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2008年12月24日 (水)

年号表記のなぞ  乙四郎語録25  

年号表記のなぞ

八女岩戸山伊勢宮に伝わる、天文歌人24人による
  百首和歌「夏日侍(なつひまち)」 巻末年号
  (天文廿四年 癸卯 卯月廿五日)

   

八女戦国百首和歌「夏日待」をよむ

          竹橋乙四郎

▼ 中世の青森と八女  響きあう年号表記法

昨夜放映のTVQ 「7大歴史ミステリーSP!!」
濃姫の没年のくだりで、“慶長17年壬子7月9日”とあった。
年と月日の間にその年の干支を表記。
中世の併記法らしい。

このような、元号年と干支とを併記して記年した例を探したが、ネット上にはあまりない。ネット上で検索可能となるためには、誰かがキーボードに打ち込まなければならないわけで、残念ながら考古学的資料の多くはネットの外に存在している。
数少ない併記例のひとつに、青森県の田屋熊野神社の例があった。
「文明18年太才甲午8月21日」の記年銘で、なぜか干支が間違っているとある。
文明18年の干支は甲午ではなく丙午。
甲午は12年前の文明6年の干支。

青森県は九州王朝とは関係なかろうが、ここでも12年のずれ。

偶然だろうか?

▼ つぎつぎ見つかる十二年のズレ!

藤氏家伝

12年のずれ、もうひとつ見つけた。

藤原氏の家伝書(鎌足伝、貞慧伝、武智麻呂伝の三点が伝わる)で西暦760年前後に作られたもの。
鎌足の生年。藤原家伝によれば、中臣鎌足大臣は豊御食炊屋姫天皇こと推古天皇34年、甲戌の年に藤原の地で生まれる。
「大臣以、豊御炊天皇卅四年、歳次甲戌、生於藤原之第。」
推古34年は丙戌のはずなのに、12年前の推古22年の甲戌を表記。

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コメント

とんでも本はとんでも本ではないと判断を下すさにわがいないので、正当とはいえないまでも間違いともいえない宙ぶらりん。そこがいかす。
「ユダヤ世界権力が崩壊する日」にありますが、伊勢の外宮に祀られている豊受大神はユダヤのというか古代イスラエルの神である。もともとは籠神社にあった。このじんじゃ。これを元伊勢という。
おつしろう。「今伊勢」と書かれていたじゃろう。百首和歌に。あれはどういう意味だろうか。
伊勢神宮はかつて各地を転々としていた時期があって25回にわたって巡幸している。はじめは倭国笠縫村、つぎが元伊勢の籠神社という。
やさか神社のやさか。ヤッサカというへぶらい語は「神よとさけぶ」という意味である。
ナギヤドヤラという東北民謡のことばは、古代ヘブライ語で「出エジプト記」の言葉らしい。あ。もう時間がない。ほんじゃま。

干支の謎を思案中、八女百首の中に干支を詠み込んだのが一首あるのを見つけた。

七十三  来不逢恋  嵐竹
とひきてもねぬときなれやくやしくて
おもひわすれじ庚申かな

唐突な”庚申”の違和感。荒木田守武の句の”天文九年”と相通じるセンス。
嵐竹というのは何者だろう。
鑑*や鎮*や頼*とは異なり武士らしくはない。覚*や宗*や*亀や*寿のように坊さんらしくもない。弘俊、孫七、牧也、弘智、通次、廣吉、藤次、述秀のような庶民名でもない。ただ一人だけ俳号風の名前で異彩を放っている。
ここで、ひょんなことを考えた。
鑑述と守武とに親交があったのであれば、今伊勢宮へ奉納する百首のうちの何首かを守武にお願いしたりはしないのだろうか。実名は隠すとして。
荒木田の荒の音韻から嵐を連想した。
守武の武から竹を連想した。
とんでもひょっとして、嵐竹=荒木田守武ではなかろうか。

さて、庚申。
天文24年に最も近い庚申の年は、1560年と1500年。5年後か55年前。恋歌で、悔しくて思い忘れることができない年が未来だったり、そんな昔だったりというのは不自然。
「○○○年」と検索するとWikipediaではその年に起きた出来事が出てくるので便利。庚申の年を片っ端から調べてみた。1500年以前にはこれといった出来事はなかったが、ひとつだけ、720年に日本書紀完成とあった。
九州王朝の末裔にとっては、正史が権力によって捻じ曲げられた、悔しくて思い忘れることができない年かも。
古の栄光に浸る筑紫の人々の強い思いに接し、それを叶わぬ恋になぞらえて揶揄したのかも。

笑。
庚申の日に書いた。のは、なんだったかな。
荒木田守武が。うーん。
それにしても、なんであらきだなんだろう。ほんとは薗田ってかいてあるじゃん。
あらき。荒木。これ。どっかでなんかでみた。
なんだった。
あらはばきじゃなく。
うーん。おもいだせない。
老化。

荒木田と上津荒木(こうだらき)と荒木神社
   ↓

荒木田と上津荒木(こうだらき)と荒木神社
   ↓

「あぜち」発見、「景行天皇」のくだり。

おつしろう。高良山物語、すごい資料ですね。
あぜちは例のあぜちだろうと私はすぐ思った。
いそのかみじんぐうとやはり密接な関係があったのだろう。
まだ荒きをさがしだせていない。最近なにかで読んでいる。でもおもいだせない。
荒木田守武が九月庚申の一夜で詠んだとされるのは、よのなか百首でした。
高良山物語、そのどの章だったかに、広川村の古賀さんが出てきなさった。ことし連句で二度ごいっしょした古賀音火子さんの祖先だと笠鷺はすぐ思った。

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