村松定史『武田晴信「倭漢聯句」のこと』を続けて引用します。
原文ではまず、四吉(よよし・44句)の一句ごとの解説が先に書かれ、最後に連句作品が紹介されてます。それをかささぎの旗ではまず作品を先に掲げ、あとで解説をつけることにします。筆者に断わりもなく順序を逆にしますのは、そのほうが分かりやすいと思ったからで、他意はありません。
天文十五年七月廿六日於積翠寺
倭漢聯句
初表
心もて染すはちらし小萩原 晴信
新霜有雁来 龍
搗衣空外力 鳳栖
かり寝の夢の覚るほとなき 蘭
月は猶残る雲間の影涼し 台運
暁雨はるるあとの山の端 其阿
水上もわかず落くる滝見えて 恵臨
龍門魚曝腮 湖月
初裏
名に高き道をぞあふぐ家の風 長傳
末まで色のふかきことの葉 周誾(しゅうぎん)
写情春意緩 晴信
政質泰多回 鳳栖
八重咲くもひとへを花の初にて 龍
うすき霞に匂ふ梅の香 信常
假山含万象 蘭
巨海極三才 晴信
潮與佩聲漲 龍
泉令琴韵摧 鳳栖
記晴歌月出
星まつる夜の半天の雲 台運
稀にあふ露の契はうきちきり 其阿
不跡草無媒 龍
名残表
占隠人倫絶 湖月
ひとり伴ふ友鶴の声 蘭
盡欲縮湘景 晴信
漕ゆく船の遠きうら波 台運
仄にも見渡しかすむ朝朗 其阿
花の香ふかく月のこる雲 長傳
鶯舌啼春破 湖月
帰る山路は霧やむせなん 信常
就荒黄落宋 鳳栖
炊黍黒甜槐 龍
ゆく心千里隔つる波もなし 蘭
幾度緑徘徊 鳳栖
吟履為誰湿 湖月
詩篇教佛推 鳳栖
名残裏
法もたた謀をや道ならん 其阿
身を治てぞ世をおさめしる 周誾(しゅうぎん)
何事も心を種のわざなれや 長傳
わするる草の志げらずもがな 蘭
若盟兄弟好 湖月
ねくらの鳥の去さらぬこゑ 恵臨
野遭春日促 晴信
雪使韶光纔 龍
解説:村松定史
初折りのおもて
1 時は旧暦七月末。季は萩で秋。
勅使を迎える感動を萩に託した主人の発句。
2 「雁来タルコト有リ」季題の雁に寄せた客の挨拶。
3 「外力空シ」遠征の夫に砧の音も届かない。遠来の賓客への慰めか。
4 仮寝は前の雁にも掛け、旅寝の夢などすぐに消えます、と客が応じる。
5 月の座。
6 「腮(あぎと)ヲ曝(さら)ス」黄河上流の滝を龍に化そうと逞しく昇る魚の姿。
初折裏
1 前句の登竜門を受けて、家名を挙げるこころざし。
2 木の葉と言の葉を掛て、詩歌で後世に名を残すこと。
3 「情ヲ写シテ春意緩(ゆる)シ」ゆったりとした春情の表現の意か。
4 「政質泰クシテ多ク回ル」政治のやり方で平和が未来永劫めぐってくる。
5 花の座。
7 「仮山万象ヲ含ム」築山は万象の真理を内包している。
8 「巨海三才ヲ極ム」大海には天地人に通じる古今の摂理が極めつくされている。
9 「潮佩声(はいせい)ト漲ル」潮騒が帯の飾り玉の音(朝廷の高位高官の行列)を思わせる。
10 「泉琴韵(きんいん)ヲ摧(くだ)カ令(し)ム」泉流は琴の音に勝る。山水の風流が凌駕している。
11 月の座。
12 七夕の中空に浮かぶ雲。
14 「跡アラズ草ニ媒(ナカダチ)無シ」人の訪れに形跡もない草深い所なので、契りを取り持つ者もない。
名残表
1「隠ヲ占メテ人倫絶ユ」ひっそりと暮らし交際も絶え果てた。
2 つがいの鶴には、良き連れ合いの意も。
3 「盡(ことごと)ク湘景ヲ縮(ちぢ)メント欲ス」(洞庭湖に注ぐ湖水の名勝)の景色を縮めてすべてここに箱庭のように作りたい。
5 朝ぼらけ、あけぼのの景。
6 月花の同座。
7 「春ニ啼キテ破ル」鶯がとてもよく啼く。「破」は強意。
9 「荒ニ就ク黄葉ノ宋」荒れ果て落ちぶれた住まいよ。
10 邯鄲の黄梁一炊の夢の故事を踏まえる。
12 繰り返し緑の中を逍遥する。
13 吟履(ぱたぱた音のする草履)は「誰ガ為ニカ湿(うるお)フ」。
14 「仏ヲシテ推サ教(し)ム」拙作を仏が推敲してくれるの意。
名残裏
5 「兄弟ノ好キヲ盟(ちか)フガ若(ごと)シ」兄弟仲良く約束でもするかのようだ。
7 「野に春日ノ促スニ遭フ」山野をぶらついていると春の日があっという間に暮れてしまう。
8 「雪使韶光纔(ゆきはしょうこうをわずかならしむ)」雪が降って春景色もまだ浅い。
漢句はすべて五言句で総数二十二、和句の長句は十、短句は十二で、漢和の比はちょうど半々におさまり、理想的な構成である。和と漢の順序は、長・短・漢ないし漢・短・長が七組あり、全体の半分ほどは長・短・漢の三種の句のバランスよいリズムを作っている。漢句は一番多く並ぶ初裏7~11で漢が五句続いているが、「和漢ともに五句を以て限度とす。」(『増補はなひ草』)には適っている。
