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2009年2月 7日 (土)

『暗喩の夏』  安西均

 暗喩の夏

     安西 均

うつむいて煎り豆を拾ってゐるすきに
世界が一瞬にして變ることがあるのだ

若い娘ふたりが
滿員電車で工場へ向かってゐた
戰爭の最後の夏だった
雜嚢に入れておいた罐から
煎豆が床にこぼれてしまった
その日の辨当代りだったのだらうか

娘たちは腰をかがめて
豆を探しつづけたさうだが
やがて頭をもたげたとき見たのは
《乗客も電車も窓外の景色も》燒けただれ
《無傷なのは二人だけだった》といふのだ
廣島で女學生だったひとが書いてゐる

われらが〈生〉にとって
つねに〈暗喩〉といふものは
一瞬だけずれる閃光に似てゐるが
もし地獄とやらにも
微笑があるとするならば
このやうなをかしさに違ひない。

* 引用は佐藤祝子詩集『過ぎてゆく』から。

***安西均詩集『暗喩の夏』(昭和58年刊)より引用***

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コメント

>もし地獄とやらにも
微笑があるとするならば
このやうなをかしさに違ひない。

詩人ってのはすごいよね。
このフレーズだけで、読み手をぐっとひきつける。
人とは違う感性を保ち続けること。
俳人にしても歌人にしても詩人にしても、
ここにチカラの差があらわれる。

「暗喩とは、一瞬だけずれる閃光に似ている」
だなんて、感じたこともなかったが、言われて見れば、直喩がストレート球なら、暗喩は変化球。癖球みたいなもんだ。打者にボールが届くまで、たしかに時間差があることに間違いないわねえ。

第三の目が開くと言うのはたぶん
無間地獄に堕ちなければならないのだろう

うん。

また。

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