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2009年2月16日 (月)

昭和の話をしようよ。

エメラルドさんって、もしかしたら・・・くり?違っていたらごめんなさい。高校の頃、エリッククラプトンの話なんかしたことなかったしね。
良かった。私も三波はるおも三橋みちやも好きでした。先日行った歌謡ショーで「たっしゃでな」をきいてきたところです。さくらさんやyokotimeさんはどうでしょう。

「二人の世界」がドラマの最後に歌われていたのは覚えています。
内容は全然思い出せないけどあの頃のドラマはみんなとても良かったです。
家が貧乏だとか父親が母親がどうとか、生い立ちがどうとかそんな内容が多かったですね。
連ドラは一週間がまちどうしくて絶対見逃すまいと見ましたね。今はテレビ番組表も見ない。あぁ、今日やってたんだみたいな感じでしか見ません。
三浦友一と池内淳子さんが母息子役のも良かったです。主題歌はさだまさしで。
これもドラマ主題歌で「僕にまかせてください」と言う歌ロイリーさんはしんなさらんやろか。
三橋美智也さんの登場は私が中一の時。
「うれしがらぁせぇてぇ・・・」の大ヒットはその年のこと。

その頃の俳優さんや歌手はみんなそれなりに年をとった顔になっているのにあおい輝彦さんだけは抜群に若い。

さくらさんよく覚えているねぇ。
ぼんさん、わたしも三橋美智也や三波春夫知っています。
GSでは断然、タイガーズの加橋かつみが歌う「花の首飾り」ですね。
演歌はやっぱりひばりちゃん!
それと井上陽水。「傘がない」あの高音と言葉がはっきりしている歌い方、たまりません。
久留米の話は私よく知らないのでごめんなさい。
でも、楽しく読んでいますよ。

ああ、時代はまさに歌とともに動くんですね。
なつかしい歌がいっぱいだ!

さくらさん、その歌、わたしもよく知っていますよ。
「ぼくにまかせてください」
そして、yokoさん、井上陽水さんはわたしの大好きなアーティストのひとりです。傘がない、人生が二度あれば、のこのしまの片思い、難破船、こころ模様・・・どの歌もわたしの青春時代をほうふつとさせる歌です。

ところで、みなさんにお聞きしたい。
この歌知ってます?
歌っていた人も題名もわからないのですが、なぜかときどき浮かぶ歌です。

~白いベンチに腰掛けながら、遊ぶ鳩 ふたりで見てた で始まるのですが、途中の歌詞が思い出せない。最後の部分は、~あそこからあの場所からやりなおしたいの、あなたと  **?**?愛を始めたいの でおわるのだったと思います。

もうひとつ。
最初も最後もわからないのですが、さびの部分は
~釣り人達が川のほとりに静かな午後でした
愛していることにこころはいっぱいでも、なぜかふたりは ラララ古い映画の**??**はなしばかり***

あら、思わず途中で送信してしまいました。
とにかく、この歌の題名もしくは歌詞が知りたい。
ご存知の方、よろしくです。

お尋ねの曲「あの場所から」ではござんせんか?
柏原芳江ちゃん大好き。
こういう追跡調査大好き。

↓はりつけ

また貼り付け失敗。
ごめんなさい。

http://www.youtube.com/watch?v=zJmotPVsH2I&feature=related

きゃあ、これこれ、これで~~す、さくらさん。
さすがですね、さくらさん、仕事が速い。
ああ、この歌、柏原よしえさんの歌だったんですね。なぜかこの歌のリフレインが浮かんできて、もう長いこと、もやもやしていました。
そうか、歌もインターネットで検索できるんだ。ありごとうございます。じゃ、もうひとつのも検索やってみましょう。静かな午後とかのフレーズでもでるのかな。

あの歌なんだっけかなぁ・・・と言う曲を探すサイトもありましたよ。最近見失ってるけど。

 かささぎさん、青ヶ島出身だからあおい輝彦?いい思いつきでしたが、これは本名のようです(青井輝彦)。私は名前のほうが、当時人気のあった西郷輝彦の名を取ったのかと思ってたけど、これも本名だった。なお青ヶ島については、1955年に「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」という映画が作られており、デヴィ夫人がちょい役で出ていたそうです。
 エメラルドさん、高校生で「クリーム」のファンとは渋いですね、私は30歳の頃、仕事仲間とバンドを作り「クロス・ロード」のベースを弾きました。あとクラプトンの曲「(愛しの)レイラ」は、アート・ネイチャーのCMで有名なのでは。三橋美智也は私の声質と合っていて、若い頃はおじさんたちを喜ばすため、「古城」を歌ったりしてたけど、my favorite song は「怪傑ハリマオ」です。
 yokotimeさん、加橋かつみは「廃墟の鳩」も良かったですね。昨年の送別会で「傘がない」の神津島バージョン替え歌を歌い、かなりウケました。
 せーこさん、「のこのしまの片思い」は、1972年に能古島で行われた野外フェスの時を歌ったもので、私はここで、まだ無名時代の陽水(数年前に「アンドレ・カンドレ」の名でデビューしたがほとんど売れず)、海援隊、サンハウス(リーダーは鮎川誠)などを聴きました。
 さくらさんごめんなさい、「僕にまかせてください」という歌はわかりません。

