無料ブログはココログ

« おつしろうのピンチ | トップページ | 連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄 »

2009年1月30日 (金)

団塊の世代と  久留米の記憶

光華楼のボーリングじょうは、私もいったことがあります。上の姉が高校生で、男子から誘われたけど、あんまり行きたくない。あんたもついておいで・・という感じでつき合わされました。小学校の頃です。広又材木店も、覚えています。一番街が寂れていくのとは裏腹に、広又は発展し、ホテルや高級焼肉店などできております。このホテルは「じゃらんを見た。」といって予約すると割引が効くという事です。青森からのお客さまはここをいつも利用してます。長崎の妹たちも。西鉄から近いし、さんきゅっぱでとまれるということです。いえ、ホテルの回し者ではありません。

 「久留米にロイリーがあった頃」の続きです。またまたぼんさん、小頭町3丁目に「べら安」という食堂があるのは知らないでしょうか。ぼんさんが子どもの頃は別のところにあったかも知れないけど、ここの先代か先々代は西鉄ライオンズの私設応援団長で、それで経営が傾いて今の所に移ったという噂も聞きました。私は24~25歳の頃、ここの子どもの家庭教師をやってたことがあります~その子たちももう40代なんだろうな、今度久留米に帰ったら行ってみようかな。
 「すいこうえん」は「翠香苑」で、ホテル・宴会場・結婚式場など?うちの弟も、そして藤井フミヤもここで結婚式&披露宴をやってます。その頃テレビでフミヤが言ってたのと弟の場合と同じ感想~披露宴のビデオがまるで翠香苑のコマーシャル・ビデオみたいだった!
 光華楼は私の中華料理屋の原点?考えてみれば経営者翁さんも、中華料理、映画館(ロイリー・文化会堂など)、ボーリング場と多角経営してたんですね。そしてお嬢さん(と言ってももう50代後半)は久留米の「フォークソング界」で活躍していました。1970年前後の久留米フォークソング事情についてはまたいずれ。広又の今昔についても言いたいこといろいろあるけど、また今度。

はいな。

おや、夕べここに書いた記憶があるのに残ってない。送信せずに消してしまったようだ。
自分ひとりの記憶ではあやふやが多くなってきている。兄(s 20年生)姉(S23年、25年生)たちに聞いて詳しい事をリポートしてきます。

うわ。ぼん。そんなにぎょうさん兄姉がいたの。そりゃ、すごい。

く、く、く、妹と弟も一人ずついる。6人きょうだい。
私には、兄、姉、妹、弟全てそろっている。だから円いのかもしれない。

 うちの姉もS25年生まれなんで、ひょっとしたら諏訪中で同級生だったかも~でもそん頃は1学年14クラスだったらしいからその確率は…計算しきらん。私にはあとS30年生まれの弟がいます。

ろいりーさん。一学年14クラス。団塊の世代は何年生まれまでを指すのでしょうか。
私たちの小中は、3クラスでした。
一クラス、33~35人くらい。中学では五クラスだったかな。記憶あいまい。

でも、ぼん。うちの母は十人近いきょうだいの真ん中あたりですが、丸くありません。
きょうだいの真ん中というのは、やさしいか、根性がうんとわるいかの両極端みたいです。

「団塊世代」とは確か堺屋太一が名付けた言葉で、ウィキペディアによると狭義では1947年から49年までの3年間に、最も広い定義としては、45年から53年までに生まれた人々だそうです。私の感覚ではうちの姉(1950年生)までが下限かな?諏訪中のもう一つ上は15クラス、私の時は12クラスでした。それが中学としては当たり前だのクラッカーと思っていた。兄弟の真ん中はやさしいか根性が悪いかの両極端、当事者の私に言わせれば、その両方を併せ持っているのでは。

ろいりさん。
そうですね、その通りです。パチパチパチ。
苦労をすると、それだけ心のキャパシティが大きくなる。
どうも書かれていることから推察しますと、ろいりさんは二歳年上でいらして、ということは広義の団塊世代に入る。では又お聞きしますよ。
その一学年14クラスや12クラスが、一気にがたっと半分くらいに減ったとき、あまった教室はどうなったでしょうね?あまった先生たちはどうなさったでしょうね?きになります。

23年生まれの姉の時は、16クラスだったように思います。29年生まれの私たちは11クラスでした。
100番以内にはいっておれば頭のいい子でした。1クラス45人ぐらいかな。広川に転校して、成績が50番ぐらい上がったけど、広川は7クラス。昔は成績、廊下に張り出してあったんだよね。出来がいいときはなんとも思わなかったけど、下がったときは嫌だったね。
プチ自慢。転校していった時、クラスの男の子の半分から年賀状が来た。一生の中で、一番持てたひとときでした。

« おつしろうのピンチ | トップページ | 連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 団塊の世代と  久留米の記憶:

« おつしろうのピンチ | トップページ | 連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄 »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31