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2009年1月 6日 (火)

俳諧之馬霊鶴処   対話篇6

八女戦国百首和歌『夏日侍』をよむ

     竹橋乙四郎

俳諧のうまれいづる処

▼ 七夕伝説

Wikipediaによると、カササギは秀吉の朝鮮出兵の際に、佐賀藩主鍋島直茂や柳川藩主立花宗茂などが持ち帰ったものが繁殖したものだとあった。これを信じれば、守武の没後まもなくのこと。かささぎどん、あんたは守武の生まれ変わりじゃ。
いずれにせよ、守武はカササギを見ていない。
しかし、ずっとずっと前に大伴家持が詠んでいる。
古代の教養人はカカサギの存在は知っていた。

鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける(『新古今和歌集』)

これは「七夕伝説」に由来する。
織姫と夏彦は結婚後、夫婦生活ルンルンのあまり、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離した。しかし、年に一度だけ、7月7日にはカササギがやってきて橋を架けてくれるので会うことができた、という伝説。
ちなみに、七夕の牛は夏彦さん、牽牛星(彦星)のこと。

カササギは守武が筑後に来ていることの傍証とはならなかった。
でも、守武千句は、旅先(伊勢神宮の外)でそのほとんどが書き溜められたものであるとの直感がある。
そこに居るというだけで、心が自由にならない場所というものがある。
官仕えの経験者は語る。

「竹橋乙四郎」で検索すると800件ほどヒットするようになり、すでに橋爪章を凌駕しています。ところで今日またまたぶっとぶシンクロにあいました。暮から気になる「き坊の棲みか」。それともリンクするんですが。
もしや四柱推命、すなわち易、陰陽五行での縁起によって「癸卯」にされたのではないだろうか?とはたと思いつき、「癸卯とは」で検索、するとやはり。
みずのと・うは音読みだと「きぼう」、極楽卯の癸卯といわれるようです。(これみわあきひろのとこでひろった。かのと・うはさんばんめくらいの位らしい。ってふうに、卯にも順番があるんですって)
それに関して、名前はりつけたのをよんでくだされ。関係なさげで連句的。
では、これからごはんの用意にはいります。
おんなはせかいのどれいか。をかいたおのよーこはすてきだ。
つまぶきさとしくんは柳川。昭代地区だそうです。
お父上はパイロットってきいたけど、本当なの。
ついでに徳永英明も柳川だった。
ミーハーですんまへん。
追伸:

(かささぎ註:やかもちは少年時代に筑紫にきている。お父さんの旅人がお役人で筑紫にいたから。わが詩の師、安西均は筑紫郡筑紫村字筑紫出の詩人ですが、筑紫の古代を偲ぶ『新古今断想』を書いてこの先達へ奉っている。また山本健吉にも『大伴家持』なる一書あり。ちなみにかささぎは八女図書館でこれを借りて読もうとしたが、なぜか何度借りても読めなかったさいしょの頁しか。とほほ。あの本は健吉没後に八女市に遺贈されたものと思えた。健吉自身が書いた鉛筆書きの註があり、筆跡が健吉だった。紺色のハードカバー。ひまならきっちり読んでなにかくれ。)

今日午前中、弓頭神社と塚崎貝塚、高良御廟塚へ行ってまいりました。
碑を読んでまいりました。
今日はもう遅いので、明日書きます。
それと、やはり仲人をしてくださったおいちゃんは、痴呆の症状が出てあるそうで、聞きに行っても無駄ではないかとじいちゃん同士が友達のところの嫁が言うてありました。

守武の周辺の文芸関連事件を整理。
発見した。
守武が一禰宜となる直前の守武千句は、守武の没後100年過ぎるまで刊行されていない。
そして、一禰宜となった直後に『合点之句』を発表している。
数ヶ月の間に2作品。
おそらく、「裏」と「表」の使い分け。
親族の相次ぐ死により、朝廷への疑問がめらめらと燃え上がっていただろう守武。
捏造の日本書紀についても内部告白したい気持ちが抑えきれなくなっていたやも。
しかし、立場は一禰宜。この鬱屈を「裏」にぶつけて封じていたのでは。
昔も今も官仕えはつらいよ。
いわば、飛梅千句は現代のブログみたいなもの。

1473(1) 守武出生
1473(1)   『美濃千句』
1480(8)   『筑紫道の記』宗祇
1487(15)守武十禰宜となる
1488(16)  『太神宮法楽千句』
1495(23)守武『新撰菟玖波集』(連歌集)宗祇撰 に兄(守晨)とともに入集
1502(30)   宗祇没
1508(36)守武『法楽発句集』
1516(44)   兄の死。伊勢神宮の危機。
1525(53)守武『世中百首』
1527(55)   肖柏没
1530(58)守武『独吟百韻』
1532(60)   宗長没
1523~39(67)『犬筑波集』(誹諧連歌抄)山崎宗鑑
1536~40(68)守武『俳諧之連歌独吟千句(飛梅千句)』(俳諧連歌)
1541(69)守武一禰宜となる。内宮長官
1541(69)守武『合点之句』天文九年十二月二十五日(1541年1月21日)
1546(74)守武『法楽千句』
1549(77)守武没
1553       山崎宗鑑没
1652    『俳諧之連歌独吟千句(飛梅千句)』が『守武千句』の名で刊行
1990 ↓