神津兵六ってみなみはるおみたいなやつだな 全方位外交ができる
おれはーほんというとー連句がやりたいだけなんだが なかまがいなきや巻けないんだべな
んで ついつい節操なき外交つまり口説きをやっては後で吐き気がするほど自己嫌悪

まあ 誰かがやらなきゃ仕方ないことだっぺ

あなたのだいじなひとをぼくに任せて下さい はさだまさしだよさくらさん 君は両手に花を抱えて 急な坂を登る 僕の手には小さな水桶 君の後に続く 題は

そうそう。
墓前で亡きき母に言うのだ。
あなたの大切なひとをぼくにまかせてください、と。く~~っ!言われてみてえ。と、この歌を聴くたび思ったものでした。母は健在ではありますが、いまのいまも。笑
かささぎどん。節操なき外交、よかじゃなかですか。悲哀を感じることもにんげん、無駄ではない。で、3月の連句、わたしも節操のない外交をやってみますわ。下手なテッポウも数打ちゃ当たるってね。

さだまさしのうた、クラフトというグループがうたっています。偶然ラジオから流れてきました。
昔、「ドレミファドン」という番組があっていたのはごぞんじですか? 曲のイントロだけを聴いて曲名を当てる番組。毎週見ていて、かなりの確率であてていました。出演者の誰もが答えられずにいる曲を、TVの前の自分だけが答えた時など、快感でした。時々スペシャル番組でやっているので見ることがあります。ぜんぜん答えられない。昔の歌もそう。歌手は同じでも違う曲なんです。衰えを感じるばかりです。

ぼくに任せてください は、さだまさしと答えたあとで、まてよ。もしかしたら、グレープだったかも。と思ったのでした。
グレープとさだまさしは一応違います。

作曲はさだまさしだけど歌ってるのは「クラフト」って言うグループです。
ドラマの主人公は島田陽子で不幸な少女役だったと思います。すごいいいドラマでした。

かささぎさん、心のこもったおはがきありがとうございました。
そっちこっちに「おいでくださいまし」の文字が躍っていて、参加して欲しい気持ちは充分に伝わりました。
だがしかし、その時期法事はやりませんので帰郷は難しいです。
他にも事情ありです。
ご成功をお祈りしております。

 それにしてもグレープやバンバンの「相方」って、いったい何だったのだろう?「懐メロ番組」みたいのにも出てこないし、歌もほとんど(全く?)ハモりとか入れてないし、作詞・作曲にも関与してないし…
 70年代後半以降、あまりメジャーな歌は聴かなくなったのでクラフトなんて初めて知った。最近は大西ユカリやクレージーケンバンドの曲をよく聴いてます。40代以上に受けそうな曲が多いですよ。大西ユカリは60~70年代のカバーヴァージョンをたくさん出してるし。人生40代・50代から!
 かささぎさん、「みなみはるおみたいなやつ」って、意味不明だけど、とにかくもう神津とはサヨナラ、サヨナラだから、神津兵六の名も御返上。連句って連歌のことかと思ってたが、調べたら要するに俳諧連歌のことなんですね、日本史の教科書に書いてある程度のことしか知らないけど。あたしゃ、久留米およびその周辺(と言っても福岡市内まで含めて)のことを語り、知りたいだけでこのブログに投稿し始めましたので悪しからず。

呂伊利ーさん
かささぎさんは、この蟻地獄ブログに嵌った獲物を見境なく連句へ誘い込む性癖があるだけなのでお気になさらずに。私なんか蟻地獄の底に落ちまいと必死でもがきながら、はや1年。名前も、最初は変なのを命名されたけど無視しました。

脳の奥底で懐かしく共鳴する音楽といえば、やはりビートルズでしょうか。八女の映画館で「ヤァヤァヤァ」が上映された時、こどもだけで観に行った。切符売り場で「ぼっちゃん、漫画は向こうですよ」と言われて腹が立った。当時、八女には映画館が複数あった。
館内はガラガラだった。前のほうを数人の女学生が陣取っていた。彼女らが銀幕にハンカチを振って泣き叫んでいたのが可笑しかった。彼女らは今は60歳くらいのはず。もうじき八女市老連。
ビートルズ来日の時は、武道館コンサートを白黒テレビに齧りついて観た。うるさくて、音として覚えているのは前座のドリフターズくらい。
日本のアーチストではまったのはフォークル。北山修が好きで、大学時代のペンネームに北山をいただき、北山四郎を名乗った。(ちなみにタイガースも好きだった。岸部四郎が好きで・・・)
大学祭で招いたのは、さだまさしと太田裕美。プロのライブには痺れた。
感動ライブのダントツは米米クラブ。立ち見席しか取れなかったが、始終総立ちライブだったので関係なかった。
ずっと気になっている歌は、大学時代にNHKラジオで一度だけ流れた古い録音の童謡。乙式検索エンジンでもまったく引っ掛からない謎の歌。男女の掛け合いで、イワン・イワノビッチ・イワノフさんとイワン・イワノビッチ・イワノフさんが鉄砲担いで狩猟に行く物語。どなたかご存知ありませんか?

