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2009年1月18日 (日)

月のさそへる船の行末   語録37

八女戦国百首和歌「夏日侍」をよむ

     竹橋乙四郎

▼ 小田鎮光物語

「光」は肥前小田氏の象徴。
直光-貞光-親光-資光-政光と続く。
小田氏は少弐氏との関係を強めながら肥前での地盤を築いた。

小田政光と少弐冬尚は、天文20年(1551)、龍造寺隆信を攻め肥前から追い出したが、天文22年(1553)、政光は蒲池鑑盛らの後ろ盾を得た隆信に攻撃され、隆信に降伏した。
政光の子、鎮光・賢光・増光の兄弟は三瀦郡へ逃れた。
永禄元年(1558)、隆信は政光を先陣に立てて冬尚を攻めた。
劣勢の政光は隆信に援軍を要請したが、隆信は兵を出さず静観したため、政光は戦死。隆信は政光戦死を見届けてから、冬尚を攻めた。
鎮光らは隆信に取り立てられ、永禄二年(1559)、鎮光は肥前小曲城に復帰し、五千町の所領を得た。
鎮光は隆信の養女を妻に迎え、妹を隆信の弟に嫁がせて、龍造寺氏との関係を強化する。
鎮光は隆信の三男を養子に迎えて家督を譲り、忠誠を示したが、永禄11年(1568)、隆信は小曲城を鎮光から取り上げた。
永禄12年(1569)、大友宗麟は高良山に出陣し、鎮光に協力を要請し、鎮光はこれを諾した。
宗麟は隆信を討つため、大軍を肥前に派遣する。
鎮光は大友に味方し、弟の賢光も大友勢に参加した。
一方、末弟の増光は龍造寺軍に加わり大友勢と対峙。
隆信は、大友軍の本陣に夜襲を敢行し、大友軍は総崩れとなる。
鎮光・賢光兄弟は筑後に逃げたが、元亀二年(1571)、隆信に謀殺された。
兄たちと袂を分かった増光は、筑後の吉井に移住し、天正十三年(1585)に病死。こうして肥前小田氏の嫡系は途絶えた。

微妙なのは、八女百首の天文24年当時の鎮光のシチュエーション。
親の政光が隆信に降伏した直後なので、龍造寺氏側の人間。
隆信の信用も得ている模様。
しかし、どの段階からか大友と通じて、兄弟で隆信を討とうとする。
八女百首の面々は、ずらりと大友側の人間。
この頃から既に大友側と通じていたことになる。

3年後に父が隆信に裏切られるのを予感していたのだろうか。

▼ 鎮光の歌

四十四   雰(霧)   鎮光

明更を遠方人のこころとや
雰うちはらふ袖のゆきかひ

八十六   川     鎮光

いかにせん河瀬のなみの色々に
月のさそへる船の行末

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コメント

わたしは、今朝これを編集していて、とても感動した。なんの感情もはさまず、淡々とあまりにも淡々と「aはどうした。bはこうした。」と書いてあったが、その内容はといえば、りゅうぞうじというおとこがとんでもなく腹黒で残忍で、極悪非道とはこのことというくらいのことをやっている。しかし、注意深くみると、その反動でときには情けも垣間見せている。そしてその次の場面では又非道い仕打ちに戻って。
でも、冷静に考えたら、そうじゃないといきぬけなかった。こういう時代に座の文芸が生れた。座では身分の上下はなく、平等だった。ってのは、本当か?

ってのを、徐々にしらべてゆきたいです。とりあえず、あしたから、手持ちの資料を打ち込みます。連歌の座について。です。面白いよ。超硬いがな。

ところで。その資料のなかに、こんな脇を発見す。

第二百韻漢和連句(連句のれんの字がれんたいのれんですが)、第唱句「梅曳鶯衣袖」、脇句「ゆふべのどかにまける玉垂」(支韻)天正19年6月3日。
作者は中院通勝(なかのいんみちかつ)、法号・素然(そねん)を和方(わかた)とし、英甫永雄(えいほ・ようゆう)、通称雄長老を漢方として、天正19年から翌年にかけて和泉国堺の光明院で興行された、両吟和漢千句。だそうです。
論文のタイトルは、「素然永雄両吟和漢千句覚書」。たぶん、第唱句というのが第一句目ってことじゃろう。それは漢方で漢文表記の詩、梅は鶯をきぬの袖にひく。とでもよむのかな。この袖のそで。え、という子音と、脇句の、ゆふべのどかにまける玉垂のたれ。え、の子音が韻をふみ、それをたぶん「支韻」っていうんだとかささぎは思った。
さて、そこで、この歌の意味はなんなんでしょうか。玉垂。梅。発句と脇とおぼしき冒頭の2句がまさに高良宮をおもわせるじゃござんせんか。こうなったら、この和漢両吟千句とやらを全部みてみたいとは思いませんか。
八女戦国百首和歌の花は、まだ桜を花としてはいない。桜は桜ですし、梅は梅、ほかにもたくさんの花が詠まれています。だから、連歌とはちがうし、ましてや連句でもないわけですが、それでも題詠ながら、ある種の流れがある。決まりがあったのだろう。まだかささぎは調べていないけど。百首和歌のスタイル。

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