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2009年1月15日 (木)

豊饒美濃守鑑述

昨夜遅く『大和町史』資料編を読んでいると、第六章「田尻氏と田尻文書」のなかに、おお、この人がいる!!

田尻文書とは・・・

戦国時代に山門郡鷹尾(大和町鷹の尾・・平成11年当時)の城主であった大蔵姓田尻氏の家に代々伝わる一群の古文書。

田尻家の中世文書は、鎌倉期の文書(蒙古合戦の勲功を記す関東下知状)一点以外はすべて戦国期の文書226点。そのうち田尻家文書未収録分目録のなかに、発見!

81 天文22年9月15日 豊饒鑑述・小田鑑言連署坪付

文書番号は『佐賀県史料集成』の番号。と但し書きあり。

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コメント

鷹尾城と鑑述とがリンクした!
やはり、活字情報はオンライン情報に優ります。
刺激を受けて、マニアック蔵書数○万冊を誇る保健医療経営大学図書館へ赴き、「祭礼行事・福岡県」(おうふう)という書籍を手に取りました。鷹尾に古来伝わる「はんや舞」が気になっていたので。以前、守武の俳諧ははんや舞に着想を得たもの、というとんでも仮説を披露しましたが、その仮説の検証です。
残念ながら、その書籍には、鷹尾の「はんや舞」についての詳細はありませんでしたが、星野村の麻生神社に伝わる「はんや舞」について2ページにわたる解説がありました。「中世芸能の名残を残す貴重な民族芸能」なのだそうです。そして、そこで歌われているのは鎌倉時代の「短歌群」であると記載されていました。元歌は「閑吟集」から、とも。
閑吟集(1518)は、連歌師の宗長(1448~1532)が編集したもの(らしい)。 守武が影響を受けたとされる人の一人です。しかしながら、閑吟集というのは歌謡集であり短歌集ではありません。
Wikipediaによると、
「室町時代に流行した「小歌(民間の卑俗な歌で、軽く肩のこらない娯楽的なもの)」226種の他、「吟詩句(漢詩)」「猿楽(謡曲)」「狂言歌謡」「放下歌(ほうかうた:「放下」は中世・近世に行われた芸能の一つで、小切子(こきりこ)を打ちながら行う歌舞)」「早歌(そうか:別名「宴曲」とも言う、鎌倉末期から室町時代にかけて、武家を中心に貴族、僧侶などの間に流行した宴席のうたいもの)」などを合わせて、311首が収録されています。内容的には、恋愛を中心として当時の民衆の生活や感情を表現したものが多く、江戸歌謡の基礎ともなりました。」
とあります。さすれば、「はんや舞」は、閑吟集から五七のリズムのものを抽出したもの、ということになります。「いわば軽く肩のこらない娯楽的な」短歌群です。
ここに来て、連歌と俳諧連歌の違いがよくわからなくなってきました。「はんや舞」の短歌群というのは俳諧連歌そのものでは。

星野村の麻生神社の宮司は「氷室」姓でした!
ここには人麿神社というのもあり、人麿神社を祭っている家の長老は「江良」氏。人麿の妻は依羅。

天の海に雲の波立ち月の船
星の林にこぎ隠る見ゆ
(柿本朝臣人麻呂『万葉集』巻七、一〇六八)
大船に真楫(まかじ)しじぬき海原を
漕ぎ出て渡る月人壯子(をとこ)
(柿本朝臣人麿『万葉集』巻十五、三六一一)
「昔者、筑後国の御井川の渡瀬、甚だ広く、人畜渡り難し。ここに、纏向の日代の宮の御宇麻天皇、巡狩の時、生葉山に就きて船山と爲し、高羅山に就きて梶山と爲して、船を造り備へて、人物を漕ぎ渡しき。」
(『肥前国風土記』)
「月人をとこ」=月神(高良玉垂命)を信仰する船乗りたち。
人麿は白村江戦に参加しているらしい。(古田)
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
(額田王『万葉集』巻一、八)

本稿の参照元(古賀達也氏)
   ↓

春秋をわけぬはかりか松がさき
氷室も夏をほかにこそもれ

氷室開きは春分、氷室(麻生神社)の「はんや舞」は秋分。

はんや。ということばから、かささぎが連想するのは、はんごんこうのはん。返すという意味。こないだから言っている、「け」。
それと。アストロリコのりかさんブログよんでたら、お正月にしもがも神社にいったそうです。しもがも神社。サイトひらくと、宮司さんあらきさん。
字は、新木。
だからなに。ってきかれそう。なんでもない。
本の紹介がしてあって、そのタイトルみたらよみたくなった。神道ってのは奥がふかいです。
それと。中山ソランブログへいったら、熊本のどっかの港にいってる写真が出ていた。それ読んでいたら、長田王の歌、万葉集かな。が、出ていて、それ読んだら、九州にいたんだ。と直感した。
じんぐう皇后はかしいにいたんだろうし、九州の人だと思うし。長田王がどんな人かしらんけど、熊本の港をよく知っている人だろう。
あたしは、中山そらんがそういうことを調べてかいてくれたらいいなあ。とおもう。だって、行けないからね。遠くて。熊本人が書いてくれるとありがたい。
「さまよえる倭姫」というサイトがあるから、そこをよく読んで、かいてください。もし、このブログを読んでいるなら、ぜひ。

先日江戸時代の柳川、瀬高の港から東北へ米を買い付けにいった舟が帰りにおおかぜに流されて朝鮮に着いた話の古文書読み下しをもらいました。やながわのこに。

橋爪さん。ヒムロって姓の人が高島にいますね。一軒だけ。あそこのおにわがかささぎはすきです。なんの手入れもしていなさげで、その実。

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