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2009年1月24日 (土)

天文歌人24人  語録43

八女戦国百首和歌「夏日侍」をよむ

   竹橋乙四郎

▼天文歌人24人の肖像(超ラフスケッチ)

これまでの整理整頓一回目

一 立春、十 桜、二十一 卯花、二十三 郭公、二十五 早苗、三十八 女郎花、四十一 萩、五十一 菊、五十九 雪、七十 初恋、七十六 恨恋、七十九 契恋、八十 暁、
以上
鑑述(あきのぶ・かんじゅつ。13首)
:豊饒美濃守鑑述。
1550年、溝口城を攻略。
兼松城主や久留米城から敗走した豊饒永源に近い人物。
1561年頃は竈門右京亮宇佐鑑述。

三 霞、六 殘雪、二十 更衣、三十 蚊遣火、四十三 鹿、四十五 露、五十八 霰、六十二 水鳥、八十五 山、九十 海路、
以上
鑑實(あきざね、かんじつ。10首)
:橋爪美濃守鑑実(1550年頃まで一萬田鑑実)。
1571年正月に俳諧を興行。高橋鑑種の兄。
(鷹尾城主は田尻鑑種。)

十五 菫、十八 款冬、二十六 照射、三十四 荒和祓、三十九 薄、五十 虫、六十五 鷹狩、六十九 歳暮、八十三 苔、八十七 野、
以上
鑑栄(あきひで、あきさか・かんえい。10首)
臼杵鑑栄。
大友義鑑の加判衆、臼杵長景の長男(?)で、長景を継いで民部少輔を称す。

二 子日、十三 呼子鳥、二十九 蛍、二十二 葵、五十三 秋田、五十六 時雨、六十 千鳥、九十六 述懐、
以上
鑑教(あきのり。8首)
:利光鑑教。大友氏の一族。大分郡鶴賀城(鶴ヶ城・利光城とも)主。

十七 藤、二十八 盧橘、四十 蘭、六十七 埋火、七十五 片思、九十五 懐旧、九十八 尺教、
以上、宗右(むねすけ、そうゆう。7首)
:北野神社関係資料に宗右の日野出雲守宛書状。

七 梅、二十四 菖蒲、三十七 萩、六十四 神楽、八十四 猿、九十二 離別、
以上、覚元(かくげん。6首)
:柳川城主田中吉政の血縁?

四 鶯、三十一 蝉、五十七 霜、六十六 炭竈、九十一 旅、
以上、鎮時(しげとき。5首)
:城島氏の24代目が大蔵丞鎮時。鷹尾城の田尻氏の血縁も大蔵姓。

十一 春駒、二十七 五月雨、三十五 立龝、四十六 槿、七十三 来不逢恋、
以上、嵐竹(らんちく。5首)
:荒木田守武に近い人?

三十三 泉、四十九 擣衣、七十一 纔見恋、八十二 竹、九十四 樵夫、
以上、宗房(むねふさ、そうほう。5首)
:調査中。未発表。

十四 苗代、五十五 初冬、六十三 網代、
以上、鎮續(しげつぐ。3首)
:臼杵鎮続。臼杵長景の長男(?)で長景を継いで1536年から1556年まで加判衆をつとめ大友家の外交事務を管掌した鑑続の弟。
鑑続の後任の志摩郡代。鑑栄の(義)弟?