↑をよんで、乙四郎はモダンだなとおもった。上に兄弟がいるからだろか。
かささぎがビートルズを知ったのはずっとあとになってから。
うちでは父が映画にいくのに家人にとがめられないためのフセンとして、こどものわたしを連れて行った。いなかのお百姓さんとしては父は珍しく「すちーぶまっくいん(このひとはそう古い人じゃありませんが)」とかえーと忘れたけど、外国のカタカナ名前を知っている。
父と映画とチャイナ・マーブル。チャイナマーブルというのは色がきれいな砂糖飴、この三つがセットで思い出されます。
追伸:
ぼん。エメラルドさんはクリではありません。笑
追伸:
ろいりさん。グレープは、相方の人、ちょっと雰囲気のある人でした。初期のころの大ヒットLPでの存在意義は大きかったと思う。さだまさし一人ではだめだったろう。見た目や雰囲気が何よりだいじなころって、ある。

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コメント

ぼん様、私はクリさんではありません^^

昭和の話をしようよ企画にかたります。
生まれた年号なのにもう「昭和」はなつかしく思い出す時代になったのですね。
世代的には長かった昭和時代のちょうどまん中あたりに生まれているので、前半の空気や匂いも経験してますね。
映画館の思い出はたくさんあります。
京座では東宝映画や洋画を見ました。
バス停の近くの福島劇場はたしか入り口が2ヶ所あって東映と日活、とか^^
福島劇場で最後に見た映画は高校生の時に「ケメ子の歌」です。内容は全然覚えていないんですけど(^_^;)
福島バス停にはいつも映画の大きなポスターが貼られていました。
高倉健さんの等身大のポスターを覚えています。
あの頃のバス停にはたくさんの人がごったがえしていましたね☆彡


エメラルドさんってどうしてそんなに記憶力がいいのですか。わたしは京座しか覚えていませんでした。
父に朝聞いたら、映画館は三つあったとの答え。ほぼエメさんとおなじようなことを申してました。
父は映画をみに行ってたようですが、母は一度もみにいったことはない。といいます。時代、男尊女卑というより、農家には、そんな余裕はどこにもないころでした。

私、高倉健のデビュー作を見たのが自慢。
松島とも子と田代百合子姉妹の隣の部屋に住むやさしいお兄さん役。
子供ごころにもすっごいハンサムだと思った。

映画館へ映画見に行くことは最高に贅沢でしたね。
正座してみたいような貴重なものでしたが、ビデオ借りてきて寝転んでみる時代がこようとは?

>脳の奥底で懐かしく共鳴する音楽といえば、やはりビートルズでしょうか

と、このコメントを書いているのが、おねどしの乙さんってことに驚いた。わたしもかささぎどんと同じく、ずいぶん大人になってから、ビートルズの曲を聴いた。高校時代に初めてレコードプレーヤーをこづかいを貯めて買った。初めて聴いたのがS&Gだった。先輩の影響で岡林信康も吉田拓郎も聴いたけど、結局心酔したのは、S&Gと井上陽水さんでした。アルバイト禁止だったので、こづかいをこつこつ貯めてレコードを買った。初給料で買ったのは、S&GのLP盤。ピュアな時代でしたね。

 私が「ヤァヤァヤァ」を初めて見たのは、それこそ隣の映画館ロイリーで、しかも家の敷地内からのただ見~昔はクーラーとかなく映画館の窓も開けっ放しやった。当時の久留米の中学・高校ではビートルズの映画を見に行くのを禁止していたらしいけど、八女ではそんなことなかったですか?ビートルズについては姉が大ファンで、私は門前の小僧状態で耳に入ってしまった。その後、以前書いたようにフォークルに完全にはまりました。全曲歌えるのはもちろん、ギターもOK、まるで坂崎幸之助です。「イワン・イワノビッチ・イワノフさんと…」は「イワン・イワノヰッチ・イワノフさんとイワン・イワノヰッチ・イワノフさん」で検索してみたらわかります。でもどんな歌かは聴いたことない、というより初めて知った。サトウハチローと言えば、フォークルの「悲しくてやりきれない」も作詞もしてますね。
 かささぎさん、なかなか良い映画見とるじゃなかね。キョンキョンの映画は「空中庭園」も、最近立て続けに映画館で見た「転々」「グーグーだって猫である」「トウキョウソナタ」も良かった。映画はやはり映画館で、2本立てや3本立てで見たい、それが約30年前に東京で就職した最大の理由でした。昔は本当に映画館が多かった。久留米では花畑や水天宮の近くや広又にもあったし、当時は久留米じゃなかった草野にも映画館があったらしい。神津島でさえ2軒あったというからね。

 書き忘れた、「イワン・イワノヰッチ・イワノフさんとイワン・イワノヰッチ・イワノフさん」はサトウハチロー作詞の、日本の曲らしい。

呂伊利ーさん
イワン・イワノヰッチ・イワノフさんとイワン・イワノヰッチ・イワノフさん(唄:伊藤久男,伴久美子)でしたか。「ヰ」とは気付かなかった。長年のもやもやがスカッと晴れました。ありがとうございました。歌いだしの部分は今でも歌えます。耳に残るメロディーです。CDが出てるのですね。いずれゲットすることになると思います。歌詞も味わいがあったのですが、サトウハチローだったとは。同姓同名のふたりの道中物語。

