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2009年2月 2日 (月)

学校給食の記憶  久留米鳥栖八女

なるほどこれでわかった!
日本ごむは朝日靴なんだね。
ぶりじすとんが石橋さん。タイヤやさん。
そして腹巻ときじろうじゃなかった、ほれ、あのお方。えみりちゃんのご主人。ほっかいどうのおとうとみたいな兄じゃとはあまりにていらっしゃらない。あたしはこっちのお方のほうが好きなんですが。えーと名前が出てこないままにほらあの人。おじいちゃんの別荘が鳥栖の競馬場ちかくにあって、いまはそれがなぜかどうじんかいじむしょになっていて。うわわなんでこんなどうでもいいことばかりでてくるんだろ。なまえでてこないまま・・・ごめんなさい。かささぎの旗に清き一票を。連句興行のパトロンになってくださいとあたまさげにいこうかしらん。どさくさまぎれに。
最後、月星ごむはムーンスター。
はいよ今かんぜんにあたまにおさまった。

で。
なんでここくるめの地に偉大な護無三社が鎮座しましますんでしょうか。

筑後は日本の文化中心でした。
   ↓

みごとなおちです。笑

見事な脇のさびしさよ。という攝津幸彦の句があったんだが。

月星ゴム(両親は今でも日華ゴムと言う、さすがに「つちやたび」とは言わん)は小学校の社会科見学の定番で、ゴムの臭いとおみやげにもらった三角形の鉛筆の触感は今でも覚えてます。その後月星化成と言ってたのが、いつの間にか変な名に。日本ゴムもいつの間にか名前が変わって、倒産して…
久留米は昔よく「ゴム三社と久留米絣で知られる」という形容句が付いていたが、商店街育ちの私としては、あれっ?という気持ちがありました。
給食の件、昔はどこも弁当で、諏訪中ではパン販売も来てました。久留米市内の中学は牛乳だけ配られていたと思います。給食か弁当か、その他すべて地方自治体次第、今でも自校調理やってるとこあるのかな?

いっちゃんふるい私の給食の思いでは、脱脂粉乳のいやーなにおいの飲み物です。
脱脂粉乳って言ってもしらんやろね。
茶色ににごった汚い色の牛乳で、アメリカさまが貧乏な日本人の子供達に下すったもの。
最近聞いた話だとこれは実は家畜にやる飼料のカスだったらしいよ。おえーっていうくらいまずかった。

高校1年の時に地理の先生から、「お前たちの飲んだ脱脂粉乳は牛乳より栄養があるちゅうて騙されたかんしれんばってん、牛乳のカスなのにそげなわけなかろうが、そいが入っとる袋には [for animal] ち書いちゃったつぞ」と教えられました。脱脂粉乳はうちの弟世代までは体験してるから、かささぎさんやぼんさんも御存じでしょう。
「日華ゴム」の件、実は私らも子どもの頃、親の影響でそう言ってました。

ろうりーさん。八女郡のほとんどの中学校が完全給食でっせ。現在もなお。もちろん、わたしたちが中学生んときも。

あら。ろうりーさんになってた。失礼をば。
ろいりーさん。

アイヤー!なんと八女は進んでる!私は1979年に東京に来て、中学でも給食があると聞いてアッと驚くタメゴロー。でも、やはり区や市によって違ったようです。だからやはり、小中学校は市町村の方針次第、ちなみにかささぎさん、私立中でも給食のところあるし、どっちみち給食費は自腹です。

たいがどらまみました きょねんはあつひめまったくみなかったけど こんどはみるよ 妻夫木くんが主役だからね

なに 脱脂粉乳
はなつまんでイッキ飲みしてましたなあ
そうだった
当番で給食ひを徴収してましたね
給食ひ払って貰えない家がありました

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コメント

乙様の資料、見てみたけど長くて最後まで読めなかった。
見学に行った時聞いた話や最近の西日本新聞に掲載されていた石橋正二郎さんの伝記と同じことが書いてあります。本当に偉大な方ですね。
久留米も八女も知らないことばかりで、いろいろな事がわかってこの地域学おもしろい。続けて行こうね。

私も途中まで読みました。
何でも今あると言うことは誰かがはじめたと言うことなんですよね。当たり前だけど。
最初はほん一個人の考えから始まっている。
それが今は世界中の人の足に使っているゴム靴と思うとすごいねぇ。
小学生の頃の黒一色のださーいあの靴、、みーんなはいていた。あれでも新しいときはうれしかったものね。

乙さんが探してくださった記事はとっても読みやすいです。
又後半を読みます。

牛の苦労に関して、戦争中の馬の活躍話を私はこう書きました。
泣けちゃうよ。

砲兵隊では兵隊と共に数百頭の軍馬が配置され、分解した大砲や弾薬を背に載せて運び、頼もしい戦友として戦いました。疲労困憊した隊員は、馬の尾につかまって引っ張って助けてもらう事もありました。
しかし敵機の激しい空爆の中で次の陣地への移動は、病傷馬は連れていけず、餌を与えて放馬するしか有りませんでした。よろよろと後を追ってきた馬や、事態を悟っていなないた姿の哀れさは、復員した隊員の頭から離れる事はなく、各地に軍馬の慰霊碑が建立されました。  
戦争追悼画より
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/3222/ehagaki3.htm

さくらさんのその文章、こころがこもっています。やさしい短い文章ですが、これだけ要約するために、たくさんの資料をよまれたことがしのばれます。
兵隊さんたちといっしょにいったい何頭の馬が大陸へ渡ったのでしょうね。