四十八 月、七十四 度ゝ思恋、九十九 祝言、
以上、塩亀(えんき。3首)
:未調査

五 若菜、七十七 祈身恋、
以上、鑑秀(あきひで。2首)
:富来鑑秀。1501年頃、度牟礼城に籠城して田原軍(大内)に対峙。
鑑秀の妻は大友義鑑の娘。

八 柳、三十六 七夕、
以上、弘俊(ひろとし、こうしゅん。2首)
:調査するも時代相違のためやり直し。

九 蕨、十九 三月盡、
以上、孫七(まごしち。2首)
:内藤護道。室町中期の武将・連歌師。通称は孫七。
周防守護大内氏の家臣。宗祗の筑紫旅行の世話。

十二 帰鳫、七十二 不逢恋、
以上、鑑冨(あきとみ。2首)
:大友家奉行人の子。1550年、申次職として義鎮の側近。四半世紀後に鑑実の軍に討伐される。

十六 蛙、六十一 氷、
以上、牧也(まきや、ぼくし。2首)
:未調査

三十二 氷室、四十七 駒牽、
以上、松寿(まつひさ、しょうじゅ。2首)
:未調査

四十二 鴈、八十一 松、
以上、弘智(ひろとも、こうち。2首)
:未調査

四十四 雰、八十六 川、
以上、鎮光(しげみつ。2首)
:小田鎮光。のち、肥前小曲城主。

五十二 紅葉、八十九 橋、
以上、頼運(らいうん。2首)
:未調査

五十四 九月尽、八十八 関、
以上、通次(みちつぐ。2首)
:伊予石井山城主の弟、重見通次。
天文年間、周防に逃れる。

六十八 寒梅、九十七 夢、
以上、廣吉(ひろきち、こうきつ。2首)
:未調査

七十八 後朝、
以上、藤次(ふじつぐ。1首)
:本多藤次。天正十二年豊前国築上郡ニテ討死。

九十三 山家水、
以上、述秀(のぶひで。1首)
:未調査

出典:八女戦国百首和歌「夏日侍(なつひまち)」
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-9997.html

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コメント

通次に姓を入れるのを忘れてた。
重見通次。

おつしろうごめん。何度やってもフォントサイズ制御不能。
さいしょは、なにがわからないかすら、さっぱりわからなかった。
それが、上記のように調べだしてもらうと、のっぺらぼうの平面がむくりとおきだす。
でこぼこができ、光と影がみえてくる。
歌にこめられたメッセージもやがては見えてくるに違いない。

整理整頓すると見えてくるもの。
鑑述の周辺では、1550年(天文19年)頃、武界再編が起きている。一万田が橋爪になったり、高橋になったり。養子?

この年前後にスポットを当て、歴史年表をレビュー。
1549年(天文18)
肥前龍造寺が筑後侵略する。
肥後菊池が筑後侵略する。
荒木田守武が77歳で死去。死因は?死亡地は?
ザビエルが鹿児島に来てキリスト教を伝える。
1550年(天文19)
大友義鑑死亡。(二階崩れの変)
大友を謀反した筑後の溝口、西牟田、三井氏が大友側の田尻氏の鷹尾城を攻める。
大友義鎮は蒲池氏・田尻氏に溝口要害を攻め落とさせる。
1551年(天文20)
龍造寺隆信、肥前を逃れ蒲池氏をたより一ツ木村に隠れる。
山口の大内義隆、陶晴賢に討たれる。
義鎮は弟の義長を大内家当主として送り込む。

妄想的とんでも仮説:
とりあえず武界再編が一段落したところで、若き獅子たちが筑後で総決起集会をした。
アドバイサーとして第一線を隠居した老獪も招待。
時代を動かす新しい価値観を模索。
「キリスト教、というのはどうじゃろうか。薩摩から、すごい人心吸引力の宗教だという噂が聞こえてきている」
「いいかもしれん。義鎮殿に提言しよう」
「さっそく、ザビエルとやらを豊前へ招くアレンジをしましょう」
「でも、女癖の悪い義鎮殿が、はたして信心してくれるものでしょうか」
「あの方は超ドライだから、人心操縦の手段と割り切って信者を演じきることくらい、平気の平左でしょう」
「では、この地をキリスト教で治めるということで、ちゃんちゃん」
「ちょっと待て。表面的には西洋宗教の神への帰依を装っても、九州人としての誇りを忘れてはならないぞ」
「そのくらいわかってますよ。西洋の神の世なんて信じませんよ」
「そうだ、そうだ、日本国は君が代だ」
「では、心が揺らがないよう、皆、その思いを歌に込めて記録に留め置くことにしようではないか」