さとうはちろー、へえ。佐藤春夫の子なのかな。

ツイストの思い出をかきます。せらさんじゃないよ。
小学四年生のときだったと思う。お友達の誕生日パーティというものに初めて招かれました。
いまこが(って矢部線の駅があったね、近くに)のくまがいあっこちゃんち。
ぶたの貯金箱かなにかプレゼントをもっていったように記憶してるけど、それはずっとあとの中学生時代の記憶と重なってるのかもしれん。とにかく、あっこちゃんにはおねえさんがいて、歌の好きなおねえさんでした。とても歌の上手な姉妹だったのね。だから彼女の家には当時超珍しかった蓄音機があって、それでレコードをかけて、みんなでツイストを踊りました。おかしいよね、ちびまるこちゃんみたいな話。
あっこちゃんともう一人のおませさんが上手で、どんくさい私もしかたなくまねして手足を動かし腰をひねってたのを昨日のことのように懐かしく思い出します。曲はなんだったかわすれてしまったけど。

すっごー、伴久美子が登場。
童謡全盛時代の、古賀さとこ、近藤圭子と共に三羽烏だった伴久美子。
3人の中では素直な声と容姿でした。
彼女達ももう70歳ぐらい。
伊藤久男さんも朗々とした歌い方に太い声の持ち主、「オロチョンの火祭り」って歌じゃなかったっけ。

このエントリーは、どんどん記憶力を目覚めさせてくれる感じ。


「イワノヰッチ」でヒットしたサイトから。
====================
この曲をリクエストした方は、10年ほど前にNHKの「ラジオ深夜便」で一度聞いただけでその後もずっと記憶に残り、折に触れて口ずさんでいたとか。
====================
わかる、わかる。自分もそう。強烈な印象だったから。
CDの曲目紹介引用から。
====================
イワンイワノヰッチイワノフさんという同じ名前の人が二人いたらどうなるだろうとは、いかにもハチローの考えそうなことで、この名前にふさわしく、舞台をロシアに置いているこの詩を作曲の原六朗に渡して、「君こんなもの作曲できるかね。君しかできないよ、君くらい変わっている人しかできない」といったそうな。それだけ作曲者の力を信じていたということだろう。詩をみて二、三日は出来なかったというが、出来てからは歌手の伊藤久男も伴久美子もよくのって稽古してくれ、気持ち良く仕上がり、ハチローも喜んだということです。
====================

エメに改名します^^
同居の若い叔父叔母がいたので、流行ものは身近にありました。
彼らツイストの練習の時はタオルのはじを両手でひっぱって、前にもったり、背中にもったりして手や腰を動かしていました(手の位置がかっこよく決まるらしい・・)
座敷でみんなで踊っていました。曲は「監獄ロック☆」
ツイスト、フラフープ、だっこちゃんはいっしょの時期に流行りましたね^^♪


サトウハチローは佐藤春夫の子ではなく、佐藤愛子の腹違いのお兄さん。おとうさんも物書きだったけど、晴夫さんではない。佐藤愛子さんの「血脈」という本を読めばすぐわかる。
サトウハチローさんは「小さい秋みつけた」ほかいい詩をたくさん書いている。でも、とんでもない人物。身内にこんな人がいたら困りものというような人。妻妾同居だし金使いはあらいしで・・・どこからあんな詩(ことば)がでてくるのかと不思議でしょうがないけど事実なんですよね。天才は凡人には理解できない。

その頃はやっていたツイストビートはこれでは?
   ↓

ぼんは血脈を読んだとブログにかいてましたっけね。サトウハチローぼんのうのひとだったんだね。
ぼんのう即ねはん。みっきょうのしそう。
おつしろう。
ばらばら。
そんなえいごのうたじゃない。日本語だったとおもう。

あえかなる薔薇撰りをれば春の雷  石田波郷

こんなところにもあった。
長い題名の第106位
   ↓

 サトウハチロー・佐藤愛子の父親は佐藤紅緑、「ああ玉杯に花うけて」という大時代的な少年小説を数年前に読んだが、この人も息子・娘以上の波瀾万丈人生を送ったらしい。
 ツイスト、私も兄弟3人でよく踊ってました。両手はタオルで背中を拭くように、片足は煙草の吸い殻をもみ消すようにというのが、うまく踊るコツだと(TVかなんか)で教わった。そして日本のツイスト・キングと言われたのが、以前紹介した、今や悪代官役がピッタリ?の藤木孝でした。
 古賀さとこ、近藤圭子は知ってたが、伴久美子という歌手は知らなかった。小鳩くるみなら知ってるが。近藤圭子には知る人ぞ知る「怪傑ハリマオ」の挿入歌も歌ってた~三橋美智也歌う主題歌レコードのB面。古賀さと子は1年ほど前BSで特集番組やってました、追悼番組だったかも?