十五世紀の『漢和方式』(一条冬良)には「面八句は、漢四句和四句也。・・・和漢の時は八句め漢也。」とある。ここでは初表の八句も名残裏の八句も漢句は三句ずつで一句たりないが、八句目はいずれも漢句とする決まりは守っている。
平仄(ひょうそく)に関しては、最初に詠まれた偶数の漢句の脚韻に、以下に詠まれる偶数句の漢句は韻を合わせねばならないのだが、本巻では初めの漢句が脇句で「来(ライ)」で終わっている。これ以降の偶数漢句は、初表8「腮(サイ)」、初裏4「回カイ」、初裏8「才サイ」、初裏10「摧サイ」、初裏14「媒バイ」、名残表10「槐カイ」、名残表12「徊カイ」、名残表14「推スイ」、名残裏8「纔サイ」と、脚韻の平仄にも意を砕いている。
作者別に見ると、鳳栖と湖月は漢句のみで、台運、其阿、恵臨、長傳は長短合わせて和句のみ詠み、信常と周誾は短句がそれぞれニ句だけである。得手不得手、巧拙の差もあろうが、さすがに、晴信、龍、蘭は漢和とりまぜて五~六句を出しており、場所も各面にわたっていて均衡がよい。器量のほどがうかがえる。
一巻の内容としては、戦乱のなかで一国をおさめ、やがては西に上ろうとしている晴信の国政手腕や家運隆盛を暗に称揚する一方で、山河海洋、花鳥風月の逞しさ美しさを詠ってもいる。しかし、恋は淡く寂しげであり、隠棲や逍遥の場面に人の世のはかなさ、人生の空しさが託されているのは、乱世における諦観の思いが人々の心底に揺曳していた時代なのかもしれない。
いずれにせよ、後の武田信玄のすでにして天皇勅使を風雅と知性をもってもてなす度量を示す一巻であることに変わりはない。むろん僧侶を中心とする優れた知性集団の協力もあるが、後世にあっても、かくのごとく読みうる俳諧之連歌を残した名将をいまさらながら見事と感じ入るのは甲州人の身贔屓だろうか。
* 小文をなすに当たり元静岡大学菅野禮行教授、清泉女子大学今野真二助教授ほかのご教示および『連句辞典』(東京堂、東明雅ほか編)など参照させていただいた。記して謝するものである。なお、拙稿の不備の責はすべて筆者にある。諸氏のご高裁を乞うしだいである。(村松定史)
▼付録 出句表
左端は巻末に付されていた数。右端が実数。(かささぎ註)
晴信 6句 漢4 長1 短0 計5句
龍 6句 漢5 長1 短0 計6句
鳳栖 5句 漢6 長0 短0 計6句
蘭 6句 漢1 長1 短3 計5句
台運 四句 漢0 長1 短2 計3
其阿 4 漢0 長3 短1 計4
恵臨 2 漢0 長1 短1 計2
信常 2 漢0 長0 短2 計2
湖月 5 漢5 計5
長傳 3 漢0 長2 短1 計3
周誾 2 漢0 長0 短2 計2
無記名 漢1 計1
合計 漢22 長10 短12 計44
平成十五年『連句年鑑』連句協会編・巻頭評論を引用。
参照:連句連歌誌『れぎおん』64号
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/index.html
かささぎのひとりごと
これを打ち込んで、ハタと思い至った。
むかし、前田亜弥さんにも入っていただいて「ハリネズミなの」という短い作品を巻いたのです。そのとき、一炊の夢を一睡の夢と書いてしまったような記憶がある。邯鄲の夢のことだけど。あめりかのリップヴァンウインクルとおんなじのはなしで。今朝確認したら、一睡の夢じゃなくて、一炊の夢が正しいのですねえ。
連句は一炊の夢のようなものだなとつくづくおもった。http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-066.htm
やだなあ、エメさん。
またまたコメントが集中しそうな、話題を出しちゃった。共同風呂かあ、なつかしいなあ。「もやいぶろ」そう言ってましたね、確かに。そして、行ってましたとも、ばあちゃんと。
ばあちゃんたちの情報収集の場であり、社交場でもありました。小学校中学年のころ、自宅に風呂場ができるまで、毎日毎日通いました。記憶が確かなら、そのころ、風呂場の角には手押しポンプがあって、しゃこしゃこやって、水をくみ出していた。でも、まさかあの大きな風呂桶にはポンプで水はってたわけじゃないよね。