ははは・・・

ははは・・。読み物としてはおもしれえ。

とんでも仮説の信憑性

ザビエルが大分で義鎮と会ったのは1551年(天文20年)。
常識的に、こんなことは偶然の出会いではあり得ず、周到なアレンジあってこそ。禅宗の信者で、それまでキリスト教というものをまったく知らない義鎮が、自主的にあやしげな宣教師を招待するなんてありえない。またザビエルも、たまたま上陸地が鹿児島だったとして、布教ルートとして次の訪問先を大分にした理由もよくわからない。
こういうことをアレンジするのは誰か。当然、取り巻きの家臣グループ、すなわち鑑述たちにほかならない。八女百首メンバーには、大友家の外交事務を管掌した鑑続の弟、鎮續もいる。
1551年頃、キリスト教は大きな政治的意味を持っていた。義鎮は、領内での布教活動を保護し、南蛮貿易を行った。日本で初めて大砲を使ったのは義鎮。大砲には火薬の原料の硝石が要る。“自分はキリスト教を保護する者であり毛利氏はキリスト教を弾圧する者である。これを打ち破る為に大友氏には良質の硝石を、毛利氏には硝石を輸入させないように”との手紙を出し、義鎮は宣教師に硝石の輸入を要請した。義鎮はキリスト教に傾倒するあまりに寺社を破壊したといわれているが、破壊された寺社は選択的・限定的であり、大友に非協力的な寺社を潰し、寺社領を取り上げて家臣に与えるという政治的理由の方が大きかったとされている。
義鎮が大友領内でのキリスト教信仰を許可したため、家臣団の宗教対立が起き、1553年(天文20年)に一萬田鑑相、1556年(弘治2年)に小原鑑元が謀反を起こした(姓氏対立事件)。
まさに、八女百首の頃は、大友の家臣グループにとって、キリスト教は最もホットな話題であったに相違ない。

ほへえ。おつしろうってすごいね!
ウラをきっちりとっとっとはね。
政治そのものですね、座はまさに。


鹿児島の磯庭園に資料館があります。そこにいろいろ書いてありましたが、素通りしてきました。よく読んでおけばよかったね。

うん。今年の九州俳句大会は鹿児島だから、行こうと思う。ぼんもいけたらいこう。それと、大分の府内というとこに資料館があるんじゃないかなあ。よく知りませんが。たぶんそこをがさいれするべき!べき!

あーあ。今日はくるめのだいあんじって禅宗のお寺で、ぼうさまのそうぎがあってるんだよ。もうおわったかな。なにしろ40人のおぼうさまがみえて、座敷をぐるぐる回るんだって。(ボスがそういってた)なんのことかさっぱりわからないけど、様式として、見てみたかったよね!しじゅうにんのぼんさまぐるぐるの図。ちびくろさんぼならバターができるけど、・・

行ってもいいけど日時、はっきりさせてね。3連休まではとれそうだから。たいちゃんと3人だったらきっと修学旅行だね。

は。さんれんきゅう?去年宮崎は日帰りだった。でも確かに大会は前の日からある。前日からいって、連句まきたい。半歌仙でいいから。せっかく鹿児島まで行くなら日帰りはなかろう。九州俳句同人じゃなくても、いれてくれるのがいいところよね。
それと、夏のナガサキ忌平和祈念俳句大会へ何か出しませう。これは乙四郎も誘いたい。整子さんも。ばどさんも、あと出したい人はみんな。みんなで二つずつ二句で千円だったと思います投句料。参加することに意義がある。

ふと思った。
クルスってのはポルトガル語みたいです。
大昔もどっかから流れ着いたポルトガル系クリスチャンが戦国時代みたいに野にクルスを建て、それをクルス野と呼んだ。ってことはないんだろうかねえ。

ナガサキ
おととい、ナガサキの記者がわざわざ大学まで学長を訪ねてインタビュー。好き放題、自由に答えたので、地元紙で大きく記事になるかも。平和祈念大会には門前払いされたりして。

