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2009年1月 9日 (金)

「け」の発見2   葬と冢と塋   

春もみる氷室のわたりけを寒み
こや栗栖野の雪のむら消え(源経信)

ぼんが正月に調べてくれた高三潴の塚は、高良大社にまつられている玉垂命の墓らしい。
説明文中にこんな字がでてくる。つぎの「ちょうえい」の「えい」の文字。ちょっと失礼します、引用、国語辞典。

  1. ちょう‐えい【冢塋】別ウィンドウで表示
    つか。はか。墓所。
  2. ちょう‐さい【冢宰】別ウィンドウで表示
    中国、周の六卿(りくけい)の一。天官の長で、天子を補佐して百官を統率した。宰相。
  3. ちょう‐ちゅう【冢中】別ウィンドウで表示
    塚の中。墓の中。
  4. ちょうちゅう‐の‐ここつ【冢中の枯骨】別ウィンドウで表示
    《「蜀志」先主伝から》死んだ人。また、無能の人をあざけっていう語。
  5. つか【塚/冢】別ウィンドウで表示
    土の小高く盛り上がっている所。また、目印などのために土を高く盛り上げたもの。「一里―」「貝―」 土を小高く盛って築いた墓。また、一般に墓。「無縁―」

「ちょうえい」の「ちょう」の字は、最近引用した[卑弥呼の冢]http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/himikotyou/himiko3horon.htmでもつかわれていました。

ところで、冒頭の一首ですが、きのう突然ひらめいたかささぎ読みを書いてしまいましたが、今一度ゆっくり考えてみたいと思います。

京都に都があったころ、葬祭は「子(ね)」のかたでしました。
源氏物語の夕顔は鳥辺山に連れてゆかれ火葬されたのでしょうか。
場所は詳しくは書かれていないようです。

http://www.hal-kyoto.com/ki/kyosikai/q_and_a/toribeyama/
(十七日の月が出ている中、鴨川の河原をお通りになりましたが、松明の灯りもほのかに、火葬場の鳥辺野の方を見ても、とくに不気味ともお思いになりません。)←上記サイトより部分引用。

ということは、源氏物語のころはもう火葬が入ってきている。
上層階級だけだったでしょうが。

源経信のうたは、葬に関する氷を調達することにかかわる歌であろうと思うのです。むかし、偉い人たちの葬儀は今よりもっと長い間、死体を保存した上で火葬なり土葬なりやっていたと乙四郎が紹介してくれたサイトには書かれていました。

私の生まれ里の奥八女笠原の山中でも、土葬でした。

母から聞かされた葬のなかで、印象に残るのが、お墓まで埋めるのに附いていった者たちは、みな、そこで履物を捨て、はだしで帰ってきた。
という点と、お棺のなかには、びわの葉と鳥の竿をいれた。という点です。

あるとき、なにかの民俗学の本をよんでいたら、これを鳥竿とよぶことをしりました。また、装飾古墳の本でもたくさん鳥が描かれていることをしりました。

▼鳥竿のことばにネット上で初めてであった。これは、詳しい。↓

http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/essay/fav/gyokusou.html

装飾古墳の本紹介:「装飾古墳のふしぎ」葦書房
    塩見桂二著・写真 榊 晃弘

山の中だけでなく、ここ八女市内でも戦前までは土葬だったようです。
うちのはたけに「はかどこ」とよぶちいさな一角がありますが、そこは昔墓所だったところです。
掘り返すのを見ていたという祖母がこう言っていました。

「壺ん中はきれいか水と真っ黒か髪の毛だけじゃったばい」

はい。最後にここで、又でました。

け!

