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2009年1月21日 (水)

久留米にロイリーがあった頃

○元久留米人・呂伊利から

最初に私が投稿した時書いたように、私が生まれ育った久留米の家の隣に、1970年頃まであった映画館の名前なのです。
これに関することは出てないかと思って検索した結果、唯一ヒットしたのが「ぼん」さんの投稿でした。
これがかささぎさんのブログを知ったきっかけです。
ロイリーという名前の由来そのものは知りません、光華楼のそしてロイリー映画館や、さくらさんも行ったことのあるボーリング場の経営者だった翁さんに訊くとわかるのかな?
あとはまた「地域学」のコーナーでお会いしましょう、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ~オフコース風ではなく、淀川長治風に。(神津兵六)

◎八山呆夢から

ロイリーは10円映画があったところ。
赤銅鈴の輔か月光仮面かわすれたけど、木の格子のはまった牢屋に誰かがいて、助けを求めていた・・・様な記憶があります。かなり不確かですけど。(ぼん。旧姓、本多、久留米出身。)

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コメント

光華楼かぁ、懐かしいなぁ。
櫛原には有名な水光苑と言う料亭がありましたな。

あら。いまでもありますよ。翠香苑。こんなかんじの字じゃなかった。あれはホテルでしたか。

 1週間のご無沙汰でした。仕事が忙しかったり千葉の館山までマラソンしに行ったりしていたもんで。 さてぼんさん、何度か言及したように、私の家はロイリーの隣だったので(隣が床屋だったことまでは覚えていないでしょうね)、普段は洋画をやっていても夏休みには超安値で子ども向けの映画をやっていたのはよく知っています。確か久留米市内の各小学校の前でチラシを配っていたのではないですか?そして朝から行列ができて…私は様子を窺いながら、そろそろ並ぼうかな、なんて悠長に構えていました。ロイリーは私の映画館体験の原点です。私の家とロイリーの間には、それぞれの私有地となる細い通路もありました。そしてうちの裏庭の向こう側には看板書いて置いてあるスペースもありました。今は駐車場になっているその場所を見ると、こんなに狭い敷地だったのかと思いますが。ロイリーのこと、もっと知りたい、語りたいけど、光華楼や翠香苑、その他の件については「久留米の記憶」欄のほうに投稿します。

うわびっくりした。さてぼんさん。という字が、さぼてんさん。にみえた。とげとげはいかん。痛いし。
ほとけのロイリーさん。
お陀仏なさったのでは・・と案じていました。
だってあんなに堂々としまのにくまれぐちをおかきになったのですから、さらにへきちの島へと島流しにあわれたのではないかと、ひそかに心配してました。
かささぎの旗では、先読みして、たぶん反動で島が恋しくなるだろうとみて、以前棄てた芸名を復活してさしあげました。ハイ。神津兵六。

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