乙さん、地元というのは長崎の事ですか?何新聞?市内に妹が住んでいるので手に入るかも。いや、いまどきはインターネットで読めるのですかね。

へえ。なんだかさ。おつしろうってハラハラする。かささぎは。笑
これはなんでありましょうや。
「老婆心」。うっへえ・・

乙も学長にはハラハラする。私的コメントを公開しすぎ。
朝日新聞。紙面登場はまだずっと先らしい。

来栖神社の由来に関する詳しい解説がありました。
ものの由来を調べる時に神社が手掛かりになることを悟ったので。
苦すい時の神頼み。
   ↓

来栖神社 読みました
東北 茨城に 油売る土蜘蛛アマゾネスが何で登場するんですか
瀬高のゾ山のあるじだったでしょう

来栖さん
上記のリンク先の記述にこういうのがあった。
「一般に日本人の姓は名詞と名詞の組合せか、形容詞と名詞の組合せで成り立っているが、来栖さんは動詞と名詞の組合せで珍しい語感になっておられる」
地名もそうだろうか。
わが納楚は動詞と名詞の組合せ。
気になるもう一つの地名、筑波。山崎宗鑑が編纂した『犬筑波集』。なぜ「筑波」なのか。
つくば市のホームページ(http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/53/370/570/000575.html)に由来があった。
「筑波山の『つくば』という名の由来については,いろいろなお話があります。
奈良時代に書かれた常陸国風土記(ひたちのくにふどき)によると,筑波は,昔,紀の国と呼ばれていました。崇神天皇(すじんてんのう)時代,ツクハコの命(みこと)という大和朝廷から派遣されてきた筑波地方の初代の長官が,「自分の名をこの国につけて後世に伝えよ」と言ったことから,紀の国が『ツクハコの国』となり,後につくばとなったのだということです。
また,江戸時代の筑波山のお坊さんが書いた本には『神武天皇(じんむてんのう)の時代に,東の海が逆流して国中が海になった。だが筑波の山が高かったので波はさえぎられ,それで筑波から西の方は水びたしにならずにすんだ,だから,築波(つくば)山と名付けた』のだとあります。
さらに,『筑(ちく)』という言葉は,琴に似た楽器を意味します。
「むかし,天照大神(あまてらすおおみかみ)が父イザナギ母イザナミの二神を慰めようとして筑をおひきになった,すると鹿島の海がさかまいて,波が山頂に着いた,だから『着波(つくば)』と名付けた」とか, 「筑をかなでて波を動かした,つまり,筑の音で波が動いたので『筑波』と名付けたのだ」という説もあります。」
筑の動詞的用法の「築く」「着く」説より、ツクハコ説や筑(ちく)の音説のほうに個人的軍配。

「かすみのころもすそはぬれけり」への守武の付句「さほ姫の春たちながら尿をして」(佐保姫は春の野山の造化をつかさどる女神)。<犬筑波集>

土蜘蛛についての読みごたえあるページ。これから読みます。
   ↓

なるほどのう。連歌の道は筑波の道っていいますしね。(新撰筑波集、葬儀、ありゃ字がちがふどっちも)
その佐保姫句、「尿」はなんとよむ。
しと。まり。ばり。にょう。まさかねこれはなかろう。
芭蕉の馬の尿する枕元はうまのばりするまくらもと。
だったとおもう。
納楚は、楚の国へ貢物をしていた。いわいの時代の地名。かささぎはそう思う。
こっちが楚の国から何かを仕入れて蔵に納めていたんじゃなく、その逆っだったんだ。たとえばしらぬひ。
どんどらは舟の発着の合図があった所。どらえもんみたいな名前ですが、鈍銅鑼。さいこうですね。

連歌張行のシチュエーションを入れてますが、鶴崎裕雄「連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち」という論文もまたとても面白い。これも入れたい。んじゃ、さっさかさっさか終わらせよう。

土蜘蛛のページ、降参。ついていけない。
土蜘蛛=土着農民ということくらいしかわからず。

さほ姫の春たちながら尿をして

尿・・ゆばりとも読むけど、ここは二音。しと、でいきたいですね、個人的には。

土蜘蛛のページアクセス不可じゃった。

しと。賛成。さほひめ。しと。なーるほど。

学長が、明日の朝刊(長崎版)にどでかく写真入りで掲載されるのだそうです。「今後の議論を大きくリードする」話をしたらしい。インターネットでも昼過ぎには配信されるとか。何と他の新聞社からも取材申し込みが・・・
  

うっへえ・・降参降参。
まあせいぜいきばりやっしゃ。
ともかくう、学長にはあ、めだってもらわないとお。
だーれもにゅうがくしてこなんだら、おれたちにあすはない!

学長へは、また別の話題(大学そのものの話題)で各社から取材。ネガティブに忙しくなりそう。身から出た錆。

ナガサキの報道。まあまあ。
   ↓

夢の中でがんになった。
めがさめた。
で、さっそく仕事をしましょう。
上の記事をごしょうかいしますね。
これも、新聞だからきえてなくなるのか。

発言の意味がわかりました。ぴーす。

発言の意味
   ↓

ええ。わたしも昨日の夕方のニュースでなるほど、と。
先にテレビを見ていた娘が、
「あ!これ、おかあさんのともだちの大学じゃない?」と教えてくれた。
すみません。八女では「ただのおないどし」でも、ともだち呼ばわりなものですから。

しぇーこさん。
返事、ながくなったので、記事にしました。

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