皈(け)の発見
「け」は、これかもしれない。
こんなところに、いた。
皈。
源の歌。
春もみる氷室のわたりけを寒み
こや栗栖野の雪のむら消え(源経信)
まず、「けを寒み」皈を寒み。で、帰りたがる魂魄は寒さの中「こや・くるすのの」「来や・来るす野の」で、雪となって帰ってくる。ひむろは霊室。
ちなみに。
去年貞永まこと追善歌仙にきてくれた山口のお寺の息、木戸葉三の本名は氷室である。彼は逆子であったときいた。かささぎも逆子、逆子クラブを結成するも、その後逆子だという人にあったためしがない。
かささぎは、今朝、基山のだいこうぜんじが妙にきになり、ウィキペディアの中国のをくっつけようとして失敗したことを思い出した。それであれこれやってたら、大石政則日記17にゆきあいました。そのコメントを読んでいたら「け」にあいました。以下、引用。
はや!
すばらしい。
漢字字典では「かえる、かえす、き、け」と出てました。き、け、は音読みでしょう。婦人は掃除する人のことと思ってた。
関係ないのですが、最初にあげてくれた資料の中にあった一茶の俗っぽい時鳥句を読んで、やっと「なるほど!」と溜飲が下がったことがあります。其角の時鳥の句に付随する艶っぽいかんじが隔靴掻痒で、たぶんそうじゃないかと思ったんだけど、権威ある岩波本にはなにも解説がないんで確かめようがなかった。乙四郎、ありがとう。
乙四郎さんのお友達のお父上である渋谷幽哉氏について
熊本のお寺のご住職であり、永年教育長を務められた。
大石家とは戦後ずーっと親交があり、政則少尉の母親の葬儀では弔辞を読んでいただいた。
「政則日記」のあとがきに登場する協力いただいた方々の中(231ページ)の渋谷月子さんは、渋谷幽哉氏の奥様である。
確かに熊本県芦北町とある。
184ページから始まる母親の手記
「想いで草」の中に登場する「マサノリイル、クシラヘイケ」と謎の電報を打って下さった方(197ページ)は、渋谷幽哉氏が自分の親に電報を打つよう頼んだための出来事であった。
私は今朝、出撃直前までの一部始終を一番知っていたのは渋谷幽哉氏であったことを知りました。
幽哉氏は数年前に亡くなられ、現在奥様は
お元気とのこと。(テンダさんのお母さんですね)
ものすごく穏やかで優しい方でした・・・
との乙四郎さんの印象はあたっていると思います。
生死の境を潜り抜けてきた戦中時代の方に共通するものだと思います。
乙四郎さん、ひめのさん、美恵子(さくらの本名)
これ、どうしましょう。
ネットにも 魂魄皈る 彼岸かな (乙)


リサーチ:皈
http://takasi-azuma.de-blog.jp/blog/2008/01/post_c07a.html
(一茶の歩んだ道)
http://www16.ocn.ne.jp/~yenmado/omukae.html
(お精霊迎え)
http://www.miyoshi-mlit.go.jp/shasei/michi/hane.htm
(「君がため 名を高松に とめおきて 心は皈る 古郷の方」)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~n-fuji/k116.htm
(除隊記念徳利)
次に面白いことが書いてありました。とつぐ、とも読むらしい。
婦のつくり 帰ると同じ ふしぎかな (乙)
http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame27.html「
嫁・婦(とつぐ)」(室町時代の古辞書『運歩色葉集』)
婦人(フジン)謂テ嫁ヲ曰(イフ) ∨皈(トツグ)ト。言(イフココロ)ハ女人適(ユク)コト∥夫(ヲトコ)ノ家ニ|如∨皈(カヘル)カ∥己カ家ニ|。故ニ云フ∨歸ト也。
「婦人を謂ひて嫁を皈(とつぐ)といふ。言ふ心は、女人夫(をとこ)ノ家に適(ゆく)こと、己が家に皈(かへる)がごとし。故に歸と云ふ」