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2009年1月27日 (火)

ザビエルの右手  火葬土葬対話篇6

再び、素朴な疑問。
なぜザビエルの右手は切り取られたのか。
「ザビエルの右手」で検索したら、
けっこう有名なハナシだったのですね。
ローマ法王に彼の死を報告するために切り取られたのであるらしい。
今でも右手はミイラ化して保管されているとも、ザビエルの遺体が腐食しなかったとも。
ザビエルの右手。

このキーワード、なぜだ、妙に胸にしみる。

追伸。
マラッカのセントポール協会にあるザビエル像も右手がない。これは後年、落雷で右手が落とされたんだそうだ。これを読んでたら、背中がぞわっと。いやいや、まじで。こわっ。

       山下整子

こわ!
足の指も欠けてたりして・・・

「あの方が息絶えられました」
「そうか。では丘からおろせ」
「ご遺体はどうしましょうか」
「東方では御魂を煙とともに送ると聞くが」
「特別なお方には特別な方法で畏敬を、ということですね」
「いかにも」
・・・
かくしてあの方は、「復活」の奇蹟を演じることができなくなりましたとさ。

▼ ウラ取り調査報告
火葬は多くの燃料と技術と費用がかかる。
あえて火葬にするには意義付けが必要。
最初に火葬された天皇は持統天皇。
お釈迦様は火葬でした。
日本で最初(700年)の火葬が記録(『続日本紀』)されている人も僧侶。
明治政府が明治6年に火葬禁止令を布告したが、仏教徒の反発で明治8年には廃止している。火葬は仏教文化らしい(しかし、仏教徒であっても、近世までは土葬が主流。仏教伝来以前も、6世紀後半の古墳に火葬の痕跡あり)。
仏教に近いヒンドゥー教も火葬。屋外で薪で焼かれ、川に散骨する。
ネパールで見たもんねー。焼かれている遺体が悶えているようにも見えたが、気のせい、気のせい。
ユダヤ教と、それに近いキリスト教、イスラームでは、最後の審判の時の死者の復活のためにもとの体が必要と信じられたりして、日本(ほぼ100%)ほど火葬は普及していない。
なお、死体は放置すると腐る。腐敗防止のためには、腐敗菌が増殖しないよう低温を保つか、腐敗菌への酸素供給を遮断しなければならない。

そのネパールでみたもだえてる死体、まだ生きとったんやで。
なんで見殺しにしたんや。しらゆきひめのはなし、しっとるやろ。
しんでもしんどらんねや、なにかの拍子にいきかえることもある。
ってことはないだろか。まんがいつ。

   かささぎ

ザビエルがなくなったのは、12月。遺体は棺に石灰を詰めて海岸に埋蔵されたが、4ヵ月後、マラッカに移送された棺を開けたところ、奇跡的に腐食していなかったという。
寒さ、塩分、石灰。なにがさいわいしたのだろうね。腐敗菌への酸素供給の遮断。神がかりではないか、これ。

    山下整子の整理。↑

へえ。そうだったのか。せいこさん、ちゃんと調べてくれてありがとう。
海岸に埋蔵される。埋葬じゃなく?
前に引用したけど、正岡子規の句。
中国人外交官(を父に持つ)若き友が日本で客死したのを悼み詠める(っていうような前書き)。戦時中の句。

早蕨や日本の土に殯(かりもがり) 子規

上五の季語、早蕨じゃなかったかも。
山でとれる山菜だったのはたしかだけどたけのこやつくしではなかった。
この句の雰囲気は、土葬。かささぎは、じゃ仮に葬った死体を取り出したら、どうなってるかな。と老婆心で心配した。

    かささぎの旗ひめの

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コメント

資料では、「海岸に埋葬」とあったが、わたしは埋蔵とあえてしてしまった。埋蔵だよ、また掘り起こすことを想定しての、たぶん。
想像だけどさ、わたしの勝手な。

×早蕨や日本の土に殯(かりもがり) 子規

○陽炎や日本の土に殯(かりもがり) 子規

(その後、確認しました。)

こんにちは。
土葬>>
子供時代(1年生頃?) 、あちこちに納骨堂が建ち始めました。
わが家の集落のお墓も近くに納骨堂が建ち、土葬にされている骨を掘りあげるというので見に行きました。
丸く深く掘られた穴におじさん(たぶん専任の人かな)が入っていて、私は上からそれを覗いていました。
おじさんは骸骨になった頭を手に持って見せてくださいました。
その頭蓋の周辺には水に濡れた髪の毛もありました。
穴の底には水が少し溜まっていました。
私の記憶はこんな感じだけど、恐くはなかったです。
今、墓のあったあたりは住宅地になっています☆★☆


ふうん。それきいて、そんなはなしを昔きいたのを思い出しました。まるで自分がじっさいに後ろからのぞいてみていたようにおもいだしますですが、ほんとうにそうだったのかなあ。こういうときのおもいが異常につよくて、じっさいと想像のくべつがつかないのです。
人形の髪がのびるのとおなじですね。
いや、そんなことより、きのうアクセス分析していて、以前乙四郎さんとろいりさんがコメントにかいてくださっていた、空港(ぐんじようの)の話を発見したので、それをおもてにださねばとおもうのでありますが、それと、京師とは何かというろいりさんのコメントも。時間がねえのであります。

ザビエル 死体 検索二位。
ザビエル絡みでいつもヒットしている記事です。

いま、鞦韆院落さんちでお茶しているのですが、ちょうどザビエルのことが書かれていました。↓
そんで、ここを思い出して開きました。
ここは常時アクセスがあり、ヒットページの一つです。
さいきん、なにかでザビエル出ましたねえ。なんだったっけ?
そうそう、新ローマ教皇です。阿部しげさんの記事。なぜフランシスコという名前にしたのかの論考。

ザビエルの右手


5位か4位くらいです。

以下が面白いので、かっさらってきました。すみませんが、全文引用させてください。
問答コーナーの答えの方。ペリーとザビエル、外国ではどちらが有名かという質問への答え。

「それはフランシスコ・ザビエルの方が圧倒的に知名度があります。

ザビエルの死後、ザビエルの評価はうなぎ上りであり(彼がイエズス会に出した数多くの手紙の内容、即ち、敬虔で勇敢な内容だったため)、彼にあやかってアジアに行って布教活動したいと希望する若者が続出したこと、死後に何度か掘り返された彼の遺体の殆ど損傷がなかったことから、これは奇跡的だということで、彼の評価は一層高まりました。

これを受けてローマ教会は1622年、ザビエルを聖人にすることに決定しています。

現在、ザビエルの遺体はインドのゴアにあるボン・ジェス教会内祭壇の棺に安置され、世界中から多くの信者が礼拝に訪れており、また掘り起こされたときに切断されたザビエルの右手は、聖なる「ザビエルの右手」として、ローマのジェズ教会に安置され、崇敬を集めています(現在は遺体も右手もミイラ化)。

それに対してペリー提督ですが、日本ではよく知られています。

しかし彼はアメリカ国内ではマイナーな人物です。アメリカ海軍の超エリートでしたが、せいぜい地元で知られている程度です。それに対して彼の兄オリバーは「エリー湖の英雄」として、教科書にも載るくらい有名です(アメリカ国内での話、日本人は知らないと思う)。

ザビエルの右手」


そういえば。
最近であった、たからさんの身内、野上一族の考古学者、野上建紀氏のブログでも、聖フランシスコに出合ったな。ちょいまってね。さがしてくる。
あった。これです☟。
1541年に建造された教会ですね。
そこに350年前の有田焼きの陶片があったなんてね。

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