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2009年2月16日 (月)

杉山洋先生に又叱られる。

夕方の電話。

画家の杉山洋先生でした。

二年前の拙記事、「松延貫嵐の生涯」について、叱責のことばを頂戴しました。

わたしはそれに書いてたと思います、有名な祇園女御「柳の精」の話の作者名になぜ若竹笛きゅうとあるのに、杉山洋先生の灯篭人形紹介の本には藤福助(藤勘助だったかも。記憶で書いていますので要確認、松延かんらんの筆名)と書かれてあったりするのだろうか、と。それはずっと思い続けてきました。その説明や、わたしの文章の書き方への批判をきっちりと書かれ、どなたかのブログにアップされるそうです。

またか。と、わたしはおもう。あーあ。

石橋秀野を調べて書いていたときにも、なんども電話で怒鳴られました。
揚句の果て、本になったとき、一行も紹介のことばをふるさとの人たちにしてもらえないという屈辱を味わいました。
ご本人の口からなぜそうなったのかを聞いたことがあります。
本をお送りしましたら、すぐ電話がかかってきて、「ああたね、よくこんないいかげんな本を出しましたね」というお叱りのことばから始まって、とうとうと、何ページの何行目、どのことばが適切じゃない、とか、間違っているかを指摘され、とどめのように、「西日本新聞社の記者がどういう本かと聞いてきたので、いいましたよ。とんでもない間違いだらけの本で、批評の対象にもならない本だって」とおっしゃるのです。

して、その主なる間違いとは、いくつかの誤植、と、松江と松山の書き間違いと、大岡信氏の文化勲章受賞のミス(ほんとはその翌年の受賞)、と松江騒擾事件を共産党による赤の思想犯の事件だろうかと書いていたことです。

わたしにとっては、それらのミスはさほど内容にはかかわらぬことであり、致命的なミスとは思えなかった。しかし、杉山洋氏にとっては「批評の対象にもならないひどい本」で片付けられるものだったのです。八女の文化の窓口におられた氏は、とても力をもっておられました。
平成十五年十月当時、わたしの「石橋秀野ノート」を新聞でとりあげて紹介をしてくださったのは、毎日新聞福岡支社の記者の方であり、朝日新聞東京本社の人であり、詩人の高橋睦郎先生でした。四年間渾身の力で調べてかいてきた本を、このまま黙殺されるのだろうか。とひたすら悲しかった私に、それはどんなに有難い力強い支えとなったことか。

こんども、
あなたみたいにことばを大事にしない者に俳句やらする資格はない。
とまで言われました。
ああこのことば、何年ぶりだろうか!とすぐ思いました。
暴れ太鼓のような気合の入った声でぐいぐいと圧されます。
わたしはつい、やっぱりこんども我慢できず、いいかえしてしまいました。
十年前とおなじようにです。
なぜそんな枝葉末節のことでけちをつけられなければならないのですか。と。
言い返したほうが負けなのに、です。
また、こんどもわたしのまけみたいです。

ふつうは、こうまでいわれたら、たちあがれなくなるのでしょうが、かささぎ族は、そうやわではありません。なにがあってもへこたれない。ってか、ますます元気になる。

大切なことは、わたしのミスでも何でもかまわないから、それをきっかけとして、一人でも多くの人に八女の文化財を知ってもらうこと、むかしの人々の文芸に寄せるあつい思いをしってもらうことだとおもいます。ああ、まずわたしがよく知らないのですけど。笑

注:松延貫嵐の生涯http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_978e.html

こんなふうに杉山洋先生へのくやしい思いを書いてますけども、それは例えて言えば、身内の喧嘩に似て、後に残るようなものではございません。大声で電話のあっちとこっちで言い合ってる、太鼓の叩きあいのように。
なんだか、大人気ないのです。
が、こういう喧嘩、いまどき珍しいんじゃないかなあと思って、アップする次第です。

かささぎは、このおかたがいなくなったら、たいへんさびしいとおもうだろう。
先生、どうか長生きなさってください。
また火が出るような喧嘩をしましょう。
色々とまだまだ知らないことをたくさん、かささぎにお教えください。
おげんきで。

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コメント

杉山先生には叱られたことがない。
(おかげで絵は上達しなかった・・・)