こんばんは。
久留米ニ往復して、まだ起きている。偉い豪い。
ぶん、ありがとう。なにか出そうな予感。
私が思うに、高良さんよりそっちのほうが本家みたいな雰囲気します。
そこはかとなくただよう気配。それとやっぱ折口信夫がきちんと書いていたのがわすれられない。あのひとの生家は飛鳥にいます神社という古社ですものね。「水の女」という題で三潴のことを書いておられた。ふしぎな文章でなんのことかよくわからんのやけど。みずはめのなんとかのなんとか。すんません。興味があったら自分でよんでね。笑
おつしろうの独特の嗅覚。これまたすごい。
わたしは古田武彦先生の本は二冊しか読んでいなくて、これはいかん。と、今、ラジオの記録をネットで聞けますので、聞きながら仕事してます。はりつけました。
あ。ども。ご紹介ありがとうございました。

あらま。ぶんじゃなかった。ぼんちゃんごめんなさい。
参考:http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/000778.html

古田先生

検索するとすぐに古田先生にぶつかるので馴染みとはなりましたが、嗅覚が鈍りそうなので、深入りは避けています。まだ1冊も読んだことがない。

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コメント

連句会。音彦山と3がら3にもメールを打ちました。返事待ちです。音彦山は腹痛がトラウマになってないといいけど。胃潰瘍だったらしい。ストレス?かなあ。
ブンとツネコにもメールおくっときます。

橋**で検索したら、こんなのにヒットしました。36年前の新聞記事。
下のほう。
   ↓

浄土宗新聞なんてあるんですか。
ほほう。
昭和48年3月といえば、高校卒業した年度ですね。
いやはや。
学長は成績優秀だったんだなあ。

全国に、田中実さんが2620人います。田中稔さんも2071人います。タナカミノルさ~ん、と呼びかけたら五千人くらいが振り返ります。鈴木イチローさんは1124人います。青木茂さんは1027人。
自分の名前で検索すると、同姓同名の人と出会う。
19人もいた。
   ↓

浄土宗新聞
もひとつヒット。
http://press.jodo.or.jp/newspaper/1971/197111_57_3.pdf

展太くんの名前も。宗教部仲間。
   ↓

展太さんは、仏教系高校出身ははお父上がご住職と言うことで納得、検索により、電気通信大学に行かれたことを知り、だからあの天下の○EC社サーバ部門の部長さんへとご出世の由。
パソコン暦20年、当初より○EC社製のパソコンの愛用者です。
きめの細かいフォローで日本人のための日本製パソコンと言う風格がありました。

連句会。音彦山はしごとで、相良さんは某所の歌会。BUNはさきに約束(おばさんとこの訪問)があるんだと。ツネコからはまだ返事なし。
客人が少なさそうですが、前田宗匠はご来福なのでしょうか?
だれかおらんかなあ。

宗教部。
うーん。それはたのしい部ですか。笑
展太とかいて、のびた。ですか。
おつしろうとのであいはふしぎだったね。
そしてなによりふしぎだったのは
しぶやゆうさいさんとのであいです。
それからまたつぎつぎとであいが展開していって。
こういうのはなんとよぶげんしょうであろうか。
わたくしという現象は一つのあおい干物です。
・・・宮沢賢治しているばあいじゃありません。
もうねむたいかささぎはもうねます。
はい。さようなら。ごはんもたべたしかたづけたし。
はい。おやすみなさい。
らぶみいてんだーらぶみーとるぅー
ねヴぁれみごーふぁいならあ。

春秋をわけぬはかりかまつかさき
氷室も夏をほかにこそもれ

さあ。いっちょういきまひょか。
かささぎ読みはこれ。

1 春秋をわけるのは雁です。それは松ヶ枝の先に来て又松ヶ枝の果てに消えてゆく。飛翔という名の一本の航跡で二つの季節を鮮やかに区切りますが、夏にはどこかほかの世界に籠っていて不在です。
それとおなじです。氷室も夏のあいだは「ほかの次元に」籠っていてください。

せいこさん。ありがとう。誘ってくださっていたのですね。ほんとうにありがとう。
すくなくても、しかたありません。
えーとね。
ぼん、せいこさん、あて、らんちゃん、それから中川ワタルさんもきてくれるかもしれない。柳川の知人がきてくれるかも・・・しれない。
少なければ少ないで、胡蝶をしっかりとまきましょう。
前田先生は今回編集作業の遅れで、こられないそうです。次回の3月初旬にはおいでくださるようです。ごはん、どうしよう。前回とおんなじにする?

いつもの4人ね。OK.了解。
じゃあ、おにぎりでも持っていくわ。
白菜のおつけもんもって。
ってことで、弁当は頼まなくていいよ。
シュフ・セイコの手料理(というほどのもんじゃねえってね)でいきまひょか。

消居はんも誘いましたがかかさまの具合がよろしくないと言う事で、ブ~です。くりちゃんは来ないかな。もし、このブログ読んでいたらお返事してね。年賀状にしっかり書いておいた。

春秋を分けるもの

雁 ・・・ 春分の日に去ってゆき、秋分にやってくる。
松かさ ・・・ 松ぼっくりは秋の訪れ。
氷室 ・・・ 古来、氷室開きは春分の日の行事。

松寿という人物が不詳。氷室開きは本州には行事として痕跡があるが、どうも九州にはなさそう。遠方から来た特別ゲスト?
くるす野を詠んだ鑑秀の知人と見た。
わが国の氷室のルーツ、氷室神社が鎮座する西賀茂氷室は、古代には栗栖野と呼ばれていたそうです。

春もみる氷室のわたりけを寒みこや栗栖野の雪のむら消え(源経信)

連句。ツネコにもふられました。泣

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