伴淳三郎ならしっとる。
連句的に、おいりゃあせんのう。っていってたおっさんの顔がでてきた。なまえわすれた。

追伸。
石田はきょうに、松山中学三年か四年のころ、俳句をするよう誘ったのは、のちの俳優大友柳太朗しょうねんでした。

あ!この「ばらばら」って曲、同居していた14歳違いの叔父が聴いていたよ。記憶が蘇る。わたしがまだ小学生くらいで、叔父とは中学2年くらいまで同居していた。あのころ、音楽を聴く楽しさがまだ理解できてなかった。本ばっかり読んでいた「文学少女もどき」やったけん。笑  でも、このばらばらはリズムが目新しくて調子よくて、こころに残ってる。

英語の歌ったって、出てくる語彙は、myとbabyとballa(意味不明)のみ。
これさえ覚えとけば「英語の歌を歌詞を見ずに通しで歌えるよ~」と自慢できるとばい。

お、どうしてかわからんばってん、伴淳三郎がでてきとる!

おえりゃせんのう、は長門勇、この人好き。
どんこんならん、、、、みたいな意味。
おえりゃせんのうで大方のことが表現できるところが
爆笑もん。

この時代の喜劇人はほんっとおかしいこと言ってた。お笑いが昔からすいとったけん。

今はくすっとも笑えんお笑い。

 ホンマに、何で突然「アジャパー」やら「母ちゃん、一杯やっか」のバンジュン(伴淳三郎の愛称)がここで出てきたとやろか。長門勇は「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「三匹の侍」でとぼけたオッさんやった。「おえりゃあせんのう」とは確か岡山弁では?大友柳太朗は東映チャンバラ黄金時代に「笛吹童子」「紅孔雀」とかで萬屋ならぬ中村錦之助とか東千代之介の兄貴分的役をやったり、「怪傑黒頭巾」「丹下左膳」の役をやったり、そして晩年も鈴木清順とか伊丹十三の映画で割と良い役やってたけど、なぜか自殺してしもた。喜劇人と映画のことならまかせとってください。
 「ばらばら」って「マイ ベイビー、バラバラ」という歌のことだったのか、それなら私もよう知っとる、中1の時流行ったけど、歌詞は簡単でも肺活量がないと途中で息継ぎできない歌だった。

 追悼番組があったのは川田正子でした、古賀さと子さんを勝手に殺してごめんチャイ。ついでながら近藤圭子さんは「月光仮面」の後番組「豹(ジャガー)の眼」の美少女役でも出て、副主題歌を歌ってました。

てなもんや三度笠!なつかしかあ!
見てました。夕方6時くらいからの放映ではなかったでしょうか?前田クラッカーの宣伝とともに記憶に残ってる。藤田まことさんと白木みのるっていう小さな男の人が出てたのでしょ?
小学2年生か1年生の夏休みにテレビがやってきた。もちろん白黒で、それも画面がちっちゃいやつ。スイッチがガチャガチャとまわすもので。

大友柳太朗とか大川橋蔵とか、ばあちゃんが好きな俳優さんで、もうひとりお気に入りの俳優さんがいた。なんて名前だったかな。スローニンの役をやってたひと。ああ、思いだせん。

もしかして、東千代之介じゃなか?

白木みのるさん、出ていました。博多座の三波春夫講演にね。懐かしかった。
そうだったんですね。
じつは今朝おいりゃあせんのう。ってことばと、あのあったかいおっさんの顔が突然浮かんで、消えないので、お昼休みにサイバー携帯で検索した。でも、おいりゃあせんのう。だけではわからなかったとです。なまってたから。正解は、おえりゃあせんのう。だったんだね。岡山弁。意味不明だったけど、ろいりさんの解説でわかった。サンキュ。
わたしは弟しかいなかったので、みなさんのはなしをこうしてきいて(みて)いると、いろいろななぞがとけてゆく気がして、ありがたいです。
そうでしたか。大友柳太朗さんは自裁されたんですか。
去年、ある時代劇スタアを調べていたら、ぐうぜん、和歌のほうとつながったことがありましたね。だれだったっけ。えーと、古今集の。たんげしゃじぇんの。筑前出身の。わっかんね。おもいだせないよー
でも、ふしぎなかんじ。長門勇さんもふしぎなかんじ。出方が。ねえ、さくらさん。長門って戦艦、でましたよね?孫七で。うわあこれか。

大河内 傳次郎、今ウイキペディアで見てきた、福岡出身とは知らなかった。

大友柳太郎さんはあの有名な「北の国から」にもでてたよね。

孫七さんの息子さんが戦艦「長門」の艦長だった。
調べた先からどんどん忘却するのでこうして確認させていただきます。

ありがとうございます。

では、連句的に入ります。

綿蟲やそこは屍の出でゆく門  波郷

わたむしや・そこはかばねのいでゆくもん。
綿蟲、冬。於清瀬村。
わたしは、この有名な句のよみ、最後の門を「と」と読んでいました。じっさい、ととも読めるし、俳句は五七五の定型詩ですから、そう読んだほうが決まると信じていた。ところが、ルビは「もん」。これを読んで、悶々としています。はきょうがそう発音してみせたのでしょうか。きいてみたい。どうしても。

はあっ。なんでこげんもりあがっとると?皆詳しいね。ろいりさんの映画好きなのは筋金入りのごたるね。子供の頃見たのは月光仮面か赤銅鈴の助、101匹わんちゃん(これはなぜか学校から皆で見に行ったようなきがする)、兄にせがんで若大将シリーズ3本立て、ぐらいです。八女に引っ越してからザ・タイガースのやあやあやあ(違っているかも)を妹と二人で見に行きました。あと、東京オリンピックの記録映画もみましたね。開会式のファンファーレを口真似でしていました。