気合だ~

乙四郎さん、エメさん。おありがとう。

きのうはあたまに血がのぼってた。
今日これ読んだら、圧倒的にあっちが正しい。

それと、エメさん。
エメって、アヌーク・エメをおもいださんじゃったですか。
アヌーク・エメ、香取ーぬ・土ヌーヴ。フェ伊だなウエイ。そっからヴぁ熱砂レッドグレーヴ。はひふへな変換ですが。
まず、音として名前が入ってきました。異国の女優さんの。男優さんより女優さん見てた。ロードショーとかスクリーンとか。ちゃんときっちり読んでたなあ。それと日本版プレイボーイ誌も読んでた。夢見るMoeも読んでた。これはでも、だいぶ大きくなってからですね。

こんばんわ
アヌーク・エーメ>>はい。 個性的な女優さんですね。
一昨年ころBSで放送されているのを見て、この年になって見てよかったな~ってしんから思いました☆あの映画はかなり深い・・。
フェイ・ダナウエイ>>高校生の時「ウッドストック」を見に行って、、2本目にあった「俺達に明日はない」を見てショックを受けて(感動の)しばらく呆然としました。
16の娘にフェイ・ダナウエイのさっぱりした女っぽさは刺激的でした! 
昔の女優さんたちはほんとに個性がありますね~。
ドミニク・サンダも好きでした^^
雑誌も個性的でしたね。
平凡パンチとか♪ 表紙の大橋歩さんのイラストも群を抜いていましたね。
たまに女性版平凡パンチが出ると必ず買ってました♪
、、それに比べると最近の雑誌は、やれセレブに人気の何々だの、、物を買わせるためのカタログ雑誌みたいでつまんないかも・・
私ったらネ、いまだに‘71年の「服装」とか70年代の「装苑」の雑誌もってます。。なつかしくなって今ひっぱりだしてきたら「服装」の表紙は秋川リサさんでした☆彡
なんだかこっちも昭和の話になっちゃいました(^^ゞ

書き忘れました(^^ゞ アヌーク・エーメの映画は「男と女」です

ジーンセバーグ、ソフィアローレン、イングリットバーグマン、カトリーヌドヌーブ、ジーナロロブリジーナ、など映画を見たわけじゃないけど、日本の雑誌にたくさん登場していたからナマエだけは良く覚えているんですよね。
ファッションやヘヤースタイルにすごくあこがれてみていたからかもしれないです。
あの時代の女優さんの美しさは日本人、外国問わずただものじゃない美しさ、普通の人と格段に綺麗でしたもの。
装苑、服装、わくわくしながら見ました。
今、昔の装苑見ても、服がすばらしいはずです。
エメさん、そうじゃありませんか?
服らしい服、正統派の服、基本的なワンピースやスーツをきちんと崩さず着ているのが好きです。
又、新しいところでは「nonno」の初刊からの大ファンでした。
乳母車おして発売日にnonnoを買いに行きました。
長女が生まれた頃に発刊されたのです。nonnoは。

楽しい話させていただいてありがとう。

こんばんわ
雑誌にのってるファッションや映画雑誌の女優さんにはほんとにあこがれましたネ☆
中2の時、近所のパーマ屋のおばちゃんがジーン・セバーグのファンで、夏休みだからと、私の頭をセシールカットにしてしまいました(どうしても誰かにやってみたかったらしいです)
あれはかなりのショートなのでゆるいパーマが必要らしく勝手にパーマもかけられました。
出校日にはパーマはバレませんでしたが、ドキドキでした(^_^;)
さくら様
服装、装苑>>数冊ありますが今見てもとてもおしゃれです。
映画情報やファッション情報が満載です☆
anan nonnoも大好きでした。 nonnoは娘さんの成長と繋がっているのですね(^_-)-☆

エメさんって、中学校時代からユニークな経験をお持ちですね。中学生のころのわたしなんて、カタカナ文字の映画女優の話題なんて、とんと縁がなかった。今から思うと、世界がせま~~い、「友達がどうした、こうした」の世界で過ごしていました。ラブレターの代筆をしたり、絶交状をもらったり。笑

