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2008年12月16日 (火)

川ほとりの築城  乙四郎語録18

八女戦国百首和歌『夏日待』をよむ

         竹橋乙四郎     

▼ 川の流れに逆らって

時の過ぎゆくままにこの身をまかせ、ジュリーは還暦に。
川の流れに身をまかせ、テレサ・テンは42歳で死亡。
川の流れのように美空ひばりは52歳で逝ってしまった。
川の流れを鎮めんと、中島内蔵助は1652年、没す。
川は、怒ると怖い。
大きな河川は、大海へ出る直前には、広野を一直線にどど~んと駆け抜ける。
ところが、下の名前貼り付けを見てください。
矢部川は、鷹尾城のすぐ手前までのごく限られた距離だけ、うねうねと蛇行し、上流からの西への流れのベクトルを大きく南方へと曲げています。
ほぼ直角に蛇行してたりして、こういう所は川が氾濫したらイチコロ。
明日には川底になってしまう。
ここで大きな疑問。
なぜ、こんな危険な場所に鷹尾城を築城したのか。
築城申請の前々年の1534年には「大風37回も吹き、米穀類一粒もなく天下大いに飢饉し万民餓死す」ほどの天災に見舞われている。
さぞかし矢部川は荒れたであろうに、怖くなかったのか。

そもそも当時の築城は、臼杵鎮続の柑子岳城や伊勢の竜王山城を例にあげるまでもなく、高地に築城するのが通例。
近くに、女山(ぞやま)という、古代に堅牢な石積みまでしてある天然の要塞があるというのに、なぜ、矢部川の剣が喉元で見え隠れしているような広野に、わざわざ築城したのか。
まったく同じ疑問が鷹尾神社にも。これまで無事でいられたのが不思議。
古代、そんな危険な所にやんごとなき神社をわざわざこさえた精神がわからない。ここらへんには神社が多い。

ここで、とんでも仮説。
鷹尾神社(鷹尾城)は、ものすごく大きな古代建造物の上に建てられた。
矢部川は、この建造物に遮られて、川の流れを変えた。

ナイル河畔のスフィンクスだって砂土に埋もれてたんだし、堆積物が多いデルタ地帯の土の下に巨大建造物が埋もれているとしてもおかしくはない。
年に1cm堆積しても、500年で5m。
お城の石垣だって埋もれてしまう。
(女山でも、高地なのに巨石の上に1mくらい土が堆積してた。年に1mm弱の堆積があったことになる)

「矢部川」をクリックして「洪水氾濫シュミレーション」のポイント3
   ↓

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コメント

鷹尾城
古図とにらめっこして、自分の根城の位置がわかりました。根城は、敷地の西辺と南辺が掘で、アオサギが営巣しています。「大門」付近。掘ったら何か出てくるかな。
ところで、筑後に「鷹尾城」という名の城がもうひとつありました。
所在地は「八女市山内」。童男山古墳あたり。またシンクロ。
   ↓

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