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2009年1月16日 (金)

初からす

▼初からす

(下鴨神社宮司日記より引用させていただきます。)

御生山(みやれやま) はねずの空に 初からす   
 と詠んだのが「初句」です。「初釜」の茶碗を昨年の秋に焼き「端碗」(はつわん)と付けて筥書をしました。この「端」も「初」「はじめ」などと一緒の意味です。
ただし、何にもかもが「初」ではなく、なにかをなしとげ、その上に一段、飛やくしようとする「はじめ」の時を意味しています。
 句の「御生山」は、東山三十六峰の2番目の山のことです。
葵祭の2日前の御蔭祭がおこなわれるところです。「はねず」は、夜明け前、空一面があかね色に染まる直前の一瞬の色合のことです。出現の意味を表わします。「からす」は、下鴨神社の神様の別のお名前です。『古事記』や『日本書紀』に「やたがらす」と記されている神様のことで、生命、誕生の瞬間を云い表わしました。
  
     宮司       新木直人

 

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/guuji/index.html

参照:はねず色(朱華色)http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/color/hanezu.html

詩とは国の記憶であるというメキシコの詩人「億旅をパス」のことばが蘇る。
国のからだにしみこんでいる詩歌のちからをまざまざと感受する。

以前書いた文章から。

詩は、ひとつの国の記憶といってもいい。
       オクタヴィオ・パス(メキシコの詩人)

民族の生命の光というものの起源を詩と呼ぶならば、当然その源は〈国の記憶〉の中にしかないわけです。〈国=くに〉とは、文明以前、あるいは文明以外と言い直してもいい。文明によって覆われて見えなくなってしまっている基層の中にしか宿っていないもの、それが〈国の記憶〉です。 
         
      宗 左近のことば
 
    『宮沢賢治の謎』 (新潮選書)より

かささぎはふっと石橋秀野の初からすの句を思い出します。

昭和19年

いさゝかの水仕のこすや初鴉  秀野

あらいものを仕残してしまった、というのです。
からだが丈夫ではない母親にとって戦時中の子育ては大変な労働だったろう。
毎日が戦いのようなもの。
俳諧は、こういう卑俗ともいえる毎日のスケッチを聖なるものに高める営為であろうとおもいます。けっして和歌の世界では詠まれなかった世界です。

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コメント

あけまして、おめでとうございます!
初詣に下鴨神社の開門を午前0時に待っていた私めでした。
ちょっと、話題が飛びますが、カラスっていうのは、まったくもって
住宅地に被害甚大の大暴れをする鳥ですけど、下鴨神社の
神様かもと思うと、糺の森から飛んでくる烏には、待遇を
良くしてしまう傾向が私の中であります。
憎々しげなカラスの中に神様(ヤタガラス)が混じっている
かもしれないって。。
そんなあほなぁ~~っていうものですけど。

フンダリケのお話、プチ自慢で家族にしました!
なかなか、文字を読むのが苦手でいつも読みかじり
ばかりですみません。でも助かっています!!

んじゃぁ~~また、お邪魔しますね。
お騒がせしましたぁ。

りかさーん。
あさ、大急ぎでブログにおじゃま蟲して、かきこんだまではよかったんですが、なにか間違えたような。
かも神社がおさとなのは、吉田兼好じゃなくて、かものちょうめいだったんだ!はらほろひれはれ・・・どっちにしたって、かささぎにとっては知らんひとじゃもんね。ごめんね。笑

んだよね。
だって、かささぎさん自身から「鴨長明」っていう発言、メールにありましたし、、、
でも、吉田兼好もそうだったんだぁ~~なんて、無知な私は
そのまま鵜呑みにしておりました。
はははは

はははは。

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