タイガースの映画、見ました。 「世界は僕らを待っている」
久美かおりさん、素朴で可愛かったですね。
この映画はLP盤まで持ってました(^_^;)
うちの中学は生徒全員を「若大将シリーズ」を毎年観に連れて行ってくれてました。
今思うと、あれは先生達が見たかったんじゃないのかな~と(^_-)-☆

「ホームラン教室」(1959-1963 NHK)
 アンパン:小柳徹
 トチ:太田昭雄
 16番:矢沢新
 ガリ:斉藤弘昌
 ネズミ:安藤哲
 ミドリ:臼間香世
 クリ:岡本久美子
 ポロ助:細田勝彦
 アンパンの父:牟田悌三
 アンパンの母:幸つや子
 ミー:安田まり子
 トチの父:黒木三郎
 トチの母:三崎千恵子
 辻先生:富田浩太郎
 ネズミの姉:古賀さと子
 ネズミの父:森塚敏
 ボロ助の母:西口紀代子
 ボロ助の父:池田忠夫
 ガリの母:岸旗江
 もーやん:土屋靖雄
 ホームラン堂主人:佐藤衛
 デカ:芦沢義仁
 本田:朝倉宏二
 渡辺:日下桂子
 杉浦:佐藤貴美雄
 父(具体的な役不詳):田島辰夫
 姉:白銀道子
 劇団こまどり
 みすず児童合唱団
 作:高垣葵 

古賀さと子さんも出演してたようです。主役の小柳徹は自動車事故で夭逝。
この「ホームラン教室」で、乙は「寮」という言葉を覚え、「寮生活」に憧れ、やがて中学1年生にして憧れの寮生活にワクワクしながら転校することになった。いわば乙の人生を狂わすことになったドラマともいえる。「チロリン村とくるみの木」(1956-1964)と同じ頃の放映。
てなもんや三度笠はホームラン教室より後で、何でも考え何でも知って何でもかんでもやってみよぉう~!のケペル先生(1961-1969)と同じ頃。
   ↓

 せーこさんのばあちゃんが好きだったスローニン役やってた人って、近衛十四郎では?TVでやってた「素浪人月影兵庫」、コミカルで大好きでした。焼津の半次役の品川隆二も良かった。去年、息子の松方弘樹主役でリメイクしたけど1クールで終わってしまった。
 長門勇は人気絶頂の頃、戦艦長門ならぬ「駆逐艦雪風」という映画で主演してます。東京オリンピックの映画は、日本国中かなりの小中学生が学校で見に行ってるのに、久留米では私の世代だけ行ってない~それは卒業式の後に上映されたからのようだ。
 久美かおり、そういやいたね。レコード大賞新人賞取ったけど、どんな歌かも覚えとらん、男は矢吹健(あなたのブルース)、グループではピンキラだった。それにしても八女の先生は理解がある!久留米市民会館に加山雄三が来た時、諏訪中では見に行くのを禁止された~もっとも生徒会長さえ規則違反で行ったらしいけど。
 ホームラン教室の父親役牟田悌三は先月亡くなりましたね。深夜放送ではちょっとエッチなムーちゃんだった。小柳徹については、偶然にも数週間前ネット検索したばかり。子役後は北山修・黒沢久雄らとともに「ヤング720」の司会やってて、その最中の事故死だったので気になっていた。
 では、ケペル先生また来週?

ああ、ろいりーさん、
つきかげひょうご、それそれ。
みすぼらしいはかま姿のスローニンの主役。そして、焼津のはんじ。ひょうきんな下っ端の役どころ。そうです。父もこの番組を見てよくわらってたなあ。

主役は近衛十四郎だったのですね。すっかり忘れていました。品川隆二さんの名も思い出せなかった。この番組は父にも祖母にもつながる想い出です。ああ、ひさしぶりにばあちゃんに会いたくなってきたなあ。

うん。ほんなこて。
ところで、エメさん、どこの中学がそげん寛大なことをやってたの。こすかー。
ぼんの書いてたように101匹わんちゃんはほんとに学校から見に行ったような。ねえ、戦争と平和、学校からみにいかじゃった?りゅどみゅらさんのほう、おーどりーのじゃなく。ちっとも面白くないのを硬いいすのうえで石と化すまでみなければならなかった。あれは絶対ふくしまの映画館だった。

おはようございます
こすくてすみません(^^ゞ
でも毎年って書いて少し自信がなくなってきました。
2度行ったのはなんとなく記憶にあります。
映画がモノクロからカラーに移るころは、ポスターの中に総天然色ってカラーの字で書いてありました。
バス停で新しい映画のポスターを眺めるのが好きでした。
総天然色>>特に印象が残っているのが「モスラ」のポスター。
小さいピーナッツも不思議だったけど、出演者の不安な表情にこちらもドキドキしたものです

