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2008年12月 3日 (水)

乙四郎語録 7

八女天文歌人百首和歌

とんでも解釈 part 4

       竹橋乙四郎

「難波」が2首。
七 心ある友としミばや難波津の
花もさかりの香に匂ふころ
五十三 種まきし難波の小田は夢なれや
をどろきあへぬ秋かぜの音
難波津、調べてみました。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(古今和歌集:王仁)
平安時代には「難波津の歌」と言えば「誰でも知っている歌」の代名詞とされていたそうな。競技かるたにおいては競技の開始時に難波津の歌を詠むことが通例とか。
さて、作者の王仁(わに)ですが、百済から日本に渡来し、漢字と儒教を伝えたとされる伝説的な人物だそうです。この歌は、仁徳天皇即位(313年)の際に治世の繁栄を願った歌。日本各地で「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」と記された木簡が出土。流行歌だったようです。
7番の歌の本歌は、きっとこれでしょう。前後の歌から、磐井の君の繁栄の様子。
53番の難波の小田。744年に難波行幸に際し鈴鹿王らと共に平城宮留守官に任じられた小田王(おだのおおきみ)という人物がいますが、ようわからん。
ところで、「うらなみ」も2首。
六十 霜さむきよるはすがらのうらなみに
なきたつちどりいづち行くらむ
七十二 今は我見る目も隠す言ふ甲斐も
なく/\袖のうらなみぞたつ
うらなみ、調べてみました。
「もしほ草 かくとも盡きじ 君が代の 數によみ置く 和歌の浦波」(源家長)
(海辺の藻塩草は取っても尽きないように、後鳥羽院の長い御代の内の詠まれる優れた和歌も私がいくら書き留めても尽きることがないでしょう)
これを本歌としたと思われる歌があります。八女戦国百首の少し後です。
「藻しほ草かきあつめたる跡とめて むかしにかへす和歌のうらなみ」
慶長五(1600)年、関ヶ原の戦いの際に、細川幽斎(藤孝)が城を包囲された。朝廷は、万一幽斎が死ねば古今伝授が滅亡するのをおそれ、勅使を派遣し包囲を緩めさせ、幽斎に開城脱出させようとしたが、その際に幽斎が歌書一箱ともに送った歌。
あんまり関係なさそう?次の歌をご覧あれ。
十九 伊勢のうミや波よるもくさかきためて
くらす神代の春はいく春

どこかに古今伝授の古文書が隠されているような気がしませんか?

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とんでも解釈 part 5
千年川
一 君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ

千年川が筑後川の古名であると初めて知った。「筑後川」が公称とされたのは寛永13年(1636年)とか。
「ためしに」は何だろう。
年の始めのためしとて終なき世のめでたさを
の「ためし」だろうか。意味もわからず半世紀以上も正月を迎えていたことに恥じ入る。
検索したら、ためし=例、規範、模範 とあった。
「すめる」は、澄める
紫式部の歌
「くもりなく千年に澄める水のおもに宿れる月のかげものどけし」
「たね」は、人の心
古今和歌集仮名序の冒頭
「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」

君の時代のように筑後川が澄んでいる
変わらない人の心に春が訪れたのかも

ゆっくり暗号解読してゆきます。

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