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2009年1月12日 (月)

高良大社のなぞー音火子の答え1

『高良山物語』で、わからないのは、高良山にまつってあるという荒木田襲津彦(あらきだ・そつひこ)。この襲は熊襲を連想させるし、祖とも読める。伊勢神宮の代々の内宮神官が荒木田姓なのはなぜかとあわせて、どういう関連で高良山に祀られ、どういう素性の人だったのかを知りたい。
五百年のあいだに失われたものの大きさよ。
高木神社も高良山にありますね。麓近くです。
               (かささぎの旗管理人)

山下様

具体的に何を知りたいのでしょうか。
稲員家と高良大社については様々な資料があるのですが、
まず、活字になっている「稲員家記(家勤記得集)」をお勧めいたします。
矢野一貞著『筑後将士軍談』のなかに「稲員家」の項目があります。
「太宰管内誌」の筑後国上妻郡の部分にも「稲員家」の記があります。
これらが、とりあたり手に入る資料でしょう。
稲員家は高良大社の大祝家の流れであり、神裔といわれている家です。
もともとは御井郡稲数村に住み、のち正応3年(1290)に広川の古賀に移った家です。江戸時代は大庄屋を勤めた家です。(古賀音火子)

古賀しゃん。別にわたしが知りたいわけじゃなかですたい。
歴史なんて赤点寸前の点数しか取ってなかったわたくしですばい。
自慢じゃないが、歴史になんて、興味はごぜえませんっ、きっぱり!
連句仲間の強固さんから上記の青色部分について、お尋ねがありましただけのこと。あーたの知識が借りてえ。
よろしくおねがいいたしやす!(山下整子)

高良山にはたくさんの神がいます。
本来は高良玉垂命だけであったのに住吉大神、八幡大神が両脇にならんで祭られているのです。そのように神様は紙切れで祭られいくものなので、どんな神様も祭られます。各家に伊勢の神様が紙切れ(お札)でくるようなものです。だから、伊勢信仰が入ってくれば、その神宮関係の荒木田関係の神が祭られても不思議ではありません。だけど、この神を熊襲とかに結びつけることは出来ません。

神さまははやり廃りがあるものなので、どんな神様も祭られたり、捨てられたりするものなのです。高良大社にかつて祭られたことがあったのでしょうが、廃れてしまったのです。
水田天満宮の恋木神社が大ブレイクしていますが、この神さまは恋とはまったく関係ない神です。このように神が大変身したり、大凋落したりするのは神様ぞ知ることなのです。荒木田襲津彦も忘れられた神様でしょう。
「高良山物語」がいま手元にないので、こんなことを空想したのです。
                    (古賀音火子)

           

かささぎが昨日、山下整子から預かった書類(送信記録)の丸写し(並べ替えあり)です。
最近またメール機能がへんでして、それまで日に三十近くきていた迷惑メールが五通ほどに減ったのは有難いが、ふつうのメールまで届かなくなった。なんてこったい。
こまったこまったこまどり姉妹。

古賀音火子の文章のでかた。
みょうにそこはかとなくけったいでおかしい。

「そのように神様は紙切れで祭られいくものなので」
はあ~。たしかにそうだけど。

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コメント

あらら。赤面もんじゃね、これって。

ところで。大善寺の玉垂宮は高良大明神がここで没したため、祭碑したといわれるとありましたが、わたしが聞いた一説に、高良山にたどりつく前にここで一休みなさったのだというものがありました。だから、高良大社より古い建造物であると。
俗説かも知れませんが、興味深いと思いませんか。

せぃこさん
具体的に何を知りたいと思ってたのか 分からなくなりましたが
返信を読みまして
やはりかと思いました
分からない方がいいですね
何に手を合わせてるか

あらきだ・そつひこの氏素性については、県文化財保護委員のsさんも、いまは、資料の持ち合わせがなく即答ができないとのことでしたが、調べてくださるそうです。
わたしは古賀区との関連を調べました。広川町民としてただたんに知りたいと思うただけですが。

10日、利華さんと会ってきました。
新橋駅ビルの中の喫茶店にて、タンゴお宅のような人たちががいっぱい集まって解説付きでCDを聞くという催しに解説者として利華さんがおいでになりました。
なんとタンゴを40曲近く4時間に渡り鑑賞するという
快挙を成し遂げてきました。
ノーメークで気取らないディスクジョッキーの利華さんと親しげに話してきました。
良かったですよ。

襲津彦
「襲津彦」で検索すると葛城襲津彦が頻発する。『古事記』では、すべて「葛城之曾都毘古」。『日本書紀』では5か所が「襲津彦」で「葛城襲津彦」と明記してあるのは、「神功皇后紀」五年と「応神天皇紀」十四年の二か所だけ(ともに大和王朝が葛城襲津彦を派遣したと記されてある記事のところのみ)。葛城襲津彦という固有名詞の人物ではなく、大和の葛城の出身で熊襲征伐に関係した男、という意味では。
「襲津彦とは、襲の男の意味ではなかろうか。襲とは、熊襲の襲の意味に考えられるから、文字通り解すれば、葛城のソツ彦は、熊襲(襲)の出身者で葛城に土着したものか、大和の葛城の出身で熊襲の征定にも武勲を輝かしたものかであろう」。(井上光貞『日本国家の起源』)
津は「~の」を意味する接続詞。その説に従えば、八女津媛は「八女の女性」、荒木田襲津彦は「荒木田の襲の男性」ということになる。
日向襲津彦、という人物もあった。景行天皇の数ある息子の一人。
景行天皇は、「熊襲」が背いて朝廷に貢ぎ物を差し出さないというので、みずから筑紫に入って熊襲征伐を指揮したお方。その際、「日向」に「高屋宮」という名の行宮(かりのみや)を建てて6年間とどまっている。
「悉に襲国を平けつ。因りて高屋宮に居しますこと、すでに六年なり。是に、其の国に佳人有り。御刀媛(みはかしひめ)と曰ふ。則ち召して妃としたまふ。豊国別皇子を生めり。是、日向国造の始祖なり。」(「書紀」の景行天皇13年の条)
行宮の所在地は宮崎県だろうといわれているが、そう仮定すると天皇の行程に矛盾も出てくるらしく、日本書紀には竺紫の日向、という記述もあるので、ひょっとしたら筑紫のどこかかも、みたいなことが書いてあるサイトもあった。
高屋宮? どっかで聞いた響き。
こうやの宮?

さくらさん
昨夜探し物をする拍子にりかさんの賀状がちょうど出てきて、しみじみこのひとはきれいなひとだなあと見入っていたところです。机の上はごちゃごちゃのきわみ、だれもさわれない。埋もれている書けない賀状の山。後目鯛。かかなかったのは初めてだ。
ご挨拶をふつうはするでしょう。30年のおれいを。ところが、できないわけです。どうしてもできない。本名のが書けないぶん、趣味の名前でかけば。とおもうのに、それもできなかった。
利華さん、ふしぎな魅力のある生き生きとした女性。ことし山口でコンサートがあるって書かれていました。
渡辺はま子の生涯。を読まれていたのですね。

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