同じようにしてその昔、日本へ舟で渡ってきた馬たちを思います。

職場のボス(信愛出身)、中学は中野浩一と同じ良山中学。聞いてみたら、やはり「おべんとだった、くるめはみんなおべんと。だから毎朝大変だった」との答え。そのあとのことばがおかしい。
「ほらいるじゃない、まじーめな執行部みたいなの。風紀委員?ああいうのが大きらいで、わたしたちは早弁してた。お昼には売店がでたので、そこへパンを買いに走ってた」わかるわかる。
柳川はどうかと青比丘の子に聞くと、むかしは各校ばらばらだったみたいだけど、数年前に給食センター方式になって、そこから各校へ運ばれている。とのことです。
で、彼自身は佐賀のこうがくかんだった(全寮制)ので全部栄養士管理の食事だった。すんごいまじめ。
(あと対馬の面白い隊員兼事務員兼現場主任がいます。明日現場じゃなければ聞いてきます。けっこういろんな土地出身の隊員がそろっていて、ことば聞いてるだけでもおもしろい。)

先の戦争について、アメリカという国には腹が立つことばかりではあるものの、戦後の復興支援については、喧嘩に勝ったガキ大将が負けた子にそっと手を差し伸べるのを褒めるのと同じ意味で、褒めてもいい。脱脂粉乳は、その差し伸べられた手の中にあった。
占領政策の一環とはいえ、日本人の生命や生活を護るため、軍事予算から援助資金が出された(ガリオア資金:占領地域救済政府資金GARIOA =Government Appropriation for Relief in Occupied Area)。この資金で、脱脂粉乳や雑穀類が日本へ送られた。援助額は16億ドル弱。
アメリカの軍事予算からは、このほか、経済復興を目的とした援助資金も出された(エロア資金:占領地域経済復興資金EROA =Economic Rehabilitation in Occupied Area)。援助額は2億ドル強。
1ドル360円の時代なので、ガリオアとエロアを併せた18億ドル強は、約6500億円。60年前の6500億円は、とてつもない金額。
ちなみに、平成21年度のわが国の政府予算案のうち、途上国の開発援助予算(ODA)は6722億円。
南北アメリカの民間団体からも日本へ援助物資が送られた(ララ物資:アジア救援公認団体LARA=Licensed Agencies for Relief in Asia)。脱脂粉乳と衣類。
ユニセフからの援助もあった。脱脂粉乳と医薬品。日本人の飢餓対策は援助の重点。
高タンパク食品の第一候補は牛乳であったが、牛乳は腐るので、腐りにくい脱脂粉乳が選ばれた。脱脂粉乳は無蓋貨物船でパナマ運河を経由して運ばれたので、高温多湿で痛み、臭いがついた。
戦後十年以上を経て、アラフィフの子供時代のタンパク減は、脱脂粉乳とクジラ。それでも栄養素が欠けるので、「肝油」で栄養を補助していた。
国内経済がたいへんな時に途上国援助に予算をかけすぎているのでは、との批判があるが、せめて、戦後の復興期に自分たちが世界から助けてもらった分くらいは恩返ししたい。トヨタも八幡製鉄も、援助で発展した。黒四ダムも東名高速も東海道新幹線も援助で建設された。日本の発展に寄与した学者の多くが、海外のスカラシップで留学させてもらった。乙もWHOの資金で米国へ研修に出してもらった。

うわあ。おつしろうありがとう。ううううれしい。
かささぎの旗が急にレベルアップしたようにおもえる。
でも、その視点はだいじなことだよね。普段全く意識していませんが。
子ども時代、戦争で日本がやったことをきき、アメリカがやったことをききしてきたけど、あめりかは戦争に勝ったのに、日本を粗末にしないどころか、安保で命をかけてまもってもくれるなんて、なんて親切なんだろうか。と思ったものね。「北風と太陽」政策みたいに。

米国の食糧援助は、確かに子どもたちの成長に役立ち、おかげでみんな悩んで大きくなったけど、一方で日本人の米食離れを進めて、余った小麦を日本に輸出しようとしたという説もあるし(結果的にはそうなっている)、また日本を反共の砦にするために経済自立化政策を早めさせたというのは事実で、まあ、どんなことでもいい面悪い面、光と陰の面があるんでしょ。鯨をさんざん取り尽くして(しかも肉は捨てるという無駄遣いして)、自分たちがもう必要ないから鯨取るのはけしからんというのも身勝手だし(日本の捕鯨の是非は別としても)。
でも今の日本がもっと途上国援助すべしというのは大賛成ですね。ただし国益最優先やヒモ付ではない、相手国に真に役立つ無駄のない援助をね。米国並みにとまでは言わんけど、外国人受け入れも。減反するより政府が買い上げて援助物資にできないもんだろうか。

ろいりろいりさん。
賛成。
減反はほんなこてかなしかとです。
あれはかんじんかなめのところで、なんかまちごうとるせいさくだとおもうとです。
ほんじゃいってきます。

そうです。ホームレスの皆様も実家に帰り、農業が出来ればよいのにと、いつも考えるのですが、米を自由に作れない日本。もうすぐ田植えの準備が始まろうとするこの時期に、まだ減反の配分や作る米の品種が知らされていない現実。なんばしよっとねといいたくなるのは私だけではないでしょう。

ここも、よまれています。目からウロコです。

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