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2009年1月21日 (水)

郷土の偉人まごえもん

広川町の稲員孫右衛門安則

   山下整子(八女郡広川町在住歌人俳人連句人)

「稲員孫右衛門安則」といえば、広川町でも有名な歴史上の人物。
小学校4年生くらいで、必ず自分の町のおいたちなどを自分たちで調べる授業があるでしょう。そのとき、必ずといっていいほど、子供たちが出会うのがこのひと。
孫右衛門さん。
広川中学校体育館まえには、彼の多大な功績をたたえて、でかい石碑が建立されています。この偉大な人も「孫」がつく名前だ。

広川町史、ミニ人物誌から。

「稲員孫右衛門安則」(1633~1707)

寛永10年6月12日古賀村に出生、幼名は清七郎。
18歳で父安治の名代として所用をつとめます。
19歳で古賀組大庄屋職を拝命し、名を孫右衛門と改めます。
在職40年間に及び、隠居して斎右衛門と改名。
水利土工に長じ、在世中の事績は、溜池構築67箇所をはじめ、道路、橋梁、堤防、井堰、村移転と多岐にわたります。このゆえんを以って後世の人は、水利土工の大恩人と呼びます。
大庄屋職にありながら
高良山神職家の頭領としても大祭礼の再興など多くの功績を残しています。
宝永4年4月12日病没、行年75。

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コメント

数日、こちらへおいでの方が増えています。
あすでしたか、ありますね。催しが。
テレビでもニュースをやっていました。
孫右衛門さんの業績をたたえる。
広川に点在する溜池の多くは、この人が拓いたものだそうです。

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