「戦争と平和」は映画館で見た(観た、ではない)記憶がある。自主的に行ったはずはないので学校行事だったのだろうか。学校行事に映画鑑賞がある時代。各教室にある視覚機器といえば幻灯機。テレビは家庭科教室(裁縫実習の畳の広間。女の子の秘密教室が開催されていた部屋でもある。その間、男の子たちは無邪気に騒いでた)に1台あるのみ。時に、講堂にスクリーンを張って、映写会もあった。「トムとジェリー」の映写があったのを覚えてる。「トムとジェリー」を全児童に見せることの、上妻小学校の教育意図は不明。きっと、ほかの大事な映像との抱き合わせだったのでしょう。そっちの方はとんと覚えていない。講堂に、変な超能力師がやってきて児童全員で見たのも覚えてる。あれは何だったのだろう。最後のほうで、何人かの年長児童が選ばれ、「君はきっと偉くなる」とおまじないがかけられていた。暗示効果はあるのだろうが、今から思えば、あれはペテン師にほかならない。
ビートルズの映画は、さすがに学校行事で鑑賞することはないけれど、禁止されていた記憶はない。ボーリング同様、行けば不良のレッテルが貼られるような雰囲気はあったかも。

「世界はぼくらを待っている」それでしょう。やめの京町にあった映画館だったと思います。やはり前の方で、聞こえるはずもないのにきゃあきゃあ騒いでいた人たちがいました。
チロリン村とくるみの木やホームラン教室、名前の記憶はありますが、内容はぜんぜん覚えていません。お母さんと一緒の中の一コーナー、人形劇が実演にかわるお話コーナーが好きでした。ブーフーウーの三匹の子豚が今も頭にあります。歌も歌えます。)
古賀さとこさんもこの番組で歌ってあったでしょうか。
みんなの歌もいい曲ばかりですよね。堺まさあきの「北風こぞうの三太郎」が今でも好きです。
テレビはきたのは昭和36頃だったと思うのです。父の意見は絶対で、ほとんどNHK、たまにプロレス。
TNCはきれいに映らなかったので、引き戸の上の方にスイッチを切り替える装置を取り付けていました。それを入れるとややきれいに見えました。

昭和時代の話になると、なんでこうも盛り上がるのだろうね。不思議だ。同世代を生きていたのに、記憶の差が顕著であります。「ホームラン教室」にも「チロリン村」にも「おかあさんといっしょ」にも記憶なし。チャンネルにTNCがあったことなど、まったく覚えてない。
みんなよく覚えてるよねえ。

ブーフーウー
声優と主題歌。オオカミの声優さんの悲しいお話。
   ↓

乙四郎さん、リンクありがとう。読んでるうちに涙が出てきた。最近ほんとに涙腺がゆるい私です。
コメントしてある方の記憶、すごいね。おおかみさんのもの悲しいメロディ、うっすらと記憶にありますが、ぼんやりしています。
魔法の絨毯の「あぶらかたぶらちちんぷぃ」は覚えています。(だったかな?)徹子さんが端っこに座っていて、呪文を唱え、画面に空から見た風景が映し出され・・・それだけです。へんなことおぼえとるね。なんでやろ。

ちろりん村。ブーフーウー。
家でじゃなく、学校で、みんなでみていたような記憶がある。おおかみさんの着ぐるみに入っていたのは、高橋悦史さんだったのですか。へえ。
さんびきのこぶた、一匹は、わらのうちをたてました(るるるるるるるる)おおかみがきて、わらのうちはめっちゃくちゃ。歌、歌える三番まで。
ホームラン教室はみたことありません。
ちろりん村のりっぷちゃんが異常にすきでした。こうしてコメントを読んでいますと、まさに連句的、繋がってるけどばらばら、それぞれの興味のありどころによって覚えているとこが違う、それが楽しいですね。

 H、O、W、HOW・HOW・HOW、インディアンじゃないんだよ、英語でどうしたって訊いてんだ、ケペル先生今日は。何でも考えかんでも知って、何でもかんでもやってみよう。
 というわけで、ダルメシアンを見ると「101匹わんちゃん…」を思い出すけど、その後東映動画で作られた「わんわん忠臣蔵」は見てませんか?それから昔話の「三匹の子豚」と飯沢匡原作の「ブーフーウー」はもともと別の話で、それが混同されているようです。でも、どちらも三兄弟の兄が一番アホで弟が一番賢いというのが、兄たる私には不満だった。「チロリン村…」は「ひょっこりひょうたん島」の前の番組で、数年前に大木こだまが流行らせた「チッチキチー」というのは、「チロリン村…」に出てきた「クルミの頑固じいさん」の口癖でした。
 TNCってテレビ西日本だったかな、家はあとRKBとKBCと、NHKの2局はもちろんRKK(熊本放送)まで映り(中身はあまり変わらんけど)、後にはFBSまで映るごつなった。大学入って大分市出身者と知り合ったら、何と民放は2局しか映らないと聞いてビックリ!今はそんなこともなかろうが。あ、家でTV買ったのは1960年で、「ハリマオ」「七色仮面」「ナショナルキッド」「ライフルマン」など見てました。やはり男女で見た番組違うでしょうね。でも姉の影響で「ザ・ヒットパレード」見て、おかげでアメリカン・ポップスの日本語バージョンはお手の物、ビートルズも最初は日本語歌詞で覚えた~スリー・ファンキーズとかの。東京ビートルズなんてのがいたのも、今考えればお笑いぐさだ。