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コメント

今に継ぐ土葬の慣ひ黒島の墓地十字架をそれぞれ掲ぐ  臼井道子
やまなみの今月号に掲載されていた一首。

福島高校の北側に実家のぶどう園のある山畑がありました。いまは病院の敷地になっています。この直ぐ下に墓所があったそうです。わたしもばあちゃんから、納骨堂ができて、この墓を掘り起こしたときのことを聞いたことがあります。け、のはなしが子供心にこわかったことを思い出しました。

やっぱ、クリは来れないって。横浜の娘さんのところに行くらしい。でも行きたいって書いてあったから、3月の会には絶対来てもらおうね。

ぼん
ありがとう。
やまちゃんもくりもぶんも時間があうときでいいから来てくださいましね。栗を思い出すとき、独特のしゃべりかたが栗原小巻そっくり。美貌もそうですが。凛々しい。同族ってすぐわかります。

空港からの帰り道、ほんの出来心で堺屋へ。
心構えがなかったので、華やかさのない花を出してしまった。
五百年も伊勢宮も内輪ネタが過ぎる。内輪ネタはひとつで充分。反省。
歌の形で花の情景が五百年残っていることを表現したかったわけですが、少し推敲して、こんなのではいかがでしょうか。

五百年 花の香残す 言の葉に
古の 花の香残る 伊勢の宮

今日はホントにお疲れ様でした。
乙さんもオツカレのところに顔をだしてくださってよかった。女性ばかりだと、女性ばかりの句しか出ない。
当たり前のことですが。笑

祝!胡蝶満尾。

せいこさん乙四郎、ありがとうございました。おつかれさまでした。
今朝も四時起き。
乙四郎の花ですが。
みわたすとナカの月が神祇(阿蘇の山を神とした句です)の句でした。ですから、ここでまたじんぎをだすと、あまりにも宗教関連が出すぎです。
そもそも、よく考えてみると、正月の句はそのほとんどが神祇だと思うものです。民俗として新年を祝うこと自体に、あらたな年のたまを祀るという想いがあるからです。
で、その発句と脇に、ナカで青比丘、畜生、罪状(これはぎりぎりゆるせるか)以上釈教、と、「神」が出ていました。
そこで、伊勢の宮は出せないんで
五百年 花の香残す 言の葉に
これをいただきます。ありがとう。
句としての格好は「古の」のほうがかっこいいけど、。ずっと体言留めが続いてるからいいや。

おはようございます。そしてお疲れ様でした。
飛び入り参加のお二人(かなり強引に誘いました。)の句、すてきでした。五七五なんて、普段の生活にはなじみがないのに、出してくださった。小一時間のお付き合いでしたが、出会いに感謝。いつかこのブログにたどり着かれん事を。

質問!

花の座の花って、さくらをイメージするんでしたよね。
「花の香」と出してしまいましたが、花の香は桜というより梅のイメージが強いような気がしてきました。
よかと?

花の香
いわれてみると あまりなさげ
夢にとふ昔の人の袖の香や
これ八女戦国百首だったでしょうか
橘の香り梅の香りは定番商品だけど
花は香らずにほふものだろうと思います

ぼん
四句目の上半分は?
荒らそと言う漢字は荒おだまき あ 変換不能なり おだまきの一字と粗いでしたがそれは麻の一種で作る人がなんと一人に減ったと言う
安くて引き合わないからって
あらそで縛る手くびりの技
は 饒舌かな
何かあっさりと有りますか

そうなのですよ。もう、たった一軒だけなのです。おじいさんとおばあさんと独身のむすこさんと3人でつくっておられます。その、あらそうをつくっておられる方と一度だけお会いしたことがあるのです。煮てさらして、かわかして、すいて。いくつもの工程をふんで。いまは機械でくくるので、荒そうにかわるものができているのですが、重要無形文化財は「手くくり」が条件なので、荒そうなしではありえないのだそうです。けっしてゆたかではないくらしぶりが伺えたお家でした。回想を赦せ。

ふうん。
せいこはんは、じっさいにそういう貴重なひとびとを知っているのだ。
検索していて「ただ一軒」ってあったの、そこだったんだね。
回想をゆるすゆるす。なんどでもかいておくれ。

あちゃ、さきに堺屋のところに書いてから、これを読みました。今日またショックな事があったけん、もうできんばい。よろしゅうに。ごめんやす。

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