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2009年1月18日 (日)

丸星ラーメンと坂本繁二郎

丸星ラーメンと坂本繁二郎

     久留米人・神津兵六 

丸星ラーメンと坂本繁二郎の関係、そう言えばまだ坂本繁二郎が生きていた頃、この画家と当時の店主は交友関係にあり、店内に作品が飾ってあるとかいうことを、諏訪中の教師から聞いたのをうろ覚えしていただけでした。
そこで、あれこれ検索してみたところ、次のようなことがわかったのでお知らせします。

 丸星ラーメンの奥、右上の壁に2枚の油彩画レプリカが掲っています。
そのうち1枚はダルマを描いたもの。
かの坂本繁二郎画伯が丸星ラーメンの裏に住んでいたのですが、画伯の引っ越しを丸星ラーメンのご主人が手伝った際に画伯から贈られたものです。
実物は、久留米市内の石橋美術館に預託されています。

画伯は、丸星ラーメンのご主人が、毎朝、店の前の地蔵に願をかけているのを気に懸けていたそうです。引っ越しの際の雑談で、「毎朝、何を地蔵に頼んでいる?」と尋ねた画伯にご主人は「なかなか商売がうまくいきませんが、頑張っとります、と拝んでいます。」と応えたそうです。
画伯は、それでは七転び八起きで頑張るようにとダルマの絵をご主人にあげたのだそうです。

 以上です。
ところでかささぎさんは、八女のどちらのご出身でしょうか。
私の父は広川町出身です。
また現在住んでいる島の住宅の隣には、奇遇なことに御夫婦とも立花町出身の方がいます(うちは両方とも久留米)。
八女高卒業で、今はなき矢部線で通学したそうです。
そういえば、私がまだ小学生にもならない頃、東町公園の前を路面電車が走っていたような記憶があり、先日父に訊いたら、日吉町から八女の福島まで通っている三井電車というのがあったそうですが、どこをどう走っとったつやら?
ご存じの方いたら教えて下さい。
それにしても、たまに久留米がニュースになると、犯罪関係か暴力団関係かで、知らない人だったら危険な町だと思うでしょうね。「新世界」だって、銭湯での「刺青もの」だって、幼心にそんなに恐いというイメージではなかったけど…「新世界」にはまだ父の行きつけだった小料理屋が残っているみたいです。機会があったら誰か一緒に行きませんか?

▲かささぎの旗管理人より、地域学の欄新設。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_2981.html

久留米の記憶が沢山寄せられてコメント欄が長くなりましたので、新たに設けました。
はじめて知ることが多く、もったいないので、カテゴリーをもうけ保存します。
出来る範囲でやります。
竹橋乙四郎の戦国和歌を読む仕事も、地域学ですね。
かたや軟派、かたや硬派の地域学。

久留米人さんへ提案。
久留米人ではのれんに腕おし、はにわに歯なしです。
俳号のようにお名前をおつけしませんか。
神津埴丸こうづ・はにまる。とか、神津兵六こうづ・ひょうろく。とか。
そうだ。兵六がいい。兵六万の兵六。と仮に置きますね。

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コメント

ヒョウロクモチ、ってのがなかった?兵六餅。
むか~しのお菓子に。

うんあったね。いまもあるよ。
うちのむすこたちはなぜかボンタンアメが大好きだ。
それときなこもち。笑
ケーキや和菓子おはぎなどには目もくれず。

表六は兵六ともかくんだけど、いやまちがった、兵六は表六ともかくんだけど、おろかもの。という普通の意味のほかに、ちゃんと山形民話があってね。哀感のあるいいなまえだとかささぎはおもった。
それと、孫七って名づけを考えていたので、それと地続きの名前だと思った。ひょうろく、まごしち、やへい。てなもんでい。ははは。

うわー、そこへ繋がるか!
母の看病に病院行って、そこの売店で買ったものが
「兵六餅」と「ぼんたんあめ」と「さつまいもキャラメル」だったのお。
土産に東京に持ってきた。
新製品の「さつまいもキャラメル」がすごく美味しくて
実家の嫁さんがこれ口コミで広めよう!!なんていきまいていた。名前に貼り付け

