無料ブログはココログ

« 母と父の黒豆 | トップページ | 俳祖荒木田守武  乙四郎語録16 »

2008年12月13日 (土)

連歌の発生

連歌から俳諧へ

左・隔月刊『文学』2002年9、10月号(岩波書店)
右『荒木田守武』(俳祖守武翁顕彰会編・没後450年記念事業実行委員会刊)

「文学」

特集 連歌の動態

光田和伸先生は連句誌れぎおん巻頭で芭蕉の「冬の日」講釈をなさっていたプロの連歌師、高名な国文学者であります。かささぎは、連歌とはなにをもって連歌というのかがわからなくてうろうろしていたとき、この本が目に留まった次第。以下、ざざっと引用をお許し願います。

連歌の発生

あやにやし えをとこを あやにやし えをとめを 

ご存知、 いざなぎ、いざなみ二神のご唱和。55 55。
女神が先導するかたち。これが原初の連歌である。
ここから旋頭歌とよばれる577・577がうまれてくる。
独詠型と唱和型と並存する。この変化は大和政権に引き継がれる以前に出雲王国において起こっていたのであろうか。それとも継承以後に起こったのだろうか。スサノヲの神詠、

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
八重垣作る その八重垣を 57577

これはもう完成された短歌形式で立っている。

万葉集の旋頭歌62首のうち、作者不明歌はじつに51首。このうち、柿本人麻呂作とするものが35首、巻7に23首、巻11に12首とまとまって収録されている。一方人麻呂個人名の作歌はない。旋頭歌という形式は民謡、ひなぶりであったか、民謡に仮託して歌われる一種の牧歌だったろうか?それは作家が勝負をかけるような形式ではなかった。短歌を晴(はれ)の文学、旋頭歌を褻(け)の文学とする意識がもう、この時代にはあった。八世紀には旋頭歌の命脈はつきた。

旋頭歌にかわるあたらしい連歌形式は、現在広く「短連歌」の名で呼ばれている、575・77形式である。その最古の記録は、万葉集巻8の尼と大伴家持の唱和。

佐保川の水をせき上げて植ゑし田を
刈る早稲はひとりなるべし

中略。

古今風に花をうばわれて、短歌の風下にたった連歌に、あたらしい動きがおこる。鎖連歌である。その嚆矢は「いろは連歌」のように各句の頭に決まった文字を配して、つぎつぎに歌をよむ「冠字連歌」であった。

うれしかるらむ 千秋万歳
ゐはこよひ あすは子日と かぞへつつ   小侍従 
                           『古今著聞集』

これはその現存最古文献、1165年、藤原定家はこの3年前に誕生している。
鎖連歌では続けるための動機付けに制約を設けるが、この制約を連歌用語で「ふしもの・賦物」という。「冠字」はそのもっとも早い時期に誕生した形式である。(さいしょの歌いだしのことばを
決めてから、詠む歌形式である。小侍従の上記の歌は、いろはの「うゐ」をあたまに冠している。札幌の故クボタカオル宗匠に、この冠字連句としりとり連句でずいぶん遊ばせてもらいました。ほんとうに有難いことでした。いまおもえば。かささぎ注)

ふしもの、賦物は、とても高度な知的ゲームであった。
藤原定家は賦物連歌に参加することで新しい風、新古今調を獲得したのだろうか。しかし、定家の時代の鎖連歌の実作はきわめてわずかしか残っていない。わたしたちの目にする鎖連歌のほとんどは、新古今和歌集成立以後のものである。

ふしもの連歌は定家死後さらに発展し、上賦下賦連歌は百句をつづけるようになる。
それからいろんなスタイル素材が生まれ、飽きられ、いろいろとくるうちにやがて、去嫌連歌が発生する。さりきらいれんが。誕生した時代、発生場所は正確にはわからない。その
最初のルール、「連歌本式」は1260年のなかば文永のころの誕生と伝えられる。以後、ほぼ十年ごとに「建治新式」「弘安新式」という改訂版が出る。賦物連歌勃興期を代表する作者は、藤原定家であった。去嫌連歌の勃興期を生きた作者は『徒然草』の著者、占部兼好である。兼好は歌人としての誇りを維持し、連歌には冷淡だったといわれるが、徒然草の段落配列には去嫌連歌の展開を踏んでいるところが多くある。

連歌新式。
兼好晩年のころ登場する二條良基によって、連歌は完成をみる。1372年、良基が救済の協力で完成した「連歌新式」がそれである。以後、わずかな改定をみながらほぼそのままのかたちで、こんにちまで去嫌連歌の式目の地位を保っている。

さいごに、その式目の説明にはいるのだが、これは連歌の世界観、哲学の具現である。
引きたいが、肝腎かなめの部分であり、それは読者が本を手にしてよまれんことを願うのみ。

▼光田和伸先生のご本二冊。
「芭蕉、めざめる」http://seisoushobou.com/book/nonfiction/aaiacioaae/
「恋の隠し方」

(けっきょく、百首和歌の位置づけはまだよくわかりません。)

« 母と父の黒豆 | トップページ | 俳祖荒木田守武  乙四郎語録16 »

コメント

連句の会は10日ですか?私には11日って言うたよ。日曜日。はたして正解は?

11日でした。完全に間違えました。
次の日が成人の日で12日の休みです。
せっぷくもんですなあ・・もうしわけありません。

休みの申請は1ヶ月前に出さないといけないのです。修正は他の人に迷惑がかかるので、重大事以外出さないようにしています。良かった。11日で。

ごめん。
11日なら予定がはいってるんで、参加できないです。
来年は、よいスタートになるといいですね。

そらんさん
予定が入った日でしたか
残念です

乙抜け。

上京中でござる。

了解。

しんねんやあたらしきとしあらみたま  かささぎ

むすこのはいくなみ。

寒い朝凍りつくよな寒さかな しんたろう

ここに、黒木物語に黒木助能とともに出てくる小侍従の歌が出ていました。(調うたまるさんによれば、黒木物語の小侍従はこの歌人の小侍従の母らしいのですが。なんにしろ千年以上も昔のこと、茫々としてる。だけどなんにもえにしがなければ、そういう物語など発生する余地もありません。なにかいわれがあったのでしょう。)
日本最古の鎖連歌ーいろは連歌ー冠字(かむりじ)連歌文献の歌として、小侍従の歌がここに。
こんなに古かったんですねえ。古典って面白いですね。
みつたかずのぶ先生の書かれた文章です。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/6513/26160929

この記事へのトラックバック一覧です: 連歌の発生:

« 母と父の黒豆 | トップページ | 俳祖荒木田守武  乙四郎語録16 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30