無料ブログはココログ

« 連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄 | トップページ | 護無三社が鎮座する久留米の記憶対話篇   »

2009年1月31日 (土)

連句誌れぎおん冬64号に答えがあった!

連句誌れぎおん。

初めて読んだのはいつだったろう。一目でひきつけられた。
まったく他の俳句誌とは違っていた。わたしは夢中になった。
その頃はまだ甲子園にいらした前田編集長に文章を送り、初めて載せて貰った時のことを鮮明に覚えている。
13号で『俗の細道』という連載随想を持たせてもらった時の晴れがましさも。

今、かささぎの旗では天文24年の八女戦国百首和歌『夏日侍』をよむことに集中しておりますが、主たる読み手である竹橋乙四郎がやむをえぬ窮状のため休場となり、かささぎは一人で光りものを集める作業を続けます。そのうち事情は好転すると信じて。かささぎは竹橋乙四郎を信じている。

れぎおん冬号が届き、やっと時間がとれたので読む。
今朝まで引用をさせていただいた『連歌師』の鶴崎裕雄先生の連歌の留書!
疑問だった「百首和歌」というジャンルへの答えが載っていました。
あっと思いました。これは引用しなければいけない。
氏への断わりもなくこんなことをしていいのだろうかと躊躇しつつ。
無礼の段は、おゆるしください。

『直江兼続と寄合の文芸』

      鶴崎裕雄  

今年(平成二十一年)もNHKの大河ドラマが新しく始まった。主人公は直江兼続、原作は火坂雅志(ひさかまさし)の小説『天地人』である。

直江兼続は越後の戦国大名上杉謙信に仕え、謙信没後、上杉景勝を助けて活躍し、名宰相と呼ばれた人物である。時は織田信長から豊臣秀吉・徳川家康と天下人がめまぐるしく交代する動乱の時代であった。上杉景勝は信長と相争ったが、秀吉とは友好関係にあった。秀吉が命じた無謀な朝鮮出兵にも参加した。
しかし慶長三年1598秀吉は上杉氏に会津百二十万石への国替えを命じた。
会津に移った後、まもなく秀吉が病死。
上杉景勝は、秀吉に代わって天下に睨みを効かす徳川家康とは対立する。
家康が会津の上杉氏を攻めんと出陣すると、京・大坂では石田三成が家康討伐の兵を挙げた。関が原の合戦である。結果は徳川方の勝利。三成と手を組んだ上杉氏は米沢三十万石に減封、百二十万石から三十万石、四分の三のリストラである。

連歌や俳諧・連句は複数の作者、いわゆる連衆で創作する文芸である。
この他、中世には継歌(つぎうた)が流行した。継歌は、複数の作者が歌題に従って百首とか五十首とかの歌を短冊に記し、読み上げ役の講師(こうじ)が題の順序で歌を披露する。
この歌の順序は、おおよそ春夏秋冬の四季・恋・雑である。
雑というのは、四季や恋以外の、海や山・松や芝・馬や鶏・旅や名所・神社仏閣など季節を表さない様々な物である。
参加した詠者は題に従って歌を詠み、講師が読み上げる参加者全員の歌を聞く。自分の感情や意志を捨てて歌の世界に没頭する。
それは前句に従って付句を詠み、創作と鑑賞を楽しむ連歌や俳諧・連句の世界と同じである。寄合の文芸である。

戦国時代、連歌や継歌を愛好する武将たちが多かった。
三好長慶や細川幽斎たちは連歌の名手であった。
『天地人』に登場する上杉景勝も直江兼続も連歌を詠んだ。
特に直江兼続は漢詩文の教養が深く、和句と漢句を交えた和漢聯句または漢和聯句の作品が多い。

昨年平成二十年十一月の下旬、誘われて山形県東置賜郡高畠町・川西町を訪ねた。高畠町では亀岡の文殊堂に奉納された『亀岡文殊堂奉納詩歌百首』を拝見した。これは関ヶ原合戦の結果、会津より米沢に減封されて移転した翌年慶長七年、米沢藩領にある亀岡の文殊堂に直江兼続ら二十一人の主立った上杉家家臣や有力寺院の僧侶たちが催した継歌百首である。歌題は兼続の実弟大国実頼が選んだとある。兼続主導の歌会であろう。四分の一のリストラという上杉家一大事の時、この続歌奉納は家臣の心を一つにし、揆を一にする精神を高めたことであろう。
寄合の文芸の一つの特徴である。

  鶴崎裕雄:帝塚山学院大学名誉教授。連歌師。

(連句誌『れぎおん』2009・冬・64号より引用しました。)

参照記事:

細川幽斎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%B9%BD%E6%96%8E

三好長慶http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E9%95%B7%E6%85%B6

直江兼続http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E5%85%BC%E7%B6%9A

上杉景勝http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/uesugi/b-uesugi.html

« 連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄 | トップページ | 護無三社が鎮座する久留米の記憶対話篇   »

コメント

・・・という一大事の時、この○○○○は家臣の心を一つにし、軌を一にする精神を高めたことであろう。

○○○○を求めています。

乙四郎学長。
歌仙連句を提案します。
正式の歌仙36句だと4時間余では無理なので、現代的に短くアレンジされた歌仙である、源心(げんしん・東明雅創案)や先日巻いた胡蝶(こちょう、林空花創案)や獅子(しし・窪田薫創案)短歌行(たんかこう、)や半歌仙(はんかせん・歌仙の半分。一折のみ。連句大会ではほとんどこの形式です)
こころひとつにまるくなる。
敷島の道と筑波の道がひとつになる。
乙四郎大学の建築理念と機を一にする。
あ。おもいだした。きのう引用するとき、勝手に打ち変えた。れぎおん本文では、四分の一のリストラと書かれていた。こういう場合は四分の三のリストラと言うほうが普通じゃないのかな。と思ったかささぎは、断わりもなく変えた。あとでもどします。
それと、さいごの部分の「軌を一に」は、なんと「揆を一にする」と書かれていた。勝手にフツーの字に変えたかささぎは、朝起きて、すぐそれがシャレであることにきづいた。また、かえます。わざと誤字護持なんだね。

追加。
誤植か誤字かを見極めるのは難しい。
とくに連句人は難しい。

きのう打ちこんでいたとき、ゆうさいのさいの字が、それ以前に打った岩波本では斎ではなく斉になっていました。岩波本を信じて確かめもしなかった。ところが、れぎおん本では斎になっている。ここで初めてネット検索。斎が正解だった。細川幽斎。

It's cool that people can receive the business loans and it opens up new possibilities.

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 連句誌れぎおん冬64号に答えがあった!:

« 連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄 | トップページ | 護無三社が鎮座する久留米の記憶対話篇   »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31