鹿児島市セイカ食品㈱
今、目の前に兵六餅があります。

ああ、これこれ。
ええ?これって鹿児島名産だったの?
そうか。ボンタンアメだもんねえ。
ばあちゃんが好きだったよ、これ。あのオブラートの感触が忘れられん。幼い頃、これがわたしも弟も嫌いでね。でも、他におやつがなかったらしかたなく食べてましたっけ。

九月と三月のお彼岸のとき、こうぼさん参りの場所で、このボンタンアメが配られていました。ほんの数年前までの話です。

 「地域学」新設の件、了解しました。ただ名前の件、今住んでる「神津(島)」大嫌いだからパス、「兵六」は申し訳ないけど「兵六万」の記事をよく読んでないので、考えさせて下さい。最初に投稿した時は「ロイリー」にしようかなとも思ったけど、俳号っぽくはないし、池町川とあけぼの通りの間で生まれ育ったんで「池町川」とか「あけぼの」は?「ロイリーあけぼの」じゃ、なんかお笑い芸人っぽいね。春はあけぼの、4月には脱島できると思うと、石の上にも3年の無駄な日々。私は韻文あまり得意ではないのでご了解下さい。散文と歴史関係はそれなりばってん、郷土史はやはり地元におらんと難しい。
 兵六餅ね、そういや聞いたことも食べたこともあるけど、祖母がパチンコ屋で取ってきたボンタンアメが懐かしい。それと小城羊羹、この2つは私の中で六ツ門アーケード街入口にあったラッキー・パチンコのイメージとつながります。幼稚園の頃、祖母からパチンコ玉もらって打ったら(たぶんチューリップが開いて)玉がどんどん出てきて、隣にいたおっちゃんから「すごかね!」と言われた想い出も。
 そういうわけで、名前の件とここ数日間いただいたコメントに対するお答えは、もう少しお待ち下さい。

さつまいもキャラメル。う・・・
今日母に、昔おこうぼうさんまいりで必ず出たしょうがせんべいをもらう編み笠の形の。子供心に超まずかった。いまはただ懐かしい。

きょう戸畑へいった。帰路どしゃぶり。
おっとはとばたで母親とくらします。
ずっと気になっていた。これでいい。
おもえばじき80。三人のおや。

う・・神津大嫌い・・そんな・・
かささぎははじめて八女にきた州都からむかし、こんないなかにはようすめんわあ。といわれダメージを300パーセントくらい受けたきおくがあり、それをおもいださせてくれました。いなかでなにがわるいんじゃ。このひょうろくだまが!おおっと、失礼。つい見知らぬひとに八つ当たりしてしまいました。
はっきりいって、『ロイリーあけぼの」とか、一昔前のチャーリーなんとかみたいだからやめてください。

「ロイリーあけぼの」私は好きですけど。だめですか。じゃあ、「文化染汰」はどうですか?

わらっちゃったよ、どっちも。
菅原ぶんたかと思った。笑

しょうがせんべいの記憶。
耳の形のおせんべがなかった?
丸いのを二つに折ってへこませたやつ。で、しょうが味のやつ。
久保田せんべい。別名、よっさとせんべ。吉里区の久保田さんというじいちゃんとばあちゃんが手焼きで焼いてあったおせんべい。今は息子さん夫婦が跡継ぎなさって、あのなつかしいくぼたせんべいは健在です。

そうですじゃ。耳の形。
山鹿灯篭祭りとかにむすめさんがかぶる編み笠のかたちとおもってた。
たくさんかうときは、がんがんにはいってました。

あ、おんなじもんか。
笠の形と思ったことは一度もないよ。
にんげんの目っておもしろかね。
こげん違うとよ、もののみかた。

がんがんには、今も入ってます。

久保田せんべい屋さんも、遠~い遠~い親戚です。父方の祖父の筋。

うぇ~!ひっぱりこっぱりの多かですね、乙さん。
おせんべいやさんのご夫婦は揃って青少年教育に好意的で、小学生の体験学習や中学生の就職体験などとても協力していただきました。あちらのむすめさんがジュニアリーダーからシニアリーダー、社会人のボランティアグループにまで所属していて、わたしもこのおじょうとは縁が深い!

