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2009年2月 9日 (月)

牛耳捌・歌仙 『冬がれ』

 歌仙『冬がれ』

   第一回俳諧時雨忌

     捌・野村牛耳

オモテ

冬がれや世は一色の波のおと 翁
  凍つる汀に黙す老漁夫     牛耳
練上げの盌を灯りに透し見て   南方子
  二言三言胸につぶやく     圭草
山深き鄙のたよりは月のこと   空花
  白曼珠沙華燃えるすがたも 
 恭子
ウラ

百舌招く甘柿甘く熟れてゐて   健治
  湖に臨める阿弥陀千躰      南
宵々に板橋わたりゆくは誰ぞ    南
  二階の窓にいつも顔あり    恭
紅皿のべにをこぼさばひろがらむ 草
  曝書の山をくづしつつ読み   恭
イエテイの影雪渓の月に消え   耳
  襖隣りにキイ叩く音        花
決断の裏目に出たる先議権    南
  方向オンチ耄けし番犬      治
嵯峨祇園醍醐清滝花の中     南
  春眠浅き興亡のあと       治

ナオモテ

遠足の黄なる帽子の列つづき    恭
  ウーマン・リブと幼な子のいひ  草
スラックスぴったりしすぎ前うしろ   耳
  四十を越えて知りあへるひと   花
地球儀をまはし眺むる松の内    恭
  水吸ひ上げる肥後の水仙    南
町角の石油スタンド人気なく    徒司
  救急患者長く待たされ      恭
繰上げの議員左にバッジして    治
  それやこれやで話す最中    南
雑草の新駅かこみ月と虫      草
  手漉きの秋に楮切りだす    治

ナウラ

ながながと皮をたらして林檎むき  恭
  インターホンの訪ひの声     恭
アルヌーの水濁りたるフロレンス  南
  飯を啖ふは事のなきとき     南
花に会ふわれわが魂を見つめつつ  耳
  蝶のやすらふ紹興の甕      花

昭和四十六年十月十日首尾 於青山『いろは』

捌:野村牛耳

連衆:林 空花(東京義仲寺連句会)
    高島南方子(〃)
    石田圭草(〃)
    杉内徒司(〃)
    大畑健治(都心連句会)
    金子恭子(〃)

引用は 俳諧俳論集『行々子』 林 富士馬・著
昭和53年7月15日・東京義仲寺連句会発行
 

同作品はもう一冊の連句集にも収録されている。
こちらのほうが初出ということになる。
『野村牛耳連句集 摩天樓』 昭和50年7月6日
    東京義仲寺連句会編・発行
 

         
▼かささぎよみ:

山深き鄙のたよりは月のこと   空花

この単純にして余情ふかき一編の詩。すばらしい。
月の座は、三個ともすべて「月」という表現です。
二個目の他季の月は雪渓。夏。


ウラ折立で、すぐ恋を誘うような句がでたけれど、すぐに恋を詠むのは待ちかねの恋といって、下品なこととされる。さいきんは、でも、そうでもないようですが。

湖に臨める阿弥陀千躰      南

このじらし。ほとんど感動。しかもきれい。
恋がはじまるというところで、釈教句。それも無常のような。
へえーってかんじ。恋前に釈教句、ですよ。
なんと珍しいではありませんか。フツウは恋後にきますものね。
・・・どうでもいいことに見えるけど、連句人はここでおおっと思う。思わないといけない。

ーところが、よくみわたすと。
ほかにこれという恋がない。(とかささぎの目にはみえた)。
そうか。そうだったんだ。
この折立の句と阿弥陀千体の句のあいだに、あるんだ。
とても激しい恋が。

・・・つらい、いたい、ふかい。
失恋だったのですね。
たましひのくるしみを千躰もの仏像にして鎮めねばならぬほどの。

ふと、夫がおいていってた板に彫られた仏像を思う。
それはなぜか私のたましひに無言でせまってくる。
まるで失恋したのはじぶんだったかのように、むねがくるしくなる。
しかし。これはたぶんかささぎだけのふかよみ。邪道よみ。
ふつうの読みではただの叙景句。湖に面して阿弥陀仏が沢山。
そして、この句を前句として、つぎにでている小板橋の句。
明治でしたか大正でしたか、女流歌人がうたっていた。
その小板橋のうたを連想させるすぐれた恋句。
石上露子。この句を詠んだひとがこの詩をご存知かはしらないが。
ということは、ほんとうの恋句は、この板橋句からですね。
でもそうだとすると、とてもさびしい。
まあ、感じ方読み方は個人の自由ですから。

一巻の句の出方、流れ方。
自然です。

曝書から時事句へとうつってゆく、その移り方。
そして時事。時事は簡単にみえて、とても難しい。
なぜなら政界ニュース一つとっても、すぐ古くなる。

なにをとるか。なにをすてるか。取捨選択は至難のわざ。
しかし、さばきの野村牛耳はさすがにわきまえている。

決断の裏目に出たる先議権   南

その前句が、

襖隣りにキイ叩く音        花

ね。うまいなあ。
さりげない遣り句が上手な人をベテランというのです。

この南ってひとは、つぎの句もはっとするほどの諧謔。

飯を啖(くら)ふは事のなきとき     南

語彙のゆたかさ、イメージを伝えるけざやかさ。
そして人生を深く生きてきた人の視線の確かさ。

俳句がうしなってしまったものが、ここに、ある。
俗談平語を正す。
って、こういうことだったんだ。





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コメント

昭和46年て、そんなに昔から連句したおられたのですか。それも、『青山』って。東京の?
かささぎどんと接点がなかった○年間。すごく開きがあるようです。うめることができないから、私は私の未知を行く。

この句は強固はではないよ、たぶん。
色調が違う。
恭子は恭子でも、式田さんか?