「装苑」を手にしたのは、働き始めてから。女性の上司がおしゃれさんで、本屋さんから職場に配達してもらっていたのを見せてもらっていました。二十歳くらいのころのできごとです。

おはようございます
せーこ様 
ラブレターの代筆ですか! すご~い!!
セシルカットは首実験@@だったので、タダだったんですよ。 でもすぐの出校日にはほんとにドキドキして行きました。 

装苑>>同居の叔母が洋裁をしていましたので届くといつも見せてもらいました。
昔々は季節でたしか子供服の付録がついていたように思います。 
端切れで遊んでいたので自然に洋裁が好きになりました^^
最近は立ち読みですませちゃいます(^^ゞ

ただいま。しごと、とってもいそがしい。
でも去年までみたいに現場には立たなくてもよくなった。事務量が半端じゃないので、それどころじゃないのです。事務が機能しないと現場がいくら働いても入金されませんし、ね。時に郊外の景色のいい現場に立つのは気分転換になるのですけど。

さくらさん、それ、付句になりそうですね。
乳母車押してノンノを買ひにゆく  さくら
ノンノといっただけで、一つの時代がうかぶ。
また、乳母車をおしてまでかいにいくってことで、女の一つの時代がうかぶ。スーパーで赤ちゃんつれた人をみると、かわいいなあとしげしげと見てしまいます。

エメさんは福島高校だったのですか。
セシルカット、ジーンセパーグ。せいこさんのあたまがずっとそんなかんじよね。

エメさんの影響で、「男と女」って映画がみたくなりました。でもきっとどこにも置いてないとおもう。
思い出したのは、映画音楽のレコードはもっていたこと。男と女。ニーノロータ。太陽がいっぱいがはいっていた。ポールモーリアも好きだった。
おなじころのシングルレコードに、桜田淳子のようこそここへくっくくっくって歌があり、なぜかもっていた。わたしはこの人がすきでしたね。

 突っ込むようだけど、『男と女』はフランシス・レイです、『白い恋人たち』とかの。『太陽がいっぱい』はニーノ・ロータだけど、この人はもともとイタリア人だから、フェリーニの映画などの音楽担当が多い。私は『道』のテーマ曲「ジェルソミーナ」が好きで、でも高校時代にTVの映画劇場でこの映画と曲に感動した後、久留米のストリップ劇場の前を通ったらこの曲が流れていたので、ガッカリした想い出がある。あ、『ロミオとジュリエット』や『ゴッド・ファーザー』もニーノ・ロータ、名曲がいっぱいある。

こんばんわ
「男と女」はBSで07年の今頃見ました。
またあるといいですね。
モノクロシーンとカラーのシーンが心理描写の微妙なバランスで動いていきます。
ほんとにすばらしい映画です。
結婚して、、子供を育てて、、時代を過ぎて、、ほんとの大人になったいまこそゆっくり味わいたい映画です。
私も再び観たいな~と思います。
レンタル屋さんにあったら情報伝えますね^^
高校ですか~>>それは秘密です^^

おはようございます。はやおきです。
ろいりさん。ご指摘ご教唆ありがとさんにござんす。そうか。腐乱死ス霊をわすれていた。いたいた。いたねー。(というてごまかす)
エメさん。では、おことばに甘えまして、ついでに「インドシナ」(香取ーぬ土ヌーヴ、1992くらい)もさりげに気にかけておいてくださいませぬか。さがしたのですが、八女、久留米の一部にはおいてありませんでした。ないとなるとよけいみたいものですから。

乳母車押してノンノを買ひにゆく  さくら

きゃー、いい句。
自分が発した言葉にかささぎさんがしっかと支柱をたててくれた感じ。

そうまでして買いにいった。
まさしくそうなんです。
あの頃nonnoに載ってたTシャツはほんとに素敵だったのです。
今、二の腕が太くて半袖Tシャツが着られない。
Tシャツに対する思いが深くて、二の腕の細い人があこがれです。
重いペットボトルを使って二の腕細くする運動してるんだけど。

杉山洋先生、だいじょうぶだろうか?
ここのところブログの更新が滞っています。
心配です。

きょう、ここへいらしたお方、ありがとうございました。

すぎやまおんじいの梅のかぐわしい写真を紹介しておきます。↓

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