ということは生姜せんべやさんは広川。
しらなんだ。そげな近場で作ってあったなんて。どこから仕入れてたのか、聞いたこともなかった。せんべ。
津福の水系事務所ちかくの鶏卵落花生せんべいというせんべやさんにバイト時代よく買いにいった。
乙四郎は別格としても、せいこさんは本当によく人のめんどうをみるのが上手。根っからボランティア人間。徳をつむとはこういうことだろうなあ。
いつかの連句会で、お弁当ごみがたくさんでたとき。みんなでへやを片付け、帰ろうとすると弁当ごみがない。きっと管理人さんが片付けてくださったんだろう。と思っていた。でも、気になり、電話をすると、管理人はごみはなかったという。
せいこさんが持って返ってくれてたんだよ!すごいなあ。
私はまったく気がきかない人間ですが、勤務先のマイボスとせいこさんはいつもすごいとおもう。

 かささぎさん、それは誤解というものです。私は田舎が嫌いなわけじゃなく、神津(島)が嫌いなだけです。というわけで、取りあえず?投稿者名を「呂伊利」としておきませう。急に思い出した!ロイリーは一時期「ニュー東映」系(東映の現代劇もの)の映画を上映していた。
 で、さくらさん、大勝館の裏は映画館が2件並んでおり、久留米荘や田園あたりもふくめて「有楽町」と言ってました(私の父母や祖父母は「おぜき町」と言っており、正月父に訊いたら、「おぜき」という大地主?家主?の土地だったらしいです)。「新世界」は大勝館裏ではなく、正面の大通りの向かい側から入っていくいくつかの路地です。「広又材木店」は小学校の頃、勝手に入って同級生と遊んだ覚えがあります。またボーリング場は、i池町川沿いにあった光華楼がやっていたところでしょう。私は昭和46年3月、高校の卒業式の後、初めてここでボーリングを体験しました。じいさんばあさんの世間話でよかじゃなかですか。
 seikoさん、そん「木下」は、やはり私の高校時代からの腐れ縁的友人です。今はワケありで糟屋郡に住んでます。私の父の出身地は広川であることしか知りません。尋常小学校の頃両親とも亡くし、一時期現井筒屋の地にあった長屋?に住んで日吉小にも通ったことあるらしい。今でも広川小同窓生とのつき合いがあるみたいで、こないだ同窓生名簿(大正1926年4月~昭和2年3月生まれ)を見せてもらいました。ちなみに旧姓は大森です。
 乙四郎さん、「どんどら」という地名を初めて知りました。とにかく久留米市内以外はあまりわからないけど八女、その他久留米旧市内郊外(失礼!)のこと、いろいろ教えて下さい。

呂伊利さん。大森姓は今もなお広川に見られる姓です。たぶん、上広川校区でしょう。上広川小学校。生徒数は少ないけれど、広川町内でいちばん子供たちが純朴な学校だと、わたしは思っています。三世代同居の世帯がおおいので、年寄りにもやさしくできる子が多い。これはもちろんわたくしの勝手な思い込みですが・・・。
時間がおありでしたら、いつか広川町の東部にある「広川ダム」をお訪ねになりませんか。そのダムのすぐ下の地域、梯(かけはし)区には大森姓の友人がいます。

何かが胸のあたりにこみあげていたんですが、おぼろげながらみえてきた。かけはし!そん、かけはしです、せいこさん。甲四郎先生の母方の姓だったと思います。それと、乙四郎が木下姓を母方の姓として持ち出してきたときも、なにか忘れていた記憶がでてきそうだった。甲四郎先生にからむ記憶だったかしら。それとも若菜さんだったかしら。このふたりは確か姪とおじの関係になるのよね。いつか機会があれば、おつしろうを甲四郎先生宅へつれていき、おはなしをきかせてあげたい。何かが繋がっている。かささぎには漠然としかわからないけど。
ああ。いかん。こうしろう先生に不義理している。
賀状も書いてないし、お礼状もかいていませんでした。先生、ごめんなさい。

ろいりさん。ありがとう。
わかってます。いなかの悪口を書かれたのではないことくらい、わかります。ただ、のりとして、ちょうどおもいきりへこんでいたものですから、いきおいづけにちょうどそこにあった石を蹴るみたいに八つ当たりしただけです。すんません。

先週の迷宮美術館では坂本繁二郎さんの特集でした。淡い色づかいが良いですよね。

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