よく読んだら、連衆の名があった。
金子恭子さんとあった。知らんなあ。でした。
早とちりでしたなあ。

同じ名だから間違われたらいかんなあとハッとして、あとで連衆名しらべてつけたしました。わたしも知らない東京の恭子さん。笑
れぎおんの式田恭子さんは母上が有名な式田和子さんで、死ぬまでになすべきこと。というベストセラーをだされたかたです。お亡くなりになったのも、貞永まことさんが亡くなる前年だったかなあ。圭衛子師が八女の堺屋におみえになって、みんなで追悼句をお出しして、追悼歌仙をまきました。

こんど巻くのはふつうの歌仙です。
座で巻く時までにできるだけの紹介をしたい。

いま、高橋甲四郎先生がお電話されました。
おさそいしてみたのです。というのは、らんちゃんがエーコープで先生にばったりあったんだって。これも縁だし、以前からお誘いしてたのです。かささぎ的思考は、こうしろう先生とおつしろう母上と誘って(多分同世代)ごいっしょになにかクラッシックなものを巻いたら楽しいだろうなあっていう大構想(ははは)があった。あのくそまじめ世代を連句の鋳型に流し込んだら、どんな作品がしあがるだろうか。という野次馬としての興味があってねえ。で、こうしろう先生は来られるんじゃないかな。ぜひ、いらしてください。

しんぱい、なにもしらないから。とおっしゃいました。
ああぜーんぜん心配いりませんよ。みーんな初心者ですから。と申し上げました。
連句を説明した本は、とてもむずかしいし、まったく読む気になれんとですばってん、そこに座ればぴたっと当たる、まるで占い師みたいなかんじですすんでゆく連句の座は、文句なしに楽しい。座が浮揚する。説明はまったくいらない。ってことでどうぞおいでください。と申し上げました。
えーと。きのう送った案内状が、もう着いたんだって。先生には失敗作も合わせて二枚送っていた。笑
みてるうちに、失敗作のほうがよくみえて捨てるのが惜しくなってね。人生なんてそんなもんだよな。たぶん。そうおもわんや。

ほんとだ。連衆のお名前、書いてあったね。どおりで、やらかい口調だと思った。
もうお分かりだと思うけど、私はきちんと最後まで読まないし、流して読むので、見間違いや読み間違いが多い。これで何度も失敗しているから、学習すればいいのに、ますますひどくなっている。むすこからもおこられるし。ああ・・・

そらんさんも一応出席という事でお願いします、だそうです。
今日はがき来たよ、○山呆夢で届いたよ。きちんと住所が書いてあったもんね。よしよし。甲四郎先生には初めて接するような気がします。楽しみです。先生、恋句、出してくださるでしょうか。

了解

案内状 全部で何枚出したかな

音彦山とさがらさん、ぶん、ねこ、にはメールを出します。イケマツっちゃんとか無理かなあ。あいつ文系にはとんと縁がなさそだし。こわもてだし。でも、みやま市在住だから、一応メール打ってみる。

はあ。せいこさんありがとう。
みやま市の獣医さんでしたか。そりゃしらんかった。
みなさんきてくれるとありがたいけど。
理系とか文系とかあまり関係ないよな気がするっちゃんね。
今日らんちゃんがさる用事で高橋こうしろう先生んちに行ってたのに呼び出され、わたしも伺いました。
当日はおみえになるようです。らんちゃんがお迎えにあがるってことにきめてきた。お元気でした。

わすれてた!だいじなことをつたえるの。
連句会出席者は、
今月中に春の発句を一つ、出してください。
メールでかまいません。
姫野があつめてプリントアウトして当日持ってゆきます。前田師より頼まれていたんだった。
(花の発句はさけてくださいますよう)

今回の弥生連句張行ですが、完全に初心者でもかまいませんか?地域づくりの大先輩をお誘いしましたが、俳句も短歌もされたことがない人でもだいじょうぶですかね?文才はあられるお方です。

うん。どうぞどうぞ。
やってみなきゃわからない。
こればっかりは。
光脈筋を掘り当てるかもしれないし。
だいじなことは、たのしくにこにことみなさまにしあわせなきぶんになってもらって、帰ってもらいたいってことだけ。なにかがかわるんです、よのなかの。ほんとはじぶんがかわるのですが。みかた。ものの見方がかわるからでしょうね。

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