどん忘却するのでこうして確認させていただきます。

ありがとうございます。

では、連句的に入ります。

綿蟲やそこは屍の出でゆく門  波郷

わたむしや・そこはかばねのいでゆくもん。
綿蟲、冬。於清瀬村。
わたしは、この有名な句のよみ、最後の門を「と」と読んでいました。じっさい、ととも読めるし、俳句は五七五の定型詩ですから、そう読んだほうが決まると信じていた。ところが、ルビは「もん」。これを読んで、悶々としています。はきょうがそう発音してみせたのでしょうか。きいてみたい。どうしても。

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コメント

約11,500,000件中5位です。
なにがって、「昭和の話」出の検索です、
これはみなさまの力です。どうもありがとうございます。やはり時々アクセス解析をしてみるべきですね。

昭和談義で盛り上がってる2/17はmy誕生日でした♪ すでに2年前か~・・

emeさん。ろいりさんと丁度十日ちがうだけのお誕生日、いくつになってもいいものですね。おめでとうございます。まだちょっとありますね。
ろいりさん、コメント書いてくださってましたね。
ぼんとアメリカで会ったとき、って八女のアメリカ、コーヒーのとってもおいしいお店です、ろいりさんが事故の頁に書き込まれていた話をすこししましたら、ぼんは読んでいず、心配していました。そのおいごさんはあのおいごさんですか。ちがうようですね。事故はこわい。みなさまもどうぞお気をつけて。

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