高校時代に物理室に暗幕張って、真っ暗な中で、ロックを聞いた記憶が蘇った。コンサートのわけはない。田舎の県立高校でそんなはずはないからね。
でも、たしか高校一年生のとき、真っ暗になった物理室でわけのわからん音楽を聴いた。
記憶違いじゃなければ、あれはCCRとかいうロックバンドのこぴー。もしくはレコードをばんばん鳴らして聴いた。3年生の大橋だいちゃんが連れて行ってくれた先が物理室だった。だいちゃんは物理部だったから。うるさくて、うるさくて、そのよさがわからんまま出てきたけど、今から考えると、あれは学校の許可なんか取ってない秘密の音楽祭だったのかも。

「イレブンPM」って放送が何か怪しげで面白い番組だと雑誌で散々書いてあるんだけどいったいどうやったらそれを見られるのかと思っていました。
その番組はFBS(日本テレビ系列)だとわかったけど、FBSが九州で見られるようになったのは昭和40年代、その頃私は東京にきたのでふんだんに見られるようになった。


>大木こだまが流行らせた「チッチキチー」というのは

ほんま?
あの、「そんなこたぁあれへんでぇ・・・」「そんな人おらへんでぇ・・・」の?

敏江・玲児漫才が好きなんですが。


その秘密の音楽祭でばんばんかかっていた曲は「スージーQ」かな~と思います^^♪

せーこさん、そげなんがあったと。
では、あれはなんだった。ほら、オオギリとかやってたでしょう。あれが文化祭?じぶんは何をしていたのかが記憶にさっぱりない。きっとぼけえとしてたんだ。じぶんのからにとじこもって、そっから世界をみてぶつぶついってたから。太平楽なことでしたねえ。
くるめ一往復、みやま一往復。今日はひさびさの英語でした。ぼんが忘れていた。びっくりだね、まじめな彼女が。わたしが忘れるならともかくも。

しごとは忙しいし、

充実した休日を過ごしていたはずなのに、英語がすっぽりぬけていた。は・は・は・笑うしかない。

黒柳徹子さんで検索してNHKのページに行ったんだけど、似たようなコメントをしてある方がいらした。どちらさまも思い入れが強いし、よくいろいろなことを記憶してござる。(久留米の方言)察するに少し年上の方のよう。TV放送は確かS.28からだから、そのころのことはわからん。だから興味深い。

 思い出した!FBSは筑後地区ではTVがVHF(超短波?)で映りにくくなり、UHF(極超短波)化されるようになった時、映るようになった局で、やっと久留米でも「11PM」とかが見れるようになり、おじさんたちのみならず思春期の少年たちの間でも話題になったんだった。だけど、従来のテレビでUHFを見るためには専用のアンテナと、コンバーターというのをつけなければならなくなった。ぼんさんの家にあった切り替え装置って、これじゃなかと?
 最近大橋巨泉の本読んでたら、11PMであれだけ有名になったのに、ある地方都市に行ったら顔見られても注目してくれず、その理由は、そのへん一帯では11PMが放送されていないからだということがわかった、と書いてあった。
 CCR、「雨を見たかい(Have you ever seen the rain)」が数年前車のCMで使われてましたね。

これと
いんがっと うぃとらすと
よまれてます

CCR>>そうでしたね~。 懐かし! 1968~1971・・
で、急に思い出して、スージーQ、雨を見たかい、プラウド・メアリーなどを聞いているのでした♪
ろいりさん、お元気ですか~

ロイリー映画館、やはり私の久留米のいとこたちもしりませんでした。一応みんなに聞いてみた、法事が続いたので、めったにあわないいとこ達にもあえたから。
えめさん、いまテレビからワイルドワンズの歌が流れるでしょ。あの歌よく覚えているし今も歌えるけど、題名をしらなかった。それとあのグループのボーカルはドラマーかと思っていた。なぜだろね。
ところが、子育て時代、鳥塚繁樹さんがうたのおねえさんといっしょに、ふしぎなふしぎな光、ぴぴぴぴぴぴぴぴテレパシー、宇宙のことばはテレパシー、。。。。って踊りながら歌っているのをみました。で、こどもといっしょに歌って踊っていた。

しらべてみました。NHKのワンツーどん。
1983年頃。宇宙人(うちゅうじん)のテレパシー(手合わせ遊び) 作詞・柴田陽平 作曲・小六礼次郎 

CMのは.バラの恋人1968 作詞:安井かずみ/作曲:加瀬邦彦

すーじーくあとろ?
すーじーのつづりがすごくへんでしたね。よめなかったなあ。えくすがだぶるではいってたような。

とと、まちがえました。ごめんごめん。それはスージースーだった。検索したら、この人がでましたよ。↓年あまりかわらないね。みなとしよりだね。

魯いりーさん、コンバーター、ありましたね。
なにかを切り替えるんですよね。何になんできりかえたんだろう?わからなかったけど、たしかにつけました。
きれいにうつるようになった。

今のわたしの仕事でコンバータという言葉が昨日でました。おなじ製品でガス式と電気式と二つ製造しているのです。ガスはボルト数が異なる。それをコンバータでどうのと言ってたっけな。ああかささぎは工業科じゃないからさっぱりあたまが受け付けないよ。
だんだん浮いている数がへっては来ましたが。
いんがっと浮いとらすと。

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